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2021年2月10日 (水)

2021年2月より日本企業に転職しました

2018年2月から勤務をしていたSRI Internationalを1月末に退職して、2月から日本企業のbeBitという会社に転職をした。SRIに勤務した期間はちょうど3年で、新天地を求めたという形になった。

この決断には3つの理由がある。1つはもちろん、もう1年も続いているコロナの影響だ。
SRIはアメリカのシリコンバレーにある世界最大の独立系研究機関だ。運営予算の7割はアメリカのいわゆる公的セクターのプロジェクトを受注することで賄われている。研究者はほぼ全員がアメリカ本土に住んでいて、海外の企業がSRIと共同研究を行う場合にはリモートでのやりとりか、現地に訪問する必要がある。日本企業がSRIと仕事をする時には、最終的な研究成果への期待ももちろんあるのだが、シリコンバレーの空気を吸うとか、現地に進出している日本人企業と交流したいという希望があるため、アメリカを訪問するというのはかなり重要な意味合いがあった。

また、SRIではデザイン・シンキングを活用したIdeaton Workshopというのを重要視している。SRIへの依頼というのは、基本的に「日本企業の既存の技術レベルでは解決できない」という問題になるので、どうしても問題の抽象度はかなり高い。大学に依頼する時には研究室で対応可能なレベルの要素技術に落ちることが多いが、SRIの場合はまず全体像を捉えると言うことに重きを置いている。技術開発自体は最終的に要素技術に落ちることになるのだが、ふわっとした課題感の全体像を結ばせるには、顔をあわせてのワークショップという方法は非常に効率が良い。

コロナによりアメリカにいけなくなった結果、これらの活動は全てできなくなってしまった。ワークショップはZoomを使ってのリモートで何とか実施したが、やはりリアルで会うのとはかなり違う。特に、小グループを作ってちょっとした確認ができなくなってしまったのはすごく痛い。言語の壁もあるので、細かな確認を積み重ねていくことはすごく重要なのだ。
「コロナによりアメリカに行けない」ということは単純に自分の働き方や、SRIにいる間にやりたいことに大きな影響を与えたのだった。


2つ目の理由は、コロナに派生したものだといえるが、やはり外資系の現地企業というのは意思決定に関わることが難しいということを改めて実感したことだ。SRIで自分が所属したチームは少数で運営されており、またチーム内の関係も非常に良かったため、たとえアメリカに行くことができなくてもチームとしての一体感は何も問題がなかった。

しかし、会社全体としてみるとやはり日本の東京支社というのは極めて小さい部署であるということを実感せざるをえなかった。特に今回のコロナでは、アメリカで世界最大の感染者数が出てしまっている状況であり、判断がどうしてもアメリカ(言い換えれば会社の母国)を基準としてしまうところがある。なにせ日本は数人で回している事務所であり、アメリカでは1,000人を超える人員がいるのだ。アメリカが重要であるということは、頭としてはそれを理解するのは容易だが、一方で自分の人生がアメリカの状況で確定してしまうというのはなかなか受け入れられるものではない。外資系というのは大なり小なりそういうところもあるのだが、コロナという事態を前にしてあらためて実感したのだ。


3つ目の理由は、昨年手術をすることになった狭心症だ。7月に発作で倒れたとはいえ、手術は成功して、今はほぼ通常の勤務をすることが出来るようになっている。ただ薬は渉外飲み続けなければならないという制約はあるし、今も血流を強化するために毎日の運動は欠かせない。また、狭窄した部分はステントにより治療ができたとはいえ冠攣縮性狭心症の発作は今後しばらく起こる可能性はあるし、疲労やストレスを溜めるのはよくないとの指導もうけている。

こういった身体的なリスクを考慮すると、コロナがなかったとしても正直なところ2ヶ月~3ヶ月に1回アメリカに行くという生活を続けられるかどうかはわからなかった。長い間飛行機に乗って血栓が発生するというリスクは通常とは変わらない(むしろ薬を飲んでいるのでリスクは低い)が、疲労はやはりあるし、薬を飲むタイミングもコントロールしないといけないし、アメリカで発作が起こるかもしれないし・・・と考えだすと、頻繁にアメリカに出張に行くというのは、結構精神的に(もちろん肉体的にも)しんどいものがある。
時系列で考えると、1つ目と2つ目の理由から漠然と転職を考え始めたのが夏ごろで、発作とその原因判明が後押しをしたというところだ。


先週から参画しているbeBitは自分がまだ中国にいた2011年から現在の副社長と知り合いになり、それから定期的に連絡を取り合う仲だった。これまでも説目節目で何度もお誘いいただいていたのだが、自分の家族の事情であったり、タイミングが合わなかったりということでご一緒する機会がなかった会社だ。今回は人生のステージとこれまでの何度もお声がけをいただいたことにお応えしたいと思い、自分から連絡をとって転職の意向をお伝えした。

新しい職場では新規事業開発室長として、いわゆる成長戦略や海外展開を担当することになった。日本という場所で日本資本の企業で働くのは実に2007年以来だ。また新しいステージが始まるということを楽しみにしている一方で、本当に自分はSRIという場所が好きだったので、すごく悲しい気持ちでもある。コロナがなかったらどうだったか、とか、狭心症にならなかったら、ということを考えたりもする。でも、この苦境で少なくとも仕事があるというだけでもありがたいことだし、そういった個人の事情も含めて採用いただいた会社には、少しでも貢献して行きたいと考えている。

2021年1月 5日 (火)

2021年が始まりました

2020年の最初に書いたエントリーを見返すと「日本国内はオリンピック一色になるだろう2020年」と書いてある。アップした日は2020年1月6日だが、この時にはまだコロナで世界がこんなに変わってしまうということは想像もしていなかったのだ。落ち着いて振り返ってみれば、中国ではすでに謎の肺炎の報道がチラホラされていたことに気がつくのだけど、当時は世界中のほとんどの人がそのニュースに注意を払っていなかったのだ。


2020年を振り返って

ほとんどの人にとって2020年は新型コロナウイルスで多かれ少なかれ人生が変わってしまった年として記憶されるだろう。職を失った人もいるだろうし、留学や海外赴任などの計画が大きく狂ってしまったという人は友人の中にもたくさんいる。日本国内では相対的には死者は少ないとはいえ、愛する人を亡くされた人もおられるのだ。

しかし一個人として振り返ってみれば、新型コロナが生活に与えた影響はそれほど多くはなかった。会社は速やかにリモートワークに変わったし、幸運にも2019年中に引越しを終えていたため、コロナに合わせて大きく生活を変える必要もなかった。非常事態宣言が出た時に子供の幼稚園は休みになってしまったが、家族がみな一緒にいられたということを考えればプラスマイナスではほぼバランスが取れていたような気がする。


多くの人とは違い、2020年の自分にとって最も大きかったのは7月に突然の胸の痛みで倒れてしまったことだった。その後数ヶ月原因不明の後遺症に悩まされ、最終的に狭心症の手術を行ったことだった。この病気はこれまでの自分の人生で最も死に近づいた瞬間だったし、今後の生き方を決定的に方向付ける出来事だったと思う。

2021年の1月になり今後数ヶ月は病院が受け入れができるかどうかわからないという状況を考えると、結果としては11月中に手術を受けることができたのは幸運以外の何物でもなかった。もちろん何も起こらない・・この場合でいえば狭心症が発症しないことが一番良かったのだが、体質によるものが大きいことがわかった今となっては、あの時に倒れなくても遅かれ早かれ同じ目にあっていたことは間違いないと思っている。
「もし海外出張中になってしまったら」とか、「もし救急車の受け入れが不可能な時に起こってしまったら」という場合に比べれば、家族がいる時に自宅で発作が起きたというのはbest of worstだったことは間違いない。

現状では、2021年(つまり今年)の夏頃に術後の経過を見るための検査入院をしなければならないということが決まっているとはいえ、手術は無事に成功し、胸の痛みはすっかりなくなった。コレステロール値をかなり低めにコントロールしなければならないため食事にも気を使う必要があるし、体重を落とすために毎日の運動を欠かせなくなったが、これも今後の人生を考えると健康状態の改善につながるものだ。
なにせ去年のエントリーには「生活習慣病の一歩手前というか、すでにフライングしているレベルの体重なのだが、未だに大して変わらないという・・・。」と書いてあるほどだったのだ。結果として病気になり体重を落とす羽目になったので、ある意味予想は正しかったともいえる(生活習慣病という理由ではなかったが・・・)。

一方で制約も増えてしまい、今後生涯にわたって血栓ができないためのいわゆる「血をサラサラにする薬」(※1)を飲み続けなければならないという制限もあるし、血管の痙攣が起きる可能性があるので飲酒もやめた。大学入学時からちょうど人生の半分の期間ともにあったお酒とも2020年でお別れだ(※2)


仕事をかえるという決断

もう一つの大きな変化は、2020年末でこれまで勤めていたSRIの退職を決めたということだ。書類上は2021年1月末で退職になるので、現在は長い有給期間を楽しんでいるという状況だ。こういった場合に書いておくことが多い転職の理由は書き始めると長くなりそうなので、別のエントリーにまとめようと思っている。ものすごく簡単にいうと、コロナが本格的になる前から考えていたことがあって、さらにコロナの影響で決定の背中を押されたという感じだ。

この1ヶ月は休みをもらって、2月からは声をかけてくれた日本企業ではたらくことが決まっている。前々職のIBMは日本での活動が長く、働いているのもほぼ日本人ということから「外資風日本企業」と言われることがあったとはいえ、それでも日本企業とは明らかに違う意思決定プロセスと管理がなされていた。そう考えると、日本国内で純粋な日本企業に勤めるのは2007年以来ということになる。

これまでの外資の文化とはまた異なる文化の中で、何ができるか・・・40代の自分の新たなチャレンジだ。


2021年の抱負

2020年の新年では「大した目標もない」と書いていたのだが、今年も去年と変わらず、だいそれた目標とか抱負は何もない。本当は毎年毎年何か明確な目標をおいたほうがいいというのはわかっているのだが、この歳になると自分の人生が自分だけのものではないこともわかっているので、新しい突飛な目標を立てるというのは難しいのだ。まあ、昨年に関してはほとんどの人が目標どころの騒ぎではなかったと思う。

あえていうなら、今年はまず「生きる」ということが自分の中では大きな目標だ。手術した狭心症が再発せず、コロナにもならず無事に年末を迎えることができたら、それだけで立派に1年を過ごした・・ということができるのではないかと思う。

もちろん、新しい仕事では成果を出したいと思うし、40代になって益々inputとoutputが重要になってくる中で、自分の時間をうまく使って少しでも世の中をよくしたいとは思う。また、家族にもこういった過ごしづらい環境で幸せであって欲しいとも強く願っている。しかし、それもこれもまずは自分が健康でいることが第一なのだ。

大げさに聞こえるかもしれないが、昨年に救急車で運ばれる直前、自分は彼岸へのドアを少しだけ開けたように感じている。少しだけ向こうをのぞいたのだが、まだまだやることがあるのだ・・と思い、あの時はそのドアを閉めてこちらに帰ってきたのだろう。あの時目の前に展開された、ブラウン管のテレビが壊れていくときのように、あるいは古いノートパソコンではそうだったように、ピクセルが少しずつ消えていくかのように世界が暗くなっていく瞬間を自分は忘れることが出来ない。ちなみにドアは片側びらきでノブを回して押すタイプだった。

この話を友人にすると「怖い!」という反応をされることが多いのだが、当の本人は痛みでそれどころではなく、恐怖は感じなかった。たぶん感じる余裕がなかったのだと思う。そしてこういうと驚かれるのだが、死ぬとしても後悔は一切感じなかった。むしろ、この数年間で家族に与えてもらった多くのことに幸せを感じたほどだ。きっと多分自分は、今の環境にとても満足しているのだろう。

であるならば、今の生活を守りそして長く続けていくことが、きっと自分にとっても家族にとってもよいことなのだろうと思う。そうやって一歩一歩進んでいった先にまた違う世界が広がっているのだろう。


そうそう、追加すると一つだけ。実は昨年はコロナの影響で家にいる時間が長かったこともあり、年間で200本以上の映画を見ることが出来た。その記録は別のブログにまとめているのだけれど、今年はこの本数をさらに伸ばしていきたいな〜とは思っている。寝る前にぼーっと映画を眺めるのは最高だ。




※1・・・血がとまりづらくなるというのは本当で、ちょっとした切り傷やサカムケなどの出血もすぐには止まらないし、かさぶたも真っ黒い血の色のままで治りが遅くなった。
※2・・・正確に言えば「ちょっとは飲んでいい」らしいのだが、そのちょっとってどれだけよ?というのが明確ではないし、例えば会食で「ちょっとだけ飲めます」というのは説明が難しいので、いっそのこと飲酒自体をやめることにしたのだ。浴びるように飲んだ時期もあったのだが、今となっては自分の中で残念という気持ちもない。

2020年11月19日 (木)

精密検査で狭心症が見つかり、ステント手術をした話(その3)

(病院を見つけるまでの経緯はその1を、手術が決まるまでの経緯はその2をご覧ください)


10月下旬: 最終意思決定


手術を受ける意志を病院に伝えてから2週間後に、今度は手術を担当してくれる先生との打ち合わせが設定された。同じ内科でも微妙に担当が分かれているらしく、同級生の先生は手術は担当しないのだという。

この打ち合わせでは、改めて自分の症状がどのようなものであるか、どのような部位に狭窄が起こっているのか、そしてどのような器具と術式で手術を行うかの説明をかなり丁寧にいただいた。医療工学についてある程度の知識がないと理解することが難しいような内容まで踏み込んで説明をいただいて、非常に納得度の高い説明だった。最初の入院時の説明では、やや曖昧な説明でそこが不満だったので、正確な説明をいただけたことはありがたかった(一般的に心臓病で入院される方は高齢の方が多いので、その年代にあわせた説明の仕方/内容が標準になっているのだと想像した)。

面白かったのは「執刀されるのは、(今、お話をしている)XX先生ですか?」という聞いたら、「私のように若いのが担当だと不安ですか?」と聞き返されたことだ。自分としては、一度も顔を合わせたことがない人が執刀だと嫌だな〜と思っての質問だったのだが、どうやらベテランの先生を希望される方もいるらしい。
話を聞く限りはそれほど難しい場所に狭窄があるわけでもないし、術式も確立されているようだから、むしろ若い人に経験を積んでもらうにはいい機会なのでは・・・とも思ったぐらいだ。何事も人は経験しないとうまくならないことだし。

話を聞いていて現代の医学はすごいな・・と思ったのは、術式の説明を受けた時だ。今回はステントで狭くなった血管を膨らませるという手術なのだが、ステントを広げると細い部分についていたカス(血栓やコレストロール)が剥がれて血管を流れて行くリスクがあるという。当然そのまま流れていくと先の血管に詰まってしまう可能性があるのだが、そのリスクを回避するために、血管中にパラシュートみたいなのを広げて回収するということができるらしい。

また、そういうリスクがどのくらいあるかどうかを評価するにあたっては、カテーテルを通して血管中に超音波を出す器具を入れて、内部を検査するらしい。ようするに、これは「人が通れない管の内部を評価する」という話と、ほとんど変わらない。医学というよりも、むしろ工学だな〜と思いながら聞いていたのだった。工学部に進んでよかったと、こんな場面で実感するとは。


手術に向けての準備というのは特になかったのだが、コレストロールを下げるための薬は強めにいただくことになった。自分は「中性脂肪が高い値だが、コレストロールは正常値」という脂血異常症を持っていて、中性脂肪を下げるための薬はずっと飲んでいたのだが、コレストロールも80以下に下げるようにとのことで薬を飲むことになったのだった。


11月上旬: 手術の実施


手術は検査と同じくカテーテルを利用するので自分の精神的には随分楽だったのだが、今回は手術をするということで家族にも説明と同席が求められた。なので、入院日には妻と一緒に病院に行って、最終の説明を受けた。


手術の説明では当然リスクも説明されて、一応「最悪の場合」というのも説明を受けることになる。この「最悪の場合」というのは、手術中に何らかのアクシデントがあって死ぬことも含まれるのか・・と思っていたのだが、過去5年の実績では死亡事例はないとのことだった。自分が入院した病院の過去5年間の事例では、最悪の場合は「トラブルがあって開胸手術を行う」ということだった。開胸手術を受けると退院が遅れるな〜と思ったぐらいで、あまり気にも留めなかったのだが。

むしろこの説明は、最後だし・・と思って色々な質問ができて、純粋に楽しかった。
例えば、ステントは血管を広げるために用いられるのだが、詰まっているところを"削る”という方法もあるのでは・・・と思っていたので、それを質問してみた。すると、なんと血管内で人工ダイヤをつけたドリルで削る術式や、カンナのように細くなった部分を削るという術式もあるらしい。ただ、どうしても血管は曲がっているためそれだけではダメらしいのだが。

また、この病気がわかってからずっと気になっていた、病気のきっかけについても質問してみた。
統計を見ると自分の年齢で狭心症を起こす人はかなり少ない。狭心症は生活習慣病の一つときているので、つまり「自分はものすごく生活習慣が悪かったのか?」というのを疑問に思っていたのだ。

先生が言うには、まず血管の詰まりと言うのはコレストロール”だけ”が積もり積もってつまるわけではなく、血栓によるものもあるらしい。また、時間と比例してつまりが細くなっていくわけでもない・・・ということだった。
こういう前提を踏まえた上で、自分の場合は他の部分は血管が綺麗な状態であることを考慮すると、痙攣(冠攣縮性痙攣)によって何らかの傷のようなものができて、そこに急速に血栓ができたと言う可能性もあるとのことだった。断言はできないが「ものすごく生活態度が悪い」と言う理由だけではここまで細くはならないだろうということであった(もしかしたら気を使ってくれただけかもしれないが・・・)。

こういったやり取りは先生から見れば面倒であるかもしれないが、患者側としては疑問点が消えるのはとてもありがたいことだった。こうして翌日の手術は安心して迎えることが出来たのだった。


手術は前回と同じく左手の局部麻酔で実施された。残念ながら前回と同様に麻酔の効きが悪い上に、前回よりも太い管をいれるということで、左手首はかなり痛かった・・・が、そういったことはこちらの事情なので、どんどんと手術は進んでいく。


ところが、なぜか左手の血管に入れている管(あるいはワイヤーのようなもの・・さすがに首は動かせないので見えないのだ)を先生が入れたり出したりしている。また「あれ、うまくいかないな・・」みたいな声も聞こえてくる。なにせ、局部麻酔なので頭はしっかりしているし、手術室内の会話はばっちり聞こえてくるのだ。

不安というほどではないが、心配になったので看護師さんに話を聞くと、どうやら体の内部でワイヤーがうまく"ひっかからない”らしい(どこに引っかかる、のかまではわからないが)。そうしているうちに、奥の方から上司というかベテランらしき先生が出てきて、「ここはこうやって捻るといいんじゃないか」とか「管はこっちの方がいい」というアドバイスをしだした。執刀医の説明の時に「私の後ろにはベテランが控えてますから」という説明をうけていたのだが、なるほどこういう事態のためにいるのだな・・・と納得できた。

看護師さんの話を聞くと、年をとってくると血管の感覚が鈍くなってくるらしく管を入れられても一切感じない人もいるらしいのだが、残念ながらこの手術では若い自分はばっちり管が入るのを実感できる。中から圧迫されているような感じであまり気持ちがいいものではないし、”お、今この辺り通ってるな"とかもわかってしまうのである。出し入れを何度もするというのは、それを何度も感じるということで、あまり気持ちのいいものではなかった。


そうやって30分ほど先生も格闘されていたのだが、そのうち狙ったところに届いたようで、そうなると痛みもないし嫌な感覚もほとんどなくなった。そこからは内部を評価して、バルーンで血管を広げ、ステントを入れるというところまでスムーズに進んだ。バルーンを広げるタイミングでは血管が一時的に狭くなるので痛みがあります・・・という説明があったのだが、それほどの痛みではなかった。
どちらかというと辛いのは、造影剤を入れることで、毎回のどの奥が焼けるような感じがするのだ。時々咳き込むのだが水が飲めるわけでもなく、体も固定されているので放ったらかしである。

ただ、全体としては手術中に聞こえる話が面白くて、聞き耳を立てていたら終わってしまったというのが正直なところだ。

特に内部評価時に先生が「キャリブレーションお願いします」というのが気になってしまい、手術が終わったら絶対その話を聞こうと心に誓っていた。何を補正しているんだ?管の位置?それともカメラの軸?ということを考えていたら、後半はあっという間に終わってしまった感じだ。


結局手術時間は1時間15分程度だった。前回よりもきつめに左手を止血する必要があり、そのための空気を使った止血バンドが大変痛かったのが唯一辛い点だ(この左手は1週間以上たった今でもまだ少し痛い)。手術後は造影剤を外に出す必要があるため、点滴を一晩打ち続ける必要があり、もう一泊することになっていた。

手術はちょうどお昼をまたいで行われたので、昼ご飯を食べて休んだ後に、夕方には執刀医から手術結果の説明を受けた。ステントを入れて膨らんだ血管の写真を見せてもらい、ようやく手術が成功した実感を感じることができた。映画の見過ぎかもしれないが、ステントを入れたら体にエネルギーがみなぎるかも?と少しは期待していたのだが、全くそんなことはない。退院後に軽い運動をした時に息苦しさがなくなったので、体はよくなっていることは感じられている。


先生によれば、前半の苦戦は体の血管のつき方が少し想定と違ったことと、血管が痙攣して収縮してしまい管の動きが悪くなったことが要因らしい。確かに、一度管を抜こうとした時に手がもっていかれるような感覚があったのだが、どうやらその時は”血管が管を締め付けている”みたいな状態になっていたらしい。
冠攣縮性狭心症という診断からそういうことは事前に予想していたらしいが、痙攣が思ったよりも強く、かつ頻発する可能性はあるかもしれないというのが先生の術後の見立てだった。そのこと自体がすぐさま致命的な状況を引き起こすわけではないが、ストレスを「増やさないでください」という注意はあった、「溜めない」は結構簡単にできそうだが、「増やさない」はかなり難しい。このお話を受けて、仕事や生活の仕方も見直す必要があるな・・・と心に書き留めた。

今回の手術により、とりあえずの問題は解決されたのだが、一方で今回の検査や手術で「血管の痙攣」という体質がわかったため、引き続きそれに対応する薬と血栓ができづらくなる薬は相当の期間(一部は一生)飲み続けることになった。また、これまでの不摂生で大きくなった体も小さくする方がよいということで、相当の減量を、心臓に負担をかけすぎないように行う必要がある。

また再狭窄の可能性もゼロではないので、おそらく来年の中頃には再度カテーテル検査を受ける必要があるだろう。再狭窄が何度も怒ると、それは体質ということになってしまい手が打ちづらいということだったので、こればかりは再狭窄が起こらないように祈るのみだ。
「このタイミングで自分の体質がわかり、手を打っておいてよかったね」といえるかどうかは、これからの人生次第だ。これから数十年間は、”体にチューブが入った人"として生きていけるように頑張らなければならない。

精密検査で狭心症が見つかり、ステント手術をした話(その2)

(病院を見つけて検査の予約をするまでのいきさつはその1をご覧ください)


10月前半:検査を受けて自分の症状を理解する

心臓血管研究所 付属病院は完全予約制なのだが、結構簡単に予約を取ることが出来る。自分の初診の時も、1週間後には予約を取ることが出来た。
初診では心電図とエコー、そしてレントゲンを撮った後に問診を行った。予想通り心電図やエコーでは異常は見つからなかった。だが、ここで終わってしまっては目的が達成できない。ということで、自分が倒れてから病院に運ばれてから今までの経緯や、自分が今感じている症状を丁寧に説明をした。

その説明がよかったのか、あるいは自分の熱意が伝わったのか、あるいはとりあえずそういう対応をしているのかはわからなかったが、先生には状況をご理解いただき無事にトレッドミル検査とホルター心電図検査を受けられることになった。

ちなみに、ここでものすごい偶然があり(それが対応が良かった理由ではないのだが)、なんと担当をしてくれた心不全担当の内科医が、高校の同級生だったのである。ちょっと変わった苗字だったのでもしかしたら?と思って、高校を聞いたらやはり想像通り一緒の高校。体育や芸術科目を一緒にやっていたので、卒業以来20年以上会っていなくても顔立ちや名前をおぼろげながら覚えていたのだった。
個人的にはやはり知り合いがいると安心感が違う。また、この後の入院時や検査時にずっと「XX先生の友達なんですってね」と声をかけてもらい、良くしていただいた。高校をでてから、おそらく初めてOBネットワークの価値を感じた出来事だった。


話を検査に戻すと、たまたま空きがあったということもありその初診の翌週にはトレッドミル検査とホルター心電図検査を受けることが出来た。そして、ありがたいことに(?)トレッドミル検査で心電図の異常を確認することが出来たのだった。
このトレッドミル検査というのは、上半身に心電図を取るための機器と血圧計をつけて、ジムにあるようなランニングマシンを歩くという検査だ。スピードは早くないのだが、だんだんと傾斜がきつくなっていき、限界がきたら教えてください・・・と言われる。あまり負荷が軽いと結果が出ないので、限界まで歩いたら本当に胸が痛くなりニトロ(ミオコールスプレー)を入れてもらう羽目になった。このミオコールスプレーは、手術が成功した今でも常に持ち歩いている。

ここで無事に結果が出たのでホルター心電図はいらないのでは・・・と思ったのだが、一つの流れであるらしく、こちらの検査も行った。この検査は、持ち運びが出来る心電図計測機を体につけて、24時間の心電図を計測する・・というものである。
自宅に帰ることが出来て体の負担も少なく、眠るにも問題がないという話だったのだが、自分にとってはこの検査は大変きつかった。肌が荒れやすくかぶれやすい自分は、この「24時間計測端子を体に貼り付け続ける」というのはものすごい苦痛だったのだ。結局夜もほとんど寝ることが出来ず、次の日にはフラフラになって病院に行くことになった。ステント留置のためのカテーテル手術を終わったいまでも、もっとも辛かった検査がこのホルター検査だ。

トレッドミル検査で異常が出た時には、異常があるということに嫌がるというよりも、ようやく検査で発見することが出来たという喜びの方が大きかった。少なくとも、これで医学的にも何かしらの異常があることが証明されたのだ。「理由はわからないが、体調が悪い」というのは本当に精神的に良くない。


10月後半: カテーテル検査で問題を特定する


検査の話に戻ると、この結果を受けて次のステップに進むことになった。
ここでいう次のステップというのはカテーテルを体に入れて、実際にどこが悪いかを見つけるということを指す。体の中に管を入れて心臓の血管を観察するということで、二泊三日の入院が必要な検査だ。


この段階で狭心症が疑われるということを伝えられていたので、事実上これ以外の選択肢はない。もし異常があるなら早めに治したいのはこちらも同じなので、早速2週間後に入院予約を入れた。話を聞く限り、術式も確立されているし、体に負担も少ないようだった(もちろんリスクがゼロという意味ではない)。


実際の入院は想像していたよりもずっと負担は少なかった。ただ、コロナの影響により体温検査がやたら多い。熱が一定以上を超えると検査を受けられなくなる可能性もあると説明されて、平熱がかなり高めの自分は冷や冷やだった。病院の閉鎖された空間にいるせいなのか、それとも緊張していたのかはわからないが、熱はずっと37度ギリギリだったがなんとか検査を受けることは出来た。

実際のカテーテル検査は入院二日目に行われた。WEBなどを見ると検査は簡単と書いてあることが多いので、大したことがないだろう・・とタカをくくっていた。ところが、実際の検査は手術に近い感じで、医者の方は数人いるし、看護師もたくさんいる。心臓周りの血管を見るために動く巨大な機械もすえつけられており、手術室に入った時にはおもわず笑ってしまった。なんというか、ドラマや映画で見る手術室とは全然違い、機械のなかに入って行くようなイメージである。

カテーテルは左手首から問題なく入れることが出来た・・・と言いたいのだが、麻酔が聞き辛い体質がここでも顔を出し、1回目の麻酔を入れて管を通そうとした時は激痛だった。局部麻酔なので「痛くないですか?」と聞かれるのだが、「めちゃくちゃ痛いですね・・・」としか答えられなかった。ちなみに、このやりとりはステント留置手術でも繰り返すことになる。


カテーテル検査自体は1時間弱で終わり、医学的な所見を無事に得ることが出来た。わかったのは次の2つ。
一つは、心臓の冠動脈の一つが細くなっており治療を行う必要があること。もう一つは、血管の痙攣を起こしやすい体質であり「冠攣縮性狭心症」という病気も持っているということ。診断をした先生の言葉を借りれば「血管の狭窄と、痙攣、合わせ技で一本ですね」ということだった。

この話を聞いて、ようやく7月の体調不良とその後遺症の理由を理解することが出来た、とひどく安堵した。原因箇所と問題さえわかれば、後は治療を行うだけだ。
まず痙攣の方は、原因が不明(というか様々な理由がある)で体質由来ということで、今後も継続して薬を服薬することになった。血管を広げる薬を飲み続けて、痙攣時も血管が細くなりすぎないようにするのだ。

狭窄の方は「すぐに致命的な事態を起こすわけではない」という、すごく理系的な説明がされたのだが、とはいえリスクもあるので治療をお勧めするとのことだった。血栓を溶かす薬を飲めば太さが回復するのか?というこちらの質問に対しては、かなり細くなっているのであまり見込みがない、という回答をもらった。
この段階で、選択肢は「ステントを入れる」か「薬を飲んで放っておく」の2つしか残っていない。しかし、家族もあり、子供もまだ小さい自分にとっては後者はリスクがありすぎる。ほぼ悩む必要もなく、ステント手術を行う方向性で検討をいただくことにしたのだった(続く)

精密検査で狭心症が見つかり、ステント手術をした話(その1)

8月に「体調が戻らない」という話を書いたのだが、それから色々あって11月の半ばにステント手術を受けてきた。
なかなか体調が戻らないので自分で病院を見つけて、医師による狭心症という診断が確定したのが10月頭。それから患部の詳細検討を行い、実際に手術を受けたのが11月という感じで自分の体感値としてはあっという間だった。自分の人生の中でもかなり大きな出来事だったし、もしかしたら同じような体調不良で悩まれている方もいるかもしれないので、この間の経緯を残しておこうと思う。


〜9月末: 自分の症状から病院を探す


まずは自分の体調の変化について書いておこう。
8月に記事を書いてからもかわらず体調不良は続いていたのだが、二歩進んでは一歩下がるみたいな感じで、少しずつは良くなってきている実感があった。一方で、変わらず残り続けている症状というのもあって、原因もわからないためずっと気持ち悪い感覚が残っていたのだった。


変わらずに残り続けていた症状というのは具体的には以下の2つだ。
  • 急に運動(特に朝)をすると、息苦しい感じがしたり、吐き気がする。
  • 時々(これも特に朝が多い)、両腕の二の腕が締め付けられるような感覚がある。

この二つの症状は、ほぼ変わらず出続けていたのだが、一方でそれ以外はいたって健康という生活が9月に入ってからは続いていた。救急車で運ばれた際に心臓の検査をかなりやったので医者も心臓の異常を伺ったということはわかっていたのだが、一方でその時の検査では何も以上が出なかったということもあり、なかなかこの状態が何であるかが自分の中でも説明がつかないという日が続いていた。体は少しずつ良くなっているのに、一方でわかっていない爆弾が体の中に残っているのではないか・・・という不安が残っていたのが当時の感覚だ。


このような不安はあまり精神的には良くないので、9月の中旬には自分のいわゆる「かかりつけ医」にも診断をしてもらった。ただ、そのかかりつけ医の検査でも心電図は正常であり、救急時の検査でも異常が出なかったということから、よくわからない・・というのが結論だった。ビタミンが足りないとそういう症状になることもあるので、ビタミンを多く取ってくださいと言われたので、豚肉を食べたりサプリを入れるようにした。


確かにそれで少しはよくなった気がする(気がするだけだったのかもしれない)のだが、根本的には変わらないという生活が9月末まで続いていたので、いよいよ本気になって医者にかかること検討し始めた。狭心症の時の痛み(放散痛)は背中や肩に出ることが多いが、腕を締め付けられるような感じがある人もいる・・・というWEBの記事を見つけて、救急時の対応からもいったんは心臓に異常があるかもしれないと仮説をおいて、病院を探すことにした。


次に考えたのは、どのような病院に行けば良いかだ。かかりつけ医のような一般医では見つけられないことはわかっていたので、専門病院に行く必要がある。また、専門病院にいくとしても以下の条件を満たすような病院でなければならなかった。
  • 自分の拙い説明(腕がキューっとなるんです)でも心臓に異常があるかも・・とカンを働かせてくれる医者がいなければならない。ここでネックになるのは、救急時に運ばれた病院で造影剤CTをしても異常が出なかったということである。ここで疑いがないとされると、次に進むことが出来ない。
  • 通常の心電図だけではなく、朝の症状が出た際とか「キューっとなる」瞬間に異常を発見できる設備がある病院でなければならない。かかりつけ医からも「その瞬間に調べないとわからないねぇ」と言われていたし、実際に正常時の心電図は問題がなかったのだ。

まず後者の条件に関しては、心臓の病気が疑われた場合にはトレッドミル検査と呼ばれる運動時の心電図の検査をしたり、ホルター心電図という24時間の心電図の推移を調べる検査があることが簡単に見つかった。これは設備の整っている病院であれば対応しているということだったので、見つけるのはそれほど難しくない。

問題となるのは前者だった。上に書いたような設備がある病院というのは、基本的に大学病院や大病院である。しかし、まだ心臓という確信がない自分では、そういった大きな病院でいきなり循環器科にいってうまく説明をする自信がなかった。下手をすればかかりつけ医と同じ対応をされてしまう。ただでさえ忙しい大学病院では、素人の言葉だけで専門検査をしてくれない可能性も十分に想定された。
その上、そもそもかかりつけ医で異常がないと言われてしまったので、紹介状もなかった。紹介状がなくても大病院で診察を受けることは可能だが、必ずしも循環器の先生にあたるわけではないし、同じような対応をされてしまう可能性はかなり高いだろう。


こう考えた結果「設備はしっかりしている専門病院だが、大学病院ではない」という病院を探すことにした。何も知識はなかったのだが、”心臓” ”専門” “病院” みたいな単語で検索を繰り返したら、六本木に条件に見合うような病院があるのを偶然見つけることが出来た。HPを見ると、なんと紹介状なしでも初診料はかからないらしい。これはよいということで、早速電話をして六本木にあるその病院、心臓血管研究所附属病院に予約をとったのだった。(続く)

2020年10月13日 (火)

大学院でビジネス開発の講義を行ってきた

もう4週間ほど前の話になるが、大学時代の恩師の縁で事業構想大学院大学でビジネス開発に関する講義を行う機会をいただいてきた。中国でスタートアップをしていた経験や、現在の仕事でシリコンバレーに触れている(片足突っ込んでるとも言えないほど浅い付き合いだが・・・)ということから、新規事業を立ち上げる際の日本・中国・米国における違いを話して惜しいというオーダーをいただいたのだ。

こういった機会は、この歳になるとむしろ積極的にお受けするようにしている。なかなか新しいことを経験するチャンスも減ってきてしまうし、アウトプットをすることで自分が新たに学ぶことも出来る。日常の業務で話していることであれば資料をそのまま流用することも出来るが、今回のように「自分の専門に近いが、完全に重なっているわけではない」テーマの場合には、自分の知識の棚卸しをした上で新たな情報を集めなければならない。

実は今回の講義は元々は4月に予定されていたのだが、コロナの影響で9月にずれ込んだため、"コロナ以降による変化”も新たにテーマとして付け加えた。コロナのような世界的に同時に発生するインシデントは、各社会や組織の違いを明確にする貴重な機会であると捉えて、スタートアップや新規事業開発という観点からその違いを述べてきた。


講義内容の準備

講義の準備をするにあたっては、まずは情報とデータの収集を行った。
依頼時にAppleの創業話やGAFAがどれほど凄いかという話はすでにたくさん溢れているので、現場にいる人間ならではの話をして欲しいといわれたものの、まずは全体感をつかむ必要があるからだ。そしてその収集自体こそが、自分の学びになったのだった。

まず驚いたのは、中国のスタートアップ投資の規模だ。景気が落ちつつある現在は投資がしぼみつつあるが、最大で年間12兆円もの資金がスタートアップ市場に流れ込んでいた。「お金を燃やすように使う」ということで烧钱と言われるような状況にあった中国のスタートアップ投資だが、その投資は人材育成や技術開発に使われているわけで、確実に事業開発の人材層を厚くしただろう。ちなみに、12兆円というのは同時期の米国のスタートアップ投資とほぼ同額だ。GDPの違いを考えると、いかに大きな資金がスタートアップに費やされているかどうかわかるだろう。
ちなみに、その時期の日本のスタートアップ投資は約2,000億円だ。その規模の違いに頭がクラクラしそうである。

中国の調査ではこの規模の違いに驚いたが、米国側の調査では投資における「ヘルスケア」領域の大きさに驚かされた。業界別カテゴリーではIT/Internetにつぐ第2位に位置しているのだ。
ヘルスケア領域と一口で言っても、ハードウェア開発もあればアプリもあるし、新薬開発/創薬もある。なので、このカテゴリーだけではどのような方向に投資が行われているかを明確に判断することは出来ない。ただ、それでも米国ではコロナ後にものすごい勢いでワクチン開発が進んでいるように、ヘルスケアというのは米国経済において大きなポーションを占めているし、今後もそれはしばらく続くということを痛感させられた。

 
ちなみに米系企業に勤めてマーケティングをやっていると、国別の各業界別のレポートというのを作成させられるのだが、日本の医療保険制度を理解していない人間が米国側担当者にいると、なぜ日本ではヘルスケア産業がこんなに小さいのか?という質問を受け取ることになる。
そもそもの産業の違いから説明しないといけないのだが、その度にいかに日本のヘルスケア(医療)が産業として小さいかを感じる。

 

 
ハイブリッド講義の実施

当日の講義は、現地で参加する生徒とリモートで参加する生徒がいる、いわゆる”ハイブリッド式"で行われた。自分は資料を準備しておくだけだったのだが、準備の状況や当日の運営を見ると、いかにハイブリッド式は労力がかかるかということを痛感した。
まず、講演者と資料が同時に見られるように大きなビデオカメラが用意されていた。今回はMBA方式といえばよいのか、講義中に教室の中を動く方法で講義をしたり、講義中に質問を受け付けたので、そのたびにカメラを動かす必要があった。このために専属で1名の方がカメラに張り付いていた。

また教室で質問が行われた場合にはリモートで参加している学生が聞こえないので、その度に事務の方がマイクを渡してくれていた。これも、負荷としては小さいが重要なことで、リモートで参加している人が疎外感を感じないためには、こういった配慮が必要なのだ。このためにも1名が教室で控えてくれていた。

つまり、講義開始前にカメラと大きなスクリーンの準備と接続状態を確認を事務員の方2名が行い、そのまま講義中にはアシスタント業務をしてくれており、講義後には片付けまで対応をいただいたということである。
SNSでは大学でハイブリッド型の講義を求められているという話がよく出てくるが、自分が実際に参加してみた感じだと、これはものすごく負荷が高い。事務員がついておらず一人で講義をしなければならない場合、相当の準備と設計が必要であることは間違いない。

別に大学の先生をかばうつもりはないが、現実的にハイブリッド講義を行うのであれば大学側が標準的な方法を準備する必要があるだろうと強く感じた。


成長をしないのか?という質問
 
上にも書いたように、当日はなるべく生徒の人にも参加してもらいと考えて、いつでも質問が可能な形とした。全く質問が出なかったらどうしよう・・と事前は危惧していたのだが、かなり活発に質問が出て、こちらとしては大変嬉しい気持ちになった。ただ、この形式だと時間管理が難しく、結局自分の持ち時間を20%(15分)ほど長く使ってしまった。この辺りは、もし次回どこかから声がかかったら改善したいポイントだ。

色々出た質問の中で特に面白かったのが「アメリカとか中国を取り上げたが、そういった国ではなく、日本はヨーロッパのオランダとかドイツみたいな国を目指した方がいいのではないか」というものだった。こういう質問は、一般の人を対象にした時には予想できるのだが、大学院レベルでの講義で出てくるというのは少々意外だった。
 
 
その場ではあまり刺激的なことは言いたくなかったので「ベストプラクティスとして二カ国を取り上げた。また、そういう国を目指したとして長期的には日本は今の生活レベルを維持できなくなるので、全体としては負の方が大きいだろう」と回答したのだが、こういった質問というのは、なかなか回答が難しい。
 
まず個人的な信条としてワーク・ライフ・バランスを保ちたいという気持ちは理解できるし、その道を選択するのは個人の自由だ。ただし、国レベルというと日本のGDP成長率は既に例とした二カ国よりも低いのだ。そこを目指そうが目指さなかろうが、すでに成長という観点では負けているのだ。
また、現在の日本人の生活を維持する様々な要素、例えば国民皆保険に代表される医療レベルや食料の安さというのは、全体としての国富に依存している部分が大きい。今よりも低い位置を積極的に目指すというのは選択肢としては存在するが、確実に今よりも平均寿命は短くなり、今よりも貧しい生活が待っていることは間違いない(あくまで相対的な話なので、絶対的な利便性は向上し続けるだろうが)。

 
授業の目的の一つとして、米国や中国という例を通じて日本のポジションや強み/弱みを相対化して理解するということを置いていたので、それが伝わりきらなかったというのが少し残念ではあった。

2020年9月29日 (火)

4連休のホテルは家族連れでいっぱい

先週末から今週までの4連休は、ひさしぶりに家族と家以外で過ごそうということで、東京都内で椿山荘に泊まって来た。このホテルは妻が妊娠している時から1年に一回ぐらいは行っていて、毎回何もせずにただダラダラ過ごして帰ってくる。近くに食べるようなところがないため、ホテル内で食事をしなければならない(想像通り高い)ことを除けば、都内とは思えない庭の広さを満喫できるし、部屋はかなり広いし、スパとジムには人がいないし・・ということで、非常に満足度が高い。

今年は3月にコロナ感染が広まってからは家にずっとおり、気分転換もできなかったので、連休にあわせてリラックスの時間をもったというわけだ。妻の実家から義母にも来てもらい、息子との久しぶりの再会を楽しんでもらえたようだ(ババにあえる息子はいうまでもなく幸せだ)。


ただ一つ誤算だったのは、とにかく人が多かったことだ。
毎年同じ時期に宿泊しているのだが、これまでになく家族連れが多かった。海外に行くこともできず、国内旅行も今ひとつ気がひける・・・ということで、東京都内で過ごした家族づれが多かったのだろう。

ホテルの人に聞いたら、それでも客足はまだ完全には戻っていないらしい。また、客があまり外に出ずルームサービスを多く利用するので、サービスが遅れがちだったし、例えば子供用の椅子なども在庫がないということもあった。ホテルを運営している方はルームサービスを利用する客の割合というのはだいたい把握しているだろうから、これもコロナによる変化なのだろう。

2020年8月28日 (金)

その提案書に意味があるとは思えない・・・と部下に言われたら

先日、以前の同僚で今は々の会社で働いている後輩から営業活動に関する相談に乗って欲しい・・という連絡がきた。彼はリーダーとしてチームを率いているのだが、メンバーの1人の指導がうまくいかないということらしい。彼が提案書の指導をすると「そんなに手をかけなくても、受注できる時はできますし、できない時はできないです」と言われてしまう・・・とのこと。

色々と話した結果、最終的にはもはや価値観とか文化の違いなので、プロセスに対する改善を狙うのではなくて、指標管理に徹したほうがいいのではないかという話をした。ただ、こういった意見を過去の自分のメンバーから聞いたことはなかったし、たとえ思っていてもなかなか言えるものではない。せっかくなので、話をしたことを自分のためにもまとめておこうと思う。


B2Bの提案書の良し悪し

「B2Bの提案書」というのは、普通は”どのお客さんに対しても同じもの(汎用部分)”と”それぞれのお客さんにあわせてカスタマイズするもの(固有部分)”に分けられる。同じ商材を扱い続ければ、固有部分も使い回しが増えて来るので、コンサルティングのように高度にカスタマイズするものでなければ、汎用部分の割合は70%ぐらいにまでなることも多い。自分がコンサルティングを売っていた時には、全く新しい領域でなければ、固有部分は50%以下、できれば30%ぐらいにしたいと思っていた。

当然のことながら汎用部分が多いほど、1案件にかける時間を減らすことが出来る。極論して仕舞えば、汎用部分だけで対応できるのであれば、案件準備の時間は極限まで削減可能だ。

一方で、当然のことながら汎用部分だけで全てのお客さんの疑問やニーズを満たすことができるわけではない。B2Bは細かい要望に対して答えていかないといけないので、そもそも全部同じで対応可能という想定は現実的ではない。

一方で、細かくカスタマイズをすれば受注できるというわけでもない。直感的には、「個々のお客さんに対して手をかける」という行為は受注確率を上げることができそうだが、個々の商材で、どれほど努力をすれば(時間をかければ)どれだけ受注確率が上がるというデータがあるわけではない。なので、全く時間をかけないという選択も一概に否定できない。


個人的には、個々のお客さんに時間をかけるという"習慣"や"姿勢"は、長期的には受注確率に影響を与えるが、短期的、あるいは目の前の案件が受注できるかどうかを確定することが出来ない・・と思っている。営業では「受注確率」をよく打率と表現するが、まさに野球のアナロジーが使えると思う。

頭を使い、ピッチャーごとの配給や癖を考えるバッターと、何も考えずにふっているバッターを比較すると、1シーズンの打率は前者の方がいい場合が多いと思う。一方で、この打席、あるいはこの試合で打てるかどうかというのは、体の調子や相性、その他の様々な条件により決まるものなので、「必ず」前者がいいとは限らない。短期的には結果が出ないし、長期的に「必ず」結果が出るかはわからないが、それでもおそらく努力をしたほうが、いい結果が出るだろう。



価値観の共有という問題

大学時代の友人が「努力というのは信仰だ」と言っていて、まだ学生だった自分は随分と驚いたのだが、この歳になってみるとこの言葉の意味がよくわかる。努力というのは、必ずしも結果が出るわけではない。効率という意味においては、努力をしないほうがむしろ良い場合もある。それでも、努力をし続けられるというのは、そういうほうが良いという「価値観」を持っているか、あるいは「努力は報われる」と信じているからだ。

極論すると、相談をもってきた僕の元同僚と、その部下では信じること、よってたつことが異なるということなのだ。努力をすることに意味はない・・というのも、一つの価値観であり、それ自体は非難されるものではない。


また守秘義務にかからない範囲で見せてもらった彼と部下の提案書を見比べても、明らかに元同僚の方が出来がいい。しかし、これを見ても差がないというのは、それが嘘でなければ審美眼というか「モノを見る目」が根本的に違っているとしかいいようがない。そういった見方というのは教育によって学ぶことができるが、学ぶ気持ちがなければ手に入れることは出来ない。

例えば自分は美術館で絵をみるということをあまりしないのだが、これは自分が「いい絵」と「悪い絵」を見分ける目と知識をもっていないということによるものが大きい。正直に言うと、名作と呼ばれているものを見て「すげーーー」と思うことはほとんどない。写真を見ても、仏像を見ても、あるいは音楽を聴いても、少なくとも自分の中では(世間とあってなくても)「いい/悪い」と感じることがあるのだが、絵では残念ながらそういったセンスがない。数少ない例は、ニューヨークで行ったMOMAぐらいだろうか。なぜか抽象画は好きなのだ。


芸術の見方ということであれば自分だけに関わるだけなので、個人的なこととしておけばよいが、提案書となるとそうはいかない。上司は部下を指導しなければならないし、ちゃんと成果を出さなければならないのだ。そのために重要なのは、いい仕事と悪い仕事を分ける尺度が揃っているということだ。

今回相談されたことの本質は、部下と価値観を共有することが出来ないという悩みなんだと思う。


よりよいものを追求しようとする文化

「現状のプロダクト/サービスでより良いものを追求する」というのは、日本の企業においてはよく見られる習慣であるし、アメリカ企業でもコーポレートスローガンで掲げているのをよくみる。しかし、周りを見回してみれば、これが人間にとって生来持っている特質であるとは思えない。毎日頑張り続けるのは疲れるし、全ての会社がトヨタみたいに改善し続けられるわけではないのだ。

なので、こういったことが無意識に・・・少なくとも習慣にするためには、制度とプロセスを整備し、文化にする必要がある。文化というのは要素分解の総和を超えるが、各要素が揃わないで文化文化と唱えたからといって全員の考え方が勝手に変わるわけではない。

元同僚の相談から想像を膨らませていたら、いつのまにか企業文化というテーマまでたどり着いてしまった。組織文化とかミームとかそんな難しいことを考えなくても、「これっていいよね」「そうだよね」という会話が普通に成り立つ環境というのは、単純に人間にとっては気持ちがいい。ただ、そういう関係を保ったまま組織を大きくしていこうとしたら、意識できていなことを形式化していかないといけない。結局のところ、そういうことなんだと思う。

2020年8月25日 (火)

NETFLIXの成功譚から「シリコンバレーのプロダクト開発」の一端に触れる

41rpkjuhgul ゆっくりと運動するついでに聞けるかもと思って始めたaudibleだが、1冊目に選んだボブ・アイガーの「ディズニーCEOが実践する10の原則」(何度でもいうが、それにしてもひどい題だ)が面白すぎて、聴き終わってすぐに2冊目を購入してしまった。

朗読なので本を買うよりも値段がするし閲覧性は低いのだが、やはりプロの朗読というのはすごくて、自伝を聞いていると真に迫って聞こえてくる。残念なのはまだまだライブラリーが貧弱ということ。アメリカでは通勤で聞く人が多いと聞くが、日本ではまだまだそういう習慣は広まっていないのかもしれない。

ということで、少ないライブラリの中から選んだのが「不可能を可能にせよ! NETFLIX 成功の流儀」だ。これまた原題である"That will Never Work: The birth of NETFLIX and the Amazing lif of an idea"に比べると、すごくダサいタイトルだったので少し怯んだのだが、勇気をもって聴き始めたらめっぽう面白かった。翻訳書はまず原題を見た方がいいかもしれない。

本書はNETFLIXの設立者であり元CEOであるマーク・ランドルフが、会社の立ち上げから自分が会社を離れるまでを回顧するという形を取っている。この本を読むまでは知らなかったのだが、現在のCEOであるリード・ヘイスティングスは創業者の1人ではあるが、初代CEOというわけではなく、DVDの郵送配送というアイデアを出したのは著者であるらしい。これだけ聞くとすごくきな臭い話に聞こえてしまうのだが、本書ではその辺りはかなりうまく処理されている。とはいえ、大株主であったリードから、CEOからの降格を告げられた時には相当ショックであったということは明確に述べられている。


本作ではNETFLIXの設立から上場までを主に描いているのだが、特に面白かったエピソードをいくつか拾ってみよう。

  • AmazonからNETFLIXの買収を持ちかけられた時にあったベゾスのことを「かなり薄くなった頭を見ると、亀のようだ」と表現していること。今ほどのカリスマ性はなかったにしても、1500万ドル前後の買値を提示しようとしている会社の社長を亀呼ばわりするというのは、やっぱり頭のネジがちょっと飛んでいる。

  • マーケティング施策の一つとしてクリントンの弾劾裁判をDVDにコピーして2セントで配布しようとしたら、一部にポルノが混ざってしまった。クリントンを見ようかと思ったらポルノが送られて来たら、それは驚くだろう。今だったら間違いなくSNSで炎上するはずだが当時は掲示板で話題になったぐらいらしい(本当だろうか・・・)。

  • NETFLIXが天下を取る前の最強プレイヤーであり競合であったブロックバスターとの買収交渉がNETFLIXの合宿中に急遽設定されてしまったため、マーク・ランドルフ達はTシャツやビーチサンダルで参加したらしい。シリコンバレーでは確かに日本よりもはるかにカジュアルな格好をしているが、今まで提携交渉でビーサンで参加した人は見たことがない。・・・とはいえ、Facebookのザッカーバーグは名門VCとの打ち合わせにパジャマで参加したという伝説があるので、そういう例もなくはない。相手を怒らせるため、なら。。


また本作には起業だけでなくビジネスをする上で役に立つ内容も散りばめられているのだが、特に気に入ったのは次の2つだ。

  • “カナダ原則”の維持
    アメリカにある企業であるNETFLIXが海外展開をしようとすると、まずは身近にあるカナダを対象としたいというアイデアが出てくるが、実際には思っているよりもずっと大変である。例えば決済は同じようにドルという名前だが、カナダドルとUSドルは価値が違う。またカナダで展開するためには、フランス語対応をしなければならない。こういったことを考慮すると、カナダ展開というのは「短期的に売り上げが上がるように見えるが、必要とされるリソースはそれ以上に大きい」。こういうようなアイデアを避けることを「カナダ原則」と筆者たちは呼んでいるのだ。

    “カナダ原則”で検索をしても出てこないので、訳した際に本当は別の言語を当てるべきだったのか、あるいはこれはNETFLIXのローカルルールなのかはわからないが、この考え方はとても良いと思った。リソースの制約があるような小さい企業だけではなく、大きい会社でも「いい手が思いつかないので、とりあえずわかりやすい打ち手をとってみた」というのはよくあることだ。そういったことを避ける・・・避けられないまでも、少なくとも一歩立ち止まってみることには役立つだろう。


  • “重要な意思決定はデータをもとに行う”ということ。
    NETFLIXが定額レンタルを始める際には、金額を変えたり、一度に借りられる枚数を変えたりと、なるべく多くの変数を組み合わせて実験を行なった上で意思決定を行ったらしい。日本だと「仮説思考」という名の下に、あれこれと議論をして数ヶ月たってしまうということが普通にあるのだが、実験で決められることは実験で決めるというアプローチはすごく良いと思う。

    個人的には日本では「仮説思考」という言葉が過度に使われており、データで取得できるところはもっとデータに頼るべきだと思っているし、もっと分析を重視すべきだと思っている。仮説というのが、ただの”思い込み"だったり”妄想"だったりすることが多いのだ。


本書によれば、NETFLIXで最初に思いついたのがビデオの宅配だったらしい。しかし、それだとコストがかかりすぎると考えていたところにDVDという技術が出てきて、ちょうどマーケットの拡大期に乗り、そして拡大期を自分で作り出すことが出来たのが勝利の理由の一つであるとされている。やはり大きな企業が生まれる時には、技術の変曲点に関わっているということが非常に重要なのだ。
アイデアだけでなく、様々な要因が重なり合ってNETFLIXという会社が出来上がる様を疑似体験できる「聞く読書」、ぜひオススメしたい。


 

2020年8月17日 (月)

Audibleで自伝を聞くのがとても楽しい: ボブ・アイガーの自伝本

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体調不良がひどくなった一つの可能性として体重過多と高血圧がある、と医者に言われたのでこの頃はちゃんと運動をするようにしている。ただ、このクソ暑い中でいきなりランニングなどしようものなら、また脱水症状で倒れかねないので、まずは経口補水液を片手にせっせと歩いている。長い時は2時間くらい歩くようにしているのだが、さすがにその時間は暇だ・・・ということで、audibleの会員になって見た。

これまでの自分は本は自分で読むものと思っていたので、こういういわゆる「読み上げサービス」はあまり興味がなかったのだが、食わず嫌いはよくないと試して見たのだ。


こういった新しいサービスを始めて体験する時には、コンテンツが重要だ。なにせ慣れてないことを始めるのだから、せめて素材ぐらいは面白いものであってほしい。

WEBを見て見ると、こういう読み聞かせ(オーディオブック)には自伝が向いていると書いてあるサイトがいくつかあったので、まずは発売したばかりの元ディズニーCEO ボブ・アイガーの本を買って見た。
Audibleは会員登録をした段階で1冊無料コインがついてくるので、実質的には無料での購入という感じである。


「ディズニーCEOが実践する10の原則」という日本のタイトルは大変ダサい感じで買う前には、やや躊躇したのだが、聴き始めるとすぐに話に引き込まれた。もともと、ボブ・アイガーのことは記事を読んでいたし、遠くで見る分には尊敬できる経営者だと思っていたというのもあるかもしれないが、一介の下積みからディズニーのCEOまで上り詰めただけあって彼の話はすごく面白い。
前半部分は昔のABCの雑用からディズニーのCEOになるまでを描き、後半はディズニーになってから行なった主に3つの買収を軸に語っている。


その中でも特に面白かったエピソードをいくつか挙げてみよう。

  • ABC時代にGoサインを出したツイン・ピークスの監督であったデヴィッド・リンチについて「テレビの製作者としては失格だ」と評価していること。テレビとしては・・というか、彼の場合は「映画製作でしか生きられない」というタイプなのではないかと思うのだが。。。ツイン・ピークスって、たぶんキング世界におけるキャッスルロックみたいな存在にしたかったんじゃないかと思うけど、そうなるとローラー・パーマーだけでは辛いよね。

  • 公開時に「旧作のファンにおもねりすぎている」話題になっていたスター・ウォーズ エピソード7については、狙い通りだったと語っていたこと。J.J.エイブラムスには、旧作のファンをがっかりさせないようして作ってほしいという依頼をしていらしく、だったらああなるよね・・・というのはわかる。そもそも彼はスタートレック派だしね。

  • Twitterを買収する直前まで話が進んでいたということ。配信技術がほしい・・・という文脈で買収しようとしたらしいが、正直なところ買収しなくて正解だったろう。Twitterみたいに荒れ狂うプラットフォームをディズニーがコントロールを出来るとは思えない(実際にそういう理由で買収を見送ったと、一応この本では書いてある)。もしディズニーが買ったらどうなったか見て見たいという気もするが、きっとそうなるとその後のコンテンツ買収も出来なかったかもしれない。

  • 20世紀フォックスの買収をする時に、プライベートジェットでの入国も競合のコムキャストに監視されている可能性があったので、ホテルに偽名で止まったということ。これ、法律的に問題なかったのかな・・・。


他にも自分の元同僚や上司に対して、敬意を欠かない一方で結構率直な評価をしており、こういった自伝の中ではかなり思い切って話をしている部類に入ると思う。朗読の方の声も自分の好きなタイプで、聞いていて心地よかった(佐田直啓さんという方だとのこと)。残念なのは、日本語タイトルがダサすぎること。

英語の”The Ride of a Lifetime”というディズニーのアトラクションと掛詞になっているタイトルの直訳ではわかりづらいと思ったのだろうけど、こんなハウツー本みたいなタイトルをつけると、せっかくのストーリーの魅力が台無しだ。

確かに最初と最後に10の原則を書いているけれど、これはどちらかというと料理のお通し的なもので、メインは彼の成功譚なのだ。実際にはここに出てこないような汚い話も色々あるに違いないが、ディズニーストーリーとはいかないまでも、立派にこの本のストーリーはおとぎ話としても通用する。

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