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2008年9月

2008年9月17日 (水)

リーマン・ブラザーズ破綻で人生のあやってやつを思う

今週の月曜日(一昨日)、めずらしく中国でも日本でも休日が重なった日、米系投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻しました。まあ、破綻といっても実際はチャプター11の申請ですから、何らかの格好で生き残るでしょうが、きっとリーマンという名はなくなってしまうのでしょう。

日経ビジネスオンラインのサブプライム関連の記事
http://business.nikkeibp.co.jp/news/subprime/


私のように金融とは関係ない仕事に就き、しかも中国で働き、その上経営にはあまりタッチしない立場だとそれこそリーマンが破綻しようがどうだろうがあまり人生には関係ない・・という気もするのですが、実は結構な感傷に浸っています。

私が社会人になったのは2005年の4月です。だいたい、就職活動はその1年ちょっとぐらい前からはじめるので、2002年末ぐらいから就職活動を始めました。
当時は(今もそうですが)外資系コンサルタントや投資銀行(いわゆる外銀・コンサル)を受験するのがファッションのようになっていて、当然のように私も両方を受けていました。今、考えると全然違う仕事なんですが、学生の目から見ると要求される能力はあまり変わらなく見えたんですね(僕の友人は「求められるプロパティは同じだが、求められるスタンスは真反対」と表現しました)。

新卒採用をする外資系など数がたかが知れているので、そこを希望している学生は大体一通り受験をするわけです。僕も例にもれず、全ての外銀・コンサルを受験しました。その中には当然リーマン・ブラザーズも入っていたのです。
当時の学生の目からみてもやっぱり外銀といえばゴールドマン・サックスかモルガン・スタンレーがTOP2であって、リーマンはやっぱりちょっと異端という感じでしたね。ライブドアの増資を手がけたり、ちょっと癖のある案件をやっているという会社というイメージがありました。採用人数も少なかったですし。

リーマン・ブラザーズは六本木ヒルズにあるのですが、専用の入り口を持っているんですね(これはゴールドマンも一緒)。で、筆記試験を受けるためにいくと、なかなか担当者が降りてこない。就職活動・・といっても生意気な学生ばかりですから(少なくとも僕はそうでした)、それだけで『もう何この会社』という感じになるわけです。もう、どうてもいいや、と。

私は担当者が降りてきて実際のフロアに行ったときにも、もう筆記試験のこととかどうでもよくなっていて、僕は六本木ヒルズから見える風景がすごくて、携帯で写真を撮っていましたね(今、考えると最低の学生です)。筆記試験のために通された部屋というのはおそらく誰かのオフィスで、子供の写真が張ってあったりパームストーン(案件がクローズするたびに作る記念品のようなものです)がたくさん並べてありました。
その部屋の持ち主の方は確か東京三菱銀行から転職してきた方で、当時の学生のイメージからすると外銀のような殺伐とした職場に子供の写真があるなんて不思議でしょうがなかったです。


私はそういった調子に乗った学生でしたから、当然即戦力を求める外資系には受からず、今の会社に入社したわけですが、当時の僕はまさか自分が受けていたリーマンやらメリルやらが今のようになるなんて想像もしていなかったわけです。私達にとってのリスクとは、外資系がオフィスをたたんでしまうことであったり、パフォーマンスが出せなくてクビになるかも・・・ということであって、会社がつぶれるなんて想像もしていなかったのです。

あの就職活動から5年しかたっていないのに、僕は今中国にいて、そしてもうすぐ転職をしようとしている。あの時に会ったほとんど人たちや入社した友人達はきっとすでに他のところにうつっているはずですが(こういう危ないって話はだいたい中にいて鼻がキク人ならわかるものです)、それでも、もし僕がリーマンに受かっていたら・・と思うと、人生の不思議というものを感じずにはいられない。そんな風に思うのです。

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2008年9月11日 (木)

中国赴任からの帰国拒否、転職を決めました。 -その3転職を決めた食堂-

鳥やすにはとりあえず僕と社長の二人で行きました。Andy(会長)はどこか別のところで飲んでいるということで、後から到着するとのことです。

席についてビールを一口飲むなり、社長から、

「思ったより早かったですけど・・・これも運命ですよ」、と。


確かに、以前二人でこの鳥やすにきたときには、『いつかそちらにうつろうと思うんですよ~』みたいな話をしていました。中国に来てからもうすぐ一年。正直言って、今の会社での進出には限界を感じていたというのも事実。今の会社の底力を知ってる身からすると、会社が成功するのは間違いない・・・とは思うのですが、それは今の体制・今のメンバーではないとも思っていたのです。それは、自分を含めて・・ですね。

そういうわけで、どこかのタイミングで自分の力を試してみるためにも、そして中国に根を下ろすためにも転職は必要だと思っていたのです。ただ、さすがにこのタイミングというのはないと思っていました。
武道用語でいうと『虚をつかれる』というやつです。なんせ、今、開発真っ最中の案件が動いているわけですからね。


『運命ですよ』といわれれば、確かにそうかもしれない。僕も素直にそう思ったので、
「これから御社にお世話になります。よろしくお願いいたします」と頭を下げます。

今までは僕がクライアントで、向こうは発注先。ですが、会社を移れば僕の上司になります。ただ、Andyも含めてあまり上司という感じがしないのも事実なんですよね。Andyもまだ30代前半。
社長にいたっては僕と同い年です。大学入学も同じ年。彼は大学院の時にこちらに留学してきたので、中国経験は長いですが、育ちも同じように東京近郊ということで共通の基盤をもっているからでしょうか。


二時間ほどたつとかなり酔っ払ったAndyも合流し、あらためて転職(入社)のお祝いをしました。って、転職先の会社とするのもへんな話ですが。
正直言って、条件も決まっていなければやることも決まっていない・・という状況で、本当に私という人間をただ『買ってもらった』という感じです。もちろん今までの仕事の経験(3年半しか働いていないのですが・・・)を活かして・・・とは思っていますが、ベンチャーに移って何が出来るか、というとたぶん何も出来ない。その中でどれだけ自分を変革していけるかが本当に重要なポイントだと思っています。

とりあえず今度会社に伺って(初めての訪問です。会社の場所も知らずに転職を決めたわけですね)いろいろ決めようと思ったのですが、とりあえずAndyから言われたことは5つ。

①上海マラソンに出ること
②体重を落とすこと(今は、上海に来てから最も太いことになっています・・・)
③今の会社と円満でお別れすること
④英名をつけること
⑤サッカーをすること

なんだか、本当に入社の条件なの??という感じですが、彼のブログをよんでいるとどうやら本気で走りこんでいるらしく、僕も負けずに走る羽目になりそうです。

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2008年9月 8日 (月)

中国赴任からの帰国拒否、転職を決めました。 -その2 転職を決めた夜-

駐在を終えて帰国をするように伝えられた瞬間はイロイロなことを考えたのですが、結局すぐに退職をする意思を伝えた・・というところまでを、前回のエントリーでは書きました。

普通に考えれば、言葉も満足に出来ず異国の地でいきなり仕事を探すというのはかなり無理がある・・・と思います。いくら中国が好きだからといっても、さすがに仕事のあてもなく退職 → 職探しというのは無謀すぎる(少なく自分にとっては)。僕だって、自分の同僚がそういったことを言えばおそらくとめたでしょう。

じゃあ、僕はなぜ瞬間的にそんな行動が取れたのか?

実は、以前から僕が転職をしようと目をつけていた企業があったからです(すっごい単純な理由ですね・・)。そこは、今の会社がNET開発をするにあたり、実際にコードを書いたり運用をしてくれている会社で、経営陣はすべて日本人であるものの、中国で起業した会社であり、従業員もほとんど中国人。うるさい親会社もなくVC(ベンチャーキャピタル)からの出資で成立している会社です。

私がこちらに来て一番最初に開発したNETメディアを依頼して以来、会長・社長ともに大変親しくしており、また以前からチャンスがきたらその会社に移って、より中国らしいビジネスをしてみたいとずっと思っていました。日本への帰国を告げられた時に真っ先に思い出したのがその会社。きっとこれは神様が背中を押してくれたチャンスだと自分に言い聞かせて、MTGの終了後すぐに電話をしました。


つい二週間前にも『異動とかあったらそちらにお世話になるかもしれませんね~。わかるのは10月くらいですが・・』といったばかりだったので、電話で帰国の件を伝えると大変驚いていたのですが、すぐにその夜で食事をすることに決めました。まったくありがたいことです。

さて、すぐに出かけなければ・・と思ったものの、さすがに動揺していたせいか、パソコンの前に座ってみたり、フロアを歩き回ってみたりとなんとなく落ち着かない感じで仕事を片付けていると、今度は見知らぬ電話番号が。焦って出てみると、なんとその会社の会長からの電話でした。

「●●(← ここには会社名が入ります)の××(← ここに私の名前が入ります)さんですよね~?」

おい、もう採用かよ!と思いつつ、とりあえず今回のことを簡単に説明すると、会長も一緒に食事をしたいとのこと。ちなみに会長といっても30代前半でとってもフットワークが軽い人です。日本人にも関わらず勝手に中国名を名乗り、僕らにはAndyと呼ばせています。こっちの中国人って自分で思い思いに英名をつけるんですよね。CaseyとかJesiccaとかすき放題です。


というわけで、Andyと社長と三人でご飯を食べることとして、仕事を急いで片付けた僕はタクシーを飛ばして、中山公園近くの『鳥やす』という店に向かったのでした。

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2008年9月 5日 (金)

中国赴任からの帰国拒否、転職を決めました。

今週の月曜日に、本来は木曜日に行われるはずのMTGをなぜか繰り上げて行う必要があると上司に言われ、MTGを終えた後のこと。
私は複数の事業部に所属しているので、上司が二人いるわけですが、二人が

「あなたから言ったらどうですか?」
「あなたからどうですか?」

と譲りあいをしています。・・・なんのことだろう・・・と思っていると、今、プロジェクトとして関わっているほうの上司が意を決して伝えてくれました。

「今月、9月で赴任を終えて、帰国してもらうことになりました」

いつかこういう日が繰るのではないか・・とわかっていたものの、いざ来てみると、ものすごく時がゆっくりと流れていくのを感じます。たぶん、わずか二秒ぐらいだったと思うのですが、頭の中を色々なことがグルグルと回ります。
それでも、たぶんものすごく大きい決断だったと思うのですが、はっきりと意思を決めることが出来ました。

「帰国するのであれば、退職します」


正直言うと、今までイメージしていたようにすんなりといえたわけではありません。頭の中のどこかで「帰ったほうが安定的に暮らすことが出来る」「ここで帰ってまたくればいいのではないか?」と、ささやきがあったのも事実です。そうやって迷ったことが逆に自分が人間であるということを強く感じさせました。

それと、もう一つ。いつかこの「退職します」という言葉を言うものだと思っていたのですが、いざ言ってみるとちょっと想像と違うというか、イメージしていたものと違うというか・・。ものすごく馬鹿馬鹿しい話ですが、初めてのHみたいだな~と。なにか色々と妄想を膨らませていたのですが、いざとなるとさっぱり上手くいかずしかもあっというまに終わってしまう・・って皆さん経験ありますよね?


まあ、そんな馬鹿馬鹿しいことを思いつつ、一方ではなぜ自分が中国に残りたいのか、今帰った場合にほとんどメリットがないということ、これからのキャリアの具体的なイメージを淡々と伝えました。たぶん一時間くらい質問があって結構あっさりと上司二人は結論を了承してくれました。
もちろん、最終的には事業部担当役員と人事部の承認をもらう必要があるのですが、まずは会社側にしっかりと意思を伝えたということで、その日の話は終了です。

で、この一週間、いろいろと愚痴ったり、転職活動をしたり準備をしたりと怒涛のように過ぎ去っていったわけですが・・・。いやはや、人生の分岐点なはずなのですが、あんまりドラマチックではなかったりという感じです。この国にいるせいか『縁』というもので動くようになってしまったからなのですかね・・。

とはいえ、それなりに伝えたいこともありますので、次回からは転職の顛末について書いていこうと思います。

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