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2011年5月

2011年5月11日 (水)

GW蘇州半日観光 -拉面を食べに行く編

日本のGWは、中国では一日だけ劳动节という休みがあるだけで、そんなに長い連休ではない。なので例年は変わらず仕事をしているのであるが、今年は無職ということもあるし友人が日本から来ているので、テクテクとアテンドをしていた。

昨年9月にTwitterを始めてから人間関係が劇的に変わって、これまであったこともない人がTwitterでのつながりだけで上海に来てくれるようになった。今回来てくれたのも、日本でほんの一回、20秒ほどあっただけの方。日々の呟きを見てはいるので、どんな人なのかはある程度はわかっているのだが、やはり不思議な時代になったものだな~とつくづく思う(呟きを見ただけで日本から上海まで来てしまうわけだから・・・)。
彼は今度、日本の一部ではかなり浸透している(と聞いている)宅麺に転職するということで、上海のラーメンも見ておきたいとのご要望をいただいた。正直いうと、日本のラーメンというとこちらでは麺が柔らかい味千拉面が最もポピュラーだし、中国風拉面といえば兰州拉面になってしまうので、どこかいいところがないだろうか・・と考えた結果ちょっと足を延ばして蘇州までラーメンを食べにいくことにした。

蘇州は前職では大きなお客様がいたので、多い時には週に1回は通っていた(たぶん通算では50回近くいっているはず)。最初は动车と呼ばれる電車でしかいけず、駅もものすごくぼろくて「これが有名な観光地の蘇州か・・」と絶句したものだ。今では高铁と呼ばれる高速鉄道が走っているし、駅も見違えるように綺麗に見違えた。まだまだ駅の周りは再開発中だけど、街は確実に綺麗になっている(特に工業園区はすごく整備されている・・・ほとんど工場だけど)。

それほど通っていた蘇州だけど、逆に観光や食べ歩きはほとんどしたことがなかったので、せっかく友人がきたということでまずは有名な苏州拉面を食べに行った。WEBで調べると「同得興(同得兴)」という店の評判がよかったので、まずは駅を降りてそこへ向かうことに(場所は人民路嘉馀坊6)。「坊」という単位がよくわからず20分ほどうろうろしたが、無事に店を発見(有名だと知らなかったらまず入ってないボロい通りにあった)。日本語の看板もあったので、どうやら中国語が話せない観光客もよく来る店のようだった。メ20110506311ニューを見ても何が何だかよくわからないのがたくさんあったので、とりあえず「有名なの教えて~」と言ったらでてきたのが右のラーメン。細麺がスープをしっかりすってお腹にたまるラーメンで、薄味が日本人の口にもあってかなりおいしい。上に乗っているチャーシューがさらにおいしくて、一緒にいった友人と興奮してあっという間に食べてしまった。減量中でなければ 本当は他のメニューもいきたかったのだが・・・。

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蘇州行きの目的は「ラーメンを食べること」だったので、これであっという間にmission complete。帰りの電車にはまだまだ時間があったので、ぼーっとするのももったいなかろうと有名な庭園にGO。蘇州はさすがに歴史があり、多くの有名庭園があるのだが、何せおっさん二人での旅なので一番有名なところに行ってみた。

拙政園というその庭園は、まず前の道からしてちょっとおしゃれ。20110506313
中国は観光地化するとき は全力で観光地化するので、道は綺麗になっているし、お土産屋さんも整備されているし、そしてチケットは高いしと三拍子そろっている(といっても日本円にしたらタカがしれているが)。確かに、中に入ると花は咲き乱れているし、しっかり建物は保守されているし、とても中国とは思えないような美しさだった(やはり世界遺産は違う!)。
庭園の中はしきりによりいくつかのスペース20110506314に区切られており(これは中国の庭園によく見られる形)、おそらくそれぞれに何らかのテーマがあって設計がされているであろう・・・ということは素人目にもわかった。ただ、悲しいかな、特に庭園に思い入れがあるわけでもない30近くのおっさん二人には、やはり「庭園は庭園」だったので、1時間足らずで見学終了。個人的には日本のお寺ぐらい差があったりするともっといいとは思うのだが、たぶん自分の勉強が足20110506316 りないだけであろう(僕はお寺巡りが大好き)。

お土産屋さんを冷やかしたりしていたのだが、それでも時間が余っていたのと、軽く食事をしたく(呑みたく)なったので、歩行者天国がある观前街という場所に移動。なんか2008年と比べても随分と蘇州の女の子はおしゃれになったな~と思いながら、街をぶらぶらと した。少なくともあの界隈だけでは大分上海の南京东路あたりには近づいてきたように感じる。蘇州は人口も多いし、優秀な20110506315大学もあるのでまだまだポテンシャルがある都市だと改めて実感。上海からは100km程度なので、車で来ることもできるし鉄道を使っても日帰りで移動可能だし(ただし日本と違って電車の時刻は超適当なので、その分は割引いて行動しなければならない)。

观前街には玄妙观という何やら歴史がありそうなお寺があったので、お寺好きの自分とし てはとりあえずお参りをしてきた。20110506318後でWEBで調べたら、1700年以上の歴史があるらしく、こういった建築物がそこらにあるのがやはり古い都市の魅力だと痛感。やっぱりちゃんと調べてから行けばよかった・・・(近いということで明らかに油断していた)。

帰りは電車が遅れたため、友人とたっぷりと大学時代のことなど話すことが出来て、わずか半日とはいえ非常に満足度が高い観光だった。友人も(上海との経験と併せて)中国を好きになってくれたようだし、これからもこうやってアテンドにかこつけて自分の行ったことがない場所にいってみようと心に誓ったのであった。

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2011年5月 8日 (日)

【映画紹介】GW武狭映画 関雲長(关云长) -髭がバッサバッサと敵を倒します-

今年第二回目の武狭映画紹介でございます(武狭映画とは何ぞや?0b14ad1970ddfb1d43a9add7
という方は、以前書 いたこちらのエントリーを参照のほど)。今回紹介するのは中国の労働節(劳动节)向けの大作である「関雲長」(关云长)。文字通り三国志で有名な関羽が主人公のアクション大作である。
三国志は日本でもいろんな作家が書いているが、ストーリーを最初から最後まで追うとするととても映画では収まらないので、だいたい映画になる時にはどこか一部を切り取って映画化する(ドラマでは演義を全部やったりする)。今回は関羽が曹操の元から劉備のところに戻る五関六将の場面を映画化している。中国人はほとんどすべて(と思う)の人がストーリーを大まかには知っているので、どこかの名場面を切りだしたとしても問題がないのかもしれない・・・。

■ ストーリー概要 ■
時は三国時代。劉備配下の関羽は訳あって曹操が納める魏にいた。有能な人材を愛し、特に関羽を愛する曹操は何とか関羽を自分の配下にしたいと考えていたのだった。しかし、関羽は度重なる勧誘を振り切って、劉備の妻を連れて劉備の元へ戻る決断をする。
関羽の要望を受け入れた曹操は各関所に無事に通すように通達を送るのであるが、一方皇帝は曹操を殺すように命令を下すのであった。関羽は無事に劉備のもとに戻ることが出来るのであろうか・・・。

これがストーリー概要である。ちなみに毎度のごとく上記ストーリー導入は映画冒頭で文字で紹介されるので、中国語がわからないと何が何だかさっぱりわからない。今回は100分と短い中に原作にはない恋愛模様を入れてしまっているので、さらにストーリーがわかりづらくなっている。繰り返して言うがアクションを見るものなので、深いことは二回目以降に考えればよい(と個人的には思っている)。


■ 配役と見どころ ■

今回の映画の見所は何と言っても中華圏のアクションスターの中ではNo.1である甄子丹(ドニー・イェン)演じる関羽と、性格俳優である姜文(ジャン・ウェン)演じる曹操とのやり取りにある。あとは、いつもはカンフーで闘う甄子丹が今回は関羽らしく武器を使って闘うというところであろうか。

甄子丹は以前もちらっと紹介したが、とにかく彼のカンフーアクションは「本物」であることに 特徴がある。大陸にある武術学校(体育学校)でしっかり基礎を勉強しているため足運びや体の使い方が理にかなっているのだ。
今回は武器を使って闘うシーンが多いので、彼の得意技である高速回転のWs000000蹴り+突きのシーンがほとんどないのだが、武器を持った状態でも細かなステップを踏んでいて、ちゃんと格闘になっている。ちなみに彼は監督をしたり演技指導もしたりするのだが、今回は絶対に自分が関羽を演じている絵を取りたかったに違いない・・と想像している。一戦終わるたびに一々見栄を切るシーンが挟まれており、京劇を思い出した。

曹操役の姜文は、個人的に中華圏の俳優の中でbest3に入る好718e25c71b4ed092d0006066きな俳優だ。彼は性格俳優という言葉が似合う俳優で、とにかく黙っていても変態オーラがほとばしるところがいかにも曹操らしくて、映画を観る前から期待していたのである(今回は彼を見に行ったようなものである)。
今回も「(性的な意味ではなく)男として男が好き」な曹操を好演している・・・というか、自分の場合彼が好きでしょうがないので冷静には語れない。。本来の曹操はもう少し冷酷なんじゃないかと思うし、彼はそういう演じ方もできたと思うのだが、今回はややわかりやすく人情に厚い役を演じている。

武狭映画に必ず一人はある「アイドル枠」は今回は孙俪(ソン・リー)。貧乏な街娘だったところを劉備に見染められて側室になるという設定の役どころで、確かにそういう役割だったら彼女の雰囲気にはあっている。なぜか関羽とも以前から知り合いで・・という設定にしてしまったため、ストーリーが散漫になってしまったのは否めないが、出ている以上は意味づけをしなければならないので、これはいたしかたないと思う。Ws000001
これまで孙俪の出ている映画を画皮しか見たことはなかったのだが、アイドルというイメージが強かったので、今回はステップアップになればよいな・・と思っている。・・・と思ってちょっと調べたら既に大陸ではベスト10に入るmoney making starらしい。そこまで可愛いとは思わないのだが、なんでなんだろう・・・幼い感じがうけるのかしら(次は頑張ってアクション映画の主役を張ってイメージを変えてほしい)。

今回の映画は完全にエンターテインメントに徹しているため、六将がなぜ闘っているのかがよくわからないシーンがあったり、そもそも人間関係がおかしい部分があったりするのだが、個人的にはあまり気にならない。とにかく甄子丹が武器を持って戦っていればそれでいいのである。
WEBの評を見ていると「演義から離れ過ぎている」という批判があったのだが、そもそも演義だって正史とは相当異なっているわけだし、こういう作品に時代考証を求めるのはちょっと違うな、と常々思っているのだ。そもそも日本の時代劇だって本気で時代考証やったら話し言葉が聞き取れないだろうし、人にはそれぞれ許せる範囲がある中で、自分は無茶苦茶範囲が広いのだろう。「時代考証をしっかりやりました」と宣言している映画ならともかく、自分にとっては武狭映画はファンタジーなので特に問題はないのである(ファンタジーじゃないならワイヤーアクションも駄目だろう・・)

最後に一言だけ。この映画でもそうだったのだけど、近頃の三国志関連の実写作品は服装がドンドン派手になっている。これは明らかに日本のゲームメーカーであるKOEIの影響。本家にも影響を与えてしまうほどの破壊力があるということで、これからも不況に負けずKOEIにはドンドンアホな三国物を制作してほしい。

(※文中の写真はすべて百度百科のものを利用しています)

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2011年5月 2日 (月)

わからない情報にぶつかった時に考えること

前回のエントリーとの関連みたいな話になってしまうけど、今日の出来事であらためて考えることがあったので、タイトルのような話を書いておこうと思う。
今日午後、オバマ大統領が、アルカイダの指導者(と便宜的に表現する)であるオサマ・ビン・ラディン(Osama bin Laden)を殺害したと発表した(リンク記事はNYT)。

TL上ではこの大事件について色々と意見が繰り広げられていたのだが、僕個人で言えばとりあえずこの事件については一切コメントしなかった。自分にとって論評するには余りにも情報が少ないし、政治的・軍事的・法的な背景知識が皆無だったからだ。例えばざっと挙げただけでも以下の疑問が浮かんだ(想像はつくけど、明確に説明可能でないという意味での疑問)。

① なぜこれほどまでにビン・ラディンの死がアメリカ国民の喜びとなるのか?
② アメリカが第三国(パキスタン)で直接的な軍事行動をする法的根拠は?
③ 同じくアメリカが第三国の国民(ビン・ラディン)を裁判なしで殺せる法的根拠は?
④ なぜ逮捕ではなく、ただちにビン・ラディンを殺したのか?

個人としてこういった「自分としてよくわからない情報」についてそれぞれの背景や情報の正否がわかるまでは発言をしたくない・・という気持ちが僕には強くあって、かといってそういう時間もないし、もっと裏のことを読むべきであるということも同時に思ったので、とりあえずTLをながめるだけにしておいた。少なくとも知的に誠実であろうとすればそうあるべきだと僕は思っている。

原発についても実は同様に思っていて、僕がフォローしている約500人+FBの友人たちの発言を見ていると「とりあえずの反応」というのが多くて、残念になるときがある。例えば僕はおそらく一般の方よりは工学的知識があると思うのだが、放射線に関係する法律についての知識はほとんどないし、公衆衛生学の知識はさらにない。
そういった中ではある特定の値について論評することが出来ないし、どの情報ソースが正しいかということも一瞥しただけでは判断できない。情報というのは必ず伝える側のバイアスがかかっているものだし、FBやTwitterのように短文での表現だと情報がきりとられることがあるので、脊髄反射的な行動はしないようにしている。

そこでようやく今日の本題に入るわけだが、この頃考えていることの一つに「自分がわからない情報にあたった場合にどのように対処すべきか」ということがある。少なくともこれを守っていれば、誤った反応・誤った情報の拡散をせずに、情報の流れを少しでも改善できるのではないかと考えている。

① 極端な報道は信じない。たとえ、現地からであったとしても。
メディアというのはどうしても売れやすい記事やわかりやすいTOPICをおってしまう  ものなので、極端な報道というのは信じないようにしている。特に写真報道についてはショッキングな写真は高く売れるし、個々のジャーナリストからしても賞の対象となるというインセンティブがあるので、とりあえず事実の一つ以上の意味はないというように考えている。

② 事実は必ず両側から見る。想像力をプラスして。
どんな事実も、報道時には解釈が含まれる(解釈が含まれないのは生の数字が伝えられた場合のみ)。それは文面中には明確に示されなくても、言葉の選択一つ一つの中に含意されている。なので情報を読む時にはなるべく反対の立場にいるであろうと想像される報道を二つ以上は読むようにしている。できれば、違う国の報道であればなおよい。
ちなみに僕は「ファクトベースでの○○」というものはあまり信じていない。自分でローデータを取ることができる立場にいるならともかく、本当のファクトベースなど極めて少ないというのが、自分の立場だ(そう前提を置いた上でファクトベースでありたい)。

③ 信念は持たない。心は空っぽに。
何かの情報に触れる時には、必ず「予想」はしても「信念」はもたないようにしたいと思っている。実際には完全なのは不可能だし、予想と信念を明確にきりわけることは不可能だろうけど、それでも「自分が見たくない真実」を受け入れられるようになるべく心は空っぽにしている。

自分個人としては知というものに誠実でありたい、と強く思っているし、自分でコントロールできていないアホっぷりはばらまきたくないので、本当にわからない時は黙っているのが一番であると思っている。また、それなりの人が読む言説に対しては、少なくとも自分としては責任を持ちたいとも思っている(持つべきであるとは思っていないが・・)。

ネットの世界ではキュレーター論や個人による情報ディストリビューションという意見がこの頃少しずつ勢いを増しているように思うが、少なくとも僕は震災やある政治的な大事件を見る限り、その流れには懐疑的である。ある事柄で信頼できる内容を話している人も、別の事柄にはまるで見当違いということが確認できたし、数を頼みに「世論を作っている感を持ちたい」という誘惑があることも、自分のフォロワーが増えてみて自分自身で感じた。

結局何が役に立つのかというと、すごく当たり前のことだが日々の情報のフローを自分の中でストックし資産とするしかないのだと思う。人は自分の発言によって、自分自身にもバイアスをかけてしまう生き物なので、今日のように情報の流れが速いからこそ、一歩立ち止まって自分の中で情報が咀嚼される時間というのを取ることが大切なんではないか・・・と考えている。

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