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2012年1月28日 (土)

寒すぎる上海を抜け出し、カンボジアへ行ってきた -プノンペン編-

先週の報告にも書いたように、春節期間中のお休みを利用してカンボジアに行ってきた。上海に来るまでアジア圏の国はほとんどいったことがなかったので、カンボジアはもちろん初の訪問である。当初はこの寒いときだからこそ寒い国に行きたいぜ!と、韓国に行く予定だったのだが、アメリカ人の同級生がアジアを回りたいと誘ってきたのでそこに便乗させてもらったのである。そういうことで、僕はカンボジアについてはほとんど予備知識を持たず、それどころかガイドブックも持たずにただくっついていくだけのお手軽旅行ということで、カンボジアに向かったのであった※1

Photo_5

■ プノンペンの町並み ■

まったく事前の情報を持たずに行ったとはいえ「カンボジア」という国名は僕にとっては、 ちょっと印象の強いものである。たぶん僕の年齢(1980年生まれ)よりも年上の人には、カンボジアと言えばPKO活動で初めて日本の陸上自衛隊が海外に派遣された国、として記憶されているのではないだろうか。ちょうどその頃は僕が国際問題に興味を持ち始めたころだったので、カンボジアという名前はUNTACの明石さんの名前とともに、僕の脳みそにしっかり記憶されている。まあ過去の名前を知っているからと行って、それが今の
国情を理解する上では全く役2_3 に立つ訳ではないのだが、とにもかくにもそういう思い入れのある国に行くということで、結構胸躍るものがあった。


寒い寒〜い上海を夜に出て、プノンペンについたのは
深夜のこと。言語がわからない国に 来るのは本当に久しぶりのことだったので、まったくわからないクメール文字を見るとちょっ とドキドキする。・・・というか、ホントに何かいてあるかさっぱりわからない。タイに行った時もそうだったのだが、もし眠りから目覚めて周りがすべてクメール文字だったら、自分が地球にいることすらわからないんじゃないかと思う※2

自分のホテルがある場所はいわゆる「ナイトスポット」だった
らしく(ホテルはすべて同行友3 人がセレクションしたのだが)、周りには怪しげなお兄ちゃんやらあきらかに客待ちの女の子、そしてたくさんの白人がいる。初日は疲れていたので、その辺りをブラブラするだけだったのだが、アジアのナイトスポットというのはどこも同じような匂いがするものだな〜というのが、最初の感想。中国人客もしっかりいるらしく夜总会の看板も出ている。日本語の看板だけは見ることがなかったし、周りには日本人が全然いなかったのだが、これは春節休み中だからなのかもしれない※3


到着翌日(実質初日)はプノンペン観光をするぜ!と友人が4
言うので、そこにテクテクとつ いていくことにした。まずは向かう先は王宮と国立博物館である。どちらもホテルからは2kmも離れていないということで、歩いていくことにした。そちらのほうが街並を見ることも出来るし。プノンペンの街並は、なんというか中国の二線級都市に似ている。きれいに舗装されているのだが、あまり高い建物はなく小さい商店が軒を連ねている。移動もバイクタクシーかトゥクトゥクを利用するということで、ここら辺も感覚的には似ている(中国の場合は三輪タクシーだったりするが)。

王宮と国立博物館はいずれも、とても宗教色の濃い建物で「全然敬虔な信者ではないが、何となく仏教を信じている」極めて日本人的な僕にはすごく面白い建物だった。解説を読むとカンボジアは最初はヒンドゥー文化の影響が強く、その後は仏教の影響が強くなったとあるのだが、確かに弥勒菩薩とシヴァ神が並んでいるというのはとても不思議な気がする。ちなみに典型的なゲーム少年だった僕はシヴァとかラクシュミとかそういう名前を聞くと、ついニヤニヤしてしまうのであった※4


■ クメールルージュ(Khmer Rouge)■5_2

カンボジアといえば、忘れては行けないのが・・・クメール・ルージュ。僕は上記のように UNTACの頃はかなり熱心にニュースを見ていたし、上海に来てからは中国の近代史(とアジア各国との関係)を勉強するようにしているので、それなりの知識があると思っていたのだが、実際に現地に言ってみると、何ともやりきれない気持ちで一杯になってしまった。

行く前に以前購入した『独裁者の教養』のポル・ポトの項を読んでいったのだが、実際に現地にたってみると僕にはクメール・ルージュというのは、・・・愚行以外の何者でもないように思える。どんな歴史にしてもそれなりの必然性があり、常に良き所と悪しき所があるものだが(たとえその天秤の傾きが厳しいものであったとしてもだ)、果たしてクメール・ルージュがカンボジアとカンボジア国民に何かよきものをもたらしたのだろうか。800万人中の300万人がわずか数年の間に死亡する、それがクメール・ルージュの統治だった。


現在はクメール・ルージュの跡地は歴史にその記憶を残す
という意味をこめて、トゥール・6 スレン収容所とキリンフィールドが公開されている。
キリングフィールドは実際の処刑が行われた場所を整理した場所で、だいたい1時間半ぐらいで回ることが出来る。敷地はものすごく小さいのだが、日本語にも対応したイヤホンガイドを聞きながらゆっくりと歩いていく。イヤホンからは「今でも元は衣服だった布や歯が出てくる」と聞こえてくるのだが、実際に僕も歯が地面から出ているのを目にした。

トゥール・スレンはそのキリングフィールドに送られる前の収容所である。実際に殺人が行われたこともある教室がそのまま残されており、とても重い雰囲気だった。敷地内には入所時に撮影された人々の何百という写真が飾られているのだが、毅然としている顔・虚ろな目をしている顔・諦念した顔、とすでになくなってしまった方々の表情がそこにはある。もう少し若いころにいったら、フラッシュバックを起こしてしまったかもしれないし(実際それを最も恐れていたのだが)、昔よりも余裕を持てるようになったのか、何とかすべてを見て回ることが出来たのだった。


■ 同行同級生はしっかりもの ■

同行した同級生は、アメリカで投資銀行につとめていたいわゆるinvest bankerだったのだが、なぜかemerging marketに興味があるという理由でCEIBSに来た変わり者である。ほとんどの欧米人はスペイン人をのぞき、それまで中国で働いたことがある・学生時代から中国語を勉強していた・華僑系、と何らかの縁を感じさせるものがあるのだが、彼は本当にそういったものは一切ない。スクールでは学生委員会の書記長(こういうボジションがあるところがすごく中国的だと思う)をつとめているしっかりものである。これまではそんなに親しい訳ではなかったので、なんで一緒に旅行したのかは旅行が終わった今でも謎のままである。

そのしっかりモノの彼は、当然旅の準備もしっかりもので、なんとWEB service (Couchserfing)で現地の女の子と事前にアポを取っていた。こういう積極性はやはり欧米人の真似はとても出来ないと思わせる。ということで、夜はそのネットで知り合った女性と落ち合ったのだった。彼女は中国系カンボジア人で両親は米国在住という国際派。英語・クメール語・広東語・普通語・ベトナム語の五カ国語が話せて、カンボジア政府のスポンサーで日本にもいったことがあり、現在は投資会社に勤めつつ夜はDJをしているという、正真正銘のUpperクラスである。


厚かましいことに彼女の車でバーまでつれてってもらい色々
と話を聞かせてもらったのだ7 が、カンボジアも数年前までは日本語がかなりはやっていたものの今ではすっかり韓国語に押されているらしい。やっぱり少女時代のパワーはすごいんだな。。

彼女は中国系の血も入っているし、実際に中国語が話せるらしいのだが今では年ごとに増えている大陸からの中国人観光客は「大嫌い」らしい。彼女に言わせれば、華僑中国人は現地文化とうまく融合しようと努力してきたのに、大陸人は金の力で彼女たちが守っていたものを壊していくのだという。確かに・・・そういう所は否めないかもしれない。彼女は自分がカンボジア人であるということに誇りを持っているし、国が良くなる方向に進んでほしいということを強く言っていた。日本に行ったときには「日本人らしいね」と言われたことがたびたびあったが、大変不愉快だったらしい。『それは、日本人である我々からすると、あなたを仲間の一人だと認識していますよ、という意味なんだよ』と伝えて数年分の誤解をといたのだが、cultural gapの一端をみた気がした。


今回のカンボジア旅行はアンコールワット訪問がメインなので、プノンペンは実質一泊で終了。翌日にはシェムリアップに向かったのであった(続く)。


※1・・・さすがにVISAについては国ごとによって異なるので、自分で調べていったが。わざわざ日本向けページからDLして記入もしていったのに、全く役に立たなかったので、事前に撮影しておいた写真だけを準備しておけばカンボジアには入国できる(ことがわかった)。
※2・・・タイは会社の社員旅行で行ったので、全部お任せ状態で文字を心配する必要もなかった。上海に来てから行ったのは、ほかには香港・台湾・シンガポールなので全部中国語で問題なし。
※3・・・僕は中国にいて「ちょっと来て何かを断定するような記事を書く人たち」に結構辟易しているので、もし僕の記述でおかしいところがあったら、コメント欄で訂正いただけるとありがたいです。
※4・・・今ではすっかり生温くなってしまったが、初期の頃の女神転生シリーズは僕の中で「忘れられない名作」である。
※5・・・いつか書こうと思ったまま延び延びになってしまっているが、この本、さらっと書いてあるものの現代中国に関する本質的な見方がズバリ書いてあるので、これから中国で働きたい人は一度は読んでおくといいと思う。ちなみに著者とは知り合いですが、知り合いだからってほめてるわけではございません。。

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