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2018年2月14日 (水)

Global企業という夢と幻想

先日転職した米系の研究開発企業は全世界でプロジェクトを行なっているものの、支社と呼べるものは日本と米国にしかないため、自社のことをGlobal企業であるといったりはしていない。そもそも雇用契約自体は全て米国の会社と直接行なっているので、今の自分の身分としては100%米国企業の社員である。

一方で、これまで所属していた組織は自社のことをGIE = Globally Integrated Enterpriseと称して明確にGlobal企業であるとしていたし、全世界で40万人以上の社員を雇用していた。一方で、米系らしく意思決定は基本的に米国本社で行い、海外は「現地販売法人」という位置付けであった。確かにこの形は1990年代以降一貫してうまく行く方法であったし、Cloud時代になることで、IT業界はますます開発・生産と販売が分離するように思えるけど、果たしてこれがベストな形なのだろうか・・・ということは、ずっと考えていた。もっと端的にいうと、「Global企業と呼ばれる企業は、本当に"世界で統合された存在"なのだろうか?」という疑問である。


● Global企業とは......? ●

結論から言ってしまうと、現状でGlobal企業と呼ばれている企業のほぼ全ては「Globally operating XXX Enterprise」だと思っている。少なくとも、IT業界においてはほぼ全ての企業がそうだ。XXXには企業の本籍地というか発祥の地名が入ってくる。例えば、米国資本の会社であれば"American"が入るし、"Japanese"が入るというわけだ。

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確かに世界中で操業をしている企業は、人種も多様であるし、多くの国籍の人間が働いている。複数の「国家」を市場としているし、情報も常に世界中で共通化されている。それでもほぼ全ての企業は、やはり自分たちが操業された地域というアイデンティティを忘れることは出来ないし、社内の文化も操業された地域の文化を継承するような形で進化をして行くように見える。これ税務対策の面で本社を別の地域に移したとしても変わらないし、数人の幹部を外国人にしたとしても変わらない。システムと文化の相互作用により構築されたアイデンティティはそう簡単に変更されないというのが、自分がこれまで米系企業にいて感じた実感だし、日系企業を調査しても同じような結論となった(※1)。

例えば、日本企業でも代表的なグローバル企業であると言えるだろう「日立」に関しても、経営幹部が日本国籍を持っていない人間になる可能性があると書いている一方で、人材育成に関しては本社人材を優遇するということが、ほぼ無意識的に行われている。日立再生について当事者であった河村元社長・会長の著書"ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」"を読むと、若手に修羅場を経験させるために海外に送り出すようにしている・・・という部分があるが、この著書を読む限り日本本社に入社した人間のみを対象としているように見える(※2)。


● コストの最適化か、それとも人材の最大活用か●

世界中でビジネスを行なっている米系企業であれば、そこで働いている社員は程度の差こそあれほぼ英語を話すことが出来る。日系企業でも現地法人の幹部クラスになるとある程度の日本語が話せるというのも、普通に見られる話である。なので、少なくとも言語という観点からは、本社の人間を優遇する必然性というのはどこにもない。


では、なぜ本社の人間のみを優遇するようなシステムが出来上がるのか・・・というと、最も合理的な回答は単純に「自国民でない人間を大量に活用すると財務・経理面でも、法律面でもコストがかかる」ということがあげられる。まず単純に違う国の人間を働かせようとすると、移動費やら保険やら、その他生活面でのサポートということで追加のコストがかかることが多い。完全に同じ条件を提示したとしても、ビザ取得というコストがかかる。そもそも、日本はもとより、移民に極めて寛容と思われる米国でも、ビザ取得というのはそれなりに大変な手続きが必要なのだ。やはり、雇用を守るというのは極めて重要な問題なのだ(主に政府にとって)。

次に予想される回答としては、外国人が大量に意思決定レイヤーに入ってくることは、組織の文化として難しいということだ。日本でも一時上級幹部クラスに大量の外国人(日本国籍以外)を採用しようとした会社があったが、やはり文化や慣習が違うということで頓挫してしまった企業があった。どんな開かれた会社であったとしても「XXという国から生まれた会社なのだから、XX人以外から命令を受けるのは嫌だ」と思う人間は一定数いるだろうし、個人としてはそれは自然な感情だと思うので、組織の維持という観点からはそういった文化的な慣性が存在するということを無視しないのは合理的であると感じる。


一方で、ある企業に所属している人材の能力を最大活用しようとすれば、海外現地法人にいるような人間を積極的に登用することは理にかなっている。スタートアップ企業やハイスピードで成長を続けている企業の場合には当てはまらないが、いわゆる大企業と呼ばれる企業の場合、実感値としては新興国で入ってくる人材のほうが、本国で入ってくる人材よりもレベルが高いということは普通に起こり得るだろうと思っている。

日本でもそうだが、本当に優秀な層というのは給与が極めて高い職業やスタートアップといった職場を選択する傾向にあり、大企業がなかなかそういった尖った人材を採用することは難しい。一方で、新興国では国内産業が弱かったり、地縁血縁が求められて実力だけではのし上がっていくことができない場合があり、優秀な人材がGlobal企業を選択することは普通にある。そういった場合に、本社で採用された普通の人間よりも、現地の最優秀層のほうが優秀であるということは特別驚くようなことではないと思う。


そもそも環境的にチャレンジングな場所で、かつ語学の壁を超えて学んできただけあって、新興国の優秀層というのはポテンシャルも非常に高い。そういった人間により挑戦的な場所を提示するというのは、人材活用の最大化という観点からは合理的と思えるが、これまでそういった実例というのはほとんど聞いたことがない。


私も前の米系企業を選択するには、GIEというコンセプトに惹かれ、また面接においても繰り返しone firmであるということが言われていたために、実際に入ってみるとそのスローガンと実際の運用の差にじぶんとがっかりしたものだ(今から考えると随分青臭いな・・・と思うのだけど、こういうことは経験しないとわからないので仕方ない面もある・・・はず・・・)。

テクノロジーが進化してどんどん世界は小さくなる一方で、まだまだこういった職場における人材活用というのはそれほど変化がないように見える。これまで、本日取り上げたような「多国籍企業における人材マネジメント最大化」といった文脈での研究や、うまくいっている事例というのはあまり見たことがないのだけど、日本人の労働人口が減り、相対的なポジションが弱くなっている現状では、他国の優秀な層を積極的に「本社で」活用するというのは一つの方法論になるのではないかと思っている。本当は10年前ぐらいに始められればよかったのだが・・・・。


※1・・・もちろん企業ごとに濃淡というのは当然あって、例えば米系IT企業でも東海岸にある企業よりは西海岸の方がより多様性があるという印象を受けたし、インフラ企業よりはWEB・アプリ企業のほうがより多様性が大きいという気がする。
※2・・・よく知られている例でいうと、GEのLeadership programは世界中から優秀な人間を選抜して数年間かけて育成を行う。ただ、各国から選抜されて育成された人材は基本的には各国に戻り、そこでリーダーとなることを期待されているようだ。

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