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2019年5月 3日 (金)

流行りにのって令和元日に考えたことを書いてみる

我が家はほとんどテレビを見ないのであまり意識はしなかったのだが、4月30日と5月1日は年越しのような感じの番組がいろいろ流れていて、世の中では王いう雰囲気なんだなというのを旅行先でようやく感じることとなった。個人的にはこの10連休は子供の面倒を10日連続で見なければならないという以上の意味を見出すのは難しいのだが、せっかくなので流れにのってなんとなく思ったことを書いておこうと思う。



僕は昭和生まれなので年号の上では令和は3つめになるだけど、昭和天皇の崩御の際の記憶はほとんどないので、実質的には平成の人間といってよいのだと思う。平成になってからいわゆる義務教育を修了し、大学院まで行き、社会人になり、中国大陸で暮らすようになり、またまた学生生活を送り、結婚をし、子供が産まれた、これが自分にとっての平成だった。言い換えれば、自分のことだけを考えて、自分の思うように生きてきた30年だった。そう、平成は「僕の物語」の時代だった。

 

これから始まる令和は、まさにその初めの日がそうであったように、子供達が子供たちの物語を生きる時代になる。人生100年時代という言葉を人から言われるのは癪である一方、確かにあと30年以上は働かないといけないのはほぼ確定した未来だが、それでも我々の世代(いわゆるアラフォーというやつだ)は、少しずつ物語の主役をバトンタッチしていかなければならない※1

バトンタッチを考える際に、自分は二つの顔を考える。一つはいってみれば「公人としての自分」で、これは今までの生き方の延長線上にある。急に今から世界を変えるような発明ができるわけではなく、政治家として理想に燃えた生活を送るわけでもない。これまでの人生で理解した自分の能力と特性を活かして、この社会の一員として価値提供をしていくということである。
もう一つの面は「父親としての自分」で、はっきり言ってしまえば、衰退しつつあるこの国家においてどのように生き残るべきか、あるいはこの国を超えてどのようにいきていくのかの路を教えてあげるということだ。
残念ながら、その2つの顔というのはときに正反対の方向性のなるのかもしれないけど、つまり公人としてはこの社会に貢献することを目指す一方で、私人としてはこの社会から離れてどれだけ独自のポジションを築くことができるかを考えるわけで、それは大なり小なり我々の世代が戦わなければならない矛盾なのだ。



既に、日本という国全体を考えれば敗色濃厚な撤退戦を戦っている最中であり、ここから先の見通しはさらに暗い。ただし、それは個々の人生の敗北を意味するわけではない。1人の人間として出来うる限られた範囲であっても日々が幸せであると感じられる、そういった日常を送れるように、そして願わくばその範囲が少しでも広がるようにしていきたいという、極めて当たり前の願いが、新しい時代の幕開けに思うことだ。



※1・・・こういう時に頭に浮かぶのはドラゴンクエストⅤである、やっぱり世代的に。

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