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2020年2月17日 (月)

オリンピックより前に国力の衰えを実感するとは思わなかった(コロナウイルスで)

日本国内でのヒト- ヒト間の感染がほぼ明確になってきた新型コロナウイルス問題は、残念ながら日本という国の国力・・・というか、危機に立ち向かう力が衰えていることを実感させるような機会になってしまったように感じる。

 

個人的には、ヨタヨタしながらもオリンピックまでは無理矢理にでも高揚感を醸し出して2020年は乗り切れるのではないかと思っていたのだけど、病気まではコントロールすることはできなかった。


世界のほとんどからは中国人も日本人も区別できない

 

3月の第1週に米国出張の予定だったのだが、このままだと日本からの入国が制限されるという可能性もないとはいえなくなってきた。数としては中国の患者が圧倒的に多いが、現在のところ世界第2位の発症数となっているのは日本だ(クルーズ船の患者数を抜いても、日本は2位だ)。
しかも、情報統制とか操作という疑いはいまだあるものの、データだけ見れば中国での病勢の拡大は少しスピードが緩やかになってきた一方で、日本は現状でまさに拡大が始まったというところ。中国の例を見ればこれから患者数は指数関数的に増えていくだろう。

水際対策と呼ばれる「日本国内に入れさせない」取り組みはしていたものの、「一度入ったウイルスを国内で拡大させない」という施策はほとんど打っていなかったのだから、一度入ってしまうと拡散してしまうのは容易に想像が出来る。


一部の国際都市を除けば、そもそも東アジアの人間を見極めることは難しいだろうし、距離があるとどうしても一緒くたにされてしまうのは仕方ないところもある。
自分だって、中東の国々を区別して認識するのはかなり困難だし、もっといえば多くの日本人にとってはパキスタンとインドはほとんど同じ場所にある国という認識だろう。当人にとっての重大事は必ずしも物理的 or 精神的に遠い距離にある人にはどうでもいいのだ。


ということで、これから暫くの間は「東アジアではコロナウイルスが流行っている」という認識は世界中で共通のものとなると思う。さらに時間が経てば、世界中で同じように流行るようになるだろうけど、それまでの間は、東アジアが震源地という扱いになるのだ。


意思決定の貧困さと余裕のなさ

 

自分だけでなく中国に住んでいた多くの人間は、武漢の封鎖を聞いた時に「最悪の場合には、武漢を切り捨てると決めたのだろう」と理解したと思う。もちろんそういったことは、いくら中国とはいえ絶対に言わないわけだが、大陸のロジックに親しんでいる人間であれば直感的に感じるものだったと思う。これは、何も現地の方々を助けるための努力をしないというわけではない。努力はするが、一方で犠牲を限定的にするという意思決定を行った・・・ということだ。
おそらく武漢の死亡率の高さは治療が十分にできていないこともあるだろうし、そもそも病院の長時間の待ち時間で感染した人もそれなりの数になるだろう。


この騒動での日本での取り組みを見ていると、日本という国は意思決定が出来ないという状態のまま、国力が衰えてしまったのだな・・・とあらためて感じる。
ここでいう、国力とは「危機に対する際の想定シナリオの準備と、それを実行可能なバッファーの厚み」という意味で使っている。


今回のコロナウイルスについてはまだわかっていないことが多かったが、それでも2月第1週には以下のことはわかっていた。
  • ウイルスに感染した人も潜伏期間がある
  • ウイルスに感染した人全員が発病するわけではない
  • 感染者が自覚症状がない段階でも、ほかの人に感染することがある

この特徴から往来を完全にシャットダウンしない限りにおいては、感染が広まる可能性があるということがわかる。本人ですら自覚できない状態の感染者をどのように同定すれば良いのだろうか?


こういった特徴が明らかになった段階で、「封じ込め作戦」と「国内での感染の爆発的な増加を食い止める作戦」の二つのオプションが同時に検討されるべきだったのだが、現実はというと2月17日現在でようやく議論が始まったばかりだ。

 

厚生労働省のHPを見ると、今でも「特定の地域への渡航歴がある方、あるいはその人間と接触の可能性がある方」以外は近くの医療機関に行けと書いてある。病院で診察を待っている間に感染が広まってしまうという可能性を排除できていない。

また、感染した人には会社を休むことが奨励されているが、休業に関しての個人に対する保証は明確ではない。個人責任といってしまえばそれまでになってしまうのだが、有給を保証されていない方々はどうすればよいのだろうか?これだと、少々の熱であれば生活のために出勤する人もたくさんいるだろう。


あらゆる打ち手には金がかかるし、人的リソースがかかる。武漢封鎖という、欧米各国では取りづらいような手をうった中国でも、膨大な数の軍医を投入するという打ち手は行なっているのだ。トカゲの尻尾切りという気もするが、それでも人員の更迭といった、組織側の打ち手もうっている。
今の日本ではそういった議論は行われないし、何をするにしても予算の壁 ( == 金のなさ)が問題になって対策を進めることは出来ない。多くのことが「お願い」で進んでいるのが現状だ。残念なことに。


感染症である以上、特効薬が開発されるか、ほとんどの人が免疫を獲得するまでは広がり続けるだろう。人間が出来るのはピークを小さくすると同時に、そのピークが来るタイミングを遅らせることだ。
ピークを小さくすることができれば治療が出来ない人間を減らすことができるし、時間を稼ぐことで治療法の確立や素早い検査方法の開発の可能性も増える。ゼロイチで対処できることができない以上、これからは持久戦での戦いが必要だ。そのためには、まだ残っている力を有効に使う必要があるのだ。(とはいえ、あんまり期待はできないよね・・)

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