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2020年4月

2020年4月 6日 (月)

アフターコロナの世界で働く自分を想像する

まだまだ終息が見えないCOVID-19による混乱は、自分の働き方にも大きな影響を与えている。うちの会社は良くも悪くもシリコンバレーに強く紐づいているので、東京オフィスに働いている自分にもダイレクトにアメリカ本土の状況が影響してくる。

シリコンバレーでは当初は"Shelter-in-place"という言い方で自宅勤務を推奨していたが、今はより強い表現で自宅勤務をほぼ全ての会社で行なっている。会社に来ないとできない仕事をするためには許可を取る必要がある。東京オフィスも管理ラインとしては本社に紐づいているため、基本的に自宅勤務をおこなうように命じられている(推奨されている、ではない)。

とはいえ、通常時も業務の半分ぐらいは米国側との打ち合わせだったので、少なくとも業務の半分に関しては不自由は感じない。お客さんの面会の会話が出来ないとか、そもそもの予算計画が立たなくなってしまった・・・みたいなことはあるが、それは自宅勤務による不便というわけではない。

全体としては「やや不便ではあるものの、おおよそ通常通りの業務を行なっている。ただし、業務量はかなり少なくなっている」という感じである。
最も困っているのは、米国本社に出張が出来なくなってしまったことであり、出張の予定が現状では全く立てられなくなったことだ。本社にいる研究者と直接ディスカッションをして、新たな研究開発の方向性を考えるというのがサービスの柱の一つなので、直接会う機会をもてないということは、ビジネスのやり方そのものを変えなければならない。

・・・そういった業務をやりつつも、この頃は「このCOVID-19が長期化し、そしていったんは終息した後の自分の働き方とかキャリア」というものを考えている。年始からこういったテーマは考えていたのだが、そのテーマは残したままで、大幅に生き方を変えなければならないのだろうな・・という気すらしている。


海外移動の自由度の低下

中国で働いている時から考えると、もう10年以上の間、「複数の国をまたいで働く」ということをしてきた。もともと海外で働くことを希望していたので、そういった状況は負担ではなく喜びだったのだが、この働き方の大前提は国をまたいだ移動が自由にできるということである。

その前提はこのCOVID-19が急速に広まることによってあっけなく失われてしまった。そして、より重要なことはこの疫病(といっていいと思う)が、今後はこれまでは日本人にとっては当たり前だった「国際移動を自由に行える」というルールを、ほぼ僕が社会人人生を過ごす間ぐらいのスパンでは変えてしまったということだ。

COVID-19の免疫獲得についてはまだわからない点が多い。もし、人間がこのウイルスに対する免疫を長期間維持できないとすると、移動の自由は大幅に失われるだろう。
もしCOVID-19に対する免疫を人間が長期間保持できるとしても、国家は「疫病が人を介して急速に広まる」ということを学習した。2011年9月11日以降で航空移動に関するルールが厳格化したのと同じように、今後5年ぐらいのスパンでは国際移動に何らかの制約がかかるだろう。
COVID-19は最初の疫病ではないし、最後の疫病ではない。同じような問題が今後発生することは、当然想定すべきことである。


国民国家における制約と個人のコミットメント

今回多くの国が「自国民以外の入国を禁止する」という措置をとっている。これはすごく重要な問題で、たとえ海外に居住し(あるいは定住し)生活の基盤がそこにあったとしても、入国ができなくなってしまうという事だ。さすがに外国人を海外退去させるということまではされないが、この判断は、世界はまだ国民国家を基本としていることを思い出させる。

海外に住んでいた人間の中には母国をあまり好きではない人間も多いし(自分もそういうタイプではある)、いざとなれば他の国で生きていけばいいか・・・と思っているようなタイプも多いが、こういった非常時には"母国"という存在がやはり決定的な意味を持ってくる。僕の場合は、日本だ。

今後の人生で国籍が変わることが想定されないのであれば、今後はこの日本で長く住むということを、自分の人生の中で明確にしなければならない。そして同時にどこかに長く住むということは、そこに対して大なり小なりコミットメントをする必要があるのだ。
今回の出来事でこの点は、自分の人生の中で大きく変わったことだ。

これまでの約40年の人生のうち、半分以上は「いかに日本という枠組みから飛び出して生きるか」ということを考えて生きてきた。子供を持つのであれば日本の方が良いと考え、ビジネススクールの卒業と共に日本に帰ってきたものの、いつかはまたどこかで他の国で暮らそうと考えていた。今後はそういったオプションは最優先ではない。この国で生きていくにあたって、何をした方がよいのか/何をすべきなのかを考えていかなければならない。


自分の人生と「仕事」のコントロール

15年足らずの社会人生活で4社目+MBA留学ということで、日本人の中ではかなり自由に生きているという自覚はある。それでも今回の問題では「自分の人生を、自分でコントロールしようがない」ということに対して、ものすごくストレスを感じる。問題が起こった時に、そして問題のスケールがより深刻でより広範囲であればあるほど、自分は自分で状況を打開したい・・・少なくとも何かをしていたいと思うタイプであるということに、あらためて気づいた。

今後は、自分の人生と「出来る事(多くの場合はこれが仕事だ)」がコントロール出来るような場にいなければならないし、また、自分からそういうものを作っていかなければならない。今は、そういうように考えている。

組織にいるのであれば、より問題を広範囲に解決できる場所にいたいと思う。また、一つの組織や仕事に全てをかけることは、自分の選択肢を減らしてしまうことに直結するということも、今回の出来事で学ぶことが出来た。
こういった出来事が起こると、人間は結局のところ持ち場で頑張るしかない。ただ、それでも自分が何かを出来ると信じるのであれば、平時の時からそういった場を自らで作っていかなければならないのだ。極めてあたりまえの話なのに、これまではそのことを実感して生きてはこなかった。


こういった未来への決意みたいなのはエンターテイメントの世界では「フラグ」として扱われてしまうので、あんまり書かない方がいいのかもしれない。なにせ、このウイルスは一度かかってしまうと後は免疫頼みなので、重症化する割合が低い年代とはいえ重大なことになる可能性もゼロではない。
ただ、おそらく2000年代最初の50年を描いた時に必ず触れられるであろう問題を、初めてリアリティをもって受け止めた一つの証拠(※1)として、感じたことを書き残しておこうと思う。


※1・・・911は実は日本人には珍しくリアルタイムで見ていたのだが、当時は毎日の早朝からのバイトで疲弊しており、あのような大惨事もどこか遠い世界のような出来事だった。リーマンショックは中国赴任と上海でのスタートアップ参加の期間と重なっており、日本での受け止め方とは異なっていた。そして、東日本大震災の時は上海でビジネススクール合格通知を受け取り準備をしていたタイミングだったので、日本に住んでいた人と同じような感覚を持つことが出来なかった。入学前に帰ってきた時には、冗談とはいえ非国民だと言われたぐらいだ。

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