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カテゴリー「仕事」の記事

2020年6月 2日 (火)

組織を内からダメにする有能で邪悪なマネージャー

大学院卒のうえにビジネススクールにも行っているため同じ年の人よりは働いている時間は短いのだが、これまでにそれなりの数のマネージャーと呼ばれる人達と働いてきた。時には自分の組織で関わることもあれば(いわゆる上司というやつだ)、お客様側にいる場合もある。

そうやって色々なマネージャーと働いている中で、”有能だと言われているが、組織を少しずつダメにしていく“タイプの人と複数回働く機会があった。

一見すると優秀だし良い組織人であるのに、優秀な部下が離れていってしまうのである。最後には組織が停滞してしまうのだが、優秀という評価があるだけに替え時が見つからず、傷口が広がってしまうという結果になることが多い。


そういったタイプは一般的には下のように見られていることが多い。

  • 仕事をする上では普通に有能である。打ち手の説明も論理がキチンとしていることが多いし、スケジュールもしっかり守って仕事をしている。
  • 打ち合わせではちゃんと相手の話を聞いているように見える。部下へのレビューもちゃんと行う。むしろ丁寧に教えてくれるタイプであるとみられることが多い。
  • 上司に対しても適切に意見をするものの、最後には上司の判断に従うという組織人らしい行動も出来る。

こういった上司が組織にいたらどうだろうか?きっと組織もしっかり回り出すし、業績も伸びると思うだろう。実際に最初の頃は仕事が上手く回るという評価がされることが多い。


ところが時間が経過してよく観察すると、この一般的「よい」評価の裏で少しずつそしきが腐り始めることが多い。
そしてそれは、こういったタイプのマネージャーの表には出てこない下記のような行動が引き起こしているのだ。


  • 自分がした論理的な説明に対して、より精度の高い論理で反論をされると経験や「君の知らない情報も含めて考慮した結果」というような言い方をして、自説を変えようとしない。
  • 相手の話を聞いているように見えるが、自分が予想可能/想定可能な話を聞いているだけなので、想像もしない角度からの意見は聞き流す。
  • 数字がシビアに出るような仕事は巧妙に回避して、可能な限り結果ではなく過程で話すようにする。時々のトピックを上手く紛れ込ませながら、結果が出ないことについて自分以外に理由があることを論理的に説明しようとする。

こういったマネージャーは上の行動をみるとわかるように、「成果を出すという」ことそのものにフォーカスしているわけではなく、「自分の考えで、成果を出す」ということを第一にしていることが多い。

この微妙な差は、組織やビジネスが安定している時にはいい。特に大きな課題もなく、マネージャーの差があまり業績に影響しないような環境であれば、「自分の考え」を第一にすることはマネージャーの特権でもある。

一方で、現在のように外部環境が激変している時、あるいは会社が急速に伸びて「自分よりも優秀な人間が入ってくる」ような環境では、こういったマネージャーの存在は致命的になる。
なぜなら、「自分の考えよりも優れていること」を採用することが非常に難しいタイプなのだから。


こういったタイプのマネージャーを、組織の傷口が深くなりすぎる前に発見するためには、数字で語る文化を作る/維持することが重要になる。もちろん数字だけに偏りすぎると、それはそれで別の問題が発生してしまうのだが、少なくとも「優秀に見えるけど成果は出せない」マネージャーを一定期間で動かすことは出来る。

・・・・ただ、そういった設計が出来ないから、これまでも多くの「優秀な人が必要だが、数字では評価されずらい」部署で、こういったタイプのマネージャーが長生きしたりするのだよねぇ・・。今だとデジタル・トランスフォーメーション(DX)とか、イノベーション組織みたいなところに、多くいるイメージがあったりする。

リモートでの営業活動時に気をつけたい4つのこと

自分の仕事は事業開発なので、この自粛期間でもリモートで営業活動は行なっている。アメリカ側との会議でリモートでの会話は慣れているので、自分が話す分には特に違和感なく話すことができている。

ところが、今日とある打ち合わせで「営業をされる側」になってみたころ、色々と新しい発見があった。折角なので、備忘録がわりに記録しておこうと思う。


1.集中しているせいか、すごく疲れる

これまで自分が参加していた電話会議は基本的に、知っている人と継続している内容を話すものだ。一方で、今日受けた営業は「知っている人が話しているが、内容はほぼ知らないこと」だった。

当然知らない内容なのでそれなりに一生懸命聞いていたのだが、わずか30分の営業を受けただけで、いつもは感じないような疲労感を感じてしまった。
画面にすごく集中していたせいだと思うのだが、画面に近づいて自分の視界がほぼ画面になったまま話を聴き続けるというのは、想像以上に疲れるものらしい。

自分が話す時にも緩急をつけて、相手側が気を抜けるタイミングを作った方がよいのかもしれない。


2.話したいタイミングで話せないとストレスが溜まる

リモートの会話はどうしても遅れがあるので、実際に会っている場合と比べて、相手の話に自分の相槌を差し込んだり、ちょっと質問をしたりするということがすごく難しい。
相手側が話を適度に切ってくれないと、延々と話を聞き続けることになる。

自分はわからないところがあったり、自分が聞きたいことが相手に伝わっていないと感じた場合には即座に聞いたり修正したりしたいタイプなので、この「自分が聞きたいことをタイムリーに聞けない」ということが、かなりストレスになる。

その上、リアルではそういった雰囲気を感じることができるような営業も残念ながら画面越しではそういったオーラを感じてくれないことが多い。この「自分の気配を感じ取ってくれない」こと自体もストレスになるため、相手が話し続けるというのは、正直かなり辛い。

1とあわせて、リモートでは通常よりもかなり多く、相手の意見を聞くという”隙間"を作った方がよいのだろう。


3. PC画面を使ったデモはすごくわかりやすい

ソフトウェアやSaaS製品のようなものは、PCを使ったデモが定番だ。リアルの営業活動ではプロジェクターを借りたり、そういった機材がない場合にはプリントアウトしたものを準備した上で、自分のノートPCを見せたりする。

これがリモートだと、画面共有でまるで自分のPC上で動いているかのようにデモを見ることが(見せることが)出来る。

これまでは話している側だったので気がつかなかったのだが、客側になってこのデモを受けてみると、これまでになくスイスイと頭に入ってくることを強く感じた。1とは反対の作用で自分のPC上での動きに集中できるせいなのかもしれない。

もし相手がノートPCを気楽に持ってこれるような職種の場合、今後はリアルの営業活動でもデモは相手側の画面にも共有できるようにしたほうがいいような気がする。


4. 画面共有での資料共有は圧迫感がすごい

これも1や3と同じ要因によるものだろうけど、文字が細かい資料を共有で説明されると圧迫感がすごい。自分の知らない情報が詰め込まれた画面が目の前に突きつけられるというのは、かなり辛いものがある。

せめて画面上で矢印を動かしてくれれば、どこを話しているかを理解できるので、話している側は「今は自分がどこを話しているか」が相手に伝わるような工夫をしてほうがよいだろう。
ちょうど、リアルのプレゼンでもポインターを使うような感じだ。


今回の感想はノートPC上でのやり取りをもとにしたものなので、タブレット端末を使った場合には、また違った感想になるかもしれない。
世の中はUX(ユーザーエクスペリエンス)という言葉が大流行りだが、思わぬところで体験価値の重要性を知った。

営業のコンテンツがよくても、こういった要因で相手が話を聞いてくれなければ商談もうまくいかなくなってしまう。リモートでは、リモートなりの話し方があるということだ。

2020年2月 9日 (日)

2020年1月の出張記録と東海のおすすめホテル

今年最初のエントリーでは「週1本は書けるようにしたい」と書いたのだけれど、最初の月からあっさり目標達成を放棄したようなかたちになってしまった。一応言い訳を書いておくと国内出張が結構入ってしまい、それどころではなかった・・といいたいのだが、こういった言い訳はダメですね。
ちゃんと毎日の中で「書く」ための時間をとらないと。

 

1月は第2週に6日間、第4週に3日間、東海地域に出張に行ってきた。東海地域は言わずと知れた自動車産業の集積地で、うちの会社もいくつかの企業とおつきあいがある。毎月定期的に営業活動で行くようにしているのだが(それが後半の3日間)、1月はそれに加えてプロジェクトのデータ取得があって結構長く滞在した。



東海地域は車社会なので、東京から出張に行くと移動が大変だ。一社だけであれば近くのホテルに泊まればいいのだが、地域内で移動するとなると交通の便がいいところがいい。
ほぼ毎月出張に言っているので色々なホテルに泊まってみたのだが、結果として定宿として落ち着いたのは知立にあるホテルクラウンパレス知立だ。知立駅から徒歩5分以内で、和室もあり、朝ごはんも結構美味しい。何よりWi-Fiの速度が十分出るので、仕事でビデオ通話をしても全く問題ない。これはかなり重要。

 

この宿にたどり着くまでに刈谷のホテルもいくつか試したのだけど、Wi-Fiが遅くて仕事にならなかったり、ベッドのパイプが背中にぶつかるような構造のものを採用していたりと、なかなか納得できるホテルを見つけることができなかった。食事だけなら、知立よりも刈谷のほうがはるかに便利なので、この辺りはもうトレードオフとして諦めるしかない(個人的にはご飯はコンビニでも我慢できるが、ホテルはよくないと我慢できないタイプ)。

 

この時期は東海地方はかなり寒いので、暖かいお風呂に気兼ねなく入れるホテルは貴重なのだ。

2019年11月28日 (木)

デジタル時代の人材獲得で一番辛いのは銀行

今の仕事についてから色々な業界の人と、イノベーションについて話すようになった。
そして、イノベーションの話をすると、とりあえず全ての業界で大なり小なりデジタルトランスフォーメーション(DX)という単語を聞くようになった。もちろん本音では、「デジタルなんかいらない」と思っている会社もあるだろうけど、そんなことを大声でいう会社はない。そうする意味がないからだ。


デジタルトランスフォーメションは自分でしか出来ない

実際にデジタルトランスフォーメーションをやろうとすると、すぐに気がつくのが、社内に適した人材がいないという現実だ。IT部門はあるかもしれないが、アプリを自分で作っているところは少ないし、そもそもITに関する知識がないというIT部門も少なくない。
そういった会社にとって、ITとかデジタルというのは「買ってくる」ものだったのだ。ところが、DXを実現するためにはどうやら自分でやらなければならない・・・ということにこの頃気が付いたという会社が多い。

そうなると中途か新卒で人材を獲得しなければならないのだけど、自分が見る限り、最も辛いのはメガバンクを含む銀行だ。今現在でも難しいが、今後も今のままだと絶望的だと思う。

まずもって、社内で内製をするという文化がない。IT業界から見ると、金融業界というのは最もお金を落としてくれる業界だ。コンプライアンス要件や、処理能力などの要求が非常に高いがしっかりお金を払ってくれる。
そういった金融業に対してIT業界は優秀な人を贅沢に貼り付けてきた。そういう状況で、内製であえてやろうとする会社は少なかった。
とはいえ、これは何も金融業界に限った話ではない。ただ、実質的にITなしでは業務が回らないにも関わらず、驚くほど社内の専門家が少ないのが金融業界だ。

 

次にガチガチの給与体系。能力よりも年次でお金を払うシステムである銀行では、「優秀だが高給なエンジニア」を雇うための方法がない。
ただ、これも多くの伝統的な業界に共通する。

装置産業としての魅力を失う銀行

そして最後の、そして最も大きい理由として、「銀行でしかできない、先端的な取り組みはほとんどない」ということだ。銀行の中の人はそういうことを言われるのは嫌がるかもしれないが、2020年になろうとする今、銀行というのは巨大な装置産業だ。ITシステムと「資本」をレバレッジするのが、その本質の一端といっていい。
そして、装置産業の中で、最も代替が進むのが銀行なのだ。

装置産業間での比較を考えてみよう。例えば、AIで非常に有能でもある人材が「自動車や二輪車」を作りたいと思っていたとする。彼にとって現実的な選択肢というのは、テスラという例外を除けば、既存のどこかの自動車会社に入ることだろう。

同じことは製造業のほとんどにいうことができる。スタートアップがこれだけ一般化した今でも、モノを作るには資本と設備が必要になる。ファブレスという選択肢もあるが、それではカバーできない領域もたくさんある。
そういった「モノづくり」に興味があり、かつ先端技術もできる人間は一定数はいるので、製造業はそういった人材を獲得することができるだろう。

翻って、金融業はどうだろう。
もしかしたら自分の周りが偏っているだけかもしれないが、「自分はどうしても銀行で与信をやりたいんだ」といって銀行に入った人間を僕は知らない。もともと明確なゴールを置くのが難しい業種だ。
もちろん、金融業で身を建てたいという人間はたくさんいるかもしれないが、そこにAIのような先進技術を掛け算で持っている人間は、Fintechと呼ばれるスタートアップにいったり、あるいはAIコンサルのような仕事を選ぶだろう。
さきほど述べたように、銀行業はいわゆる「ベンダー」にお金を払うことは得意だから、AIコンサルも仕事を取ることはそれほど難しくない。
でも、それでは銀行自身の中にノウハウが残らない。

グループとしての人材レベルを保つために

Fintechはよく「業界への破壊的なイノベーション」と言われる。ただ、個人的には、たとえ業界構造自体が変わらなくても、そういった代替かつ魅力的な存在が出ることで、人材レベルがゆっくりと確実に下がっていくことの方が長期的な影響が大きいと思っている。

そういう観点から、常に注目しているのはJapan Digital Design (JDD)だ。
三菱UFJが設立したFintech子会社は、社員のほとんどが有期雇用で外部から集められた人材で、既存人員の異動はほとんどない。あえて本体から切り離し、給与レベルも本体とは別立てとすることで「先進技術を使って、金融で何かしたい人」を集めることに成功している。

これまでの人事制度が「銀行に入りたい人に、何をさせるか」を考えていたとすると、ちょうど正反対の発想だ。まだ収益に貢献しているとはいえないこの試みだが、個人的には伝統的な企業が人材を集めようとするとこの方法しかないと思っている。

この一点だけで自分にとっては、三菱UFJは「面白い」取り組みをし続ける銀行だ。

2019年8月29日 (木)

本社出張にきています(本年3ヶ月連続4回目)

昨年も同じだったのだが、夏場はお客様の時間がとりやすいようで6月から3ヶ月連続で本社出張中。こちらに来ると毎回気持ちがリフレッシュできるのだけど、飛行機の待ち時間を含めると片道12 時間以上かかるわけで、慣れてきたとはいえかなり疲れる。ここ最近は乗る飛行機も固定、ホテルも固定という感じで、なるべくルーティンで回せるようにして少しでも疲れを減らすような心がけをしている。

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こちらがいつも宿泊しているホテル。本社があるMenlo Park市はは規制が厳しくてほとんどホテルがなく、近くの市だと朝から車で移動することになるので、会社から歩いて15分ほどのこのホテルにいつも宿泊している。働いている方々ともすっかり仲良くなり、毎回同じ部屋を準備してくれたりもする。
規制によりホテルが建築されない ==> サービス向上のインセンティブがないということで、お湯が出ない部屋があったり、ヒーターが動かないということもあったりするのだが、仲良くなるとそういう部屋を避けてくれるという有り難さである。

 

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ベイエリアの不動産価格がシャレにならないくらい高い・・・というのはよく日本のニュースでも流れているが、スタンフォードで色々なイベントが行われるタイミングでは、ホテルも1泊600ドル台とかよくあるので、出張するのもかなり勇気がいる。日本人からみると600ドルに見合うクオリティはさすがにないと思うのだが、中庭にはスパがあり、夜には火を囲んでリラックスすることが出来る・・・といった感じで、ちょっとしたラグジュアリー感を出している。最初の頃はスパに入る勇気が全くわかなかったのだが、この頃はすっかり場所に慣れて、夜に足だけつけて音楽を聞いたりしている。

ちなみにこの火は本物で、毎日夕方になるとホテルの方が火をつけている。

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ホテルのすぐ隣には大手スーパーのSafewayがあり、毎回出張のたびにここで必要なものと、ホテルで飲むビールを買っている。簡単なデリもあるので、到着日はだいたいここのデリで買った中華が夕食になる。ホテルで食べる食事を探そうとするとマクドナルドや、ハンバーガーぐらいしか近くにないので、ここのデリはかなり重宝している(味は期待できないのだけど・・・)

 

Unnamed今回はいつもより少し滞在期間が長くて、日曜日に東京戻りの予定。2日間のセッション×2回が予定されていて、オフィスワークがほとんど出来なそうで、仕事がたまりそう・・・。 

 

 

 

2019年8月19日 (月)

不幸な監視国家・日本、とならないために(書評: 幸福な監視国家・中国)

「こういう本は今の日本では売れないだろうなぁ・・」と「こういう本が出版される間はまだ大丈夫かなぁ・・・」というのが、本書を読み進める時に感じた最初の感想だった。


世の中に数多ある中国すげー本でもなければ、中国はもうすぐ破滅する的な本とも違う、中国で現在進行形の事象と、その現象を進めることが可能になる(ルールや主体ではない)原理を読み解こうという本書は決して多くのターゲットに刺さるものではないだろう。著者の一人である高口さんが担当されている部分では中国の最新事例を楽しむ読む人間はそれなりにいるだろうが、そういった人たちが梶谷先生の部分を噛み締めて読むというのは、あまり想像が出来ない。
難しいし、目の前のビジネスにはあまり関係がないからだ。

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しかしながら、中国の為政者・・・というか、法的な対応を検討したり、政策を立案したりする国家と党のエリート層は、必ずこういった思想的な議論を行なっているであろうと、僕は確信している。権力という意味においてエリートである彼らは、同時に知的なエリートであり、どのようにして中国という国家を舵取りすべきかということに対して、常に高度な論理性と世界中の過去から学んだエッセンスを適用しているはずなのだ。こんな難しいこと考えているわけないよ・・・ともし感じるのであれば、あるいは日本の政治を見てそう思うのであれば、それは自らの劣った基準で物事を理解しようとしているからだ。

 

 

 

 

日本の未来を想像する(悲観編)

 

本書を読了した多くの人が、自分がそうだったように、おそらく「では日本はどうなるだろうか?」という疑問を持つはずだ。著者も本文中に書いているように、遅かれ早かれ、あるいは程度の差こそあれ現在の中国が爆走しているこの道を行くことにはなるだろう。ただしその結果として本文中にあるように、テクノロジーが社会をより良い方向に向かわせると感じる人間が多いかというと、そんなことはないと思う。むしろ、不幸な監視国家・日本となってしまうのではないだろうか・・・という懸念の方がはるかに大きい。

 

中国に5年半ほど住んでいた経験を持つ自分から見ると、日本国内における「公共における紛争」あるいは「私的な紛争」の解決というのは、はっきり言って日本も中国もそう変わらない(※1)。むしろ、声だかに文句を言い合う中で周りの人間が積極的に関与したり、陳情やネットでの戦いによって状況を劇的に変える可能性がある中国の方が、本書で言う所の「天理」を実現しやすい部分がある、と感じることすらある。

 

 

日本は中国のようにある特定の団体が独裁的に統治を行う国ではなく、警察や公共団体の対応も法に則ったものとなっているはずである。確かに、現在の日本においては少なくとも法執行機関が意味不明の暴力を振るうことはないし、右派左派問わずに政治家た公的地位にあるものを批判してもそれ自体で罪に問われることはない。
一方で2019年に話題となったような「上級国民」という感覚、言い換えれば、一部の政治的権力や警察権力などに繋がることができると思われる人間には「ルールが平等に施行されていない」と感じてる人も確実に増えている。そして残念ながら、多かれ少なかれ、そういうことはあるのだろうと感じる自分もいる。
こういった感覚が一定以上になった時、おそらくなんらかの形で「人間よりも公平であるアルゴリズム」の社会実装を求める機運というのは間違いなく大きくなるはずだ(※2)

 

では、こういったアルゴリズムは、本書で言うところの「功利主義」に冷徹に則って稼働するだろうか? 残念ながらそんなことはない。
中国の場合、こういったルールから見逃される現代の特権階級(士大夫)は極端に言えば「権力を握ったごく少ない層に連なる」人間であり、共産党に所属していようが、軍に所属していようが、やられる時はやられるのである。これはここ数年の中国で起こった通りである。

 

一方で、日本はどうかというと、我々は中国で見られる人間関係の結びつきよりも、よりゆるい「ムラ」の感覚のほうが公的な関係として残っている。2019年の現代ですら、このムラの理論により法律の運用が合理的に行われていないように見える日本で、もしアルゴリズムがあるムラにより運営されることになれば、それはよりブラックボックス化してしまう。

恐ろしいのは、こう書いている自分ですら、何かしらの縁 == ムラの一部であり、全ての日本人は強弱の別はあれ、ムラにいなければ生きていけないということなのだ。つまり、我々は誰が運営主体となっても「ムラのための例外」をアルゴリズミに加えたいというプレッシャーから逃れるのが非常に難しい状況にある。一方で民主主義国家である日本では、ある時期における支配的なムラが未来永劫の支配圏を持つということを意味しない。

 

 

ブラックボックス化され、運用主体の恣意性が入ってしまったアルゴリズムはある特定の層や思想をもつグループを合理的かつ速やかに排除することが可能になる。一方で、運営側はその権力を持ちつつも、オセロの終盤のように盤面がパタパタと変わっていくことを常に恐れなければならない。誰もが不幸になる監視国家、これが自分が持つ極めて悲観的な未来予測だ。

 

 

 

技術が自分たちを支える未来を想像する(希望編)

 

 

上記のような悲観的な未来を避ける一つの方法として自分が考えるのが、純粋な私的紛争や公共空間における私的紛争、あるいは地域的に限定された公的空間での紛争に対して積極的に先端技術を活用して問題を解決していくという方法である。

なぜならそういった技術の活用が、本書と指摘されている中国の課題であり、同時に僕が日本も同様の事態に陥っていると感じる「私的利益の基盤の上に公共性を構築する」ための手法になると考えているからだ。また、民間や限定された空間での積極的な利用が進められれば、国全体でガサッと網をかぶせるようなシステムを構築する必要性がなくなるのではないか・・・という期待感もある。

 

上記の一例をあげてみよう。

例えば、純粋な私的紛争でパッと思いついたのは「マンションにおけるゴミ捨て問題」である。マンションに住んでいる人であれば、誰もがルールを守らないゴミ捨てに悩まされた経験があるだろう。これは、マンションという純粋に私的な空間であるが、一方でマンション内の空間というある種の公共の問題でもある。

これまでのこういった問題の対応というのは、誰がやったかわからないので我慢する、あるいはわかったとしても証拠がない/議論が出来ないなどの理由で対応が出来ない、となってしまう例が多いはずだ。しかし、例えば監視カメラ・・というと感じが悪いので、動画認証と顔認証をマンションに組みわさればどうだろうか。

ゴミ捨て場に入るときには顔認証が必要である、とか廊下に動画認証でゴミを持っている人が出たら録画をする・・・といった対応をすれば、抑止力になりうるし、管理上の規約に違反項目を追加した場合の実効性を担保することにもなるだろう。

純粋に私的な空間である以上、プライバシーの問題も相互認証と理解により対応が可能なはずだ(もちろん、導入段階での揉め事は覚悟しなければならないだろうが・・・)。

 

また、公共空間における私的紛争、の例では「公園の騒音問題」というものが例としてうかんだ。
現代の公園では「騒音であると自治体に文句が入ると、揉め事を避けたい自治体が禁止事項を増やしてしまう」ということがよくある。本来は公共空間における衝突する利益を調整するための公共性が、一方的な方向性に触れてしまうという例だ。
これなども、ルールさえ明確に定義できれば、騒音レベルの計測とそれを超えた場合に自動で対応するというアルゴリズムを組んでしまえばよい。もちろんルールそのものに文句をいう人間はいるだろうが、そのルールの策定ことこそが、まさに人間がやるべき仕事になるのだ。

 

ここで重要なのは、あくまで技術はその事象を正確に捉える閾値を跨いだかどうかを判断するために利用するのであって、その事象をどのように処理するかというルールは人間が決めるということだ。そして、そのルールは一部はアルゴリズムにより処理され、一部は人間により処理が行われる、判断ではなく。

上記のような考え方を全員が賛成するというのは、なかなかに想像がし難い。しかし、日進月歩で進む技術を社会に取り込む際には、全否定/全肯定の間こそが最も安定的であるであろうと信じている。そして、国家の介入を防ぐという立場の人間こそが、むしろ私的な対応を積極的に行うことで、介入の必要性を不断に取り除く必要があると、僕は思うのだ。

 

 

※1・・・ここでは、問題が起こる割合の話をしているのではなく、問題が発生した時にどのように紛争が解決されるのか・・ということに注目している。
※2・・・AI等の最新技術の活用を進めることを本業とする立場としては、例えば地方自治体における事務とか、スピード違反の取り締まりとかそういったものは全部自動化してしまっても全然問題ないし、むしろその方が質が上がるであろうとは現在ですら思っている。

2019年8月 1日 (木)

深圳のハードウェア・イノベーションを勉強する

中国に長くいたとはいえ基本的には上海を中心に生活していたので、ここ数年で深圳についてはほとんど知識はない。気がついたらメディアではすっかりイノベーションの都市という扱いになっていて、確かにそういった一面もあるのだろうけど、一方でシリコンバレーにちょくちょく顔を出すようになり「結果だけ見てイノベーティブであるかどうか」を見ることに意味はないということに気がついた身としては、ちゃんと勉強をしようととりあえず関連書籍を二冊読んで見た。Photo_20190801115101

一冊は中国の経済問題に対して様々な媒体で積極的に情報を提供されている梶谷懐先生の「中国経済講義」。刊行されたのは昨年8月で購入後すぐに斜め読みはしていたのだが、今回はじっかり腰を据えて再読。梶谷先生がブログなどで発信されていた様々な内容をまとめたという趣の一冊なのでものすごく新しい内容があるというわけではないのだが、一方で経済週刊誌しか読まずに中国を判断しようとする人にはかなり新しい知見が含まれているのではないだろうか。イノベーションに関する論考は第6章にまとめらている。

もう一冊は実際に深圳でハードウェア製造の会社を経営されている藤岡さんの「ハードウェアのシリコンバレー深セン」に学ぶ−これからの製造のトレンドとエコシステム」。こちらは梶谷先生の本とは大局的に、著者が実際に深圳で悪戦苦闘する中で学んだことがコンパクトにまとめられている。自分のように中国で数年間生活し戻ってきた人間からすると、まず長年にわたり現地で切った張ったを繰り返し、会社を経営し続けるということだけで尊敬に値する。この本もお行儀のよい経営者本にはないような生の迫力があって、単純に著者の冒険を後追いするだけで楽しい。

 

● 公版/公模とデザインハウスについて
今回参考にした二冊の参考書には深圳の独自の強さの源泉として、基本的な機能が一枚のボードとして提供されているという「公版/公模」の存在と、様々な有象無象の部品の中から最適な組み合わせを見つけることを手助けしてくれるデザインハウスの存在があげられている。自分は深圳で実際に活動をしたことがなく、またハードウェア畑の人間ではないのでピントがずれているかもしれないが、この2つの要素が完全にオリジナルな要素であるかというと、少し違うという理解をしている。
まず、いくつかの機能を組み合わせて標準的な機能を一つのボード上で実現して安価に提供する、というのはソフトウェアの世界ではまさにクラウドサービスがそれにあたる。クラウドサービスを提供している大手ベンダーは標準的な機能を実現するための方法論としてテンプレートと呼ばれる組み合わせを提供し、その上でより複雑な機能を実現したいユーザーに対しては、個々の機能の細かい解説を提供している。ユーザーは各機能についてはこの解説を読めば理解することができるが、実際にシステムを組もうとすると、細かな調整を自分で行うか、いわゆる「SI」と呼ばれる専門職に依頼を行う必要がある。原価の都合により、無償か有償かという違いはあるにせよ、ビジネスの発想としては似たようなものがある。

 

また、そもそもソフトウェア(システム構築)においてはルイ・ガースナーがIBMの改革で実現したように、複数のベンダーから提供されたものを専門家が統合するというサービスが90年代から提供されてきた。これも元々はユーザー企業が異なる規格、異なる仕様のソフトウェアやハードウェアを統合してシステムとして動かすことが非常に難しくなっているというところにビジネスチャンスを見出したわけで、各機能/パーツ/コンポーネントのモジュール化の進展と、その統合を行うための知見の不足を補うサービス業の勃興というのは過去にも実現されているビジネスパターンといえる。
さらにいえば、大変古い話になるが「パーツの見極めと買い物ガイド」というサービス時代は、今ではすっかり変わってしまった秋葉原で似たようなサービスが提供されていたことがあり、複数の有象無象のパーツ(品質管理が十分になされていない製品)が出回る集合的な市場においては、複数の場所で見られる現象なのではないかと思っている。



● イノベーションの類型化の重要性

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もう一つ気をつけなければならないと思ったのは、深圳における知的財産の共有化とも呼ぶべき状況(梶谷先生の言葉を借りると、ポストモダン層)は必ずしも中国にのみ発生した状況ではないし、同時に中国国内においても、この形だけがイノベーションのあり様ではないということだ。「中国経済講義」ではちゃんと指摘されているが、例えば華為は特許取得件数が世界有数の企業であるし、クロスライセンスによって多くの利益を得ることができている。

 

また、こういったハイテクに限った話ではなく、例えばチェーン店による火鍋ブームの火付け役となったといっていい小肥羊はそのスープのレシピを、公的には長く秘密にしていた。これなども、料理のレシピは著作権で保護されるのかという問題はあるものの、知的資産の保持という文脈で言えばモダン層の方向性を持っていると言えるだろう。言い換えれば、中国においても(あるいは欧米においても)、イノベーションというのは様々な類型があり、ある方式が他の方式を圧倒するというわけではないということだ。

 
例えばIBMはいち早くオープンソース・コミュニティーのサポートと貢献を会社の方針として進めていたが、一方でWatsonをはじめとするプロプライエタリな製品の開発はいまだに行なっている。ままた、AndroidとiOSはオープンソース vs プロプライエタリという対立構造にあるが、少なくとも権利の状況が現在のビジネスにおいて決定的な意味を持っているようには見えない。
もちろんこういった諸要素をちゃんと考慮している方もたくさんいるわけだが、メディアに出てくるメッセージは極端に振れる傾向にあるので、ちゃんとした理解をするためには、やはり取り上げられている要素について「縦の検討(歴史的なコンテクストの上で評価を行う)」と「横の検討(特定の事例のみを抽出せずに、他との比較を行なった上での評価を行う)」が必要不可欠であるように思う。

 
自分は経済学者ではないので、「なぜ深圳が出来上がったのか」を厳密に議論することはそれほど興味があるわけではないが(※1)、少なくともこの二冊を読んだだけでも「日本に深圳のような場所を作る」というのはかなり荒唐無稽な問いの建て方であるということがわかる。深圳とのようなクラスターを検討する際にあたっては地理的な優位性(要するに、距離が近いことのメリット)というのはほとんど意味をなさないのであるが(※2)、とはいえせっかく近くにあるのだから、しっかりそれを利用するという気持ちではいたいとは思っている。
ちなみにイノベーションのもう一つのメッカであるシリコンバレーでは、こういった「ハードウェアの組み合わせによるイノベーションの創造」というのはなかなかし辛いところがあるので、「全世界におけるイノベーション」という観点からは住み分けが出来るのではないかと感じている。シリコンバレーでハードウェアをやろうと思ったら、どうしてももう少し大きいロボットになるか、センサーのようなものが主になるかな・・・。

 

※1・・・大学院時代に、青木昌彦の比較制度分析を研究室で勉強させられたこともあり、こういった議論は嫌いではないけど、とてもじゃないけど専門家にはなれない・・・。
※2・・・もし距離だけが問題になるのであれば、メキシコやカナダのほうがずっとイノベーションへのキャッチアップが高いはずだが、そうはなっていない。

2019年6月17日 (月)

日本ではS級が今後生まれるだろうか (書評: 中国S級B級論 ―発展途上と最先端が混在する国)

中国ウォッチャー的には、twitterとブログで中国政治を解説している水彩画@suisaigagaga が書籍デビューすると言うことがおそらく一番の楽しみであったであろう本書。とはいえ、話題性だけの数多ある色物中国本ではなく、本作の執筆陣はいずれも実力派揃いである。それぞれの領域で積極的に発信をされている方々ばかりなので、常日頃から発言をチェックしている人にはやや物足りないかもしれないが、いわゆる「遅れてて笑える中国」から「最先端のIT活用大国である中国」まで日本人がもつ中国のイメージが変化していく中で、実態として彼の国はどのような状態にあり、どうしてそのような進化と並存が可能になったのかを解説するのが本書の狙いである(詳しくはここをご参照のほど)


● S級が生まれる前の中国と、サービスの萌芽 ●517yla18bwl_sx342_bo1204203200_


2007年〜2013年という自分が大陸に住んでいた時期は、本書で取り上げられたS級はちょうどサービスの芽が生まれた頃にあたる。Wechatはすでに存在していたが、まだpayment機能は実装されていなかったし、Alipayはweb上では利用可能だったが、今のように広くどこでも利用できるものではなかった。4Gは商用化されていたが、アプリによる様々なサービスが実現する直前という時期だったと言えるだろう。当時使っていたスマホはHTC製、いまではすっかり存在感を失ってしまったが当時はトップメーカーだった。


一方で、S級が産まれるような土壌というのはすでに十分に育まれていたように思える。米国のTopスクールをでた中国系の人間が大陸に移ってきてビジネスに参加するということも普通にあったし、TencentやAlibabaは積極的に中国国内の理系トップを高給で採用をするようになっていた。給料が高いが仕事は激務・・・というのが、当時の中国国内におけるこれらの企業のイメージだ。
また、スタートアップの成長スピードもかなりのもので、中国における食べログのような存在であった大众点评は、私が最初に務めた企業で上海に赴任した時に作ったサービスをわずか数ヶ月でコピーしてリリースし、営業体制もあっという間に構築してしまった(今では合併して美团大众点评という会社)。この会社とはその後数年経ってビジネススクール時代に訪問することがあって、「あの機能を実装したのは、自分なんだよ」と話したら、驚かれて色々と深い話をすることができた。


デジタルの世界では、そのころはアプリというよりもWEBサービス全盛だったし、さらにWEB上のサービスといってもFlash利用がものすごく多かったのだが、それでも当時のデザインレベルやゲームアイデアなどは急速に改善しており、遠からず米国にキャッチアップすることは容易に想像される未来だった。本書で取り上げられる企業のいくつかはまだほとんど世界に知られていなかったが、それでもS級への揺籃期にあたる時期に僕は上海にいたのだろう。


 


● S級は屍の上に ●


本書の主要テーマではないのでそれほど深堀はされていないテーマの一つに、中国における猛烈な競争環境があげられる。シェアサイクルが一つの例としてあげられているように、中国では新しいサービスが生み出されると、雨後の筍という言葉ではとても生易しいぐらいのスピードで猛烈な速さで次々と類似サービスが産まれてくる。さらに、そこに豊富な資金が提供されることで、広大な国内展開と国際展開が同時行われ競争環境は加速されるという構造にある。


この過酷な競争環境は猛烈な勢いで製品の改善を促す一方で、投入された資金があっという間に消費されていくという状況もうみだし(中国語では焼銭と呼んでいる)、資金が尽きた企業は市場から退場をしていくことになる。さらにこれらの新興企業に加えてAlibaba, Tencent, Baiduなどの既存プレーヤーが時に投資を行い、時に類似サービスを立ち上げて市場を加速させる。


 


そういって競争の末に本書でS級と呼ばれるサービスが立ち上がるのだが、その裏には膨大な数の屍(退場した企業と実を結ばなかった投資)が並ぶことになる。中国のように成長が早い市場では、新興企業での失敗自体は必ずしもキャリアでマイナスになるわけではないし、個々の人間にとっては有意義な経験となることも多いはずだが、それでも投資側からすると投下資金が溶けてしまうという現実には変わりがない。
中国のイノベーション議論ではその社会実装の柔軟性が取り上げられることが多いが、資金投入側のリスク許容度という意味においても日本との違いは大きい。


 


● 今後日本でS級はうまれるだろうか ●


本書を読んでいてずっと自分の頭の中にあったのは「中国ではS級が”新しく"産まれた。では、日本はどうだろうか・・・?」という疑問である。自分もプレーヤーの一部であるだけに、あまり悲観的な話をすべきではないが、この疑問に対する答えは残念ながらNoだ。
完全に整理しきれていないものの、中国においてS級が産まれ、日本において産まれないであろうと想像されるのは主に以下の理由だ。



  1. 人材の高い流動性
    中国国内において問題とされていることの一つに「人材がなかなか一つの企業に定着しない」というのがあげられるのだが、ことイノベーション関連に関して言えば、この流動性の高さは武器になっている。特に「立ち上げ → 撤退」が繰り返される分野においては、人材流動性が高い社会では前職の失敗が必ずしもキャリアの停滞を意味しない。人材が常に撹拌されているような状況においては、「過去の経験」をすぐに最前線や高い地位で使うことができる可能性があり、社会全体としての活力を生み出している。


  2. 国際展開のスピード
    中国のS級と呼ばれるスタートアップは、国内に広大な市場を持つにも関わらず、創業当初からすぐに国際展開を狙っている。確かにAlibabaやTencentといったプレーヤーは非関税障壁とも言える国策によって守られていたが、今ではそういった保護が必要ないぐらい、圧倒的なスピードで国際展開が行われる。これは、一つには中国人のハイレベル人材は英語を苦にしないこと、もう一つには各国に中国系人材(中国語を話せる人材)が多くいるということが要因としてあげられるだろう。確かに中国においても「まずは中国市場で成功して・・・」という考えはあるが、そもそものスピードが違うので、日本から見るとあっという間に国際展開が行われているように見える。


  3. 投入資金の柔軟性
    成長中の今だから出来ることという気もするものの、上述したように中国における投資熱というは凄まじいものがある。明らかに技術的にはおかしいもの、あるいはコンセプト自体がずれているものであっても、とりあえず派手で成長感が出ていればお金が集まるという状況も一部にはあるようだ。社会全体としては壮大な丁半博打をしているようなものだが、国全体を一つのVCとして見てみれば、どこかが当たれば他の損を十分にカバーできるわけで、このような(ある意味向こう見ずな)ダイナミズムが成長のスピードを押し上げているように感じる。


本書はそれぞれの分野における入り口を提供するという趣があるので、中国についてすでに一定の知識がある人には物足りないかもしれないが、全体を通して読むことで週刊誌やWEBメディアで得る断片的な情報では描けない中国像の一部を提供することができている。もちろん、これで全てだ・・という気は毛頭ないが、最初の一歩として手に取るにはかなりのおすすめである。

2019年3月 5日 (火)

今年最初の本社出張

一ヶ月ほど前になってしまうが、2月第1週に今年初めての本社(シリコンバレー)出張に行ってきた。入社前のインタビューで1回、2018年は合計で4回出張にいったので、今回は6回目ということになる。さすがにこれぐらい出張に行くと体も慣れてきて、時差ボケは依然としてあるものの体の疲労はかなり少なくなってきた。その要因の一つとしては、行きと帰りの便を固定にしたこともあると思う。行きは羽田を19時過ぎにたつJAL02便、帰りはサンフランシスコを午後に出るJAL01便だ。これだと、向こうに着くのは昼過ぎなので、ちょっと眠気を我慢して夜に早めに眠ってしまえば時差関係なく眠りにつくことができるし、帰りは日本につくのが夜なので、家に帰って洗濯物を片付けたり旅装を解いて寝るとちょうどいい感じになる。おかげで、到着2日目の時差ボケは如何ともしがたいものの、それ以外はかなりスムーズに向こうでも業務に入れるようになった。

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今回も、日本から連れて行くお客さんと2日間のワークショップをはじめとして予定がぎっしり詰まっているので、シリコンバレーを観光することはほとんど出来ない。もう6回も行ってるのに、AppleもFacebookもGoogleも見たことがないのだ。だいたい、毎回メンローパークにある本社周りの極めて小さい範囲で出張が終わってしまう。下手するとスタンフォードに足を伸ばす時間もないぐらいだ。

そんな感じで予定が詰まっていたので、今回唯一行けたのは、メンローパークのダウンタウン(と呼んでいいものか悩ましいが・・・)にあるTrader Joe's。行けたと行っても、ホテルからは10分もしない距離にあるので、ちょっと買い物にきたという感じである。
Img2167 日本ではなぜかトレジョのトートバックが人気というと、毎回本社の人間がばかウケするのだが、確かに実際に足を運んでみると何がそんなにいいのかよくわからないというのが正直なところ。確かに食べ物は近くにあるSafewayと比較すると新鮮だな〜という感じがするけど、トートバックがブランド化するほどのものだろうか・・。旅人的にはSafewayのほうがデリや食事がある分便利という気がするのだが・・。
そういえばSafewayには、Amazonのロッカーが置いてあった。楽天のロッカーが日本にあるようなものなんだろうけど、なんというかネット小売の受け取りロッカーがリアル店舗にあるというのはちょっと不思議な気もする。

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シリコンバレーというと基本的に常に晴れで、雨が足りないために水圧が足りない・・・みたいな話をホテルの人とすることが多いのだけど、今回はずっとグズグズとした天気で、最終日は大雨になってしまった。飛行機に登場してから、大雨のために滑走路が閉鎖になったという情報が流れてきて、結局1時間半ほど離陸が遅れてしまった。最初のアナウンスで1時間ぐらい遅れる・・・とあったので、"そうか、3時間ぐらいは遅れるのかな・・・”と頭の中で計算したのだが、ほぼアナウンス通りに動いてくれた。この辺りはまだまだ頭が中国で止まっているという感じがする。

2019年3月 4日 (月)

CEIBSが提供する1+1 lecture Tokyoに行って来た

少し前になってしまうが、2月の上旬は母校であるCEIBSが日本で課外講義+ネットワーキングパーティーを行うということで、久しぶりに卒業生(Alumni)として参加をしてきた。Global MBA rankingの上位にそれなりに安定的に入るようになって来たCEIBSだが、依然として日本人の入学生は少なく、プロモーションのためにこういったイベントを初めて数年(今回が5回目とのことであった)。数年間はほとんど結果が出なかったものの、2018年度入学生は5名と過去最高の日本人学生数となったとのことで、さらなる学生増を狙っているようである。

今回のイベントはCEIBSの教授が東京で現在ホットなトピックのレクチャーを行うということで、テーマは「米中貿易戦争と日本への影響(US-China Trade Conflicts and the Impact on Japan)」。授業を行うのは、我々の時代には全員必修だったマクロ経済を教えているXu Bin先生である。
マクロ経済はおそらく日本の大学の学部レベルにも満たない授業内容ではあったと思うのだが、授業は今回来日したXu BinとBalaという屈指の人気教授の二人でわけあって授業が行われていた。


ものすごく情熱的な授業を提供し、またフィランソロピーにも積極的に参加するということで学生の間でも人気の高かったBalaと比べると、当時のXu Binはより学者肌という感じでいかにも大学の先生という感じだったのでそれほど印象には残るタイプの教授ではなかった(ただし中国人の先生にしては、恐ろしく親しみやすかったらしく、中国人の間で人気は高かった)。
また、英語のアクセントが微妙にわかりづらいため、一生懸命話してくれてもよく内容がわからないということが時々あり、個人的には授業中にどうしてもわからなかった内容を偏微分方程式を使って議論をしたことを覚えている(それにより、同級生からはMath Masterというあだ名をいただいたのも懐かしい思い出である)。

今回は、そのXu Bin先生が提供する1時間半のプロラグムがメインコンテンツだったわけだが、久しぶりに話を聞いて、いい意味で驚きがあった・・・というか、Xu Binこんなに授業うまかったっけ?という感じで、聞き入ってしまった。CEIBSは世界TOPクラスのビジネススクールになるという目標を明確にしているだけあって、結構指導側の入れ替えも激しいのだが、さすがに長年生き残っているだけのことはあると感心した。というか、気がついたらAssociate Deanにもなっているし、偉くなったんだなぁ。

先生の話の中で面白かった内容を箇条書きするとこんな感じ。もともとCEIBSは中国にありながらもかなり「気を使わずに発言をする指導陣」が多かったのだが、今回は日本にいるということで、さらに積極的に自分が思っていることを話してくれたのではないかという気がする。
  • 政治的な意思決定は常に国民の動向を意識して行う必要がある。これは米国側のリーダーであるトランプだけではなく、中国側の習近平も同じである。共産党による一党独裁であっても、なんでも自分の思い通りにできるわけではない。
  • 現在の米中貿易紛争は、イデオロギーの戦いではなく、形の違う資本主義同士の戦い。なので、米国にとっては冷戦とは異なる側面がある一方で、かつての日本との戦いから学んでいる点がある。
  • 中国の資本主義は米国の資本主義と異なるというのは事実。一方で、中国経済が成長しているのは「共産党による管理・指導」があったからという認識は間違い。政府による介入や管理がなければ、中国経済の発展はもっと加速するはず。
  • 今後10年以内に、中国のGDPは米国を抜くと予想するが、それが真の意味での経済的な優位性や国の優位性を意味するわけではない。例えば、米国のパスポートとと中国のパスポートを比較した時に、どちらを取得したがる人が多いかで、国の優位度が計られたりもする。
  • 中国は中成長の罠から抜けられるかまだわからない

に気になったのは、ここ数年International Student(中国籍以外の学生数)の数が一貫して低下していること。データ上では自分がいた2011年入学組がピークでその時はだいたい45%が外国籍だったのだが(台湾籍、香港籍含む)、今はそれが30%程度に低下していた。DiversityはMBA rankingの評価要素の一つで、CEIBSも積極的に外国籍の学生を採用しようとしていたが、最近は少し戦略が変わったのかもしれない。
学費も上がって来たことでCEIBSのコスト上のメリットが薄くなったということもあるだろうし、中国が成熟して来て、外国人を「中国国内で採用する必要」がなくなって来たということかもしれない。いずれにしても、現在スクールにいったらかなり雰囲気が違っているんだろなぁ・・・。

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