August 2019
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2019年8月19日 (月)

不幸な監視国家・日本、とならないために(書評: 幸福な監視国家・中国)

「こういう本は今の日本では売れないだろうなぁ・・」と「こういう本が出版される間はまだ大丈夫かなぁ・・・」というのが、本書を読み進める時に感じた最初の感想だった。


世の中に数多ある中国すげー本でもなければ、中国はもうすぐ破滅する的な本とも違う、中国で現在進行形の事象と、その現象を進めることが可能になる(ルールや主体ではない)原理を読み解こうという本書は決して多くのターゲットに刺さるものではないだろう。著者の一人である高口さんが担当されている部分では中国の最新事例を楽しむ読む人間はそれなりにいるだろうが、そういった人たちが梶谷先生の部分を噛み締めて読むというのは、あまり想像が出来ない。
難しいし、目の前のビジネスにはあまり関係がないからだ。

Photo_20190819150301

 

しかしながら、中国の為政者・・・というか、法的な対応を検討したり、政策を立案したりする国家と党のエリート層は、必ずこういった思想的な議論を行なっているであろうと、僕は確信している。権力という意味においてエリートである彼らは、同時に知的なエリートであり、どのようにして中国という国家を舵取りすべきかということに対して、常に高度な論理性と世界中の過去から学んだエッセンスを適用しているはずなのだ。こんな難しいこと考えているわけないよ・・・ともし感じるのであれば、あるいは日本の政治を見てそう思うのであれば、それは自らの劣った基準で物事を理解しようとしているからだ。

 

 

 

 

日本の未来を想像する(悲観編)

 

本書を読了した多くの人が、自分がそうだったように、おそらく「では日本はどうなるだろうか?」という疑問を持つはずだ。著者も本文中に書いているように、遅かれ早かれ、あるいは程度の差こそあれ現在の中国が爆走しているこの道を行くことにはなるだろう。ただしその結果として本文中にあるように、テクノロジーが社会をより良い方向に向かわせると感じる人間が多いかというと、そんなことはないと思う。むしろ、不幸な監視国家・日本となってしまうのではないだろうか・・・という懸念の方がはるかに大きい。

 

中国に5年半ほど住んでいた経験を持つ自分から見ると、日本国内における「公共における紛争」あるいは「私的な紛争」の解決というのは、はっきり言って日本も中国もそう変わらない(※1)。むしろ、声だかに文句を言い合う中で周りの人間が積極的に関与したり、陳情やネットでの戦いによって状況を劇的に変える可能性がある中国の方が、本書で言う所の「天理」を実現しやすい部分がある、と感じることすらある。

 

 

日本は中国のようにある特定の団体が独裁的に統治を行う国ではなく、警察や公共団体の対応も法に則ったものとなっているはずである。確かに、現在の日本においては少なくとも法執行機関が意味不明の暴力を振るうことはないし、右派左派問わずに政治家た公的地位にあるものを批判してもそれ自体で罪に問われることはない。
一方で2019年に話題となったような「上級国民」という感覚、言い換えれば、一部の政治的権力や警察権力などに繋がることができると思われる人間には「ルールが平等に施行されていない」と感じてる人も確実に増えている。そして残念ながら、多かれ少なかれ、そういうことはあるのだろうと感じる自分もいる。
こういった感覚が一定以上になった時、おそらくなんらかの形で「人間よりも公平であるアルゴリズム」の社会実装を求める機運というのは間違いなく大きくなるはずだ(※2)

 

では、こういったアルゴリズムは、本書で言うところの「功利主義」に冷徹に則って稼働するだろうか? 残念ながらそんなことはない。
中国の場合、こういったルールから見逃される現代の特権階級(士大夫)は極端に言えば「権力を握ったごく少ない層に連なる」人間であり、共産党に所属していようが、軍に所属していようが、やられる時はやられるのである。これはここ数年の中国で起こった通りである。

 

一方で、日本はどうかというと、我々は中国で見られる人間関係の結びつきよりも、よりゆるい「ムラ」の感覚のほうが公的な関係として残っている。2019年の現代ですら、このムラの理論により法律の運用が合理的に行われていないように見える日本で、もしアルゴリズムがあるムラにより運営されることになれば、それはよりブラックボックス化してしまう。

恐ろしいのは、こう書いている自分ですら、何かしらの縁 == ムラの一部であり、全ての日本人は強弱の別はあれ、ムラにいなければ生きていけないということなのだ。つまり、我々は誰が運営主体となっても「ムラのための例外」をアルゴリズミに加えたいというプレッシャーから逃れるのが非常に難しい状況にある。一方で民主主義国家である日本では、ある時期における支配的なムラが未来永劫の支配圏を持つということを意味しない。

 

 

ブラックボックス化され、運用主体の恣意性が入ってしまったアルゴリズムはある特定の層や思想をもつグループを合理的かつ速やかに排除することが可能になる。一方で、運営側はその権力を持ちつつも、オセロの終盤のように盤面がパタパタと変わっていくことを常に恐れなければならない。誰もが不幸になる監視国家、これが自分が持つ極めて悲観的な未来予測だ。

 

 

 

技術が自分たちを支える未来を想像する(希望編)

 

 

上記のような悲観的な未来を避ける一つの方法として自分が考えるのが、純粋な私的紛争や公共空間における私的紛争、あるいは地域的に限定された公的空間での紛争に対して積極的に先端技術を活用して問題を解決していくという方法である。

なぜならそういった技術の活用が、本書と指摘されている中国の課題であり、同時に僕が日本も同様の事態に陥っていると感じる「私的利益の基盤の上に公共性を構築する」ための手法になると考えているからだ。また、民間や限定された空間での積極的な利用が進められれば、国全体でガサッと網をかぶせるようなシステムを構築する必要性がなくなるのではないか・・・という期待感もある。

 

上記の一例をあげてみよう。

例えば、純粋な私的紛争でパッと思いついたのは「マンションにおけるゴミ捨て問題」である。マンションに住んでいる人であれば、誰もがルールを守らないゴミ捨てに悩まされた経験があるだろう。これは、マンションという純粋に私的な空間であるが、一方でマンション内の空間というある種の公共の問題でもある。

これまでのこういった問題の対応というのは、誰がやったかわからないので我慢する、あるいはわかったとしても証拠がない/議論が出来ないなどの理由で対応が出来ない、となってしまう例が多いはずだ。しかし、例えば監視カメラ・・というと感じが悪いので、動画認証と顔認証をマンションに組みわさればどうだろうか。

ゴミ捨て場に入るときには顔認証が必要である、とか廊下に動画認証でゴミを持っている人が出たら録画をする・・・といった対応をすれば、抑止力になりうるし、管理上の規約に違反項目を追加した場合の実効性を担保することにもなるだろう。

純粋に私的な空間である以上、プライバシーの問題も相互認証と理解により対応が可能なはずだ(もちろん、導入段階での揉め事は覚悟しなければならないだろうが・・・)。

 

また、公共空間における私的紛争、の例では「公園の騒音問題」というものが例としてうかんだ。
現代の公園では「騒音であると自治体に文句が入ると、揉め事を避けたい自治体が禁止事項を増やしてしまう」ということがよくある。本来は公共空間における衝突する利益を調整するための公共性が、一方的な方向性に触れてしまうという例だ。
これなども、ルールさえ明確に定義できれば、騒音レベルの計測とそれを超えた場合に自動で対応するというアルゴリズムを組んでしまえばよい。もちろんルールそのものに文句をいう人間はいるだろうが、そのルールの策定ことこそが、まさに人間がやるべき仕事になるのだ。

 

ここで重要なのは、あくまで技術はその事象を正確に捉える閾値を跨いだかどうかを判断するために利用するのであって、その事象をどのように処理するかというルールは人間が決めるということだ。そして、そのルールは一部はアルゴリズムにより処理され、一部は人間により処理が行われる、判断ではなく。

上記のような考え方を全員が賛成するというのは、なかなかに想像がし難い。しかし、日進月歩で進む技術を社会に取り込む際には、全否定/全肯定の間こそが最も安定的であるであろうと信じている。そして、国家の介入を防ぐという立場の人間こそが、むしろ私的な対応を積極的に行うことで、介入の必要性を不断に取り除く必要があると、僕は思うのだ。

 

 

※1・・・ここでは、問題が起こる割合の話をしているのではなく、問題が発生した時にどのように紛争が解決されるのか・・ということに注目している。
※2・・・AI等の最新技術の活用を進めることを本業とする立場としては、例えば地方自治体における事務とか、スピード違反の取り締まりとかそういったものは全部自動化してしまっても全然問題ないし、むしろその方が質が上がるであろうとは現在ですら思っている。

2019年8月 6日 (火)

最近読んだ本のこと(2019年8月前半)

8月は出張もあまりなく、お客さんもお盆前ということでやや動きが止まっており、引き続き読書が進んだのであった。



● イノベーションの研究 生産性向上の本質とは何か51tx1czqgkl_sx350_bo1204203200_
もともとはヤフーのCSO (Chief strategy officer)で名著「イシューからはじめよ」の著者である安宅さんが発表された"シン・ニホン"をもう一度しっかり読みたいと思い購入した本。タイトルからはイノベーションに関する網羅的な研究とビジネスに関する示唆があるかと期待していたが、実際には論文集という感じで、かなりがっかりした。一つ一つの論考は意味があるものの、全体で一冊の本としてみると、議論の対象が重複していたり同じ対象を微妙に違う観点から議論していたりするために、書籍としての統一性がなくなってしまっている。
また個々の内容についても、前半はいわゆる「生産性」をマクロの視点から議論するものが多く、残念ながらビジネスパーソン向きとは言えない。また、スタンスとしては分析がメインとなってるため、処方箋となるような打ち手にワクワクするという読み方も出来ない(※1)。全体としては、自分はターゲットとは違ったな〜のが実感。安宅さんの論考については、そのうち大学での研究内容とあわせて出版されるタイミングがあるだろうと思うので、それを気長に待っていようと思う。



● イノベーターのジレンマの経済学的解明51vd3ipjozl_sx338_bo1204203200_
経営学の概念としては最も世に広く知られたものの一つであると思われる「イノベーター(イノベーション)のジレンマ」と「破壊的技術(disruptive technology)」を底本として、そのような事実があるとしたら、何がそれを引き起こすのかということを可能な限り「定量的に」かつ「因果関係を持つ」構造として記述しようとする取り組みをまとめた一冊。ちなみにビジネススクールで学ぶとこの「破壊的技術」という概念をかなり正確に学ぶので、世の中に溢れている「破壊的技術」に対して苦々しく思っているMBAホルダーは結構多いはずだとひそかに思っている。
本書で上記の目的を達成するために、一般の読者にもわかりやすいように「共食い」「抜け駆け」「能力格差」の3つの観点から既存企業と新興企業に対する検討を行なった上で、最終的に"既存企業のほうがイノベーションを達成する能力は高いが、既存の製品/商品と新しい製品/商品のかぶりが多いため、イノベーションへの取り組みが遅れてしまう」という結論を出している。本書のキーとなる3つのコンセプトをもう少し詳しく記述すると下記のようになる。
 
  • 共食い:自社の製品間で需要が重なっているため、新規製品/サービスを出すと既存事業に影響が出てしまう
  • 抜け駆け:新規製品/サービスを出すことで、どのくらいのビジネス上のベネフィットがあるかを考慮した上で、インセンティブがあった場合には最初に行動を起こす意味がある状態
  • 能力格差:イノベーションを起こす能力

裏側では膨大な理論的検証とシミュレーションを行なったであろうことが行間からも読み取れるのだが、難しい計算式は一切なく、誰でも読み進めることができるように工夫がされている。個人的にはもう少し専門的な内容を含んで欲しいと思ったのだが、それはまず巻末の参考文献に目を通しなさいということだと理解した。



● 教養としての世界史の学び方51bmqbppyl_sx344_bo1204203200_
著作は一通り追っている梶谷壊先生も執筆者の一人ということで購入したのが本書。タイトルは売れ線を狙ったかのようなカジュアルさなのだが内容はかなりハードで、大学学部1〜2年生向けの「●●概論」の教科書のようだった。理系で大学院卒業の自分にとっては「史学という学問自体のコンセプト」がかなり新鮮で知的好奇心を満たしてくれる内容ではあったが、やはり最初の部分はかなり重いというか咀嚼する時間が必要だったのは否めない。また、本書で紹介されている内容は最新の学術的議論よりも少し遅れているであろうとは想像がつくものの、とはいえある程度人文学的な知識がないとさっぱり意味不明・・・という可能性もあり、もう少し間口が広い本にしてもよかったのではないだろうか。せっかく良いトピックを取り上げているのに、軽い気持ちで買って挫折した人が多いのではないかと心配になってしまった。

 



● High Output Management 41gxcbbwl
インテルの元会長であるアンディ・グローブの名著の再版したもの。絶版になっていた前の版は学生時代に読んだことがあったのだが、手元に置いておきたくであらためて購入。昔は気づかなかったのだが、社会人としてそれなりに時間を過ごした後だと、全編に渡って役に立つ情報が埋め込まれていることに気がつく。最初から最後まで、マネージャーとして組織の中で価値を産むためにどうすればよいか、に焦点を当てて書かれている。特に前半部分は今の経営書では間違いなく省かれるような現場管理の方法論が書いてあって、こういった実務的な情報が必要なんだよね・・・と思う一方で、この時代には経営者がこのレベルの話を書く価値があったのかと考えると、経営に関する知識というのもここ30年ぐらいでかなり一般化かつ深化したのだなぁと感じる。
 
引退した経営者の自慢本とは全く違う、生きた知識が詰まった経営本のAll time bestの一つであると個人的には思っている。いわゆる「戦略論好き」な人には向かないが、現場で日々の経営に悩んでいる人にはぴったりの本。
※1・・・マクロレベルの話なので、そもそもあっと驚くような打ち手が出て来たらそちらのほうが驚きではある。

2019年8月 1日 (木)

最近読んだ本のこと(2019年7月後半)

出勤で汗だくになってしまい、半分夏休みに足を突っ込んだようなこの時期は、引き続き読書が進むのだった。


● 現代中国経営者列伝31frq24ju4l_sx309_bo1204203200_
現実には一回しかお会いしたことがないのだが、ネット上では時々やり取りをしているライターの高口さんの第1作。高口さんは、もともとは中国関連の時事ネタや政治ネタを解説するKINBRICKS NOW(通称:金鰤)というサイトを運営されていたのだが、あっという間に商業メディアでも中国向けの専門家としての地位を確立された。前回取り上げた安田さんが、足でネタを拾っていくタイプの"ライター"とすると、高口さんは様々なニュースソースを読み込んで解説を行いつつも現地取材を行うという"ジャーナリスト"という呼び方がぴったりの方である。
本書ではそんな高口さんが現代中国の著名経営者8人を取り上げて、その波乱万丈の人生を解説している(人生・・といったが、全員存命中である)。今ではすっかりGDPでは日本を抜き去ってしまった中国ではあるが、改革開放からまだ30年ちょっとしかたっておらず、それぞれの経営者の人生というのはそのまま中国の改革開放からの経済発展史に重なっている。また、おそらく高口さんが8人を選択するには当然考慮したと思われるのだが、その8人の人生を一冊の書籍の中で重ね合わせて読むことで、中国経済の移り変わりについても理解できるようになっている。中国でMBAを取得した自分からすると、個々の企業の経営戦略に関する解説は甘いところが多かったという印象をもっているが、本書の目的はおそらくそこではないし、むしろ自分のような経歴のほうが少数派であろうから、あまり問題ではないと感じている。
もともとは発売時に一回通読していたのだが、昨今の華為を巡る米中貿易戦争をきっかけに再読してみたところ、「華為はいずれより大きな国家間の争いに巻き込まれるかもしれない」と書かれており、2年前からシナリオの一つとして現状を予想していた高口さんの慧眼を改めて実感した。


● 男も女もみんなフェミニストでなきゃ41rqpeunbdl
ネットに人格の半分を置いてきたような人間にとっては、深入りを避けないといけないようなネタというのはいくつかあり、フェミニスト関係のネタもその一つである。とにかくどういう立場をとったとしても、何か意見をいうと、あっという間に狙撃されるようなイメージがある。・・・というようなことを、大学でフェミニズムを研究対象とし、自身もフェミニストであると自認している妻に話したところ、紹介されたのが本書。元々はTEDのスピーチをまとめたものなので、コンパクトに読むことができるし、難しい知識はなくとも著者が主張することがすっと入ってくる。
著書はナイジェリア生まれで奨学金を得て米国でライティングの修士号を取得したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。小説家として注目を浴びた後に、TEDで本書のものとなるスピーチをして世界的なオピニオン・リーダーとして取り上げられた方である。本書を開いてすぐに気づくのは、実に著者の語り口(そして翻訳)がしなやかな強さに溢れているということ。主張の際にはユーモアを忘れず、伝えるべきことを正確に記載している一方で決して攻撃的ではない。こういった語り口であれば、みなもっと落ち着いてフェミニズムについて考えることができるのに、と思わせるに十分だ。
 
そして、主張も極めてシンプルかつ効果的だ。我々人間はその生物学的な性に関係なく、社会が持っているなんらかの期待値や慣習(あるいは常識と呼ばれるようなもの)によって「あるべきイメージに縛られており」、そこからより自由になることで幸せになることが出来る。これが著者が述べていることだ。この主張からもわかる通り、彼女にとってフェミニズムというのは「女性の権利の拡充」だけではない。男性も同様に「男らしさ」(自分に言わせればマッチョイズムが際たるものだろう)に縛られており、そこで何かしらの不自由があるはずなのだ。個々人が自分らしくあることが出来る、これを実現するだけでもいかに難しいことなのかということをあらためて考えさせられる一冊。
 
 
● ケーキの切れない非行少年たち41pol4pwyql
これも妻に紹介されて手に取った一冊。
本書では、非行をしてしまうような少年/少女のかなりの割合がなんらかの認知能力の障害(本書では代表的な指標としてIQを利用しており、その値が低いという表現をとっている)を持っており、学校生活や現在の少年院での矯正プログラムでは対応ができないということが大きなテーマとして取り上げられており、あわせて著者が考える解決方法も提案されている。若い頃に心理学やら「知能」についての研究やら、「健全な精神とは何か」といった一度は通りそうな悩みを解決するために色々な本を読んだ自分にとっては、この内容はよく知っている内容だったのだが、あらためて自分が親になってみると全く違った観点から本書の内容を見ることになった。
自分が親として感じたことは、おそらく著者が言いたかったこととは全く違うだろうと確信しているのだが、「どんなに頑張っても一定確率でトラブルに巻き込まれる可能性がある」という怖さだった。例えば公立の学校に子供が進学したとすると、こういった「認知能力に障害を持つ」子供は確率的には同じ教室にいることが高いだろう。もちろんその子供が全て非行をするわけではない。あるいはもう少し広げれば、街を歩いていてすれ違う人の中に本書でいうところの「認知能力に障害を持つ」人がいることは避けられない。そしてその中に、なんらかの原因により非行や犯罪に至ってしまう可能性がある人も含まれているわけだ。こういった事実は、「不幸は努力では避け切れない」という当たり前の、だが受け入れられない現実を突きつける。
もう一つ本書を読んでいて暗澹とした気持ちになったのは、非行少年の多くがいじめの被害者であったということだ。はっきり言って、現在の日本においていじめに合うか合わないかというのは、かなりの部分で運によっている。そして、一度ターゲットになってしまい心の傷を負ってしまうと生涯に渡って影響を受けてしまうのだ。本書ではテーマではないため、いじめについてはあまりページは割かれていないのだが、本書を読む限りにおいては「いじめを減らせば、非行を減らすことは出来る」というのが一つの仮説として浮かび上がってくる。一人の親としては、自分の子供を守ることと同じくらい、周囲の環境を整えることが重要であるということだと感じている。

2019年7月19日 (金)

最近読んだ本のこと(2019年6月・7月)

子供が大きくなってきて少しずつ時間をとれるようになり、いっときよりも本を読む時間をとれるようになった。子供が寝た後で完全に家で一人になった時間(主に深夜)は映画やビデオを見たり、ゲームをしていることが多いので、本を読むのはもっぱら「子供と起きていて一緒の部屋にいるけど、積極的な一人活動はできない」という時である。

 

 

● 性と欲望の中国51triwpwypl_sx309_bo1204203200_

現代中国に関連するルポを積極的に発表している迷路人こと安田さんの最新作。「八九六四」で城山賞と大宅賞を受賞した後の第1作。タイトルはかなりあれだが、「国家と個人が同一の地平に並べられ、遠近感と立体感をもった世界観を描き出す」といった安田さんの作品の特徴は変わらず保たれている。言い換えると、安田さんの視点では常に人が中心におり、国家、特に中国という無機質な存在と思われるものでも、そこに人がいるという意識が常に持たれている(それが最も強く出たのが八九六四だったと感じている)。一方で、もともとは中国掲示板の面白ネタ翻訳からキャリアをスタートされているので、本作のようなアングラネタはなんとなくではあるが、生き生きされているようにも感じる。

自分が中国にいたのは2007年~2013年なので、本書で取り上げている「欲望が爆発した期間」にちょうど重なる。確かにあの頃は、上海でもかなりおおっぴらに風俗店が営業していたし、日本からの視察もひどいのになると、「昼の予定はこれから考えるが、先に夜の予定を抑えたい」という要求がきたりしていた。また、本書にも取り上げられているようにいわゆる高級風俗店後ろ盾となるような存在がいるのも事実で、中国に長く住んでいる方やお金を持っている方に、そういう人を紹介された経験がある日本人も多いだろう。





● 【中東大混迷を解く】シーア派とスンニ派41zgkxsypxl_sx339_bo1204203200_

購入したのはかなり前だったのだが、内容の難しさ(正確には難しく見えていただけなのだが・・・)により、長い間積ん読になっていた一冊。しかし、読み始めるとわかりやすくかつ面白い内容ですぐに読み終えてしまった。この一冊で何かをわかったふりなどとても出来ないが、勉強のきっかけにはなる一冊だ。

自分の理解が正しければ本書で書かれているメッセージというのは一貫していて、中東の争いは宗派対立(あるいは宗教対立)ではなく、宗派という団体間の争いであるということだ。言い換えれば教義そのものが問題の中心にあるわけではなく、それぞれの教義を掲げる団体同士の政治的、あるいは経済的な主導権争いが根幹にあるということだ。
歴史を見れば、宗教的な権力者であろうと政治的な権力者であろうと、彼らは常に実利(経済力/政治力)を求めて行動をしているわけで、その実現のためにメッセージや横のつながりというものを作り出そうとする。なので、今日における状況も基本的な構造は変わらないというのは、極めて理にかなった説明であると感じた。

ただ一方で、本書でも国レベルの意思決定において「信じている教義の違い」が要因の一つとなっていると読み取れるような記述もあり、人間の基本的な認識の枠組において宗派/宗教の違いそのものが影響しているという可能性も検討されるべきであろうとも感じた。おそらく、実際の研究活動においてはそういった要素も考慮されているのではあろうが、ページ数の制約もある中で、まずはマクロの構造を理解することに主眼をおいたのだろうと想像している。


● 台湾とは何か

自分は主に上海に5年半住んでいたが、とても「中国について語る」ことなどできない。これは何も自分に限ったことではなく、およそあの広大な国の経済、政治、文化、その他もろもろをひとまとめにして語ることが出来る博識かつ勤勉な人間はおよそ存在しないのだ。ゆえに、よくメディアに出て来る「中国通」という肩書きをつけて仕事をしている人をみるたびに、自分の中では7割減で内容を評価するようにしている。41n6oqit6l_sx304_bo1204203200_  

更に言えば、およそ現代においてある国について語ることが出来る人間などというのは、極めて限られているといえる。大きさにすれば数十分の1、人口もおよそ10分の1である日本についてだって、どれだけの日本人が「日本について語る」ことが出来るだろうか? せいぜい自分の経験と興味をもった分野のみが語れる程度だろう。
ここ数年、女性誌などにも繰り返し取り上げられたり、つい最近ではタピオカがいきなりブームになった台湾についても同じことが言える。あのけっして大きいとはいえない島を取り巻く複雑な環境とダイナミックな経済の動き、そして総統選のたびに大きく流れが変わる政治について的確な解説を行うことが出来る人間はほとんどいない。

本書の著者である野嶋剛さんは、その「数少ない」人間の極めて有力な候補の一人である。大陸側にも留学経験があり、また実際には台湾にも駐在をしていて野嶋さんは、その豊富な知識と現場の経験、そして冷静な目でマクロからミクロまで台湾について語ることが出来るジャーナリストだ。おそらく心情的には民進党に共感を持っていることは筆致から感じられるが、それも極端にならないような自己抑制が効いている。トレンドの一つ以上の存在として台湾を知りたいと思う方には、最良の入門書だ。

2014年4月27日 (日)

[書評] 中国を学ぶためにこんな本を読んでみた2 -現指導者層の選出前後を振りかえる-

2014年現在では中国の話と言えば、習近平体人制の対日強硬姿勢だったり、環境問題の話題だったり、あるいはようやく大物が対象とされてきた(一応は)腐敗対策だったりするわけだが、現指導体制が出来る前、2010年や2011年の最大の関心事というのはそもそも「胡錦濤以降の体制はどうなるか」だった。ちょうど僕はそのころは上海にいて、MBA受験の勉強をしていたり、最終的には合格をして学生への準備を始めていたころだったのだが、それこそそういった話題は「他人事ではなく」最大の興味関心だった。

日本では盛り上がるようになったのは随分後だったが、薄熙来の話題は中国に興味がある人の間では長い間のトピックであったし、それこそ一発逆転で李克強が国家主席になるのでは・・と言われている時期もあった。
日本に帰ってきて、中国の生の声はだいぶきけなくなってしまったのだが、あらためてあの頃のことは日本ではどのように語られていたのだろうかということが気になって、最近立て続けに3冊ほど当時の話題を読んでみたのであった。


● チャイナ・ナイン41v5pnkuurl

この本は、中国生まれで日本育ち、成人してからは中国の公的機関の顧問も経験したと いう立場から現代中国について発言をしている遠藤誉さんが書かれた本で、タイトルは中国の最高指導者層である中央政治局常務委員が9人で構成されているところからきている。

この本では当時の関心事だった、家主席が誰になるか(結局は習近平になった)や、結局のところ政治的には完全に終わることになる薄熙来は常務委員になれるのか、といった人事に関することから、そもそも9人が選ばれるのか、それとも7人なのか、といったように多くのトピックが含まれている。

この本はその結果(18大)がわかる前に、現指導者層を予測するということで書かれた一冊で、著者は独自のネットワークも使って指導者層をめぐる権力闘争の内幕の「絵解き」を行っていく。中国にそこそこ長くいた人間としては、こうやって「中の人とつながりがあります」的なこと堂々という人は、あまり信頼が置けない・・・というのがあるのだけれど、そこはある程度割り引いて読むほうも考えるしかない(深淵をのぞいている時には、向こうも覗き返しているという文を思い出す)。


2014年の今となっては結果がわかってしまっていて、当たり外れを語るというのは後だしじゃんけんになってしまって意味がないが、そもそも中国の権力構造がどのようになっていて、意思決定というか「彼らの内側の世界観」がどのようになっているのかを理解するにはうってつけの本だと思う。
このあたりまでは遠藤さんの書く文もも楽しく読むことが出来たのだが・・・、。

● チャイナ・ジャッジ

話の流れ的には前作「チャイナ9」からの続きで、結果として第五世代
では指導層に入れなかったどころか、政治的には51trhekpzl完全に終わることとなってしまった薄熙来に関する多くの謎について語る本。

・・・というと、冷静なノンフィクションかと思いきや、内容的には著者の想像が大半を占めている。これまでは中国生まれで日本育ち、成人してからは中国の公的機関の顧問も経験したという立場からの光るコメントが多かったのに、ちょっとどうしてしまったの・・・というのが正直な感想である。

著者自身も書いている通り、自分の幼少期の体験と関係してくるような内容だっただけに冷静に語ることが出来なくなってしまったのだろうか。事件直後になるべく早く出そうというのもあっただろうと想像するけど、完成度は類書に比べるとかなり低い。前作はなかなかよかっただけに残念。。

 


5117ltmvd0l

● 紅の党

こちらは朝日新聞が2012年に三回に分けて特集された中国の新体制(習近平体制)の立ち上げに対する取材結果を一冊にまとめた本。中国ネタに興味がある方であれ既知の情報が多く、とりたてて新しいネタはない(とはいってもこの取材が行われたのは2012年で、僕が読んだのは2014年であるからこういった評価はフェアではないかもしれない)

この本が書かれたきっかけになるであろう薄熙来は日本ではそれほど報道は

 

されていなったかもしれないが、中国では2010年ぐらいからかなり注目をされていたので、正直なところ中国総局といっても現地で報道されている情報とあまり変わらないな・・というのが率直な感想。

現指導者体制がどのようにして出来あがったか・・・ということをコンパクトに把握するには向いていると思う一冊。


中国の現指導者層の話題が大きく取り上げられた理由の一つに、指導者層入りを狙って派手な動きをしていた薄熙来の失脚と、それに関連する多くの謎があったのは間違いない。実際のところ、僕個人も彼の動きを見ていて「今後、指導層に入ったら、外国人にとって住みづらい国になるんじゃないのかな・・・」と思っていたぐらいなので、直前の失脚と言うのには、こうやって安全装置が働いたのだろうか・・という気持ちをもったぐらいだった。

一方で、薄熙来について公式に発表されたことというのはほとんどなくて、党員としての資格を失ったこと、裁判が行われていること、妻の谷開来は罪が確定していることぐらいである。現在も進んでいる腐敗対策の大物対象である周永康に関連があつだろうといわれているように現在進行形の話題でもあるのだが、基本的には彼の話と言うのは「終わったこと」のようにも見える。もちろん、彼という存在が明らかにした中国の現状課題というのは何も変わっていないようなのだけれども。


あれだけ騒がしい時期を過ごしても、あっという間に歴史の1ページのような扱いになってしまう時間の早さを、この3冊を読み直して改めて感じたのだった。

2014年1月 9日 (木)

[書評] 中国を学ぶためにこんな本を読んでみた1 -中国共産党の経済政策 & マオ・キッズ-

中国にいたのに中国のことはあまり知らない・・という人は結構多いと思う。ここでいう知らないというのは、もちろん自分の周りについてではなくて、中国の歴史・経済・制度・文化といったいわば「教科書で学ぶことが出来る知識」を知らないという意味だ。

こう書くと「やっぱり中国にいるぐらいだから、中国に興味があったんじゃないですか?」という質問をされることが多い。確かに音楽が好き・・とか、中国はビジネスの場として昔から注目していた・・・という人もそれなりにいるのだが、実際には駐在で向こうに行ったりする人の多くは「なんとなく中国に来てしまった」という人が多い※1。実際に赴任するまで知っているのは三国志だけでした、という人も中にはいるくらいだ(というか、自分が実際にそれに近かった)。


僕自身もそういう人間だったので、帰ってきてからは真面目に中国を勉強しようと心に誓って帰ってきたのだが、なんだか色々あってちっとも実際に勧めることが出来なかった。とはいえ帰国二年目にして、このごろようやくその時間をとれるようになってきたのも事実なので、数カ月前に一念発起して読んだ本をWEB上のサービスであるブクログで管理を始めた(ここが僕の本棚)。
すでに歴史については第一回を先日書いたのだが、これからは出来る限り中国に関しても同じように書いていこう、ということで今回から自分が読んだ中国関係の本を少しずつ紹介していこうと思う。乱読だが、とりあえず中国関係であればオッケーぐらいのスタンスなので、つまらない本に関しても紹介はするのですが。


■ 中国共産党の経済政策 ■

2013年から始まった中国の習近平・李克強指導において中国経済がどのようになっ
ていくか、 31syr7dfcwl_sl500_aa300_ あるいは日 本(企業)がそのマーケットにおいてどのように戦っていくか、を論じた本。

上記のような問題意識のもとに書かれたのであろうことは容易に想像できるのだが、内容は表題からうける印象とは異なり、特に前半は中国における政治経済体制 の入門編と言う感じである。中国の政治体制がどのようになっているか、その政治体制が経済に対してどのように影響を与えているか・・という点から、いわゆ る西欧諸国との経済政策の違いを論じている。

後半は18大以前からの中国の経済問題を提示したうえで、今後の経済体制がどのようになるの かという予想も含めて論じている。後半は実際に中国に赴任経験がある著者の本領発揮というところだが、一方で中国経済にそれなりに興味をもって接している 人間からすると、ほとんどの内容が既知であるように感じる(少なくとも僕はそうだった)。著者の業務の関係上書けないこともあるとは思うし、新書という形 から専門的すぎる内容はかけないところもあるので、仕方ないとはおもうがこの点で評価がちょっと下がる。


中国経済に既に触れている人間には物足りない内容だと思うが、これからかの国について勉強したい、あるいはニュースの背景を知りたいと思う人にはお勧め(僕の評価は★3つ)。

中国は日本の近くにあるし歴史的な問題を抱えているために、どうしても見る目がPositive・Negativeのどちらかに触れてしまうことが多いのだが、客観的に見れば国としての経済レベルが第二位にある国がビジネスとして対象にならないわけがない(ようはすごく大きいマーケットだということ)。

確かに政治も経済も、国の運営制度も異なるので簡単に入るということが出来ないのは事実だけど、それでも目をそらすわけにはいかない・・ということを前提とすれば、やっぱり基本的なことを勉強するというのは重要だよね、ということでこういった本からスタートするというのは決して悪くはないと思います。


■ マオ・キッズ ■

死後30年以上たっても未だに現代中国の意思決定に影響を与える存在であり、
51luftjowl_sl500_aa300_ 現代中国建国の父(といってもいいと思う)である毛沢東。彼の建国思想は
マオイズムという形で、革命の思想的根拠として世界 中に広まっていった。

本 書はそのマオイズムが未だに生きている場所である、ネパール・フィリピン・カンボジア、そして日本を著者が実際に訪れ、話を聞くなかで感じたことをまとめ たルポルタージュである。革命思想を体現するのはいつの時代でも若者であり、マオの思想を引き継いでいるものといういみで、マオ・キッズ達の物語でもあ る。

中国に長く住んでいた自分にとっては、毛沢東というのは一つの政治的・文化的象徴(あるいはアイコン)であり、実際にいまだにマオイ ズムが現役であるというところのまず驚きを覚える。世界中にはまだまだ貧しい国があり、革命(というか反政府)の動きがある国もあれば、内戦が続いている 国もたくさんあるが、純粋な意味でマオイズムが生き残っているというのは(こういってはおかしいが)時代錯誤で非常に奇妙な感じだ。なにせ、マオイズムが 産まれた中国ですら既に共産主義も毛沢東思想は捨てられてしまっているのだから。

ただ、そういった非常に興味深い内容を取り上げているに も関わらず、著者の視点は常に外にある。もちろん現場に行って話を聞き、実際にマオイストたちがいる根拠地にもいくのだが、それでもそこでは常に淡々と話 を聞き、そこはかとないやるせなさを漂わせる文章を書くだけである。そういった姿勢は、僕にはそこにある「問題」(あるいは原因)に興味があるのではな く、ただ僕が感じる奇妙さと同根のものを見続けたい、という純粋な好奇心によるものだと感じられた(特に最終章を読んでその意を強くした)。

同じように先進国にいる自分、特に中国生活を終えて帰ってきた自分がなんとなく「逃げてきたのではないのか」と思ってしまうような自分、にはそういった好奇心が、先進国の残酷さではないかと感じられてしまい、率直にいえば好きではない。
テーマは面白いのに著者のスタンスと、掘り下げ不足が不満ということで★3つ。

マオイズムというのは不思議な思想である。思想的にどのような点が特徴的であるのか、ということを抜きにしても、最も不思議なのは毛沢東自身も恐らくマオイズム等と言うのは信じていなかったであろう・・というのが何よりも不思議な点だ。言い換えれば、共産主義とは違ってマオイズムというのは「毛を見た他人が(勝手に)解釈した」思想なのだ。

カンボジアに行った時には、その不思議な思想が引き起こした惨事(あるいは愚行)でも最大のものの一つであると思われる、クメール・ルージュのキリング・フィールドに行ってきた。その時の感想はここにも書いてあるのだが、やりきれない想い・・というか、もっとはっきり言えば人はここまで愚かしいことが出来るのか、というある種のこっけいさを感じた(もちろん悲劇なのだが、なぜそういった行動が出来るのか・・というのがシステムとしてどうしても許容不可能だった)。

そういった悲劇を引き起こしたマオイズムが未だに残っており、しかも現在でも活動を続けているというのは、未だにそういうことを引き起こすメカニズムが解決されずに残っているということに他ならない。


中国で働きそしてMBAで学ぼうと思ったことの大きな理由の一つが、こういったメカニズムを買える力がビジネスにはあると感じられたことだというのを読んでいてあらためて思い出した。本書にもあるとおり、革命というのは例えそれが成就しても、結局はおいしいところを持っていくのは「上の人間」であり、一般の生活レベルはなかなか上がらない※2
であればこそ、政治ではなくビジネスを広めることで働きかけを行うべき・・・そんな風に考えていたことをあらためて思い出した、そんな一冊。


※1・・・僕のMBAの同級生は中国文化にはあまり興味はないが、中国ビジネスは面白いとおもって10年近く中国語を勉強していた、というツワモノである。自分だったらとても根気が続かない。。。
※2・・・中国も最初の数年間を除いて、生活レベルがあがったのは改革開放が始まってからだ。

2013年12月23日 (月)

[書評] 歴史を学ぶためにこんな本を読んでみた1 "大国の興亡"

日本に帰ってきたことの一番のメリットは何か・・と言えば、もう本を大量に読むことが出来る、に限る。最後の1年半はiPadの購入とKindle Appのおかげで上海でもかなり日本語の本を読むことが出来るようになったが、それまではたまの帰国に買いこんでいくぐらいしか日本語の本に触れる機会がなかった※1
Kindleも売れ筋のラインアップは充実しているのだが、僕が読みたいような本だったり中国関係の本はあまりなかったりで、そういったいつかは読もうと思っている本と言うのはむなしくAmazonのWishListにたまっていったのだった。特に中国に行ってからは自分の本の嗜好が変わってしまったので余計読みたい本が読めない・・という状況になっていた。

ということで、日本に帰ってきてようやく読めるようになった本のうち、中国関係とか中国「との」関係を考えるための本は少しはblogで紹介していきたいと思っている。
ということで、今日はその第一回目。


決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈下巻〉Pic1


昔からいつかは読もう読もう・・と思っていて、全然機会がなくてようやく読むことが出来た。 まず何が大変ってとにかく長い・・・上下巻

あわせて参考文献を除いても700ページを越えている。前半は1500年以降から第一次世界大戦前までの歴史で、ヨーロッパが中心に取り上げられる。正直この時代の歴史を全く知らないと読んでいて話についていくこともできないし、ここでギブアップした人は結構いるのではないかと思う。

後半は「これからの予想」に割かれる分量が多く、読んでいてさらに息切れ感が募る。正直この本が大ヒットしたというのが信じられない。。。日本のことが凄まじくよく書いてあるので、とりあえず買ってみたはいいが、途中で息切れした人が多いのではないのだろうか。


この本、発売当時は日本で大ヒットしたらしいんだけど、その理由は「日本がやたら良く書かれている」から。執筆当時は日本がバブルが終わったころで、景気は一息ついたとはいえ、誰もがこれは一時の休憩と思っていた時期だからか、日本はさらに経済的に拡大していくという論調で書いてある。
しかし15年ちょっと前までは、こういった感じで日本がまだまだ伸び続けると思っていた人は多かったんだよね・・と嘆息せずにはいられない。2000年といえば僕は大学生でいわゆる「不況しか知らない世代」だったので、こんな感じで海外から見えていたのかと思うと、不思議な感じがする。

この本のテーマは、国際関係(特に外交と軍事)について著者の理論に基づいて歴史的な戦争と時代時代の覇権国家(あるいは大国)について分析を行うということにあるのだが、これが中国に関係していると思うのは、当然中国が「次の大国」だからだ※2


この本でも、著者は中国を取り上げていて、-地政学的にも人口と言う意味においても当たり前のように予想可能な話なのだが‐、執筆段階でも将来の大国候補として「中国」は取り上げられている・・・というか、ここで書かれた段階では既にある程度力を持ってきているという位置づけ。やはり見えている人には、当たり前のように見えているのだな、と今の日中間の力を見て思ったりする。

著者のポール・ケネディはいわゆる「ハードパワー」派の人で、この本の主張をざっくり一言で言ってしまえば「国力(特に軍事力)は経済力による支えが必要」ということ(こういう風にざっくり切ってしまうと筆者は間違いなく怒るだろうけど)。もちろん経済力をどのように定義するのか、という話や、経済力を支える諸要素間の相互作用をどのように評価するのか・・・ということで、歴史上で「覇権」を握った国家は違った道のりを歩む。


この本の理論によれば、経済力と軍事力というのは相関関係にあるのだけど、軍事力というのは経済力よりも「やや遅れて」ピークに達するものとしている。拡張期にある時は経済力の伸びが軍事力の伸びを上回るので問題はないが、衰退期に入ると権益を保護するために「経済力の伸び以上に」軍事力に力を注がれる・・というわけだ。

この理論をそのまま今の東アジアにあてはめるというのは出来ないのだけれど、こういった考え方の補助線を持って現状をみるというのは決して無駄にはならない。中国に関して言えば過去30年にわたって10%近くの経済成長を成し遂げてきていて、今でも日本に比べればはるかに経済成長の度合いは大きいが、それでも彼らからみたら「安定期」に入っている。一方軍事費に関して言えば、ここ数年はずっと経済成長以上の伸びを見せてきたし、今後もすぐにその流れが変わるとは思えない。


一方で日本(日本の場合は米国の影響も含むが・・・)ようやく経済が少し上向いたとはいえ、長期的には人口の問題もあり、少なくとも「パイの大きさ」に関しては大きな伸びは期待できない。そういった環境で周辺の軍事力が増大している状況では自国もそれと無関係にいるわけにもいかず、負担も少しずつ大きくなり・・ということが予想されたりもする。

本書でも著者が最後に触れている通り、結局国家にとって重要なのは「軍事」と「経済」のバランスであり、伸びている国と経済的に衰退していく国では当然その平衡点も異なる。今の政治状況は「やり方」や極めて短期的な話にフォーカスしがちだけど、人口減という見立てはもはや変わらないと前提を置くと、これからどのような国家になるべきか・・・というのはもう少しちゃんと議論をされなきゃいけないな、と。

誰でも読める本ではないけれど、既に古典となっている書だけに、国際関係に興味ある方は是非。



※1・・・その代わり中国語の新聞や雑誌を読むようにしていたので、語学面ということでは日本語の本がないほうが良かったわけだが。
※2・・・次というよりも、既にある大国・・という気もするが。

2013年10月15日 (火)

[書評]対中とか反日とかワンワードではない中国 -「壁と卵」の現代中国論

日本に帰ってきたら、いままで読むことが出来なかった本をたくさん読もうと思っていたのだが、いざ帰ってくると仕事はそれなりにあるし、友人にもあいさつしたいし(なんせ5年半ぶりの帰国だ)、新生活を安定軌道に乗せたりという中であっという間に半年がたってしまった。いいわけをすれば、結婚・転居・帰国・転職と立て続けに大イベントが発生して、休む間もなかったということ※1


5年半の中国にいる間に、中国関係の本だけでもたくさん出ているし、それ以外にも知識の方向性が変わって読みたい本はたくさん出ている。気がつけばAmazonのWishリストは1000冊を超えていて、さすがに一気に読むことはできなくなってしまったが、少しずつ消化をしているというのが現状である。

そういって読んだ中で、中国関係や話しておきたい本についてはこのblogでは書いておこうと思う。今回はそういう本の一発目として、梶谷懐さんの「「壁と卵」の現代中国論  リスク社会化する超大国とどう向き合うか」という本をとりあげたい。


 

目次:
第1章 自己実現的な制度と私たちの生活  
第2章 グローバルな正義と低賃金労働
第3章 赤い国のプレカリアート
第4章 中国とEUはどこが違うのか?――不動産バブルの政治経済学
第5章 米中の衝突は避けられないのか?――中国の台頭と人民元問題
第6章 歴史に学ぶ中国経済の論理
第7章 分裂する「民主」と「ビジネス」
第8章 これからの「人権」の話をしよう
第9章 日本人の中国観を問いなおす――戦前・戦後・現在
第10章〈中国人〉の境界――民族問題を考える
第11章 村上春樹から現代中国を考える

あとがきに代えて――リスク社会化する中国とどう向き合うか


「壁と卵」といっても、本書は村上春樹を論じるものではない。もちろんわざわざタイトルに持ってくるだけあって、著者は村上春樹のファンであると著書内に記してあるが、本書が主題とするのは現代中国におけるいくつかの一般市民とシステムに関する話題 -一つ一つでも十分に大きなテーマとなりうるが、あえて「壁と卵」=「システム」と「個人」という観点から問題点を括っている‐ である。

2011年の後半に出された本書は、ちょうど中国へのジャスミン革命の波及の懸念がひと段落された頃に出された本である※2。2年たって読んでみると、この本で取り上げられている内容と言うのは、確かにあの時の影響を感じさせるものではあるけれど、同時に現在進行形の内容でもある。なぜなら、ジャスミン革命事態は中国で大きなうねりを見せることはなかったけれど、あの時期確かに中国は緊張していたし、今もってその緊張感は変わらず中国の底で流れているようにも感じられるからだ。


この本は章ごとに別々のトピックが取り上げられているので、、全体をまとめて書評することは難しい。そこで、今回はMBAでも似たような話をとりあげた第二章について簡単に僕の考える話を書いておこうと思う。

第二章では先進国のグローバル企業が中国においてCSR活動を広げることについて、批判的な観点からと肯定的な観点、両方を紹介するという形をとっている。どちらかというと本書ではグローバル企業が行おうとしている発展途上国におけるCSR活動については批判的な視点で物事を見ているが、僕には十分にフェアな議論をしているように思えた。

グローバル企業が新興国で行うCSR活動と言うのは、簡単にいえば、例えばNikeで問題視された自動労働(チャイルドレーバー)や、この本が出版された後に繰り返し中国で目の敵とされたAppleへのサプライヤーによる環境破壊に対する対応など、いわゆる「欧米的人権・CSR」から発展途上国における経済活動を改善しようという試みである。
本書ではこういった活動が、単に欧米側の自己満足や現地ニーズにそぐわない形での援助(本書ではプランナーと呼んでいる)となる傾向にあることを指摘したうえで、現地ニーズや状況をしっかり理解したうえで活動を行うことが重要という指摘を行っている※3


こういった「発展途上国におけるグローバル企業の取り組みの偽善性」というのは僕がいいたMBA Schoolでも当然のように議論をされるのだが、個人的には少なくとも現場レベルにおいては企業に属している人間であっても、この問題に対して真摯に取り組んでいる人間もいるし、また効果のある部分もあると考えている。
例えば授業ではNokiaの例をとりあげて、実際に欧州から工場に査察に来て改善指導を行おうとする担当者と、何とか実情を隠そうとする工場側のやり取りのビデオを見たことがあった。このビデオ、最後には担当者が改善活動に疲れきってNokiaを退職するところまでを取り上げていた何ともほろ苦い気持ちにさせてくれたのだが、それでも少なくとも現場レベルでは試行錯誤をしながらも取り組みを何とか成功させようとしているという実例で、単にグローバル企業の取り組みが掛け声だけではない、ということを実感させてくれるものであった。

またAppleのサプライヤーの例に関しても、中国と言う場で議論をしていることもあり、Appleはサプライヤーをたたくだけでなく環境保全分の金額も上乗せして払うべきだという意見が驚くほど多かったのだが、一方で効果が全くないという意見はほとんどなかった※4。というのも、グローバル企業のサプライヤーの例に関して言えば、仮に形だけの対応を行っているような場合に問題視するのは「同じように欧米から来ているNGO」の場合が多いからだ。


「先進国マーケットにおけるマーケティングのために掛け声をあげるグローバル企業」と「同じく先進国の価値観で監視を行うNGO」が、発展途上国という「場」でやり取りをしているという構造である。
この構造だけを見れば、確かに中国地場の外部プレーヤーがやり取りをしているだけでしかないが、一方でそのサプライチェーンには中国企業(正確にいえば中国マーケット)も確かに組み込まれているわけで、全く影響がないということはあり得ない。


結局のところここで僕がいいたいのは、グローバル企業の活動がある意味プランナーとしての活動となって効果がないという批判もまた、企業活動の現場を十分観察していない「プランナー的な批判」になっているのではないか、ということだ。ビジネスというのは、個々の企業活動とは別に現場の人間のなにがしらの思いと言うのは必ず反映されるものだし、むしろ個々のそういう思いと企業の方向性が一致するような仕掛けづくり(あるいは単純に人事)を行うことこそ、企業運営の一つの力なのであはないかと思っている。

何だか話がずいぶんととっちらかってしまったが、本書ではこの章の話題のように、一貫して著者は「壁と卵の対比する視点」(あるいはマクロとミクロの視点)のバランスをとるように気を配って議論を進めている。

わかりやすい「対中戦略」や「反日」の掛け声だけではない、中国という「場と人」を考えるにあたっては、よいきっかけとなるのが本書ではないだろうか。


※1・・・実際に8月中旬の夏休みまでは本当に体の調子が悪くて困っていた。
※2・・・僕がMBAに入学したのは2011年秋だが、時間があった自分は上海でのジャスミン革命の影響でデモが起こると言われた場所に写真を撮りにいったりしていた。今考えれば随分のんきなものである。
※3・・・正確にいえば、そのような参考文献を参照したうえで議論を行っている。
※4・・・ビジネス的には、Appleが金額を上乗せするべきという結論が出るのはおかしな話なので、授業に出ている時は軽い絶望感を感じたのであったが。



2013年9月17日 (火)

故あって「巨象も踊る」を読み返す

今の職場に入ると決まってとりあえず最初に読もう・・というか、読みなおそうと思ったのが、ルイ・ガースナーの「巨象も踊る」。今の職場とどういう関係があるかといえば、もうそれは察していただくしかなく※1

この本は発売した当時はそれなりに話題になっていたし、今でも大企業経営を語る上ではmust readの一つだと思うのだが、日本に帰ってきてAmazonで調べると在庫がない。。古本で買うのも何か気が進まなかったので、結局英語版をKindleで購入して読んでいたのだが、やっぱりどうも英語だと腰が重いのか中々読み進められなかった。
で、ダラダラとこのままゆったり読むかな~と思っていたところに、妻より「区立の図書館が大変充実してる」と聞き調べたところ、なんと所蔵している。しかも、徒歩10分の別館まで郵送してくれるそうな!・・・ということで、カッコつけて購入した英語版にはそうそうにあきらめをつけて、日本語版でサッサと読み終えたのであった※2

さて、この「巨像も踊る」、ざっくり言ってしまえば90年代の頭に経営危機にひんしたIBMに乗り込んで再生を成功させたCEO、ルイ・ガースナーの回顧録である。ガースナーはIBMの前にはナビスコ、その前はAME、その前はマッキンゼーといわば「経営のプロ」としてのキャリアを築いてきた人間である。そのガースナーが90年代当時、既に終わったと思われているIBMに入ってどのように経営を立て直したのか・・・というのがこの本のメインテーマである。

・・・と書くとかなり面白い話が出てくるのでは、と期待するのだが経営者の本としてはあんまり面白くはない。それほど厚くはない本で(日本語版で400ページ弱)、IBMの話だけではなく自分のキャリアや経営全般の話をしているので、全体としてはフォーカスされていない印象を受ける。同じ経営者本で、しかも会社規模が似てるとくればジャック・ウェルチの「わが経営」のほうがずっと詳細で面白い(そういえば表紙も似てる・・)。

それよりもこの本で素直にすごいな・・と思うのは、日本語版出た2002年の段階でかなり正確に現在のIT状況を予測していること。もちろん多少技術の形は違うが、2013年現在のマルチデバイスとサーバー側のクラウド処理はほぼ完全に読み切っている。
多少うがった見方をすれば、IT業界にいて主導的な立場にいれば「読んだ方向に未来をもっていく」というのは不可能ではないのだけれど、それよりもこれは、地道に基礎研究をすれば、少なくとも10年後までは見通すことが出来たのだ・・ということの証左だと思う。

考えてみれば、IT技術というのはムーアの法則ではないが、「誰が」「どのタイミングで」実現するのかということさえこだわらなければ、結構先の方は読みやすいものだといえる。アプリケーションに関して言えば、時々非連続な発展というのもあるし、10年単位での発展と言うのはかなり予想が難しい。
一方でハードが絡んでくるようなビジネスであれば、ある程度技術ロードマップはあるし、ほぼそのロードマップに沿って「誰かが」ブレークスルーを起こすのは間違いないわけで、お金と人がいれば、そのブレークスルーを買うという方法をとれば、ポジションを維持し続けることが出来るのかもしれない。

じゃあ、なんで会社自体は伸びたり凹んだりするのか・・といえば、それはまさしくこの本に書かれてることで、そのよみにどれだけ早く「ついていける」かどうか・・ということなんだろう。

ちなみに、IBMというのはアンチもいればファンもいるという意味では大きい会社らしいといえばらしいのだが、僕がいた中国では大変に尊敬を受けている会社で「給料はあまり上がらないが、なかなか人がやめない」会社としても有名である。僕がいたMBAにも採用のためにかなり偉い方がきたが、彼はガースナー以前も知っている生粋のBlue(IBMのイメージカラーである)で、IBMの素晴らしさを、それこそ涙を浮かべて話すような人であった。

個人的には、IBMのガースナー時代、それ以降の在りようをケースで学んだり、人から聞いたり、あるいは極めて近くから(笑)見ているので、必ずしもこの本の通りには言ってないと思うところもたくさんある。なんせ今でも数十万人が勤めている会社だし、僕がいたのはアメリカから遠く離れた極東なわけで、そりゃー全てが理想通りにはいかないよね、とも理解
はしている。

とはいえ、MBAを卒業して思うのは「でっかくて人がたくさんいる会社」にもやりがいというのはあって、それはたぶんスタートアップで色々切り盛りしたり、金融でガッツリ稼いでみたいな人生とはだいぶ違うんだろうけど、それでも価値と言うのはそれなりにあって、やっぱりそういう大きい組織から逃げてばっかりというのは駄目なんだろう、ということだったりする。
そして、そういう会社の方向を個人が変えていくということ、そして実際に自分が引退て既に10年を越えても何らかの形で足跡を残すというのは、人間としてとても幸せなんじゃないかと思う。もちろんその陰には数万人を超える人が仕事を失ったわけなんだけど。


※1・・・外資系ITコンサルタントで、この本が関連していると言えば一社しかないのでバレバレなのであるが。
※2・・・数か所訳がおかしいと感じたところがあったので、そのあたりは英語版で補足をしたりもした。買った以上ちょっとは読んでおきたいし。。。

2010年2月 2日 (火)

【書評】最後の授業 -生きることを欲する僕が、昔死ぬと思っていた年齢になって-

高校生のころ、僕の寿命はたぶん30歳ぐらいで終わるんじゃないかと思っていた。
というか、そうなることを願っていた。

それ以上長く生きていても何か面白いこともないだろうし、普通の人生を歩むだろうコトの退屈さに耐えられそうにもなかったし、何よりそのときもあまり生きていることが楽しくなかったから。

そして、30歳になる今年。僕はまだまだ生きていたいと思っている。まだまだ面白いことがこの世界には眠っているような気がする。何より、どれほど大変なことがあっても、それでも生きていることは素敵なことだと思えるようになっているから。

今日読んだ最後の授業 ぼくの命があるうちには米国カーネギーメロン大学のバーチャルリアリティ専攻のとある教授が、すい臓がんにおかされ余命半年を切った頃に大学で行った『最後の授業』をもとに書き起こされたものだ。

Amazonを見ると初版が2008年9月。たぶん僕が購入したのが昨年の9月ぐらいだから、ネットでの話題からはすっかり遅れていることになる。さらに、読むことの遅さといったら。

最後の授業
中国にいるとなかなか日本の本を、日本にいる時のようには購入することが出来ない。だから、どうしても一冊一冊を丁寧に・・というか、読み始めるのが遅くなってしまう。もっとはっきり言ってしまうと読み始めるのが怖いのだ。手元に「未読」の本が一冊もないなんてこと、人生で一度もないしそんなことがあると考えるだけで恐ろしくなる。

閑話休題。

彼の最後の授業のテーマは「子供のころからの夢を本当に実現するために」。でも、本当のテーマは違う。彼は「自分の子供のころから」を語ることによって、自分の子供達にメッセージを残すのだ。彼の視線の中にはいつも自分の妻と子供がある。

著者はまだ学生だったころには「とてもイヤな」やつだったという。本書の中ではそれがどのように変化していったのか、どのような影響のもとで変わっていったのかが描かれている。それはそれで一つの彼のストーリーではあるのだけれど、読んでいる僕の頭の中にはまったく別の疑問が浮かんでいたのだ。
「もし学生の時に彼が癌になったら、彼は何を思うのだろう?」

そんなの彼にもわからないし、考える意味もないと人はいうかもしれない。でも、僕には意味のある問いかけなのだ。僕にはまだ妻も子供もいないのだから。
まだもたない僕ですら生を愛しく思えるようになったのだから、持ったとき、僕はどんな言葉を伝えられる人間なのだろうか?

10年後までこのBlogが続いていたら、きっと笑って答えられる日がくるんじゃないかな、とちょっと自分に期待をしておきます。