カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2014年4月26日 (土)

[書評] 中国を学ぶためにこんな本を読んでみた2 -現指導者層の選出前後を振りかえる-

2014年現在では中国の話と言えば、習近平体人制の対日強硬姿勢だったり、環境問題の話題だったり、あるいはようやく大物が対象とされてきた(一応は)腐敗対策だったりするわけだが、現指導体制が出来る前、2010年や2011年の最大の関心事というのはそもそも「胡錦濤以降の体制はどうなるか」だった。ちょうど僕はそのころは上海にいて、MBA受験の勉強をしていたり、最終的には合格をして学生への準備を始めていたころだったのだが、それこそそういった話題は「他人事ではなく」最大の興味関心だった。

日本では盛り上がるようになったのは随分後だったが、薄熙来の話題は中国に興味がある人の間では長い間のトピックであったし、それこそ一発逆転で李克強が国家主席になるのでは・・と言われている時期もあった。
日本に帰ってきて、中国の生の声はだいぶきけなくなってしまったのだが、あらためてあの頃のことは日本ではどのように語られていたのだろうかということが気になって、最近立て続けに3冊ほど当時の話題を読んでみたのであった。


● チャイナ・ナイン41v5pnkuurl

この本は、中国生まれで日本育ち、成人してからは中国の公的機関の顧問も経験したと いう立場から現代中国について発言をしている遠藤誉さんが書かれた本で、タイトルは中国の最高指導者層である中央政治局常務委員が9人で構成されているところからきている。

この本では当時の関心事だった、家主席が誰になるか(結局は習近平になった)や、結局のところ政治的には完全に終わることになる薄熙来は常務委員になれるのか、といった人事に関することから、そもそも9人が選ばれるのか、それとも7人なのか、といったように多くのトピックが含まれている。

この本はその結果(18大)がわかる前に、現指導者層を予測するということで書かれた一冊で、著者は独自のネットワークも使って指導者層をめぐる権力闘争の内幕の「絵解き」を行っていく。中国にそこそこ長くいた人間としては、こうやって「中の人とつながりがあります」的なこと堂々という人は、あまり信頼が置けない・・・というのがあるのだけれど、そこはある程度割り引いて読むほうも考えるしかない(深淵をのぞいている時には、向こうも覗き返しているという文を思い出す)。


2014年の今となっては結果がわかってしまっていて、当たり外れを語るというのは後だしじゃんけんになってしまって意味がないが、そもそも中国の権力構造がどのようになっていて、意思決定というか「彼らの内側の世界観」がどのようになっているのかを理解するにはうってつけの本だと思う。
このあたりまでは遠藤さんの書く文もも楽しく読むことが出来たのだが・・・、。

● チャイナ・ジャッジ

話の流れ的には前作「チャイナ9」からの続きで、結果として第五世代
では指導層に入れなかったどころか、政治的には51trhekpzl完全に終わることとなってしまった薄熙来に関する多くの謎について語る本。

・・・というと、冷静なノンフィクションかと思いきや、内容的には著者の想像が大半を占めている。これまでは中国生まれで日本育ち、成人してからは中国の公的機関の顧問も経験したという立場からの光るコメントが多かったのに、ちょっとどうしてしまったの・・・というのが正直な感想である。

著者自身も書いている通り、自分の幼少期の体験と関係してくるような内容だっただけに冷静に語ることが出来なくなってしまったのだろうか。事件直後になるべく早く出そうというのもあっただろうと想像するけど、完成度は類書に比べるとかなり低い。前作はなかなかよかっただけに残念。。

 


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● 紅の党

こちらは朝日新聞が2012年に三回に分けて特集された中国の新体制(習近平体制)の立ち上げに対する取材結果を一冊にまとめた本。中国ネタに興味がある方であれ既知の情報が多く、とりたてて新しいネタはない(とはいってもこの取材が行われたのは2012年で、僕が読んだのは2014年であるからこういった評価はフェアではないかもしれない)

この本が書かれたきっかけになるであろう薄熙来は日本ではそれほど報道は

 

されていなったかもしれないが、中国では2010年ぐらいからかなり注目をされていたので、正直なところ中国総局といっても現地で報道されている情報とあまり変わらないな・・というのが率直な感想。

現指導者体制がどのようにして出来あがったか・・・ということをコンパクトに把握するには向いていると思う一冊。


中国の現指導者層の話題が大きく取り上げられた理由の一つに、指導者層入りを狙って派手な動きをしていた薄熙来の失脚と、それに関連する多くの謎があったのは間違いない。実際のところ、僕個人も彼の動きを見ていて「今後、指導層に入ったら、外国人にとって住みづらい国になるんじゃないのかな・・・」と思っていたぐらいなので、直前の失脚と言うのには、こうやって安全装置が働いたのだろうか・・という気持ちをもったぐらいだった。

一方で、薄熙来について公式に発表されたことというのはほとんどなくて、党員としての資格を失ったこと、裁判が行われていること、妻の谷開来は罪が確定していることぐらいである。現在も進んでいる腐敗対策の大物対象である周永康に関連があつだろうといわれているように現在進行形の話題でもあるのだが、基本的には彼の話と言うのは「終わったこと」のようにも見える。もちろん、彼という存在が明らかにした中国の現状課題というのは何も変わっていないようなのだけれども。


あれだけ騒がしい時期を過ごしても、あっという間に歴史の1ページのような扱いになってしまう時間の早さを、この3冊を読み直して改めて感じたのだった。

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2014年1月 8日 (水)

[書評] 中国を学ぶためにこんな本を読んでみた1 -中国共産党の経済政策 & マオ・キッズ-

中国にいたのに中国のことはあまり知らない・・という人は結構多いと思う。ここでいう知らないというのは、もちろん自分の周りについてではなくて、中国の歴史・経済・制度・文化といったいわば「教科書で学ぶことが出来る知識」を知らないという意味だ。

こう書くと「やっぱり中国にいるぐらいだから、中国に興味があったんじゃないですか?」という質問をされることが多い。確かに音楽が好き・・とか、中国はビジネスの場として昔から注目していた・・・という人もそれなりにいるのだが、実際には駐在で向こうに行ったりする人の多くは「なんとなく中国に来てしまった」という人が多い※1。実際に赴任するまで知っているのは三国志だけでした、という人も中にはいるくらいだ(というか、自分が実際にそれに近かった)。


僕自身もそういう人間だったので、帰ってきてからは真面目に中国を勉強しようと心に誓って帰ってきたのだが、なんだか色々あってちっとも実際に勧めることが出来なかった。とはいえ帰国二年目にして、このごろようやくその時間をとれるようになってきたのも事実なので、数カ月前に一念発起して読んだ本をWEB上のサービスであるブクログで管理を始めた(ここが僕の本棚)。
すでに歴史については第一回を先日書いたのだが、これからは出来る限り中国に関しても同じように書いていこう、ということで今回から自分が読んだ中国関係の本を少しずつ紹介していこうと思う。乱読だが、とりあえず中国関係であればオッケーぐらいのスタンスなので、つまらない本に関しても紹介はするのですが。


■ 中国共産党の経済政策 ■

2013年から始まった中国の習近平・李克強指導において中国経済がどのようになっ
ていくか、 31syr7dfcwl_sl500_aa300_ あるいは日 本(企業)がそのマーケットにおいてどのように戦っていくか、を論じた本。

上記のような問題意識のもとに書かれたのであろうことは容易に想像できるのだが、内容は表題からうける印象とは異なり、特に前半は中国における政治経済体制 の入門編と言う感じである。中国の政治体制がどのようになっているか、その政治体制が経済に対してどのように影響を与えているか・・という点から、いわゆ る西欧諸国との経済政策の違いを論じている。

後半は18大以前からの中国の経済問題を提示したうえで、今後の経済体制がどのようになるの かという予想も含めて論じている。後半は実際に中国に赴任経験がある著者の本領発揮というところだが、一方で中国経済にそれなりに興味をもって接している 人間からすると、ほとんどの内容が既知であるように感じる(少なくとも僕はそうだった)。著者の業務の関係上書けないこともあるとは思うし、新書という形 から専門的すぎる内容はかけないところもあるので、仕方ないとはおもうがこの点で評価がちょっと下がる。


中国経済に既に触れている人間には物足りない内容だと思うが、これからかの国について勉強したい、あるいはニュースの背景を知りたいと思う人にはお勧め(僕の評価は★3つ)。

中国は日本の近くにあるし歴史的な問題を抱えているために、どうしても見る目がPositive・Negativeのどちらかに触れてしまうことが多いのだが、客観的に見れば国としての経済レベルが第二位にある国がビジネスとして対象にならないわけがない(ようはすごく大きいマーケットだということ)。

確かに政治も経済も、国の運営制度も異なるので簡単に入るということが出来ないのは事実だけど、それでも目をそらすわけにはいかない・・ということを前提とすれば、やっぱり基本的なことを勉強するというのは重要だよね、ということでこういった本からスタートするというのは決して悪くはないと思います。


■ マオ・キッズ ■

死後30年以上たっても未だに現代中国の意思決定に影響を与える存在であり、
51luftjowl_sl500_aa300_ 現代中国建国の父(といってもいいと思う)である毛沢東。彼の建国思想は
マオイズムという形で、革命の思想的根拠として世界 中に広まっていった。

本 書はそのマオイズムが未だに生きている場所である、ネパール・フィリピン・カンボジア、そして日本を著者が実際に訪れ、話を聞くなかで感じたことをまとめ たルポルタージュである。革命思想を体現するのはいつの時代でも若者であり、マオの思想を引き継いでいるものといういみで、マオ・キッズ達の物語でもあ る。

中国に長く住んでいた自分にとっては、毛沢東というのは一つの政治的・文化的象徴(あるいはアイコン)であり、実際にいまだにマオイ ズムが現役であるというところのまず驚きを覚える。世界中にはまだまだ貧しい国があり、革命(というか反政府)の動きがある国もあれば、内戦が続いている 国もたくさんあるが、純粋な意味でマオイズムが生き残っているというのは(こういってはおかしいが)時代錯誤で非常に奇妙な感じだ。なにせ、マオイズムが 産まれた中国ですら既に共産主義も毛沢東思想は捨てられてしまっているのだから。

ただ、そういった非常に興味深い内容を取り上げているに も関わらず、著者の視点は常に外にある。もちろん現場に行って話を聞き、実際にマオイストたちがいる根拠地にもいくのだが、それでもそこでは常に淡々と話 を聞き、そこはかとないやるせなさを漂わせる文章を書くだけである。そういった姿勢は、僕にはそこにある「問題」(あるいは原因)に興味があるのではな く、ただ僕が感じる奇妙さと同根のものを見続けたい、という純粋な好奇心によるものだと感じられた(特に最終章を読んでその意を強くした)。

同じように先進国にいる自分、特に中国生活を終えて帰ってきた自分がなんとなく「逃げてきたのではないのか」と思ってしまうような自分、にはそういった好奇心が、先進国の残酷さではないかと感じられてしまい、率直にいえば好きではない。
テーマは面白いのに著者のスタンスと、掘り下げ不足が不満ということで★3つ。

マオイズムというのは不思議な思想である。思想的にどのような点が特徴的であるのか、ということを抜きにしても、最も不思議なのは毛沢東自身も恐らくマオイズム等と言うのは信じていなかったであろう・・というのが何よりも不思議な点だ。言い換えれば、共産主義とは違ってマオイズムというのは「毛を見た他人が(勝手に)解釈した」思想なのだ。

カンボジアに行った時には、その不思議な思想が引き起こした惨事(あるいは愚行)でも最大のものの一つであると思われる、クメール・ルージュのキリング・フィールドに行ってきた。その時の感想はここにも書いてあるのだが、やりきれない想い・・というか、もっとはっきり言えば人はここまで愚かしいことが出来るのか、というある種のこっけいさを感じた(もちろん悲劇なのだが、なぜそういった行動が出来るのか・・というのがシステムとしてどうしても許容不可能だった)。

そういった悲劇を引き起こしたマオイズムが未だに残っており、しかも現在でも活動を続けているというのは、未だにそういうことを引き起こすメカニズムが解決されずに残っているということに他ならない。


中国で働きそしてMBAで学ぼうと思ったことの大きな理由の一つが、こういったメカニズムを買える力がビジネスにはあると感じられたことだというのを読んでいてあらためて思い出した。本書にもあるとおり、革命というのは例えそれが成就しても、結局はおいしいところを持っていくのは「上の人間」であり、一般の生活レベルはなかなか上がらない※2
であればこそ、政治ではなくビジネスを広めることで働きかけを行うべき・・・そんな風に考えていたことをあらためて思い出した、そんな一冊。


※1・・・僕のMBAの同級生は中国文化にはあまり興味はないが、中国ビジネスは面白いとおもって10年近く中国語を勉強していた、というツワモノである。自分だったらとても根気が続かない。。。
※2・・・中国も最初の数年間を除いて、生活レベルがあがったのは改革開放が始まってからだ。

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2013年12月23日 (月)

[書評] 歴史を学ぶためにこんな本を読んでみた1 "大国の興亡"

日本に帰ってきたことの一番のメリットは何か・・と言えば、もう本を大量に読むことが出来る、に限る。最後の1年半はiPadの購入とKindle Appのおかげで上海でもかなり日本語の本を読むことが出来るようになったが、それまではたまの帰国に買いこんでいくぐらいしか日本語の本に触れる機会がなかった※1
Kindleも売れ筋のラインアップは充実しているのだが、僕が読みたいような本だったり中国関係の本はあまりなかったりで、そういったいつかは読もうと思っている本と言うのはむなしくAmazonのWishListにたまっていったのだった。特に中国に行ってからは自分の本の嗜好が変わってしまったので余計読みたい本が読めない・・という状況になっていた。

ということで、日本に帰ってきてようやく読めるようになった本のうち、中国関係とか中国「との」関係を考えるための本は少しはblogで紹介していきたいと思っている。
ということで、今日はその第一回目。


決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈下巻〉Pic1


昔からいつかは読もう読もう・・と思っていて、全然機会がなくてようやく読むことが出来た。 まず何が大変ってとにかく長い・・・上下巻

あわせて参考文献を除いても700ページを越えている。前半は1500年以降から第一次世界大戦前までの歴史で、ヨーロッパが中心に取り上げられる。正直この時代の歴史を全く知らないと読んでいて話についていくこともできないし、ここでギブアップした人は結構いるのではないかと思う。

後半は「これからの予想」に割かれる分量が多く、読んでいてさらに息切れ感が募る。正直この本が大ヒットしたというのが信じられない。。。日本のことが凄まじくよく書いてあるので、とりあえず買ってみたはいいが、途中で息切れした人が多いのではないのだろうか。


この本、発売当時は日本で大ヒットしたらしいんだけど、その理由は「日本がやたら良く書かれている」から。執筆当時は日本がバブルが終わったころで、景気は一息ついたとはいえ、誰もがこれは一時の休憩と思っていた時期だからか、日本はさらに経済的に拡大していくという論調で書いてある。
しかし15年ちょっと前までは、こういった感じで日本がまだまだ伸び続けると思っていた人は多かったんだよね・・と嘆息せずにはいられない。2000年といえば僕は大学生でいわゆる「不況しか知らない世代」だったので、こんな感じで海外から見えていたのかと思うと、不思議な感じがする。

この本のテーマは、国際関係(特に外交と軍事)について著者の理論に基づいて歴史的な戦争と時代時代の覇権国家(あるいは大国)について分析を行うということにあるのだが、これが中国に関係していると思うのは、当然中国が「次の大国」だからだ※2


この本でも、著者は中国を取り上げていて、-地政学的にも人口と言う意味においても当たり前のように予想可能な話なのだが‐、執筆段階でも将来の大国候補として「中国」は取り上げられている・・・というか、ここで書かれた段階では既にある程度力を持ってきているという位置づけ。やはり見えている人には、当たり前のように見えているのだな、と今の日中間の力を見て思ったりする。

著者のポール・ケネディはいわゆる「ハードパワー」派の人で、この本の主張をざっくり一言で言ってしまえば「国力(特に軍事力)は経済力による支えが必要」ということ(こういう風にざっくり切ってしまうと筆者は間違いなく怒るだろうけど)。もちろん経済力をどのように定義するのか、という話や、経済力を支える諸要素間の相互作用をどのように評価するのか・・・ということで、歴史上で「覇権」を握った国家は違った道のりを歩む。


この本の理論によれば、経済力と軍事力というのは相関関係にあるのだけど、軍事力というのは経済力よりも「やや遅れて」ピークに達するものとしている。拡張期にある時は経済力の伸びが軍事力の伸びを上回るので問題はないが、衰退期に入ると権益を保護するために「経済力の伸び以上に」軍事力に力を注がれる・・というわけだ。

この理論をそのまま今の東アジアにあてはめるというのは出来ないのだけれど、こういった考え方の補助線を持って現状をみるというのは決して無駄にはならない。中国に関して言えば過去30年にわたって10%近くの経済成長を成し遂げてきていて、今でも日本に比べればはるかに経済成長の度合いは大きいが、それでも彼らからみたら「安定期」に入っている。一方軍事費に関して言えば、ここ数年はずっと経済成長以上の伸びを見せてきたし、今後もすぐにその流れが変わるとは思えない。


一方で日本(日本の場合は米国の影響も含むが・・・)ようやく経済が少し上向いたとはいえ、長期的には人口の問題もあり、少なくとも「パイの大きさ」に関しては大きな伸びは期待できない。そういった環境で周辺の軍事力が増大している状況では自国もそれと無関係にいるわけにもいかず、負担も少しずつ大きくなり・・ということが予想されたりもする。

本書でも著者が最後に触れている通り、結局国家にとって重要なのは「軍事」と「経済」のバランスであり、伸びている国と経済的に衰退していく国では当然その平衡点も異なる。今の政治状況は「やり方」や極めて短期的な話にフォーカスしがちだけど、人口減という見立てはもはや変わらないと前提を置くと、これからどのような国家になるべきか・・・というのはもう少しちゃんと議論をされなきゃいけないな、と。

誰でも読める本ではないけれど、既に古典となっている書だけに、国際関係に興味ある方は是非。



※1・・・その代わり中国語の新聞や雑誌を読むようにしていたので、語学面ということでは日本語の本がないほうが良かったわけだが。
※2・・・次というよりも、既にある大国・・という気もするが。

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2013年10月15日 (火)

[書評]対中とか反日とかワンワードではない中国 -「壁と卵」の現代中国論

日本に帰ってきたら、いままで読むことが出来なかった本をたくさん読もうと思っていたのだが、いざ帰ってくると仕事はそれなりにあるし、友人にもあいさつしたいし(なんせ5年半ぶりの帰国だ)、新生活を安定軌道に乗せたりという中であっという間に半年がたってしまった。いいわけをすれば、結婚・転居・帰国・転職と立て続けに大イベントが発生して、休む間もなかったということ※1


5年半の中国にいる間に、中国関係の本だけでもたくさん出ているし、それ以外にも知識の方向性が変わって読みたい本はたくさん出ている。気がつけばAmazonのWishリストは1000冊を超えていて、さすがに一気に読むことはできなくなってしまったが、少しずつ消化をしているというのが現状である。

そういって読んだ中で、中国関係や話しておきたい本についてはこのblogでは書いておこうと思う。今回はそういう本の一発目として、梶谷懐さんの「「壁と卵」の現代中国論  リスク社会化する超大国とどう向き合うか」という本をとりあげたい。


 

目次:
第1章 自己実現的な制度と私たちの生活  
第2章 グローバルな正義と低賃金労働
第3章 赤い国のプレカリアート
第4章 中国とEUはどこが違うのか?――不動産バブルの政治経済学
第5章 米中の衝突は避けられないのか?――中国の台頭と人民元問題
第6章 歴史に学ぶ中国経済の論理
第7章 分裂する「民主」と「ビジネス」
第8章 これからの「人権」の話をしよう
第9章 日本人の中国観を問いなおす――戦前・戦後・現在
第10章〈中国人〉の境界――民族問題を考える
第11章 村上春樹から現代中国を考える

あとがきに代えて――リスク社会化する中国とどう向き合うか


「壁と卵」といっても、本書は村上春樹を論じるものではない。もちろんわざわざタイトルに持ってくるだけあって、著者は村上春樹のファンであると著書内に記してあるが、本書が主題とするのは現代中国におけるいくつかの一般市民とシステムに関する話題 -一つ一つでも十分に大きなテーマとなりうるが、あえて「壁と卵」=「システム」と「個人」という観点から問題点を括っている‐ である。

2011年の後半に出された本書は、ちょうど中国へのジャスミン革命の波及の懸念がひと段落された頃に出された本である※2。2年たって読んでみると、この本で取り上げられている内容と言うのは、確かにあの時の影響を感じさせるものではあるけれど、同時に現在進行形の内容でもある。なぜなら、ジャスミン革命事態は中国で大きなうねりを見せることはなかったけれど、あの時期確かに中国は緊張していたし、今もってその緊張感は変わらず中国の底で流れているようにも感じられるからだ。


この本は章ごとに別々のトピックが取り上げられているので、、全体をまとめて書評することは難しい。そこで、今回はMBAでも似たような話をとりあげた第二章について簡単に僕の考える話を書いておこうと思う。

第二章では先進国のグローバル企業が中国においてCSR活動を広げることについて、批判的な観点からと肯定的な観点、両方を紹介するという形をとっている。どちらかというと本書ではグローバル企業が行おうとしている発展途上国におけるCSR活動については批判的な視点で物事を見ているが、僕には十分にフェアな議論をしているように思えた。

グローバル企業が新興国で行うCSR活動と言うのは、簡単にいえば、例えばNikeで問題視された自動労働(チャイルドレーバー)や、この本が出版された後に繰り返し中国で目の敵とされたAppleへのサプライヤーによる環境破壊に対する対応など、いわゆる「欧米的人権・CSR」から発展途上国における経済活動を改善しようという試みである。
本書ではこういった活動が、単に欧米側の自己満足や現地ニーズにそぐわない形での援助(本書ではプランナーと呼んでいる)となる傾向にあることを指摘したうえで、現地ニーズや状況をしっかり理解したうえで活動を行うことが重要という指摘を行っている※3


こういった「発展途上国におけるグローバル企業の取り組みの偽善性」というのは僕がいいたMBA Schoolでも当然のように議論をされるのだが、個人的には少なくとも現場レベルにおいては企業に属している人間であっても、この問題に対して真摯に取り組んでいる人間もいるし、また効果のある部分もあると考えている。
例えば授業ではNokiaの例をとりあげて、実際に欧州から工場に査察に来て改善指導を行おうとする担当者と、何とか実情を隠そうとする工場側のやり取りのビデオを見たことがあった。このビデオ、最後には担当者が改善活動に疲れきってNokiaを退職するところまでを取り上げていた何ともほろ苦い気持ちにさせてくれたのだが、それでも少なくとも現場レベルでは試行錯誤をしながらも取り組みを何とか成功させようとしているという実例で、単にグローバル企業の取り組みが掛け声だけではない、ということを実感させてくれるものであった。

またAppleのサプライヤーの例に関しても、中国と言う場で議論をしていることもあり、Appleはサプライヤーをたたくだけでなく環境保全分の金額も上乗せして払うべきだという意見が驚くほど多かったのだが、一方で効果が全くないという意見はほとんどなかった※4。というのも、グローバル企業のサプライヤーの例に関して言えば、仮に形だけの対応を行っているような場合に問題視するのは「同じように欧米から来ているNGO」の場合が多いからだ。


「先進国マーケットにおけるマーケティングのために掛け声をあげるグローバル企業」と「同じく先進国の価値観で監視を行うNGO」が、発展途上国という「場」でやり取りをしているという構造である。
この構造だけを見れば、確かに中国地場の外部プレーヤーがやり取りをしているだけでしかないが、一方でそのサプライチェーンには中国企業(正確にいえば中国マーケット)も確かに組み込まれているわけで、全く影響がないということはあり得ない。


結局のところここで僕がいいたいのは、グローバル企業の活動がある意味プランナーとしての活動となって効果がないという批判もまた、企業活動の現場を十分観察していない「プランナー的な批判」になっているのではないか、ということだ。ビジネスというのは、個々の企業活動とは別に現場の人間のなにがしらの思いと言うのは必ず反映されるものだし、むしろ個々のそういう思いと企業の方向性が一致するような仕掛けづくり(あるいは単純に人事)を行うことこそ、企業運営の一つの力なのであはないかと思っている。

何だか話がずいぶんととっちらかってしまったが、本書ではこの章の話題のように、一貫して著者は「壁と卵の対比する視点」(あるいはマクロとミクロの視点)のバランスをとるように気を配って議論を進めている。

わかりやすい「対中戦略」や「反日」の掛け声だけではない、中国という「場と人」を考えるにあたっては、よいきっかけとなるのが本書ではないだろうか。


※1・・・実際に8月中旬の夏休みまでは本当に体の調子が悪くて困っていた。
※2・・・僕がMBAに入学したのは2011年秋だが、時間があった自分は上海でのジャスミン革命の影響でデモが起こると言われた場所に写真を撮りにいったりしていた。今考えれば随分のんきなものである。
※3・・・正確にいえば、そのような参考文献を参照したうえで議論を行っている。
※4・・・ビジネス的には、Appleが金額を上乗せするべきという結論が出るのはおかしな話なので、授業に出ている時は軽い絶望感を感じたのであったが。



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2013年9月16日 (月)

故あって「巨象も踊る」を読み返す

今の職場に入ると決まってとりあえず最初に読もう・・というか、読みなおそうと思ったのが、ルイ・ガースナーの「巨象も踊る」。今の職場とどういう関係があるかといえば、もうそれは察していただくしかなく※1

この本は発売した当時はそれなりに話題になっていたし、今でも大企業経営を語る上ではmust readの一つだと思うのだが、日本に帰ってきてAmazonで調べると在庫がない。。古本で買うのも何か気が進まなかったので、結局英語版をKindleで購入して読んでいたのだが、やっぱりどうも英語だと腰が重いのか中々読み進められなかった。
で、ダラダラとこのままゆったり読むかな~と思っていたところに、妻より「区立の図書館が大変充実してる」と聞き調べたところ、なんと所蔵している。しかも、徒歩10分の別館まで郵送してくれるそうな!・・・ということで、カッコつけて購入した英語版にはそうそうにあきらめをつけて、日本語版でサッサと読み終えたのであった※2

さて、この「巨像も踊る」、ざっくり言ってしまえば90年代の頭に経営危機にひんしたIBMに乗り込んで再生を成功させたCEO、ルイ・ガースナーの回顧録である。ガースナーはIBMの前にはナビスコ、その前はAME、その前はマッキンゼーといわば「経営のプロ」としてのキャリアを築いてきた人間である。そのガースナーが90年代当時、既に終わったと思われているIBMに入ってどのように経営を立て直したのか・・・というのがこの本のメインテーマである。

・・・と書くとかなり面白い話が出てくるのでは、と期待するのだが経営者の本としてはあんまり面白くはない。それほど厚くはない本で(日本語版で400ページ弱)、IBMの話だけではなく自分のキャリアや経営全般の話をしているので、全体としてはフォーカスされていない印象を受ける。同じ経営者本で、しかも会社規模が似てるとくればジャック・ウェルチの「わが経営」のほうがずっと詳細で面白い(そういえば表紙も似てる・・)。

それよりもこの本で素直にすごいな・・と思うのは、日本語版出た2002年の段階でかなり正確に現在のIT状況を予測していること。もちろん多少技術の形は違うが、2013年現在のマルチデバイスとサーバー側のクラウド処理はほぼ完全に読み切っている。
多少うがった見方をすれば、IT業界にいて主導的な立場にいれば「読んだ方向に未来をもっていく」というのは不可能ではないのだけれど、それよりもこれは、地道に基礎研究をすれば、少なくとも10年後までは見通すことが出来たのだ・・ということの証左だと思う。

考えてみれば、IT技術というのはムーアの法則ではないが、「誰が」「どのタイミングで」実現するのかということさえこだわらなければ、結構先の方は読みやすいものだといえる。アプリケーションに関して言えば、時々非連続な発展というのもあるし、10年単位での発展と言うのはかなり予想が難しい。
一方でハードが絡んでくるようなビジネスであれば、ある程度技術ロードマップはあるし、ほぼそのロードマップに沿って「誰かが」ブレークスルーを起こすのは間違いないわけで、お金と人がいれば、そのブレークスルーを買うという方法をとれば、ポジションを維持し続けることが出来るのかもしれない。

じゃあ、なんで会社自体は伸びたり凹んだりするのか・・といえば、それはまさしくこの本に書かれてることで、そのよみにどれだけ早く「ついていける」かどうか・・ということなんだろう。

ちなみに、IBMというのはアンチもいればファンもいるという意味では大きい会社らしいといえばらしいのだが、僕がいた中国では大変に尊敬を受けている会社で「給料はあまり上がらないが、なかなか人がやめない」会社としても有名である。僕がいたMBAにも採用のためにかなり偉い方がきたが、彼はガースナー以前も知っている生粋のBlue(IBMのイメージカラーである)で、IBMの素晴らしさを、それこそ涙を浮かべて話すような人であった。

個人的には、IBMのガースナー時代、それ以降の在りようをケースで学んだり、人から聞いたり、あるいは極めて近くから(笑)見ているので、必ずしもこの本の通りには言ってないと思うところもたくさんある。なんせ今でも数十万人が勤めている会社だし、僕がいたのはアメリカから遠く離れた極東なわけで、そりゃー全てが理想通りにはいかないよね、とも理解
はしている。

とはいえ、MBAを卒業して思うのは「でっかくて人がたくさんいる会社」にもやりがいというのはあって、それはたぶんスタートアップで色々切り盛りしたり、金融でガッツリ稼いでみたいな人生とはだいぶ違うんだろうけど、それでも価値と言うのはそれなりにあって、やっぱりそういう大きい組織から逃げてばっかりというのは駄目なんだろう、ということだったりする。
そして、そういう会社の方向を個人が変えていくということ、そして実際に自分が引退て既に10年を越えても何らかの形で足跡を残すというのは、人間としてとても幸せなんじゃないかと思う。もちろんその陰には数万人を超える人が仕事を失ったわけなんだけど。


※1・・・外資系ITコンサルタントで、この本が関連していると言えば一社しかないのでバレバレなのであるが。
※2・・・数か所訳がおかしいと感じたところがあったので、そのあたりは英語版で補足をしたりもした。買った以上ちょっとは読んでおきたいし。。。

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2010年2月 2日 (火)

【書評】最後の授業 -生きることを欲する僕が、昔死ぬと思っていた年齢になって-

高校生のころ、僕の寿命はたぶん30歳ぐらいで終わるんじゃないかと思っていた。
というか、そうなることを願っていた。

それ以上長く生きていても何か面白いこともないだろうし、普通の人生を歩むだろうコトの退屈さに耐えられそうにもなかったし、何よりそのときもあまり生きていることが楽しくなかったから。

そして、30歳になる今年。僕はまだまだ生きていたいと思っている。まだまだ面白いことがこの世界には眠っているような気がする。何より、どれほど大変なことがあっても、それでも生きていることは素敵なことだと思えるようになっているから。

今日読んだ最後の授業 ぼくの命があるうちには米国カーネギーメロン大学のバーチャルリアリティ専攻のとある教授が、すい臓がんにおかされ余命半年を切った頃に大学で行った『最後の授業』をもとに書き起こされたものだ。

Amazonを見ると初版が2008年9月。たぶん僕が購入したのが昨年の9月ぐらいだから、ネットでの話題からはすっかり遅れていることになる。さらに、読むことの遅さといったら。

最後の授業
中国にいるとなかなか日本の本を、日本にいる時のようには購入することが出来ない。だから、どうしても一冊一冊を丁寧に・・というか、読み始めるのが遅くなってしまう。もっとはっきり言ってしまうと読み始めるのが怖いのだ。手元に「未読」の本が一冊もないなんてこと、人生で一度もないしそんなことがあると考えるだけで恐ろしくなる。

閑話休題。

彼の最後の授業のテーマは「子供のころからの夢を本当に実現するために」。でも、本当のテーマは違う。彼は「自分の子供のころから」を語ることによって、自分の子供達にメッセージを残すのだ。彼の視線の中にはいつも自分の妻と子供がある。

著者はまだ学生だったころには「とてもイヤな」やつだったという。本書の中ではそれがどのように変化していったのか、どのような影響のもとで変わっていったのかが描かれている。それはそれで一つの彼のストーリーではあるのだけれど、読んでいる僕の頭の中にはまったく別の疑問が浮かんでいたのだ。
「もし学生の時に彼が癌になったら、彼は何を思うのだろう?」

そんなの彼にもわからないし、考える意味もないと人はいうかもしれない。でも、僕には意味のある問いかけなのだ。僕にはまだ妻も子供もいないのだから。
まだもたない僕ですら生を愛しく思えるようになったのだから、持ったとき、僕はどんな言葉を伝えられる人間なのだろうか?

10年後までこのBlogが続いていたら、きっと笑って答えられる日がくるんじゃないかな、とちょっと自分に期待をしておきます。

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2009年10月 7日 (水)

【書評】たまには息抜きに密室でも -そして名探偵は生まれた-

語学の勉強やら、経済書やらを読んでいるとやっぱり頭を使うせいか、肩がこってきます。何せ肩こりがひどくて病院通いになってしまったぐらいですから、そんなに硬いことばかりしてはいかん!ということで、この長休みはたまっている本を読んだり、ゲームもしたりして生活しています(ゲームなんてするの、一年ぶりぐらいじゃないかな・・・)。

ということで、今日読んだ文庫本の感想を簡単に。


海外に住んでいるとどうしても日本のベストセラーをダイレクトに購入することが出来ないので、帰国時にまとめてAMAZONで購入するというクセがついています(AMAZONの配達って実は海外も出来るのですが結構面倒くさいので、あまり使っていません)。
ただ、そういう買い方をしているとどうしてもNETの書評によってしまうので、帰国時には必ず本屋によって文庫本を買い込むようにしています。基準は特になくて、本が「買え!」って圧力をかけている本を買うって感じですね。

で、前回の帰国でたまたま購入していたのが、本日紹介するそして名探偵は生まれた (祥伝社文庫 う 2-3)です。

そして名探偵は生まれた

歌野晶午さんの本は、大学院時代の葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)でその語り口に感動して以来、本屋で見るたびにとりあえずは購入しています。昔はもっと熱心にミステリを読んでいたのですが、さすがに今はそこまでではなくなってしまって、本屋で見つけたら買う・・という程度ですが、気になる著者の本が平積みされているときには、とりあえず買うようにしています。


本書に収められている話はすべて「密室」をテーマとしていて、全部で4つの短編(長さ的には中篇)が収められています。何せ短編だけにあらすじを紹介するだけで、物語の構成がわかってしまう人も多いでしょうから、タイトルと「○○の密室」という紹介だけしておこうと想います。

  1. 第一話 そして名探偵は生まれた :雪の山荘もの
  2. 第二話 生存者、一名 :孤島もの
  3. 第三話 館という名の楽園で :館もの
  4. 第四話 夏の雪、冬のサンバ :日常の密室

葉桜の季節に君を想うということ

全体としてはガチガチの密室ものではなくて、軽いタッチでかかれた作品集なんですが、その中でもちょっと異色でかつ短編向きだな・・と思ったのが「生存者、一名」。もうこのタイトルだけでわかってしまうような内容なんですが、短編作品では少し結末に余韻を残すような作品のほうがあうと思っているので、こちらはお勧め。

「そして名探偵は生まれた」と「館という名の楽園で」は、既存の密室モノというかミステリの一種のパロディなのですが、構成はしっかりとしているためフェアな推理を楽しむことが出来ます。ただ、どうしても短編ということで多少「どこかで見たことがある話し」になってしまうのは仕方がないのですが・・・。


ゆっくりゆっくり味会うよりも、まずはぱっと読んで、その後ゆっくりと伏線を確かめるために再度読み直す。そして最後に「うまい!」とうなる、そんな読み方が似合う一冊です。

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2009年10月 6日 (火)

【書評】よくわからない国のドラマのような政治の話 -サルコジ"マーケティングで政治を変えた大統領"-

長い休みは今までたまっていた本を読むチャンス!とは思うのですが、積み重なっている本を見ると語学の勉強だったり、経済学の本だったり、はたまた仕事に直結するようなSEOの本だったりと、手を伸ばすのがついはばかられるよな本ばかり・・・。そこで、軽く読めるものとして選んだのが、本日紹介するサルコジ―マーケティングで政治を変えた大統領 (新潮選書)
です。

サルコジ マーケティングで政治を変えた大統領

この本を手にしたのは、チェックしている元日本マイクロソフト社長の成毛真さんのブログ激烈にほめられていて興味がわいたからです。成毛さんのblogは熱いというか情熱がほとばしるというか、コメント欄がすさまじい長さになるので毎回楽しみに読んでいます。コメントのやり取りなんて、なんていうか寺子屋のようなイメージですね、説法というか問答というか・・・(それにしてもfounderというURLもすさまじい。よくこんなの残ってたな・・って誰もとろうとしないんでしょうか??)


本書の紹介は成毛さんのblogを読んでいただければそれでおしまい!というぐらい綺麗にまとまっているんですが、それではあまりにもあまりにもなので、簡単に紹介します。
タイトルには「マーケティングで政治を変えた大統領」とありますが、そういった理論的な話を期待すると肩透かしをくらいます。むしろ、名前は知っているけどよくわからん(と想像します)フランスの政治と大統領のソープオペラのお話・・・といったほうがいいでしょう。

第一章から第三章までは主に現在のフランス大統領であるサルコジのプライベート部分が描かれます。なんといっても大統領の奥さんがスーパーモデルであることが驚き。日本でイメージすると首相の奥さんが元宝塚のTOPスターというところでしょうか・・・、あ、でもこれならありそうですね。
さすがフランス人というかなんと言うか、結婚/離婚の繰り返しで、よくこれで家族という概念が保てるな~というのが一番の感想。日本でも離婚が増えてきているとはいえ、まだここまでではないですよね。

第四章~第八章までは主にサルコジの政治部分の話が描かれます。といっても政策の話はほとんどなし。「いかに自分を有権者に売り込むか?」と「いかに権力を握るか?」という部分に焦点を絞っての話が進んでいきます。例えば、フランス国内の新聞社にサルコジの上半身裸の写真が掲載された時には、おなかの脂肪が修正されていた・・とか、まあそういう話です。ここで笑える人はこの本がはまるのではないでしょうか。。


個人的には、成毛さんが(個人的にも友人の恩師ということで尊敬しています)激賞しているところ申し訳ないのですが、僕にはあまりに話が軽すぎていまひとつ楽しむことが出来ませんでした。こういう味を楽しめるにはもう少し年をとるか、もう少し余裕を持った人生でないとダメでしょうね。


ただ「楽しむ」という観点からはイマイチでも「勉強になる」という観点からは、かなりの高得点です。まず、フランスという国は、僕にとって未知の国。第二外国語はスペイン語でしたし、卒業旅行で4日間だけ滞在したことがある・・・というだけの接点なので、本書にかかれていることは非常に新鮮でした。

  • 地方首長と国の議員・政府を兼務することが可能なこと

  • 一部のエリートが動かす国だということは知っていましたが、それが想像以上に狭くかつ濃密であること

  • 極右・極左という対立軸が未だに残っていること

  • 報道機関が大手財閥に保有されていること

  • などなど・・・・。

    読んでいる最中何度も、僕の友人がフランスに住んでいるので昔話を聞いたときに「不便だし、アジア人は差別されるよ~」といっていたのを思い出しました。やっぱりヨーロッパは階級社会なのかな・・とかも思ったり(安易な一般化はよくないですが・・・)。


    僕が住んでいる中国は共産党が唯一の党であるということで、いろいろと世界から批判を浴びたりしますが、この本を読んでみると批判する側の国もすねに傷がないわけではないんだな・・というのがよくわかります。問題の程度の差こそあれ、どこの国でも似たような問題があるわけで、僕のように中国にどっぷりつかってしまっている人間からすると、「文化」により社会が固定化されてしまっている環境と、「制度・システム」によって社会が固定化されてしまっている環境では、システム・制度のほうが変更可能な分まだ救いがあるのではないかとも思ったりするのですけど・・・。
    (ただ中国の場合、基本的な価値観が欧米諸国とは大きく違うので、そこは変更できない気もしますが・・・)

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    2009年7月 5日 (日)

    『メタ』はハイコンテクストな文化でないと楽しめない -:名探偵の掟-

    毎回日本に帰ると、東京都内の手近の大きな本屋に必ず立ち寄るにことにしています。東京駅近くなら丸善八重洲ブックセンター、有楽町なら駅前にある三省堂書店など。他にもだいたい日本では大きな駅には本屋が併設されているので、時間があるときには(ないときにでも)必ず入るように心がけています。

    今や日本で売っているベストセラーはネットでだいたいチェックすることが出来ますし、僕のRSSには多くの書評サイトが登録されているので、ほぼ100%ベストセラーの出版状況を追うことが出来ます。その気になれば、Amazonなどで簡単に購入も出来ます。

    ただ、やっぱり本屋が好きなんですよね。何が好きって、あの本屋の『ちょっと空気を切り取ってます』的な雰囲気がたまらない。だいたい世界中どこでもそうなんですけど、本屋ってその国にいないとわからないネタが転がっているものです。例えばドラマのノベライズとか、ローカル有名人の自伝だったり、プチ流行の解説本だったり、それから賞がらみの本だったり。
    やっぱりそういうのは圧倒的に『現地』にいかなければわからないんです。

    で、だいたい目的も決めずにぶら~っと本を見て、数冊を買って帰ってきます。本当に必要だと思っている本は大体事前にホテルにAmazonで購入していますからね。本当に目についた本を買ってくるんです。で、本日書評するのは、その中の一冊。どうやらドラマ化をきっかに新装版の文庫本が出たらしい、東野圭吾さんの名探偵の掟 (講談社文庫)です。

    名探偵の掟


    東野圭吾さんの本は、『悪意 (講談社文庫)』とか『どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)』なんかは結構昔に読んだんですけど、ここ数年はとんとご無沙汰しています。・・・というか、大学院ぐらいからお金もなかったし、何か時間がもったいない気がしてほとんどミステリは読むのをやめてしまったんですよね。また、読み直そうかなぁとなったのは中国に来てから。ず~~~っと仕事ばっかりだと体も心も持たないよね、と思い出したからでしょうか・・(社会人生活が3年過ぎてちょっとバランスを取り出したというのもあります)。


    文庫本というのはちょうどスーツのポケットに入る大きさですし、この本は短編集なので気楽によめるな~と思って買ったのですが、なんのことはなく帰りのバスと飛行機待ちの時間とあっという間に読み終わってしまいました。内容が軽かった・・というわけではなくて、面白かったからなんですけどね。


    この本、ミステリ好きならそれなりに誰でも楽しめると思うんですが、やっぱり一回は一通り本格モノを楽しんだことがある人のほうが圧倒的に楽しめると思います。何が面白いって「ミステリのお約束」をメタ(一次元高い視点)から突っ込んだり、壊したりするところで笑えるかどうかで面白いかどうかが分かれると思うのです。やっぱりそのためには一度は「お約束」にどっぷり使ったことがあるほうがいいなじゃないかなと思います。

    一歩はなれた見れば面白い・・ってことは結構あるものなんですが、同時にその面白さがわかるためにはある程度その文脈がわかってなければなりません。例えば「二時間ドラマ」のあたりなんて、日本人じゃないと絶対わからない面白さでしょう。例えばこの本を日本語がものすごく出来る中国人に読んでもらってもやっぱりわからない。なぜなら、この「お約束」==コンテキストは日本人でないとわからないからです。

    先ほどドラマ化にあわせてこの文庫本も新装版が出たといいましたけど、こういうメタ作品が地上波のドラマになってしまうというのは、実はとてもすごいことなんです。本格にどっぷりつかったことがない人でも楽しめるってことは、逆に言うと「日本人は基礎的なミステリ知識を"誰も"が持っている」ってことですからね。中国人なら誰でも三国志を知っている・・みたいな感じで、日本人はミステリの文法を知らず知らずのうちに習得して島手いるということなんだと思います。


    昔、日本の出版界が元気になるためには、もっともっと海外への翻訳モノを増やしていかなければならない・・っていう話を見たことがありますが、今日いっているようなことを考えるとちょっと簡単じゃないな・・って思います。どんな小説でも固有のコードというか記号があります。それがどのくらい「私達にとって自明」だけど「海外のひとにとって自明じゃない」というかを考えないと、とりあえず翻訳してみたのに全然面白さがわかってもらえないなんてことも十分に起こりえますものね。

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    2009年5月 8日 (金)

    GWを前にして破産したクライスラーをあらためておもふ

    中国でもGWに入るちょっと前(くどいようですが、中国のGWは3日間しかありません)の4月30日、米国自動車ビッグ3のひとつクライスラーが破産しました。

    米クライスラー、「カーガイ」の不在が凋落招く(NB Online 5月1日)

    偶然以外の何者でもないのですが、前回日本に帰った際に立ち寄った東京の丸善書店で買った「アイアコッカ わが闘魂の経営 (ゴマ文庫)」のことがちらっと触れられていたので、今日はちょろっとその本のことを書いておこうと思います。

    わが闘魂の経営

    NBOnline中の本文中にも触れられているように、著者のアイアコッカはフォードの社長までに上り詰めながら、フォード二世との軋轢からあっけなく解雇。その後クライスラーに移り、クライスラーを債権した経営者です。

    何年もの間、クライスラーは心の中では車をつくるのが嫌いな男によって経営されてきた


    これは著者がクライスラーに移った際に惨状を見て、思わずこぼす一言です。


    僕は工学部の出身ですから結構昔から彼のことを知っていたので今回のビッグ3の問題とは関係なく興味をそそそられてこの本を買ったのですが(アイアコッカなんて名前珍しいですし・・)、普通のビジネス本を期待してこの本を買った人はきっとがっかりするでしょうね。文庫版の裏側には「今の時代を生き抜く知恵と勇気を示唆するビジネスマン必読の一冊!」とありますが、よんでみると知恵と勇気・・・のかけらはありますが、それよりも『闘魂』とか『闘争』という言葉がぴったりの内容です。

    とにかく、功なり名なりを遂げた人というのは、少なくとも書籍の仲くらいはお行儀よくしているものですが、この作者の場合そんなことはまったく有りません。まず、ページ構成からして

    ・成功にいたるまでから転落まで==フォード時代の話は2/5ぐらい。
    ・クライスラーの再建がいかに大変だったかは残りの部分

    と、普通のビジネスパーソンが知りたい栄達の部分はほんのわずか。いかに自分が大変だったか、クライスラーがむちゃくちゃだったか、そしてどうやって再建したのかを思いのままに書き散らしています。たとえば、政府との折衝とのくだりでは、アイアコッカの説明をほめた議員に対して、

    融資をもらった恩に着たいのは、こっちのほうだ


    と毒づき、債券団との折衝をつづった章のタイトルは、

    銀行との闘争


    と、何かの間違いじゃないかというようなタイトルがついています(これは翻訳なので原文を見る必要がありますが・・・)

    一方時代を感じさせるのが、日米貿易摩擦華やかりしころの対日脅威論が全面を覆っていることと、巻末にシートベルトの安全性を熱くかたっている部分。日本ではエアバッグが標準装備になっている今から見ると隔世の感があります。


    本を書いた時点ではまだクライスラーの社長だったのですが、彼を見ているとよくもまあ、こんなに戦い続けられるものだと関心せずにはいられません。中国の片隅で仕事がうまくいかない・・などと嘆くのがばかばかしくなるくらいその生き方にはまさしく『闘争心』があふれています。もちろんビッグ3の二社を率いていたわけですから、知恵も勇気も当然あるのでしょうが、苦境に陥った時にはとにかくあきらめずに立ち向かう事が必要なんだなぁ・・と教えられるます。

    小難しいビジネス本に疲れた時に、スカッとしたい方にぜひオススメ。

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