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2017年6月11日 (日)

このごろ何勉強してるの?と聞かれて

先日、MBAの同窓会というか、CEIBSの説明会のようなものがあって1学年上の先輩にふと「この頃は何勉強してるの?」と聞かれてから、ずっと心の中にもやっとしてものが残っているような気がしている。


中国にいた時にはまず持って中国語を勉強しないとお話にならなかったし、それがひと段落したらMBA向けにTOEFLとGMATをひたすら勉強する生活を送り、実際にMBAに入ればスクールの勉強+自分がその時々に興味があることをしていたので、振り返ってみると結構勉強している時間が長かった。さらに言えば、大学院を卒業してから日本では2年半しか働いていないわけで、なんというか基本的に人生勉強しっぱなしという感も否めない。

それが日本に帰ってきてからは全然生活が変わってしまった。
まず何よりも変わったのは、結婚して子供ができたこと。僕は極度のビビりなので、妊娠期間中ととにかく妻の体調が心配で勉強なんてものをする気にもなれなかったし、子供が産まれたらとにかく子育てに全力投球ということで自分の時間などほとんど持つことができなかった。2歳半をすぎて、ようやく生活習慣が安定してきてくれたので、少しは夜に時間を持つことができるようになって、フラッとこういう感じで書くことができるようになったけど、これまでは「寝るのが遅く」「いつ起きるのかわからない」ので、とにかく子供と一緒に寝てしまうという生活で、家ではほとんど活動をしていなかったのである。

2つめは会社の仕事。僕は今、外資系ITでマーケティングの仕事をしているのだけど、とにかく勉強しなければならないことが凄く凄く多い。まず、本国からは大量のマーケティング関連+技術関連の資料がドンドコ出てくるので、それを読み込まなければならない。その上、日本国内で作られるリサーチレポートやら戦略関連の資料なども読まないと溜まっていってしまうので、その処理だけでもかなりの時間がとられる。おかげで現在の製品領域に本格的に関わってから1年ちょっとでかなりのことがわかってきたのだけど、それでも相変わらず時間をとられることには変わらない。自分で望んで仕事にしているくらいだから、嫌いなわけではないのだけど、今の技術変化はすごく早いので、とにかく頑張ってキャッチアップしないとあっという間においていっていかれてしまうのだ。
比較すればコンサル時代のほうが資料という意味では全然楽だった。確かに、プロジェクト立ち上げの時には集中的に資料を読む必要があるのだけど、一回巡航速度に入ってしまえば比較的自分の時間はコントロールできた。一方で、今は自分でそのあたりをコントロールするのが結構難しくなっている。

3つめは、日本は誘惑・・・というか色々なことができすぎてなかなか集中ができないところがあるな〜というのは個人としての反省。中国にいる時にがお金もそれほどなかったので、映画へ行こうとかあんまりそういう気も起きなかったし、本を買うにも日本から輸入しないといけないので自由があったわけではない。それに比べれば、今ではTVをつければ動画配信サービスで自由に映画が見れるし、ちょっと街に出かけることも全然楽にできる。ゲームをする時間もあれば、本も自由に見れるということで、正直なところ「勉強」以外で時間を使っていることが圧倒的に多い。


というような感じで、勉強らしい勉強というのはやっていなかったし、特にそのことを自分でもおかしいと思ってはいなかったのだけれども、一方で「そろそろ生産的な時間の使い方をせねばな・・」というのは年頭から思っていたので、先輩の何気ない一言は大変胸にささったのだった。

ただ、ここで「よーし中国語検定をやろう」とか「英語もだいぶ慣れたからCPAあたりをとるか」という気になるのは、なんとなく安易だな〜という気もしていて、多分人生も後半戦に入っている自分としては「明確なゴールがない勉強」というのをするべきなんじゃないかなと思っている。今までの人生、基本的には入試があり、あるいはなんらかのテストがあり、それをクリアするために勉強する・・・というのがほとんどだったのだけれど、もう少し、自分が生きていく上での知的好奇心といった、そういったものをちゃんと探す時間が必要なんじゃないかなと感じているのがその理由だ。じゃあ、何がそれにあたるの・・・というのはすぐに言えないのだけれども、ちょっと時間を使って探した上で、ちゃんと勉強はしていきたいのよね、という気になっている。

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2017年2月13日 (月)

五月天の武道館ライブに行ってきた(2年連続2回目)

五月天はC-Popにちょっとでも触れたことがある人であれば、誰でも知っているバンドだ。日本と比べてそれほどバンド文化とはいえない大陸や台湾であるが、台湾出身のこのバンドは、まさにアジアのスーパーバンドと呼べる地位を築いている。日本ではそれほど知名度はないが、その稼ぎは日本のバンドの比ではない(※1)

この五月天、日本のバンドやエンタメ業界を常にリスペクトしてくれており、しょっちゅう日本にも来てくれている。台湾ではそれまであんまりなかったバンドを始めるにあたって、参考にしたのが日本のバンドだということもあり、Glayとコラボをしたり、日本語のHPを開いて日本でも活動をしている。日本向けにはちゃんと日本語歌詞で歌を歌っていて、しかもその日本語も年々上手くなり、日本マーケットに関する本気度も非常に高い(※2)

この五月天だが、嬉しいことに日本でもライブを開いてくれている。もしかしたら、色々なフェスにゲストとして参加をしているのかもしれないが、私がちゃんと認識しているのは昨年の日本武道館のライブが初。このころはまだ子供が1歳ちょっとだったので、当然連れて行けるわけもなく、義母にお願いをして夫婦で行ってきた。
ライブなど滅多にいかないので、他のアーティストと比較することが出来ないのだが、新旧合わせた名曲をたくさん歌い、日本語歌詞での歌も歌い、さらにゲストでは親交のあるflumpoolも参加する盛りだくさんの内容で大変満足度の高いステージだった。中華圏らしくステージの最後にはスポンサーを読み上げてお礼をするというシーンもあり、日本にいながら上海を久しぶりに思い出すことができる時間だった。

昨年も2days両方とも満員にする動員力を見せつけたので、今年も来てくれるのではないか・・・と密かに期待していたのだが、昨年の10月ごろに無事に今年も来日するということで、速攻でチケットをゲット。今年も2歳になった息子を義母に預けて妻と参戦してきたのであった(※3)。

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今回も2daysの土曜日のほうのチケットを買って向かったのだが、昨年と同じく最寄駅の九段下駅を降りるとそこは既に日本ではない。五月天は台湾や大陸ではチケットを取ることが非常に難しいので、台湾や大陸からファンがこのライブを狙ってくるし、日本に住んでいる中国語話者も大挙して訪れるので、デフォルトの言語は中国語となる。道には偽物グッズを売る店も出てくるし、中華街で中華まんを売る店が屋台を作っていた。

武道館にたどり着くと、グッズ販売に長蛇の列・・・夫婦ともにこういうグッズには全く興味がないので、グッズは一切無視して進むのだが、日本限定版も多く出ているらしく、ファンの人にとっては重要な場なのだろうと思う。グッズに興味がなさすぎて、ライブに合わせてファンが振る光る棒(ペンライトというにはデカイ)を2年連続で買い忘れてしまったのが残念。あれがないと、手をどうしていいかわからないんだよね・・・五月天の曲は縦乗りの曲が多いし。


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ライブのお祝いの花を見に行くと、仲の良いGLAYから来ているのはいいとして、なぜかさくらももこからも届いていた。ファンであるという話を聞いたことはないのだけど、事務所で近いとかあるのだろうか・・・ちなみに五月天の日本でのマネージメントはアミューズが担当している。大手事務所で契約できてよかった。

ライブ自体はアンコールも含めて全部で2時間半弱。今年も新譜から随分と古い曲まで幅広くヒット曲を合計で27曲もやってくれたので大満足。ライブではみんなで一緒に歌うのが基本なので、ステージ両サイドには歌詞も表示されて、多少覚えていない曲でも問題ない。昨年はステージ側の反対側にも大きく歌詞が表示されていたが、今年はそれはなかった。あんまり後ろを見て歌う人はいないからかな・・・。

MCはほぼ全て中国語で行われるのだが、それほど難しい言い回しはしないので、中国語で通常会話ができるレベルであればほぼ聞き取れるレベル。中国語がわからないお客さんもいるので、MCの間はステージ奥に訳がリアルタイムで表示されるようになっている。・・・が、当然スピードには間に合わないので、結構はしょられているところもあるし、今年は中国語で下ネタを話していたが、そういったニュアンスは全く訳されな

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いので、やはり中国語ができるに越したことはないというライブである。中華圏のライブでは、ほぼ毎回ゲストが出てくるのであるが、今年はポルノグラフィティのハルイチがゲストで出演。今度台北でライブをやる・・・ということでタイアップのようであったけど、もともと日本語歌詞を提供しているということでもあったので、それなりに仲は良いのかもしれない。昨年度のflumpoolはMVを一緒に撮ったりしていたので、多分本当に親しいのだろうけど、今年はステージだけではそれはよくわからなかった。

ちなみに、このライブに来ている人は中国語話者か中国語での五月天が好きで来ているので、日本語歌詞での歌が来ると若干微妙な雰囲気になる。とはいっても愛する五月天が日本でさらにファンを広げるためには日本語歌詞はやはり必要だと思うので、魅力を失わないレベルでこういうのは必要だと思う(※4)。

最後は皆で突然好思你を合唱すて幸せな2時間半はあっという間に終了。ヒット曲が多すぎて、聞きたかったけど今回聴けなかった曲もたくさんあるので、来年もくるのであれば是非参戦予定。あとは・・・・Lala Shu(徐佳莹)が来てくれたらすごい嬉しいのだけど、それは難しいかなぁ。。

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[曲目一覧]

1.軋車

2.do you ever shine(日本語版)

3.HooSe

4.DNA

5.你不是真正的快樂

6. 生存以上生活以下

7.人生有限公司

8.瘋狂世界+ 候鳥

9.我心中尚未崩壞的地方

10.知足

11.人生海海(今天我在這裡)

12.春天的吶喊

13.離開地球表面(jump)

14.Dancin'Dancin'(傷心的人別聽慢歌日本語版)

15.孫悟空

16.乾杯

17.約翰藍儂+我

18最重要的小事

19.天使

20.憨人


アンコール1回目

21.Buzzin'Buzzin'(派對動物日本語版)

22.入陣曲

23.頑固

24.song for you(vs.岡野昭仁/ポルノグラフィティ)

25.OAOA(日本語版)

アンコール2回目

26.突然好想你

27. 最好的一天
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※1・・・・・古くは海賊版の問題、今はストリーミングによりCDは売れないが、日本にはないこまめな営業活動やライブ、タイアップなどにより、中華圏のトップスターの収入は十億単位になることは珍しくない。
※2・・・・・あれだけ売れているんだから、そんなに日本向けにカスタマイズしなくてもいいんじゃないの・・・と思わずにはいられないのだが・・・多分商売のこととは別に日本が純粋に好きでいてくれてるのだと思う。
※3・・・・・昨年は夫婦二人で昼寝の間に出掛けて、起きた時には二人がいない・・・という状況で大変にふてくされていたので、今年は夫婦別々に出かけるという小技を繰り出して、出かけてきた。帰った時もそれほど機嫌が悪くなかったので、大成功である。
※4・・・・・同じことをK-Pop大好きの友人も言っていたので、原語好きのファンはどのアーティストでも同じことを思うようなきがする。

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2017年1月 3日 (火)

2017年になった。なってしまった。

気がつけば2017年である。今年の場合は、なった・・・というよりも、なってしまった・・・という感の方が強い。ああ、気がついたら1年が終わったんだな、という感覚。


このblogが事実上ストップしたしまったのが2015年の1月。
それからの2年間は人生の中で、たぶんもう2度とないぐらい子供との時間を過ごした。毎日なるべく早く家に帰り、子供の面倒を見ていたし、独身時代は午前まで飲んでいることも当たり前だったが、そもそも飲み会の数も激減した(最大でも週1回)。

日本に帰ってきた時に3年ぐらいは冬眠生活には入ろうと思っていたのだが、仕事面では冬眠したままもうすぐ4年が経とうとしている。そろそろ環境を変えなければならないな〜という思いは日々、本当に日々強くなっていく一方。
・・・・そんな感じで、また1年が明けたというのが正直な感覚である。

30代後半になって迎えるこの1年に対して、「さて、何か目標を立てようか?」と考えたときに、一番驚いたのは「明確な目標を立てるのが驚くほど難しくなっている」ことだった。

  • 仕事を始めたことろは「できなかった、××を出来るようにする」ということを目標に出来た。
  • 中国時代は、とにかく毎日が必死だったけど仕事の面では目標を立てることが出来た。
  • MBA受験を考え、実際に入学してからは、毎年の期限を明確にすることが出来た。
  • 帰国後も妊活やら結婚式やら、子育てで目標を明確にできた。

・・・が、子供がある程度大きくなってちょっと余裕が出来た今年、なかなかそういう目の前を変化させる何かということ目標にすることが出来なくなっていることに気づいた(子供はまだまだ大変なんだけど・・・大変じゃなくなることなんてあるのだろうか。。。)

30代半ばの友人達がスポーツの趣味にはまり出すのがわかるようになった気がする。スポーツは目標を明確に出来る。そういうことがないと人生があっという間にすり減っちゃうんじゃないの・・・ということを、何となく頭で理解出来る歳になったということかもしれない。もちろん、家族と毎日を過ごせるというのが、何よりも大切なことなんだけど。

・・・・ダラダラと書いてきてこの1年を迎えるにあたって、まだ色々なことが整理できていないというのが正直な気持ちなんだけど、何となく見えてきたのは、もう少しプロセスを大切にしようということ。明確な目標が見えなくても、あるいは設定できなくても、とりあえず歩くということにも意味があるんじゃないの?ということ。

ということで、やはり自分の原点に戻るためにもちゃんと、色々書いていこうという気になったのだった。なので、今年はもう少しちゃんと更新をすることにしました。

あと、自分の時間をちゃんと記録することにした。どのくらい勉強していて、どのくらい睡眠をとっていて・・・そういうことを続けたら、次の一歩を大きく踏み出すときにきっと何か役に立つだろうと信じている。

ということで、まったく煮え切らないスタートではありますが、何卒今年もよろしくお願い致します。

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2016年12月29日 (木)

台湾の墾丁に家族で行ってきた

MBAの友人の結婚式には卒業以降これまでも何回か参加してきたのだが、今回はちょうど自分も妻もよく知っている・・・というか、自分たちの結婚式にも唯一カメラさんとして参加してくれた友人が台湾で結婚するということで、家族みんなで台湾に行ってきた(※1)。2歳になった子供もそろそろ飛行機に乗せても大丈夫だろうということで連れて行ったのだが、台湾といっても今回の場所は台北ではなく、南の端っこ・・台南よりも高雄よりもさらに南の墾丁という場所。無事にいて帰ってこれるのか・・・というのが何よりも心配だった(※2)。


■ 墾丁への道のり ■

台湾にそれほど詳しくない自分には墾丁と言われても「そこ、どこ?」という感じだったのだが、地図で見ると台湾の南の端っこ!冬でも暖かい台湾の中でもさらに南ということで、常夏(というほどでもないが)の場所であるらしい。



なんでも台湾では有名なリゾート地らしいのだが、リゾート地の宿命・・・というかこんな南の端っこまで飛行機が出ているはずもなく、移動はかなり大変であることが予想された(※3)。


ここに行くまでの道のりは大きく分けて2つ。

① 東京から台北まで飛行機 → 台北から行けるところまで新幹線で移動(高雄にある左営駅) → 終点からバス or タクシー
② 東京から高雄まで飛行機 → 高雄からバス or タクシー

今回は子供の体力を考えて、②を選択することにした。本当は台北にいったほうが圧倒的に飛行機の便数も多いし、楽な時間に乗ることができるのだが、新幹線+車での移動は体力的につらすぎると判断した。ちなみに車での移動時間は約2時間(100km)。これまた体力を考慮して、バスではなくタクシーをチャーターして移動することにした。

②での最大のネックは、高雄までの便が少なくて航空会社あたり1日1便しかないこと。そして、日本は成田発しかないこと。今回は行きの時間を優先してANAにしたのだが、帰りの高雄発は7:00という強行軍だった。


■ 墾丁での宿泊地 ■

今回の目的は友人の結婚式への参加・・・なのだが、行く先は台北ではなく墾丁。これまでも何回か台北での結婚式に参加しているが、毎回大きなホテルで招待者は数百人というレベルの盛大な結婚式だった。

一方で今回は南の端っこである墾丁ということで、そういったサイズの結婚式ではない。日本風に言えば「リゾート結婚式」である。参加者は全員がわざわざ最低でも数時間かけて式場まで来ないといけないのだ。多分その中でも一番遠距離から参加したのがうちの家族ではないだろうか。大陸から参加した友人はビザをとらなければならないので、精神的な距離はさらにありそうだが。

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今回のリゾート結婚式の場所はその墾丁でも、おそらく最も高級と思われるホテルで行われることになっていた。ホテルの名前は華泰瑞苑(Gloria Manor)。なんと国立公園内に位置するという高級ホテルで、以前は台湾の初代総統である蒋介石の別宅だったところを改装してホテルにしたとのこと(公式サイトはこちら。ちなみに日本語版もあった)。

このホテル、リゾート高級ホテルということで有名らしく、以前台湾に住んでいた妻も知っており、名前を聞いたときに「絶対に行きたい」ということで家族全員での参加が決定したのであった。ちなみに今回は遠距離からの参加ということで、招待客は100人しかないなのだが、全員新郎新婦の負担で1泊することが出来るという条件がついていた。

しかも、実際に参加してみると、なんとホテルは貸切。結婚式は海が見渡れる庭で行い、披露宴はレストラン全部を使いきり、そして二次会はホテルロビーをダンスフロアにしてのダンスパーティー。ざっと計算するだけでも500万以上はかかっていると思われる・・・さすがに結婚式にかける情熱は違うな・・・と思ったのだった。


■ 実際に行ってみて・・・ ■

今回の旅行はとにかく家族が増えてから初の海外で、かつ子供を連れての始めてということで、ものすごく慎重に準備をしていた・・・・主に妻が。
オムツの数は足りてるのか(うちの子供はでかくて、そもそも日本でも合うサイズが近くになかったりする)、幼児食を持っていかなければならない(たぶん麺類は食べてくれるけど、彼の気分次第)、途中でクリーニングをする予定だが服は必要(移動中に吐くかもしれないので)・・・ということを考えていくと、どんどん荷物が増えていき、なんと4泊5日で40kgを超える荷物になった。この重い荷物に加えて、気分が乗らないとほとんど歩かない2歳児を抱っこして、いざ台湾に向かったのであった。


[1日目](東京-高雄移動)

  • 成田行きのバスに無事乗ったはいいが、バスの中で盛大に吐いてしまう、うちの息子。抱っこしてたこちらはTシャツとパンツが死亡(上着を着てなくてよかった・・・)。子供服をちゃんと持ってきたのが正解だった。大人は成田でユニクロのお世話に。
  • 飛行機の離陸時は予想通り椅子に座ってくれない。無理矢理座らせてシートベルトしたら、大暴れしたので「もう無許可だけど、ごめん・・・」と抱っこしたら、フライト・アテンダントさんも見逃してくれる(※4)。本当はダメなんだろうけど。
  • 高雄のホテルは結構いい部屋に止まったのだが、それでも15,000円弱。専用のレストランが使えるということで、そこで食事をしたら、ちゃんと食べてくれた。むしろテンションが上がりすぎて、段差で激しく素っ転び両親ともに顔が青くなる。

[2日目](高雄-墾丁移動+結婚式参加)Img_9537_3
  • 東京でのバスでは吐いたので激しく心配していたのだが、高雄-墾丁間の2時間移動は特に何もなく昼寝をしていてくれた。海沿いの道を一路南へ。
  • ホテルはものすごく豪華でテンションが上がる。蒋介石が使っていたという執務室を息子が気に入り、ずっとそこに入り浸っていた。そこから移動しようとすると泣いて怒るので、庭で行われた結婚式の時も妻は式に参加できず。
  • 同級生たちが息子を可愛がってくれるのだけど、あまり大人になれてない上にほっぺを触られるのがすごい嫌だったらしく、ストレスを溜めてしまう息子。結局披露宴には参加できず、妻と息子の分のご飯は部屋まで運んでもらった。ホテル貸切という気合いの入った結婚式だけあってだいたいのわがままは聞いてもらえる。
  • 二次会のダンスパーティーには自分も参加せず、子供と一緒におやすみなさい。

[3日目](ホテルで1日ゆっくり)Img_0049
  • 2日間の移動の疲れが出てくるだろうと予想していたので、ホテルに延泊。車がないと何もできない場所にあるので、ホテルでタクシーをチャーターし、近くの観光へ。
  • まずは近くにある猫鼻头という岬へ。風が無茶苦茶強いのだが、南国の暖かさで気にならない。これまでずっと移動ばっかりだったので、息子は大喜Img_0062 び。
  • そのまま少し北にある恆春という街まで移動。日本でも公開された海角七号のロケをした場所があり、その近くでお昼ご飯を食べてきたのであった。ちなみに太平洋戦争時は日本軍がこの街におり、米軍と戦ったとのこと(タクシーの運転手さんに教えて貰った)。思わぬところで日本の影響を感じることに。
  • 夜は台湾といえば・・・ということで、友人と家族みんなで夜市へ。最初は怖がっていた息子も、しばらくするとトコトコ歩き出し夜市で買ったものを食べることができて大満足。


[4日目](墾丁 → 高雄)


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  • ホテルを昼前に出て、チャーターしたタクシーで高雄までまた移動。今回も息子は寝ていて何の心配もなし。
  • 高雄のホテルではゆっくり。自分も含めて家族全員、だいぶ疲れがたまってきているので遅めの昼ご飯もホテル内で。
  • ここでも夜市は行かねば・・・ということで、ホテルからすぐ近くの六合夜市へ。台北とは比べるまでもないぐらい小さな夜市だったのだけど、海鮮が多い感じ。ココナッツミルクジュースがこれまでで一番うまい・・と妻が絶賛。
  • 会社のみんなにお土産をということで、パイナップルケーキを購入に。どうせならちゃんとしたブランドを選びたかったので、舊振南餅店というブランドの店まで歩いて行ってきた。確かにずっしりとしてすごく美味しい。

[5日目](高雄 → 成田 → 家)
  • 朝7時の飛行機に乗るために、3時半起床・4時半ホテル発。寒くないのだけが救い。
  • 帰りの飛行機もやっぱり離着陸時には座ってくれない。フライトアテンダントのやや冷たい視線を感じながらも、息子を抱っこ。ちなみに2歳までは抱っこでもいいのだが、2歳になると抱っこ禁止。基準をこういう風におかないといけないのはわかるけど、何となく釈然としない(2歳1日と2歳364日と、生育期間は33%違うんだけど・・・)
  • 行きのバスでの嘔吐で懲りたので、帰りは電車。初めて荷物を成田から送ったのだけど、これ楽だね・・・。
いろいろとトラブルはあったのだが、結果としては息子も海外デビューできて大満足の台湾訪問だった。オムツが外れるようになったら、他の国にも行きたいな。。(さすがにあの荷物はもう嫌だ)。


※1・・・実はこの2年ブログをサボっている間に、自分の結婚式をしたりしていたのである。あの時は子供が泣いて大変だった・・・。
※2・・・いきなり国際線に乗せるのは心配ということで、事前に国内線に乗せて飛行機に慣れさせるという慎重な計画を策定。予行練習ではうまくいったんだけどね・・・。
※3・・・一緒に参加した台湾人の友人に聞いたら、自分もここに来るのは初めてだと言っていた。まあ、台北からだと車で7時間以上かかるらしいからね。。。
※4・・・さすが中華系だけあって、フライトアテンダントの皆様は子供に大変優しい。何で泣いてるの〜(怎么哭啊〜?)と言いながら、ポヨポヨのお腹を触っていたりした。ただ触りたいだけなのかもしれないけど。。

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2015年1月11日 (日)

Happy New Year 2015 (その2)

(前回投稿か一週間すぎてしまったけど、前回の続き)

■ 仕事面 ■

2013年はとりあえず新しい仕事について、しかも日本への5年半ぶりの復帰ということで手探り感があったのだけど、2014年は普通に組織の一員として働いていたな~という感じ。ちょうど2015年すぐに伝えられた評価を見る限り、少なくとも現状での職級では期待値通りの働きをしたというのが、会社としての見立てということだった。

妻の妊娠が4月にわかってから、4月~6月はつわりのサポートということでやや会社に行く時間を減らし、7月~10月は年末の出産サポート → 新生児保育を見越して多めに働き、11月以降はすっかり家庭に入る・・という流れで働いていたのだが、そういった柔軟な働き方を許してくれる会社には大変感謝をしている次第である(そういう働き方が出来るとわかっていたから入社をしたのだけど・・・)。

自分としては納得できるような仕事は5割ぐらいというのが正直なところなのだけど、こればっかりはお客さんの都合もあるし、自分だけではどうしようもないところもあって、そのあたりが現在のポジションだと中々に難しい。もう少し主体的に動けるようになってもいいのだろうけど、何せ外資系はかなりがっちりやることととシステムが組上がってしまっているから。。。


■ 2015年は・・・? ■

で、2015年はどうするの?というところになると、今年は日本に帰ってきて3年目ということで、そろそろ冬眠期間から目をさますための準備にしようかな・・というのが、新年において期することという感じである。

もともと、結婚した時になるべく早く子供が欲しいな~と考えて、一方でちゃんと夫婦生活の基盤も立てないとな~ということを思っており、そういうことを考えるのであれば日本に帰ってくるのが一番良いという結論になって返ってきたのが今の会社に入ったきっかけ。決して「腰かけ」という感じで入ったわけではないが、それでもワークライフバランスの中で「ライフ」に重心を移すにあたって、最適な会社はどこかという観点で選んだのもまた事実である。

おかげさまで結婚当初に二人が考えていたように無事に子供にも恵まれ、なんとなく仕事と子育てのバランスのとり方というのも模索できるようになってきたので、今年はいよいよ冬眠から覚めてもっと積極的に「自分らしい働き方」というのを実現するためのステップを探していきたいと思っている。
自分らしい働き方・・というのが、あまりに抽象的すぎるので、もう少し具体的にいえば「海外に戻る(これは中華圏でなくてもいい、出来れば中国語を使いたいけど)」ということである。


そもそも妻と出会ったのも上海だし、二人とも海外で働く経験は持っているので海外に住むということに関しては抵抗はない、というよりも積極的にウエルカムな心持であるし、これからの家族生活を考えれば海外で済むということは、いくつかのリスク対応さえできればメリットの方がデメリットよりもはるかに大きいと思っている。

もちろん、こういうことは相手のあることで縁も必要なんだけど、少しずつそういった方向に真剣に舵を切っていくというのはありなんだろうと思っている。
なんにせよ、子育てと仕事をしていると一日があっという間にたっていってしまって、たぶん気づいたらその積み重ねで1年もあっという間にたってしまうので、今年はもう少し1日を大切にして過ごしていきたいと考えています。

本年もよろしくお願い申し上げます!

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2014年3月 2日 (日)

結婚一周年

早いモノで明日で入籍してから一周年になる。一緒に暮らし始めたのはもう少し前なので「1年」という期間が正確なのか・・というと全くそういうことはないのだが、それでもやっぱり、あ〜一年たったのだな〜と思う。

二人とも30歳をこえてたけど結婚は初めてなので、この一年は言ってみれば「若葉マーク」の生活だった。そもそも、3月3日に入籍したのも日本に帰ってきて勤め始めた会社に扶養手続きを出すためには婚姻届を出しておく必要があって、それだったら覚えやすい3月3日にしようということで半ば無理矢理に決めて、提出したものだ(本当は違う日程を考えていたのに・・まあ、早くて駄目なことはないので、それでいいのだが)。

よく付き合っている時間と結婚生活は全然違うよ・・という話を聞いたりするのだが、そもそも付き合っている時間が驚くほど短かったので、それを実感することなく生活が始まった感じで、違和感など何もなく新生活は始まった感じで、新生活を一生懸命過ごしていたら、あっという間に一年がたってしまったというのが正直なところ。

この一年を振り返ってみると、最初の数ヶ月は僕が新しい会社に入ったのと、これまでの中国生活で溜まっていた疲労が吹き出して、とにかく毎日疲れに疲れていたのを世話してもらっていた。結婚前は毎日食事を作ってくれるとか、そういうのを全く想像していなかったので、毎日家に戻ってくると食事があるというのは、なるほどいいものだな・・と思った。自分が親と暮らしている時にはそんなことを思ったことはほとんどないので、やっぱり自分の中では「妻は一番近い他人」という気持ちはあるらしい。

夏にはMBA時代の友人にお願いして上海で結婚写真を撮影した。中国人カップルがほぼ必ず撮影をする、いわゆるコスプレ写真みたいなのをやろうということなのだが(何せ二人は上海でであったので、むしろそういうことをやるべきだと思っていたのだ)、流石にコスプレまではせずに上海の街中で恥ずかしい写真をたくさん撮ってくるということになった。
友人が忙しかったのもあったので、写真が完成したのは年末になったが、この1年間で一番大きいイベントと言えば、この写真撮影だったと思う。撮影は真夏の上海で行ったので、あまりに暑すぎて熱射病みたいになったっけ。


年が明けて2014年になってからは、仕事がちょっと嫌になるくらい忙しくなってしまって、なかなか家でゆっくり過ごすことが出来なくなってしまったのだが、それでも変わらぬ生活を過ごすことが出来ている。毎日帰るのが遅くなってしまっても、一緒に食事を食べてくれるのがありがたくて、ほとんど外で食事をすることなく帰ってきている(そして食べる回数が増えた妻の体重計が示す値は悲惨なことになっている)。

この1年は外資系に入ったにも関わらず、出張も海外に行くこともすべて断って見事なまでに日本にいた。この数年はなんだかんだで色々なところにいることが多かったので、1年ぐらい家に籠っているのも悪くはない・・と思ったのだが、実際に全然問題なしである。毎日を平凡に過ごすと言うことが、幸福だという、そういう歌詞が今日二人で見に行った映画にあったのだが、あ〜もしかしたら結婚ってそういうことに気づくためにあるんだよね、とかも思ったりした。僕が妻を愛しているか・・というのは、あんまり自分でもよくわからないのだが(こういうのって上手く計測できないので、自己申告しかないのだが、自己申告って結構難しい)、妻が僕を想ってくれるのは毎日感じている。


いつも一緒にいてくれることに感謝の気持ちをあらためて、そして、今年も同じように幸せが二人に等分に訪れますように。二年目もよろしくお願いいたします。いつも一緒にくれて、ありがとう。

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2014年1月 2日 (木)

Happy New Year 2014

気が付いたら日本に戻ってきて10カ月がたち、2013年も過ぎ去ってしまった。
ということで、2014年、あけましておめでとうごいざます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年は元日のご挨拶で結婚の報告をしたのだけど、それに比べれば今年は特別なニュースはないですが、毎年こういったご挨拶を書いているので、2014年もまずは2013年の振り返りをしてみようと思う。



■全体的には・・■

2013年1月1日のエントリーでは「2013年はその動いたことを一つ一つ固めていき、これからの長い人生を過ごす上での新しい基盤を作る年にしたいと思っています」と書いたのだが、実際は基盤をかためるどころかオーバーホールの一年になってしまった。
まず前半は卒業・帰国(引越し)・就職・結婚という人生の一大事が一気に襲ってくるイベント起こりまくりの半年で、あえなく体がダウン。仕事は普通にしていたものの、とにかく最初の数カ月は体がだるくてなかなかエンジンがかからなかった。背中の痛みの影響であると気がついたのが3月末で、それから理学療法士にかかって3カ月ほどはリハビリの毎日。結局体が戻ってきたな~と実感できたのは、8月中旬の夏休みになったころだった。

後半もその影響があるのかないのか、あるいは5年半の中国生活での疲労が少しずつ噴き出したのか、とにかくよく高熱を出していた。結婚をして明らかに食生活も生活リズムも改善し、おまけに生活がしやすい日本に戻ってきたのにこういう状態になるというのは、やはり何かしらデトックス期間が必要だったということなのだろう(・・・と自分を納得させている)。この流れは結局最後まで変わらず12月31日(つまり一昨日)の年末までウイルス性胃腸炎で寝込む羽目になった。



■ 体調面&生活面 ■

体調面といえば、もうひとつ結婚生活(正確にいえば2012年9月~2月の中国での同居生活)で一気に増えてしまった体重も悩みの種だった。人生最重期間となってしまったせいか、運動してもなかなか落ちず(というか、運動するのもおっくうなくらい太った)、食事改善から初めて、ようやく1年かけて元に戻すことが出来た(こっちの面からはウイルス性胃腸炎万歳)。

体調面とあわせて生活面を振り返ってみれば、結婚生活一年目(いわゆる新婚生活というやつだ・・・)は二人で気兼ねなく、気楽に生活することが出来たな~とこればかりは妻に感謝するばかりである。結婚を決めた際には、二人の役割分担についてはあまり考えなかったのだが、結果として家のことはほとんど妻に任せきり・・という典型的な駄目夫になったしまった(中国時代に鬼より強い上海女性に鍛えられたはずなのだが)。
家に人がいるとわざわざ外に出る必要もないよね・・ということで、ひさしぶりの帰国のわりにはたいして人とも会わず家で二人でゴロゴロしている休みも多かった。別段それで不満があるわけではないのだが、このまま引きこもりになってしまったらどうしよう・・と我ながらちょっと心配。



■ 仕事面 ■

仕事の面はといえば、これまた昨年は「睡眠時間が減りそうだけど」と書いてあったのだが、まったくそんなことなくすっかりヘルシーな環境で楽しく働くことが出来ている。帰宅時間が午前様になるのはお酒を飲む時だけ(しかしその割合は比較的多い)だし、無理して徹夜はしないというルールに関しては一度も破らずに生活を続けることが出来た。

転職して新しい職種についたとはいえ、MBAホルダーがわかりやすくいく業界の一つで学んだことを使うことが出来るのはわかっていたし、現職の方に推薦をいただいていたので上司とも最初から話がついた状態で入れたのが非常に大きかった。
また、外資系といえどもやはり全世界で数十万人を抱える組織だけあって、スピード感に関してはこれまでよりもずっと落ち着いているように感じている(自分はベンチャーをやっていたので、そう感じるのかもしれない)。正直言えば仕事の面ではもっと叩いてもらっても全然よかったのだが、上記したような体調であったことを考えれば、リハビリにはちょうどよかったんではないかとも思ったり。



■ 2014年は・・・? ■

で、2014年はどうするの?というところになると、基本的には昨年の継続で・・というのが今の偽らざる気持ちである。視界良好、迷わずススメ・・これに尽きる。

まず健康に関してはいまだに完璧ではないので、引き続き減量とデトックスに励もうと思う。数年来悩まされている左アキレス腱炎は完治することはなくても、もう少し痛みが引くような歩き方・走り方を身につけたいと思っているし、背中の痛みも体重が軽くなれば筋肉をつけて姿勢をよおくしたいと思っている。・・・・なんか、随分と歳より臭い話しになってしまうけれど、今の自分にとっては「健康」というものの価値はとても高いので。

仕事に関していえば、今の会社は基本的にプロジェクトベースなのでガツガツとするよりも、まずは風が吹いてくるのをしっかりキャッチするための基礎力をつけようと思う。年齢的には何かひとつくらいは目立つ仕事をしたほうがいいのだろうけど、こればっかりは焦ってもしょうがない。声がかかった時に全力を出せるようにするというのも、大切なことだと信じて。


最後に生活面に関しては、(僕の健康も含めて)まずは妻との生活が全ての基盤なので彼女が健康であることを願いつつ、楽しく明るく暮らしていきたい・・・とそれだけを願っている。もしもう少しだけ贅沢を言うことが出来るのであれば、日本に帰ってきてたまった積読リストを少しずつ削っているので、それをもう少し早いペースで進めていきたいと思っている。中国関係については本当にイチから勉強し直したいと思っているし。


ということで、まったく面白みがない新年の豊富になってしまったのだが、今年もゆるゆると空気のきれいな日本で生活を楽しみたいと考えています。本年もよろしくお願いいたします。


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2013年5月19日 (日)

で、結局MBAはいくらかかったの?

日本に帰ってきて早くも三か月。巷で言われるアベノミクスのおかげですっかり円安に振れてきた為替を見ると、自分が(結果として)絶妙なタイミングで留学をしていたのだな~と思わずにはいられない※1「グローバルエリート」とか「グローバル人材」とかいろいろ言っても、実際に海外で学ぶとなれば先立つものは金である。特に私費学生にとっては、留学期間中はほとんど収入はなくなるわけで、資金計画というのは非常に重要になってくる。

ということで、今回はCEIBSに在籍してどれくらいの費用がかかったのかということを、お伝えしたいと思う。



■ 生活費は予想外にかかる

MBAでの生活にかかる費用というのは、ざっくり分類してみると以下のようになる。

  1. .学費
  2. 住居費
  3. 日々の生活費
  4. その他

この中で1は自分の工夫ではどうにもならないので、そのほかの部分で「自分の期待値」と「手持ちの金」を見比べながら日々工夫していく必要がある。まあ、MBA生活ではいきなり出費が必要なイベントが発生したりして工夫も泡に消えることになるのだが・・・。


まず話を始める前段として、僕が留学生活でかかった費用を出してみよう。話の前提として、僕はMBA学生の中ではかなり倹約して生活をしているほうだった・・というのを覚えていただきたい。

  1. 学費 → 50,000ドル(日本円で約400万円:80円/ドル)
  2. 住居費 → 約36,000元(日本円で約50万円:14.5円/元)
  3. 日々の生活費 160万円(18ヶ月・一ヶ月約9万円)
  4. その他 100万円

合計してみると710万円前後である。


当初留学を始めるときに考えていたざっくり予算がだいたい700万~750万円だったので、
だいたい計算通りに収まったといえる。それでは各項目を少し詳しくみてみたい。


まず、1の学費は自分でどうすることも出来ない固定部分なので、受け入れるしかない。
仮に奨学金をもらうことが出来ればこの部分を減らすことが出来るのだが、奨学金はいろいろな要素が絡んで支給が決まるので、個人的にはそこをあてにして計算をするのはお勧めしない。
ちなみにこの金額、毎年上がっていて今年は380,000元になっていた。ドル換算は書いていなかったのが、現在の為替基準でいうと61,000ドルぐらいである。これは高い。。

2は上海という立地のおかげで(というかschoolの安いドミトリーのおかげで)随分と低く抑えることが出来ている。僕の場合はドミトリーの一人部屋に住んでいたのでこの金額だが、二人部屋での生活を受け入れることが出来れば、さらに半額にすることが出来る。
米国留学組に聞くと、最低で1,000ドル/月は見なければならないという話だったりするので、やはりこの部分ではCEIBSはお徳である。


3に関しては前半はかなり低めで月5万円ぐらいで後半になるにつれて金額が上昇するというわかりやすいカーブを描いた。自分は中国生活が長いせいか、他の留学組からは不平がかなり出ていた学内食堂も特にあきることなく食べ続けることが出来たし、最初のほうはかなり忙しく外に出ることがなかったのが、だんだんと外に出る時間が増えて・・・という感じで出費が増えたという結果になった※2
自分としては最大で月10万円、少なくて5万円ぐらいと見込んでいたのだが、4とあわせれば月10万円を超えているわけで、予想よりも金額がかかっているという感じだ。

4は金額だけを見ればかなり使った感じがするが、これでも他の海外学生に比べればはるかに抑えられている方だと思う。なにせ、MBA期間と言うのは人生でもしかしたらとれる最後の夏休み(引退後は夏休みというより第二の人生なので・・・)なので、みな時間があればいろいろなところに旅行に行く。自分も各休みで旅行には行っていたが、お金はなるべく安く、かつ時間的にもそれほど厳しくないところ・・という感じで選んでいたので、個人的にはすごく節約感がある。


・・・とここまでは予定通りに計算は進んだのだが、実際にはこれに加えて「MBA中に現在の妻と生活を始める」と「日本に帰国して就職する」という二つの想定外のイベントが発生したので、いわゆるMBA生活中にかかった費用はもっと増える。

  1. 生活費の増額(6ヶ月):約60万円
  2. 日本への帰国費・住居費(初期費用):約110万円

これを足すとだいたい総額で900万円で、想定よりも約150~200万円は増えている。
そもそも中国のMBAを選んだのも、中国大陸で働き続けたかったからで、日本に帰ることなど想定はしていなかったし、BAが始まったばかりのころはまだ現在の妻と出会ってもいなかったわけで、さすがにこの状況を予想するのは無理だった。


結局この予想外の出費もあって、日本で働き始めたときの手持ちの現金の状況はお寒い限りになってしまい、入社した会社の初回の給与が3月になるか4月になるかで精神をすり減らしたのも、まさにこの予想外の出費のためである※3


■ 資金面での優位性は消えつつあるアジアMBA

ちょっと前まではアジアのMBAというのは「欧米MBAに行くよりも資金的なハードルが低い」というのが一つの売りになっていたのだが、上の金額を見ればわかるとおり、それでも働き始めて数年で上記の金額を準備するというのは決して楽な話ではない。

さらにいえば円安・・というのはどこに留学するにしても変わらず影響を与えるのだが、中国の場合は、学費の急激な値上がりとインフレによる生活費の上昇というのも考慮しなければならない。ためしに、今の円相場(わかりやすく1ドル100円、1元=16.7円)で計算をしてみよう(僕の場合は平均で1元=13円程度)

  1. 学費 → 380,000元(日本円で約630万円)
  2. 住居費 → 約36,000元(日本円で約60万円)
  3. 日々の生活費 200万円
  4. その他 → 約130万円:日本への帰国費(就活用に2回)、旅行代(東南アジア、香港など+ジャパントリップ)、中国語語学学校代、スマホ購入など

なんとざっくりの計算で1,000万円を超えてしまう。。。

もちろん円安が進んでいるのは全ての通貨に対してなので、一概にこの結果を見てCEIBSの価格競争力が下がったとは言いがたいのだが、それでも1,000万円という金額はインパクトがある。。。(何度も繰り返すが、他のschoolの金額も上がっていることはわかっていても)もし自分の時にCEIBSに入るのに1,000万円かかると知っていたら、間違いなく他の欧米系のschoolにいったであろう。


MBAへの投資は30前後の私費留学生にとってはすさまじく大きい投資だ。投資である以上当然リターンを求めるわけだが、今の自分に「CEIBSに1,000万円の価値がありますか?」と聞かれると非常に難しい。正直にいえば2-300万ぐらいしか違わないのであれば、(よっぽど強いモチベーションを大陸や中華圏に感じないのであれば)欧米系にいったほうがいいですよ・・と思ったりもする。

長い間アジアMBAの優位性は「MBAを比較的安価でとれて、かつ欧米では出来ない経験が出来る」というところにあったのだが、少なくとも金額面ではあまりメリットを感じない状況になってきたのだな、というのが今の率直な感想である。これまでは国の経済に成長にあわせて学費も右肩上がり、ランキングも上がりといういいサイクルを描いていたアジアMBAもこれからはいよいよ「提供できる価値」で勝負する時代が来るのかもしれない。




※1・・・その前から中国で長く働いていたので、働いている時期にはもっと円安になってくれれば、円ベースの給与は増えるのにな・・と思っていたのだが。
※2・・・といっても学内食堂は食事を楽しむというよりも、エネルギーを体に取り込むという感じで食事をしていたのは否めない。
※3・・・幸いなことに3月から給与が支払われたので事なきを得た。

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2013年4月 7日 (日)

帰国後1ケ月半の近況など

タイトルを変えます・・・と言ってから、一ケ月まったく更新も出来ずに過ぎてしまった。心のどこかでは常に「blogを更新しないと駄目だぞ~」という囁きが頭の中にあったのだが、ついPCに向かう気になれないうちに気がつくと・・という感じで、自分でもイマイチエネルギーが湧いてこない状態にちょっと驚いている。

4月になってようやく会社でのリズムも取れてきて、日曜の週末になり「blogでも書くか!」という気持ちが沸々と湧いてきたので(もしかしたらまるで泡のように消えていってしまう可能性もあるけど・・)、まずはリハビリ代わりにこの1ケ月何をやっていたかを記録代わりに書いておこうと思う。

  1. 引き続き諸手続きなど
  2. 3月1日に新しい会社に出社しはじめても依然として帰国の諸手続きは結構続いていて、これで結構エネルギー(時間はたいしてかからないけど)を費やしていた。まず、入籍と住所変更に合わせて免許証やら携帯の登録を変更していたりした。保険証がいまだ届いていない状況では、免許証が実質的に唯一の身分証明書のようになってしまうのでこれはかなり重要なのだが、土日に変更するとなると免許センターまで行かなければならないわけで、かなりの時間がかかったりする※1

    こういった「自分での申請の仕方がわかっている」手続きは確実に終わるのでまだいいのだが、例えば会社の保険(社保)での扶養認定などは、何度も何度も書類の出し直しの連絡が来て、これにストレスが加わり本当にイライラした。妻の仕事がやや特殊・・というのもあるのだが、「翌年度の収入が基準以下になることを合理的に推測できる書類」とか言われてもそういった類のものはなかなかない職業もあるし、実際に揃えてみたら、「税」ではなく「社会保障」基準での年収計算が必要になる・・とか、こういったことが初めてというのもあるが、(システムとしての合理性が)意味不明なことがたくさんあった。

    とりあえず思ったことは「日本は、一度想定される『平均的な日本人』から外れると、激しく手続きが面倒臭い」ということ※2


  3. 体のメンテナンス開始
  4. 中国にいる5年半、海外旅行保険も入っていたし、それなりに運動もしていたのだが、いざ日本に帰ってくるとやはり体が色々とガタが来ていたので、少しずつメンテナンスを開始し始めた。手っ取り早く始められることで、とりあえずは「土日のどちらかは必ずジムに行く」と「歯医者にいく」の二つから始めている。

    歯医者・・・は海外にいる人間にとっては結構共通の悩みどころで、日本人が多い大都市にはほぼ日系向けの歯医者というのがあるのだが、海外旅行保険の対象外となっているところが多く、自分で治療を受けようとするとかなりの出費を覚悟しなければならない。僕はもともと虫歯が出来づらい体質なので、結局中国では一度も歯医者にいかなかったのだが(というか、小学校以来お世話になっていなかった・・・)、さすがに親知らずが時々痛むようなこともあり、歯医者に向こうことにしたのであった。


  5. 肩こりに悩まされる
  6. これ、ある意味メンテナンスと同じなのだが、特別なトピックにしたいくらい、今の自分にとっては大きな問題である。
    帰国直前に背中や肩の痛みが激しくなり整体に行ったり、鍼治療をしてから少しは楽になっているのだが、それでも今年に入ってからはとにかく常に背中と肩が重い感じがはなれなくなってしまった。毎日体操をして肩をほぐしたり、湿布を貼ってりして寝ているのだが、3歩進んで2歩下がるという感じでなかなかよくならない。

    仕事が始まるとPCに向かっている仕事なので状況はさらに悪くなり、基本的に1時間に1回は体操をするし、午後にはシャツになって肩を動かすような時間をとらないと痛くて動けないような状態である。
    こういった感じなので、家に帰ってくると疲労困憊で頭はボーっとするし、肩は張っているしでなかなかPCに向かうような作業をしようと言う気にはなれない。

    中国では中医と呼ばれる針やマッサージ治療を行ってくれる医者がいるのだが、日本では保険適応外になってしまうのでそう多くは行けない。なので、この一ケ月自己流でああでもない・こうでもないと色々試してみていた(その結果多少楽になったのも事実)。
    ただこれからまだまだ長い間仕事をしなければならないことを考えるとこういった騙し騙しには限界がある・・ということで、ようやく本格的に整形外科に行くことにした・・・と決めたのが昨日の話。


この肩の痛みは現在進行形なのだが、とりあえず友人に整形外科を教わったので来週の休みにそこに行ってみることにしたのであった。ということで、今週以降もどのくらい記事がかけるまで体が回復するかちょっとわからないのだが、とりあえず来週の病院にこうご期待・・(出来れば週半ばに一本ぐらいは書きたいと思っている。。。)


※1・・・「写真付きの身分証明書」を公的証明書としてもとめているのに、そういった現住所が登録されている公的証明書が免許証しかないというのは理解不能な状態。パスポートでもOKだが、パスポートの住所は自分で手書き変更可能だし。車の免許を持っておらず、海外にいかないからパスポートもないという人間はどうやって対応しろというのだろう。
※2・・・海外に在住している日本人は100万人を超えているのだが。。

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2013年2月28日 (木)

本帰国と、出社と

前回の更新から随分と間が空いてしまった。そういえば全然blogを書いてないな・・と思って前のエントリーを見ると、2月7日にあげていたので気がついたら三週間も更新を空けてしまったことになる。ようやく一息つくことができたと思ったら、もう明日は3月である。

この間に何をやっていたのか・・と言えば、大きく分けて3つ。


  1. もちろん日本の本帰国に向けての引越し準備
  2. これは日本側と中国側に分かれて、行っていたので比較的スムーズに行うことが出来た。荷物搬出がうまくいくかどうかだけが心配だったのだが、それも運送業者がてきぱきと作業をしてくれたおかげで、拍子抜けするくらいあっさり終えることが出来た。
    上海には日系の引っ越し業者がたくさんあるので基本的にはお任せをしておけば問題ないのだが、今回は三社見積もりを依頼した上で最終的にヤマト系列の会社にお願いした。交渉の結果、値段も一番安くなったし、提案時の対応もすこぶるよかったというのが理由である※1

    荷物を送りだす際にはパスポートを預けなければならないので、荷物発送当日に帰国というスケジュールを組むことは無理だったので、空いた時間はこれまでお世話になった方々や、友人たちとのお別れの時間をとることが出来た。正直言えば、日本に戻ると言っても「いったん行く」という感覚なので、さようならよりは、またしばらくあとで会いましょう、という感じ。メッセージングアプリやらSNSのおかげで別れを気にせずに、住む場所を変えることが出来るというのは2008年に一回上海を出ることになりそうになったころには想像もつかなかった。技術はこういうところで、確実に人の決断に影響を与えているのだなぁと思う。


  3. 入社向け研修を粛々と
  4. 帰国後に入社する会社からは早々と研修用の資料が送られてきていたのだが、授業終了後に寝込んだり、日本に戻って家を決めたりとなかなか時間を作ることができなかったので、家を決めてからようやく本腰を入れて研修に取り組むことが出来るようになった。

    この研修、基本的にはサーバー上におかれているビデオをストリーミングで見るというものなのだが、どうやらサーバーは中国国外に置かれているようで認証がうまくいかなかったり、音声と映像がずれたりということが結構発生してしまい、中々気持ちよく研修を進めるということが出来なかったのが痛かった。まさか企業側も中国向けのみにコストを増やすわけにはいかない・・というのはわかるのだが、カクカク動く映像を見ながらずれた音声を聞くのはなかなか不思議な気がするのであった。

    23日に帰国後もしばらくは家のネットを引くことができなかったので、全く進捗はストップしてしまったのだが、おとといにフレッツ光が引かれると一気に高速対応が出来るようになり大変気持ちよく研修を進めることが出来ている。やっぱり規制がなく、さらに回線速度が速い日本はこういった面ではすごく気持ちよく過ごすことが出来る。


  5. 新生活の準備
  6. 家は前回の日本帰国で決めることが出来たし、最低限の家具は連れ合いが見繕ってくれたというものの、日常生活を送るにはまだまだ足りないということで23日に帰国してからはひたすら新生活の準備を進めていた。なにせ、5年半ぶりに日本に帰ってくるし、中国では借家であっても全て家具はついているので本当に0からのスタートである。今こうやってblogを書いていても、家の中はかなりがらんとしていて、荷物が搬入されるのを待っているという状態である(多くの荷物の搬入は明日の予定)。

    また今まで一人で暮らしていた時には公的手続きやら銀行登録などかなり適当に行っていたのだが、結婚をしていきなり責任感がましたのか、それとも書類文化の中国に5年半いた間にすっかり性格が変わったのかはわからないが、とりあえず思いつく限りの手続きを一気に進めた。


    なにせ日本を去る時には「もう二度と日本で働くことはあるまい」と真剣に思っていたし、「結婚するなら中国人に違いない」と考えていたので、碌に書類は残っていないし、今まで海外にいたことを申請していなかったところには前の住所を言わなければならないがすっかり忘れていたりと、無駄に時間をかける羽目になった。こういうことを若いうちから出来る人というのはあんまりいないような気がしているのだが、まあ、なんだかんだいっても書類は大切ということはどっかでしっかり教えてもらいたかったもんだ・・・と思ったりもした。


前回のエントリーでは人生のストレスが山盛りになってくる時期・・と書いたのだが、本当にこの三週間は山盛りの書類手続きと、色々なところにいっては申請書を出すということを繰り返していたおかげで、率直に言って精神的にも肉体的にもかなり疲労をした。短期集中で一気に片付けるのだ!!・・と決めていたので、結果としてはほとんど手続きは残っていないのが、後からご褒美になることを期待している。


ようやく一息をつくことができたのは今日の午後だったのだが、気がつけば明日が新しい会社の入社日ということで、本当にあっという間に過ぎてしまった二月だった。こんな濃い一ケ月はもう二度とこないだろうと思うと(期待すると)、自分を少しほめてやりたい気持にもなる※2

明日からは全く新しい職場で新しいことを始めるということで、緊張でもするのかな・・と思っていたのだが、どちらかというとここまで溜めていた書類を一気に提出できるという喜びと、普通に金曜日を迎えられるという安堵で予想外にリラックスできている。友人たちや、ネットでつながっている中国経験者からは「3年以上日本にいるとしばらくリハビリが必要だし、すぐに辞めちゃう人もたくさんいるよ~」と脅かされているのだが、実に5年半ぶりの日本帰国で、はたして適応できるのであろうか・・。というか、もともと適応できていなかった過去があるだけに、本当にドキドキ。


※1・・・値段だけだったら最初の見積もりを出した時点では他に安い会社もあったのだが、そこは営業担当が大変タバコ臭かったのでお願いをするのはやめた。梱包時に荷物にたばこのにおいがつくのはやめてもらいたかったからだ。
※2・・・連れ合いの出産と転職と海外赴任が同時に重なったら、これぐらい忙しくなるかもしれない・・。

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