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2021年10月10日 (日)

[Movie]ハリウッドを斬る! ~ 映画あるある大集合 ~ on NETFLIX

映画というエンターテインメントは流石に長い歴史を持っているだけあって、物語の作り方や演出のパターンがしっかりと確立されている。クリエイターはオリジナリティを出したいと考えるのが一般的だろうが、あまりにとっぴな作品を観客に受け入れてもらうのもかなり難しい。自分も含めて観客というのはわがままなので、”適度に”新たな作品を見たいのだ。

結果として、ハリウッドで製作される映画には大量の「あるある(原題ではクリシェ)」が散りばめられることになる。観客と制作側のお約束といってもいいクリシェは短い上映時間の中で、説明不要で共通した見方を提供することが可能になるからだ。


本作はそういった大量のクリシェを取り上げるとともに、バッサリ斬ってしまおうというドキュメンタリーだ。

本作で取り上げられる「あるある(クリシェ)」には以下のようなものがある。言われてみれば、確かによく映画で見るものばかりだ。
  • ロマンティック・コメディではどちらかが婚約している
  • 男性がストーキングしても笑って許されるが、女性がすると悪役になる
  • わかりやすい死亡フラグ
  • お葬式のシーンでは主人公は遠くから見つめる
  • パリといえばエッフェル塔
  • 平凡さを強調したい時は、パンが入った紙袋をキャラクターに持たせる
  • りんごを齧るのは横柄なキャラクターを強調したい時
  • セックスの際に、なぜか女性はブラを外さない
  • 驚いた時には飲み物を吹きだす
  • 怒った時には机の上のものを壊す
  • 叫び声は「ウィルヘルムの叫び」を使う
  • スマーフェットと呼ばれるかわいい紅一点が映画に配置される
  • 女性のアクションシーンでは、なぜかハイヒールを履いている
  • 黒人はなぜか人助けをすることが多い(マジカル・ニグロ)
  • 同性愛者は圧倒的に死ぬ割合が高い
  • 悪役はなぜかイギリス訛りが多い
  • ヒーローは圧倒的に白人が多い
  • ロマンス映画の最後では、キャラクターが走る
ホラー映画では、最後に女性が生き残ることが圧倒的に多いこうやって並べてみると、映画というのはクリシェだらけじゃないか・・という気がしてくる。自分が好んでみるゾンビものなどは、テンプレート映画の極地といっていいものなので、こういった大量のクリシェの塊をいかに演出するか、どこで定石を外してくるかで勝負が決まると言っていい。そういえば、ゾンビもので主人公が一人生き残る映画って、常に女性ばかりだったりする。

上のリストを見るとわかるとおり、こういったクリシェは制作側の馬鹿げたジョークのようなものが比較的多い。叫び声として同じ声を使い続けるというのもそうだし(劇中でも馬鹿げていると言われている)、悪役はなぜかイギリス訛りが多いというのも、アメリカ人が持つイギリス人のステレオタイプを考えると、わからなくもない。

一方で同じくらい、映画というエンターテインメントが気づかないうちに我々の偏見や差別感を強化してきたというのも見逃せないだろう。近年のハリウッドではそういった「常識とされてきた差別」に対する反省がかなり広まってきたし、おそらく本作もそのような反省の意識が根底にあったと思われる。

例えばそのようなクリシェは、理由もなく白人を許すという黒人という存在であったり(現実世界で差別をしている白人が、黒人に許してもらいたいという気持ちが反映されている)、同性愛者が理由もなく死ぬ(理解されないマイノリティが死ぬことで救済を得る)が該当するだろう。前者は劇中でも取り上げられていたグリーン・マイルが代表的な作品だし(正確にはこれは小説の映画化だが)、後者はダラス・バイヤーズクラブが当てはまる。


さらに重いのは正統派ヒーローはほとんど白人ということだ。人口割合で言うとヒスパニックや黒人、アジア系のヒーローがいてもおかしくないが、ハリウッド大作では滅多にお目にかかれない。

もちろん、そう言った流れに対抗するような作品も多く出てきている。ブラック・パンサーの製作ではディズニーが意図して黒人ヒーローが登場する作品をピックアップしたと公言していたし、Half of Itのように思春期の同性愛を殊更に強調しない作品も出てきている。とはいえ、こう言った流れが確固たるものになるには、まだまだ長い時間がかかるのだろう。そもそも制作を決定する「背広組」は圧倒的に裕福な白人が多いのだ。

いわば本作は「映画あるある」の羅列という一見馬鹿馬鹿しい切り口と見せながら、現代的な批判精神を持ったドキュメンタリーだということだ。

アジア系の自分としては、この流れが次にどのようにアジア系に波及するのか・・・ということも気になる。ハリウッドでは難しいかもしれないが、NETFLIXのように世界各国でコンテンツを制作しているサブスクサービスの方が、より多様な作品が生まれやすいかもしれない。今年配信予定のジョン・チョー主演のカウボーイ・ビバップの評価が今から楽しみだ。

[Movie]名探偵ピカチュウ(ネタバレあり)

ポケモンは、日本発のキャラクターではマリオと並んで世界で最も知られている存在と言っていい。これまでに積み上げた知名度はもちろんのこと、今でも定期的に新作が発売されて世界観がアップデートされていることで、常に新鮮な状態を保っている。ディズニーのキャラクターとも比較されるほどの知名度を持っているとも言われるが、ミッキーやドナルドを主役とした作品が長く作られていないのとは対照的だ。さらに、ナイアンティックと組んだ地理ゲームであるPokemon GOにより、これまでにはリーチできなかった層もポケモンを知ることになった。

しかし実を言うと、Pokemon GOがリリースされるまでは、自分は同世代の多くがはまったポケモンとは随分距離があった。第1作が発売された1996年は高校受験でそれどころではなかったし、高校進学以降は毎日の通学が長すぎて、ゲームからはすっかり距離が出来てしまったと言うのが一番の理由だ。なにせ片道1時間近く満員電車に揺られ、1日の合計で3時間以上を通学で使っていた自分には、家で継続的にゲームをするような体力は残っていなかったのだ。
また、ポケモンというゲームの本質が「コレクター性」を重視するというのも、自分の趣味嗜好とは合わなかった。自分は小さい頃からストーリー重視派で、いわゆるやり込みはほとんどしないタイプの人間だったのだ。

そういうわけで、本作が公開された時もそれほどの感慨はなかった。Pokemon GOで見たことのあるキャラクターが映画化されるんだなぁ・・・ぐらいの理解だったのだ。なにせ、Pokemon GOを始めるまではピカチュウとミュウツーしか知らなかったぐらいなのだ。



あらすじ: ティムは長い間没交渉だった父親が事故死したという連絡を受け取り、彼が住んでいた街へ向かう。父親が探偵を生業としていたライム・シティはポケモンと人間が共存する街として知られていた。父の友人であるヨシダ刑事(渡辺謙)から父親の死を改めて知らされたティムは、最後の確認として父親のオフィスを訪れる。そこで、ティムは記憶を失ったピカチュウ(ライアン・レイノルズ)と出会う。普通は人間とポケモンは会話をすることはできないはずなのだが、なぜかティムはピカチュウの話す内容を理解することができたのだった・・・


我々の世代が、「実写とアニメの融合」と言われて真っ先に思い浮かべるのは1988年公開のロジャー・ラビットだろう。トゥーンと呼ばれるアニメのキャラクタが現実世界で人間と共存しているという設定を採用したかの作品は、子供心に強烈な印象を残した。当時はダントツでお気に入りの映画だったし、今でも人生の中で心温まるベストの映画の一つだ。

ポケモンについての知識がほとんどない自分にとって、本作はそのロジャー・ラビットに極めて近い作品と感じられた。この30年でキャラクターを描く特殊効果は大幅に向上したが、物語の本質はそれほど変わらない。愛すべきキャラクターと人間の相互理解というテーマがそこにはある。


逆説的に聞こえるかもしれないが、本作の最も良いところは自分のように「ポケモンのことをほとんど知らない」人間であっても楽しむことが出来るということだ。劇中ではたくさんのポケモンが登場するが、ポケモンの設定に寄りかかった展開というのはほとんどない。ピカチュウが雷に関係した技を使うということぐらいは知っていた方がいいかもしれないが、名前と尻尾の形から想像することもそんなに難しいことじゃない。

一方で、ポケモンのファンがしっかり楽しめるように、ストーリーにはそれほど絡まないところで、多くのポケモンが登場する。非合法の闘技場ではポケモン間のバトルを楽しむことも出来るし、一見さんを拒絶せずにいながら、ファンをしっかり楽しませるという難しい課題をあっさり達成する本作の脚本と演出のレベルはかなり高い。しかも実質的には上映時間は1時間半程度で、これなら子供も大人も一緒に楽しむことが出来る。全世界で4億ドルを超える大ヒットをしたのもわかる、匠の技を楽しめるのが本作だ。


本作では人間の主人公が設定されているとはいえ、観客が見にくるのはポケモンだ。なので、人間側にはそれほど有名な俳優は登場していない。渡辺謙が出てくるのは、ポケモンが日本発ということもあって、日本人を一人は出しておこうということだろう。また主人公が白人でないというのは、ポケモンが世界的なコンテンツであることを考慮しての決定だろう。白人ばかりのポケモンというのは、確かにちょっと違うという気がする。

その中で黒幕役として出てくるビル・ナイが、相変わらず得体の知れないキャラクターを演じているのが面白い。彼は情けない初老の男性を演じさせるとぴったりハマるが、無実はさいなむで見せたような、裏で何を考えているのかわからない男性を演じさせても、同じくらい味がある演技をする。・・・もしかしたら、自分の中では老齢になった男性というのは、そういう弱さと得体の知れなさを共存させた存在だと感じているだけかもしれないが。

 

[ドラマ on NETFLIX]イカゲーム(ネタバレあり) : エンターテインメントの教科書のような作品

韓国発のコンテンツとしては、初めてNETFLIXで全世界1位の日別閲覧数を獲得し話題になったのが本作だ。最初にこの作品を教えてくれたのは妻だ。
しかし、韓国エンタメを一緒にフォローしている彼女の紹介が「イ・ジョンジェがパンツ一枚で頑張る」というものすごい適当な内容だったため、とりあえずMy listに入れておくことにしたのだった。その後SNSで漏れ聞く内容を見ると、どうやらストーリーとしては日本漫画のカイジを彷彿とさせるものらしいと言うことがわかってきた。

確かにカイジは面白いが、My Listに長い間貯めておいても楽しめるというタイプの作品ではない。このタイプの作品というのは、お互いの感想や解釈をネットで披露し合うのが楽しいのだ。つまり、世の中の勢いに任せて見ないと永遠に見ないタイプの作品なのだ。
そういうわけで、全体で9時間とやや長いシリーズを一気に見てしまうことにしたのだった。



あらすじ: ソウルに住むソン・ギフン(イ・ジョンジェ)は会社をクビになった後の事業にも失敗し、今では借金まみれになり、年老いた母親とその日暮らしをしていた。今では別れた妻と暮らしている娘だけが生き甲斐だったが、彼女たちも再婚した男性と来年にはアメリカに向かってしまう予定だった。
ある日、彼は地下鉄で見知らぬ男(コン・ユ)から「メンコ遊び」に誘われる。メンコ遊びに勝つだけで10万ウォンを渡すという彼の言葉を受けて、ギフンは勝負を受ける。なんとか男に勝利したギフンは10万ウォンを受け取り、同時に電話番号だけが書いてある謎のカードを手に入れるのだった・・・


日本人ならどこかで見たことのある物語だが・・・

SNSでは、日本の漫画やエンターテインメントの影響が強く盗作の疑いもあると糾弾されている本作は、確かに日本人からするとそのように見えてしまうというのもわかる。例えば、色々な人が集められてデスゲームを展開するというのはカイジを彷彿とさせるし、第5のゲームとして提示される「ガラスの橋渡」はカイジの鉄骨渡りと酷似しているといってもいいだろう。

また、第1ゲームである「だるまさんが転んだ」は神様の言う通りを彷彿とさせるし、最後の1人だけが勝ち残り、仲間内での戦いも認められていると言う設定はバトルロワイヤルを思い出させる。

ただこういう事例を持って、日本のエンターテインメントのパクリであると言うのは、ちょっと言い過ぎだと思う。韓国はここ10年ほどでWEBで読める漫画(ウェブトゥーン)が急速に発達しており、おそらく本気で探せば本作と似たような作品も絶対に見つかるだろう。そもそも、こういったデスゲームのフォーマット自体を用いた作品は世界中にあるはずで、過去の類似作品を探そうと思えば、そこらじゅうに見つかるのは間違いない。

サブスクサービスやWEB漫画が世界中で展開されるようになり、供給されるエンターテインメント作品の数は増え続けている。そうなると、どうしても「あらすじ」や「大まかな展開」レベルでは同じようなフォーマットに乗ってくるものが増えてくる。個人的には、そういったことは良いことだと思っていおるので、ある要素が似ているからといって”パクリ”と騒ぐのは、世界観が狭すぎると思うのだ。


・・・とはいえ、本作が明らかに日本のエンターテインメントの影響を受けたと感じたところも、やはり存在する。特にそれを強く感じたのは、劇中で物語の展開がなされる場面で”Fly me to the moon”が流れる部分だ。ジャズのスタンダードナンバーであるこの音楽は、日本ではエヴァンゲリオンの劇中で使われたことで、よく知られるようになった。
数多くあるジャズのスタンダードナンバーの中で本作が”あえて”利用されたのは、そこに意味があると考えた方が良いだろう。


エンターテイメントの教科書のような展開と演出

パクリや盗作といった話から一旦距離を置いて本作を見てみると、本作はエンターテインメントの教科書のような作品だった。
まずデス・ゲームというテーマ自体がエンターテインメントでしかあり得ない設定だ。日常からは明らかに逸脱した世界観を設定して、その中での人間ドラマを描くというのはエンターテインメントの最も得意とするところだ。特に本作で取り上げるゲームはシンプルなものばかりなので、より人間ドラマとしての側面が強くなる。

本作で参加者が立ち向かうゲームは全部で6つ。
  • 第1ゲーム: だるまさんが転んだ → 個人戦。時間内にクリアできなかったり、掛け声がないところで動いてしまうと ライフルによって射殺されてしまう
  • 第2ゲーム: 砂糖菓子からの型抜き → 個人戦。時間内にクリアできなかったり、抜くはずの形を壊してしまうと運営側に射殺されてしまう。
  • 第3ゲーム: 綱引き → 10人で組んでの団体戦。参加者全員は綱に繋がれているが、負けると転落してチーム全員が死亡する。
  • 第4ゲーム: ビー玉とり → 2人一組の対抗戦。一人10個のビー玉が持ち点であり、暴力を使わずに相手のビー玉を全て獲得した方が勝利。
  • 第5ゲーム: ガラスの橋渡り → 順番に一人一人が挑戦。片方は強化ガラス、もう片方は壊れやすいガラスでできた2つの橋を、一回ごとに選択して渡り切ったらクリア。前の人が壊れやすいガラスを選んで落下するとガラスも壊れているため、後ろに行けば行くほど有利になる。制限時間が過ぎると橋そのものが爆はされる。
  • 第6ゲーム: イカゲーム → 韓国で実際にあるゲームなのか、劇中の創作なのかは不明だが、陣地取りに近いゲームで、守備者の妨害を乗り越えてゴールに辿り着いたら攻撃側の勝利。

見ればわかるとおりどれもが子供が遊ぶようなゲームで、複雑なテクノロジーを活用したり、特殊な能力が必要とされるようなゲームは含まれていない。第5ゲームを除けば「運だけに頼るゲーム」は存在せずに、個々の人間の努力やカンが必要とされる(第5ゲームも、渡る順番は自分で選ぶことができたので、運だけではない)。


またこのゲームの間に挟まれるエピソードも豊富で、デス・ゲームものを見慣れている人であればニヤリとしながら見ることができるものばかりだ。しかも、それがちゃんとミスリードとして機能している。

  • 参加者がゲームの内容を知っている。例えば第2ゲームについては、ギフンの旧友であるサンウがマークを見て予測するシーンがある。旧友であるだけに、ゲーム管理側にいる人間なのか・・・と思わせるが、これはミスリード。
  • 同じく参加者がゲームの内容を知っており、かつゲームに裏の目的(本作の場合は移植用臓器の獲得)があるように思わせる。
    参加者間で殺し合うことで、ライバルを減らすことが出来る。そのため、後半は参加者同士で協力をし合いながらも、同時に警戒をする必要がある。
  • ゲームと同時並行で警察の捜査が進む。
  • 参加者内でゲーム攻略のために肉体関係を持つものが出てくる。
こういった”あるある”ネタがこれでもかと詰め込まれており、各エピソードの特徴が明確なのが本作の特徴と言えるだろう。言い換えると、捨てエピソードがないのだ。一度見始めたら、各エピソードの吸引力で続きを見たくなってしまう。

個人的にはその中でも、第六話が特に印象が強い。これまでは協力してゲームを乗り切ってきた主人公たちが、初めて明確に「相手を殺さなければ生き延びることが出来ない」ことを意識するのが、このエピソードだからだ。同時に劇中で最長のエピソードであるこの第六話は、初めて主人公の仲間のうち何人かが退場するエピソードでもある。全九話のうち2/3が終わった段階のエピソードではあるが、物語的にはクライマックスだったといっていいと思う。


一方で、オーソドックスなエピソードの集積であるので、シナリオ展開に驚きがなかったというのも、正直なところだ。SNSでは「最後に驚きの展開」と書いている人もいたが、劇中に事前に予想が出来たのは以下の内容だった。

  1. ゲームの黒幕は参加者内にいる(具体的に誰であるかも第六話で分かった)
  2. ゲームのホスト役を務めている人間は、過去の優勝者である(具体的に誰であるかも第五話で分かった)
  3. ゲームの優勝者は、次のゲームにも自分で参加する意思を見せる


配役が全てを決める

今まで書いてきたように本作は確かにストーリー自体が面白い作品ではあるが、一方でオーソドックスな展開を超えるようなものではない。それでも、最後まで早く見終えたいと思わせるのは、間違いなく参加している俳優の力だ。

ます、主役を務めるイ・ジョンジェ。第1話での情けない姿から、ゲーム後にパンツ一枚で縛られる姿、そして最終話でのタキシードを着ての戦闘という振れ幅の大きい役割を無理なくこなせるのは、間違いなく彼の魅力によるものだ。この作品でインスタグラムのフォロワーが一気に増えたようだが、彼は閻魔様(神と共に)から裏切り者の殺し屋(暗殺)、潜入スパイ(新しき世界)まで、あらゆる”突き抜けた”役が出来る俳優なので、ぜひ本作以外の作品も見てほしい。それにしても最終エピソードの立ち姿の格好いいこと。

ほぼ全員が死亡してしまう脇役陣も、味わいのある俳優ばかりが演じている。こういったデスゲームモノでは「散り際」が重要になるので、脇役と言うのはとても重要なのだ。特に脱北者でセビョクを演じたチョン・ホヨン、実質的には2エピソードしか出演していないのに強烈な印象を残す240番ことジヨンを演じたイ・ヨミ、そして生き残るためにあらゆる手を尽くし、最後に裏切り者を道連れにして死んでいくキム・ジュリョンの3人の女優は素晴らしかった。イ・ヨミとキム・ジュリョンの過去の参加作品を見ると、見たことがある作品が複数あったのだが、さっぱり思い出せずにいる・・。


しかし、本作でのNo.1俳優を選べと言われれば、間違いなくサンウ役を演じたパク・ヘスだろう。ギフンの友人にして最大のライバルとなるサンウは、町一番の秀才と言われ、超難関のソウル大に入学したにも関わらず金融取引により身を持ち崩した男として設定されている。
最後までゲーム内での殺し合いに嫌悪感を持つギフンとは違い、いち早くゲームに適応した彼は少しずつ仲間を殺すことに躊躇をしなくなっていく。そして、最終的に賞金をかけてギフンとのファイナルゲームに臨むことになるのだ。

こう書くといかにも嫌なキャラクターに聞こえるはずだが、実際にドラマを見ているとちっともそういう感じに見えないのが、演じたパク・ヘスの持ち味なのだろう。常に何かに後悔しているような表情を見せ、ナイフでの殺人を実行した時でさえ悲しげな背中を見せる彼は、最後の最後までギフンを「ヒョン(兄貴)」と呼び続ける人間でもある。過去の出演作品を見ると、ドラマを中心に活躍しているようだが、今後は映画でも絶対に話題作に出てくるだろう。


最後に・・・本作では韓国エンタメ好きであれば、顔を見ただけで必ずわかる大物俳優が2人登場してくる。事前にネタバレをしていてなかったので、画面で彼らを見た時には心底驚いた。SNSであれだけ取り上げられているのに、ネタバレしないのは、ファンの”お行儀”が良いからだろう。この文を読んだ方にも、彼らが登場した時の驚きを感じて欲しいので、あえて二人の名前はあげておかないことにしておこう。

 

2021年9月30日 (木)

[Movie]ジョン・ウィック: パラベラム(ネタバレあり)

アクションスターというのは一度その地位を築くと、年齢を重ねてもその地位をなかなか譲らないように見える。ずっと若々しいイメージのあるトム・クルーズももうすぐ還暦だし、もっと上を見ればハリソン・フォードはもうすぐ80歳になろうとするのに、いまだにアクション映画の主演をはっている。このような役者の高齢化は、アクションというのが単にパンチやキックを見せるというものではなく、「演技」であるということの何よりの証拠だろう。40歳になる前に心臓を痛めて手術した自分からすると、想像もつかないバイタリティだ。

本作シリーズで主演を務めているキアヌ・リーブスも、気がつけばもうすぐ60歳になる。これまで何度も「演技をしない演技」と全く褒めてない感想を書いているが、今も第一線をはっているどころか、過去最高に忙しいのが現在の彼だ。一度は完結したマトリックス・シリーズも2022年に第4作が公開されることが決まったし、ジョン・ウィックシリーズも第4作と第5作の製作が決まっている。
格闘技をしていた身からすると、手足が長すぎるキアヌはお世辞にも立ち回りが上手いとは思えない。だが、本シリーズは「回転」の要素を多く入れることで、逆に彼の長い手足が映えるような映像作りをしているところに特徴がある。

前作でボロボロになりながらも、コンチネンタル・ホテルで敵役を倒すことに成功した彼は、本作ではどのようなアクション(演技ではない・・)を見せるのだろうか。


あらすじ: 殺人が許可されていないコンチネンタル・ホテルで主席連合の一人サンティーノを殺害したジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は組織から追放されてしまい、1,400万ドルの懸賞金がかけられてしまう。旧友のウィンストンの計らいにより1時間の猶予を与えられたジョンは闇医者で怪我の治療を受け、ニューヨーク中の殺し屋の追跡をかわし、彼を殺し屋に育て上げた組織である「ルカス・ロマ」を頼るのだった・・・。


ジョン・ウィックシリーズは、劇中での時間の流れが恐ろしくゆっくりとしたシリーズだ。第1作で愛犬が殺されてから、本作までに劇中で流れた時間はわずか一週間。その間に、彼は200人以上の殺し屋を返り討ちにしている。キアヌの見た目がほとんど変わらないからこういった製作ができるわけで、もし老けやすい役者を主役にしていたら、本シリーズはこれほどの長続きはしなかっただろう(とはいえ、今のハリウッドであればなんとかしてしまいそうだが)。

第1作が世界中で予想外の大ヒットを実現し、第2作でその中二的設定が確定し長期シリーズとなった本シリーズは、とはいえ基本的にB級映画の雰囲気を濃厚に持った作品だ。シリーズのたびに謎の設定が追加されていくのはジャンプ的だし、本作では謎の日本人暗殺者も登場してくる。真田広之や渡辺謙のようにアクションもできる日本人俳優がいるにもかかわらずこういうキャラクターを出してくるというのは、製作陣が意図的にやっているとしか思えない。

おそらく製作側もドンドン積み上がる設定を全て劇中で消化しようとは考えていないだろう。コンチネンタル・ホテルを舞台に若い頃のウィンストンの活躍を描くスピンオフも制作されるということで、映画以外も使って世界観を膨らませていくつもりなのだろう。


そういうB級的(あるいは中二病的)世界観の中で、キアヌ扮するジョン・ウィックがバッタバッタと敵を倒していくのをひたすら楽しむ・・・というのが本シリーズの正当な楽しみ方だ。ただ、個人的には本作は過去2作に比べてアクションの”見せ方”がやや下手になったという気がしてしまい、チャプター2ほどには楽しむことが出来なかった。

例えばジョン・ウィックが移動用の馬を調達する際の戦いは、あまりにも上半身での攻防に動きが偏っており、躍動感が感じられなかった。もともと手足の長いキアヌはいわゆる”スピード感”や”キレ”を感じさせるようなタイプのアクションスターではない。そのような欠点があるにもかかわらずこれまでシリーズで美しい戦いを見せてきたのは、組みついてからの回転をうまく入れ込んできたからだ。手だけの戦いになると往年のスティーブン・セガールみたいだな・・と感じられてしまうところがあり、この辺りはもう少し工夫があってもいいと感じた。

また最後の戦いは、もう明らかに日本のテレビ時代劇で見るような殺陣を意識しているのか、敵がちっともジョン・ウィックを倒そうとしない。やたらと見合ったり、1対2で戦っているはずなのに、常に1対1に持ち込まれてしまっており、全然真剣に戦っていないのだ。この辺りは、ドスを使って血生臭い戦いを見せることにかけては日本映画以上の迫力がある韓国映画からもっと色々学べるはずだ。


さらにもう一つ付け加えるとすると、本作で新たに登場したハル・ベリーのアクションが大変しょぼくて悲しくなってしまった。銃を構えるシーンはそれなりに様になっているし、とびつきのシーンはカメラワークでうまく動きを見せているのだが、パンチのキレが絶望的に悪いのだ。どんなに相手が油断していても、あんなに遅いパンチでは倒れるはずがない。
飼い犬を撃たれてブチギレたシーンで笑いをとってくれたのはいいのだが、アクションはもう少しかっこよく撮ってほしかった。


一事が万事こういった感じで、とにかく本作は「これまでのシリーズで積み上げられた決まり事」を守ろうとするあまり、アクションがまるでギャグのように見えるようになってしまった。本作の醍醐味はキアヌがボロボロになりながらも間一髪のアクションで相手を薙ぎ倒していくところにあるのだから、もう少し見ているこっちをハラハラさせてほしい。本作で一番ハラハラしたのが、誓いのために自分で指を落とすシーンだったなんて、ちょっと悲しいじゃないか。

 

[Movie] PMC: ザ・バンカー(ネタバレあり)

事実上日本独自のサブスクサービスとなっているHuluは、Amazon PrimeやNEFTLIXとは少し違う作品選びのポリシーがあるように見える。どう考えても資金力ではグローバルプレーヤーに敵わないから・・というのがその主な理由だろうが、一方で日本市場のことをよく理解していると感じることも多い。

そう感じる一つの要因が、「本国ではヒットしたが日本ではマイナーな韓国映画」をよく配信しているということだ。ハ・ジョンウ、イ・ジョンジェ、チョン・ウソン、マ・ドンソク、ヒョンビンといった俳優が参加しているちょいヒットぐらいの作品を定期的に追加してくれているのだ。

本作もそういう感じで追加された作品の一つである。主演のハ・ジョンウはこのちょっと前に韓国で大ヒットした神と共に 第二章で主演を務めたばかりだ。・・・というか、公開年が一緒ということは、ほぼ同時期に撮影したということだろう。あれだけの大作に主演した後だったら少しぐらい休んでもいいのに・・と思うのだが、韓国の俳優は本当によく働く。



あらすじ: もとは韓国軍のエリートであったエイハブ(ハ・ジョンウ)は今では民間軍事会社ブラックリザードに所属をする傭兵となっていた。CIAに雇われた彼のチームは北朝鮮と韓国の軍事境界線の地下にある秘密要塞から、北朝鮮の最高指導者を誘拐するという任務を実行する。作戦自体は特に問題なくあっさりと成功するが、直後に中国に雇われた別の民間軍事会社の襲撃を受けたことで、事態は一変してしまう。重武装をした敵兵の攻撃を受けて散り散りになってしまったエイハブのチームは生還を目指して、戦いを継続することになる・・・


2018年の韓国映画としては、本作はかなり”攻めた”映画だ。まずCJエンタテインメントの製作なのに、本作の会話の7割は英語で展開される。おそらくハ・ジョンウが配役されたのも、彼が語学堪能だということも理由の一つだろう。アジア訛りとはいえ聞きやすい英語を本作で披露している彼は、お嬢さんではやや片言ながらも日本語を話していた。真田広之やケン・ワタナベを見てもわかる通り言葉ができることは明らかに俳優のキャリアを広げる。

また、CIAが韓国軍に事情を一切伝えずに作戦を展開するというのも、攻めた設定だ。ボーダーラインではメキシコ側に事情を知らせずにCIAは作戦を展開していたが、一応あれは民間組織が敵だった。北朝鮮の代表を殺害 or 拉致すれば大変なことになることはわかっているだろうに、当該国に知らせずに作戦展開をするというのは、かなり荒唐無稽だと言わざるを得ない。・・・とは言っても、終盤の超展開に比べれば、こんな設定は可愛いものでもある。

さらに、本作ではかなり明確に北朝鮮の最高指導者という存在が描かれる。ただ、流石に本人をそのまま描くというのは色々と刺激が強すぎると考えたのか、劇中ではThe Kingと彼は呼ばれており、顔もそれほど本物とは似ていない(が、後半で倒れているシーンはかなり似ているので、製作陣はかなりギリギリのところをせめている感がある)。これにより、かろうじて本作はフィクションであるという建前を維持している。


しかし、こういった色々と無理がある設定の上で展開される割には、本作は全体としておとなしい映画でもある。基本的には戦闘は地下の秘密要塞の中で行われるし、敵味方ともに人員は限られている。さらに、主役のエイハブは義足であり、かつその義足が物語前半で破壊されてしまうため、ほぼアクションらしいアクションを見せることはない。彼の役割は重傷を負ったKingの治療と、遠隔カメラを使っての味方への指示だ。

味方への指示は移動式の遠隔カメラと、固定カメラを活用して行われる。また、近未来という時代設定の本作では、兵士たちが持ったヘッドセットカメラの画像はリアルタイムで味方に共有されるという設定になっている。劇中では戦闘中にこの視点の映像がよく使われるのだが、その様はまるでFPSゲーム(First Person Shooting)をしているようだ。この前年に公開された悪女でもそういった視点がかなり使われていたが、この頃は韓国映画でそういう演出が流行っていたのかもしれない。

このゲームらしい構図というのは、北朝鮮の医者ユンの逃亡シーンや終盤の飛行機の落下シーンでも顕著に使われている。最近のゲームには映画のような演出の中で簡単な操作でキャラクターを動かすQTE(Quick Time Event)という操作があるのだが、そこで見られるような典型的な画面の構成にそっくりなのだ。
全体としてはストーリーは比較的地味なのに、画面はかなり派手・・という不思議な作品になっている。


ところが、本作は最終盤でそれまで積み上げてきた展開を一気にぶち壊すような超展開を見せる。CIAで指揮をとっていたマックの尽力もあり、エイハブとユン、そしてKingは地下要塞を無事に脱出し、アメリカ軍の輸送機に乗って第7艦隊を目指す。3人を無事に救出したことにより、大統領の支持率も急速に回復する。

しかし、安全を確保したと考えたエイハブたちが治療を受けようとしたところ、中国軍が輸送機に攻撃を仕掛け、3人は空中に投げされてしまう。その上、空中で必死にパラシュートを開こうと奮闘するエイハブの背後では核兵器が使用されたと思わせるキノコ雲が立ち上る。
最終的に、重症の身にもかかわらずKingのパラシュートを開くことと、ユンを救うことに成功したエイハブは、二人で戦闘が展開する上空を見上げるのだった・・・。


・・・ということで、本作はまるで第三次世界大戦が開始されたかのような描写で幕を閉じるのだ。これを「北朝鮮に下手に手を出すと、米中の対立がエスカレートする」という予測を表現した映画と考えるか、製作陣が深いことを考えずにクライマックスをとりあえず盛り上げただけと考えるかは、観客の自由だろう。

しかし、韓国の上空で米国の輸送機に攻撃を仕掛けるなど、普通の脚本家であれば考えても実際には映画にすることはないだろう。どのような演出をしようとも、それまで積み上げてきたリアリティが吹き飛んでしまうからだ。
実際にテレビの前で見ていた自分も、最後10分のこの展開には大爆笑してしまった。同じくは・ジョンウが主演していたベルリン・ファイルの時も、最後は「俺たちの戦いはこれからだ!」的なお割り方をしたが、本作はさらにひどい。自分の中で、謎展開映画というカテゴリーの中にはいる映画がまた一つ増えてしまった・・・。

 

2021年9月26日 (日)

[Movie]ダンケルク(ネタバレあり)

現代の巨匠クリストファー・ノーランは、名前だけで観客を呼ぶことが出来る監督だ。時系列を複雑に入れ替えることが特徴の彼の作品は、一度見ただけでは内容を完全に理解することが難しく、リピートする観客も多い。エンターテインメントに徹しながらも、一方で誰が製作しているか明確にわかるという作家性を保ち続ける、現代でも稀有な監督だ。自分も初期に製作されたインソムニアとフォロウィングをのぞいて、全ての作品を見ている。

その彼が第二次世界大戦でのイギリス軍の撤退作戦を描いたのが本作だ。タイトルは撤退戦の舞台となった地名で、ドーバー海峡を挟んでイギリスを見ることが出来るフランスの海岸地域だ。直線距離にしてわずか34km、人間が泳いで渡ることも可能なこの海峡を越えて撤退するためにドイツ軍と戦った連合軍(フランス軍 & イギリス軍)が本作の主人公だ。

世界中で5億ドルを越えるヒットを叩き出した本作はアカデミー賞でも複数の部門にノミネートされ、彼のこれまでの代表作となっている(これでも彼の作品の中では第5位のヒットというのも恐ろしい)。
彼がこれまで取り組んでこなかった異なるテーマをどのようにノーランが料理するのか、本当に楽しみだ。


あらすじ: 第二次世界大戦がまだ始まったばかりの1940年6月、イギリス軍とフランス軍はドイツ軍の大攻勢の前に撤退を繰り返し、ダンケルクに追い詰められていた。包囲された自国軍を退避させるための作戦を立案したイギリス軍だったが、ドーバー海峡を抑えるドイツ空軍とUボートにより、撤退は思ったようには進んでいなかった。
イギリス軍の兵士であるトミー二等兵はダンケルクの街で仲間を失い、撤退作戦中のダンケルクの砂浜にたどり着く。港にはイギリスの救助船が来ており、浜には長い列が続いていたのだった・・・


これまでとは全く異なるテーマを扱いながら、本作でもノーランの「時系列を複雑に組み合わせる」という特徴は変わらない。今作では、ダンケルクにて救いを待つ軍隊の一週間、兵士を救うためにイギリスからダンケルクに向かう民間船の1日の活動、そして、上空でドイツ空軍との先頭を繰り広げるイギリス空軍の1時間、という異なった時間軸の物語を並行して描いていく。クライマックスの主人公トニーの救出の場面でこの3つの時間軸は収束し、物語はクライマックスを迎える。

このように書くと随分と複雑な映画のように聞こえるが、こういった複数視点を描くことが多い「漫画」というメディアに慣れている日本人には、それほど難しくは感じないだろう。冒頭に上記の3つの物語が存在することを明確に伝えるキャプションが入ることもあり、筋を追っている間に迷子になることもない。ストーリーは一方方向に進むのに、逆進する時間の中で活動をするという設定だったテネットの方がよっぽど理解が難しい。


しかしこれまでのノーランらしさというのは、この部分に見られるだけで、映画としてはかなり方向性の違う作品になっている。一言で言うと、彼の作品のもう一つの特徴である外連味がほとんどないのだ。バットマン・トリロジーインセプションインターステラーで見られるように、ノーランの映画というのは「明確にフィクションだとわかる世界観の中で、ギリギリまでリアリティを追求する」という姿勢が色濃く見える。インターステラーがSFとしても高く評価されたのは、そのブラックホールの描き方が科学的に正しい描写であったからだ。

しかし、本作においてはその”フィクション”のようなものがごっそり削ぎ落とされている。また、その論理的な帰結にもなるが、本作ではヒーロー的なキャラクターも存在しない。軍人の中でかろうじて英雄性を付加されているのは、空軍のパイロットであるファリア(トム・ハーディ)と、ダンケルクの浜辺で救出作戦を指揮するボルトン中佐(ケネス・ブラナー)ぐらいだ。

ヒーローがおらずフィクション的要素もない世界を描いているので、実際の戦争ではそうであるように、次々と、ある意味で淡々と登場人物は死んでいく。軍人はもちろんのこと、救出に向かった民間船に乗っていた少年ジョージなどは、船の中でおそらくPTSDになっていると思われる軍人とのもみ合いで頭を打って死んでしまう。ジョージ役を演じていたバリー・コーガンは、聖なる鹿殺しでは狙った家族を恐怖のどん底に叩き落とすタフさを見せていたのに、本作では誰にも看取られることなくなくなってしまうのだ。

第二次世界大戦の撤退戦を描くと聞いてプライベート・ライアンのような描写を期待した人もいたろうし(自分はそうだ)、あるいは彼のこれまでの作品のようなアクションを期待した人もいたろうが、いずれも肩透かしをくらっただろう。


ただそれは、映画自体が面白くないという意味では全くない。船底一枚下には地獄が広がっている・・ではないが、魚雷や空からの爆撃一発で死に直結するという海の上での戦いは、見ているこちらも胃が痛くなる。戦争で死ななければならないとしたら、出来れば兵器で死にたい(言い換えれば溺死は嫌だ)とつくづく感じた。

ボロボロになったイギリス軍兵士が「故郷へ」と言い続けながら40kmのドーバー海峡を渡っていくのを見ると、故郷というのは観念的な対象である一方で、揺るがない大地やよりどころという意味もあるのではと思わずにはいられない(確か劇中でもLandという表現をしている部分があったはず)。かつての大戦で異国や海の上で亡くなった日本人も同じことを思ったのだろうか。

 

[Movie]グランド・イリュージョン 見破られたトリック(ネタバレあり)

ヒットした映画の続編を作る、というのはハリウッドの黄金ルールだ。新しいコンセプトやキャラクターを作るよりも手間が省けるし、前作を見た観客のうちの一定数は必ず映画館に足を運ぶからだ。
一方で、”前作を前提とした作品”の場合、前作を超えた層にリーチするのはなかなか難しい。過去作品と公開時期が空きすぎていれば前の作品を忘れてしまう人も多いだろうし、役者のイメージも変わってしまっている。このごろはこの「忘れてしまう問題」を解決するために、続編公開前にサブスクサービスで配信を行うことがよく行われている。

本作もそういった”前作を前提とした”作品の一つだ。敵方も味方側も魅力溢れるキャラクターばかりだったので、キャラクターを同一にした続編を作るのはそれほど難しくはなさそうに見える。一作目では誰も死ぬということがなかったので、ジャンプのように「死んだキャラクターの兄弟がいきなり出てくる」という後付けもしなくていい。

一方でストーリー面からのアプローチで言うと、前作は続編を作るのはかなり難しいタイプの作品だった。映画全編を通じて大きな謎が仕掛けられているタイプの作品だったし、その謎も実に30年という年月をかけて仕掛けられたものだった。続編でいきなり都合のいい事件や舞台をでっち上げてしまうと、過去作の壮大さはなんだったのだ・・という話になってしまう。
キャラクターという素材は変わらないものの、製作陣はどうやって全体のテイストを変えずに続編を製作したのだろうか。


あらすじ: 前作での事件から1年が経ったが、フォースメンの4人の行方はしれず、FBIは変わらず捜査を続けていた。一方でフォースメンたちも”アイ”からの連絡を1年近く待ち続けており、新たな舞台を求める気持ちが強くなってきていた。
そんなある日、フォースメンのリーダー格であるアトラス(ジェシー・アイゼンバーグ)の家に、ルーラという名の女性が忍び込んでくる。彼女は脱退したヘンリーの代わりにフォースメンに新たに加わると宣言する。そして続いて、ようやくディラン(マーク・ラファロ)から次の舞台の連絡がくる。彼によれば、次のターゲットは巨大IT企業であるオクタ社。彼らは新たなサービスでユーザープライバシーを集めて、巨大なビジネスを作ろうとしていたのだった・・・・


全世界でスマッシュヒットを達成した前作の魅力は、ストーリーの面白さやキャラクターの魅力、そして劇中で展開されるマジックという3つの要素がかけ合わさったものだった。フォースメンに所属する4人の掘り下げを大胆にカットする代わりに、ディランにフォーカスしたストーリーは最後に強烈なカタルシスをもたらしてくれたし、4人が各都市で展開するマジックは、まさに魔法と読んでもおかしくなかった。

続編である本作を紡ぎあげるにあたっては、製作陣はそれらの要素の重み付けを少しずつ変えてきた。

まずストーリーについては、前作と同じように最後に大どんでん返しを用意しているものの、それぞれの要素はやや荒くなってしまったように感じた。緻密に計算された前作とは異なり、やや御都合主義的な面も見られたし、多分に幸運に頼った展開も多い。特にディランが川底の金庫から抜け出すシーンは、一歩間違えたら親子ともに同じ死に方をしていたわけで、そうなったらサディアス(モーガン・フリーマン)はショックで死んでしまったのではないだろうか。

また、マジックという面でもやや弱くなってしまったことは否めない。おそらく一番盛り上がるのが、中盤で長回しで見せつけるトランプカードの受け渡しで、それ以外はすぐにタネが明かされてしまう。まあ、本作シリーズの場合には催眠術で相手に自由にいうことを聞かせることが出来る・・・という設定があるので、どうしてもマジックのタネは甘くなってしまうのだが。


一方で、キャラクターという面においては前作からさらに豪華になっている。
前作でフォースメン唯一の女性メンバーを務めたヘンリー(アイラ・フィッシャー)が自身の妊娠により降板し、代役としてルーラ(リジー・キャプラン)が参加したのは、申し訳ないが数合わせ的な面があるだろう。

しかし、新たな敵役であるウォルターを演じるダニエル・ラドクリフと、マカオのマジックショップの店員であり”アイ”の一員であるリーことジェイ・チョウはキャラクター要素を強化する配役だ。

本作は2010年代後半のハリウッドの流れと同じく中国マーケットを意識して作りになっており、中盤でマカオが舞台になっている。そこで脇役として登場するのがジェイ・チョウなのだ。日本ではあまり有名ではないが、ジェイ・チョウは中華圏を代表する大スターで年収は数十億円にもなると言われている。

いかにも台湾人スターという感じで様々な領域にチャレンジしている彼はかつてハリウッドにもチャレンジしたが、残念ながらグリーン・ホーネット以降はハリウッド映画に出なくなっていた。その彼が、全く良きせぬタイミングで画面上に出てきたので本当に驚いてしまった。
中華圏では愛情を込めてJと呼ばれる彼は(もちろん自分も大好きだ)常に芝居がかった話し方や動きをするので、ある意味で「Jがそのまま映画に出ている」という感じで大変に好感を持てた。まあ、世界中でJを知らないほとんどの人は「この中国人誰だ?」と思っただろうし、ジョン・チョーと勘違いした人もいるかもしれない(それはそれで失礼な話だ)。

ダニエル・ラドクリフもハリー・ポッターの頃の優等生役からはすっかり距離をとり、本作のようにとんがった人物を活き活きと演じている。大ヒットシリーズの子役でイメージが固定されたまま苦しむ俳優が多い中で、彼は独自の道を歩き続けているのだ(ハリー・ポッターシリーズで一生分の稼ぎを得たというのも大きいらしい)。

 

2021年9月21日 (火)

[Movie]ミッドサマー(ネタバレあり)

元々は本作の事前勉強として見たヘレディタリー/継承は、ここ数年で見た作品の中でも一二を争うくらい”不快感の強い”映画だった。日頃から血みどろの映画は見慣れているし、理由のわからない怪奇現象が起こるような映画というのも何度も見ている。
しかし普通の「観客を怖がらせようとする」映画と違い、ヘレディタリーは人間の意味不明な部分や、ドロドロとした不愉快なところに焦点をあてている映画だと感じられたのだ。劇中で起こる悲劇には全く理由がなく、明確な説明すらない。何かに取り憑かれたとしか言いようがない怪奇により家族は一人、また一人と死んでいく。

そのヘレディタリーの脚本と監督で長編映画の世界にデビューしたのが、本作でも脚本と監督を務めているアリ・アスターだ。前作と本作の成功で一気にスター監督となった彼はWikipediaの記載を見るだけでも、複数本の製作を予定しているようだ。彼の方が少し若いとはいえ、ジョーダン・ピール(ゲット・アウトUS)やフェディ・アルバレス(ドント・ブリーズ)のように、アメリカでは若い才能がホラー映画の世界で次々と出てきているように見える。


あらすじ: 大学生のダニーはもともと精神的に不安定だったが、実の妹が両親を道連れにして自殺したことで、さらに精神的に脆くなってしまう。恋人のクリスチャンは、そういったダニーに対して距離を置きたいと考えていたが、ダニーを案じて別れを切り出せずにいた。
翌年の夏、クリスチャン達は博士論文のテーマ探しを兼ねて、友人ペレの故郷であるスウェーデンのホルガ村への訪問を計画していた。当初はダニーに秘密で出かけるつもりでいたクリスチャン達だったが、最終的に彼女も連れてホルガ村に向かうことになったのだった・・・


ヘレディタリーに続いて宗教的なテーマを取り上げたアリ・アスターだが、似ているようで本作と前作のテーマはかなり異なっている。

まず、前作では悪魔崇拝に取り憑かれた人間達も取り上げられていたものの、どちらかというとその悪魔(あるいは超自然的な何か)が引き起こす怪異を描いていた。一方で、本作ではそういった超自然的な存在は一切登場しない。あくまで描かれるのはホルガ村の人々だ。

また、作中で登場人物が信じている宗教的な何かというものの捉え方も微妙に異なっている。前作では少なくとも魔王と名付けられた存在がおり、何かしらの「正義に対する存在」として崇拝の対象が設定されていた。
一方で本作の場合は、ホルガ村の宗教的な行為というのは少なくとも建前上は昔から伝えられてきたものとして設定されている。つまり、現代の我々にとっては奇妙な文化であったとしても、少なくとも彼らの中では一貫した論理のもとで行われていることになっている。劇中でも、登場人物が文化人類学という学問を学んでいるということもあり、偏見で見るべきではないという発言がある。

そういった前提はおいてもなお本作が奇妙なのは、ホルガ村の人々が信じているものが何なのか結局わからないということだ。劇中でのやり取りから少なくとも先祖崇拝という方向性は見えるものの、彼らが何を信仰の対象としているのかは最後までわからない。やたらと細かいルールが設定されているのに、彼らは何の為に様々な行為をしているのかがさっぱりわからないのだ。

言い換えると、そういったホルガ村という存在自体の奇妙さが、本作の提供する怖さの根本にあるといっていい。存在理由がわからないプロトコルに縛られているという意味において、まさに彼らは人間そのものであるといっていいのに、永遠にお互いをわかりあうことはできそうにない。そういったまるで「不気味の谷」を目の前にしたような座りの悪さが本作全体を包んでいる。


もう一つ、本作を見ていて居心地が悪い思いになるのは、主人公のダニーやクリスという人物が決して人好きのするようなタイプには設定されていないことがある。
ダニーは妹の無理心中により父母とあわせて3人の親族を一度になくすという不幸があったとはいえ、劇中ではもともと依存症の傾向があったと言われているように、クリスとの関係は決して良好ではない。

また、劇中でホルガ村の謎を知った時に「なぜ私を呼んだの!?」とペレに詰め寄ったように、自分で決めたことでも人のせいにしてしまうところも大いにあるように見える。そもそもどちらかといえば自分でこの旅に参加したのだから、人を責めるのもお門違いもいいところだ。

クリスはクリスで、村に着いたら突然博士論文のテーマを決定したといって、同行していたジョシュを激怒させてもいる。人文系の博士論文のテーマ決定難易度は日本もアメリカも変わらないだろうから、ジョシュが怒るのも十分に理解が出来る。・・・というか、クリスはテーマが決まってない状態で、あまりよい就職先もないだろう人類学の博士課程に進学してよかったのだろうか・・。こういう設定にしないとホルガ村を訪問する理由が作りづらかったのだろうが、この辺りは本国でも突っ込まれていそうだ。


そういうわけで、最終的にホルガ村にダニーが取り込まれてしまい、彼女がクリスを焼き殺すという決断をするというところも、恐怖感を感じるよりも「あるべきところに収まった」という感覚をもってしまった。実際に、明確に村に対して嫌悪感を表明していたコニーは中盤で殺害されてしまっており、ダニーは村への適応度が高くなる可能性があるとしてペレが選択をしたのだろう。物語全体を見通してみると、最後まで生き残るペレが本作における黒幕的な存在であると言っていいのかもしれない。

また、劇中に過去の女王(メイクイーン)が一度も出てこないことを考えると、おそらく遠くない未来、あるいは残りの4日間で今年のダニーも殺されてしまうのだろう。WEBをみると色々と謎解きをしているサイトが多く見つかるが、”語られぬ物語”にこそより深い恐怖が埋まっている作品のようにも感じる。


最後に本筋には全く関係ないのだが、本作の欠陥・・・というか、いかにも作り物としての宗教の違和感を書いておこうとしよう。
本作では90年に一回大規模な夏至祭を行うこととなっているのだが、72歳を超えた老人はアッテストゥパンの儀式で死ぬこととなっている。この両者が成立しているとすると、夏至祭を行う時には「その前の夏至祭」を体験したことがある人間が一人もいないという事態が発生してしまう。

ホルガ村の宗教では過去の記録は全て文書化されているので、問題は発生しない・・のかもしれないが、あそこまでプロトコルがしっかりしている祭事はやはり、前回に参加している人間がいたほうがいいのではないだろうか。なにせ、日本で言えば、神宮式年遷宮は20年に一回やっているのだから。

 

[Movie]生き残るための3つの取引(ネタバレあり)

韓国のトップ俳優の一人でありながら、ファン・ジョンミンは実によく働いている。ほぼ毎年主演級の作品が公開されているし、最近はドラマにも出るようになった。そして、彼が出る作品はかなりの確率で大ヒットする。新しき世界で賞を取ってから出演した作品だけでも、国際市場で逢いましょう華麗なるリベンジコクソンといった大ヒット映画が並んでいる。ファン・ジョンミンが出ている・・という理由で映画を見に来る人も多いだろうが、やはり作品を見る目が確かなのだろう。

そういったわけで、サブスクサービスでファン・ジョンミンが出ている映画を見つけるたびに、欠かさずにマイリストに登録をしている。なにせ出演している作品が多いので一気に見切ることが出来ないのだが、マイリストに入れておけば安心というわけだ。

本作もそういった作品の一つで、例に漏れず大ヒットをした作品になる。2010年公開ということは10年も前の作品になるが、警察と検事という韓国映画にあるテーマであれば作品が古びるということはないだろう。同年の青龍映画賞の最優秀作品賞を受賞したということで、作品の出来も保障付きだ。



あらすじ: 広域捜査隊に所属するチョルギ(ファン・ジョンミン)は優秀な刑事だった。警察大学を出ていないという理由で出世ルートからは外されていた彼だったが、上層部からある事件を解決するように迫られる。その事件とは韓国を震撼させている連続少女暴行殺人事件であり、警察は大統領から強いプレッシャーを受けていたのだ。
警察大学卒業ではない人間でも出世を可能なようにしてほしいとの願いと引き換えに、チョルギはあらゆる方法で犯人を検挙しようとするのだった・・・


本作でテーマとなっている刑事と検事の戦いというのは、韓国映画ではよく取り上げられるテーマの一つだ。最近見た映画でもザ・キングでも近い内容が取り上げられていた。
韓国社会を反映しているのだろうが、このようなテーマでは女性が活躍する要素がほとんどない。警察側も検事側もほぼ完全に男だけの世界なのだ。言い換えると、こういったテーマの映画は好きな俳優を一気に見ることができるチャンスでもある。日本だとちょうど大河ドラマがそういった感じで実力派を惜しげなく投入してくるが、韓国だと恋愛映画よりもこういった検事モノ、ヤクザモノの方が俳優を楽しむことができる。

本作はそういった系列の作品の中でも、出演陣が特に豪華な作品だった。主役を務めるのは、今では韓国の国民的俳優の一人であるファン・ジョンミン。彼の敵役となる検事側はやや意外なところでリュ・スンボムが務めるが、脇を固める俳優にはユ・ヘジン(コンフィデンシャル/共助)や個人的に一押しのチョン・マンシク、そしてイ・ソンミンが連なっている。
そして、何よりも嬉しいのがマ・ドンソクがファン・ジョンミンの部下として重要な役割を担っていることだ。この頃はまだ体が今ほど大きくないが、意外な演技力を見せてもいる。公開時は30代後半だったわけで、役者としてのキャリアを伸ばすために、40代になってから体を大きくしたのかと思うと、思わず涙ぐみそうになる。


そういった豪華俳優陣がスクリーン上で検事 vs 刑事 vs 黒社会の戦いを繰り広げるわけだから、面白くないわけがない・・・と言いたいのだが、実は残念ながらそれほどでもないというのが正直なところだ。本作の3年後に公開された新しき世界で韓国ノワールのレベルがグッと上がってしまったせいか、本作で展開される騙し合いや殺し合いが物足りなくなってしまったのかもしれない。

主人公であるチョルギは、有能であるが学歴がないために出世が出来ない警察官だ。しかし、部下に次々と出世で抜かれていくことには悔しさを感じているものの、偉くなるために何でもするというタイプではない。犯人のでっちあげという犯罪も、どちらかというと上層部からのプレッシャーを受けて仕方なくという感じである。

一方で彼の敵役となる検事ヤン(リュ・スンボム)も権力を使って韓国社会を裏から操りたいと思っているかというと、そこまで大きな野望を持っているわけではない。小金を手に入れて、愛人を囲っておけば十分という程度の人間であり、こういったキャラクターは現実世界でもたくさんいるだろう。


本作ではこの二人を軸として、それぞれのバックについている黒社会の思惑が絡み合う形で物語は進んでいく。しかし、どうも二人のやりとりが「ぬるい」のだ。相手を完膚なきまで叩きのめそう、隙あれば殺してしまおうという迫力がちっともない。なにせ、劇中ではチョルギとヤンは酒を酌み交わすことで和解してしまうぐらいだ。

この場面、ヤンが遅れて酒の場に入ってくる際に見せたチョルギとヤンの愛人の深刻な顔から、「絶対に彼女を使って何かひどいことを仕掛けてくるのだろう」と多くの観客は期待するだろう。しかし、その後結局何も起こらずに映画は終わってしまうのだ。這い上がってくる方であるチョルギには、なんとしてもヤンの首根っこを噛みちぎるくらいの迫力を見せてほしかった。


また、物語の終わり方も正直なところ今ひとつだった。チョルギがかつての仲間たちに粛清されるというのは、物語の展開としては最もわかりやすい方向であるのは間違いない。しかし、例えばここで何とかしてチョルギが生き残り、最後に血だらけの顔で笑う・・というような展開でも良かったのではないだろうか。どうせアンチヒーローを描くのであれば、最後までアンチで振り切ってしまうという展開も面白い。もしかしたら、まさにそういった展開だったからこそ、新しき世界は韓国ノワールを変えたといわれたのかもしれない。

 

2021年9月20日 (月)

[Movie]トゥモロー・ワールド(ネタバレあり)

ディストピアものでは、人類が滅びる理由は様々がある。飽きずに見続けているゾンビモノのように”人間が人間でなくなってしまう”というものもあるし、”エイリアンが地球に襲来する”というものもある。あるいは、古くは核戦争により人類が滅亡の危機に瀕してしまうというのもあった。
そういった理由の中で、特に個人的にかなり怖いな・・と感じるのは、本作で取り上げているように”子供が産まれなくなってしまう”という展開だ。

全世界的に先進国で少子化が進んでいるといわれる現代では、子供を産まないという選択をしている夫婦も多くいる。また、残念ながら望んでいても年齢やその他の理由で、子供をもてないというカップルも少なくはない。幸せの形は人それぞれなので、子供がいないということが悲劇であるとはいえない。

しかし、それは個々の人間や家庭を見れば・・という話であって、種全体で子供が産まれないというのとなると、また違った話だろう。人間が生きていくというのは究極的には自分のためだとはいえ、死んだ後も今ある社会は存在するという前提は、日頃は意識しないながらも持っている人が多いはずだ。
子供が産まれないというのは、そういった前提が壊れてしまうことだ。自分がどのタイミングで死ぬかはわからないが、種としての人間はそう遠くない未来に消えてしまう。この絶対に未来がないということがわかっている状況では、相当にメンタルが強い人間でなければ精神の健康に保つことができないだろう。本作が描くのは、そういった未来だ。


あらすじ: 2027年11月、人類に新しい子供が産まれなく18年間が過ぎていた。絶望感に囚われた人類は、世界各国で内戦やテロ活動を繰り返していた。唯一、イギリスだけは国境を閉鎖し、国内でも軍事力による抑圧を行うことで秩序を保っていた。
エネルギー省に勤務しているテオ(クライヴ・オーウェン)は、ロンドンで発生した爆発テロに危うく巻き込まれそうになるが、なんとか難を逃れる。しかし、翌日いつものように出勤しようとした彼は、国内にの反政府グループである「FISH」に拉致されてしまうのだった・・・


本作の舞台は、なぜか子供が産まれなくなってしまった2027年のイギリスだ。絶望感に襲われた人間が自暴自棄になっているのか、あるいは陰謀論を信じる人間が政府を転覆させようとしているのかはわからないが、この世界では内戦やテロが多発している。唯一、主人公のテオがいるイギリスのみがかろうじて治安を保つことが出来ている・・・というのが基本設定だ。

本作の筋書きとは全然関係ないのだが、なんとなくこの辺りの設定は欧米人が書いたSFだな〜という感じがする。冒頭で書いた内容とは矛盾するが、日本や韓国、シンガポールのようなアジアで少子化が進む国では、たとえ子供が産まれなくなっても意外と社会は平穏なのではないかと思う。働き手がいなくなることによる社会の衰退は進むだろうが、なんというか「子供を持つ」ということの意味が一神教国とはやや異なる気がするのだ。もちろんアジアでは「血を保つ」という、別の圧力も存在するのだが。


話を映画に戻そう。
武力の抑圧により警察国家化したイギリスはかろうじて秩序を保っているのだが、爆弾テロが起こったことからもわかるように、内部では反政府的な活動が行われている。そして、そういった活動を行なっているグループの一つである「FISH」のリーダーは、テオの元妻であるジュリアンだったのだ。幼い息子を亡くしたことによる痛手で二人は別れたとはいえ、元妻に未練タラタラのテオはFISHの反政府活動を手伝うことになる。そして彼らの目的は、子供のいなくなった世界で18年ぶりに妊娠した女性キーを遠くに国外に逃がすことだったのだ。

しかし、ジュリアンを除くFISHのメンバーはこの女性と子供こそ反政府活動を進める上での切り札となると考え、自分たちの手元に置いておこうと画策する。彼らにより元妻のジュリアンは殺されてしまい、成り行き上テオはキーを守る戦いに身を投じることになる。

その後テオの助けもあり、FISHの追跡をうまく逃れたキーは、ある夜に助産士もいない状態で娘を産み落とす。18年ぶりに人類にもたらされた子供を取り上げたのはテオだった。産まれた子供とキーを守るために、テオは仲間を失いながらもある一時だけイギリス沿岸近くに訪れるというTomorrow号を目指す。


こういった感じで、物語はテオと妊娠したキーを中心として展開して行く。彼らが目指すのは英国からの脱出でしかない・・というのが、いかにも英国発の物語という感じで面白い。もし世界中で子供が産まれないという事態が本当であれば、キーの妊娠というのは人類の残された希望になるはずだ。しかし、劇中では、どうして彼女が妊娠したのか、あるいは”父親が誰だったのか”といったことは一切描かれない。「子供が産まれる」という事実はキーという個人の出来事である、という姿勢たが徹底しているのだ。子供を狙うFISHにとっても、この産まれてくる子供というのは単に政治的な道具でしかない。

彼女は最初から母親としてこの世界に存在し、産まれた娘を連れて戦場を抜け出し、多くの亡骸を乗り越えて新たな世界に旅立つ。おそらく、世界中で多くの人が聖母マリアとイエスのメタファーをここで頭に浮かべただろう。自分もそういった人間の一人なのだが、残念ながらそのあたりの知識がなく、そこで連想が止まってしまうのだった。


爆発や戦場好きの人間としては、むしろ本作の見所は最後のFISHと軍の戦いのシーンだ。これまで多くの戦場モノを見てきたが、市街地の戦闘をこれほどの臨場感を持って長回しで描いた作品はちょっと思い浮かばない(個人的に市街戦で好きな映画は、ブラックホーク・ダウンやバトル・オブ・ロサンゼルスだ)。主人公のテオが銃を持たず、ひたすら戦場を逃げ回るというのも、他の作品には見られない特徴だ。

こんな映像を生み出す監督ならきっと一流どころだろう・・とエンド・クレジットを見たら、なんと監督はアルフォンソ・キュアロンだった。確かに彼ならCGとリアルを溶け込ませた作品をモノにしてもおかしくはない。戦闘モノは本作が今の所最後のようだが、第二次世界大戦を舞台にした映画とか作らないのかしら。

 

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