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2023年5月30日 (火)

スタートアップ雇われ役員が感じる信託SOの税制判断と影響(その1)

先週末に日経新聞に信託型SOに関する税制判断の記事が載っていた。世の中のほとんどの人にとってはどうでもいい話なんだけど、自分も片隅にいるスタートアップ界隈ではかなり話題になった記事だった。

株式報酬で税負担増も、税率最大55%に 国税庁が見解(日本経済新聞)

ここで話題にされているのはいわゆる信託型SOというスキームで、これまでも税制的にはグレーとされていたものだった。日本のストックオプション制度というのは付与する側の会社側の問題や制度の不備もあってあまり使いやすいとは思えないのだが、一応は「税制適格型」と呼ばれる形や「有償SO」と呼ばれるスキームが存在する。この信託SO型はこれらの形では答えられないニーズに応える・・という形で生み出されたものだ。


信託型SOの最大のポイントは「配布対象を事前に決定せずに、上場後にポイントの形で配布可能となる」という点にある。SOは大体の企業で発行上限の割合が決まっている。その割合の中で社員に不満のないように配布をするというのが重要なのだが、これはそんなに簡単なことではない。一般的には立ち上げ期からいる人がより多くもらえるようにするのだが、「立ち上げ期からいる人」と「上場に重要な人物」が必ずしも同じであるとは限らない。また、上場に向かってはバックオフィスのリーダーに経験のある人を迎えたいという企業は多く、その人向けのSOを残しておくということもしなければならない。

信託型SOはそういったSO配布の問題を「後から」解決できる方法として、多くの会社で採用されている。今回はその信託型SOを「給与扱い」にするということが示されて、スタートアップコミュニティでは話題になっていた。これまではSOはあくまで金融所得扱いだったので、一律で税金は20%だったのだが、これが給与扱いだとすると55%になる。この差は大きい。しかも、すでに配布及び売却をした企業・個人は「遡及して」納税が必要になるとのこと。これはかなりダメージがある。

個人的には、信託型についてはSOという思想からはかなり外れているために、あまり好きではなかったし、給与(というよりも賞与)扱いと言われれば、その運用上は否定は難しいと思っている。また雇用される側から見ても、信託型SOのポイント設定もかなり経営陣が恣意的に決められる上に、上場に向けての貢献度を一元的な指標に落とし込むのは難しいため、どうしてもそこには不透明さが残る。契約書内に最低条件として記載されている方が、優秀な人材がスタートアップコミュニティに流れ込むには良いと思うのだ。

 

・・・とここまでを書き終わったところで、税制適格SOの評価額についての見解発表があり、話題はそっちに移ってしまった。こちらについても備忘録がわりに記録しておこうと思う(続く)

2023年5月15日 (月)

感覚過敏の息子が新しいことにチャレンジするために必要だった3つのこと(その2)

(その1から続きます)

その1にも書いたように、少なくとも我が家の場合には「彼個人の身体的な成長」は、新しいことに前向きになるためには必要不可欠だった。その準備がある程度できたところで、これから書く2つの方法がうまくハマったのだと思う。


先生とマンツーマンで取り組める環境作る

学校生活ではどうしても先生1人が10人以上の生徒を見ることになるし、習い事でもやはり複数人になることが多い。そういった環境では「自分のペース」で進みたい、なるべくノイズが少ない環境ですすめたいと考えている息子はどうしても臆病になってしまう。そこで、我が家では彼が新しくチャレンジすることには、可能な限り先生とマンツーマンで取り組める環境を準備することにした。

勉強関連に関しては、コロナをきっかけにして急速にリモート環境が進んだおかげで、マンツーマンの環境を準備するのはそれほど難しくはなかった。例えば「みんなの声がうるさくて授業に参加できない」英語の場合には、小学生向けにリモートでマンツーマンで対応をしてくれる会社が存在している。”勉強をします”というよりは、英語に慣れるための環境提供といった感じだが、小学生低学年の自分の息子にはそれで十分だ。


難しいのは場所を必要とする体育や音楽などの実技系の授業だ。結論から言ってしまうと、音楽に関してはマンツーマンで対応してくれる音楽教室などはすでに見つけているが、子供・親共に優先順位が高くないということで、今のところはまだあまり参加できずにいる。自分は小さい頃からエレクトーンを習っていて、子供にも音楽はできるようになってほしいという気持ちがあるのだが、親の願いよりも子供の意向優先だ。
体育に関しては、それなりのお値段がするものの、マンツーマン指導の先生を派遣してくれるサービスがあるので、そのようなサービスにお願いをしている。特に水泳に関しては命に関わることだが都内中心部ではなかなか水泳教室に入ることが出来ないので、少人数(or マンツーマン)対応をしてくれるサービスはかなりありがたい※1

 

楽しいと思えるところで終了する

3つの中ではおそらく最も重要なことだと親としては思っているのだが、子供が何かにチャレンジする時には、彼が「楽しい」と感じている間に切り上げることが大切なようだ※2。何か習い事をする時には時間単位でお願いをすることが普通なので、親としてはつい時間いっぱいお願いをしたいところなのだが、受ける方の子供が疲れてきたらそこで終わりにするようにしている。

この効果はかなり大きくて、習い事やチャレンジが終わった後も子供の方から「思ったよりも楽しかった」「次もやってみたい」と伝えてくれることが明らかに増えてきたという感じがする。体調によっては予定していたよりもずっと早く終わってしまったり、無駄足になってしまうこともなくはないのだが、そこでぐっと我慢して”今日はもう終わりにしようか”と親が言えることが重要なのだ(とはいえ、ぐぬぬ・・という気持ちになることも多い)

 

繰り返しになるが、今日あげた二つのコツがうまく機能するようになったのは、ある程度の体力がつく年齢になったということが一番大きい。言い換えると彼の身体的・精神的な成長により最適な方法は変わってくるということだ。小学校高学年になればより自我も強くなるので、単純に楽しい/楽しくない以外の理由で新しいことにチャレンジしなくなる時も来るだろう。それでも、少なくともこれまでのように何もできずにいる・・ということが減ってきたのは親としては嬉しいし、同時にホッとしている部分でもある。

 

※1・・・子供向けのスイミングスクールもあるのだが、あっという間に枠が埋まってしまって数年待ちということもよくある。関東のドーナッツ都市で育った自分からはちょっと想像ができなかったが、都内では水泳を習うのはかなり大変なのだ。。。

※2・・・相談に乗っていただいている専門医の方からも、嫌な思い出は長く残る可能性があるのでやめましょう、と言われている。

2023年5月 8日 (月)

読んでみた: 新解釈 コーポレートファイナンス理論――「企業価値を拡大すべき」って本当ですか? 

昨年10月に出版されて「わかりやすい」「面白い」と評判になっていたファイナンスに関する本書を、ようやくGWで読み終えることが出来た。このエントリーを書くために出版日と購入日をみたら、いずれも10月で”流石に本を読まなすぎなんじゃ・・・”と反省してしまった・・。

本書はタイトル通りコーポレートファイナンス理論を、わかりやすく知識のあまりないビジネスパーソンにもわかりやすく伝えるということを目的に書かれたように見える。「企業価値を拡大すべき」って本当ですか?とやや挑戦的なタイトルが付けられているが、その答えは最初の方に、コーポーレートファイナンス理論にはそのような規範的な意味合いはないとあっさり回答が提示されている。 その後の本書内の話の展開を見ると、おそらく著者はこのタイトルに含まれていること、つまり世の中のビジネスパーソンが常識だと思っていることはファイナンスの理論から見た場合には正しくないことがある、と言うことを伝えたかったのだろう。

ネット上では本書はとても分かりやすいと評判だったのだが、その点については少し注意が必要だと思う。 タイトルにもある通り本書は「新解釈」を提供することが1つの目的なので、世間に流布している、あるいはオーソドックスな解釈と言うものは事前に理解しておく必要がある。 数式は全く出てこないし、基礎知識ゼロでも読み通すことができると思うが、初級のファイナンス理論をしている方がより面白く読めるだろう。

 

個人的には理論的な考察が提供される前半よりも、世の中のホットトピックに対してファイナンス理論から切り込んでいく後半の方が面白く読むことができた。特にESG投資に関しては自分もやや懐疑的だったので、少なくとも理論上は、あるいはこれまでのところ実証されたデータでは特に有利な点がないと言うのは頷けるところだった。

また、時々行間から発露するような形に関する熱い思いが伝わってくるのも本社の魅力だと思う。経営には理念が必要であり、理念を実現するためにビジョンがあり、ビジョンを実現するために経営計画や戦略があるとシンプルに語ることができると言うのは、著者が実務とアカデミアの世界を両方経験してるからだろう。 実務にどっぷりつかっていると理念やビジョンは単に「ビジネスの成果を実現させるための1つのツールでしかない」という感覚をどうしても持ってしまうのだが、本書のように真正面から取り組むことが、 実は長期的な成長と成功には欠かせないのではないだろうかと考えるきっかけとなった。

2023年1月 1日 (日)

2023年を迎えて

2022年は個人的には色々なことがあまりうまくいかなかった年だった。正確には、「うまくいかない」というよりも「気忙しい割には何もかもが前に進まなかった」という感じといった方が良いかもしれない。仕事も追われてばかりで前向きなことがあまり出来なかったし、私生活もあまり大きな手応えがなかった。とはいえ、家族も自分もコロナにかからず健康的な生活を送れただけでも幸運だったのかもしれない。

2022年の振り返り

2022年は冒頭でいくつか目標を掲げていた。せっかくなので、その振り返りをしてみようと思う。

① 6kgの減量 → 年の半ばまではスローペースだったのだが、後半になって米を食べなくても大丈夫になると一気に落ちるようになった。最終的に7kgの減量で目標達成。

② 定期的な情報発信 → 変わらず年で10本程度の更新だった・・・エンタメの方はなんと250本近くの更新をしており、明らかにそっちに時間を使いすぎている感がある。時間の使い方をもう少し見直さないと。

③ 知識のアップデート → こちらも2022年はほとんど本を読まなかったせいで、あまりアップデート感はなかった。仕事で新しい分野に取り組んだおかげで色々と知識は増えたのだが、その知識をうまく活用できていないという悩みがあり、不完全燃焼感が強い。一応年間では30冊弱の本を読んでいたのだけど、自分的にはその少なさに愕然としてしまった。


2023年の振り返り

毎年ほぼ言いっぱなしになっているけれども、今年も一応目標を掲げておこうと思う。少なくとも掲げないと何も前に進まないので・・。

① 今年も減量: 手術後に目標としていた体重に残り4kgまできたので、なんとか上半期にこの体重を達成したいと思う。減量にかけている時間もかなり多いので、その後はゆるゆると維持が出来ればOKぐらいの気持ちで行こう。

② 定期的な情報発信: こっちの本数をあっという間に抜き去ってしまったエンタメblogの方は少しペースダウンして、もう少しこちらのblogに記事を書いていこうと思う。今年は「まとまった考えを書く」というよりも「備忘録的に使う」という使い方をして、生にえの状態でもエントリーを追加していきたい。もしかしたらtwitterとも連動させるかも?

③ テスト/資格への挑戦: 知識のアップデートと抽象的に言っても前に進まないことがわかったので、今年は資格を取るとか、テストを受けるとか、あるいは何かしらのコースを終えるみたいな形で勉強をしようと思う。何を受けようというアイデアはまだ全然ないのだが、とりあえず韓国語が第一希望ではある。

 

2022年8月20日 (土)

日本を代表する企業になったリクルートの生い立ちを振り返る(起業の天才を読んで)


今のブログではほぼ言及することはないのだが、自分はいわゆる「元リク」とカテゴリーされる人間だ。大学院を出て新卒で入社し、日本のリクルートで2年半、その後に中途社員ばかりの中国事業で1年3ヶ月働いただけなので、あまりどっぷりと使っていたわけではないが上場前であったし、それでもいわゆる「リクルートっぽい働き方」の洗礼を受けている世代といえる。

そのリクルートを創業したのは、東大の教育学部を卒業した江副浩正だ。ほとんど意識をしたことはないが、考えてみれば大学の遠い先輩ということになる※1。自分が入社した頃はすでに柏木社長の時代になっていたので、彼の姿を観たことは一度しかない。それも会社ではなく、江副さんが引退後にされていた文化活動か何かでちょっとだけ見た・・というレベルの話である。

彼の言葉とされている「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉はまだ現役として残っていたし、彼を知る人もたくさん会社にいたので、江副さんとの距離感でいうと“すごい人がいたのだなぁ“ぐらいのものだったろうか。そういった会社内での残り香のようなものよりは、リクルート事件を引き起こした人という印象の方が遥かに自分には強かった。まだ一桁の年齢だった自分にはリクルート事件の詳細はよくわからなかったが、何かすごいことが起こったという記憶だけがあったのだ。両親に「卒業したらリクルートに行くわ」という話をした時も、あのリクルート事件の?というのが最初の答えだったように記憶している。


本書ではそのリクルート事件で表舞台から去ることになる江副さんの生まれから死までを描く。かなりの分量があるのだが、江副さんの人生がそれこそジェットコースターのようだったおかげで、途中で飽きることなく最後まであっとういう間に読み切ることが出来る。・・・はずなのだが、実をいうと本書は買ってから実際に読み始めるまでにかなり長い時間がかかった。

その理由は自分でも言葉にすることが難しいのだが、冒頭で書いたように「自分も“元リク“だから」だと思う。自分にとってリクルートは社会人の第一歩を踏み出したという思い出深い場所でもあるし、今でもお世話になっている方に出会うことが出来た。生涯の友人と呼べる同期もいたし、中国に行かせてもらって自分の人生を大きく変えるチャンスをもらった。リクルートに入社しなければ、今とは全然違った人生になっていたことは間違いない。

一方で、自分はかなり早いタイミングで会社を辞めてしまったことからもわかる通り、決して気持ちよくあの場を去ったわけではないという気持ちもある。未完成の部分も多かったし、組織を構成する人間の振れ幅が大きすぎて不愉快な人も多かった。何より人の心に土足で踏み込むような人間が多くて、うんざりしていたというのもある。リクルートでよく言われる、「何をしたいの?」という質問も、自分のように「何をするべきか」から考える人間にとっては、考えることを放棄しているようにしか見えなくて不快だった※2
おそらくそういった愛憎半ばする感情が出てくることを直感的に感じていたので、リクルートを描くというこの本を開く気になれなかったのだと思う。


そうはいっても実際に読んでみると、自分が入社する前のはるか昔からのリクルートを知ることが出来てかなり楽しむことも出来たし、当時は一見意味不明だったことにもちゃんと文脈があることがわかった。おそらく当時はこの本を読んでからリクルートに入っていたら、かなり違う気持ちで仕事生活をできたような気もする。

それでも、やっぱり”ああいうことがあって嫌だったなぁ”とか”あいつが無駄に上の方に長くいたせいで碌でもないことになったなぁ”という気持ちも湧いてきてしまって、あまり素直に読むことが出来なかったというのも、また事実だ。本書を読んだ元リクの人のうち2割ぐらいは同じ気持ちになったんじゃないかなぁ。


※1・・・入社したばかりの頃に「リクルートでは勉強できるやつが活躍できるわけじゃねえぞ」と酔った先輩に絡まれたことがあったのだが、そのセリフはまず創業者に言うべきだっただろうと思ったりする。今更ながら。
※2・・・正確にいうと「何をすべきか」をある程度リスト化してから、「何をしたいか」を考えるべきだと思っていて、「何をしたいか」から入ることで人を無駄なことに振り回している人間が多すぎたと思っている。

 

2022年7月30日 (土)

NETFLIXで”監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影”を見た

ようやく40代の時間の使い方・・・というのが見えてきたようで、少しずつこれまで気になっていたドキュメンタリーや本を読む時間を作ることが出来るようになってきた。今週見たのも、NETFLIXのマイリストの中に眠っていたドキュメンタリーで、いわゆるデジタル・プラットフォーマー規制の問題を取り上げたものだ。
この問題は日本でも公取委が取り組んでいたり、政治的にも思い出したように出てくるのだが、今ひとつピントが合っていない感じがしており、自分の中で問題意識が理解できないところがあった。アメリカで作られたドキュメンタリーであればそういった疑問に答えてくれるかもしれない。


プラットフォーマーへの厳しい視線

日本には経済活動を牛耳るようなメガ・プラットフォーマーが存在しないので一般的な議論にはなかなかならないが、米国や中国ではプラットフォーマー規制というのはここ数年ずっと議論がされているテーマだ(※1)

デジタル・プラットフォーマーというのは、大きく分けて二つの特徴があると整理できる(※2)
一つは、プラットフォーマー自体は”ユーザー”と”ビジネスを展開する主体の両面”をビジネスのカウンターパートナーとして持っているということだ。日本でもリクルートのリボンモデルが有名だが、プラットフォームはその二つのカウンターパートをマッチングさせる、あるいは相互作用を生み出すことにより利益を得ている。

もう一つの特徴は、これらの相互作用(より正確にはトランザクションと呼んだ方がいいだろう)により発生したデータを独占的に利用しているということだ。プラットフォームと呼ばれるだけあって、その”舞台の上で”あるいは”箱の中”で起こることは、すべて彼らが把握しているというわけである。プラットフォーマーはそのデータを自社のサービス(プラットフォーム自体)の改善に使うことも出来るし、そのデータ自体を売り物とすることが出来る。

現在デジタル・プラットフォーマーに厳しい視線が向けられているのは、この二つ目の特徴が大きな理由だ。今ではデジタル・サービスを使わないで生きることは事実上不可能になっているが、ユーザーは本来は自分達に属しているはずの様々な情報が「自分達の許可なく」あるいは「許可があっても意図しない方法で」使われていることに対して、大きな問題意識を抱えているのだ(※3)


重要なのはプライバシーだけではない

これまで書いてきたようなプライバシーの問題というのは、日本にいても理解がしやすい問題だ。自分の情報が勝手に使われるというのはあまり気持ちのいいものではないし、そこでお金を稼ぐのもやめてほしいというのは直感的でもある。

しかし本作がプラットフォーマーの問題として取り上げるのは、プライバシーの問題だけではない。むしろ、このプライバシーの問題よりもはるかに重い問題として取り上げるのは、SNSをはじめとするプラットフォーマーが社会の分断を広げてしまい、民主主義そのものを危機に陥れてしまうという強い危機感だ。

Twitterに代表されるように、自分で他の人間との繋がりを選ぶことができるサービスでは「自分の意見に近い人」をフォローしがちだ。今ではエコーチェンバーという言葉は日本のネット界でもかなり一般的になってきたが、自分に政治的指向が近い人や考え方が似ている人をたくさんフォローしていると、自分のSNSではそのような意見ばかりになってしまう。結果として”自分から見える”世界は、自分の考え方に似ている人ばかりになり、それに反している人は「何もわかっていない人」になってしまう。これまでよりも容易に社会の分断を進めることが出来るというわけだ。

さらにそういったグループが一度できて仕舞えば、受け入れられやすい情報を故意に流すこともそれほど難しくない。いわゆる”フェイクニュース”により、社会を特定の方向性に向かわせることが出来るというわけだ。
今回のドキュメンタリーでは、プライバシーという問題よりもむしろこちらの問題の方を強く作り手が意識しているように感じられる。彼らは自分達がよってたつ民主主義というのが、皆が思っているよりもずっと脆いものであるという認識があるのだろう。

面白い・・というか怖いと思ったのは、Googleの検索結果が地域によって異なるということを示した部分だ。検索結果がパーソナライズされているのは当然のこととして知っていたが、自分の住所(あるいは検索した際の場所)も結果に反映されるというのは全く知らなかった。確かに”ラーメン屋”とか”銀行”みたいな情報であれば地域情報を反映する意味があるだろうが、”銃規制に関する意見”という質問に対して地域性を反映する意味がどこにあるのだろうか・・・?(※4)


テクノロジーと学問の融合

今回のドキュメンタリーで一番興味深かったのは、いわゆるグロースと呼ばれる領域では心理学や行動経済学を活用していることをはっきりと言っていたことだった。日本ではグロースというのは多くの会社では今ではA/Bテストを多く回すことだったり、あるいはもう少し進んでいたとしてもデータ分析を行うことぐらいに捉えているぐらいだろう。

そうやって日本では素人が少しずつ業務で知見をためて・・とやっているところ、アメリカでは各分野で専門知識を学んだ人間を積極的に活用して、学際的な取り組みとしてビジネスをおこなっているというわけだ。
自分もSRIで勤務していた時にもアメリカでのプロフェッショナルの働き方の活用の仕方を見ていたわけだが、とにかく彼の地では「専門知識を活用する」ということが日本に比べて圧倒的にうまい。それぞれの専門を応用して、あるいは組み合わせて価値を生み出すということが日本よりもはるかに優れているため、プロフェッショナルがそれぞれの領域で経験を積もうとすることに積極的になれるのだ。日本のようにゼネラリストばかりが必要とされる組織や社会とは、提供できる深さが圧倒的に異なるということだ。


法的規制が議論の焦点となるわけ

これまで自分が一番理解できなかったのは、こういったプライバシーやデータ利用の問題に対して「どうして法的な規制を行うことが正しいのか」ということだった。法的な規制をかけること自体は純粋にテクニカルな問題なので、規制を行うこと自体は容易であることは理解できる。しかし、”なぜ規制を行うことが正当なのか”が理解できなかったのだ。

このドキュメンタリーを見てその疑問は綺麗に解けた。彼らがいうには(あるいは自分が理解したのは)、このプライバシーやデータ利用の問題が起こるのは、「誰かが悪いことをしようとしている」からではなく「ビジネスモデルとして、この方法を取ることが最も効率的である」からなのだ。

資本の論理というのは、投資した時間やお金の効率性と最大化に結局は帰着する。そして、デジタル・プラットフォームは資本の世界にいる以上、その効率化と最大化に向けて活動するのは当然のことだ。

世の中には「儲かるけど社会の不安定さを増す(あるいは倫理的に許されないと考えられている)」というビジネスはたくさんある。そのようなビジネスは、資本の論理に任せていると勝手に成長してしまうので法律で枠をはめる必要がある。人身売買や臓器売買といったビジネスもそうだし、麻薬た覚醒剤といった薬物などもそういったビジネスにあたるだろう。そこまで極端ではなくても、本作でも言われているように銀行や携帯会社も個人情報を売り渡すことは禁止されている。

つまり法的規制をデジタル・プラットフォーマーにかけるべきとの主張は、ビジネスモデルそのもの自体が本質的に反社会的な性質を持ってしまうだろうという想定を置いているということなのだ。重要なのはこの「ビジネスモデルそのもの」を対象にしているということであり、決して個々の企業が狙い撃ちをされている訳ではないということを理解するということだ。


本作のようなドキュメンタリーはある一方の視点から作成されているので、もちろんこの内容を鵜呑みにするわけにはいかない。しかし、日本にいてなかなか理解できない疑問や論点を整理するには役に立つ内容だった。

※1・・・日本で一番大きなプラットフォーマーは携帯会社を除けばZホールディングスだろう(ソフトバンクはこの系列だが)。ただし、Googleなどに比べればその影響力はずっと小さい。
※2・・・この整理は自分の中での理解なので、法的な定義とは異なるし、経営学的な定義とも異なる。
※3・・・ただし、アメリカではもともとプライバシーに関する制約は日本などと比べてずっと緩かった・・・という歴史的経緯がある。例えば日本ではとっくの昔になくなった、いわゆる「名簿屋ビジネス」みたいなものも最近まで生き残っていた。
※4・・・検索結果に一律に地域性を反映するのではなく、検索内容ごとにパラメーターを変化させるのは技術的にはそれほど難しくはない。ただしコストはかかる。

 

2022年7月27日 (水)

木村幹先生の「韓国現代史―大統領たちの栄光と蹉跌」を読んだ

最近立て続けに韓国の光州事件に関する映画を見て、当時の状況を持って知りたいと思い買ったのが本書だ。韓国の歴史・・・は全然当て感がない分野なのだが、Twitterで積極的に発信をされている木村先生はその発言が安定されていることもあり、安心して買ってみたのだった。

光州事件というのは1980年に全羅南道の道庁所在地だった光州市で発生した、民主化を求めるデモとそれに対する軍隊による鎮圧行動のことを指す。鎮圧行動というとおとなしい感じがするが、実際には150名以上の死者が出て、その数倍以上の負傷者が発生するという軍事行動だった。エンターテインメントとして描いているとはいえ、事件を描いた光州5・18や26年をみると、虐殺に近いシーンもある。

当時の韓国政治は長く軍部による政権を率いていた朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺された後で、政権自体はかなり流動化していた。Wikipediaを見るとわかるように、この短い期間に複数の大統領が就任している。しかし、実権は軍を掌握していた全斗煥(チョン・ドゥファン)が抑えており、この光州事件も彼の指示によるものだと言われている。先に紹介した26年は、逮捕後も民間人として生き続けた彼を暗殺しようとする遺族たちを描いた物語だった(実際の全斗煥は天寿を全うしている)。

この光州事件は韓国国内では知らない人がいないという現代史の大事件だが、日本では専門的に解説した本を見つけることが出来なかった。そこで、本事件をおそらくカバーしているだろう本作を手に取ったのだった。


本作は韓国政治を専門とする木村先生が、韓国の現代史を概説した一冊となる。新書という形式を取っている上にページ数もそれほど多くないため、自分のように韓国史の知識がほとんどない人間でもスラスラと読むことが出来るというの素晴らしい。薄い知識を目一杯引き伸ばしてこの量になったのではなく、豊富な知識の中から読者に向けて適切に切り出したということがよくわかる構成となっている。

本書の構成がユニークなのは、それぞれの歴史的な出来事に対して、歴代の大統領がどのようにその事件と向かい合ったのか・・ということをまとめて一つの章としていることだ。(今はそういう言い方をしないのかもしれないが・・)歴史を書く時には、編年体か紀伝体のどちらかと考えているような人間にとっては、ちょうど歴史を輪切りするようなこのアプローチはかなり興味深かった。

残念だったのは、自分が読みたいと思っていた全斗煥が対象との大統領として取り上げられていなかったこと。あとがきには、まさに光州事件の影響で全斗煥に関する「客観的な資料」がなかなか手に入らないことが、取り上げられなかった理由として記載されていた。木村先生ほどの方がそのように言うのであれば、おそらくその結論は間違いないのだろう。今後全容が明らかになるのか、あるいは歴史の1ページとして「ありうべき像」として語り継がれていくのかはわからないが、それだけ韓国現代史の中でも扱いの難しい事件だということなのだろう。

 

2022年6月29日 (水)

戦場としての世界(3)- アジア・中東・宇宙と紛争は世界中に -


前のエントリーを書いてから随分と間が空いてしまったが、マクマスターの「戦場としての世界」を読み進めるエントリーの第3弾。ロシアと中国という、日本から見た場合の2大強国以外にもアメリカが気を配らなければならない地域は多く存在する。今回は最後のエントリーとして、その地域に関する記述とマクマスターの思想をまとめていこう。


紛争地域としてのアジア

日本人の自分達が”アジア”という言葉を使う時には、どうしても無意識に中国・日本・韓国・北朝鮮をイメージしてしまう(本書の言葉を借りれば”極東アジア”)。しかしアメリカ政府が地域として捉える場合には、インドから日本までを広くカバーする概念としてアジアを捉えているようだ。そして、その地域には地域紛争の種が多数埋まっている。

本書ではまず第5章と第6章を使って南アジアの不安定さを分析する。アメリカにとっては史上最長の戦争となってしまったアフガニスタンでの戦争を出発点として、パキスタンやインドへとその射程を広げていく。
アカデミアで地域紛争を研究している人にとっては常識かもしれないが、自分にとって意外だったのはパキスタンが「テロの温床」として名指しで明確に非難をされていることだ。マクマスターはパキスタンは”軍が治めている国”であり、自分達の存在意義と価値を維持するために、パキスタン陸軍がテロ実行部隊を組織的に育成していると指摘する。

その中でも特に危険なのがハッカーニ・ネットワークであり、タリバンの強硬派であると同時に、アルカイダとも関係性を持つと言われている(Wikipediaより)。組織の「ハッカーニ」という名称はかつてリーダーであったジャラールッディン・ハッカーニに由来しており、彼が米国に殺害されてからは息子がリーダーとなって組織を率いているらしい。本書では曖昧にしか書かれていないが、おそらく元々は米国の諜報機関が育成に関わっていたのだろう。

そしてそのパキスタンと対峙する地域大国であるインドは、国内に宗教による分断の危険性を抱えている。民主主義により運営されているインドではあるが、その多様性(国内に多くの言語と宗教、民族を抱えている)により、常にどちらかに振れてしまう可能性があるようだ。
民主主義による決定であれば、究極的には国民の選択であるといえるだろうが、地域安定という観点からは不安定は望ましくない。


西アジアにおける注意すべき地域がこのパキスタン・インドだとすると、極東においては北朝鮮がアメリカの注意を引く対象となっている(本書では11章と12章)。前のアメリカ大統領であるトランプは電撃的に最高指導者金正恩との会談を持ったが、マクマスターによればこれは戦略的ナルシシズムを双方が持っていたが故に失敗した例に挙げられるという。

アメリカから見た北朝鮮の脅威というのは、大別すると二つに分けられる。
一つは北朝鮮が核兵器を開発し、かつ搭載可能なミサイルを継続的に開発していること。もう一つは、その技術を他の「アメリカにとって望ましくない国家や組織」に販売する可能性があること。
これらの脅威に対抗するためには各国の協力が不可欠だが、この地域はロシアや中国から地域的に近く、一方でアメリカからは遠いというハンデがある。そこで重要になるのは日米韓の協力体制となるわけだが、我々日本人にとっては既知の通り、日韓間は必ずしもアメリカの思い通りに運ぶわけではない。

マクマスターの視点からするとこの問題の原因の多くは韓国側にあったらしく、本書では日本側への言及と、韓国側への言及に明らかに温度差があるように見えた。批判も多かった安倍政権ではあるが、こういったアメリカの信頼関係を得るということに関しては、官僚たちの対応も含めてかなり上手くいっていたように見える。


変わらぬ中東の危険性

アフガニスタン戦争と並行しつつも、同じようにアメリカにとって泥沼化した戦争の一つがイラク戦争だ。911をきっかけとした対テロ戦争の一つの決着点と言えるこの戦争は、結局のところイラクに新秩序を作ることに失敗し、オバマ時代に完全撤収を行っている。

マクマスターが公職についていたのはかなり後になるが、彼は軍人時代に中東を担当したことがあるため、本書では歴史的な経緯についてもかなり深い記述がなされている。その対象範囲の中心に位置している戦争後の統治を結局諦めることになったイラク、地域大国でありヨーロッパとの結節点に位置しているトルコ、そしてアメリカにとっては最も敵対的な国家であるイランだ。そのほかに考慮すべき要素としてサウジアラビアやイスラエルといった国家も挙げられている。

アメリカの視点からすると、長く石油を依存する必要があり、かつイスラエルというユダヤ系国家が存在していた中東は自国の影響力を確立する必要がある地域だった。しかし中国の台頭で軍事力をシフトする必要があり、シェールオイルのビジネス化により石油を自国で賄うことができることになったアメリカにとっては、中東の重要度は少しずつ下がっている。

そういった流れの中で、マクマスターは「アメリカの国益と防衛」という観点から、事態の改善と安定に対する取り組みをおこなったように見える。特にイランは彼にとって依然として最も対応すべき国家の一つであったらしく、本書でも2章を割いている。
ちなみに、このイランの件では、珍しくトランプの対応に対して愚痴のようなコメントを漏らしている。トランプという非常に付き合いづらいであろう上司に対しても誠実にあろうとする彼の態度を考えると、おそらく相当ストレスが溜まったに違いないだろうと思う。軍人として生きるのも楽ではない。


舞台は宇宙と電子の世界へ

最後の章は、これまでの戦争の概念を越える領域であるサイバー領域と宇宙について書かれている。現在進行中のロシアによるウクライナへの侵攻を見るまでもなく、この2つの領域は現代の戦争では無視することが出来ない要素だ。
また彼のような人間から見ると、環境問題ですらも国際紛争の火種として映るようで、その部分にもしっかりページを割いている。

そういったこれまでとは違う「未知の領域」への目配せをしながらも、戦争というのは人間的なものであり、政治的なものであるということを最後に強調することを忘れない。人間が意思決定をする以上、どれほど複雑になり、あるいはどれほど技術的になったとしても、最終的に戦争や紛争の勝者を決定するのは人間の意志の強さであると彼は繰り返し強調する。


全部で3回にわたって彼の著作を読んできたわけだが、全体を通じて感じるのは、とにかくアメリカのトップ集団というのはあらゆる領域の問題に対して対応しなければならないという、責任の重大さと仕事量の多さだった。物理的には人間には24時間しかなく、軍のトップ集団であった彼はおそらく徹夜のようなことを繰り返すタイプではなかったはずだから、恐ろしく情報処理能力が高いとしか思えない。その上でこれだけの深い思索をしているわけで、世の中には恐ろしい人間がいるものだとため息しか出てこない。

本書で紹介されている戦略的ナルシシズムといった観点や、戦略的エンパシーという考え方は、軍隊や国家行政以外の分野でも広く役立つ考え方だ。民間人である我々に向かって書かれているだろう本書は、この本に書かれていること(と書かれていないこと)を用いてそれぞれが己の持ち場で頑張ってほしいという、著者の思いが詰まっているに違いない。

 

2022年5月12日 (木)

「スタンフォード式睡眠」で睡眠を改善する


40代に入ってすっかり“眠る力“が弱くなってきたのを実感する。若い頃に一番寝ていた時には、金曜日の夜中(というか土曜日の朝)に寝て、気がついたら日曜日だったということもあったぐらいなのに、今ではどんなに長く寝ても9時間ぐらいしかベッドの中にいられない。

しかも、我が家では家族が川の字になってベッドで寝ているので、睡眠の質もあまりいいとは言えない。もう数年間Fitbitで眠りを計測しているのだが、だいたい、15%くらいは覚醒している。たまに一人で眠るとこ割合は10%ぐらいに落ちるので、子供に蹴られたりお互いのいびきの影響があったりするのだろう。

この眠りの質が良くないというのはちょうどボディーブローのように生活に影響してくるのを感じていたので、Twitterで激務をこなしている人が紹介してるのを見て、自分も試してみることにした。ちなみに、スタンフォードのスリープラボは一部がSRIに移籍してきていたので、研究所を訪れたことがある。体に色々なセンサーをつけてコントロールされた環境で暮らすのは、被験者もかなり大変だろうなと思ったのだった。



入浴タイミングをコントロールする


本書によると、体の中の体温(深部体温)が下がっていくタイミングで、かつ手足の温度(皮膚体温)が少しつずつ上がっていくタイミングで入眠に入るのが一番良いらしい。そして、その温度をコントロールする方法として入浴をお勧めしている。

だいたい40度の風呂に15分ほど入ってから90分後あたりが体温の調節がうまくいくタイミングということで、自分でも早速何回か試してみた。その時のコンディションにもよるのだご、自分の場合は体温が下がっていく時間がもう少し短いらしく、「入浴後」ではなく「入浴開始」から90分後ぐらいがベストだとわかった。だいたい22:00ぐらいに入浴開始して23:30前にベッドに行くというイメージ。布団に入るとスッと眠りにつけるようになった。


寝る前に手足を温める

一つめの工夫の応用で、寝る前に手足を温めるというのも良いとあったので、寝る30分前ぐらいから厚手の靴下を履くようにしている。本書によれば、”手足を温めようとして寝ている間に靴下を履くのはお勧めできない”らしいのだが、寝る前に温度を上げるのは効果的らしい。自分は冬は冷え性で苦しむので、真価をはっきするのは寒くなってきてからかもしれない。


起きたらまず朝日をあびる

本書で著者が繰り返していることの一つに「良い睡眠は良い覚醒とセット」というのがある。つまり寝起きが良いと、体感する眠りの質は上がると言うわけだ。そして、その良い覚醒のためにお勧めされているのがこの方法。
これだけ取り出すと、昔から伝わっている民間療法のようだが、著者によると科学的にも朝日を浴びると言うのは効果があるらしい。そういうわけで、この頃はまず起きたら近所を軽くランニングするようにしている。雨の日には実践ができないが、確かに目覚めがスッキリする。


他にも、”通常寝ている時間よりも早く寝る時には1時間以上早く寝たほうが良い”(睡眠時間の1時間前ぐらいは逆に眠れなくなる)とか、”時間がない時にはまず通常時と同じ時間に寝て、早く起きるほうが良い”(睡眠の質は最初の90分が非常に重要)といった、生活に役立ちそうなtipsが数多く書かれている。


個人的に特に生活の中で気をつけているのは一つめの工夫で、これまでは運動した後に入浴して睡眠まで数時間空くということがよくあったのを一切やめるようにした。運動後はシャワーで済ませて、上記した時間に再度入浴するようにしたのだ。

”睡眠はプラシーボ効果が大きい(つまり本人による思い込みの効果が大きい)”らしいのだが、確かに上記の取り組みを始めてから、睡眠に関する物足りなさは減り、Fitbitの睡眠スコアも向上している。
著者によるとこういったスコアはあまり信用できるものではないらしいのだが、体感的にはスコアが80台になると、体の調子が良いという感覚がある。しばらくは本書に書かれた方法を守って、睡眠の質を上げるトライをしていくつもりだ。

 

2022年4月19日 (火)

JTのM&A: 日本的なビジネス書の良き例


自分が2021年から在籍している企業はいわゆる”スタートアップ”というカテゴリーに入る。ファウンダーの起業後にすでにそれなりの年月が経っているので、スタートアップ時価総額ランキングのようなものには出てこないが、資金調達を行いそれなりの企業価値として評価がされている企業だ。

自分でも経緯を説明するのはかなり難しいのだが、今はその企業で組織開発(Corporate Development)担当役員というのが、今の仕事だ。組織開発といっても規模が規模なので、どんどんM&Aをするということはなく、メインの業務は海外展開の推進と既に進出しているオフィスのバックフィス統合などを担当している(今のところは)。ただ、事業展開上にポジティブだとすればM&Aも当然検討対象となる。実際に、今年の1月にはある海外企業を買収して、今はその統合も一部担当している。コロナがなければもっと主体となったと思うのだが、なにせコロナでビザが取りづらくなっているのと、隔離時の家族対応が難しいということで、今はもっぱらリモートでの対応をしている。

企業としてのM&Aは初めてではないのだが、そこはスタートアップということで、あまり買収前の作業や買収後の統合ステップというのが綺麗に揃ってはいないのが現状だ。今年に入りそういった業務の担当となったということで、一つ一つ社内の整備を進めている。その際の参考書として人から勧められて手に取ったのが本書だ。


本書は日本のタバコ産業のリーディング・カンパニーであるJTの元CFOが、JTの二つの巨大買収から学んだことをまとめたという体裁になっている。この2つの巨大買収、一つは1999年のRJRインターナショナル、もう一つは2007年のギャラハー買収だ。いずれも日本企業が欧米の巨大企業を買収したということで、当時もずいぶん話題になった。
1999年はまだ学生だったのであまり気にも留めなかったが、2007年の大型買収は自分もあっさり覚えている。しかし、当時は実業系の自分がM&Aに関わるとは思っていなかったので、特に積極的に情報を追うことはしなかった。今ではスタートアップと呼ばれるような会社でもM&Aを普通に行うようになったわけで、時代が変わったと思わずにはいられない。

本書のタイトルを見て買おうと思った人間は、おそらく巨大企業のM&Aの戦略や実務、あるいは生々しい苦労話のようなものを読みたくて手に取るのだろう。実際、自分もM&Aをしているという文脈で本作を紹介されたのだから、そういった話が中心になっていると期待をしていた。
しかし残念ながら、曲がりなりにも海外でMBAをとった自分のその期待は、本書では満たされなかった。その理由は主に2つある。


一つは、本書がM&Aそのものというよりも、”M&Aを推進したCFOとしての自分の仕事”に焦点を当てているためだ。CFO(Chief Financial Officer)というタイトルはかなり日本でも一般化しているが、その職務やタスクについての統一的な見解というのはなかなか存在しない。
ちょっと考えてみればそれは当たり前で、スタートアップで求められる財務担当役員の業務と、兆円を超える規模のビジネスを展開しているグローバル企業の財務担当役員では、求められるものは当然異なってくる。しかも企業によっては財務部部長をCFOと呼んでいることもあれば、管理本部全体の長をそう呼んでいることもある。そもそもの職務領域が違っていることもあるわけだ。

本書はそういったCFOという職業に対して、著者が自らの経験から一定の役割とミッション、求められる能力といったものを提供するということに主眼が置かれている。おそらくCFOという仕事で何をなしたらいいのか・・といった悩みを抱えている人には刺さる内容なのだろう。
しかし、残念ながら自分はそういった悩みを抱えているわけではないのだ。これはもう著者が想定したターゲットに自分が当てはまっていなかったとしか言いようがない。そして、そのようなズレはタイトルによるところが大きい。これは全て版元の責任だ(タイトルは版元が設定することが多い)。


もう一つの理由は、本書ではいわゆる「戦略」や「生々しい話」がほとんど書かれてない点にある。確かに業務に関連している話も書かれてはいるのだが、”関係性がうまくいかない部門の融合のためにイントラネットを立ち上げた”とか”食事をするとお互いの信頼関係が生まれる”といった類の話で、毒にも薬にもならない話ばかりだ。

この「エピソードが全く面白くない」というのは日本のビジネス書によく見られる欠点で、英語でのビジネス書に慣れてしまった自分が日本のこういった類の書籍を読まなくなった理由の一つでもある。やはり読者としては、インサイダーしか知らない生々しい闘争の話とか、戦略や戦術の話を知りたいのだ。日本の場合、古巣への遠慮が筆を鈍らせるのか、あるいは生々しい話を書くのがゴシップと思われがちなのかわからないが、とにかくボヤッとした話を書こうとした傾向にある。


そういうわけで本書は自分の現状の期待値には全く合わなかったわけだが、価値がなかったという気は全くない。大企業で組織戦略を描いたり、財務組織の再編をしようとしている人にはかなり有用な情報が含まれている・・と思える(自分がそういうわけではないので、価値判断はできないのだが)。

 

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