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2008年2月

2008年2月15日 (金)

中国のバレンタインデー

昨日は2月14日。そう、バレンタインデーでした。
日本では一ヶ月前ぐらいからバレンタイン商戦が始まり、それこそ一年間の何割かのチョコが消費されるという一大イベントですが、中国でもそれほどではないにしてもバレンタインデーがあります。

中国ではバレンタインデーのことを、『情人节』といいます。恋人記念日・・ぐらいの意味でしょうか。日本のバレンタインの盛り上がりは小売側の仕掛けと(売る側の仕掛け)と女の子の気持ち(買う側のニーズ)がうまく相乗効果を出すいい例だと思いますが、中国ではそれほど熱心に小売側の仕掛けが行われません。

一番の理由としては、旧正月(春节)が直前まで続いているので、仕事が始まっていなかったりそもそも実家に帰ってしまっていて、恋人同士が離れていることがあげられます。中国での旧正月は一年間で一番大切にされているイベントですから、これからもバレンタインデーが日本のように盛り上がるのはなかなか難しいでしょうね。

もう一つの理由として考えられるのは、日本と違って中国ではバレンタインデーは男性から女性にプレゼントをあげる日だということです。最もポピュラーなプレゼントは花束のようです。
やっぱり男性と女性を比べた時に、こういったイベントで盛り上がるのは女性のほうでしょうし、花束がポピュラーであるということは日本のように『自分へのご褒美』というニーズもなかなか発生しづらいですよね。。

その代わり・・・というわけではないですが、中国ではバレンタインデーが一年間で最も婚姻届が提出される日が多い日です。

1849对新人情人节领证

昨日は上海だけ約2000カップルが婚姻届を提出したとのことです。上海の年間婚姻数は約12万カップルですので、5%ほどのカップルがバレンタインデーに届けたわけですね。
ブライダル業界もそのことはよくわかっているので、14日のみの限定イベントというのをいろいろ仕掛けてきます。14日に結婚式をホテルで行うと特典がついてきたり、写真撮影(中国では結婚前に写真撮影をするのが普通です。いずれ詳しく紹介しますね)で特別な企画をたてたり・・・。
春节明けということで結婚式を行うのも大変だと思うのですが、やはり『恋人記念日』としては業界からもこれくらいは働きかけたい、ですよね。

ちなみに、会社の同僚になんでバレンタインに婚姻届を出すのが多いの??と聞いたら、

「忘れる心配がないから・・」

とのこと。彼女はそろそろ中国の結婚適齢期が終わろうとしているのですが、現在彼氏もおらず。。せっかく日本語もしゃべれるのだし、バレンタインは日本風にアタックすればよかったのに・・・と思った、そんなバレンタインデーでした。

ちなみに独身男性の僕は、先輩たちと食べ放題で焼肉を食べていました・・・。

2008年2月13日 (水)

北京オリンピック -スピルバーグ辞任-

オリンピックに向けて少しずつ加速・・のはずが、少しずつ歪みが出てくるということになってしまいました。

スピルバーグ、北京オリンピックを降板

スピルバーグによると、中国の北京オリンピック委員会は1年前に契約書を送付してきたが、スピルバーグは承諾していなかった。中国政府がスーダンのダルフールでの集団虐殺を終結させるために尽力を注がないことに抗議しての決断という。

そもそも何でスピルバーグに依頼していたの・・?という疑問はあるものの、ここに来て中国政府にとっては痛い一撃になったのも確か。ざっと中国国内の新聞をあたってみたものの(当然)一切報道はありません。
中国にはスポーツ専門の国営テレビ『CCTV 体育』もあるうのですが、そこのニュースでも取り上げられませんでした。ざっとネットをあさってみたところ、中文での報道はこちらだけ。

因反对中国对苏丹立场 斯皮尔伯格辞去奥林匹克顾问职位 (IBTimes)

このIBtimesというネット新聞がどのくらい読まれているか(信頼性があるのか)はちょっとわからなかったのですが、とにかく中文での報道は外国系メディアによる海外報道のみ・・ということのようです。

『オリンピックの成功』を掲げている中国政府としては、オリンピックと政治をからめるのは絶対に避けたいことだったはず。一方中国以外の人間からすれば、オリンピックは自分達の要求を中国に伝える絶好のチャンス。ダルフール虐殺は日本ではあまり報道されないし、中国でもあまり触れられることのない話題ですが、欧米では大きな問題として認識されている問題です。

個人的には『オリンピックはアスリートのためのもの』という意識があるので、政治的な問題によってオリンピックが歪められてしまうのは避けてほしいな・・と思います。中国は北京オリンピックでは国の威信をかけてメダル数1位を狙ってくると思いますし、成功を全世界にアピールしたいはず。その動き自体がすでに政治的なものではありますし、どうしても政治的な扱いをしなければならないものではあるとはいえ不必要な摩擦は避けてほしいと思います。

そういう意味で中国の体制が急には変わらないことがほぼ予想できていたにも関わらず、オリンピック開催を決めてしまったこと、そしてその開催地に多くのIOC委員が投票してしまったことのほうがより根本的な問題であるように思います。
開催が決まった当時(2001年)にどのような政治的思惑があったかはわかりませんが、スポーツ界にとって中国というマーケットを抑えたい、中国としても国の近代化をアピールしたいというwin-winの関係があったことは容易に想像がつきます。ただメリットの裏にはリスクもあるのも事実。
IOCは自分たちが持っている『権利』がもっと大きい・・ということを自覚したほうがよかったのではないでしょうか。

今後もこのようにオリンピックと政治をからめた中国への要求(要望)は増えてくるはず。それに対して中国国内にいながら、国外への説明と国内への対応という二つの回答のどこに差があるのか・・を見守っていきたいと思います。

2008年2月12日 (火)

語学の勉強 -最初の山-

上海に赴任してから三ヶ月。
週三回の中国語のレッスン(朝7:30-9:00の一時間半)はできる限りうけてきたものの、予習・復習をなかなかすることができず、自分の中でいまいち消化できないものがたまっていました。

今回の春节休暇は、せっかくのいい機会!ということで、今までできなかった復習を改めてやりなおし、今後の予習を早めにやっています。そこで実感するのが「ああ、今、中国語の最初の山にいるんだな・・・」ということです。

語学の勉強といえば誰でも思い出すのが、英語です。

中学校に入学すると(今は小学校から取り組むようですが・・)
"Hello, I'm○○"
から始まり、しばらくは単語と会話文で勉強が進んでいきます。とりあえずよくわからないけど、まずは英語に慣れようという段階ですね。
で、二年・三年と上がっていくと少しずつ文法の勉強が入ってきます。「三人称単数の活用」「過去形」「完了形」・・・、なんとなく「ルール」がわかってきたような気持ちになってくるのですが、教科書に載っている以外の文、たとえば新聞なんかを読むと、さっぱり読むことができない。そんな状態で高校の英語に進みます。

で、高校に入学すると、やっぱり一から文法を習いなおすわけですね。ただ、中学校の時と違うのは、『暗記』するだけだった文法から、『原理原則に近い』文法への勉強へと変わるわけです。もちろん内容は高度になっているわけですが、最初のうちは中学校の繰り返し・・・というか掘り下げを行うわけです。

プログラミングでも同じ。
まずは「Hello,World!」を表示するための文を覚えます。そのうち『関数』とか『class』とかを覚えていく(「ルール」を覚えていく)のですが、なぜ「static void main」と書かなければならないかは・・なかなか出てこないわけですね。
で、ある時、自分のプログラムをもっといいものにしたい!と思って、一から勉強をしなおすわけです。

つまり、だいたいの人は語学を次の順番でマスターしていくわけですね。

1.新しい言語に触れる段階 
2.「なんとなく」規則性がわかる段階
3.「原理原則」を理解して、構造がわかる段階

もちろんプログラムと自然言語を比べれば、リスニングや発声などが入ってくるため、その習得のために必要な練習方法は異なります。ただ、少なくとも「頭の中で理解する」STEPは同じなわけです。

このSTEPを飛ばしていきなり3から入ることもできないわけではない・・・とは思うのですが、これはかなり忍耐力がある人向けですね。自分が学ぶ対象がよくわからないのに、はじめから細かい構造を学んでいくわけですから(大学で学んだスペイン語はこんな感じでした。いきなり細かい文法からスタートしました・・・)。

この休みに勉強をしてみてわかったのは、今、僕の中国語は1→2の移行期にあるということです。三ヶ月住んでみて、なんとなく周りの人の言うことはわかるようになってきた。文もなんとなく読めるようになってきた。文法も少しずつ理解し始めた。でも、細かいところで言い回しがわからない・・・。そういった段階です。

たとえば「補語」の存在。
「補語」のある場合とない場合の差・・・というのがまだ感覚として理解できません。

"我看她了" (私は彼女を見ました) と
"我看见她了"(私は彼女が見えました)

の差が感覚として理解できないのです(訳はEXCITE翻訳より)。こういった差がわかるようになるには、やはり3の段階に進まないといけないんだろうな・・と漠然と感じながら勉強をしているわけです。

ただ、さっきも言ったように一足飛びで3に行くことは難しい。
結局、今の『山』を乗り越えるにはひたすら単語を覚え、用例を学んでいくしかないんでしょう。きっとその先にbreakthroughがあるはす。

我努力学习汉语,,,

2008年2月11日 (月)

上海美术馆(上海美術館)

13連休と社会人人生最高に長いこの休み(といってもまだ三年目ですが・・)。
さすがに日本にいって、上海の家に閉じこもってました・・ではもったいないかなと思い、散歩もかねて上海美术馆(上海美術館)に行ってきました。

かなり暖かくなってきたので、まずはいつもより一駅遠い駅まで歩いてみます。
家の前のとおりを一路西へ。目指すは衡山路駅です。
衡山路は地球の歩き方によるとImage156 外人向けの店が多く、「上海の六本木」
とのことですが、実際に「六本木」をイメージして歩くとまったく違うことに驚くんじゃないでしょうか・・?

確かに外人向けの店が多いですが、六本木みたいに高層ビルはなくバーや外人向けのレストランが数多い・・という場所です。どちらかというと、「上海の新大久保」のほうがあうような(新大久保はコリアンタウンがありますよね。)
ちなみに、右の看板は宛平路にあったエステの看板。よく見ると、
「かぎりなく、美しく」と日本語で書いてあります。いったい誰向けに出しているんだろ・・・、経営母体が日本だからでしょうか。誰かSBCというエステグループをしっていたら教えてください。

衡山路からは地下鉄一号線に乗って、人民广场駅(人民広場駅)まで行きます。Image157
2007年末に上海では新しい地下鉄が開通したのですが、それにあわせて駅も改装したため、中はとっても綺麗。東京の地下鉄の駅よりもはるかに綺麗です。
地下鉄内には上海の地下鉄開発の歴史が展示してあったりと、上海市政府のこの計画への気合の入り方がわかります。気合をいれすぎたのか、いまだに使えない出口が数多くあるのはご愛嬌。

Image158_2

上海美术馆は駅を出てすぐのところにあります。実は、昨年12月に行った
当代美术馆(当代美術館)のすぐ隣。人民公園には他にも上海博物館があったりと観光地らしい配置になっています。

これまた地球の歩き方によると、入館料20元がかかるとのことだったのですが、特にチケット売り場などなく、入り口でパンフレットを渡されて難なく入場完了。お正月休みだから、無料になっていたのでしょうか・・・・。

中は4階立てになっているのですが、展示会場は3階まで。メインの展示
Image159_2会場は1階と3階で、2階は小展示場兼休憩所という趣です。
1階では特別展(企画展)をやっていたのですが、当然中国語に不案内な僕はよくわからず。北京にある国営(あるいは国が認めた団体)の50周年記念の展示会・・・と書いてあったような気がするのですが。
右の写真はいかにも中国っぽい一枚ということで記念にパチリ。ニューヨークのMOMAに行ったときも思ったのですが、海外の美術館は写真に対してまったく文句を言わないですね。カメラを持っていっていなかったので、携帯で写真をとっていたのですが、あの「ピロリ~ン」という音を何度もならしてもまったく文句は言われず。

この特別展、写真のような中国風の絵ばかりではなく静物画や風景画、現代アートもあったのですが、額物が欧米の美術館でみるような派手なものではなく、台紙も中国風の紙だったせいかすべて「中国美術」という雰囲気を発散していました。やっぱり絵画って「そのもの」だけでなく、額や台紙も含めて「どうやって飾るか」が重要なんだな・・と妙なところで感心。Image160

それほど大きな美術館ではないので、30分ほど見回って3階へ移動。
3階は来場前に期待していたとおり(?)純中国風の掛け軸が展示されています。

掛け軸といっても文字や水墨画みたいなものばかりではなく、西洋画もImage161_2
あれば抽象画もあります。いわばキャンバスが掛け軸。

ただ、やっぱりどれを見ても「中国風だな~」という感想になるわけなんですよね。先入観があるせいかも知れませんが、やっぱり題材の切り取り方が欧米人とは違うような気がする。匂いとかオーラの色がちょっと違う気がするんですよね。

Image162

以前北京で現代アートを見た時にはそんな感覚はまったくなかったので、これは「絵画」だからなのか、それとも「掛け軸」だからなのかはわかりません。和洋折衷とは違う(中洋折衷?)、少しずれた違和感がとても印象的な空間でした。

ちなみに右の写真は僕がもっとも気に入った作品の一つ。やっぱりどうしても、僕のイメージする「中国風」に惹かれてしまうんですよね。。

2008年2月10日 (日)

上海で2008年が始まります

7日に上海に戻ってきてから、規則正しい生活を送っています。

朝10時ごろ起床 → 二時間ほど勉強 → ジムで軽く運動 →

昼ごはんを近くのサイゼリアで食べる → 昼寝 → 夜まで勉強 →

近くのコンビニで買ってきた夜ご飯を食べる → 本を読んで寝る

こうやって書いてみると、ものすごく単調でつまらなそうな生活ですね・・・受験生みたい。だけど、やっている本人はぜんぜんつまらなくもないし、さびしくもないんです。さすがに一日中誰とも話さないとちょっとへんな感じだなあ・・とは思いますが。

10月末に上海に来てからとにかく目の前のことを片付けたり追われる生活だったので、こうやってゆったりした時間を持てることはすごく嬉しいし、次の年への活力になるという気がします。

こんなゆったりした時間をすごしながら思うのは、休みに入る前の一月や、日本に帰っている間はただの「長期休み」ぐらいの気持ちだったけれど、やはり今は『お正月』なんだということです。それも日本とはまったく違うお正月、です。

一番日本とは違うのは、町中に響く爆竹と花火でしょうか。Image154_2
毎晩、家の窓からは花火があがるのを見ることができます。僕の家は徐家汇のそばにある普通のマンションなんですが、中庭から打ちあげ花火があげられているのを楽しめるのです(誰があげているのだろう・・・)。
他にも毎晩、爆竹がそこかしこでなっていて、町全体が光と音の滝の中にいるようです。

特に今日、10日は日曜日の夜ということで気合が入っており、
家の前のとおりの南丹路ではホテルというホテル、
レストランというレストランから花火が打ちあがっています。

ベランダから浦东側見ても虹桥側を見ても打ち上げ花火の雨。Image155_2
こんな街中で花火が集中してあがるのを生まれて始めてみました。あがる距離も低いので、22階の僕の家から目の下で花火が爆発するのを見ることができます。ビルのガラスに反射した火花が明るく輝くさまがすぐ目の前で展開しているのです。

日本では絶対に見ることができない光景が窓の外には広がっています。今もまるで大雨が振り続けるような爆竹の音が鳴り響いているのです。少しずつ緩んできた寒さの中、ベランダで一人花火を見ていると「来年は自分の大切な人と・・・」と思わずはいられません・・。まずは大切な人を見つけなければなりませんが・・・・。

まるで去り行く年を惜しむかのように、打ちあがる花火たち。
この激しくもゆったりとした時間をすごすことで、ようやく僕の体もすっかり回復したようです。

明日から上海の2008年が始まります。
(僕の仕事始めは14日からです)

2008年2月 7日 (木)

春节快乐!

日本への一時帰国から、本日無事に上海に帰ってきました。・・・一時帰国というより、一週間の海外旅行でした、ね。常に、重い荷物を引きずって歩いていたので。。

【2月1日】
雪のため飛行機の離陸がかなり遅れてしまい、日本についたのは予定時刻よりも二時間ぐらい遅かったかな??そのまま都内のホテルに移動。
夜は、日本からの異動により抜けてしまったプロジェクトメンバーと3時まで飲んでました。・・・なんだか日本は大変そうだなあ、というのが最初の感想。

【2月2日】
同期の結婚式に参加。結婚式自体は12月にグアムでやっているので、日本でのお披露目会という位置づけ。当日の仕切りの手伝いをやってね・・・ということだったのだが、あまりにもグダグダになっていたので、結局司会までやることに。。Image149

「二時間半貸切」それ以上は追加料金が発生という厳しい条件だったので、予定をサクサク進めて二時間で全スケジュールを終了させる。新婦がいつもどおりへラーっとしていたのが印象的。だんだん、みんな友達が結婚していくもんだねえ・・・。

夜は(なんとなくありえない感じだが)新郎新婦の家に宿泊。だんなは酔っ払って即効で寝てしまったので、新婦としみじみ話し込む。最後は三人川の字になってねっころがる。・・・・こんなに色気がなくてもよいのか?

【2月3日】
朝から大雪。俺って雪男だったんだろうか・・・??Image150_2
東京とは思えないような雪景色にかなりひく。その雪の中、重い荷物を除雪車のようにして、回転寿司を食べに行く。そうそう、これを食べにきたのですよ。上海でも食べられるんだけど、一回食べたらおなかの中も回転寿司になったしね・・・。

その後渋谷に移動して、古い友人とそのまた友人と会う。旧交を温めつつ、友人の友人は上海で働きたいからうちの会社を受けるらしい。何も外資系の高給を投げ出してうちで働かなくても・・・と思うが、中国で働くのは絶対楽しいので、いいですよ~みたいな話を二時間ばかり。やっぱり出来る人は話し方がうまいなー。そういえば、旧友が9月に結婚するとのことで、奥様のお顔も拝見。ここでも結婚か・・。

夜は、就職活動から知り合ったメンバー15人くらいで飲む。一人がマッキンゼーから上海にあるビジネススクール(CEIBS)に受かったということを聞いて、なぜか胸がドキドキ。・・・上海で仕事をするという経験に強い独占欲があったからなんだろうか・・。それと(たぶんこういうこと言われたら向こうは起こるだろうけど)キャラクターが似ているところがあるからだろう、、、ね。とにかく、仲間が上海に来るのは大歓迎。どうやら場所は浦东らしいので、そんなに会うこともなさそうな予感。自分もそこを受けてみようかな・・・と妄想。
そうそう、ここでも2人が結婚を決まったとの報告。一方で、結婚が嫌で別れたという人もいるし、人生いろいろ。。。

【2月4日】
休み・・・のはずが、一日中会社で仕事。中国にいる間に本社が移転Image152
してしまったため、すっかり迷子になる。
ものすごく見晴らしがよい場所に会社があり、晴れている日には富士山も見えるそうな。。。うちの会社も終わったな・・となぜか感慨にふける。
たぶんここで本格的に働くことはもうないんだろうな~となぜか心のそこから思う。
夜は最上階(!)のレストランで同期とお酒を飲む。ここでも結婚式のお話。
「俺は中国人と結婚する!」と宣言したら、冷たい目で見られる。いいじゃん・・。

【2月5日】
ようやく、オフらしいオフ。ホテルに荷物を置いて、東京散歩。上海に住んでまだ三ヶ月なのに、車が反対を走っていることにビビル。なんていうか、上海よりも洗練されていて、北京よりは暖かい感じがする街だな・・と感じた。
一歩離れてみると、東京ってかなり未来都市なんじゃないか・・と思う。なんていうか不必要に、不自然に綺麗な感じがするし、再開発された場所なんかを歩くとすごく整理されている。このままいったら世界一機能的な街になるのかな・・・と妄想。
メンバーへのお土産が重すぎて、死にそうになる。

【2月6日】
少しは人間らしいことをしなくちゃね・・と思い、祖父の家に立ち寄る。連絡をしてあったので、妹も来ていた。
昨年の夏にばあちゃんがなくなってから、祖父は家に一人っきりになってしまった。ばあちゃんが亡くなったときに、いろいろやっておけばよかったなと思ったし、すごく後悔した。だけど、もう一方ではばあちゃんがなくなっていなければきっと上海には来ていなかったわけで、そう考えると去年は自分の人生のターニングポイントになったんだな・・と実感する。
祖父の家では初めて帰省らしい帰省でひたすらゴロゴロして、食べたかった生卵かけご飯を死ぬほど食べる。
こういう料理って店では絶対に出ないし、そもそも中国では生卵は危なくて食べられないので、至福の瞬間。妹も元気で何より。

【2月7日】
無事に上海に帰宅。6日が大晦日だからその日にいればよかった・・と激しく後悔。いたとしても一人ぼっちなんだけど・・・。
心なしか(たぶん実際にそうなんだろうけど)街の人が少ない感じ。これからゆっくりとお休みに入ろう。

・・・と今回の規制はこんな感じ。とにかく、荷物が重くて「帰省」というよりも「海外旅行」。もう家は上海にあるので、日本にいる自分がちょっと不思議な感じがしました。街の風景とか、流れてる音楽とかに微妙に違和感があるというのか・・・。

中国にいても中国語が完璧ではないし、日本にいても微妙なすれ違いがあって、今は自分が何人でもないということを感じます。亡命とかしたらきっともっとこんな気持ちになるんだろうね・・・。

休みは13日まで。「日本旅行」の疲れも取って、新年を気持ちよく迎えたいです!

2008年2月 1日 (金)

旧正月休みスタート!

中国の皆様より一足早く、休みにはいって日本に帰ることにしました。これまで死ぬほど働いたので、その代休という扱いです。

日本でも会社に行く日があったり、友達の結婚式があったりと、じっくり腰を落ち着けて休む・・・というわけには行かないのですが、まずは日本に帰って回転寿司が食べたい!

ということで、一週間後まで待っていてね、上海!

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