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2011年4月29日 (金)

震災からの自分を振り返って思ったこと

3月11日に起こった東日本大震災から数えて本日は49日にあたる。未だに多くの問題が未解決のまま残されており、また個人としては震災発生から一度も日本に戻っていないことから、振り返りとしては早いタイミングかとも考えたが、ごく個人的なことについて記録代わりに振り返りを残しておきたいと思う。

地震が発生した3月11日は、1年余り準備に時間をかけたビジネススクールから無事に合格通知をもらうことが出来た日だった。昼の13時ごろに合格通知メールをもらい、Twitter上で報告と御礼をしている時に、地震は発生した。当初はマグニチュードが非常に大きいことのみがTL上で流れてきて、津波や原発についての情報は散発的にしか確認できなかった。当日はちょうど会社にいたためテレビを見ることもできなかった(たとえ、見れたとしても日本の映像は見れないのだが・・・)。

明けて翌日になるとTL上で原発の内容がちょくちょく流れてくるようになった。学部と大学院で原子力工学(原子物理学ではないので、主に発電や発電所についての勉強をする)をかじった自分としては明らかに「デマ」とわかる内容だったので、とりあえず否定の内容をポツポツ呟いていると、数人からRTされてあっという間にフォロワーが1000人を超えてしまった(それまでは400人ぐらい)。
翌週にはTwitter上でジャーナリストの方にRTされたことでフォロワー数も3000人を超え、mentionを使っての質問や御礼をいただいたりということで、多くの方が関心を持っているということが直に伝わってきた。遠くからでも何か役に立てることを・・と思い、その後は10日間ほどはニュースや解説記事を見て呟き続けることとした。今回は既存メディアの質問にもバイアスが強くかかっていたので、Ustreamやニコ動で生の素材を見ることが出来たので、それがものすごく役に立った。

10日ほどたつと、少なくとも工学的にはある程度事象の行き先が見えたので「原発解説モード」はいったん終了し、

今まではただ楽しくTwitterを使ってきたのだが、今回はフォロワーが急に増え、また皆の関心が高い社会的な問題を呟き続けるということで、いろいろSocialへの考え方が変化した部分があった。


1.RTによるデマは簡単に広まることを実感

今回はそれこそ色々な人が、個々の観点から発言していたけれど、それが次々とRTで拡散していくのはある意味壮観でもあり、驚いた。日常は中国クラスタを多めにフォローしているのだけど、中国関連に関しては正しく情報を分析できる方が、原子力に関してはあっという間にデマの波にのまれてしまうのは正直ショックだった。それ以外にも、これまで冷静な議論をされていた方の多くが瞬間瞬間で誤った情報を拡散しているというのは、Socialの一面を垣間見た気がした(今回を機にキュレーター論は平時のみにしか役に立たないという認識をもった)。
多くの人は善意で情報を流しているのだろうけど、そこを一歩立ち止まって情報の真偽を確認しない人が多いというのは、良くも悪くも発言がしやすくなったことと裏表であると思う。

マキャベリの「地獄への道は善意という名の石でしきつめられている」を実感したのが今回の一件だった。


2.どんなに御礼があっても誹謗中傷はやはり凹む

フォロワーが増えてくると、プラスの意見だけでなく、マイナスのmentionももらうようになった。大体割合でいうと8:2ぐらいでpositiveな内容が多いのだが、正直いうと、この2割でも心理的なダメージは大きい。数字的には8割はpositiveなわけだが、心理的には5:5とか4:6でダメージがくる。
「スルー力」という言葉があるが、確かにフォロワーが増えてくるとリスペクトなしの発言も増えてくるというのを実感した。一々かまっていることが出来ないと割り切ってからは、ちゃんと文言を読めていないと感じた人、リスペクトがない人はさっさとブロックするようにした。今ではSocialだからと言って、必要以上に対応する必要はないと割り切っている。


3.全部のmentionを対応することは不可能

これまで何回かフォロワーが多い人にmentionをして返事がもらえない・・という経験があって、『フォロワーが増えると冷たくなるもんだな・・』と思っていた。しかし、実際に自分がそれなりのフォロワー数を抱えるようになると、とても全部のmentionには対応しきれないことを実感した。
内容として議論が展開できそうでもそれなりに下調べが必要だったり、過去にすでに呟いている内容を再度質問されたりしても、一つ一つは対応することが出来ない。フォロワーが増えることで思わぬ方とつながったりするのはすごくうれしいが、やはりどうしても失礼してしまうこともあるのだな・・というのも初めて実感することが出来た。
(芸能人とかこういう気持なのだろうか・・・)

呟きを辞めた後ももちろんリアルな時間はすぎていくわけで、4月末の現状でも未だに原発問題は解決には程遠い状態であるし、派生する工学的問題(廃炉対応や汚染冷却水の処理、ロボットを利用した作業)などは未解決なまま残っている。政治的・社会的な問題はこれからようやく議論が始まったばかりだ。
残念ながら工学的・科学的な観点からは依然として誤った議論は続けられているし「セカンドオピニオンを確認する」「前提条件を吟味する」といった態度を取っている人はごく少数である。はっきり言えば今回の原子力問題は既に政治問題化してしまった。

原子力発電は建設コストが莫大であり社会的影響が大きいことから、学問としてリスクコミュニケーション学が成立するほど、もともと政治的・社会的要素の強い分野である。今回個人的には、各分野にいる方々がその知見や研究内容を十分に発揮することが出来ず、問題がすぐに政治化してしまったことであると、何より残念だった(といっても各分野の人が気安く発言できるわけではないことも理解している)。
僕は既に当該分野を離れてしまった人間なので、原発推進・反対といった政治的立場はない。ただし、科学に対して真摯でない態度・雰囲気が広がることは残念に思っているし、結局それが最終的には自分たちに帰ってくるというようには感じている。

TL上やFacebookでのやり取りに若干疲れてしまったので、今後基本的には原発問題について呟くことはしない。1日でも早く事実と前提に基づいた議論が展開出来るようになることを祈っている。

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コメント

何かまだあの日の影響が抜けきらない感じがします
それほど大きな出来事だったことは確かなんですが
いつになったらこのショック状態から立ち上がれる日が来るのか判らないくらいです

コメントいただきありがとうございます。

僕は中国にいて直接体験したわけではなく、頓珍漢なお答えになるかもしれませんが、意図的に意識を別の方向に向けるようにしています。

忘れるわけではなく、心の中の別の場所に置くような努力をしている感じです。

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