最後(仮)の日本長期滞在
8月から始まるB-Schoolの準備と、ひさしぶりのジョブレス期間(つまり何やっても自由)、そしてこの短期間にも関わらずお仕事をご提供いただいた会社様でお仕事をするために5月中旬から一カ月ほど日本に滞在していた。当初の予定では7月からschoolの語学プログラムに参加する予定だったのだけど、諸事情により参加できなくなってしまったので、少し長めに日本にいることに。
(諸事情というか、単に席が空いてなかったというだけですが。)
今回の帰国はおそらく今年最後ということで、色々な人にお会いしたり日本でしか食べられないものをたっぷり堪能した。こんなに長く日本にいたのは上海に移ってから初めてで、もし日本で働くことがなかったらおそらく人生で最後の長期滞在になると思われる(さすがに働きはじめたら、こんなに自由な時間を取れるとは思えない。家もないし)。
日本にたまに帰ると、懐かしい友人だけでなく、いつも新しい友人との出会いや仕事の機会などがあり、毎日がドラマチックである。でも、今の自分にとってそこはやっぱり『ちょっと違う国』なのであるとも感じる。
確かに自分の生まれ育った国であるし、母国語で暮らすことが出来るし、おいしい食事もたくさんあるし、気の置けない友人もいるはずなのに、何かちょっと「ズレ」を感じる。それはおそらく自分の周りの環境に原因があるわけではなく、単純に自分の感覚が -中国に渡る前から積み重ねてきたものも含めて- いわゆる「日本的なもの」と微妙に不協和音を奏でるからだと思っている。
海外にいるというのは、自分の持っているリズムと周囲の環境が持っている固有の文法があまりにも違うので、そもそも差異を前提として生きている。だから常に努力というか適応が必要になる。僕にとってはその適応すべき努力のほうが楽だということであって、何か「戦略的に海外にいるほうがよいのだ!」という思考があるわけではない。
(なので「どうして中国を選んだんですか?」とか聞かれても、答えられないのだ。なにせ元職での選択肢がここしかなかったという理由なので・・・)
一方、日本で多くの人と話して共通するのは「このままではいけない」という危機感。危機感よりももう少し強い、むしろ焦燥と呼ぶような感覚。何かの偶然で日本に近い上海という地で少なくともあと2年は過ごすわけで、これからはもう少し高い視点から情報発信と「何か」のお手伝いをしていきたいとも思った。
ということで、次回あたりからblogのタイトルも変えて、もうちょっとだけ真面目なネタと、これまで通りの不真面目ネタを織り交ぜながら行きたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
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