寒すぎる上海を抜け出し、カンボジアへ行ってきた -シェムリアップ編-
(前回の更新プノンペン編から一週間も空いてしまった。。カンボジアから戻ってきてからやや体調不良でグズグズしておりました)
プノンペンはしっかり詰め込んで観光をしたこともあり、わずか1日で観光を終えてバスでアンコールワットがあるシェムリアップに向かうというのが当初からの予定。事前の情報だと船のほうが早いし、楽しそうということで船で行こうと思っていたのだが、今は乾期で船は使えないらしい。ということで、ホテルでバスを予約して片道約6時間の道のりを異動することにしたのであった。
シェムリアップは日本でも有名なアンコールワットがある街である。僕はアンコールワットと いう名前自体はずいぶんと小さい頃から知っており、子供この頃に読んだ漫画で地球の七不思議を解説する本で名前を知ったのが初めての出会いだ※1。まさかあの小さい頃には自分がアンコールワットに行くなんて夢にも思わなかった。20年目(もう少し長いかな・・)の出会いである。
シェムリアップはプノンペンと比べても「観光地」という感じで、
外国人ばかり。この時期にな
んでこんなに外国人が多いの・・・と思ったのだが、どうやらかなりの数の人が春節を利用してきているようだ。シンガポールあたりから来ていると思われる学生らしき若者たちも結構見かけた。後はアジアで長期滞在をしているヨーロッパ人。中国人と韓国人ももちろんたくさんいたのだけど、日本人は休みの関係であまり見なかった。
街並はすごく奇麗だし、食べ物は中国と同じくらいの値段、しかもホテルは奇麗な上に暖かいと、もうついた時からすっかりシェムリアップはお気に入りの場所になってしまった。お酒を飲みながら二階から身を乗り出して歩いている人を見るのが楽しいのだな。
シェムリアップ到着日は軽く街を歩き回ったり買い物をしたり
して、いよいよ翌日はアンコー
ルワットに出発。同行している友人が言うには「日の出がすごい」というので、朝5時に向かったのであった。チケットを購入して、まだ真っ暗な道をアンコールワットに向かって歩いていくと、少しずつ観光客が増えてくるのがわかる。入り口に向かって左にある池の辺りが観光客が集まる場所らしい。
自分もここで日の出を待とうと、懐中電灯に群がってくる虫をよけつつ日の出を待つために慎重に池の橋に腰をおろす・・・はずが、見事に足を滑らせて何百人という観光客の前で見事に池に落ちる自分。。。幸いながら全没は免れたものの、右半身は確認するのも嫌なほど汚い池に
見事にダイブしたのであった。
ちょうど前の日の晩からMBAのWi-Fiがつながらなくなってそこに気がいってたせいもあるんだろうけど、まさか自分だけ池に落ちるとは。。PCを置いてきたのがせめてもの救い。もし鞄に張っていたら間違いなく成仏するはめになっていただろう。
と、出だしは最悪だったものの、日の出によって空の色が少しずつ変わっていくのは絶景そのもの。右半身がグショグショであることを一生懸命脳みその片隅においやって、変わりゆく光景を楽しんだのであった。日があがってからアンコールワットの偉容がすっかり目の前に広がる。事前の勉強をまったくしなかった自分はひたすら同級生の後についていくだけだったのだが、これまで写真で見たような光景が目の前に広がっているというのは、やはり格別である。観光客が多い・・といっても、万里の長城に比べれば全然ましだし。トイレもきれいだし(これ、自分にとってはとっても重要)。とにかく一日で全部を見るのだ!と同級生が急かす
のでほとんど休みも無く、アン
コールトムを見学し、さらにしっかり象にまで乗ったのだった。旅に行くと必ず動物に乗るということを心がけていて、これまでラクダ・馬・象は達成したので、次は何に乗ろうか。。
■ さらに古き都へ ■
翌日はこれまた友人が「オレは余り人が行かない所に行ってみたいんだ!」と主張し、特に僕も反対する理由はないので、コッケー(日本語のHP調べるとコーケーという発音が多いが、たぶんコッケーのほうがより近いと思う)というシェムリアップから150kmほど離れた遺跡に車をレンタルして向かったのであった。Lonely planetをしっかりチェックし片時も話さないのに、人が行かない所に行きたいというのは、若干の矛盾があるのでは・・という気もするが、そういうことは面倒くさいだけなので、黙ってついていく。
朝7時には出発して、9時過ぎにはついたのだがコッケーは
確かに人がいない。ここで観光
客向けのお店を開いてはたしてやっていけるのか・・・と心配になるぐらい人がいない。
確かに遺跡も余り修復されていないし、一般向きではないのかもしれないけど・・・でも、実はココこそがこの旅の一番感動した場所だった。半分崩れているような寺院をゆっくり抜けていくと、ある場所で突然視界が広がり、目の前には巨大なピラミッド型の建築物!自分が一瞬どこにいるのかわからないぐらいの、存在感で目を離すことが出来なくなってしまう、そんなパワーがあるピラミッドだった(それまで崩れている遺跡のせいで、一切影も形も見えないのがミソ)。
そこからはさらに車を一時間ほどのベンミリア遺跡に向かう。ここにはとにかくたくさんの子供たち。中国ではこういった子供を利用して親が仕事をしないで暮らしている・・という例があったりするのだが、カンボジアはどうなのだろうか、ということを思いつつ買い物をせずに通り過ぎる。こういう場所はやはり自分にはちょっと精神的にしんどい。
遺跡は本来は入り口だったと思われる場所はすでに崩壊しており、横から入っていく形になっている。ここだけではないのだが、名付けて「勝手にガイドさん」がここにもいて、"This way!"と盛んに誘う。これはガイドが終わってからお金を請求するという意味で、リスクがガイド側にあるものの、せっかくガイドもしてもらったし・・・とつい払ってしまうのがうまいところである。中国なら絶対最初に値段交渉から入るだろうに。
この遺跡ではちょっと違う道のりを行ってみるのも面白いか
も・・・と思ってガイドの子供たちについていったのだが、これが観光的には大成功、体力的には大失敗。崩れている遺跡をドンドン上っていくのだが、体の軽い子供たちと違ってリュックを背負っているわ、おっさんだわ・・で汗をダラダラとたらしながら必死についていったのであった。気がつくとかなり高い場所にあがっていて、こっからどうすりゃいいの?という場所では、Jump!と何事も無いように行ってくる。下には石がごつごつしてるし、おちたら死んじゃいそうなんですが・・・。"Careful!!"と一応声がけをしてくれるのだが、今までの人生で最も実効性のないCarefulである。最後は這いつくばるようにして無事にゴールに到着。団体旅行で来ている中国人には汗をダラダラ流している謎の日本人と思われたことだろう(日本語一度も使わなかったら中国人と思われたかもしれんが)。
最後にお金を払う段では、こういう場所ではついついお金を
たくさん払ってしまい、同行の
友人は「そんなに払うなんて、なんて面倒くさいやつなんだ!」と呆れていたが、外国人として出来るのはこれぐらい。確かに、同じ1ドルを払うのであればNPOなどに寄付した方がきっとレバレッジも効くだろうということはわかっている。中国でも目の前の子供にお金を渡すというのは、ほとんど意味がない(価値がないとは言わない)ということも知っている。でも、それでも、がんばって交渉して値切って「フェア・プライスになった」というよりは、こういう時は自分の心に従っていきたいのだ。
■ 人が神に奉仕する国 ■
最終日には友人はシェムリアップからベトナムに移動すると
のことで、別れて街をブラブラ
していたのだが、プノンペンよりも遥かに立派な国立博物館があるのを見つけたので、そこで時間をつぶすことにした。中はかなり細かくクメール王国の歴史と美術が陳列されていて、かなり勉強になる・・・のだが、英語で専門用語があったりして確実にわかったわけではないのがちょっと残念。神様の名前とかはやはりカタカナか漢字で覚えているので、英語で表示されているとなかなか違和感があるのであった。
アンコールワットは確かにすごい。これを1000年近く前に人 力(あとは象のパワー)で作ったとはとても信じられない。ただ、これだけの巨石文化を残したクメール王国というのは、いったいどんな文明だったのかと思うと、何とも微妙な気持ちになるのも事実である。日本にも古くから続く仏教のお寺はたくさんあるし、そういった為政者たちの宗教への投資(というか当時はそれこそ政治 −まつりごと− だったわけだが)が文化を創ったというのは疑いようもない事実である。しかし、一方でこれだけの労力を投入するというのはどれほど王国が豊かであったとしても、やはり一般の人々への負担は莫大だったに違いない。アンコールワット遺跡を歩いている間にずっと思っていたのは、クメール王国というのは「人が神に奉仕した国」だったのではないか・・・ということだった。
今となってはその遺跡により外貨を稼ぐことが出来ており、カンボジアという国の再建をす るには欠かせない資産であるというのも、同じように間違いのないことだ。そして、例えば僕の友人のように失われた東洋文化を尊敬するものもいれば(特に彼はアメリカ人なので、ホワイトハウスよりも古いものは素直にすごいと思うらしい。日本にきたら大変である)、僕のように何か表現できない敬虔な気持ちを抱くものもいるだろう。そこには「人が神に奉仕する」という雰囲気はどこにも無い。それでも、遺跡にたくさんいる子供たちを見ると、この国にもう少しだけでも神のご加護があってもよいのではないか、とふとそんなことを思ったりもしたのだった。中国で外地人の子供たちと一緒にいる時と同じように、自分が何を出来るかは、まだ見えないのだけど。
※1・・・七不思議と言ってもいろいろあるが、とりあえずその漫画にはほかにはストーンヘンジ・モアイ像・マチュピチュ・ピラミッド・万里の長城が入っていたような気がする。この中でいったことがあるのはまだ万里の長城のみ。先は長い。
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