第40週目終了! - 世界は本当に狭くなったのか? −
気がつけばMBA生活も40週目が終了である。たいして授業の入ってないのに、月日の経つのが実に早い、早すぎる。このblogを書いていないと実感しなかったかもしれないが「40週目」という数字を自分で書いてみると、始まってからの月日がたつのがいかに早いか・・ということを感じる。ということで、今週は大きなイベントもなく無事に終了。こうイベントがないと特筆するようなことも無いので、今日はここ1〜2年感じている「情報と体験」という話を書いておこうと思う。
■ 情報は全部エンターテインメント■
毎年4月〜5月というのは実に多くの人が新しく上海に来る。上海だけでなく、人事の季節なので日本人は世界中で出会いと別れをしているわけだ。今年は僕の友人がこちらに来ることになったというのもあるし、FBを見ていると元職の知り合いもこちらに来るようなので、特にいろいろなことを考えるきっかけになっていたりする。
今はネットがあるおかげで本当に便利になった・・というのは海外にいると実感する。上海には僕が卒業した大学の同窓会もあり、そこで古くから上海にいらっしゃる方にお会いする機会もあるのだが、例えば30年前に上海に来るのと、今から赴任するのでは精神的な負担も、事前の準備も全然違う。ちょっと頑張れば現地の日本人を紹介してもらうのはそれほど難しくないし、いざ問題にぶつかっても大体のことはネット上で解決可能だ。
家族や友人ともあっという間に連絡することが出来るし、写真や音声の共有も問題無し。ただでビデオ会話することも出来るし、こうやってblogを書けば、僕がどういったことを考えて生きているかを世界中の人に伝えることも出来る。
さて、じゃあ僕たちがそれぞれの興味を持つ知らない地域・知らない場所について「詳しくなったか?」というと、実際の知識レベルはそんなに変わっていないんじゃないの?というのが、このごろ僕が思っていることである。例えば、FBのポストとかそれについてのコメントを見ると、毎年毎年ほぼ変わらない内容がつぶやかれていて、ほぼ変わらない反応が起こっている。端的に言えば、興味がないことに関しては「個々人の知識レベル」に対してはちっとも変化がない。
その上、今はやりの情報というのは日々変わって行くので、何となくいろんなことを知っている気になれる。例えば多くの人は「アラブの春」という単語を知っているだろうけど、現在アラブ世界でどういうことがおこっているかをリアルタイムで追いかけている人はほとんどいないだろう※1。
別に僕はそこで「みなもっと情報感度をあげるべきだ!」という気は全然ない。僕は基本的に自分は小市民であると思っているし、人間にとっては半径10mが最も重要であるべきだというのが持論だし、そもそもあらゆることにそんなに興味を持ち続けているほど
時間もないというのも知っている。ただ、どんなに心がこもったメッセージであろうと、自分にとっての一生の一大事であっても、それはほとんどの人にとってはゴシップと同レベルの「エンターテインメント」でしかないのだな〜と、そのことを忘れてはいけないのだよね、と思っているのだ。
■ 世界は本当に狭くなったのか ■
つい先日BIg Dataに関することを書いたように、今でも、そしてこれからも人間がアクセスできるようになる情報はドンドン増えて行く。それは検索とか友人がつぶやいていることを知るとか、もはやそういうフィルターでは掬いきれないほどの早さで増えて行くので、誰もが自分が知っている極めてせまい世界から情報を取ることしか出来なくなる。確かに、情報技術(IT)は物理的な「距離」を短くすることは出来た。ただ、一方で「情報空間」というのは拡大し続けているのだ。
なので、多くの人がこういう時代だからこそ「自分で体験することが重要」と言う。僕もその通りだと思う。Dataが伝えられることは極めて断片的なことで、人間が触れることの出来る情報よりも遥かに少ないのだから。僕も少なくとも上海にそれなりにすんでいるので、NETで調べたことで語られるのはやはりイラッとするのだ。
じゃあ実地体験こそが至高かつ最大の経験で、データや本から得た知識は役に立たないかというとそんなことを言われたら、学問って何なのですか、という話になってしまう。こういう話はこれまでも繰り返されてきたし、これからもずっとされていくだろうので、あんまり深入りはしたくない。個人的には「自分の皮膚で感じる情報」と「体系化された知識」というのはかけ算されてこそ最大の価値が発揮されると思っているのだが、こういうのもどちらかというと信仰に近いので、そこで議論をしてもしょうがないと思う。
ただ僕がこのごろ考えているのは、これだけDataがあふれるようになると、人間の生産性とか、もしかしたら人格とかに影響するのは結局「記憶力」なんじゃないかということだ。つまり、ほとんどの人に取っては「エンターテインメント」でしか無い情報を少しずつ少しずつ自分の中に蓄積することが出来る人間が、きっとそれなりのことを成し遂げるのではないかということなのだ。
世の中には確かにビジョナリストとかジーニアスと呼ばれる人がいて、そういう人というのは時に思考がジャンプしてしまうが故に「過去の蓄積」がいらなかったであろう・・と思われる人もいるにはいる。でも、そういう人の伝記を読んだり話を聞いたりすると、実はしっかりコアな部分は勉強していたりするのである。そして、そういうジーニアスではない僕たちは、結局どれだけ日々触れていることを自分の体に刻めるかで自分の行き先を決められるのではないかと思うのだ。
せっかくこれだけの情報に触れられるようになっているのだから、楽しいことにたくさんふれつつも「それだけ」に終わらないようにするということをちょっと心がけるだけで人生全然ちがっちゃったりするんじゃないの、と思うのである。
※1・・・アラブ情報だと「中東の窓」というblogが情報が充実している。あまりに充実しているのでとても追いきれないが、中東に興味がある子方は是非。
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