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2013年10月

2013年10月15日 (火)

[書評]対中とか反日とかワンワードではない中国 -「壁と卵」の現代中国論

日本に帰ってきたら、いままで読むことが出来なかった本をたくさん読もうと思っていたのだが、いざ帰ってくると仕事はそれなりにあるし、友人にもあいさつしたいし(なんせ5年半ぶりの帰国だ)、新生活を安定軌道に乗せたりという中であっという間に半年がたってしまった。いいわけをすれば、結婚・転居・帰国・転職と立て続けに大イベントが発生して、休む間もなかったということ※1


5年半の中国にいる間に、中国関係の本だけでもたくさん出ているし、それ以外にも知識の方向性が変わって読みたい本はたくさん出ている。気がつけばAmazonのWishリストは1000冊を超えていて、さすがに一気に読むことはできなくなってしまったが、少しずつ消化をしているというのが現状である。

そういって読んだ中で、中国関係や話しておきたい本についてはこのblogでは書いておこうと思う。今回はそういう本の一発目として、梶谷懐さんの「「壁と卵」の現代中国論  リスク社会化する超大国とどう向き合うか」という本をとりあげたい。


 

目次:
第1章 自己実現的な制度と私たちの生活  
第2章 グローバルな正義と低賃金労働
第3章 赤い国のプレカリアート
第4章 中国とEUはどこが違うのか?――不動産バブルの政治経済学
第5章 米中の衝突は避けられないのか?――中国の台頭と人民元問題
第6章 歴史に学ぶ中国経済の論理
第7章 分裂する「民主」と「ビジネス」
第8章 これからの「人権」の話をしよう
第9章 日本人の中国観を問いなおす――戦前・戦後・現在
第10章〈中国人〉の境界――民族問題を考える
第11章 村上春樹から現代中国を考える

あとがきに代えて――リスク社会化する中国とどう向き合うか


「壁と卵」といっても、本書は村上春樹を論じるものではない。もちろんわざわざタイトルに持ってくるだけあって、著者は村上春樹のファンであると著書内に記してあるが、本書が主題とするのは現代中国におけるいくつかの一般市民とシステムに関する話題 -一つ一つでも十分に大きなテーマとなりうるが、あえて「壁と卵」=「システム」と「個人」という観点から問題点を括っている‐ である。

2011年の後半に出された本書は、ちょうど中国へのジャスミン革命の波及の懸念がひと段落された頃に出された本である※2。2年たって読んでみると、この本で取り上げられている内容と言うのは、確かにあの時の影響を感じさせるものではあるけれど、同時に現在進行形の内容でもある。なぜなら、ジャスミン革命事態は中国で大きなうねりを見せることはなかったけれど、あの時期確かに中国は緊張していたし、今もってその緊張感は変わらず中国の底で流れているようにも感じられるからだ。


この本は章ごとに別々のトピックが取り上げられているので、、全体をまとめて書評することは難しい。そこで、今回はMBAでも似たような話をとりあげた第二章について簡単に僕の考える話を書いておこうと思う。

第二章では先進国のグローバル企業が中国においてCSR活動を広げることについて、批判的な観点からと肯定的な観点、両方を紹介するという形をとっている。どちらかというと本書ではグローバル企業が行おうとしている発展途上国におけるCSR活動については批判的な視点で物事を見ているが、僕には十分にフェアな議論をしているように思えた。

グローバル企業が新興国で行うCSR活動と言うのは、簡単にいえば、例えばNikeで問題視された自動労働(チャイルドレーバー)や、この本が出版された後に繰り返し中国で目の敵とされたAppleへのサプライヤーによる環境破壊に対する対応など、いわゆる「欧米的人権・CSR」から発展途上国における経済活動を改善しようという試みである。
本書ではこういった活動が、単に欧米側の自己満足や現地ニーズにそぐわない形での援助(本書ではプランナーと呼んでいる)となる傾向にあることを指摘したうえで、現地ニーズや状況をしっかり理解したうえで活動を行うことが重要という指摘を行っている※3


こういった「発展途上国におけるグローバル企業の取り組みの偽善性」というのは僕がいいたMBA Schoolでも当然のように議論をされるのだが、個人的には少なくとも現場レベルにおいては企業に属している人間であっても、この問題に対して真摯に取り組んでいる人間もいるし、また効果のある部分もあると考えている。
例えば授業ではNokiaの例をとりあげて、実際に欧州から工場に査察に来て改善指導を行おうとする担当者と、何とか実情を隠そうとする工場側のやり取りのビデオを見たことがあった。このビデオ、最後には担当者が改善活動に疲れきってNokiaを退職するところまでを取り上げていた何ともほろ苦い気持ちにさせてくれたのだが、それでも少なくとも現場レベルでは試行錯誤をしながらも取り組みを何とか成功させようとしているという実例で、単にグローバル企業の取り組みが掛け声だけではない、ということを実感させてくれるものであった。

またAppleのサプライヤーの例に関しても、中国と言う場で議論をしていることもあり、Appleはサプライヤーをたたくだけでなく環境保全分の金額も上乗せして払うべきだという意見が驚くほど多かったのだが、一方で効果が全くないという意見はほとんどなかった※4。というのも、グローバル企業のサプライヤーの例に関して言えば、仮に形だけの対応を行っているような場合に問題視するのは「同じように欧米から来ているNGO」の場合が多いからだ。


「先進国マーケットにおけるマーケティングのために掛け声をあげるグローバル企業」と「同じく先進国の価値観で監視を行うNGO」が、発展途上国という「場」でやり取りをしているという構造である。
この構造だけを見れば、確かに中国地場の外部プレーヤーがやり取りをしているだけでしかないが、一方でそのサプライチェーンには中国企業(正確にいえば中国マーケット)も確かに組み込まれているわけで、全く影響がないということはあり得ない。


結局のところここで僕がいいたいのは、グローバル企業の活動がある意味プランナーとしての活動となって効果がないという批判もまた、企業活動の現場を十分観察していない「プランナー的な批判」になっているのではないか、ということだ。ビジネスというのは、個々の企業活動とは別に現場の人間のなにがしらの思いと言うのは必ず反映されるものだし、むしろ個々のそういう思いと企業の方向性が一致するような仕掛けづくり(あるいは単純に人事)を行うことこそ、企業運営の一つの力なのであはないかと思っている。

何だか話がずいぶんととっちらかってしまったが、本書ではこの章の話題のように、一貫して著者は「壁と卵の対比する視点」(あるいはマクロとミクロの視点)のバランスをとるように気を配って議論を進めている。

わかりやすい「対中戦略」や「反日」の掛け声だけではない、中国という「場と人」を考えるにあたっては、よいきっかけとなるのが本書ではないだろうか。


※1・・・実際に8月中旬の夏休みまでは本当に体の調子が悪くて困っていた。
※2・・・僕がMBAに入学したのは2011年秋だが、時間があった自分は上海でのジャスミン革命の影響でデモが起こると言われた場所に写真を撮りにいったりしていた。今考えれば随分のんきなものである。
※3・・・正確にいえば、そのような参考文献を参照したうえで議論を行っている。
※4・・・ビジネス的には、Appleが金額を上乗せするべきという結論が出るのはおかしな話なので、授業に出ている時は軽い絶望感を感じたのであったが。



2013年10月 8日 (火)

祖父の死と、祖母のこと。

先週実祖父が、眠るように息を引き取った。知人の中にはこの年齢では、今ははそういういい方はしないよ、とも言われたが、親族からすると85歳の大往生だった。数年前から脳梗塞を数回起こしていて、最後は眠るように息を引き取ったとのことだった(僕は亡くなってから連絡をもらったので、その場にいることは出来なかった)。


祖父は終戦後に僕が生まれた場所に出てきてからは、定年まで警察官を勤め上げた人で、僕が生まれるまでは非常に厳格な人だったらしい。孫はかわいいもの・・というのはどこでも同じらしくて、初孫である僕が産まれてからは優しい人というイメージしかなく、僕にも常によいお爺さんであった。

「国のためになりたい」と言って警察官になった人だけあって、いわゆる右的なところがないわけではなかったけど、そういうことを孫に言う人ではなかった。僕が中国に行ったのもおそらく内心ではよく思ってなかったかもしれないし、時には早く日本に戻ってこいと言われたこともあったけど、それも強い口調ではなかった。
警察官の仕事にとても誇りはもっていただろうけど、それをとくに語ることもなく、僕が柔道をすれば自分もやっていたと喜び、囲碁を習い始めれば相手をしてくれる、そんな人だった(だから、僕は祖父がどういう警察官だったのか・・というのはほとんど知らない)。


二年前からは介護施設に入っていて、今年日本に帰ることになって、妻を紹介しに1月に会いにいったのが生きている間にあった最後になってしまった。久しぶりにあった祖父は随分小さくなっていて、僕のこともよくわからなくなってしまったのに軽くショックを覚えたのだった。警察官をしていただけあって、70歳を超えても元気な体でいたのに。それでも、亡くなる前に妻を紹介することが出来て、最後の孝行が出来たのかもしれない・・とそんな風に思いたいと、お葬式の時には感じていた。

祖母はなくなったのが、僕が中国に行く年なので、早いもので6年もたってしまった。祖母は癌だとわかってからドンドン痩せていってしまい、中国に行くと決める数カ月前に亡くなったのだけど、あの時はまるで「行ってきなさい」と背中を押されたようなものだと感じながら中国に行くことにしたのだった。もし祖母の病気が長引いていたら、たぶん僕はあのタイミングでは中国に行くという決断をしなかったし、そうなると前の会社で中国に行くチャンスはもうなくなってしまっただろうから、僕の人生も大きく変わっていたに違いない。

もし中国に行かなければ今の妻と出会うこともなかったろうし、もしであっても結婚するという話にならなければ日本には帰ってきていなかったし、そうなるともしかしたら祖父の通夜とお葬式に出ることも叶わなかったかもしれない。うまく言えないけど、こういった偶然によって、好き勝手生きてるはずの自分もちゃんと大きな流れからは足を踏み外さずにいられるのだな・・と感じたりする。


僕が知っているのは、本当に夫婦生活最後の20年間ぐらいなわけだが、それでも祖父母は仲のよい夫婦だった。祖母が亡くなった日の、祖父のことは今でも鮮明に覚えているぐらいだ。
自分が結婚して、まだ1年ちょっと(入籍から数えたら半年ちょっと)だが、ああやって歳をとることが出来たら素敵なことだと、今はあらためてそう思う。まだ四十九日もすんではいないが、きっともうあちらでは祖母と祖父は仲好く暮らしていることだと、そういうのを残された親族は感じている。本当にお疲れ様。今まで、ありがとう。

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