祖父の死と、祖母のこと。
先週実祖父が、眠るように息を引き取った。知人の中にはこの年齢では、今ははそういういい方はしないよ、とも言われたが、親族からすると85歳の大往生だった。数年前から脳梗塞を数回起こしていて、最後は眠るように息を引き取ったとのことだった(僕は亡くなってから連絡をもらったので、その場にいることは出来なかった)。
祖父は終戦後に僕が生まれた場所に出てきてからは、定年まで警察官を勤め上げた人で、僕が生まれるまでは非常に厳格な人だったらしい。孫はかわいいもの・・というのはどこでも同じらしくて、初孫である僕が産まれてからは優しい人というイメージしかなく、僕にも常によいお爺さんであった。
「国のためになりたい」と言って警察官になった人だけあって、いわゆる右的なところがないわけではなかったけど、そういうことを孫に言う人ではなかった。僕が中国に行ったのもおそらく内心ではよく思ってなかったかもしれないし、時には早く日本に戻ってこいと言われたこともあったけど、それも強い口調ではなかった。
警察官の仕事にとても誇りはもっていただろうけど、それをとくに語ることもなく、僕が柔道をすれば自分もやっていたと喜び、囲碁を習い始めれば相手をしてくれる、そんな人だった(だから、僕は祖父がどういう警察官だったのか・・というのはほとんど知らない)。
二年前からは介護施設に入っていて、今年日本に帰ることになって、妻を紹介しに1月に会いにいったのが生きている間にあった最後になってしまった。久しぶりにあった祖父は随分小さくなっていて、僕のこともよくわからなくなってしまったのに軽くショックを覚えたのだった。警察官をしていただけあって、70歳を超えても元気な体でいたのに。それでも、亡くなる前に妻を紹介することが出来て、最後の孝行が出来たのかもしれない・・とそんな風に思いたいと、お葬式の時には感じていた。
祖母はなくなったのが、僕が中国に行く年なので、早いもので6年もたってしまった。祖母は癌だとわかってからドンドン痩せていってしまい、中国に行くと決める数カ月前に亡くなったのだけど、あの時はまるで「行ってきなさい」と背中を押されたようなものだと感じながら中国に行くことにしたのだった。もし祖母の病気が長引いていたら、たぶん僕はあのタイミングでは中国に行くという決断をしなかったし、そうなると前の会社で中国に行くチャンスはもうなくなってしまっただろうから、僕の人生も大きく変わっていたに違いない。
もし中国に行かなければ今の妻と出会うこともなかったろうし、もしであっても結婚するという話にならなければ日本には帰ってきていなかったし、そうなるともしかしたら祖父の通夜とお葬式に出ることも叶わなかったかもしれない。うまく言えないけど、こういった偶然によって、好き勝手生きてるはずの自分もちゃんと大きな流れからは足を踏み外さずにいられるのだな・・と感じたりする。
僕が知っているのは、本当に夫婦生活最後の20年間ぐらいなわけだが、それでも祖父母は仲のよい夫婦だった。祖母が亡くなった日の、祖父のことは今でも鮮明に覚えているぐらいだ。
自分が結婚して、まだ1年ちょっと(入籍から数えたら半年ちょっと)だが、ああやって歳をとることが出来たら素敵なことだと、今はあらためてそう思う。まだ四十九日もすんではいないが、きっともうあちらでは祖母と祖父は仲好く暮らしていることだと、そういうのを残された親族は感じている。本当にお疲れ様。今まで、ありがとう。
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