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2018年9月14日 (金)

AIの"A"は何という単語の頭文字なのか

Artificial(人工)だというツッコミはあると思うのですが、本日は最後までお付き合いください。

最近すっかり日本では次のビッグウェーブとしてのAIという単語は定着あるのだが、このAIという単語、何の略なのかはご存知だろうか・・?ほとんどの方は「Artificail Intelligence(人工知能)の略である」と答えると思う。


正解は‥‥その通り、”ほとんど”の場合においてAIのAはArtificialの略と言われている。ただ、ほとんどと書いた通り、例外もある。例えば、日本のAIソフトウェアとしては最もブランド力があると思われるWatsonは、かつてはAugumentated Inteligence(拡張知能)の略でAIであると言っていた。結局この言葉とIBMが進めていたコグニティブ(Cognitive)という言葉は市民権を得ることなく、ほぼ消えてしまったのだけれれども・・。。

当時IBMにいた時の私はこの言葉を聞いた時には「何を独自性を出そうとしてるんだ、素直に普通と同じ言葉を使えばいいのに」と思っていた。以前はe-businessとか、Smarter Planetといったマーケティングワードで世の中の流れを決めるようなことが出来ていたように見えるIBM(これをアジェンダセッティングと言います)だけど、既にAIやクラウドの世界で流れを決定できるほどの力はないのに・・・と。
ところが、今の会社に移って毎日米国の研究者と会話したり、米国での研究のトレンドを勉強するようになると、IBMが提唱していたAugmentationと言う概念は正しかったのではないかと言うようにあらためて感じるようになった。


● 人間の能力を拡張する ●

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AIだけでなく様々な分野で未だに先端を走っていると言われているシリコンバレーで技術の話をすると、よく出てくる言葉が「Augment」だ。例えば、AR(Augmentation Reality)はまさにこの言葉が入っているが、これはリアルな情報と電子情報を重ね合わせることで、人間の視覚や情報処理能力を増強する/拡張するという取り組みをさす。 例えば、人間がパッと見ただけではわからないような複雑な設計をした構造物に対して、データベースに格納された設計情報を付加することで、人間が付加情報と実際の建築物を同時にみることが出来るようになる。これは「視覚」を増強したものだということが出来るだろう。

これだけでなく、ロボットやハードウェアを開発する際にもAugmentationという概念は常に意識されている。日本でもサイバーダイン社などが開発している体につけて人間のサポートを行うようなロボットは開発されているが、人間が装着することにより能力を増強することが出来るようなロボットは「筋力」を増強したものだと言えるだろう。 かように、シリコンバレーで開発されている技術の多くは「人間の能力を高めて、新しいものを生み出そう」という発想がそこかしこにみることが出来る。


一方で日本で技術の話をすると、まずAutomationによる「コスト削減」という話がメインで出てくる。現状で人間が行なっている作業を機械にすると、だいたい何人の労力をロボットがカバーすることが出来るので、だいたい○○円コストを削減することが出来るということである。こういった発想は確かにビジネスにとってはすごく重要だが、これだけでは全体としてビジネスの規模を拡大することは出来ない。いわば、この発想は現在のパイの中で、どれだけ旨味のある部分を取るか・・といった発想に近いのだ。

もちろん米国でもコスト削減のためのAutomationというのは重要なテーマだし、日本のように人口減と労働コスト増大という問題に直面すれば、必ずコスト削減のための技術利用というのはもっと積極的になるだろう。私もAutomationによるコスト削減に意味がないというつもりは毛頭ない。それでも基本的にAutomationというのは「引き算」の発想である。「Automationにより、XX人の仕事を自動化することができるので、YYのコスト削減を測ることが出来ます」というのが、こういったアイデアを検討する際に必ず出てくるビジネスケースというやつである。


● 人間がAIや機会と共存するために ●

日本で多くの企業と話していると、ほぼ必ずといって出てくるのは「人間にしか出来ないことがある」「人間ならではのものを求めている」という単語である。確かにそういうものは今後も相当の期間は消えないだろうし、当面のところは人間のみができること、を、売りにしていくのも一つの戦略だといえる。

一方でそういう主張をする多くの方が「人間にしか出来ないものがある」というバイアスで物事を語っている、もっというと「人間にしか出来ないものがあってほしい」という願望を込めて話しているということもかなり多い。それは時には自社の雇用を守らねばならないという使命感かもしれないし、あるいは機械に自分たちの仕事を奪われてしまうという漠然とした恐怖感かもしれない。具体的に、「何を」「どこまで」「どのようにすれば」機械と人間の仕事を切り分けられるのか・・・ということを考えずに、まず否定の感情から入ってしまい、詳細な分析を行うことが出来ないのだ。


こういった議論をする時に重要なことは、我々人間自体も周囲に存在するテクノロジーによって進化/変化していかという視点を持つことである。例えば、コンピューターが生まれるまで、長い間計算には算盤が必要だったが、今では趣味や教育効果を狙っている以外で算盤を使うことはほとんどないといっていいだろう。あるいは我々の世代にとっては「学ばねばならなかった」タイピングは、1世代下の人間にとっては当たり前の作業となったし、もっと下の世代ではフリック入力が当たり前になってしまって、逆にまたタイピングは「学ばねばならない」ものになった。これを進化と呼ぶかどうかを別として、このようにわずか10年単位で多くの人間が平均的に持つであろうと思われる能力は変化してしまっているのである。


これと同じことはAIがより社会に入ってきた際にも、間違いなく起こる。人間はその裏側のブラックボックスを理解せずとも、慣れとともに納得して利用する生き物なので、今の人間にとって奇異に思えることが、次もずっとそうではないとは言い切れない。
テクノロジーに向かい合う人間や日本企業は、「テクノロジーによって何を実現できるのか?」「それは今の我々の作業(仕事)のどこまでを代替するものなのか」、そして「私たち人間はその変化をどのくらいのスピードで受け入れるのか?」を常に問うべきだと思うのだ。

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