監視国家の次の一歩: スマートグラスが世界を変える
以前のエントリーでは「幸福な監視国家・中国」の書評と、そこから日本の方向性をなんとなく想像してみた。プライバシーと監視というのは色々な要素が関係する大きな話なのだが、技術的な観点からは、監視国家の次の一歩を想像すると、間違いなくスマートグラスの実用化が大きな転換点になる。
スマートグラスと万人の万人による監視
すでに中国では国内の治安維持に活用がされていると報道がされてように、スマートグラスは「データの記録」という観点からも、「ARを用いた情報のリアルタイムでの検索」という観点からも、社会における監視活動の質を劇的に変えるはずだ。2019年の現在でも、交通事故の情報がドラレコで記録されたり、道ゆく人がたまたま出くわした事件をスマホで撮影する・・・というのは普通になっているが、スマートグラスが普及すれば、さらに録画のためのコストは下がる。
バッテリーをどうするか・・・という問題は依然として残るものの、例えばスマートグラスであれば「三回連続して瞬きをしたら、録画を開始する」といったコマンドを設定しておくことは容易なので、スマートグラスをかけている人は望んだタイミングで自由に今目にしているものを録画することが出来るようになる。
つまりスマートグラスが十分に普及した世界では、全てのことが録画されてしまう可能性があるということだ。もちろん人が見ることが出来ない死角(例えば満員電車の中の手の動きとか・・・)はあるものの、誰もが誰かの監視を可能にする社会が出来上がるということになる。
プライバシー、組織のルール、訴訟
スマートグラスが普及すると、まず問題になるのはプライバシーだろう。ほとんどの人は、知らない間に自分の行動や発言が勝手に記録されのは気持ち悪いと思うのではないだろうか。もしかしたら「記録されない権利」と言う権利についての議論が起こるかもしれない。
そして、おそらくこの「記録されない権利」と言う考え方は、かなりの支持を得ると思う。自分が望まない限り、記録には残りません、というのは直感的だし、自然な欲求に沿っているからだ。一方でそういった議論が盛り上がると、既に公共の場やショッピングモール、コンビニなどで多く設置されている監視カメラの存在は、矛盾したものとなる。
これが中国であれば「公共の利益を満たす場合はOK」という解釈で乗り切るだろうが、日本の場合はそう簡単にいかないだろう。どういった場合に録画が許可されるのか、ということを法的に決めていく必要がある。誰でも監視可能となることにより、逆に監視という行動に対して拒否感が露わになるかもしれない。
次に反応をするのは、会社や団体などだろう。今でも社内で「録音や写真撮影は禁止する」という規定を設定している会社はたくさんあるが、スマートグラスの利用を禁止する規定を作る会社はすぐに出てくるに違いない。
ただ、2019年現在の判例によれば「同意を得ない録音、あるいは許可がない録音であっても証拠には採用」されるので、もしスマートグラスの利用が許可されていない会社であっても、例えばセクハラやパワハラの証拠に使うことは法的には問題ないと判断されるに違いない。
結果として、表に出てくるようなパワハラやセクハラを抑止する効果は出てくるだろう。それがいいことかどうかというのは、おそらく議論を呼ぶであろうが、おそらくは支持する人間の方が多く、また利益を得る人間の方が多いだろうと思う。結果として、スマートグラスの活用は急速に進むに違いない。
常に緊張感を持つ社会に
こういった世界では、どこで誰が自分の発言や活動をデジタルデータに残しているか判断することが出来ない。そうなると、ほとんどの人が「自分の行動は記録されている」という前提で活動をするようになるだろう。ちょうど、「幸福な監視国家・中国」で運転マナーが劇的に改善されたようにだ。
こういった状況は、社会にいる全ての人にかなりの緊張感を強いることになるはずだ。なにせ、ちょっとした冗談やつい出た本音が記録され、時には思うままに編集されてしまい、あっという間にデジタルの世界で広がるのだから。正直いって、人間がそのような緊張感を長期間保ったまま、正常に生活することが可能かどうかすらわからない。
それでも、この流れを押しとどめることは中々難しいと思う。なぜなら現在は虐げられている人、あるいは我慢をしている人から見たら、現状を変えるための有力な道具になるからだ。もちろん、社会を管理する側も積極的に利用するようになるだろう。
Fakenewsに見られるデジタルデータ改ざんなどを考えると、このように全てをデジタルデータに還元できる世界が幸福であるとは言うことは出来ない。それでも、いずれは全ての空間がデジタル化されて、我々は今よりはるかにお行儀の良い世界に暮らすようになるのではないだろうか。そしてその世界では、おそらく「デジタルに触れない権利」について、今よりもずっと真剣に議論がされることだろう。
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