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2020年2月

2020年2月27日 (木)

5GでIoTのコンセプトは実現するのか? 書評: 5Gでビジネスはどう変わるのか

購入したのはかなり前だったのだが、年末は引っ越しで忙しくてなかなか読み進めることが出来ず、読み終わった後はその意味づけをしばらく考えていたせいで感想をかけずにいたのが本書だ。
通信領域で長年にわたって政策提言やコンサルティングを従事されていただけあり、5Gビジネスに関連する内容を網羅的に取り扱っている。IoTと5Gに関する知見を手っ取り早く、かつ全体感を持って手に入れたいというなら、間違いなく本書を最初にオススメする。
ちなみに、著者のクロサカさんは引っ越す前に近所に住んでおられていたようで、時々ご家族と歩いているのをみかけたことがある。流石にお声がけするのは憚られたので、「おお、クロサカさんだ!」と勝手に興奮していたものだ。


2020年現在の米国での5Gの位置付けPhoto_20200227135801

本書にも繰り返し書かれているように、世界各国での5Gを利用したビジネスというのはまだ黎明期だ。5Gならではのメリットを提供しているサービスはほぼ存在しないし、米国でも5Gの商用利用は始まっているものの、メジャープレイヤー(今後企業価値が大きくなると期待されるスタートアップ含めて)はまだ存在しない。
正直なところ2019年末の段階では、5Gを利用したサービスというのは「お金持ちのオモチャ」と呼ばれているような状態だった。

なぜそういう状態になっているかというと、まだ明確なユースケースを描ききれていないからというのが大きい。
本書にもあるように、5Gの特性を考えるとサービス自体はB2CというよりもB2(B2C)のような形にならざるをえない。言い換えるとB2Cのようにアプリを開発して、一気にマスを取りに行く・・といったこれまでのスタートアップの勝ちパターンを適用がしづらいのだ。

すでに一足先に波が来て、そしてその第一波がさりかけているロボティクスと同じように、スタートアップが既存の大企業に採用されるには(B2B2Cの最初のBがスタートアップで、真ん中のBが既存の大企業)かなり明確にユースケースが定義されていなければならない。そして、矛盾するようだがユースケースを明確に定義するためには、最初のお客様との協働実験やβ版の利用が始まり、考慮すべき外的要件を明らかにする必要がある。

つまり「使えるようになるためには、"何に"”どうやって”使えるのかを明確にしなければならない」一方で、「"何に"”どうやって”使えるのかを明確にするためには、まずは使って守らないといけない」のだ。
このジレンマに陥らないようにするには、多少ユースケースが甘くても、言い換えればMVP(Minimum Viable Prodcut)の状態でも利用してくる一般ユーザー(C)に向かうしかない。しかし、5G特性が活かせるようなネットワークが整備されておらず、デバイスも少ない状態ではこちらの方法も難しい。
・・・・ということで、米国のスタートアップ業界でも5Gはまだメインストリームにはなっていない。


本書にもある通り、米国でもおそらく最初に利用が始まるのは動画配信やゲーム、ライブエンターテイメントだろう。その中でも、個人的にはライブエンターテイメントで面白いスタートアップが立ち上がってくるのではないかと思っている。アリーナやスタジアムというのは比較的外的要件が安定しているし、付加価値を出せばチケット代や利用料にも転嫁することがそれほど難しくはない。

それ以外の領域では、既存のメジャープレーヤーが音頭をとってビジネス開発が進むのではないかと思っている。日本の動画配信やゲームのプレーヤーは米国に比べれば小さいが、それでも「大企業発のビジネス開発」であれば日本企業でも十分に面白いものができるのではないかと思っている。


重要だけど、本書にかかれていないこと

各領域のビジネス開発や展望については本書で網羅されている一方で、極めて重要だけど本書にかかれていないことがある。本書の射程ではないということで、クロサカさんはあえて本書から外したのだろうと確信しているのだけど、一方で5Gからのユーザーメリットを享受するためには極めて重要な視点だ。

それは、端的にいうと「センサーは壊れる」ということだ。センサーが壊れると、当然ながらデータを取得することが出来ない。そして、壊れたものは誰かが直さなければならない。
本書の第3章では、分野別の新事業の有望株が挙げられている。この中には、機器の設置者が継続的に機器をメンテナンスするインセンティブが強い領域(ライブ中継やスマートファクトリー)などと、ユーザーにはメリットがあるものの機器の設置者が継続的に機器をメンテナンスするインセンティブが弱い領域(スマートシティやスマートハウス、スマートサプライチェーン)などがある。

現在の携帯基地局の保守業務を見るまでもなく、配置するセンサーの数を増やせば増やすほど、1日あたりに故障する確率というのは増えていく。私は今の業務で、大量のセンサーを導入している工場を見学しに行ったことがあるが、「何もない日というのは1年で数えるほど」という状況だ。これは、工学的に作られるものである以上は仕方がない。工場でも携帯基地局でも、設備を作ったプレイヤーと管理/運用を行うプレイヤーは同じなので、リソースさえ投入すればメンテナンスは可能だ。


では、スマートシティやスマートハウス、サプライチェーンといった「設備の設置や建築を行う業者」と「管理を行う業者」が違う場合には、どうなるのだろう。
例えば以前に住んでいた築20年を超えるマンションでは、故障したインターホンを取り替えようにも在庫がないという状態が発生してしまい、最終的に管理を行う業者が全戸一括して交換するという対応を行なっていた。さすがに、インターホンが使えないマンションなどありえない・・・というのが一般的な妊娠期だろうし、インターホンの変更自体はそれほど難しくはないので、管理業者でも行うことが出来た。


この例と同じように、例えばスマートハウスを売りにしているマンションの壁に埋め込まれたセンサーが壊れた場合はどうすればよいだろうか?上記の事例と同じように考えれば、管理業者が替えるべきだろう。ただ、センサーのように進歩が早く、それなりに専門知識が必要とされる領域に機動的に対応できるような体制(人的リソースを含む)を管理業者が構築できるだろうか・・?

センサーをたくさん利用している場合、ユーザーは各センサーの状態を把握しているという仮定を置くのは無理があるので、故障が発生した場合には、まず「どこで」「何が」壊れているのかを同定するところからスタートするのだ。


本書では、この辺りの問題を「利用に関する費用をどのように分配するのか」といった問題としてまとめているが、主に問題の焦点をビジネス開発時 == 導入時に限定しているように見える。しかし工学的な観点からは、むしろ運用がスタートしてからのほうが重大な問題になるのではないかと思っている。また保守がしっかり行われたとしても、サービス提供者自体がサービスを終了したり、潰れてしまっては意味がない。


5GとIoTの組み合わせのように、統合して、かつ長く運用することにより初めて価値が出せるような領域というのは、長期に渡って持続的なビジネスを設計する必要がある・・・というのは、いうは易しで実際にはすごく難しい。実際に日本では、(そういう意味で使ったわけではないという反応があるだろうが)「100年使える」はずのauのメールがわずか6年でサービス終了という実例があるのだ。

理想的には運営企業が潰れてもデータの引き継ぎが容易にできるように、データ形式を共通化することが望ましいだろう。実際、いわゆるGAFA(というか米国のテックジャイアント)はそのような取り組みを進めている。データをどのように取り使うのか、本書で言われているようなTrustをどのように実現するのかという問題はあるものの、データの可用性と可搬性の観点から、変なところで独自規格みたいなものを作らないで進むことが望ましい・・。

2020年2月24日 (月)

もしオリンピックを東京でやらないとしたら・・

予想通り全然衰える様子のない新型コロナウイルスによる肺炎は、世界中で感染が広がりはじめた。データ上では日本では爆発的に広まっているというわけではないが、これは単に検査数が足りないというだけで、実際にウイルスを持っている人は相当数広がっているのではないかと思う(若年層はたとえウイルスを持っていても、自覚症状がない割合もかなり高いらしいし)。

ネット上の怪情報では「オリンピックを是が非でも日本でやるために、感染数を少なくしているのだ」という説があるが、さすがにそこまで頭のおかしいことはしていないと信じている。単に検査キャパシティの問題と、有病だとわかると病院が受け入れる必要があることから、検査の総数を絞っているということはあるだろうけど。

とはいえ、オリンピックを本当にやるのか・・・というのは思考実験としては面白いと思う。せっかくなので、自分の予想を書いておこう。


まず、致死率がいきなり上がるという現在では想定できない変化がない限りにおいては、さすがに直前に意思決定を行うということはないだろう。最低でも準備に3ヶ月はかかるだろうとして(それでも足りないだろうが・・・)意思決定をするのは遅くても3月〜4月であると予想する。言い換えると、重要なのはその時の日本の状況なので、その後はどんなにコロナウイルスの感染者が増えても、3月〜4月の意思決定が踏襲されると思う。

日本政府としては、以下の条件が満たされればとりあえずオリンピックの開催は出来る・・・と読んでいるだろう。
(1)どんな手を使っても、開催都市を変更できないタイミング(上記した通り3~4月)までは感染者数を爆発させない、少なくともデータ上では爆発させない。
(2)できれば、日本以外の国でも次々感染者数が増えてくれれば「世界中はどこでも危ない」という雰囲気になってくれる。


オプション1: 今のまま東京でオリンピックをやる(60%)
なんだかんだ言っても今から他の都市で準備をするのも大変だし、日本政府は全力で開催にむけての努力を約束するだろうから、結局のところオリンピックを東京でやるというのが一番可能性の高いオプションだと思う。
なんだかんだ言っても結局のところ「やることが重要」なので、やった結果として世界中にコロナウイルスがばらまかれても適当な言い訳をつくるのだろう。そもそも、その頃には世界中でかなりの数の患者がいるだろうし、おそらく治療法も今よりは確立されているだろうから、実被害は少なくなっているかもしれない。



オプション2: オリンピック自体を延期、取りやめする (1%以下)
たぶんこれはほぼない。開催中止は過去二回の大戦時しかないし、それぞれの陣営の都合によりボイコットが大量発生したモスクワやロスでも開催したのだ。
あの時よりもはるかに商業化が進んだオリンピックを延期するという選択肢はIOCにはないと思われる。もしこのオプションが取られる場合のは、世界中で大幅に人の往来が禁止されるような事態となっている場合だろうが、2月末の段階では今の所そういう兆候はない。



オプション3: 違う都市でオリンピックを行う(40%ぐらい)
ここでは違う都市・・と書いたが、これをやれるのは現実にはロンドンか、ドーハ(カタール)ぐらいしかないだろう。全ての競技が一箇所で開催されなくてもよいと割り切った上で、かつ実現可能なのがこの2都市だと思う。
現実的に開催都市変更となる場合には、次のようなプロセスを踏むのではないだろうか・・?


前提: IOCが開催都市変更をゴリ押しすることはさすがにないだろう。権限としてはIOCが持っているとはいえ、ゴリ押ししてしまうと訴訟になるだろうし、そこまでのことをするメリットはIOCにはない。ただし、本当に変更したいとなれば、プロセスの裏側で動くのはIOCだと思われる。

 

  1. 各競技連盟のうち、有力な連盟が次々と「東京で開催されることに対して深い憂慮」を表明する。
  2. 競技連盟の憂慮を受けて、数カ国が「東京オリンピックに参加した選手や応援にいった人の帰国を許可しない可能性がある」と表明する。
  3. IOCが上記を受けて、東京で「東京での開催に関する検討」を行う。
  4. 日本政府および東京オリンピック開催委員会はコロナの過度の危険性はないという主張をし、IOCもそれ以上の要求はしない。
  5. 日本で十分に調査が行われていないということを英語メディアが積極的に報道する
  6. 世界各国での報道を受けて、憂慮を表明する競技連盟が増え続けるとともに「東京ではなく代替場所での競技開催の検討をIOCと開始する」と報道されるようになる。
  7. 上記を受けて、最終的に東京が開催権を返上する

なんか書いてる間に、かなりトンデモっぽくなってしまったが・・・。個人的にはオリンピックとパラリンピックのチケットを持っているので、何か会った時には払い戻しはどうなるのか・・ということのほうが気になるかな・・・(パラリンピックはそのまま寄付扱いでも良いと思っているけれど)。

港区南側の公立小学校選び

昨年12月の引越しの大きな理由は子供の公立小学校をどこにするか・・・ということだった。住んでいたのは芝浦地域だったので、そのままいくと通うのは芝浦小学校だったのだが、極めて彼の個人的な理由で芝浦小学校には通うのは難しいため引越しをしたというわけである。

幼稚園選びから2年も経っていないのに、もう小学校選びで、歳をとるのが早すぎる・・。


学校選びの方法論

港区では自分の住所がある学区以外の他に、隣接している学区に越境して通うことができる。ただ、各学校には定員があるので希望する全員が通えるというわけではない。多くの人気校では抽選になるし、その倍率はかなり高いので、もし希望する学校があればそこの学校に引っ越すことが確実だ。

港区は結構広いのだが、タワマンのように大量の住居が供給されている地域は限られている。しかも現在は需給に関係なく、中心地の賃貸は異常に高い。ということで、「子供が行きたい学校/親が行かせたい学校に確実に行かせる」というのはかなり難しいゲームのようになっている。
親としては子供の希望を聞きつつも、現実的な予算も考えなければならず、複数の候補校を見て回るというのが現実的なアプローチだと思う。


公立小学校の評判というのは意外にネットにはないものなので、以下の方法がオススメだ。

  • 学校公開日に実際に行ってみる。あるいは説明会に参加する。
    実際に行ってみるとかなり学校の雰囲気がわかるので、悩んでいる学校があればぜひ説明会に参加してみるとよいと思う。公立学校とはいえ、校長先生の運営方法によってかなり学校の色は変わってくるので、校長先生の話を聞くのもよい。ただ、校長先生は異動があるので、そこに寄っ掛かりすぎるのはリスクがある。

  • ママ友ネットワークで話を聞く
    幼稚園/保育園のママ友の中で、お兄さん/お姉さんがいる場合にはそこでリアルな話を聞いてみるのもいい。説明会ではわからない話を教えてくれる場合もあるし(特にPTAの活動などは親でないとわからないことが多い)、情報交換する中で違う候補が出てくることもある。
    僕の場合は自分でもちょうど友人達が子育て期の人間が多いので、色々な小学校の情報を仕入れることが出来た。

  • SNSをのぞいてみる
    ネットの投稿サイトではあんまり評判はないのだが、Twitterには(自分も含めて)物好きな人が学校情報をつぶやいていることがあるので、のぞいてみるとよいと思う。どこに行ってるかとというのは明言されていなくても、周辺情報からだいたいはわかるし、生の声がポロリと出ていることもある。

それぞれの学校の情報

上記のようなアプローチをして、とりあえず自分たちの候補になりそうな小学校の情報は集めることができた。最終的には、昨年の10月ぐらいの段階で一校に絞り学区内への引越しも完了したのだが、せっかくなので手に入れた印象については記録に残しておこうと思う。
なお、あくまで自分たち夫婦が感じたイメージなので、詳細は各学校に通っている方に聞くのが一番であることは言うまでもない。

芝浦小学校
以前の家の学区だとここに通学することになる予定だったのが芝浦小学校。おそらく地理的には、現在みなとパーク芝浦の横に建設中の芝浦第二小学校(仮)に移ると思うのだが、最初は芝浦小学校に通うことになるはずだった。
近隣にタワマンがたったことにより、生徒数が急増しており2020年2月の最新情報で、1年生と2年生は各7クラスもあるマンモス校である。東京近くのベッドタウンで育った自分のような世代でも、各学年5クラスだったので、いかに生徒数が多いかがわかる(1クラスあたりの人数も減っているが・・)。
人見知りの上に、人が多いと精神的に辛いうちの息子には、このマンモス校では難しいと感じていた(なので、学校見学などは行かなかった)

芝小学校
元の学区の越境対象となる隣接学校。最新の抽選結果を見るとと、かなりの人気校であることがわかる。
こちらは公立小学校では珍しく制服なのだけど、我が家の息子は気に入った服を複数枚購入し、それしか着ない・・というタイプの子供なので、制服という時点で対象外となってしまった(なので、学校見学などは行かなかった)。

本村小学校
麻布地域の小学校ということで、国際学級はないものの国際色がそれなりに豊かだと聞いているのが、この小学校。
クラス数も2クラスも少なく、校長先生がデジタル化を積極的に推進されているということで、かなり我が家では好印象を持った。幼稚園と実質的に同じ敷地内にあるため、幼稚園からここに入ればスムーズに進学ができるのかもしれない。
難点はとにかく家賃が高い地域ということだが、こちらにかつてお子さんが通っていたパパ友情報によると、学区内の一戸建てはかなり古くても快適に住めるとのこと。

御田小学校
魚藍坂近くの坂を登ったところにある小学校。
見学に行った際には補助教員の方が授業に馴染めない生徒に積極的に対応しており、おそらく最初は適応に苦しむであろう我が家には非常によいのではないかと感じた。また、親子さんに話を聞くと「とにかくいじめはない」ということで、こちらもいじめられるであろうことを想定している我が家には好印象。校舎はやや狭い感じがするが、不便を感じるほどではない。なんとなく、親世代にとっては自分たちが通った学校に近い感じがすると思う。

白金の丘学園 白金の丘小学校
港区初の公立小中一貫校。近隣の再開発により一気に生徒が増えることが想定されたため(白金ザスカイはこの学区)、ここも見送った。友人の息子さんが通っているので話を聞いたところ、中学校受験をしないと決めている彼の家庭にはあっている気がする・・・という答えをもらった(ただ、これがどういう意味だったかはよくわかっていないのだが・・・)。中学校受験をしようとしたら、近くのSAPIXに通うことになるのだろうか・・・。

御成門小学校
港区北東側の広大な学区をカバーしている御成門小学校。道を渡ると御成門中学校があり、高架で繋がっている。
こちらも御田小学校と同じく、自分たちの世代にとっての小学校に近い雰囲気がある。校長先生の説明会に参加したところい、働き方改革を積極的に進められているとのことであった。各教室の前にスペースがあり、校内は結構広いのと、給食用の大きな食堂がある。

東町小学校
国際学級ができて人気が復活したと言われている東町小学校。
見学に行った際には、プロジェクターに資料を写して右側に日本語で板書、左側には英語で板書というスタイルの授業をしており、自分の時代との違いに慄いたのであった。ママ友情報によると、国際学級でなくても全体として英語レベルは高いとのこと(本当かどうかは不明だが・・・)。

麻布小学校
麻布台の坂の上にある小学校。落ち着きのないうちの子供の場合、すぐ近くにある道路で事故に合わないか・・ということが気になってしまった。
学校内は中庭構造で広いし静かな印象。まだ空いている部屋があるようで、遊び場のような教室もあった。HPを見るとボランティアを募集しているのだが、おそらく授業サポートの人員を積極的に集めているのだろうと思う(授業見学に行った時には、サポートの方もおられた)。

赤羽小学校
校舎建て替え真っ最中なのがこちらの学校。今後の生徒数増加も見込んでの増改築ということで、新しい校舎が利用可能となった暁には広いスペースを活用できるようにいなるのかもしれない。見学に行ったのは、通常授業ではなくイベントだったので、あまり通常の授業の雰囲気はわからずじまい・・・。幼稚園が併設されており、息子が通っている幼稚園から、こちらの幼稚園に転園している方もおられた(学区に住んでいるなら早いうちに友達が出来るから・・という配慮だと思われる)。


改めて書き出して見ると、我が家の場合には制約が強すぎてそれほど選択肢がなかったことに気がつく(クラス数が多いところは無理、家賃が高すぎるところは無理)。今となっては、決めた小学校で子供が気持ちよく過ごしてくれることを祈るのみである・・・(まだまだ先の話なのだが・・・)。

2020年2月20日 (木)

スキルのポータビリティ性と、生涯における学習意欲と

今の仕事を始めてから色々なお客様の工場に訪問する機会をいただくことが増えた。日本では生産設備の改善に情熱をかけ資金を投入する文化がある。
以前にアメリカで自動車業界のコンサルタントが書いたレポートを読んだ時に、アメリカでは生産改善を「競争力の強化」と捉える一方で、日本企業は「会社の文化」そのものであると表現していた。
自分はそこまで生産工学に詳しいわけではないが、それでも何回も工場訪問をすると、その情熱は会社の根本に根ざしたものだと感じるようになる。


基本的に工場というのは高度に自動化がなされているものである。一方で、余人では代え難いという現代の名工や達人と呼ばれる方々が日々の業務に取り組まれている場所でもある。
この二つの事実は矛盾しているようで、実際に現場にたつと全く矛盾していないことに気がつく。既に自動化やロボット化が可能な部分は全て対応しており、現在の商用技術では不可能な部分が人間により担われているからだ。うちの会社のはそういった部分に適用可能な新しい技術を開発することが仕事の一つだ。


達人の仕事というのは常人の想像をはるかに超えたレベルの精度まで達している(例えば数ミクロンの差を目で判断するなど・・・)。一方で、その技術の汎用性、ポータビリティ性というのは驚くほど低い。その技術は長年にわたり極めて具体的かつ特殊な環境での研鑽により手に入れることが出来たものだからだ。
極端な話、同じ工場であってもラインを変えると技能が活かされないということすらある。それだけ繊細でかつ特化した技術だということだ。
こういった特徴のため、余人にをもって代え難い技術をもっている場合でも、その工場が廃止されたり企業が倒産してしまった場合には、その技術を活かす場がなくなってしまい職を失ってしまうことになる。
正直にいうと、今の仕事に着くまでは「工場を潰す/合理化する」ということの意味をわかっていなかった。長年続いた工場をなくすということは、単に生産拠点をなくすだけでなく、時にはそこにいる方の人生の意味を取り去ってしまうことになるかもしれないということだ。

日本の製造業が素晴らしいのは、ものづくりということを大切にしているよりも、むしろこういった工員たちを大切にすることにあると思う※1。ポータビリティ性が高い技術を持っている人は積極的に入れ替えても良いが、そうでない人の職は守るべきというのが今の僕の立場だ。


うちの会社のサービスというのは一面ではそういった人の仕事を奪ってしまうことになってしまう。なぜなら、多くの場合はそういった「達人しかできないという領域」を形式知化し、可能であれば自動化するということだからだ。
しかし、実際の活動の場では、達人達は実に積極的に協力してくれる。その理由は2つある。
1つは、彼ら自身も「自分だけが出来る」という状況がよいとは思っていないということ。もう1つは、自分の領域が自動化されたとしても隣接領域のより難しい部分は依然として人間が必要になるということを、感覚的に理解しているからだ。
AIが仕事をうばってしまうという懸念は世界中であるし、現実的に人がやる仕事というのはどんどん物理的なものは減っていくだろう。それでも、一足飛びには人間がものづくりで不要になるということはないし、それは現実的な想定ではない(自動化すると、今度はその自動化された機器を精度良く調整する人間が必要になるのだ)。
必要がなくなったら新しいことを学べばよいのですよ、と達人達はみな同じことをいう。そういった心持ちこそが彼らを達人たらしめているのではないかと、毎回のプロジェクトで感じている。

 

 

※1・・・僕は別の理由で、日本企業は本当は「これからの」ものづくりには向いていないのではないか・・・という仮説を持っている。

2020年2月17日 (月)

オリンピックより前に国力の衰えを実感するとは思わなかった(コロナウイルスで)

日本国内でのヒト- ヒト間の感染がほぼ明確になってきた新型コロナウイルス問題は、残念ながら日本という国の国力・・・というか、危機に立ち向かう力が衰えていることを実感させるような機会になってしまったように感じる。

 

個人的には、ヨタヨタしながらもオリンピックまでは無理矢理にでも高揚感を醸し出して2020年は乗り切れるのではないかと思っていたのだけど、病気まではコントロールすることはできなかった。


世界のほとんどからは中国人も日本人も区別できない

 

3月の第1週に米国出張の予定だったのだが、このままだと日本からの入国が制限されるという可能性もないとはいえなくなってきた。数としては中国の患者が圧倒的に多いが、現在のところ世界第2位の発症数となっているのは日本だ(クルーズ船の患者数を抜いても、日本は2位だ)。
しかも、情報統制とか操作という疑いはいまだあるものの、データだけ見れば中国での病勢の拡大は少しスピードが緩やかになってきた一方で、日本は現状でまさに拡大が始まったというところ。中国の例を見ればこれから患者数は指数関数的に増えていくだろう。

水際対策と呼ばれる「日本国内に入れさせない」取り組みはしていたものの、「一度入ったウイルスを国内で拡大させない」という施策はほとんど打っていなかったのだから、一度入ってしまうと拡散してしまうのは容易に想像が出来る。


一部の国際都市を除けば、そもそも東アジアの人間を見極めることは難しいだろうし、距離があるとどうしても一緒くたにされてしまうのは仕方ないところもある。
自分だって、中東の国々を区別して認識するのはかなり困難だし、もっといえば多くの日本人にとってはパキスタンとインドはほとんど同じ場所にある国という認識だろう。当人にとっての重大事は必ずしも物理的 or 精神的に遠い距離にある人にはどうでもいいのだ。


ということで、これから暫くの間は「東アジアではコロナウイルスが流行っている」という認識は世界中で共通のものとなると思う。さらに時間が経てば、世界中で同じように流行るようになるだろうけど、それまでの間は、東アジアが震源地という扱いになるのだ。


意思決定の貧困さと余裕のなさ

 

自分だけでなく中国に住んでいた多くの人間は、武漢の封鎖を聞いた時に「最悪の場合には、武漢を切り捨てると決めたのだろう」と理解したと思う。もちろんそういったことは、いくら中国とはいえ絶対に言わないわけだが、大陸のロジックに親しんでいる人間であれば直感的に感じるものだったと思う。これは、何も現地の方々を助けるための努力をしないというわけではない。努力はするが、一方で犠牲を限定的にするという意思決定を行った・・・ということだ。
おそらく武漢の死亡率の高さは治療が十分にできていないこともあるだろうし、そもそも病院の長時間の待ち時間で感染した人もそれなりの数になるだろう。


この騒動での日本での取り組みを見ていると、日本という国は意思決定が出来ないという状態のまま、国力が衰えてしまったのだな・・・とあらためて感じる。
ここでいう、国力とは「危機に対する際の想定シナリオの準備と、それを実行可能なバッファーの厚み」という意味で使っている。


今回のコロナウイルスについてはまだわかっていないことが多かったが、それでも2月第1週には以下のことはわかっていた。
  • ウイルスに感染した人も潜伏期間がある
  • ウイルスに感染した人全員が発病するわけではない
  • 感染者が自覚症状がない段階でも、ほかの人に感染することがある

この特徴から往来を完全にシャットダウンしない限りにおいては、感染が広まる可能性があるということがわかる。本人ですら自覚できない状態の感染者をどのように同定すれば良いのだろうか?


こういった特徴が明らかになった段階で、「封じ込め作戦」と「国内での感染の爆発的な増加を食い止める作戦」の二つのオプションが同時に検討されるべきだったのだが、現実はというと2月17日現在でようやく議論が始まったばかりだ。

 

厚生労働省のHPを見ると、今でも「特定の地域への渡航歴がある方、あるいはその人間と接触の可能性がある方」以外は近くの医療機関に行けと書いてある。病院で診察を待っている間に感染が広まってしまうという可能性を排除できていない。

また、感染した人には会社を休むことが奨励されているが、休業に関しての個人に対する保証は明確ではない。個人責任といってしまえばそれまでになってしまうのだが、有給を保証されていない方々はどうすればよいのだろうか?これだと、少々の熱であれば生活のために出勤する人もたくさんいるだろう。


あらゆる打ち手には金がかかるし、人的リソースがかかる。武漢封鎖という、欧米各国では取りづらいような手をうった中国でも、膨大な数の軍医を投入するという打ち手は行なっているのだ。トカゲの尻尾切りという気もするが、それでも人員の更迭といった、組織側の打ち手もうっている。
今の日本ではそういった議論は行われないし、何をするにしても予算の壁 ( == 金のなさ)が問題になって対策を進めることは出来ない。多くのことが「お願い」で進んでいるのが現状だ。残念なことに。


感染症である以上、特効薬が開発されるか、ほとんどの人が免疫を獲得するまでは広がり続けるだろう。人間が出来るのはピークを小さくすると同時に、そのピークが来るタイミングを遅らせることだ。
ピークを小さくすることができれば治療が出来ない人間を減らすことができるし、時間を稼ぐことで治療法の確立や素早い検査方法の開発の可能性も増える。ゼロイチで対処できることができない以上、これからは持久戦での戦いが必要だ。そのためには、まだ残っている力を有効に使う必要があるのだ。(とはいえ、あんまり期待はできないよね・・)

2020年2月14日 (金)

学区変更のために5年間住んだ家から引っ越しをしました(さようなら、港区芝浦)

少し前の話になるのだが、昨年末(2019年12月)に引っ越しをした。
前の家は出産前に広い家に引っ越したいという理由で探した家で、だいたい5年間ぐらい住んでいた。

引っ越し先も、同じく港区である。わずか距離にして数キロなのだが、引っ越しの苦労は全然変わらない。

これまで住んでいた家は50平米ほどの小さな部屋だったが、乳幼児期の子供がいる家族3人には十分な広さだったし、子育て世代が多く入っているマンションだったのでお互い様という感じで、子供の騒音によるご近所トラブルも全くなかった。

借りた段階で既に築20年程度だったせいか家賃も周囲の物件よりも1割以上安く、5年間の間の値上げもわずか2,000円と家計にとっても優しい物件だった。


そんないい物件から出ようと思った最大のきっかけは、子供の小学校選びだ。小学校受験などは考えもしていないのだけれど、前の家から通うことになる公立小学校は色々な理由で子供には向いていないと考えていた(この辺りは別のエントリーで小学校見学のまとめとして書いておこうと思う)。港区では隣接学区であれば希望すれば通学することが可能なのだが、人気のある学校の場合には抽選が行われる。学校のキャパシティには限界があるのだから仕方がないのだが、子供達が順調に増えている港区ではこの抽選に受かるのはかなりの幸運が必要だ。


そういった運にはとんと縁がないと自負をしている我が家では、早々に抽選に運命を託すのはあきらめて、狙った学校に確実に入れる学区に移ることにしたのだった。学区の確定は年長(6歳になる年度)の9月あたりなのだが、港区というのは港南地区以外は家族住まいが可能なマンションというのが結構少ない。タワマンはボコボコ建設されているのだが、分譲中心なので賃貸にはあまり回ってこないのだ。資産形成狙いのマンションもなくはないが、それだと家賃が高すぎる。

そういった事情を考えると、確実に狙った学区で家が空くであろう3月には引っ越しておきたい(3月は転勤の季節)。そのためには11月ぐらいから不動産屋と相談をして、空いた物件があったら一気に決めてしまおうという作戦を立てた。

ちなみに今回お願いした不動産屋も、日本帰国時にお願いした方。今回で3回目だが、帰国+結婚 → 出産 → 小学校入学と家族関連のイベントにはいつもお願いしている感がある。さすがに3回目の彼の推薦には絶対の信頼を寄せている。


上記のような事情をお伝えして、第1回目の打ち合わせを持ったのが11月下旬。さすがに出来る営業マンである彼は、さっそく狙った学区で希望にあうような物件リストを持ってきてくれた。退居待ちを含めて3件。やはり少ない。

とりあえず肌感をつかみたいと思い、持ってきてくれた家の内見をすることに。

一件目は図面を見る限り斜めに壁が切られていて、デッドスペースが多そう・・・と期待していなかったのだが、なんと息子が大変気にいってしまった。ドアを開け放すとぐるっとリビングをぐるっと一周できるという構造が気に入ったらしく、ここに決めようという。家賃もおかげでギリギリ予算内・・・・。

さすがに一件目で決めるのはどうかと思ったし、タイミングも早すぎるかという気もしたのだが、そもそも子供のために引っ越そうとしているわけなのだから、彼が満足すればいいよね〜・・・と夫婦の意見が一致し、引っ越しを決めた。結構苦労するかと思っていたら拍子抜けするぐらい簡単に決まってしまった。

契約審査も順調に終わって準備を始めると、とにかく荷物が多い。半分以上は子供の荷物なのだが、雑多なものが多くて全然整理が進まない。しかも、直前には一週間の海外出張が入る始末。おかげで、体力的にも精神的にも結構きつい1ヶ月だったのだが、なんとか12月中に引っ越しを終えて無事に新生活を始めることが出来た。


引っ越して見ると湿気は少ないし(これは前の家が川の近くにあったのと、今回の家がタワマンのような構造で機密性が高いことの2つの理由があると思う)、会社は近いし、保育園にも近くなるし家賃以外はいうことなしだった。前に住んでいたマンションは5年間の間に持ち主が2回も代わり、その度に管理会社のレベルも下がっていったのが不満だったのだが、今回のマンションは管理体制もかなりしっかりしており、その点の満足度も高い。

前のマンション、最後の1年間は管理だけでなく審査もかなり適当であまり好ましくないタイプの住民が増えてしまったこともあり、管理会社については結構重要視していたのだった(その分、入居時の審査も厳しかったが・・・)。


唯一の不満点・・というか頭痛のタネは、これから1年3ヶ月は「上がった家賃」と「保育園の費用」がダブルで乗ってくることだ。もともとは、小学校にいくと保育園の費用がなくなるので、全体としてはトントンというのを考えていたのだが、そういうわけにもいかなくなってしまった・・・。

2020年2月13日 (木)

40代の始まりにキャリア構築に惑う

今の会社(SRI International)に転職して2年。仕事の内容は自分が好きな内容であり申し分のないものなのだが、キャリアという観点からは結構悩んでいる。
日本の大企業では少しずつ課長職などになってくる40代になろうとする今年、少しキャリア構築の方向性を真剣に考えている自分がいる。

 

プロフェッショナル・キャリアかマネージメント・キャリアか


キャリアの分類の方法には色々な切り口があるけど、一つの切り口として「プロフェッショナル・キャリア」か「マネージメント・キャリア」という考え方がある。

プロフェッショナル・キャリアというのは文字通り専門的な仕事を極めていくという考え方で、例えば士業(弁護士)などは典型的なこちらのキャリアといえるだろう。
もう一方のマネージメント・キャリアというのは、一般的な企業での出世をイメージするのが一番わかりやすいと思う。係長 → 課長 → 部長というように、部下を多く持つようになり、取り扱う課題の抽象性があがっていく。


もちろん、厳密にこの2つは分けられるわけではない。
プロフェッショナル・ファームと呼ばれる組織では階層構造があり、能力があり望むものはマネージメントを行う必要があるし、マネージメント層では異動があるとはいえ、完全に畑違いのところに移るということはあまりない※1

一方で個人のキャリアとしてみると、この二つの仕事は価値の出し方が異なるという点において大きな差がある。プロフェッショナルキャリアでの価値の出し方というのは、ある領域において余人では出すことが出来ない事をすることが大きな価値だ。
知識でも経験でもいいが、とにかく「この人でないと・・」と客が選んでくるというのが究極のプロフェッショナル・キャリアだといえるだろう。ある意味では生涯をかけての個の追求だ。

マネージメント・キャリアは、それとは逆でチームや人を管理する事を志向する方向であり、人を束ねることでより大きな価値を出す。個々の能力は傑出してなくても、方向性の揃った集団というのは、個々の力の単純な合計以上の力を出すことが出来る。そういった力を生み出すことが出来るのが、優秀なマネジャーと言えるだろう。


40代の転職事情と現状の環境におけるキャリアパス


自分が大学院を卒業した頃(2005年)に比べて、日本全体としてはプロフェッショナル・キャリアのチャンスは増えている。かつては弁護士とか会計士(いわゆる士業)がプロフェッショナル・キャリアの代表という感じで、そういった資格を持っていない人間は否が応でもマネージメント・キャリアを選ぶ必要があった。
それが2020年の現在では、ITエンジニアはプロフェッショナル・キャリアを志向する人間も多くいるということは一般的になってきた。

トレーダーやマーケティング、その他の「専門的なスキル」が必要と思われるような職種もプロフェッショナル・キャリアだと認識されるようになって来ている。全体としては、日本でもプロフェッショナル志向が高まっていると言えるだろう。

では、自分が今しているような仕事、Business Development(BD)はどうか・・・というと、残念ながらまだプロフェッショナル・キャリアの一つだとは思われていないように見える。
アメリカでは既にBDはプロフェッショナルであるとみなされている・・・言い換えると、固有のスキルが必要とされるし人によって出せる価値が大きく変わる職種だとみなされている。一方では、日本ではまだまだ「営業の一つの形態」とみなされているように見える。


日本では一定の年齢を超えると、転職活動ではまだまだ「何人をマネージメントしていたことがありますか?」という質問をされることが多い。これは暗黙の前提として、マネージメント・キャリアを想定しているということだ。

今の仕事の仕方や条件を考えると、今から日本の大企業に入るという選択肢はほぼないと思うのだが、たとえスタートアップであろうと外資系であろうと「日本人が人事をしている会社」では、どうしてもこういったバイアスが存在してしまう。


一方で、今の会社はきわめて少数で運営されていて、どちらかというと小規模な法律事務所みたいな感じだ。個々がある程度自由に活動をしており、日本人が考えるような管理する/されるといった関係性がほとんどない。

こういった環境に長くいることが果たして、自分のキャリア開発という意味でよいのか、それが今悩んでいることなのである。
これから学齢期になる子供もいるし、安易に転職を考えるということはないのだけれど、気がつけば40歳になろうとする自分がいる。これからどうやって生き延びて行こうか・・ということを考える時期にきたんだなと実感している。

※1・・・日本企業ではあまり関連性のない部署への異動が今でもあると聞くが、かつては効果があったと思われるこの人事慣行も2010年代以降では、一部のリーダー候補だけに意味があるように思われる。

2020年2月 9日 (日)

2020年1月の出張記録と東海のおすすめホテル

今年最初のエントリーでは「週1本は書けるようにしたい」と書いたのだけれど、最初の月からあっさり目標達成を放棄したようなかたちになってしまった。一応言い訳を書いておくと国内出張が結構入ってしまい、それどころではなかった・・といいたいのだが、こういった言い訳はダメですね。
ちゃんと毎日の中で「書く」ための時間をとらないと。

 

1月は第2週に6日間、第4週に3日間、東海地域に出張に行ってきた。東海地域は言わずと知れた自動車産業の集積地で、うちの会社もいくつかの企業とおつきあいがある。毎月定期的に営業活動で行くようにしているのだが(それが後半の3日間)、1月はそれに加えてプロジェクトのデータ取得があって結構長く滞在した。



東海地域は車社会なので、東京から出張に行くと移動が大変だ。一社だけであれば近くのホテルに泊まればいいのだが、地域内で移動するとなると交通の便がいいところがいい。
ほぼ毎月出張に言っているので色々なホテルに泊まってみたのだが、結果として定宿として落ち着いたのは知立にあるホテルクラウンパレス知立だ。知立駅から徒歩5分以内で、和室もあり、朝ごはんも結構美味しい。何よりWi-Fiの速度が十分出るので、仕事でビデオ通話をしても全く問題ない。これはかなり重要。

 

この宿にたどり着くまでに刈谷のホテルもいくつか試したのだけど、Wi-Fiが遅くて仕事にならなかったり、ベッドのパイプが背中にぶつかるような構造のものを採用していたりと、なかなか納得できるホテルを見つけることができなかった。食事だけなら、知立よりも刈谷のほうがはるかに便利なので、この辺りはもうトレードオフとして諦めるしかない(個人的にはご飯はコンビニでも我慢できるが、ホテルはよくないと我慢できないタイプ)。

 

この時期は東海地方はかなり寒いので、暖かいお風呂に気兼ねなく入れるホテルは貴重なのだ。

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