その提案書に意味があるとは思えない・・・と部下に言われたら
先日、以前の同僚で今は々の会社で働いている後輩から営業活動に関する相談に乗って欲しい・・という連絡がきた。彼はリーダーとしてチームを率いているのだが、メンバーの1人の指導がうまくいかないということらしい。彼が提案書の指導をすると「そんなに手をかけなくても、受注できる時はできますし、できない時はできないです」と言われてしまう・・・とのこと。
色々と話した結果、最終的にはもはや価値観とか文化の違いなので、プロセスに対する改善を狙うのではなくて、指標管理に徹したほうがいいのではないかという話をした。ただ、こういった意見を過去の自分のメンバーから聞いたことはなかったし、たとえ思っていてもなかなか言えるものではない。せっかくなので、話をしたことを自分のためにもまとめておこうと思う。
B2Bの提案書の良し悪し
「B2Bの提案書」というのは、普通は”どのお客さんに対しても同じもの(汎用部分)”と”それぞれのお客さんにあわせてカスタマイズするもの(固有部分)”に分けられる。同じ商材を扱い続ければ、固有部分も使い回しが増えて来るので、コンサルティングのように高度にカスタマイズするものでなければ、汎用部分の割合は70%ぐらいにまでなることも多い。自分がコンサルティングを売っていた時には、全く新しい領域でなければ、固有部分は50%以下、できれば30%ぐらいにしたいと思っていた。
当然のことながら汎用部分が多いほど、1案件にかける時間を減らすことが出来る。極論して仕舞えば、汎用部分だけで対応できるのであれば、案件準備の時間は極限まで削減可能だ。
一方で、当然のことながら汎用部分だけで全てのお客さんの疑問やニーズを満たすことができるわけではない。B2Bは細かい要望に対して答えていかないといけないので、そもそも全部同じで対応可能という想定は現実的ではない。
一方で、細かくカスタマイズをすれば受注できるというわけでもない。直感的には、「個々のお客さんに対して手をかける」という行為は受注確率を上げることができそうだが、個々の商材で、どれほど努力をすれば(時間をかければ)どれだけ受注確率が上がるというデータがあるわけではない。なので、全く時間をかけないという選択も一概に否定できない。
個人的には、個々のお客さんに時間をかけるという"習慣"や"姿勢"は、長期的には受注確率に影響を与えるが、短期的、あるいは目の前の案件が受注できるかどうかを確定することが出来ない・・と思っている。営業では「受注確率」をよく打率と表現するが、まさに野球のアナロジーが使えると思う。
頭を使い、ピッチャーごとの配給や癖を考えるバッターと、何も考えずにふっているバッターを比較すると、1シーズンの打率は前者の方がいい場合が多いと思う。一方で、この打席、あるいはこの試合で打てるかどうかというのは、体の調子や相性、その他の様々な条件により決まるものなので、「必ず」前者がいいとは限らない。短期的には結果が出ないし、長期的に「必ず」結果が出るかはわからないが、それでもおそらく努力をしたほうが、いい結果が出るだろう。
価値観の共有という問題
大学時代の友人が「努力というのは信仰だ」と言っていて、まだ学生だった自分は随分と驚いたのだが、この歳になってみるとこの言葉の意味がよくわかる。努力というのは、必ずしも結果が出るわけではない。効率という意味においては、努力をしないほうがむしろ良い場合もある。それでも、努力をし続けられるというのは、そういうほうが良いという「価値観」を持っているか、あるいは「努力は報われる」と信じているからだ。
極論すると、相談をもってきた僕の元同僚と、その部下では信じること、よってたつことが異なるということなのだ。努力をすることに意味はない・・というのも、一つの価値観であり、それ自体は非難されるものではない。
また守秘義務にかからない範囲で見せてもらった彼と部下の提案書を見比べても、明らかに元同僚の方が出来がいい。しかし、これを見ても差がないというのは、それが嘘でなければ審美眼というか「モノを見る目」が根本的に違っているとしかいいようがない。そういった見方というのは教育によって学ぶことができるが、学ぶ気持ちがなければ手に入れることは出来ない。
例えば自分は美術館で絵をみるということをあまりしないのだが、これは自分が「いい絵」と「悪い絵」を見分ける目と知識をもっていないということによるものが大きい。正直に言うと、名作と呼ばれているものを見て「すげーーー」と思うことはほとんどない。写真を見ても、仏像を見ても、あるいは音楽を聴いても、少なくとも自分の中では(世間とあってなくても)「いい/悪い」と感じることがあるのだが、絵では残念ながらそういったセンスがない。数少ない例は、ニューヨークで行ったMOMAぐらいだろうか。なぜか抽象画は好きなのだ。
芸術の見方ということであれば自分だけに関わるだけなので、個人的なこととしておけばよいが、提案書となるとそうはいかない。上司は部下を指導しなければならないし、ちゃんと成果を出さなければならないのだ。そのために重要なのは、いい仕事と悪い仕事を分ける尺度が揃っているということだ。
今回相談されたことの本質は、部下と価値観を共有することが出来ないという悩みなんだと思う。
よりよいものを追求しようとする文化
「現状のプロダクト/サービスでより良いものを追求する」というのは、日本の企業においてはよく見られる習慣であるし、アメリカ企業でもコーポレートスローガンで掲げているのをよくみる。しかし、周りを見回してみれば、これが人間にとって生来持っている特質であるとは思えない。毎日頑張り続けるのは疲れるし、全ての会社がトヨタみたいに改善し続けられるわけではないのだ。
なので、こういったことが無意識に・・・少なくとも習慣にするためには、制度とプロセスを整備し、文化にする必要がある。文化というのは要素分解の総和を超えるが、各要素が揃わないで文化文化と唱えたからといって全員の考え方が勝手に変わるわけではない。
元同僚の相談から想像を膨らませていたら、いつのまにか企業文化というテーマまでたどり着いてしまった。組織文化とかミームとかそんな難しいことを考えなくても、「これっていいよね」「そうだよね」という会話が普通に成り立つ環境というのは、単純に人間にとっては気持ちがいい。ただ、そういう関係を保ったまま組織を大きくしていこうとしたら、意識できていなことを形式化していかないといけない。結局のところ、そういうことなんだと思う。
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