July 2021
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 2020年11月 | トップページ | 2021年2月 »

2021年1月

2021年1月 5日 (火)

2021年が始まりました

2020年の最初に書いたエントリーを見返すと「日本国内はオリンピック一色になるだろう2020年」と書いてある。アップした日は2020年1月6日だが、この時にはまだコロナで世界がこんなに変わってしまうということは想像もしていなかったのだ。落ち着いて振り返ってみれば、中国ではすでに謎の肺炎の報道がチラホラされていたことに気がつくのだけど、当時は世界中のほとんどの人がそのニュースに注意を払っていなかったのだ。


2020年を振り返って

ほとんどの人にとって2020年は新型コロナウイルスで多かれ少なかれ人生が変わってしまった年として記憶されるだろう。職を失った人もいるだろうし、留学や海外赴任などの計画が大きく狂ってしまったという人は友人の中にもたくさんいる。日本国内では相対的には死者は少ないとはいえ、愛する人を亡くされた人もおられるのだ。

しかし一個人として振り返ってみれば、新型コロナが生活に与えた影響はそれほど多くはなかった。会社は速やかにリモートワークに変わったし、幸運にも2019年中に引越しを終えていたため、コロナに合わせて大きく生活を変える必要もなかった。非常事態宣言が出た時に子供の幼稚園は休みになってしまったが、家族がみな一緒にいられたということを考えればプラスマイナスではほぼバランスが取れていたような気がする。


多くの人とは違い、2020年の自分にとって最も大きかったのは7月に突然の胸の痛みで倒れてしまったことだった。その後数ヶ月原因不明の後遺症に悩まされ、最終的に狭心症の手術を行ったことだった。この病気はこれまでの自分の人生で最も死に近づいた瞬間だったし、今後の生き方を決定的に方向付ける出来事だったと思う。

2021年の1月になり今後数ヶ月は病院が受け入れができるかどうかわからないという状況を考えると、結果としては11月中に手術を受けることができたのは幸運以外の何物でもなかった。もちろん何も起こらない・・この場合でいえば狭心症が発症しないことが一番良かったのだが、体質によるものが大きいことがわかった今となっては、あの時に倒れなくても遅かれ早かれ同じ目にあっていたことは間違いないと思っている。
「もし海外出張中になってしまったら」とか、「もし救急車の受け入れが不可能な時に起こってしまったら」という場合に比べれば、家族がいる時に自宅で発作が起きたというのはbest of worstだったことは間違いない。

現状では、2021年(つまり今年)の夏頃に術後の経過を見るための検査入院をしなければならないということが決まっているとはいえ、手術は無事に成功し、胸の痛みはすっかりなくなった。コレステロール値をかなり低めにコントロールしなければならないため食事にも気を使う必要があるし、体重を落とすために毎日の運動を欠かせなくなったが、これも今後の人生を考えると健康状態の改善につながるものだ。
なにせ去年のエントリーには「生活習慣病の一歩手前というか、すでにフライングしているレベルの体重なのだが、未だに大して変わらないという・・・。」と書いてあるほどだったのだ。結果として病気になり体重を落とす羽目になったので、ある意味予想は正しかったともいえる(生活習慣病という理由ではなかったが・・・)。

一方で制約も増えてしまい、今後生涯にわたって血栓ができないためのいわゆる「血をサラサラにする薬」(※1)を飲み続けなければならないという制限もあるし、血管の痙攣が起きる可能性があるので飲酒もやめた。大学入学時からちょうど人生の半分の期間ともにあったお酒とも2020年でお別れだ(※2)


仕事をかえるという決断

もう一つの大きな変化は、2020年末でこれまで勤めていたSRIの退職を決めたということだ。書類上は2021年1月末で退職になるので、現在は長い有給期間を楽しんでいるという状況だ。こういった場合に書いておくことが多い転職の理由は書き始めると長くなりそうなので、別のエントリーにまとめようと思っている。ものすごく簡単にいうと、コロナが本格的になる前から考えていたことがあって、さらにコロナの影響で決定の背中を押されたという感じだ。

この1ヶ月は休みをもらって、2月からは声をかけてくれた日本企業ではたらくことが決まっている。前々職のIBMは日本での活動が長く、働いているのもほぼ日本人ということから「外資風日本企業」と言われることがあったとはいえ、それでも日本企業とは明らかに違う意思決定プロセスと管理がなされていた。そう考えると、日本国内で純粋な日本企業に勤めるのは2007年以来ということになる。

これまでの外資の文化とはまた異なる文化の中で、何ができるか・・・40代の自分の新たなチャレンジだ。


2021年の抱負

2020年の新年では「大した目標もない」と書いていたのだが、今年も去年と変わらず、だいそれた目標とか抱負は何もない。本当は毎年毎年何か明確な目標をおいたほうがいいというのはわかっているのだが、この歳になると自分の人生が自分だけのものではないこともわかっているので、新しい突飛な目標を立てるというのは難しいのだ。まあ、昨年に関してはほとんどの人が目標どころの騒ぎではなかったと思う。

あえていうなら、今年はまず「生きる」ということが自分の中では大きな目標だ。手術した狭心症が再発せず、コロナにもならず無事に年末を迎えることができたら、それだけで立派に1年を過ごした・・ということができるのではないかと思う。

もちろん、新しい仕事では成果を出したいと思うし、40代になって益々inputとoutputが重要になってくる中で、自分の時間をうまく使って少しでも世の中をよくしたいとは思う。また、家族にもこういった過ごしづらい環境で幸せであって欲しいとも強く願っている。しかし、それもこれもまずは自分が健康でいることが第一なのだ。

大げさに聞こえるかもしれないが、昨年に救急車で運ばれる直前、自分は彼岸へのドアを少しだけ開けたように感じている。少しだけ向こうをのぞいたのだが、まだまだやることがあるのだ・・と思い、あの時はそのドアを閉めてこちらに帰ってきたのだろう。あの時目の前に展開された、ブラウン管のテレビが壊れていくときのように、あるいは古いノートパソコンではそうだったように、ピクセルが少しずつ消えていくかのように世界が暗くなっていく瞬間を自分は忘れることが出来ない。ちなみにドアは片側びらきでノブを回して押すタイプだった。

この話を友人にすると「怖い!」という反応をされることが多いのだが、当の本人は痛みでそれどころではなく、恐怖は感じなかった。たぶん感じる余裕がなかったのだと思う。そしてこういうと驚かれるのだが、死ぬとしても後悔は一切感じなかった。むしろ、この数年間で家族に与えてもらった多くのことに幸せを感じたほどだ。きっと多分自分は、今の環境にとても満足しているのだろう。

であるならば、今の生活を守りそして長く続けていくことが、きっと自分にとっても家族にとってもよいことなのだろうと思う。そうやって一歩一歩進んでいった先にまた違う世界が広がっているのだろう。


そうそう、追加すると一つだけ。実は昨年はコロナの影響で家にいる時間が長かったこともあり、年間で200本以上の映画を見ることが出来た。その記録は別のブログにまとめているのだけれど、今年はこの本数をさらに伸ばしていきたいな〜とは思っている。寝る前にぼーっと映画を眺めるのは最高だ。




※1・・・血がとまりづらくなるというのは本当で、ちょっとした切り傷やサカムケなどの出血もすぐには止まらないし、かさぶたも真っ黒い血の色のままで治りが遅くなった。
※2・・・正確に言えば「ちょっとは飲んでいい」らしいのだが、そのちょっとってどれだけよ?というのが明確ではないし、例えば会食で「ちょっとだけ飲めます」というのは説明が難しいので、いっそのこと飲酒自体をやめることにしたのだ。浴びるように飲んだ時期もあったのだが、今となっては自分の中で残念という気持ちもない。

« 2020年11月 | トップページ | 2021年2月 »