2021年2月より日本企業に転職しました
2018年2月から勤務をしていたSRI Internationalを1月末に退職して、2月から日本企業のbeBitという会社に転職をした。SRIに勤務した期間はちょうど3年で、新天地を求めたという形になった。
この決断には3つの理由がある。1つはもちろん、もう1年も続いているコロナの影響だ。
SRIはアメリカのシリコンバレーにある世界最大の独立系研究機関だ。運営予算の7割はアメリカのいわゆる公的セクターのプロジェクトを受注することで賄われている。研究者はほぼ全員がアメリカ本土に住んでいて、海外の企業がSRIと共同研究を行う場合にはリモートでのやりとりか、現地に訪問する必要がある。日本企業がSRIと仕事をする時には、最終的な研究成果への期待ももちろんあるのだが、シリコンバレーの空気を吸うとか、現地に進出している日本人企業と交流したいという希望があるため、アメリカを訪問するというのはかなり重要な意味合いがあった。
また、SRIではデザイン・シンキングを活用したIdeaton Workshopというのを重要視している。SRIへの依頼というのは、基本的に「日本企業の既存の技術レベルでは解決できない」という問題になるので、どうしても問題の抽象度はかなり高い。大学に依頼する時には研究室で対応可能なレベルの要素技術に落ちることが多いが、SRIの場合はまず全体像を捉えると言うことに重きを置いている。技術開発自体は最終的に要素技術に落ちることになるのだが、ふわっとした課題感の全体像を結ばせるには、顔をあわせてのワークショップという方法は非常に効率が良い。
コロナによりアメリカにいけなくなった結果、これらの活動は全てできなくなってしまった。ワークショップはZoomを使ってのリモートで何とか実施したが、やはりリアルで会うのとはかなり違う。特に、小グループを作ってちょっとした確認ができなくなってしまったのはすごく痛い。言語の壁もあるので、細かな確認を積み重ねていくことはすごく重要なのだ。
「コロナによりアメリカに行けない」ということは単純に自分の働き方や、SRIにいる間にやりたいことに大きな影響を与えたのだった。
2つ目の理由は、コロナに派生したものだといえるが、やはり外資系の現地企業というのは意思決定に関わることが難しいということを改めて実感したことだ。SRIで自分が所属したチームは少数で運営されており、またチーム内の関係も非常に良かったため、たとえアメリカに行くことができなくてもチームとしての一体感は何も問題がなかった。
しかし、会社全体としてみるとやはり日本の東京支社というのは極めて小さい部署であるということを実感せざるをえなかった。特に今回のコロナでは、アメリカで世界最大の感染者数が出てしまっている状況であり、判断がどうしてもアメリカ(言い換えれば会社の母国)を基準としてしまうところがある。なにせ日本は数人で回している事務所であり、アメリカでは1,000人を超える人員がいるのだ。アメリカが重要であるということは、頭としてはそれを理解するのは容易だが、一方で自分の人生がアメリカの状況で確定してしまうというのはなかなか受け入れられるものではない。外資系というのは大なり小なりそういうところもあるのだが、コロナという事態を前にしてあらためて実感したのだ。
3つ目の理由は、昨年手術をすることになった狭心症だ。7月に発作で倒れたとはいえ、手術は成功して、今はほぼ通常の勤務をすることが出来るようになっている。ただ薬は渉外飲み続けなければならないという制約はあるし、今も血流を強化するために毎日の運動は欠かせない。また、狭窄した部分はステントにより治療ができたとはいえ冠攣縮性狭心症の発作は今後しばらく起こる可能性はあるし、疲労やストレスを溜めるのはよくないとの指導もうけている。
こういった身体的なリスクを考慮すると、コロナがなかったとしても正直なところ2ヶ月~3ヶ月に1回アメリカに行くという生活を続けられるかどうかはわからなかった。長い間飛行機に乗って血栓が発生するというリスクは通常とは変わらない(むしろ薬を飲んでいるのでリスクは低い)が、疲労はやはりあるし、薬を飲むタイミングもコントロールしないといけないし、アメリカで発作が起こるかもしれないし・・・と考えだすと、頻繁にアメリカに出張に行くというのは、結構精神的に(もちろん肉体的にも)しんどいものがある。
時系列で考えると、1つ目と2つ目の理由から漠然と転職を考え始めたのが夏ごろで、発作とその原因判明が後押しをしたというところだ。
先週から参画しているbeBitは自分がまだ中国にいた2011年から現在の副社長と知り合いになり、それから定期的に連絡を取り合う仲だった。これまでも説目節目で何度もお誘いいただいていたのだが、自分の家族の事情であったり、タイミングが合わなかったりということでご一緒する機会がなかった会社だ。今回は人生のステージとこれまでの何度もお声がけをいただいたことにお応えしたいと思い、自分から連絡をとって転職の意向をお伝えした。
新しい職場では新規事業開発室長として、いわゆる成長戦略や海外展開を担当することになった。日本という場所で日本資本の企業で働くのは実に2007年以来だ。また新しいステージが始まるということを楽しみにしている一方で、本当に自分はSRIという場所が好きだったので、すごく悲しい気持ちでもある。コロナがなかったらどうだったか、とか、狭心症にならなかったら、ということを考えたりもする。でも、この苦境で少なくとも仕事があるというだけでもありがたいことだし、そういった個人の事情も含めて採用いただいた会社には、少しでも貢献して行きたいと考えている。
この決断には3つの理由がある。1つはもちろん、もう1年も続いているコロナの影響だ。
SRIはアメリカのシリコンバレーにある世界最大の独立系研究機関だ。運営予算の7割はアメリカのいわゆる公的セクターのプロジェクトを受注することで賄われている。研究者はほぼ全員がアメリカ本土に住んでいて、海外の企業がSRIと共同研究を行う場合にはリモートでのやりとりか、現地に訪問する必要がある。日本企業がSRIと仕事をする時には、最終的な研究成果への期待ももちろんあるのだが、シリコンバレーの空気を吸うとか、現地に進出している日本人企業と交流したいという希望があるため、アメリカを訪問するというのはかなり重要な意味合いがあった。
また、SRIではデザイン・シンキングを活用したIdeaton Workshopというのを重要視している。SRIへの依頼というのは、基本的に「日本企業の既存の技術レベルでは解決できない」という問題になるので、どうしても問題の抽象度はかなり高い。大学に依頼する時には研究室で対応可能なレベルの要素技術に落ちることが多いが、SRIの場合はまず全体像を捉えると言うことに重きを置いている。技術開発自体は最終的に要素技術に落ちることになるのだが、ふわっとした課題感の全体像を結ばせるには、顔をあわせてのワークショップという方法は非常に効率が良い。
コロナによりアメリカにいけなくなった結果、これらの活動は全てできなくなってしまった。ワークショップはZoomを使ってのリモートで何とか実施したが、やはりリアルで会うのとはかなり違う。特に、小グループを作ってちょっとした確認ができなくなってしまったのはすごく痛い。言語の壁もあるので、細かな確認を積み重ねていくことはすごく重要なのだ。
「コロナによりアメリカに行けない」ということは単純に自分の働き方や、SRIにいる間にやりたいことに大きな影響を与えたのだった。
2つ目の理由は、コロナに派生したものだといえるが、やはり外資系の現地企業というのは意思決定に関わることが難しいということを改めて実感したことだ。SRIで自分が所属したチームは少数で運営されており、またチーム内の関係も非常に良かったため、たとえアメリカに行くことができなくてもチームとしての一体感は何も問題がなかった。
しかし、会社全体としてみるとやはり日本の東京支社というのは極めて小さい部署であるということを実感せざるをえなかった。特に今回のコロナでは、アメリカで世界最大の感染者数が出てしまっている状況であり、判断がどうしてもアメリカ(言い換えれば会社の母国)を基準としてしまうところがある。なにせ日本は数人で回している事務所であり、アメリカでは1,000人を超える人員がいるのだ。アメリカが重要であるということは、頭としてはそれを理解するのは容易だが、一方で自分の人生がアメリカの状況で確定してしまうというのはなかなか受け入れられるものではない。外資系というのは大なり小なりそういうところもあるのだが、コロナという事態を前にしてあらためて実感したのだ。
3つ目の理由は、昨年手術をすることになった狭心症だ。7月に発作で倒れたとはいえ、手術は成功して、今はほぼ通常の勤務をすることが出来るようになっている。ただ薬は渉外飲み続けなければならないという制約はあるし、今も血流を強化するために毎日の運動は欠かせない。また、狭窄した部分はステントにより治療ができたとはいえ冠攣縮性狭心症の発作は今後しばらく起こる可能性はあるし、疲労やストレスを溜めるのはよくないとの指導もうけている。
こういった身体的なリスクを考慮すると、コロナがなかったとしても正直なところ2ヶ月~3ヶ月に1回アメリカに行くという生活を続けられるかどうかはわからなかった。長い間飛行機に乗って血栓が発生するというリスクは通常とは変わらない(むしろ薬を飲んでいるのでリスクは低い)が、疲労はやはりあるし、薬を飲むタイミングもコントロールしないといけないし、アメリカで発作が起こるかもしれないし・・・と考えだすと、頻繁にアメリカに出張に行くというのは、結構精神的に(もちろん肉体的にも)しんどいものがある。
時系列で考えると、1つ目と2つ目の理由から漠然と転職を考え始めたのが夏ごろで、発作とその原因判明が後押しをしたというところだ。
先週から参画しているbeBitは自分がまだ中国にいた2011年から現在の副社長と知り合いになり、それから定期的に連絡を取り合う仲だった。これまでも説目節目で何度もお誘いいただいていたのだが、自分の家族の事情であったり、タイミングが合わなかったりということでご一緒する機会がなかった会社だ。今回は人生のステージとこれまでの何度もお声がけをいただいたことにお応えしたいと思い、自分から連絡をとって転職の意向をお伝えした。
新しい職場では新規事業開発室長として、いわゆる成長戦略や海外展開を担当することになった。日本という場所で日本資本の企業で働くのは実に2007年以来だ。また新しいステージが始まるということを楽しみにしている一方で、本当に自分はSRIという場所が好きだったので、すごく悲しい気持ちでもある。コロナがなかったらどうだったか、とか、狭心症にならなかったら、ということを考えたりもする。でも、この苦境で少なくとも仕事があるというだけでもありがたいことだし、そういった個人の事情も含めて採用いただいた会社には、少しでも貢献して行きたいと考えている。
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