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2022年7月30日 (土)

NETFLIXで”監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影”を見た

ようやく40代の時間の使い方・・・というのが見えてきたようで、少しずつこれまで気になっていたドキュメンタリーや本を読む時間を作ることが出来るようになってきた。今週見たのも、NETFLIXのマイリストの中に眠っていたドキュメンタリーで、いわゆるデジタル・プラットフォーマー規制の問題を取り上げたものだ。
この問題は日本でも公取委が取り組んでいたり、政治的にも思い出したように出てくるのだが、今ひとつピントが合っていない感じがしており、自分の中で問題意識が理解できないところがあった。アメリカで作られたドキュメンタリーであればそういった疑問に答えてくれるかもしれない。


プラットフォーマーへの厳しい視線

日本には経済活動を牛耳るようなメガ・プラットフォーマーが存在しないので一般的な議論にはなかなかならないが、米国や中国ではプラットフォーマー規制というのはここ数年ずっと議論がされているテーマだ(※1)

デジタル・プラットフォーマーというのは、大きく分けて二つの特徴があると整理できる(※2)
一つは、プラットフォーマー自体は”ユーザー”と”ビジネスを展開する主体の両面”をビジネスのカウンターパートナーとして持っているということだ。日本でもリクルートのリボンモデルが有名だが、プラットフォームはその二つのカウンターパートをマッチングさせる、あるいは相互作用を生み出すことにより利益を得ている。

もう一つの特徴は、これらの相互作用(より正確にはトランザクションと呼んだ方がいいだろう)により発生したデータを独占的に利用しているということだ。プラットフォームと呼ばれるだけあって、その”舞台の上で”あるいは”箱の中”で起こることは、すべて彼らが把握しているというわけである。プラットフォーマーはそのデータを自社のサービス(プラットフォーム自体)の改善に使うことも出来るし、そのデータ自体を売り物とすることが出来る。

現在デジタル・プラットフォーマーに厳しい視線が向けられているのは、この二つ目の特徴が大きな理由だ。今ではデジタル・サービスを使わないで生きることは事実上不可能になっているが、ユーザーは本来は自分達に属しているはずの様々な情報が「自分達の許可なく」あるいは「許可があっても意図しない方法で」使われていることに対して、大きな問題意識を抱えているのだ(※3)


重要なのはプライバシーだけではない

これまで書いてきたようなプライバシーの問題というのは、日本にいても理解がしやすい問題だ。自分の情報が勝手に使われるというのはあまり気持ちのいいものではないし、そこでお金を稼ぐのもやめてほしいというのは直感的でもある。

しかし本作がプラットフォーマーの問題として取り上げるのは、プライバシーの問題だけではない。むしろ、このプライバシーの問題よりもはるかに重い問題として取り上げるのは、SNSをはじめとするプラットフォーマーが社会の分断を広げてしまい、民主主義そのものを危機に陥れてしまうという強い危機感だ。

Twitterに代表されるように、自分で他の人間との繋がりを選ぶことができるサービスでは「自分の意見に近い人」をフォローしがちだ。今ではエコーチェンバーという言葉は日本のネット界でもかなり一般的になってきたが、自分に政治的指向が近い人や考え方が似ている人をたくさんフォローしていると、自分のSNSではそのような意見ばかりになってしまう。結果として”自分から見える”世界は、自分の考え方に似ている人ばかりになり、それに反している人は「何もわかっていない人」になってしまう。これまでよりも容易に社会の分断を進めることが出来るというわけだ。

さらにそういったグループが一度できて仕舞えば、受け入れられやすい情報を故意に流すこともそれほど難しくない。いわゆる”フェイクニュース”により、社会を特定の方向性に向かわせることが出来るというわけだ。
今回のドキュメンタリーでは、プライバシーという問題よりもむしろこちらの問題の方を強く作り手が意識しているように感じられる。彼らは自分達がよってたつ民主主義というのが、皆が思っているよりもずっと脆いものであるという認識があるのだろう。

面白い・・というか怖いと思ったのは、Googleの検索結果が地域によって異なるということを示した部分だ。検索結果がパーソナライズされているのは当然のこととして知っていたが、自分の住所(あるいは検索した際の場所)も結果に反映されるというのは全く知らなかった。確かに”ラーメン屋”とか”銀行”みたいな情報であれば地域情報を反映する意味があるだろうが、”銃規制に関する意見”という質問に対して地域性を反映する意味がどこにあるのだろうか・・・?(※4)


テクノロジーと学問の融合

今回のドキュメンタリーで一番興味深かったのは、いわゆるグロースと呼ばれる領域では心理学や行動経済学を活用していることをはっきりと言っていたことだった。日本ではグロースというのは多くの会社では今ではA/Bテストを多く回すことだったり、あるいはもう少し進んでいたとしてもデータ分析を行うことぐらいに捉えているぐらいだろう。

そうやって日本では素人が少しずつ業務で知見をためて・・とやっているところ、アメリカでは各分野で専門知識を学んだ人間を積極的に活用して、学際的な取り組みとしてビジネスをおこなっているというわけだ。
自分もSRIで勤務していた時にもアメリカでのプロフェッショナルの働き方の活用の仕方を見ていたわけだが、とにかく彼の地では「専門知識を活用する」ということが日本に比べて圧倒的にうまい。それぞれの専門を応用して、あるいは組み合わせて価値を生み出すということが日本よりもはるかに優れているため、プロフェッショナルがそれぞれの領域で経験を積もうとすることに積極的になれるのだ。日本のようにゼネラリストばかりが必要とされる組織や社会とは、提供できる深さが圧倒的に異なるということだ。


法的規制が議論の焦点となるわけ

これまで自分が一番理解できなかったのは、こういったプライバシーやデータ利用の問題に対して「どうして法的な規制を行うことが正しいのか」ということだった。法的な規制をかけること自体は純粋にテクニカルな問題なので、規制を行うこと自体は容易であることは理解できる。しかし、”なぜ規制を行うことが正当なのか”が理解できなかったのだ。

このドキュメンタリーを見てその疑問は綺麗に解けた。彼らがいうには(あるいは自分が理解したのは)、このプライバシーやデータ利用の問題が起こるのは、「誰かが悪いことをしようとしている」からではなく「ビジネスモデルとして、この方法を取ることが最も効率的である」からなのだ。

資本の論理というのは、投資した時間やお金の効率性と最大化に結局は帰着する。そして、デジタル・プラットフォームは資本の世界にいる以上、その効率化と最大化に向けて活動するのは当然のことだ。

世の中には「儲かるけど社会の不安定さを増す(あるいは倫理的に許されないと考えられている)」というビジネスはたくさんある。そのようなビジネスは、資本の論理に任せていると勝手に成長してしまうので法律で枠をはめる必要がある。人身売買や臓器売買といったビジネスもそうだし、麻薬た覚醒剤といった薬物などもそういったビジネスにあたるだろう。そこまで極端ではなくても、本作でも言われているように銀行や携帯会社も個人情報を売り渡すことは禁止されている。

つまり法的規制をデジタル・プラットフォーマーにかけるべきとの主張は、ビジネスモデルそのもの自体が本質的に反社会的な性質を持ってしまうだろうという想定を置いているということなのだ。重要なのはこの「ビジネスモデルそのもの」を対象にしているということであり、決して個々の企業が狙い撃ちをされている訳ではないということを理解するということだ。


本作のようなドキュメンタリーはある一方の視点から作成されているので、もちろんこの内容を鵜呑みにするわけにはいかない。しかし、日本にいてなかなか理解できない疑問や論点を整理するには役に立つ内容だった。

※1・・・日本で一番大きなプラットフォーマーは携帯会社を除けばZホールディングスだろう(ソフトバンクはこの系列だが)。ただし、Googleなどに比べればその影響力はずっと小さい。
※2・・・この整理は自分の中での理解なので、法的な定義とは異なるし、経営学的な定義とも異なる。
※3・・・ただし、アメリカではもともとプライバシーに関する制約は日本などと比べてずっと緩かった・・・という歴史的経緯がある。例えば日本ではとっくの昔になくなった、いわゆる「名簿屋ビジネス」みたいなものも最近まで生き残っていた。
※4・・・検索結果に一律に地域性を反映するのではなく、検索内容ごとにパラメーターを変化させるのは技術的にはそれほど難しくはない。ただしコストはかかる。

 

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