日本を代表する企業になったリクルートの生い立ちを振り返る(起業の天才を読んで)
今のブログではほぼ言及することはないのだが、自分はいわゆる「元リク」とカテゴリーされる人間だ。大学院を出て新卒で入社し、日本のリクルートで2年半、その後に中途社員ばかりの中国事業で1年3ヶ月働いただけなので、あまりどっぷりと使っていたわけではないが上場前であったし、それでもいわゆる「リクルートっぽい働き方」の洗礼を受けている世代といえる。
そのリクルートを創業したのは、東大の教育学部を卒業した江副浩正だ。ほとんど意識をしたことはないが、考えてみれば大学の遠い先輩ということになる※1。自分が入社した頃はすでに柏木社長の時代になっていたので、彼の姿を観たことは一度しかない。それも会社ではなく、江副さんが引退後にされていた文化活動か何かでちょっとだけ見た・・というレベルの話である。
彼の言葉とされている「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉はまだ現役として残っていたし、彼を知る人もたくさん会社にいたので、江副さんとの距離感でいうと“すごい人がいたのだなぁ“ぐらいのものだったろうか。そういった会社内での残り香のようなものよりは、リクルート事件を引き起こした人という印象の方が遥かに自分には強かった。まだ一桁の年齢だった自分にはリクルート事件の詳細はよくわからなかったが、何かすごいことが起こったという記憶だけがあったのだ。両親に「卒業したらリクルートに行くわ」という話をした時も、あのリクルート事件の?というのが最初の答えだったように記憶している。
本書ではそのリクルート事件で表舞台から去ることになる江副さんの生まれから死までを描く。かなりの分量があるのだが、江副さんの人生がそれこそジェットコースターのようだったおかげで、途中で飽きることなく最後まであっとういう間に読み切ることが出来る。・・・はずなのだが、実をいうと本書は買ってから実際に読み始めるまでにかなり長い時間がかかった。
その理由は自分でも言葉にすることが難しいのだが、冒頭で書いたように「自分も“元リク“だから」だと思う。自分にとってリクルートは社会人の第一歩を踏み出したという思い出深い場所でもあるし、今でもお世話になっている方に出会うことが出来た。生涯の友人と呼べる同期もいたし、中国に行かせてもらって自分の人生を大きく変えるチャンスをもらった。リクルートに入社しなければ、今とは全然違った人生になっていたことは間違いない。
一方で、自分はかなり早いタイミングで会社を辞めてしまったことからもわかる通り、決して気持ちよくあの場を去ったわけではないという気持ちもある。未完成の部分も多かったし、組織を構成する人間の振れ幅が大きすぎて不愉快な人も多かった。何より人の心に土足で踏み込むような人間が多くて、うんざりしていたというのもある。リクルートでよく言われる、「何をしたいの?」という質問も、自分のように「何をするべきか」から考える人間にとっては、考えることを放棄しているようにしか見えなくて不快だった※2。
おそらくそういった愛憎半ばする感情が出てくることを直感的に感じていたので、リクルートを描くというこの本を開く気になれなかったのだと思う。
そうはいっても実際に読んでみると、自分が入社する前のはるか昔からのリクルートを知ることが出来てかなり楽しむことも出来たし、当時は一見意味不明だったことにもちゃんと文脈があることがわかった。おそらく当時はこの本を読んでからリクルートに入っていたら、かなり違う気持ちで仕事生活をできたような気もする。
それでも、やっぱり”ああいうことがあって嫌だったなぁ”とか”あいつが無駄に上の方に長くいたせいで碌でもないことになったなぁ”という気持ちも湧いてきてしまって、あまり素直に読むことが出来なかったというのも、また事実だ。本書を読んだ元リクの人のうち2割ぐらいは同じ気持ちになったんじゃないかなぁ。
※1・・・入社したばかりの頃に「リクルートでは勉強できるやつが活躍できるわけじゃねえぞ」と酔った先輩に絡まれたことがあったのだが、そのセリフはまず創業者に言うべきだっただろうと思ったりする。今更ながら。
※2・・・正確にいうと「何をすべきか」をある程度リスト化してから、「何をしたいか」を考えるべきだと思っていて、「何をしたいか」から入ることで人を無駄なことに振り回している人間が多すぎたと思っている。
そのリクルートを創業したのは、東大の教育学部を卒業した江副浩正だ。ほとんど意識をしたことはないが、考えてみれば大学の遠い先輩ということになる※1。自分が入社した頃はすでに柏木社長の時代になっていたので、彼の姿を観たことは一度しかない。それも会社ではなく、江副さんが引退後にされていた文化活動か何かでちょっとだけ見た・・というレベルの話である。
彼の言葉とされている「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉はまだ現役として残っていたし、彼を知る人もたくさん会社にいたので、江副さんとの距離感でいうと“すごい人がいたのだなぁ“ぐらいのものだったろうか。そういった会社内での残り香のようなものよりは、リクルート事件を引き起こした人という印象の方が遥かに自分には強かった。まだ一桁の年齢だった自分にはリクルート事件の詳細はよくわからなかったが、何かすごいことが起こったという記憶だけがあったのだ。両親に「卒業したらリクルートに行くわ」という話をした時も、あのリクルート事件の?というのが最初の答えだったように記憶している。
本書ではそのリクルート事件で表舞台から去ることになる江副さんの生まれから死までを描く。かなりの分量があるのだが、江副さんの人生がそれこそジェットコースターのようだったおかげで、途中で飽きることなく最後まであっとういう間に読み切ることが出来る。・・・はずなのだが、実をいうと本書は買ってから実際に読み始めるまでにかなり長い時間がかかった。
その理由は自分でも言葉にすることが難しいのだが、冒頭で書いたように「自分も“元リク“だから」だと思う。自分にとってリクルートは社会人の第一歩を踏み出したという思い出深い場所でもあるし、今でもお世話になっている方に出会うことが出来た。生涯の友人と呼べる同期もいたし、中国に行かせてもらって自分の人生を大きく変えるチャンスをもらった。リクルートに入社しなければ、今とは全然違った人生になっていたことは間違いない。
一方で、自分はかなり早いタイミングで会社を辞めてしまったことからもわかる通り、決して気持ちよくあの場を去ったわけではないという気持ちもある。未完成の部分も多かったし、組織を構成する人間の振れ幅が大きすぎて不愉快な人も多かった。何より人の心に土足で踏み込むような人間が多くて、うんざりしていたというのもある。リクルートでよく言われる、「何をしたいの?」という質問も、自分のように「何をするべきか」から考える人間にとっては、考えることを放棄しているようにしか見えなくて不快だった※2。
おそらくそういった愛憎半ばする感情が出てくることを直感的に感じていたので、リクルートを描くというこの本を開く気になれなかったのだと思う。
そうはいっても実際に読んでみると、自分が入社する前のはるか昔からのリクルートを知ることが出来てかなり楽しむことも出来たし、当時は一見意味不明だったことにもちゃんと文脈があることがわかった。おそらく当時はこの本を読んでからリクルートに入っていたら、かなり違う気持ちで仕事生活をできたような気もする。
それでも、やっぱり”ああいうことがあって嫌だったなぁ”とか”あいつが無駄に上の方に長くいたせいで碌でもないことになったなぁ”という気持ちも湧いてきてしまって、あまり素直に読むことが出来なかったというのも、また事実だ。本書を読んだ元リクの人のうち2割ぐらいは同じ気持ちになったんじゃないかなぁ。
※1・・・入社したばかりの頃に「リクルートでは勉強できるやつが活躍できるわけじゃねえぞ」と酔った先輩に絡まれたことがあったのだが、そのセリフはまず創業者に言うべきだっただろうと思ったりする。今更ながら。
※2・・・正確にいうと「何をすべきか」をある程度リスト化してから、「何をしたいか」を考えるべきだと思っていて、「何をしたいか」から入ることで人を無駄なことに振り回している人間が多すぎたと思っている。
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