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2024年3月11日 (月)

SNSで話題になっている『鬼時短』を読んでみた: 文化を変えないといいつつも神輿の動き方は変える必要あり

マーケティングや広告業界で働いている人間であれば『鬼十則』 と言う単語を知らない人がいないだろう。電通の行動規範のようなものとして業界に広く知られているこの鬼十則、社外の人は10個全部言うことができなくても、1つ2つであれば言うことができる人も多いかもしれない。自分も『仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない』とか、『周囲を引きずり回せ、引きずると引きずられるのとでは、永い間に天地 のひらきができる』などは、言葉は多少違うがいうことができた。

本書のタイトルは当然この『鬼十則』からヒントを得て付けられている・・というのも、 本書は、その点数の働き方改革、もっと言えば時短を進めた当事者が、そのノウハウを書き起こしたものだからだ。 かつては 夜中まで電気がついていた汐留ビルが22時になると電気が真っ暗になる、まさにその改革を主導した方による”時短 = 業務改革”のためのレシピが本書になる。


文化は変えずに働き方を変えよう

本書にあるように、残業というのは一つの文化として定着していることが多い。仕事が多すぎるということも時にはあるが、 どちらかと言えば周囲やお客さんに「こんなに遅くまで働いているのだ」と伝えるパフォーマンスの要素もかなり強い。自分もコンサル時代に”あえて”顧客へのメールを夜中に送って、自分たちは働いているアピールをしたこともあった。

本書では、時短を始めるにあたってはその「文化」・・・言い換えれば”顧客志向”とでもいえばいいのだろうか、を変える必要はないというところからスタートする。これまでの会社の成長、あるいは個人にとっての勝利をもたらしてきた文化は変える必要はなく、あくまで実際の働き方、もっと言えば時間の使い方を変えると言うことにフォーカスするのだ。

実を言うとコンサルタント経験者にとってはこのアプローチはちっとも違和感はない。今ではあまりやらなくなってしまったかもしれないが、ほんの10年ほど前にはコストカットのためにABC(Active-based costing)分析というのをやるのが流行っていた。これは業務をなるべく細かな単位に分けて、それぞれにかかる時間とコストを計算するという手法で、観察と分析に膨大な時間がかかるのだが、かなり正確に”自分たちが何をやっているか”を可視化することが出来る※1。本書ではABCという単語は出てこないが、この手法をまず全社的に展開をしたようなのだ。


”今”を尊重するところから始めよう

このABCをやると、依頼をした方(多くは経営陣か経営企画の”業務改革担当”のような方)はもちろんのこと、調査をされる方の当事者でも驚くような結果が出ることが多い。正確にいえば、後者の方は「わかっていたけど、やっぱりこんなに無駄な時間があったのね」というやつだ。

ABCでは時間だけではなく、それぞれがどのような業務(あるいはタスク)に時間を使っていたかが正確にわかっているので、無駄が明らかになったら後は対応するだけで良い・・のだが、実際はそんな風には進まない。本書にもある通り、それぞれの業務というのはそれなりの意味があって存在しており、たとえちょっとしたことでも変更したり無くしたりするのは難しいのだ。

ここで重要なのは、本書にもある通り「それなりの意味」というのは必ずしも「そのタスクが価値を生み出す」ということとイコールではないということだ。時には「XXさんが部署にいるためには、この仕事が必要なのだ」という主客逆転のようなこともよくある。会社から見たら無駄以外の何者でもないが、その業務を担っている”ムラ”からすると、必要なことなのだ。なんというか、一種の祭祀のようなものであると思った方がいい。

本書ではそのような”一見無駄”でも、まずは尊重して物事を始めようということを繰り返し語っている。現代合理主義者が”雨乞いをしても雨は降らないからやる必要はない”と最初から断言してはダメなのだ。


それでもリーダーは変わらないといけない

本書が想定読者としているのは、あくまで時短といった改革を進める側の人間になると思う。本書は「時短をさせられる側」に対しては、できる限り現状を尊重した方が良いと繰り返して書いているが、この想定読者に対しては強く自己変革を求める。 今までの日本式のやり方では、時短のような 大きな改革を成し遂げる事は不可能であるとはっきり言っている。

言い換えれば、一般社員は最後の最後まで自発的に変わらなくても良いが、 リーダーは率先して自分を変えなければならないのだ。そしてこの自分を変える方向と言うのは、時に本書においては否定的に使われているMBAや外資系企業の考え方そのものだ。 明確な指示を出し、率先して自分のアイディアを部下に伝え、そしてうまくいかない場合の責任は自分にあるとする。逆説的ではあるが、日本企業の文化を守りその中で改革を行うのであれば、リーダーだけは日本風であってはいけないのだ。

この考え方はより深く考えれば、結局のところ変革において求められるリーダーと言うのは、洋の東西を問わず同じような資質を持ち、同じような行動をとることが求められていることを意味する。本書ににおいて実はこの部分が最も難しい部分で、著者も認めるように日本の経営幹部は各部署の利益代表としての顔を持ち合わせている。 偉くなった人間は、部署の利益や意向をかなりの部分において代弁することが求められるのだ。

そのような人間がある時、突然改革が必要になったときに、自分の思考方法や働き方を変えると言うのはかなり難しい。本書ではそもそも改革のために社外からリーダーを引っ張ってくるということは想定していないので、改革が成功するためには、このような求められる人間が既に幹部に存在しているということが必要条件になる。
ただこれははっきりいって意図的に出來るものではない。電通の場合は偶然なのか、それとも必然なのかわからないが、そういった人間が上層部にいたことが結果的に時短と働き方変革を実現する要因となったということなのだ(少なくとも本書を信じれば、だが・・・)


日本企業はやっぱり大変だなぁとついつい思いがちな外資系人間の自分

自分がかつて在籍していたIBMが赤字になった際に、ガースナーという外部経営者を招聘して大改革を行った。その時にもっとも時間をかけてチェンジマネジメント(変革の推進)をしたのが、日本だったというのは内部では有名な話だった。当時は、米国の本社を除けばもっとも売上が大きく、かつ人員も最大ということで日本をまず対象にしたというのが建前で、本音は日本が最も変革が難しいと本社ではみられていたからだ。日本で改革が軌道に乗り始めて、ようやく米国本社は「この変革は必ず成功する」と確信を持てたらしい。

当時は半ば連邦制のようになっていたとはいえ、一応は米国資本のIBMですら日本支社の抵抗は頑強だったのだ。これが日本に本社があり、経営陣もほとんど日本人という会社では、さらに変革の難易度が上がることは間違いない。
そういった”難易度の高い”日本企業の変革をやろうとしたら、間違いなく本書のようなアプローチを取るしかない。まず経営者(あるいは経営幹部)が自らの態度を変え、その上で現場を尊重して、丁寧に時間をかけながら一歩一歩価値を感じてもらう。この方法は、いわゆるMBAで学ぶチェンジ・マネジメントの王道でもある。

しかし一方で、外資に長くいて、元からして頭の中は外人のようだった自分からすると「こんな面倒くさいのはとても自分が社員だったらやってられん」というのも正直な感想だ。外部のコンサルタントとしてこういった案件があればこのような方法は取るだろうが、自分が発注側で主体になるとしたら、ここまで根性が持たないと思う。そういった意味で、この著者の方の一番すごいところは「自分が超伝統的企業で育ちながらも、最後までやり切った」というところにあるのは間違いない。


※1・・・家庭生活でもこの手法を持ち込んでいる人も多くいた・・のだが、そもそもコストの定義が難しいので個人的には意味があんまりないと思っていた

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