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カテゴリー「AI」の記事

2023年10月19日 (木)

[書評]仮説とデータをつなぐ思考法 DATA INFORMED(田中耕比古)

著者とは10年近くの友人であり(正確には先輩)、最近お会いした際にこちらの本をいただいた。献本いただいた場合には書評を残すのが礼儀・・なのだが、本書についてはそういった貸し借りなしで記録をしておきたい一冊だった。何せ世の中にあるビジネス本とは、そもそもの目的からして違うのだから。

ホームランより打率

世の中に数多あるビジネス本は大体以下の3つの種類に分かれると個人的には思っている。
  1. いわゆる「すごい人」の伝記や考え方を本を読むことで学ぶ
  2. アカデミックから生まれた、あるいはコンサル業界で生まれた先端・最新(に見える)知見を学ぶ
  3. フレームワークや思考法などの考え方を学ぶ

この3つの種類の本はアプローチこそ違えて、いずれも”他のビジネスパーソンよりも優れた成果を出したい”という人向けに書かれているのは変わらない。資本主義が競争である以上、やっぱり人は他の人よりも優れた成果 = ホームランを打ちたいと思っているのだ。

ところが本作の特徴と言えるのは、その考え方を徹底的に排除していることだ。著者が本書で一貫して語っているのは、「データを上手に使う能力を身につければ”再現性”が高まる」ということなのだ。言い換えてみればホームランよりも打率主義。さらに極論を言ってしまうと、本書のアプローチだけでは再現性は高まるかもれないが、成功は約束されていない。ただひもちろん本書のアプローチを使って、成功する = ビジネスで成果を出すための方法も後半にはしっかり書かれているので、その点は安心してほしい。


データは「わかっていることを見えるようにすること」

2つ目の本書の特徴は、いわゆるビッグデータについて著者が夢を全く見ていないことだ。ビッグデータ(あるいはカタカナになる前のBig Data)の概念が出始めた頃には、”これまで取れていないデータを取れるようになることで、何か凄いことができるんじゃないか”という期待がIT業界やコンサル業界には溢れていた。・・・少なくとも、そういう期待を作ろうと業界ではしていた。

ところが実際にたくさんのデータをとって解析してみると「そんなの知ってたよ」とか「意外に普通の結果しか出ないんだね」という感想が多かったのだ。少なくともビッグデータブームの当初は「これまで断片的に取れていたデータが、以前よりもたくさん取れるようになった」ぐらいしか変化がなかったのだから、考えてみれば結果もそれほど突飛なものにならないのは当たり前なのだ(※)。ビッグデータで本当に必要なのは「これまでは人間が何となく知覚していたが、数値では表現できなかったこと」をデータ化することなのだ。これはビッグデータが話題になってからしばらく経って、IoT機器が安価になることでようやく実現が見えつつある(が、同時に純粋なデジタル空間のデータ量は爆発的に増加しているので、昔のビッグデータは今ではちっともビッグでははなくなってしまったという問題がある)。

本書ではそのような人間には知覚できていてもデータでは取得できていなかった、いわゆる暗黙知をKKD(勘・経験・度胸)と呼んでいる。そしてデータが出来るのは、次の3つであると主張する。
  • KKDをデータを用いて個人に閉じない形まで昇華する
  • 経験のない人間=KKDがない人間も、データを使って気づきを得ることができる
  • KKDをデータを使って証明する

こう言われてみると、ベテランは自分のKKDをデータによって補強できるし、若手はKKDを使って優位に立とうとするベテランに対してデータで戦えるようになる・・みたいな姿が想像できる。もちろん本書ではもっと上等な書き方をしているのだが、データを用いて戦闘力を高めるというのは、要するに年齢とか経験の差を理由にできなくするということなのだ。


必要なのは「解釈する力」と「言語能力」

本書でも繰り返し書かれているように、ビッグデータの利用というとどうしてもその処理の方に頭が行きがちになる。少し前に統計関連の本が売れる時期があったが、あれもいってみれば統計的なリテラシーを学びましょうということで、広い意味ではデータ処理の枠内での話だった。

ところが著者は、こういった能力はデータ利用を“駆動“する力であって、成果を出すための方向性を生むことにはならないと主張する。確かにデータはどこまで行ってもデータであって、例えば「今年の売り上げはXXセグメントではYY%下がりました」みたいな話をされても、So What?となってしまうだけだ。大切なのは、そのデータが表現する結果になった理由を明らかにしたり、あるいはそのデータで読み取れた結果を持って何をするかを考えることなのだ。そしてそのような役割であれば、何も大学で数学を専攻していたり、統計の専門家である必要はないというのが著者の言いたことなのである(著者は私立文系卒でデータを用いた会社の取締役を務めているのだから、説得力がある)。

このみんなが必要と言っているテクニカルなスキルがなくても(あったほうがいいが)、十分にデータを用いて戦うことができますよ、安心してくださいという主張が本書の3つ目の特徴と言えるだろう。言い換えると三角関数が嫌で、とか、代数が不明すぎて、という理由で数学から脱落した人にも、データを利用することができるのだという希望を与えてくれるのが本書なのである。

個人的にはこの点に関しては、自分のような理系人間の方が得意なのでは・・と思うのだが、確かに文系だからという理由でできないということはないというのは同意できる。ただし大学院レベルで数学や統計をやっていた人間はそもそも頭の中ではモデルや数式で考えていることが多く、それを言語化するというトレーニングを日常的にやっているので、やっぱりその点は理系の方が有利かもしれない。


もちろん本書は上に書いてきた以外にも実用的な内容も多く含まれているし、その内容からも著者の個性が滲み出ている。例えば戦略とオペレーションが階層構造ではなく、並列/時系列的に記載されているのは著者が実際に企業を経営している立場から見ているということだろう。またコンサル出身者の方が仮説という言葉を使うときにassumptionとhypothesisの違いがあるというのは、我が意を得たりという感じで嬉しくなってしまった。

数式は全く出てこないし平易な言葉で書かれているので、その気になれば1日で読み通すことができてしまう分量だが、書かれていることは時間をおいて繰り返す読むほうが味わいが出るだろう。一回読んで、俺知ってると想わずに手元においておくことをお勧めしたい一冊だ。


※・・・例えばランダム抽出で取得していたデータを全数取得に変えても、それほど結果は変わらない。以前在籍していた米系IT企業では「統計に埋もれた傾向を全数取得で浮かび上がらせる」というアプローチを展開していたが、対象が小さすぎてビジネスにインパクトを与える規模にはならない・・という当たり前のことがわかっただけだった。

 

2021年8月26日 (木)

[書評] ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう: 際立った知性は同じ方向を向く

51asfysfirl_sy346_自分がスティーブン・ホーキングという人物を認識したのは、小学校の頃だった。学校の図書館に「ホーキング 宇宙を語る」があり、当時宇宙に興味を持っていた自分はとりあえず”宇宙”という単語に惹かれて手に取ったのだ。今となっては本の内容は全く覚えていないが、卒業アルバムには将来の夢を「NASAで働くこと」と書いていたくらいなので、宇宙への興味はそれなりに強いものがあったのだろう。

 

結局その夢は大学1年生の時に捨ててしまったが、それでも宇宙への興味は変わらず、教養過程では宇宙論や相対論を受講した。しかし、そのロマンあふれる授業名から想像される内容とは異なり、大学のこれらの授業は数式を駆使した物理学だった。数学が得意ではなかった自分はあっさりドロップアウトし、そのままついにその領域を本格的に学ぶことなく40歳を超えてしまった。

 

それでも、志半ば・・というか、そもそも大きな志などなかったであろう自分にとっても、ホーキングという存在は特別な存在であり続けた。ALSという難病でありながらも研究活動を続けた・・という事実を持って、一般的にはある種の超人性・聖人性を付与されてしまった彼が私生活では決して聖人ではなかったということを知っても、自分の中での存在の大きさは変わらなかった。もしかしたら、その理由の一つには「難しいことを平易に語る」という、自分の中では得意であると思っている領域の偉大な先駆者であるという意識があったからかもしれない。実際、内容は覚えていないとはいえ「宇宙を語る」は小学生にも十分理解が可能な語り口だった。

 

 

そういうわけでaudibleで本作を見つけた時も、迷うことなく購入を決めたのだった。audibleは「聞く読書」なので、どうしても向き不向きがある。一番の難点は、前のページを参照したり、わからなくなった時にパッと戻るということができないことだ。しかし、ホーキングの語り口であれば、文字を追わなくても大丈夫だろうと考えたのだ。

実際に聴き始めてみると、この領域に多少の知識を持っている人間であれば朗読でも全く問題なく内容が頭に入ってくることに気がついた。ブラックホールとそれに関連する物理学的理論の説明が行われているにも関わらず、まるで挿絵があるかのように”絵として”内容が頭に入ってくる。彼が生涯をかけて研究した内容が、その本質にまで触れることはできなくても、外縁から十分に理解が可能なように構成と語り口が工夫をされているのだ。

そのこと自体で科学啓蒙書としての本書の価値は十分に満たしてくれているのだが、それよりも驚くのはホーキングの興味の方向性が非常に幅広く、かつその全てが現代科学において重要な領域であるということだ。列挙すれば、彼の興味の対象は核融合技術、自然破壊と環境保護、宇宙開発、そしてAIになる。彼は宇宙物理学という、ある意味で究極の「根本的な課題」に取り組みつつも、その視野には工学の最先端がちゃんと含まれているのだ。

そしてその理由は、本書内でも明確にされているように、人類という種(よりわかりやすくいえばホモ・サピエンス)の生活範囲が地球のみであるとすると、いずれ滅亡をしてしまうという問題意識によるものだ。その滅亡の理由は、例えば核戦争かもしれないし、地球環境の大変化かもしれない。あるいは恐竜が絶滅した時と同じように隕石の衝突かもしれない。その「何が」「いつ」起こるかということは正確に予知することはできないとしても、今後の1,000年単位で考えれば、人類がこのような問題に直面することは避けられない・・・と彼の卓越した頭脳は判断したのだろう。


自分はこの下りを読んでいて、優れた知性というのは最終的に同じような問題意識に到達するのかということに驚いた。衰えていく地球から宇宙に飛び出し、そのためには物理的な理論や核融合の知識がいる・・・というのは、まるでインターステラーで描かれた世界のようだ。おそらくかなり近い将来、こういった問題がより身近になり、より真剣に議論されるようになるのだろう。そして、自分が生きている間ではないかもしれないが、これらの問題が解決されて、人類が他の星で暮らすような未来が来るに違いない・・・と、本書を読むとそう思わずにはいられない。

 

2019年6月17日 (月)

日本ではS級が今後生まれるだろうか (書評: 中国S級B級論 ―発展途上と最先端が混在する国)

中国ウォッチャー的には、twitterとブログで中国政治を解説している水彩画@suisaigagaga が書籍デビューすると言うことがおそらく一番の楽しみであったであろう本書。とはいえ、話題性だけの数多ある色物中国本ではなく、本作の執筆陣はいずれも実力派揃いである。それぞれの領域で積極的に発信をされている方々ばかりなので、常日頃から発言をチェックしている人にはやや物足りないかもしれないが、いわゆる「遅れてて笑える中国」から「最先端のIT活用大国である中国」まで日本人がもつ中国のイメージが変化していく中で、実態として彼の国はどのような状態にあり、どうしてそのような進化と並存が可能になったのかを解説するのが本書の狙いである(詳しくはここをご参照のほど)


● S級が生まれる前の中国と、サービスの萌芽 ●517yla18bwl_sx342_bo1204203200_


2007年〜2013年という自分が大陸に住んでいた時期は、本書で取り上げられたS級はちょうどサービスの芽が生まれた頃にあたる。Wechatはすでに存在していたが、まだpayment機能は実装されていなかったし、Alipayはweb上では利用可能だったが、今のように広くどこでも利用できるものではなかった。4Gは商用化されていたが、アプリによる様々なサービスが実現する直前という時期だったと言えるだろう。当時使っていたスマホはHTC製、いまではすっかり存在感を失ってしまったが当時はトップメーカーだった。


一方で、S級が産まれるような土壌というのはすでに十分に育まれていたように思える。米国のTopスクールをでた中国系の人間が大陸に移ってきてビジネスに参加するということも普通にあったし、TencentやAlibabaは積極的に中国国内の理系トップを高給で採用をするようになっていた。給料が高いが仕事は激務・・・というのが、当時の中国国内におけるこれらの企業のイメージだ。
また、スタートアップの成長スピードもかなりのもので、中国における食べログのような存在であった大众点评は、私が最初に務めた企業で上海に赴任した時に作ったサービスをわずか数ヶ月でコピーしてリリースし、営業体制もあっという間に構築してしまった(今では合併して美团大众点评という会社)。この会社とはその後数年経ってビジネススクール時代に訪問することがあって、「あの機能を実装したのは、自分なんだよ」と話したら、驚かれて色々と深い話をすることができた。


デジタルの世界では、そのころはアプリというよりもWEBサービス全盛だったし、さらにWEB上のサービスといってもFlash利用がものすごく多かったのだが、それでも当時のデザインレベルやゲームアイデアなどは急速に改善しており、遠からず米国にキャッチアップすることは容易に想像される未来だった。本書で取り上げられる企業のいくつかはまだほとんど世界に知られていなかったが、それでもS級への揺籃期にあたる時期に僕は上海にいたのだろう。


 


● S級は屍の上に ●


本書の主要テーマではないのでそれほど深堀はされていないテーマの一つに、中国における猛烈な競争環境があげられる。シェアサイクルが一つの例としてあげられているように、中国では新しいサービスが生み出されると、雨後の筍という言葉ではとても生易しいぐらいのスピードで猛烈な速さで次々と類似サービスが産まれてくる。さらに、そこに豊富な資金が提供されることで、広大な国内展開と国際展開が同時行われ競争環境は加速されるという構造にある。


この過酷な競争環境は猛烈な勢いで製品の改善を促す一方で、投入された資金があっという間に消費されていくという状況もうみだし(中国語では焼銭と呼んでいる)、資金が尽きた企業は市場から退場をしていくことになる。さらにこれらの新興企業に加えてAlibaba, Tencent, Baiduなどの既存プレーヤーが時に投資を行い、時に類似サービスを立ち上げて市場を加速させる。


 


そういって競争の末に本書でS級と呼ばれるサービスが立ち上がるのだが、その裏には膨大な数の屍(退場した企業と実を結ばなかった投資)が並ぶことになる。中国のように成長が早い市場では、新興企業での失敗自体は必ずしもキャリアでマイナスになるわけではないし、個々の人間にとっては有意義な経験となることも多いはずだが、それでも投資側からすると投下資金が溶けてしまうという現実には変わりがない。
中国のイノベーション議論ではその社会実装の柔軟性が取り上げられることが多いが、資金投入側のリスク許容度という意味においても日本との違いは大きい。


 


● 今後日本でS級はうまれるだろうか ●


本書を読んでいてずっと自分の頭の中にあったのは「中国ではS級が”新しく"産まれた。では、日本はどうだろうか・・・?」という疑問である。自分もプレーヤーの一部であるだけに、あまり悲観的な話をすべきではないが、この疑問に対する答えは残念ながらNoだ。
完全に整理しきれていないものの、中国においてS級が産まれ、日本において産まれないであろうと想像されるのは主に以下の理由だ。



  1. 人材の高い流動性
    中国国内において問題とされていることの一つに「人材がなかなか一つの企業に定着しない」というのがあげられるのだが、ことイノベーション関連に関して言えば、この流動性の高さは武器になっている。特に「立ち上げ → 撤退」が繰り返される分野においては、人材流動性が高い社会では前職の失敗が必ずしもキャリアの停滞を意味しない。人材が常に撹拌されているような状況においては、「過去の経験」をすぐに最前線や高い地位で使うことができる可能性があり、社会全体としての活力を生み出している。


  2. 国際展開のスピード
    中国のS級と呼ばれるスタートアップは、国内に広大な市場を持つにも関わらず、創業当初からすぐに国際展開を狙っている。確かにAlibabaやTencentといったプレーヤーは非関税障壁とも言える国策によって守られていたが、今ではそういった保護が必要ないぐらい、圧倒的なスピードで国際展開が行われる。これは、一つには中国人のハイレベル人材は英語を苦にしないこと、もう一つには各国に中国系人材(中国語を話せる人材)が多くいるということが要因としてあげられるだろう。確かに中国においても「まずは中国市場で成功して・・・」という考えはあるが、そもそものスピードが違うので、日本から見るとあっという間に国際展開が行われているように見える。


  3. 投入資金の柔軟性
    成長中の今だから出来ることという気もするものの、上述したように中国における投資熱というは凄まじいものがある。明らかに技術的にはおかしいもの、あるいはコンセプト自体がずれているものであっても、とりあえず派手で成長感が出ていればお金が集まるという状況も一部にはあるようだ。社会全体としては壮大な丁半博打をしているようなものだが、国全体を一つのVCとして見てみれば、どこかが当たれば他の損を十分にカバーできるわけで、このような(ある意味向こう見ずな)ダイナミズムが成長のスピードを押し上げているように感じる。


本書はそれぞれの分野における入り口を提供するという趣があるので、中国についてすでに一定の知識がある人には物足りないかもしれないが、全体を通して読むことで週刊誌やWEBメディアで得る断片的な情報では描けない中国像の一部を提供することができている。もちろん、これで全てだ・・という気は毛頭ないが、最初の一歩として手に取るにはかなりのおすすめである。

2019年4月22日 (月)

高齢者の事故を防ぐためには、技術×法制が必要

自分にもまだ幼児と呼べる子供がいるので、こういった事故を聞くたびにものすごく辛い気持ちになるのだが、またも高齢者の運転している自動車による事故で小さいお子様が亡くなられた。
事故の理由については今後の捜査により判明すると期待されているが、こういった事故が発生すると自動車会社はこういった事故を防ぐようにすべきだ」といった意見がSNSで多く見られるようになる。もっと極端になると「自動運転なんかにお金を使うよりも、こういった事故を防ぐ技術を先に開発すべきだ」という意見もある。
繰り返しになるが自分にも幼い子供がおり、そのように思う気持ちも十分に理解するし、実際に我が家でも「どんなに交通ルールを守っていても、車が暴走して突っ込んで来ることがある」という前提で、どのように安全を守るべきかという話を妻としたりする。一方で、新たな技術の社会実装支援を仕事としている人間としては、こういった問題は「技術的に完全に防ぐことはできない」ということも理解している。そこで、今回はそのメカニズムを簡単に解説しておこうと思った次第だ。
 
なお自分は勤務している企業において、複数の自動車関連企業とプロジェクトを実施しているが、当然のことならが今回の記事には業務上で得た知識は含まれていない。また、本記事における主張は個人的なものであり、組織を代表した意見ではないことを明記する。

今回のような事故を防ぐ技術

自動車による暴走事故を防ぐ技術として最も一般的な技術は、前方や後方に障害物がある場合に、自動でスピードを緩める機能でpre-crash safety systemと呼ばれている(該当するwikipediaの技術はこちら)。これはすでに商用化されて久しい技術であり、多くの自動車メーカーによって提供がなされている。駐車場に車を入れる際にお世話になったことがある人もいるだろう。
この技術よりも、より直接的に「アクセルとブレーキの踏み間違い」を防ぐ技術としては、ペダル踏み間違い時加速抑制装置がある。これは、「誤ってアクセルを踏んでしまった場合」に自動車が急加速することを防ぐ技術だ。説明としてはこちらのHPがわかりやすいと思うが、ビデオを見ても分かる通り、ドライバーが踏み込んだ際にも車は急に出発をしたりしない。一方で注意が必要なのは、車が加速しない場合にドライバーがアクセルを踏み続ける場合にはやがて車は加速するように設計がされている。これは後ほど述べる緊急対応を行うためにドライバーの自由度を残しているためだ。こちらの技術もすでに実用化がされており、後付けで装着が可能な装置も発売されている。
他にもドライバーが何らかの理由で運転中に急に意識を失ってしまう、あるいは正常な判断ができないと外部から理解できるような状況においては車を安全に路側帯に止める機能であるとか、車同士が通信を行なって車間距離を適切にたもつといった技術のような、商用化が見えているものの実搭載はなされていない技術も多く存在する。


技術だけでは「すぐに」問題を解決できない3つの理由

こういった技術は自動車会社(あるいは部品サプライヤー)によって開発が行われているが、残念ながら技術的なアプローチだけでは今回のような事故を防ぐことは当分の間(自動車のモデルチェンジでいうと数世代)はできそうにない。これにはいくつかの理由がある。

  1. 緊急時対応は依然として残る
    先ほどのLink紹介時にも書いたように、今の自動車では「緊急対応時に備えて、最後の判断はドライバーが行うことができる」という考え方が基本的な設計思想である。こういった緊急対応の例、日本では想定することはなかなかないが、「自動車の前方と後方に銃を構えた強盗が立っている」という場合を想定しよう。こういった場合、(議論はあるだろうが)ドライバーはその強盗を跳ね飛ばして逃げるということは、自衛のための手段として想定される。逆に自動車が「前後に人がいるために動くことが出来ない」と判断して動くことが出来ず、かつ強盗にドライバーが危害を加えられた場合には、訴訟問題となるだろう(もちろん実際には、購入時の事前の合意などが問われるだろうが・・・)。

    こういった犯罪の場合でなくても、例えば「急に道路が陥没したので、緊急避難として前に車があってもアクセルをふむ」、あるいは「上からものが落ちてきたので、急発進をした」とか、我々日本人に理解しやすい例としては「地震が発生して逃げ場が塞がれそうだったので壁を壊して逃げる必要があった」といった例が考えられる。いずれも、ドライバーが自分の判断で「周囲の状況を理解していても」急発進や急加速をせざるを得ないという状況である。

  2. 現在想定される技術の限界点
    SNSでは「自動運転の時代になれば、こういった緊急対応の問題は自動車側で適切に処理することが出来る」という意見を見ることもある。では、こういった緊急時対応すらも自動車側(駆動系+ソフトウェア)に任せて最適な道を瞬時に判断できるようなことが現在の技術の延長線上で可能だろうか・・? 

    残念ながら現在のアプローチでは非常に難しいと言わざるを得ない。現在想定されている技術で自動運転を実現する際には(いったんここでは自動運転Levelは3~5で幅を持たせると仮定して)近距離+中距離の周囲の情報を取得し、かつマクロの情報を組み合わせて自動車の制御を行うことが想定されているが、いずれにしても「自動車をコントロールする」ソフトウェアを事前に学習させる必要がある。この記事で想定しているような緊急時対応は発生頻度が極めて少ないと考えられるので、通常発生するような状況に対しては有用である機械学習を活用した方法よりも、技術者が様々なケースを想定して事前にプログラムを行うことになるだろう。

    そういった人間がマニュアルでプログラムを行う場合に発生し、かつ解決な問題が2つある。一つは、「人間が想定した以外のことには対応できない」ということであり、もう一つは「AIのコントロールと、マニュアルのコントロールを瞬時に判断して、切り替えることが非常に難しい」ということである。自動運転というと、我々のような40代前後の人間はナイトライダーに出てくるナイト2000のような車を想定するが、現在の技術で実現可能な自動運転車はナイト2000のような汎用的な知識を持つことが出来ない。こういった状況で自動運転車に全てを任せるということは、先ほど述べた①の問題については、ドライバーが運転を諦めるという選択肢しか存在しない。

  3. 技術伝播にかかる時間
    これは現在でも見られる問題ではあるが、最新の技術というのは広く行き渡るにはかなりの時間がかかる。例えば、先ほど紹介したペダル踏み間違え時加速抑制装置はすでに商用化されているが、必ずしも全ての自動車に搭載されているわけではない。現在のところ自動車の平均的な買い替え時期というのは7~9年ぐらいと言われているが、これは平均値であるから、全ての車が先進的な事故抑制装置を持つようになるまでにはそれ以上の時間がかかる。更に言えば、こういった装置は文字通りの全ての自動車が標準装備するか、強制がされない限り常に購入者側に選択基準が存在することになる。現在でも理論的には日本では「エアバッグがない車が普通に走行できる」ことを考えると、今日紹介したような抑制装置が行き渡るまでにはかなりの時間がかかると言えるだろう。

個人的には特に③の理由により、今回のような事故を防ぐには技術的な面での改良よりも、法制面での対応のほうが"実効性が高く"かつ"迅速に"事故を減らすことが可能であると考えている。法制面により対応が可能であるということは、言い換えれば問題解決は我々の選択に依存しているということだ。

2019年4月18日 (木)

AIが熟練工を育てる世界

3月の中旬に、一週間びっちりお客様のとある工場でプロジェクトのためのインタビューと情報収集に行って来た。プロジェクトの中身を詳細に記載することはできないのだが、製造工程にこれまでとは異なる技術を用いることで、工場で働いている方の生産性を飛躍的に増加させたい・・・というのがプロジェクトの目的だ。



理系とはいえソフトウェア側にずっといたので、工場の中に一週間もいて作業をしっかりみるという機会はこれまで一度もなかったのだが、今回見てみて、あらためて「まだまだ人間にしか出来ない世界は存在する」のだなということを理解できた。その工場ではμmオーダーの製品を作っており、その製品の製造自体はほぼ自動化されているのだが、"その製品を作るための自動化ラインのメンテナンス"はほぼ完全に人の手によるものである。残念ながら、現在の技術ではどこで発生するかわからない故障に対して自動で対応できるロボットを作ることは不可能であり、たとえ「人工知能が人間の知恵を超えて、人工知能が人工知能自体を作るようになる」といわれるシンギュラリティを超えても、「製造設備を全て作ることができる製造ロボット」はまだ実現しそうにない。鍛えられた人間の微細を感じる感覚というのは、まだまだ模倣が難しいのだ。

 

もう一つ、今回の出張期間では製造設備設計を行う方に話を聞く機会があったので、"世の中では、AIや新技術により「人間の仕事がなくなってしまうのではないか・・?」という漠然とした不安感があると言われているが、どう思うのか"という質問をしてみたところ、大変示唆に富んだ回答をいただくことが出来た。
 
  • 少なくとも自社(および自社グループ)の工場では継続的に人間が作業をしなければならない工程や、そもそも関わっている人を減らすこと(省人化)をしているので、人間自体が工程から減ることは脅威ではない。それが機械的に実現されるのか、それともソフトウェアによって実現されているのかの差だけであると感じる。
  • 上記のような考え方をとっている一方で、生産数自体は増加しつづけており、全体としての労働者数は減ってはいない。全てを自動化することはまだ遠く、また出来たとしても生産設備改善やメンテナンスは常に必要であり、AIやロボットが人間の仕事をゼロにしてしまうという未来がすぐに来るとは思えない。
  • 現状で人間が関わっている部分というのは、これまでの手法では「どうやっても人間を排除できなかった工程」であり、全工程のほんの一部に人間が残っているというのは労働者にとってもあまりいい環境ではない。できることなら、枯れた製品については早めに完全自動化を実現したい。
 
 
このように、工場の現場では「限られた人間のみが行える業務(習得が極めて難しい業務)」と「既に汎用対応が終了している業務」(ロボットやソフトウェアで対応が可能な業務)が並存しており、長期的に見れば後者の領域は拡大され続けているが、製品の精度や変更タイミングの短期化、そしてメンテナンスの複雑化といった問題が存在している限り人間がなすべき作業というのは存在し、さらにその難易度は上がり続けていくのだ。
難易度があがるということは当然習熟までに時間がかかるし、そもそも習熟出来る人間というのもそれなりに限られてくる。少なくとも今回訪問したお客様では、習熟した人間を育成するスピードよりも、製品製造量の拡大スピードの方が大きいため(人材育成スピード < 製造量拡大スピード)人材は常に足りなくなるという危機感を持っており、その状況を改善するために「人材育成にAIを含む最先端の技術を活用したい」と考えているのだ。
 
これは少なくとも今後10年以上は続く、技術的なトレンドなのではないかな・・・と個人的には考えている。以前に、技術はコストダウンだけではなく人間の能力を拡張(Augmentation)する方向に利用されるだろうと書いたことがあるが、まさに日本の工場でも同じようなトレンドを見ることが出来た。日本で取り上げられるのは圧倒的にコストダウンの話が多いが、これからもこういった現場の深い知識(Deep knowledge)を活用した技術開発を提供していきたい。

2018年9月14日 (金)

AIの"A"は何という単語の頭文字なのか

Artificial(人工)だというツッコミはあると思うのですが、本日は最後までお付き合いください。

最近すっかり日本では次のビッグウェーブとしてのAIという単語は定着あるのだが、このAIという単語、何の略なのかはご存知だろうか・・?ほとんどの方は「Artificail Intelligence(人工知能)の略である」と答えると思う。


正解は‥‥その通り、”ほとんど”の場合においてAIのAはArtificialの略と言われている。ただ、ほとんどと書いた通り、例外もある。例えば、日本のAIソフトウェアとしては最もブランド力があると思われるWatsonは、かつてはAugumentated Inteligence(拡張知能)の略でAIであると言っていた。結局この言葉とIBMが進めていたコグニティブ(Cognitive)という言葉は市民権を得ることなく、ほぼ消えてしまったのだけれれども・・。。

当時IBMにいた時の私はこの言葉を聞いた時には「何を独自性を出そうとしてるんだ、素直に普通と同じ言葉を使えばいいのに」と思っていた。以前はe-businessとか、Smarter Planetといったマーケティングワードで世の中の流れを決めるようなことが出来ていたように見えるIBM(これをアジェンダセッティングと言います)だけど、既にAIやクラウドの世界で流れを決定できるほどの力はないのに・・・と。
ところが、今の会社に移って毎日米国の研究者と会話したり、米国での研究のトレンドを勉強するようになると、IBMが提唱していたAugmentationと言う概念は正しかったのではないかと言うようにあらためて感じるようになった。


● 人間の能力を拡張する ●

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AIだけでなく様々な分野で未だに先端を走っていると言われているシリコンバレーで技術の話をすると、よく出てくる言葉が「Augment」だ。例えば、AR(Augmentation Reality)はまさにこの言葉が入っているが、これはリアルな情報と電子情報を重ね合わせることで、人間の視覚や情報処理能力を増強する/拡張するという取り組みをさす。 例えば、人間がパッと見ただけではわからないような複雑な設計をした構造物に対して、データベースに格納された設計情報を付加することで、人間が付加情報と実際の建築物を同時にみることが出来るようになる。これは「視覚」を増強したものだということが出来るだろう。

これだけでなく、ロボットやハードウェアを開発する際にもAugmentationという概念は常に意識されている。日本でもサイバーダイン社などが開発している体につけて人間のサポートを行うようなロボットは開発されているが、人間が装着することにより能力を増強することが出来るようなロボットは「筋力」を増強したものだと言えるだろう。 かように、シリコンバレーで開発されている技術の多くは「人間の能力を高めて、新しいものを生み出そう」という発想がそこかしこにみることが出来る。


一方で日本で技術の話をすると、まずAutomationによる「コスト削減」という話がメインで出てくる。現状で人間が行なっている作業を機械にすると、だいたい何人の労力をロボットがカバーすることが出来るので、だいたい○○円コストを削減することが出来るということである。こういった発想は確かにビジネスにとってはすごく重要だが、これだけでは全体としてビジネスの規模を拡大することは出来ない。いわば、この発想は現在のパイの中で、どれだけ旨味のある部分を取るか・・といった発想に近いのだ。

もちろん米国でもコスト削減のためのAutomationというのは重要なテーマだし、日本のように人口減と労働コスト増大という問題に直面すれば、必ずコスト削減のための技術利用というのはもっと積極的になるだろう。私もAutomationによるコスト削減に意味がないというつもりは毛頭ない。それでも基本的にAutomationというのは「引き算」の発想である。「Automationにより、XX人の仕事を自動化することができるので、YYのコスト削減を測ることが出来ます」というのが、こういったアイデアを検討する際に必ず出てくるビジネスケースというやつである。


● 人間がAIや機会と共存するために ●

日本で多くの企業と話していると、ほぼ必ずといって出てくるのは「人間にしか出来ないことがある」「人間ならではのものを求めている」という単語である。確かにそういうものは今後も相当の期間は消えないだろうし、当面のところは人間のみができること、を、売りにしていくのも一つの戦略だといえる。

一方でそういう主張をする多くの方が「人間にしか出来ないものがある」というバイアスで物事を語っている、もっというと「人間にしか出来ないものがあってほしい」という願望を込めて話しているということもかなり多い。それは時には自社の雇用を守らねばならないという使命感かもしれないし、あるいは機械に自分たちの仕事を奪われてしまうという漠然とした恐怖感かもしれない。具体的に、「何を」「どこまで」「どのようにすれば」機械と人間の仕事を切り分けられるのか・・・ということを考えずに、まず否定の感情から入ってしまい、詳細な分析を行うことが出来ないのだ。


こういった議論をする時に重要なことは、我々人間自体も周囲に存在するテクノロジーによって進化/変化していかという視点を持つことである。例えば、コンピューターが生まれるまで、長い間計算には算盤が必要だったが、今では趣味や教育効果を狙っている以外で算盤を使うことはほとんどないといっていいだろう。あるいは我々の世代にとっては「学ばねばならなかった」タイピングは、1世代下の人間にとっては当たり前の作業となったし、もっと下の世代ではフリック入力が当たり前になってしまって、逆にまたタイピングは「学ばねばならない」ものになった。これを進化と呼ぶかどうかを別として、このようにわずか10年単位で多くの人間が平均的に持つであろうと思われる能力は変化してしまっているのである。


これと同じことはAIがより社会に入ってきた際にも、間違いなく起こる。人間はその裏側のブラックボックスを理解せずとも、慣れとともに納得して利用する生き物なので、今の人間にとって奇異に思えることが、次もずっとそうではないとは言い切れない。
テクノロジーに向かい合う人間や日本企業は、「テクノロジーによって何を実現できるのか?」「それは今の我々の作業(仕事)のどこまでを代替するものなのか」、そして「私たち人間はその変化をどのくらいのスピードで受け入れるのか?」を常に問うべきだと思うのだ。

2018年3月12日 (月)

今から人工知能の勉強を始める人向けにお勧めする2冊

転職する前は、日本で最も有名になったAIソフトウェアのマーケティングを担当していたし、振り返ってみれば大学院時代は遺伝的アルゴリズム(Genetic Algorithm)やニューラル・ネットワークなどの手法を使って研究をしていたので、今ではほとんどコードは書かなくなってしまったとはいえ、AIに関する技術的な基礎というのは一般的な意味ではあるほうだと思う(※1)。

一方で、転職した企業は技術開発を専門に行なっている企業ということで、極端に言うと「AIが絡まない仕事」というのはない。それくらい全ての領域でAIというのは組み込まれてきているし、現状で主に米系クラウドベンダーや日系SIが提供しているような「PCを用いて利用することが前提とされているような」AIというのは、むしろAI利用という観点からは一部でしかないということがわかる。


私が大学院で勉強してた頃はちょうど「直近のAI冬の時代」の終わり頃なので今のようにAIが一般的に盛り上がるというのはもはや隔世の感がある。今では、マーケティングやってる人も製品担当も、とりあえずAIという文言をつけようとしているような状況で、今までとほぼ何も変わっていなくても「AI」と付ければマスコミも取り上げてくれるような状況だ(※2)。ただ、先日も付き合いのある「AIをマーケティングしている人」から、『御社のAIソリューションは日本語が使えるのか?』という謎の問い合わせをもらったように、AIに対する理解という意味では、世の中の一般はまだまだ追いついていない状況だと感じる(※3)。

そういうことで、自分としても2018年の現場までの発展を再度理解しなおすとともに、どのようなステップで話をすればよいかを学ぶために、AIについては基礎から学び直すこととした。今日は、そのはじめとしてまず2冊取り上げたい。
なお、私のポジションは「AIを利用して何かをしたい会社に、研究開発プロジェクトを立ち上げる」というのが現場での役割なので、あまり技術的なことを"自分で"実践することはあまりない(codingをするとかはメインの仕事ではないという感じだし、自分の興味もあまりそこにはない)。


● AI発展の外観と可能性を理解する ●


2015年の出版のため、すでにこの業界ではだいぶ古くなってしまった情報が含まれているが依然として全体を概観するというためには最も役に立つと思われるのが、東京大学の特任准教授である松尾豊先生が出版された「人工知能は人間を超えるか」が、この領域を最初に学ぶには良いと思う。技術的な内容は最小限にして、AI研究の歴史的な内容を概観するとともに、現在起こっていることにどのようなインパクトがあるのかをわかりやすく書かれている。

 

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この本の中で特に強調されており、また最も重要なことは、現在のAI研究を牽引している「Deep Learning(深層学習)」が何故にそれほど重要なのかということだ。一言で言うと、この技術を使うことで、AIが「何に注目して学びを行うのか?」を人間が考える必要がなくなるのである(実際にはそんな単純なものではないが)。これまでは、AIに何かを学ばせるためには、人間がその現象を捉えるためのモデルや変数を考えてプログラムしなければならなかったのだが、Deep Learningを利用することでそういった「現象のモデリング」の問題を回避して学習を行わせることが出来るようになった(※4)。


この技術を使えば、これまではAIで取り扱うことが難しいとされていた人間の様々な活動をソフトウェアでコピーすることが出来るようになる。例えば人間だけが出来るような微妙な細工、例えば工芸作品の作成、といったものも理論的には学ぶことが出来る。もちろん実際の世界に結果を反映するためには、ソフトウェアだけではなく、ハードウェアの進化や様々な要素の統合、またAI自体の学習方法の工夫など様々なハードルが残っているが、少なくとも「理論的には」可能であると言うことが何よりも重要なのである。


一方で、2018年の現在から見ると、著者が想定していたことが想定しているスピードで進んでいないこともわかる。特に重要かつ残念なのは、この技術は日本にとって極めて重要であると言う提言があったにも関わらず、日本ではまだまだこの領域に投入されるリソースが足りていないということである。この領域を長年引っ張って来た米国はもとより、急速に力をつけている中国にも圧倒的な差をつけられているのが現状である。その最も大きな要因が、松尾先生がすでに指摘されているように「AIの発展により直接的にビジネスの結果が改善する」産業が日本には非常に少ないと言うことがあげられる。
実際には、日本にはAIとハードウェアの組み合わせにより改善が見られる分野は多くあるのだが、まだまだ経営者の視点がそこまで向かっていないというのが現状だというのが、私の率直な感想だ。とはいえ、私が勤務しているSRIでもこれから少しずつではあるが日本企業のAI活用事例を発表できるようになっていくと思う。すでに遅れてしまっているのは事実だが、あと1年・2年で「なんちゃってAI」ではない、産業現場におけるAI活用は急速に日本で広まっていくはずだ(と期待している)。


● 人工知能開発最先端の現場を知る ●


もう一つは、現在日本で人工知能を産業界で大きく牽引している清水亮さんが(当時の)日本の人工知能開発の最先端を担う方々にインタビューをした「よくわかる人工知能」だ。これも2016年の出版なので、この本が出版された時点から色々と世の中は動いてしまっているのだが、依然として方向性について理解するにはとてもわかりやすいと思う。・・・というよりも、今となってはAIについての変化が早すぎるということを実感するための良書という位置付けとしてもよいかもしれない。

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まず、本書で取り上げられているNVIDIAだが、2017年末には事実上Deep Learning の学習用のGPUではほぼ独占という立場を築き上げることに成功したものの、その地位を利用したライセンス規約変更を行なうという荒技に出た。本書の著者である清水さんもNVIDIAを使わずにDeep Learningをする方法をブログにあげたりと、一時の「NVIDIAさまさま」という状態からはだいぶ変わってしまった。

また、本書の最後で取り上げられていたスパコン開発会社PEZYの斎藤社長は詐欺事件の被疑者として逮捕をされてしまった。本書に記載されている成果とは異なるところでの逮捕のため、成果自体は依然として輝かしいものだが、今後の進歩は遅れてしまうことは否めないだろう。


本書は基本的に「清水さんが話を聞く」というスタイルなので、本人がノッている場面とそうでない場面で、あからさまにテンションが違っているのが面白いところだ。言い換えれば、この本はあくまで「清水さんが見ている世界」を表現しているだけなので、考え方に対してどのようなポジションをとるかは個人の自由である(※5)。そういった意味で、興奮しつつもかなり客観的に書こうとしている前書と、こちらではかなりニュアンスが異なる。それでも、どういった方向性に進むのか・・・といったことを知るには最先端の方に話を聞くのが一番というのは、全くその通りだと思うし、その内容をこれだけわかりやすく噛み砕いてくれる本書は入門書にうってつけだと思う。


※1・・・ここではあくまで一般的な知識レベルと比べてということであって、対象分野を研究している、例えば情報科学専攻を終了した方と比べられるようなレベルではない。

※2・・・似たような状況にあるのがブロックチェーンで、世の中のブロックチェーン・ソリューションのうちかなりのものは、ブロックチェーンを使わずとも実現できるし、Initial Coin Offering(ICO)なんかも、技術的なこととはもはや何の関係もないフェーズに入っているように見える。

※3・・・アルゴリズムという意味ではある言語特有ということはあまりないので「使える」が、日本語向けにチューニングしていると聞きたいのか、それともすでに日本語利用を学習済みなのか、Input/Outputのことを指しているのか、そういったことを明確に切り分けずに「日本語が使えるのか/使えないのか」と質問されても回答のしようがない。

※4・・・ちなみに私の大学院における研究領域は、この「現象のモデリング」である。

※5・・・本書でかなり肯定的にとりあげられている「受動意識仮説」については、自分は批判的である。厳密な意味での「意識」の定義が異なっている可能性があるが、意識は受動的なものではなく、「自分の意識を、自分が感知するまでの時間的な遅れ」があるのではないのか・・というのがスポーツなどの経験からの私の仮説・・・思いつきレベルだが。