[書評]仮説とデータをつなぐ思考法 DATA INFORMED(田中耕比古)
ホームランより打率
世の中に数多あるビジネス本は大体以下の3つの種類に分かれると個人的には思っている。
- いわゆる「すごい人」の伝記や考え方を本を読むことで学ぶ
- アカデミックから生まれた、あるいはコンサル業界で生まれた先端・最新(に見える)知見を学ぶ
- フレームワークや思考法などの考え方を学ぶ
この3つの種類の本はアプローチこそ違えて、いずれも”他のビジネスパーソンよりも優れた成果を出したい”という人向けに書かれているのは変わらない。資本主義が競争である以上、やっぱり人は他の人よりも優れた成果 = ホームランを打ちたいと思っているのだ。
ところが本作の特徴と言えるのは、その考え方を徹底的に排除していることだ。著者が本書で一貫して語っているのは、「データを上手に使う能力を身につければ”再現性”が高まる」ということなのだ。言い換えてみればホームランよりも打率主義。さらに極論を言ってしまうと、本書のアプローチだけでは再現性は高まるかもれないが、成功は約束されていない。ただひもちろん本書のアプローチを使って、成功する = ビジネスで成果を出すための方法も後半にはしっかり書かれているので、その点は安心してほしい。
データは「わかっていることを見えるようにすること」
2つ目の本書の特徴は、いわゆるビッグデータについて著者が夢を全く見ていないことだ。ビッグデータ(あるいはカタカナになる前のBig Data)の概念が出始めた頃には、”これまで取れていないデータを取れるようになることで、何か凄いことができるんじゃないか”という期待がIT業界やコンサル業界には溢れていた。・・・少なくとも、そういう期待を作ろうと業界ではしていた。
ところが実際にたくさんのデータをとって解析してみると「そんなの知ってたよ」とか「意外に普通の結果しか出ないんだね」という感想が多かったのだ。少なくともビッグデータブームの当初は「これまで断片的に取れていたデータが、以前よりもたくさん取れるようになった」ぐらいしか変化がなかったのだから、考えてみれば結果もそれほど突飛なものにならないのは当たり前なのだ(※)。ビッグデータで本当に必要なのは「これまでは人間が何となく知覚していたが、数値では表現できなかったこと」をデータ化することなのだ。これはビッグデータが話題になってからしばらく経って、IoT機器が安価になることでようやく実現が見えつつある(が、同時に純粋なデジタル空間のデータ量は爆発的に増加しているので、昔のビッグデータは今ではちっともビッグでははなくなってしまったという問題がある)。
本書ではそのような人間には知覚できていてもデータでは取得できていなかった、いわゆる暗黙知をKKD(勘・経験・度胸)と呼んでいる。そしてデータが出来るのは、次の3つであると主張する。
- KKDをデータを用いて個人に閉じない形まで昇華する
- 経験のない人間=KKDがない人間も、データを使って気づきを得ることができる
- KKDをデータを使って証明する
こう言われてみると、ベテランは自分のKKDをデータによって補強できるし、若手はKKDを使って優位に立とうとするベテランに対してデータで戦えるようになる・・みたいな姿が想像できる。もちろん本書ではもっと上等な書き方をしているのだが、データを用いて戦闘力を高めるというのは、要するに年齢とか経験の差を理由にできなくするということなのだ。
必要なのは「解釈する力」と「言語能力」
本書でも繰り返し書かれているように、ビッグデータの利用というとどうしてもその処理の方に頭が行きがちになる。少し前に統計関連の本が売れる時期があったが、あれもいってみれば統計的なリテラシーを学びましょうということで、広い意味ではデータ処理の枠内での話だった。
ところが著者は、こういった能力はデータ利用を“駆動“する力であって、成果を出すための方向性を生むことにはならないと主張する。確かにデータはどこまで行ってもデータであって、例えば「今年の売り上げはXXセグメントではYY%下がりました」みたいな話をされても、So What?となってしまうだけだ。大切なのは、そのデータが表現する結果になった理由を明らかにしたり、あるいはそのデータで読み取れた結果を持って何をするかを考えることなのだ。そしてそのような役割であれば、何も大学で数学を専攻していたり、統計の専門家である必要はないというのが著者の言いたことなのである(著者は私立文系卒でデータを用いた会社の取締役を務めているのだから、説得力がある)。
このみんなが必要と言っているテクニカルなスキルがなくても(あったほうがいいが)、十分にデータを用いて戦うことができますよ、安心してくださいという主張が本書の3つ目の特徴と言えるだろう。言い換えると三角関数が嫌で、とか、代数が不明すぎて、という理由で数学から脱落した人にも、データを利用することができるのだという希望を与えてくれるのが本書なのである。
個人的にはこの点に関しては、自分のような理系人間の方が得意なのでは・・と思うのだが、確かに文系だからという理由でできないということはないというのは同意できる。ただし大学院レベルで数学や統計をやっていた人間はそもそも頭の中ではモデルや数式で考えていることが多く、それを言語化するというトレーニングを日常的にやっているので、やっぱりその点は理系の方が有利かもしれない。
もちろん本書は上に書いてきた以外にも実用的な内容も多く含まれているし、その内容からも著者の個性が滲み出ている。例えば戦略とオペレーションが階層構造ではなく、並列/時系列的に記載されているのは著者が実際に企業を経営している立場から見ているということだろう。またコンサル出身者の方が仮説という言葉を使うときにassumptionとhypothesisの違いがあるというのは、我が意を得たりという感じで嬉しくなってしまった。
数式は全く出てこないし平易な言葉で書かれているので、その気になれば1日で読み通すことができてしまう分量だが、書かれていることは時間をおいて繰り返す読むほうが味わいが出るだろう。一回読んで、俺知ってると想わずに手元においておくことをお勧めしたい一冊だ。
※・・・例えばランダム抽出で取得していたデータを全数取得に変えても、それほど結果は変わらない。以前在籍していた米系IT企業では「統計に埋もれた傾向を全数取得で浮かび上がらせる」というアプローチを展開していたが、対象が小さすぎてビジネスにインパクトを与える規模にはならない・・という当たり前のことがわかっただけだった。
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