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カテゴリー「パソコン・インターネット」の記事

2023年8月 6日 (日)

大衆皆喜に関わった人間による”『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム”の感想(5/5) : 大衆皆喜はなぜ撤退したのか?

(その1その2その3その4から続きます)

ゼクシィという媒体のメディア的な変遷を辿る「ゼクシィのメディア史」の最後の章では、著者の 故郷である中国において発行されていた大衆皆喜ぶについて取り上げられている。日本での成功モデルの輸出に失敗したとして概ね評価としては否定的であり、実際に撤退をしていることからもその評価については妥当であると言わざるを得ない。一方で著者がその根拠として挙げているのは主に編集コンテンツであり、これまでも書いてきたようにビジネスとしての側面は考慮がされていない。またその編集コンテンツについても、明らかな誤解がある部分も存在する。この感想の最後に、実際に大衆皆喜に一時関わったものとして、その点を指摘しておこうと思う。


編集コンテンツの提供タイミングについて

本書では大衆皆喜(以下わかりやすく中国ZEXYとする)の編集コンテンツの変遷とポリシーが次々と変わっていった点に対して、どちらかというと否定的なスタンスで評価を行っている。撤退したという結論、そして本書のスタンスを考えれば、市場やカスタマーのニーズに合ったコンテンツを提供できなかったということに関して厳しい評価になるのは仕方がない。

ただしその評価の中で事実誤認をしている部分があったので、その部分は明確に指摘を行っておきたい。それは、中国ZEXYではコンテンツを出すタイミングが発行タイミングの関係で遅れてしまい「情報の鮮度」が日本と違いがあったという点だ。
確かに創業者の江副は、情報誌ビジネスにおいては「情報の鮮度」が非常に重要であるということを言っていたし、当時のリクルートにおいてその感覚は事業を問わずに維持された感覚であったと思う。ただしここでいう「情報」は、編集コンテンツではなく、クライアントから提供された広告情報のことを指しているのだ。

マッチングという事業形態を考えればわかる通り、広告情報はなるべく最新のものをカスタマーに提供することが望ましい。求人であればポジションが埋まってしまうかもしれないし、枠があるような商品の広告(たとえば不動産)であれば先着が重要になる。
一方で編集コンテンツについては、そこまでの新鮮度は求められていないというのが正直なところだ。確かに季節性があるものはコンテンツを出すタイミングが重要になるが、本書でも記載されている通り、そもそもZEXYは編集コンテンツのテーマを数カ月ごとにローテーションしていた。 言い換えれば多くのコンテンツは明確に時期を決めて”出す必要のない”コンテンツだったということだ。このことと合わせて考えても、少なくとも発行タイミングが異なるということが中国ZEXYの道のりを決定する上で、重要な要素になったとは考えられない。


中国ビジネスでの最大の困難

それでは中国ZEXYが撤退をした理由はなんだったのだろうか、という疑問が出てくる。もちろん本書に挙げられているような編集的な側面も合ったことは間違いない。編集コンテンツとは結局のところ、リボン図におけるカスタマー側を”動かす仕組み”に他ならないからだ。しかし、その4で書いたようにリクルートは情報誌をビジネスとして展開している。言い換えれば事業継続の意思決定は、結局のところビジネスとして成立するか、あるいは今後の成長が見込めるか否かにかかっている。

ビジネスとして成立していると判断し、かつ今後の成長が見込めるかどうかの予想をするためには、複数の要素を検討しなければならない。一方で事業継続のための要件というのは、意外にシンプルでもある。一言で言えば「その事業は自分たちでかかるコストを賄えているか」だ。

少なくとも自分が在籍していた期間においては、中国ZEXYはこの点でまず非常に難しい状況にあった。波があるとはいえビジネスは少しずつとはいえ成長しており、自分が作ったようにネットなどのチャンスも存在した。しかし実を言えば当時最も難しかったのは、商売の基本である「売上を回収する」という点だったのだ。

中国ビジネスに関わっている人であれば知っている通り、中国では支払いサイトが非常に長い。日本では請求書の受領から翌月払いか遅くとも翌々月払いというのがある程度スタンダードになっているところが多いが、中国では数ヶ月先の支払いというのはごく普通だ。その上、中小企業の場合には支払いが遅れたり、あるいは支払い期日が来る前に倒産(あるいは夜逃げ)をしてしまうということもある。中国ZEXYの対象としていた企業も中小企業が多く、そういった企業は請求書に沿って振り込みをしてくれるというところは少ない。営業担当がしっかり入金まで確認をして、支払い催促に行かなければ払わないというところが多いのだ。そして催促をしても100%払ってくれるわけではない。

こういった未払い(あるいは売上未回収)というのはボディーブローのように効いてくる。中国では外国企業に関わらず黒字倒産というのは普通に起こるのだが、 これを避けるためには営業やあるいは会社全体で資金回収をしっかりマネジメントしなければならない。残念ながら当時のリクルートにはそういった中国のビジネス環境の経験がほとんどなく、資金回収にはかなり手こずっていた記憶がある。

ビジネス環境の違い

上に書いた資金回収の問題に加えて、日本のゼクシィと中国ゼクシィでは環境が大きく異なる点が2つあった。一つは外資が情報誌ビジネスを展開するための規制であり、もう一つは急速なネット化だ。

まず前者の規制について説明しよう。中国では当時雑誌を出版するにあたっては「刊号」呼ばれる登録番号を取得する必要があった。この刊号は外資系には提供がされておらず、内資の出版会社にしか割り当てられない。しかも申請をすれば取得することが出来るものではなく、割り当て数に上限があった。本書でも取り上げられているような中国国内での展開スキームは、この刊号に関係する部分もあった。
詳細なスキームを紹介するのは避けるが、当時外資系で出版関係のビジネスを展開する企業はこの「刊号」を内資企業から実質的に”借りて”ビジネスを行うことが一般的だった。ただし、この方法は当時の中国ビジネスによくあるようにグレーな領域に属していたといっていい。リクルートが日本で上場するにあたり、この事業が問題になったかどうかについては、自分はすでにリクルートを離れてために知らない。だが、上場にあたってリーガルリスクを洗い出した際に、少なくとも何かしらの注意が向けられだと考えるのは当然だろう。


もう一つは本書でも取り上げられているように、中国では急激なネット化が進んでいたという事実だ。そもそも中国では日本のようにコンビニや本屋で雑誌が売られているということはあまりなく、雑誌や新聞は日本でいうところの「キオスク」のような街頭のスタンドで購入するものだった。そのため人口に比べて雑誌/情報誌の発行部数が少ないというのは、事業開始時点でもわかっていたことだった。

その情報の空白を埋めたのがインターネットだった。当時はまだスマホはなかったが、いわゆるガラケーでも情報はかなり流通していたし、ネットカフェのようなものも多く存在した。本書に書かれている通り、紙の情報誌では圧倒的なブランド力を持っている日本でも、ZEXYはインターネットで同じようにブランド力を構築することができなかった。本屋やキオスクなどの物理的な「面」を抑える情報誌ビジネスとは違い、インターネットは無限に情報を発信することができるからだ。

中国においても同じような問題は常に存在していた。その上、大衆点評のような口コミサイトも急速に盛り上がっており、中国ZEXYがブランドを構築するにはかなりのリソースを必要としていたのは間違いない。外資系企業に対してはインターネット上でのビジネスには制限がかかっていることもあり、成長し続ける競合と戦うのは難しいとリクルートが判断したとしても不思議ではない。

撤退という判断は、上記のように様々な問題を総合的に考慮しての決定だったと思う。そしてこの”撤退という学び”により、リクルートという会社は自前で情報誌/マッチングビジネスを海外で展開するという試みは事実上放棄し、M&Aによる海外展開という道を選ぶようになる。そして現在では、マッチングビジネスを海外で展開するためのM&Aもあまり試みてはおらず、海外ビジネスは派遣会社の買収とIndeedの展開を進めている。自分の中国ZEXY/大衆皆喜での取り組みは、リクルートの歴史においては失敗というカテゴリーに属する結果になったということだ。ただ個人的には、そこから中国での生活がはじまり今に至るわけで、自分の決断が失敗だったとは全く思わない。

 

全5回にわたって「『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム」を題材にして、ZEXYというビジネスについてグダグダと書いてきた。改めて強調したいのは、自分の指摘はビジネスという側面から著者の研究に対してコメントを付け加えたということであって、著書及びその元となった論文を批判したいというわけではないということだ。むしろ「『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム」は、自分のようなビジネスを主戦場にする人間にとっては新鮮な視点を提供してくれる、素晴らしい一冊だった。



2023年7月14日 (金)

大衆皆喜に関わった人間による”『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム”の感想(4/5) : リクルートのビジネスモデルはプラットフォームか?

(その1その2その3から続きます)

ゼクシィという媒体のメディア的な変遷を辿る「ゼクシィのメディア史」は、当初は情報誌として出発したゼクシィがプラットフォームへと志向を強めていったという主張を展開している。論文内におけるプラットフォームという概念が明確に定義されていないために、その論考の解釈が間違っている可能性があるが、少なくとも”情報誌(メディア)”の概念とはかなり異なっている可能性の方が高いということを指摘しておきたい。


プラットフォームとは何か

プラットフォーム(Platform)を活用したビジネス、いわゆるプラットフォーム・ビジネスについて全世界共通の明確な定義が存在するわけではない。日本語のWikipediaにはプラトフォームビジネスの項目が存在するが、他言語が存在していないことを考えると、少なくとも共通の概念が全世界的に共有されているわけではないと考えても良いだろう。

一旦ここでは話をわかりやすくするために、このWikipediaの項目に沿って話を進めいくこととする。Wikipediaによれば、プラットフォームビジネスには四つの類型があるという。

  • 仲介型
  • オープンOS型
  • ソリューション提供型
  • コミュニケーション・コンテンツ型

またその収益設計においては、次の五つが存在すると解説されている。

  1. 手数料課金モデル
  2. 月額課金モデル
  3. 従量課金モデル
  4. 付帯事業売上モデル
  5. フリーミアムモデル

リクルートは様々なビジネスを提供しているので、このプラットフォーム型ビジネスの定義にかなり近いビジネスも現在は存在している(例:Airシリーズ)。しかし当時から今に至るまでの伝統的な情報誌モデルを振り返ってみると、ゼクシィのビジネスは広告掲載型ビジネスであり、プラットフォームと定義されているようなビジネスモデルは採用していなかった。あえて上記の類型に当てはめようとすれば、仲介型 - 月額課金モデル/従量課金モデルが該当するだろうか。しかし、少なくとも2010年代の中頃までは、ゼクシィはリクルート得意の「情報誌モデル」が最も近しい定義であったと想定される(ゼクシィカウンターはちょっと違うが・・)。

 

ゼクシィという”箱庭”での競争

「ゼクシィのメディア史」でも取り上げられていたが、ゼクシィという媒体をNew-Ringと呼ばれる新規事業開発プロセスを通じて立ち上げたのは渡瀬ひろみだ。しかしビジネスとしてリクルート自身の想定よりもはるかに巨大な規模にまで押し上げたのは、のちにリクルート社長を勤めた峯岸真澄だ。彼はゼクシィの成功により有力な経営幹部候補となり、やがて社長へと駆け上がっていったのだ。ちなみに私は、リクルート時代に峯岸と何回か話したことがある・・という程度の距離感だった。

その峯岸が社内の勉強会で語ったところでは、創刊当時のゼクシィの事業規模は数10億円程度だと想定していたらしい。この数字がどこから出てきたのかは知らないのだが、いずれにしても人材領域や不動産領域と比較すれば、それほど大きなビジネスになるとは想定されていなかったということだ。
しかし峯岸は、その想定を超えてゼクシィが数百億円規模のビジネスになる道筋を示すことに成功した。それは一言でいえばゼクシィという「場の中での」競争を促進させたことによるものだった。

2000年代のリクルートではビジネスを考える時に、”オープン・マーケット”と”クローズド・マーケット”という単語を使ってまず市場を切り分けていた。オープン・マーケットというのは、市場に存在するクライアントは事実上無制限であり、営業努力によって常に新規顧客を開拓できるようなマーケットを指す。数100万社を対象とすることが可能な中途人材マーケットが代表的な例だ(※1)
一方ではクローズド・マーケットというのは、顧客の数が有限であり、かつ顧客側でも競合をある程度定義することが可能なマーケットを指す。不動産広告市場やブライダル市場が代表的な例となるだろう。

例えばブライダルにおいて最も市場規模が大きい「箱(結婚式場)」は数が有限であり、かつ地域内である程度競合関係が明確になっている。実家がそれぞれの地域に分かれているという例を除けば、一般的なカスタマーは「東京と大阪の式場を比較する」ということは行わない。カスタマーの選択肢はある程度初期段階から絞られているし、そのニーズの中でクライアント側は競争を行う。

峯岸はこのクローズド・マーケットではクライアントが相互に競争関係にあることに注目し、その広告やマーケティング観点での競争をゼクシィ上で活性化するという戦略をとった。ゼクシィがカスタマーのかなりの数をカバーできるようになれば、ゼクシィという「場」の中で目立つ、あるいは魅力的であるということが直接集客数を左右するのだ。これは言い換えれば、クライアントの全マーケティング予算の中でゼクシィのシェアを増やしていくということを戦略的に進めたということになる。


高い障壁となる紙掲載の広告費

今でもリクルートは十分な高収益企業だが、そのビジネスが情報誌=紙での情報提供であった時代には、今よりもはるかに高い利益率を誇っていた。自分は紙からネットへとリクルートの運営するメディアが変わっていく事態に所属をしていたのだが、当時はネットに早めに対応をする一方で、いかにネットへの移行を遅らせるかというのが重要な経営課題になっていた。ネットと違って紙は物理的に「場所」を押せる必要があり、既存のビッグプレイヤーに圧倒的に有利なマーケットだったからだ。

そして一度カスタマー側をおさえてしまえば、広告費をたとえ高くしたとしてもクライアント側はついてくる。何せその場所に参画しないことには、カスタマーに情報を提供することすらできないのだ。リクルートもその立場を最大限活用し、ゼクシィの掲載費は非常に高かった(流石に当時の金額を開示することはしないが、結婚するカップルがその掲載費を聞くと驚くこと間違いなしだ)。言い換えると、リクルートはクライアントの数を増やしつつも、同時に掲載費という高い障壁を作ってゼクシィへの参入数をコントロールしていたのだ。

このようなビジネスモデルをプラットフォームと呼ぶことも決して不可能ではないが、少なくともWikipediaに掲載されている類型からはやや遠いと言わざるを得ない。仮にゼクシィがプラットフォーム型へと変わっていったのであれば、それは編集側やビジネス側の意志というよりも、情報のメインの収集方法がインターネットに変わっていったということに対する適応であり、決してゼクシィが積極的に進めたわけではないと言えるだろう。本書でも述べられているように、紙の時代ほどにはゼクシィは圧倒的なカスタマー占有率を持っているわけではないからだ。

 

プラットフォームという単語は中国語では平台(ピンタイ)という。そしてこの単語は、日本語で使われるよりもはるかに多様な意味で使われている。例えば国際会議などでの個別会談の設定なども、中国語では「会議という平台を利用して・・」みたいに報道されることがある。自分は本書を読んでいて、著者はプラットフォームという単語をビジネスにおける一般的な利用法ではなく、この中国語での使い方を援用して使っているのではないかと感じた。

さらに言えば、プラットフォーム型ビジネスというのは現代の高収益企業の多くが採用しているビジネスモデルであり、ビジネスモデルの進歩の「先の方」にあるというイメージがある。著者がゼクシィの変化の先にプラットフォーム型ビジネスへの志向があった・・と想定するのは、”ビジネスモデルの進歩史観”ともいうべき前提が暗黙の上に置かれていたのではないだろうか。
すでに書いたように、リクルートという企業はあくまで営利企業として情報誌・マッチングメディアビジネスを展開している。そして意思決定においては、思想的な方向性ではなく、営利性(最近では社会性)が優先して考慮されるのだということは改めて指摘しておきたい。

 

 

※1・・・ここでいう「事実上無制限」というのは、ビジネス拡大のボトルネックが提供側・営業側にあるということを意味しており、本当に無限に顧客が増えるわけではない。

2023年7月12日 (水)

大衆皆喜に関わった人間による”『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム”の感想(3/5) : 情報誌としての視点

(その1その2から続きます)

ゼクシィという媒体のメディア的な変遷を辿る「ゼクシィのメディア史」は、雑誌という視点からその記事や雑誌の姿勢について考察を行っていた。しかしゼクシィは通常の”雑誌”とは異なり、リクルート社の発行する”情報誌"である。そこには、雑誌とは異なり「広告そのものがコンテンツである」という考え方が根底にあるということを指摘したいと思う。


読者(カスタマー)が見たい情報とは

今のようにネットビジネスが中心な時代ではおそらく実施されていないと思うが、昔のリクルートでは入社すると「リクルートが取り扱っている情報誌」と「雑誌」の違いは何か・・ということを、必ず研修で習っていた。一言で言えば、後者は「情報を見たい人が手に取り、広告を見せる」というビジネスであり、前者は「広告こそが読者に見せたい/見せるべき情報」だと学ぶ。

江副氏が立ち上げた創業ビジネスである「企業への招待」は、新卒学生に対して求人広告のみを一冊にまとめて届けるというビジネスモデルだった。彼は東京大学在学中に経験した、大学新聞の営業として求人広告を取ってくるという成功体験から、求人情報のみを一冊にまとめる本には読者(カスタマー)側にも、企業側(クライアント)側にもニーズが存在すると感じていたのだった。そしてその企業への招待には、編集記事と呼ばれるような情報はなかった。

時代と共に情報誌ビジネスも進化していき、いわゆる雑誌のような形を持ったビジネスもリクルートは展開していくようになる。しかしそれでも、リクルートのDNAに近いところで、自分達が作っているものは「情報誌である」という感覚は残っていた。カスタマーがリクルートの情報誌に求めるもののうち、広告コンテンツそのものは大きな比重を占めているということだ。
これは言い換えると、編集側は広告コンテンツをどのように見せるのか・・ということに対して、大きな責任とこだわりを持っていたということを意味する。

 

台割こそがリクルート編集の腕の見せ所

一般的な雑誌では台割というと「雑誌一冊の中でどのようにコンテンツを配置していくかを示した設計図」という意味になる。そしてこれがリクルートの情報誌になると、上記の意味に加えて「広告コンテンツをどのように整理して、カスタマーに届けやすくするか」という意味が付け加えられる(※1)

インターネットによるメディアや検索が当たり前になる前、あるいはWEB上でのマッチングメディアが当たり前になった現在においても、情報を短時間で大量に読むことを目的とした場合には情報誌や雑誌の方に優位性がある。一方で、物理的に印刷を行わないといけない紙メディアでは、複数の検索軸に対してクライアントの広告を提示するということが出来ない。そのため、読者に提示する検索軸あるいはカテゴリーは情報を届ける上で非常に重要な要素となる。

ゼクシィのように広告コンテンツが膨大な情報誌では、それだけ一つの広告がカスタマーの目に留まる可能性が低くなる。特にページの前の方に配置されるような大型ページ(1ページや見開きページ、あるいはそれ以上のページ数)を購入することが出来ないクライアントに効果を返す == カスタマーからの問い合わせや資料請求を増やすためには、カスタマーの興味関心に合わせた適切な検索軸を設定することが欠かせない。

ここで重要なのは情報誌が設定する検索軸は、単純に商品カテゴリなどの明らかな可能なものだけではなく、カスタマーの興味関心に合わせたものも設定されているということだ。カスタマーのさまざまな方向性を持つ興味関心のうち、どの軸をピックアップし、どのように配置するかという、いわば「広告コンテンツの編集」は単なる情報整理以上の意味を持つのである。言い換えれば、そこには時代時代の編集側の意図が必ず込められていたと言えよう。

 

クライアントとカスタマーの相互作用

その前提を置いた上でさらに重要なのは、特集や検索軸の設定ではクライアント(広告提供側)とカスタマーの相互作用が働いていたということだ。結婚に関する世の中のトレンドや流れは、必ずしも結婚やブライダルと呼ばれる領域だけで作られるものではない。すでにその2で書いてきたように「時代の空気」というものは確かに存在するし、カスタマーはその空気に合わせて少しずつ情報を吸収するためのフィルターの透過度を変化させてくる。

広告を出すクライアントは当然ながらその変化に敏感であり、商品や提供サービスを変化させてくる。仮にこの変化を「カスタマー主導の変化」と呼ぶとしよう。しかし情報誌ビジネスにおいては、時に競合との差別化や新規カテゴリー創出に積極的なクライアントが、新たな検索軸や考え方、カテゴリーを提案してくることがある。彼らから見るとそれは自社のマーケティングや事業戦略上の変化なのだが、情報誌上の広告コンテンツにおいては新たなトレンドが提案されていることになる。こちらの変化は「クライアント主導の変化」と呼ぶこととしよう。

リクルートの情報誌の編集は、このカスタマー主導の変化とクライアント主導の変化をうまく相互作用させることで、情報誌を通じてのマッチングをより活性化させるだけではなくマーケットそのものを成長させてきた。もちろん、クライアント主導の変化は編集が主導する場合もあるし、担当営業が主導する場合もある。

いずれにしても、情報誌の編集においては時にカスタマー側のニーズ以上にクライアント側のニーズを重要視する場面があるということだ。もちろんカスタマー側のニーズに合わなかったものは、一定の期間を経て淘汰をされていく運命にある。そもそもクライアントも広告効果を向上させることを狙っているのだから、新たな取り組みがうまくいかなかった場合には戦略を変更するのは妥当な行為だ。ただしその第一歩となる取り組みを世の中に提示できるかどうかは、編集側のサポートが必要になる。


以上のことから、情報誌における出版側(ゼクシィの場合はリクルート)の意図や姿勢をより正確に分析しようと思うのであれば、記事だけではなく広告コンテンツの分析を行うことも求められるのだ。「ゼクシィのメディア史」はこの点においては、広告コンテンツに関する言及がほぼなく、実際に情報誌を作っていた部門に所属していた自分には片手落ちに感じられたのだった。

 

※1・・・私が在籍していた時のリクルートは事業部制を採用しており、事業部ごとに言葉の使い方がかなり違っていたので、部門によっては広告コンテンツの整理軸を、台割という言葉を使わずに表現していた可能性はある。

2023年6月20日 (火)

大衆皆喜に関わった人間による”『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム”の感想(2/5) : 編集としての視点

その1から続きます)

ゼクシィという媒体のメディア的な変遷を辿る「ゼクシィのメディア史」は、雑誌という視点からその記事や雑誌の姿勢について考察を行っていた。しかしゼクシィは通常の”雑誌”とは異なり、リクルート社の発行する”情報誌"である。そこには、雑誌とは異なる視点での特集や編集記事の設計が行われていたことを指摘したいと思う。


読者を動かす仕掛けとしての編集

リクルートが発行する情報誌というのは、最終的にその広告記事を通じて、読者(リクルート用語ではカスタマーと呼んでいた)が広告出稿元(同じくクライアントと呼ぶ)への応募や資料請求などのアクションを促すことを目的に発行されている。言い換えれば、どれほどコンテンツとして面白くてユーザーの支持率が高かったとしても、ユーザーがアクションを起こしてくれなければ、商品としては失敗なのだ。

この考え方は一般的にリボン図という概念で整理がなされている。リボンの両端にいるのがカスタマーとクライアントで、リクルートはその提供する場でマッチングを起こすというのが、その図の示すところだ。この図自体は本書の中でも言及がなされており、著者も認識はしていたはずだ。しかし、残念ながらこのリボン図という概念が編集記事やコンテンツ制作にどのような影響を与えたかについては、ほぼ言及がない。

 

著者も指摘しているように、元々ゼクシィは閉鎖的だったブライダルマーケットにおいて情報を直接提供することで、カスタマーの選択肢を最大化させるということを創刊時の目的の一つとしている。この目的自体はリクルートの情報誌の中では決して珍しいことではなく、情報の非対称性をメディアを用いて是正するというのはリクルートの事業領域を決定する際の一つの基準となっていた(採用領域や住宅領域が代表的な例だ)。

情報誌のコンセプト自体が上記のように定められている以上、掲載されるコンテンツや記事が、カスタマーの強い行動変容を促すものになっていくのは当たり前だ。また実際に中にいた感覚からするとゼクシィはリクルートの中でも、かなり思想性の強いビジネスだった。それぞれのビジネスごと単にビジネスの増加以上に何らかの価値を世の中に提供したいという気持ちはあったが、ゼクシィは”ハッピーな結婚”に対して思い入れの強い人間が多い部署だったという記憶がある。

 

時代のちょっとだけ先をいく切り口の提供

ただし繰り返しになるが、リクルートの情報誌はカスタマーが”動いてくれてなんぼ”のビジネスである。あまりに強い思想性や読者層の仮定による編集方向性の設定は、その”動かす力”を弱めてしまうことになる。実際に自分が在籍している短い期間の間にも、編集長(リクルートにおいてはメディア側の事業責任者という意味合いになる)の提供したい方向性がマーケットとずれており、あっという間にビジネスが低迷してしまったメディアを見たことがある。

そういったビジネス上のプレッシャーを抱えている編集側は結果として、まさに本書の中でも言及されているように「時代の少し先をいく」編集記事やコンテンツを提供している。言い換えると、情報誌のコンテンツは決して時代の雰囲気(あるいは競合などが作る記事やコンテンツ)とは無縁ではなく、追いつ追われつの関係にあったといえるだろう。そこには確かに編集側の意思が存在していたが、それは「ビジネスがうまく回るという前提」を置いた上での意志であり、世の中に”自分が感じる”新しい価値観を提供するというメディアが時にとるような意思決定はリクルートではなされないことが多かった。

 

また本書でも触れられているように、ゼクシィという情報誌は結婚情報が必要なある時期に集中して購入される傾向が強い。本書では4冊(4ヶ月)で記事が一周するようにとあったが、編集記事の台割設定は年間単位で何回か回るようにある程度決定されていることが普通だった(※1)。通常の編集記事は「定番記事」「季節の記事」「ちょっと攻めた記事」のような形で分けられており、それぞれの台割の中で具体的な内容を決定していくのだ。

そしてこの編集コンテンツにはもう一つ、情報誌ならではの「クライアント側要望に合わせた編集コンテンツ」という枠が存在する。

 

広告側ニーズに基づく編集記事

「時代の少し先をいく」情報というのは、決して明確に目に見えるわけではない。そういったセンスのある人間にはなんとなく匂いのようなものがわかるのだろうけど、少なくともSNSやその他のメディアで”これが時代の少し先をいく情報ですよ”とラベルが貼ってあるわけではないのだ。もしそういうラベルが貼ってある情報があったとしたら、それは「時代と同じスピードで消費されている」情報か、「誰かが先だと宣言したい」情報のどちらかでしかない。

しかし情報誌を扱っているリクルートには、その兆しを掴むための方法がいくつもある。一つはもちろん読者 = カスタマー側の反応。そしてもう一つが広告コンテンツを提供するクライアント側からの情報だ。
情報誌に掲載されているクライアントは色々だから、定型情報を載せ続けたり、あるいはリクルート側(制作スタッフやカメラマン)の提案だけに頼るクライアントも存在する。しかし彼らもビジネスである以上、常に顧客(この場合はブライダル情報を求めている読者)のニーズをつかみたいと思っているし、時には新しい企画や取り組みを行っている。

 

情報誌を発行しているリクルートは時に、そういった顧客の取り組みを応援するような企画を組むことがある。これはいわゆる有料PR記事とは異なり、あくまで企画判断は編集側によって行われている。そして、そういった特集を組むことでより多くのクライアントが掲載やサイズUPを考えてくれるのであれば、編集側も積極的に企画を行なっていくこともある。

言い換えると特集や編集記事というのは、読者 = カスタマーに情報を提供するための切り口であるというだけではなく、情報誌ビジネスを経営しているリクルートにとって売り上げUPのチャンスにもなりうるということだ。もちろん編集側はカスタマーにとってマイナスとなるような企画を組むことはないだろう。しかし、編集コンテンツは売上というファクターによっても決定が左右されるし、それは時にはクライアント側が生み出そうとしているトレンドや流れを追いかけるものでもあったということは、意識しておいた方が良いだろう。

 

※1 ・・・自分のリクルート時代の上司は「彼女がゼクシィを買い続けて家の中で塔のようになり、これ以上買うと崩れてきて危ない」と感じたので結婚したという人だったので、彼氏にプレッシャーをかけるために買い続けるという人もいたかもしれない。

2023年6月13日 (火)

大衆皆喜に関わった人間による”『ゼクシィ』のメディア史: 花嫁たちのプラットフォーム”の感想(1/5)

タイトルを何度か変えて15年近く続けているこのblogの最初の投稿は2007年11月になっている。自分がリクルートの社員として上海に駐在し、ネット版の大衆皆喜を作っている時だ。自分は2008年末にはリクルートを退社してしまったので、その後の大衆皆喜には関わっていないが、人生の中で最も仕事をしたと言っていいネット版の開発は、自分にとって特別な思い出だ(いい意味でも悪い意味でも)。

その大衆皆喜を含んだであるゼクシィの創刊から現在までを、”メディア”という観点から研究したのが本書だ。本書の存在はTwitterで偶然見つけたのだが、大衆皆喜に関する研究など滅多にあるものではないので、自分が読まなければ誰が読むのだ・・という気持ちで手に取ってみた。自分はいわゆる「中の人」なので、読んでいる中で感心する部分もあれば、ちょっと違うなという部分もある。せっかくなので、複数回に分けて感想を残しておこうと思う。


読み物としての面白さとビジネス視点の欠如

自分は工学系の卒業であるし、その後はずっとビジネスの現場にいる人間なので、いわゆるメディア・スタディというのは完全に門外漢の人間だ。その自分にとっての本書の最初の感想は、とにかく読みやすく知的興奮に溢れているということだった。博士論文を元に出版された・・と後書きにはあるので元は論文形式のはずだが、商業出版物として読んでも全く違和感がない。これは著者の前職が記者だったということもあるかもしれないし、あるいは編集の方が優秀だったのかもしれない。いずれにしても研究書を読むなんて敷居が高い、と思う人がいたら、恐れずに手に取ってほしい。

またリクルートという極めて利益率の高い企業が出す情報誌を外から見るとこのように見えるのか・・といった視点を知ることができたのも素直に面白かった。特にゼクシィが最初から結婚情報誌として作られたわけではなく、広く恋愛領域をカバーしたものだというのは、知識としては知っていたが本書を読むまでは全く実感を持っていなかった。
本書にある通り今では結婚のバイブルにまでなったゼクシィが最初はXY染色体から取られた名前だなんて、ほとんどの人が知らないだろう。来歴が知られなくなっても固有名詞として残り続けるというのは、仕事としてはとても誇らしいことだと思う。

 

一方で本書はゼクシィという収益を生むための"情報誌"をあくまで、雑誌という観点から取り上げているため、リクルートにいた人間からするとビジネス視点の欠如というのは大きな違和感を感じる部分だった。”情報誌”と”雑誌”の違う点は色々とあるが、一番の違いはそのビジネスモデルにある。

一般的な雑誌というのは、メディア上にあるコンテンツに興味を持った読者(あるいはユーザー)に対して広告をつけることでビジネスが成立している。この広告というのはユーザーが興味関心を持つようなものである必要があるが、必ずしも特定の領域に閉じる必要はない。
一方でリクルートの発行している情報誌は、”広告そのものが主要なコンテンツ”である。コンテンツ+広告、ではなくコンテンツ = 広告なのだ。ここに雑誌と情報誌のビジネスモデル、そして利益率の大きな違いがある。

本書は繰り返すが「メディアとしてのゼクシィ」を対象としているため、このようなビジネス領域にまでカバー範囲を広げてしまうと焦点がぶれてしまうという懸念があったのはよくわかる。なので、自分もビジネス視点がないことが本書の”欠点”であるとは思わない。これから数回に分けて書く感想は、本書の素晴らしい研究成果に対して、ビジネス的な視点を補完するためのものだと思ってもらえると嬉しい。

感想としては以下の内容をざっとまとめて書いていこうと思う。

- 編集としての視点: 読者を動かすための仕掛けづくり
- 情報誌としての視点: 広告こそがコンテンツ
- 発行者側の視点: マッチングの場としての情報誌
- ビジネスとしての視点: 大衆皆喜のビジネス的な失敗点

 

2019年9月10日 (火)

監視国家の次の一歩: スマートグラスが世界を変える

以前のエントリーでは「幸福な監視国家・中国」の書評と、そこから日本の方向性をなんとなく想像してみた。プライバシーと監視というのは色々な要素が関係する大きな話なのだが、技術的な観点からは、監視国家の次の一歩を想像すると、間違いなくスマートグラスの実用化が大きな転換点になる。



スマートグラスと万人の万人による監視

 

すでに中国では国内の治安維持に活用がされていると報道がされてように、スマートグラスは「データの記録」という観点からも、「ARを用いた情報のリアルタイムでの検索」という観点からも、社会における監視活動の質を劇的に変えるはずだ。2019年の現在でも、交通事故の情報がドラレコで記録されたり、道ゆく人がたまたま出くわした事件をスマホで撮影する・・・というのは普通になっているが、スマートグラスが普及すれば、さらに録画のためのコストは下がる。

 

バッテリーをどうするか・・・という問題は依然として残るものの、例えばスマートグラスであれば「三回連続して瞬きをしたら、録画を開始する」といったコマンドを設定しておくことは容易なので、スマートグラスをかけている人は望んだタイミングで自由に今目にしているものを録画することが出来るようになる。

 

つまりスマートグラスが十分に普及した世界では、全てのことが録画されてしまう可能性があるということだ。もちろん人が見ることが出来ない死角(例えば満員電車の中の手の動きとか・・・)はあるものの、誰もが誰かの監視を可能にする社会が出来上がるということになる。



プライバシー、組織のルール、訴訟

 

スマートグラスが普及すると、まず問題になるのはプライバシーだろう。ほとんどの人は、知らない間に自分の行動や発言が勝手に記録されのは気持ち悪いと思うのではないだろうか。もしかしたら「記録されない権利」と言う権利についての議論が起こるかもしれない。

 

そして、おそらくこの「記録されない権利」と言う考え方は、かなりの支持を得ると思う。自分が望まない限り、記録には残りません、というのは直感的だし、自然な欲求に沿っているからだ。一方でそういった議論が盛り上がると、既に公共の場やショッピングモール、コンビニなどで多く設置されている監視カメラの存在は、矛盾したものとなる。

 

これが中国であれば「公共の利益を満たす場合はOK」という解釈で乗り切るだろうが、日本の場合はそう簡単にいかないだろう。どういった場合に録画が許可されるのか、ということを法的に決めていく必要がある。誰でも監視可能となることにより、逆に監視という行動に対して拒否感が露わになるかもしれない。



次に反応をするのは、会社や団体などだろう。今でも社内で「録音や写真撮影は禁止する」という規定を設定している会社はたくさんあるが、スマートグラスの利用を禁止する規定を作る会社はすぐに出てくるに違いない。

 

ただ、2019年現在の判例によれば「同意を得ない録音、あるいは許可がない録音であっても証拠には採用」されるので、もしスマートグラスの利用が許可されていない会社であっても、例えばセクハラやパワハラの証拠に使うことは法的には問題ないと判断されるに違いない。

 

結果として、表に出てくるようなパワハラやセクハラを抑止する効果は出てくるだろう。それがいいことかどうかというのは、おそらく議論を呼ぶであろうが、おそらくは支持する人間の方が多く、また利益を得る人間の方が多いだろうと思う。結果として、スマートグラスの活用は急速に進むに違いない。



常に緊張感を持つ社会に

 

こういった世界では、どこで誰が自分の発言や活動をデジタルデータに残しているか判断することが出来ない。そうなると、ほとんどの人が「自分の行動は記録されている」という前提で活動をするようになるだろう。ちょうど、「幸福な監視国家・中国」で運転マナーが劇的に改善されたようにだ。

 

こういった状況は、社会にいる全ての人にかなりの緊張感を強いることになるはずだ。なにせ、ちょっとした冗談やつい出た本音が記録され、時には思うままに編集されてしまい、あっという間にデジタルの世界で広がるのだから。正直いって、人間がそのような緊張感を長期間保ったまま、正常に生活することが可能かどうかすらわからない。

 

それでも、この流れを押しとどめることは中々難しいと思う。なぜなら現在は虐げられている人、あるいは我慢をしている人から見たら、現状を変えるための有力な道具になるからだ。もちろん、社会を管理する側も積極的に利用するようになるだろう。

 

Fakenewsに見られるデジタルデータ改ざんなどを考えると、このように全てをデジタルデータに還元できる世界が幸福であるとは言うことは出来ない。それでも、いずれは全ての空間がデジタル化されて、我々は今よりはるかにお行儀の良い世界に暮らすようになるのではないだろうか。そしてその世界では、おそらく「デジタルに触れない権利」について、今よりもずっと真剣に議論がされることだろう。

2014年4月27日 (日)

[書評] ビッグデータ分析に巻き込まれた時に読むとよい本

今の仕事はいわゆる「戦略コンサルタント」ともう少し業務よりの「ITコンサルタント」の間のような仕事をしているのだが、やっぱり世の中で言われるようなbig dataに関する問い合わせというのは特に昨年度下半期ぐらいからかなりある。
このbig dataという言葉、世の中に積極的に広めている会社の一つに間違いなく今自分が働いている会社があるので、功罪ともにあるというのは感じるのだが、実に曖昧かつ適当な使われ方をしているんだな~と感じる。

例えばお客さんのところにいくと「上司から○○分野でbig dataを使って、何か施策を考えろと言われまして・・・・」みたいな話をされるわけだが、だいたい7割ぐらいは「それってExcelでも十分Okですね」みたいな回答をしている※1。重要なのはデータの量ではなくて、何のためにどういったデータを利用するべきか・・・ということを考える必要があるんですよ~という話をするわけだが、だいたいの場合はお客さんは満足してくれない。なぜなら上司から求められているのは、「big dataで何かをすること」であって、今の技術で出来ることをするというわけではないのだから。


ちなみにこの傾向と言うのは何もお客さん側だけではなく、社内でも見ることが出来るのが結構厄介だ。さすがに、自分がいるような部署は実際にサービスを提供するほうなのでそういったことはあんまりおこらないが、営業のようにとにかくたくさんの商品を扱う側になるとイチイチ一つ一つの商品を詳しく勉強してくる時間もないので、とりあえずbig dataといって話を持ってきたりする(そこで修正するのが、自分がいる部署の役割だったりするわけだ)。

そんな感じで猫も杓子もビッグデータ状態なIT業界なのだが、実際に何が出来て、何が出来ないか・・ということを真正面からちゃんと解説した本と言うのは意外にない。だいたいの本は、「ビッグデータで○○が出来る」系のあおり本か、テクニカルな解説を行っていて数学に慣れていない人には開いた瞬間から眠くなってしまうような本だ※2。そういった「何が出来て、何が出来ない」という話に真正面から答えようとするのが本書だ。ただし、実際の内容の半分ぐらいは「ビッグデータでなくてもできることはたくさんありますよ」という内容なので、ビッグデータ真正面からの本というわけでもない(公平のために記しておくと、著者は僕の恩人というべき方)


会社を強くする  ビッグデータ活用入門  基本知識から分析の実践まで

Part1. 活用のための基本知識と計画41uasfh16ml
第1章 ビッグデータ活用の基本知識
第2章 ビッグデータを競争力強化に使う
第3章 事例から見る競争力強化のポイント
第4章 ビッグデータで事業構造を正しく知る
第5章 分析のための準備

Part2. 分析の実践
第6章 データ分析のステップ
第7章 事業構造の概要を把握する
第8章 顧客を軸に分析する
第9章 打ち手につなげる分析


Amazonを見ても章立てがなかったので書きだしたのだが、これを見るとわかるとおり本書は「どうやって」を追求するよりも、「何のために」を伝えるために書かれている。そして、そのメッセージはすごくシンプルで、要約してしまえば「ビッグデータを使って、顧客と自社の関係を正しく把握しましょう」ということに他ならない。

Par1では、ビッグデータを利用する前にまず最低限、自社の理解を行おうということを言う。ここで重要なのは「本当に把握をするためには、何もビッグデータである必要はありません」ということだ。著者は経営コンサルタントの経験が長く、すらっと書き下してしまっているが、まずはデータを使うためにはそれを理解するための構造を正しくイメージする必要があるということ、を伝えている。

ちなみに、この部分は「ビジネスに限っていえばそうだよな・・」とは思うのだが、研究生活の端っこをかじったことがあるぐらいの自分からすると、未知の分野では必ずしもそういうアプローチをする必要はない、とも思っている。例えば物性科学の世界では「論理関係はまだよくわからないけど、並べてみたらパターンが浮かび上がってきたので、空いているところをめがけて研究を行う」というアプローチがあり得る。論理的な関係性を作るというのは、多くの場合においては調査のための時間を削減してくれるし、アプローチの方向性を定めてくれるのでよいのだが、一方で認知バイアスになってしまう可能性があるということには注意が必要。


Part2では、一歩進んで実際にビッグデータを利用することが出来る事例について紹介している。ここで紹介されるのは基本的な方法論で、データに二次属性を追加して分析を行うという手法なのだけれど、これは実務の世界においてはかなり役に立つ。特にデータ量が少ない場合には全データ解析を行ってもあまり意味がないので、人の手を使ってしまったほうがずっと楽。少なくとも、この本を手に取る層にとってはまずこういった手法を身につけることは重要だろう。

ちなみに、この部分もビッグデータ分析をアカデミックに行おうとすると「邪道」な方法である(著者はそのことを自覚していると思うけど)。人の手を入れて二次属性を付与してしまうと、どうしても判断にばらつきが出てしまうため、本来であれば多次元空間上で距離を参考にしたり、参照データをもってきて分類学習用のデータセットを準備してあげるほうが、よりアカデミックなアプローチではある※3


繰り返しになるが本書は「まずビッグデータを使って何かやらなければ」となった企画部門の人が対象であって、本格的に統計解析を学びたいという人は別の本を読む必要があるし、自分のテーマにビッグデータがふさわしいかどうかを真剣に考えたいという人には、また別の参考書が必要となる。そういった「まずは何が出来るの」を考えたい人にとっては巻末に実際の事例があるというのはうれしい処で、とりあえず何か上司にレポートを出さなければいけない、という時にはここをまとめるだけでも、時間を稼ぐことができるのではないだろうか。

個人的には、このビッグデータ関連の話はデバイス側と組み合わせたり、いわゆる「モノのインターネット」と絡まないと活用できる領域は限定的なんだろうな・・と理解をしているのだが、否も応もなくこの世界に巻き込まれてしまった人には、本書のようなガイドブックがスタートを切るのに参考になるだろうと思う。





※1・・・最新のExcelは100万行を越えるデータを扱えるので、たいしてデータ量がないものに関しては十分に解析可能。
※2・・・理数系である自分にはこういう本も嬉しいのだが、なかなか実務イメージがつくような本がないというのも難点。
※3・・・とはいえ、こういう話をしだすといきなり「見た目上は」難しくなってしまうので、そんなのは蘊蓄を語りたい人だけが考えればよいのだ・・・というのが本書の眼セージだと思っている。

2011年1月15日 (土)

中国のグル―ポン系サービス情報その2 ~中国でも本家Grouponがlaunch? ~

先日紹介した中国のグル―ポン系サービス(「中国のグル―ポン系サービスのすごさ(?)  ~家が買える(?)クーポンもあり~」)だが、本日、アメリカの本家Groupon(以下Groupon)がいよいよ中国でもサービスを開始させるという報道がされた。進出形態としては現地インターネットサービス業者(※)のテンセント(腾讯)との合弁とのこと。
(※ 日本ではプロバイダーという表現がされていますが正確な表現ではありません)

美国团购网站Groupon发布招聘启 团购巨头进军中国(IT新闻网)

Grouponの中国進出は以前からうわさが流れてたし、提携での進出を模索しているとのことだったので、とりたてて驚くような情報ではないが「サービスを二週間以内に開始したい」との報道はさすがにスピード感があるなとは思わずにはいられない。

また合弁比率も50%同士で、感覚としてはテンセントが思いきって譲歩したな・・・という感覚。腾讯としては既に独自にグル―ポン系サービスを提供しているので、無理して提携をする必要がないような気もするが、何せサイトが乱立していることと、他の大手と組まれるよりはという判断をしたのだろうか。
(Gruponから提供される各種情報が有用であると判断したということだと思う)

また中国ではインターネットサービスを開始するためには当局への申請、または許可が必要で、クーポン系サービスは現状のところ「申請」で済むとなっている状態のため、強気で取引を進めることができなかったのでは・・というのも想像できる。

一方Grouponとしては腾讯と組むことで資本、集客および営業網を手早く手に入れることができるし、上記の規制区分の変更などに対しても柔軟に対応可能であると考えたのだと思う。また現実的に考えれば、Grouponとそれなりにうまくやっていくためには国際ビジネスの経験が必要だと思うし、そうなると組める相手というのは自然に限られてくる。腾讯は欧米でも中国ナンバーワンサービスプロバイダーとして認識されているので、ここを選んだのは自然な流れだともいえるかもしれない。

今後の展開としては、やはり現在腾讯が独自に展開しているサービスを新会社に合流させるかどうかが一番気になる。普通に考えれば自社でサービスを展開し、なおかつ子会社で展開するのは重複で意味がないと思えるのだが、中国側報道では「一から立ち上げる」という文言があるので、そのあたり今後テンセント側のプレスリリースに注目だ。

2010年11月18日 (木)

Communicationのレイヤーがずれ始めている気がする

前回日本に帰ってきた時にアカウントを取得し、Login状態を引きまわすことができるWEBアプリを利用することでTwitterを使えるようになった。1カ月ちょっとの利用で、早くも上海で友人に会うことができるというように人生を楽しくする仕掛けが盛りだくさん状態(これについてはいずれ書こうと思う)なのだが、今日はちょっとしたトラブルで何人かに迷惑をかけてしまった。今日は、差し支えない程度にその話と、今回感じたことを書こうと思う。


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今回のトラブルは、僕のつぶやきがちょっと、事実というか、対象との間に認識のズレがあって、最終的にその呟きを削除したという事件だ(たぶん、結構よくある事件だと思う)。

僕への情報伝達経路は以下のようなものだった。

① 対象が僕のつぶやきを偶然(あるいは検索して)見つける
② 対象が所属企業に連絡
③ 所属企業が中国側のmanagement担当に連絡
④ ③の方が僕の友人に連絡
⑤ ④が僕の携帯電話に連絡

④から電話をもらった時には話がよくわからなかったが、「関連のつぶやきは削除してほしい」「謝罪文をあらためて掲載したほうがよいかもしれない」とのことだった。とりあえず④の方に迷惑をかけたくなかったので、該当のつぶやきはすぐに削除した。謝罪文に関してはまるで圧力があったかのように思われると①にも②の本意ではないのではないか・・・と想像したので、いったん③の方の電話番号を教えてもらうことにした。

その後(国際電話だったのが痛かったが・・・)③と直接電話で話をして、お互いの考えていることはわかったので、とりあえずこの件は終了ということになった。ホント、③も僕の思いがスムーズに伝わって助かりました。ありがとうございますm(_ _)m.。

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まあやり取り自体はよくあることだろうなので、これ以上何かをいうこともないのだが、今回のCommunicationで、現状のソーシャル時代のcommunicationのレイヤーのずれという考えというかアイデアが浮かんだので、ちょっとそれを書いておこうと思ったのが、今日の本論だ。僕は、レイヤーのずれは二つあると考えている。


①Communication 主体のレイヤーのずれ

今回連絡のきっかけとなったのは、直接的には②の判断である。しかし、僕は最後まで誰が判断したのかを知ることはなくて、法人としての②の判断を③経由で伝えられただけだった。

個人で発言している僕としては、出来れば②の中の方にもせめてどういう立場の人がどういう意図で僕に連絡をしてきたのか・・ということを聞きたいと思ったのだが、直接話すこともかなわなかったので、結局それは出来ずじまいだった。日本企業としては当然の対応だということも理解している。

とりあえず処理を終えた後になんとなく感じたこの違和感・・・というのはなんだろう、と考えたのだが、結局行きついたのは「僕が誰と話しているのかわからなかった」という答えだった。
Social 時代の本質は法人や団体という一つの「格」と個々人が個別で、かつ同じ発言力をもつentityになることにあるとず~っと考えているのだが、これは言いかえれば個々のentityが直接かつ対等にcommunicate可能になるということだと思う。これまでは、ある組織が何かを決定すると、それが個人に届くまでには距離があり、結果として伝わってくるのは情報だけになってしまっていた(そしてそれを埋めるのが結局担当者の人柄だったりするわけだ)。情報はどうしても垂直に流れてくるのである。
一方Socialの時代では、時にはある人物が組織を代弁し(たとえば孫さんの意見はSBの意見とnearly equalであると考えていい)、時には組織自体が一つの意識であるかのようになるのだけど、その関係は限りなくFlatである。そこには発信者と受信者という関係はない。

今回はいわばTwitterというFlatなレイヤーでの発言に対し、垂直的な対応があったことに対して違和感を感じたのではないかと思っている。

② Communication 方法のレイヤーのずれ

もうひとつ思ったのが、Twitterでの発言に対して電話で連絡がくるという部分だ。ご存知の通りTwitterは容易に対象に対してメッセージを発信することもできるし、まあちょっと手間だけどプロフィール欄には僕のblogのURLも乗せているのでメールでの連絡も取ることは出来る(blogのプロフィール欄には僕のe-mailアドレスを掲載している)。

担当者としては電話のほうが早くて確実だと思ったと思うのだが、重度のNETどっぷり人間としてはやはりTwitterで連絡をもらったほうが確実だった。今回は僕がたまたま実名で発信をしていたから連絡する方法もあったわけだが、もしそうでなかったらどうするつもりだったのだろうか?・・・もし、そうなったらやっぱりTwitter上で連絡をしてきたのか、それとも放置したのかはわからない。
いずれにしても、個人的には、実名を公開しているからといっていきなり電話をしてくるというのはちょっと違和感があった。せっかく双方向性のあるメディアなのだから、そこを利用したほうがはるかに効率が良いし、結果として透明性があがり第三者へのイメージも良いと思うのだが、これはNET関係者だけの論理なのかもしれない。

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誤解していただきたくないのだが、今回の対応は①および②としては十分適切だったと考えている。多少の行き違いがあったとしても僕に軽率な部分があった。

とはいえ一方でNET上でのCommunicationについてまだ企業側が十分に理解はできていないのでは・・・とも思えたのも事実である。Socialが広告やcommunicationを変えるといわれてもうずいぶんたつと思うのだが、まだまだ『都合のよい発信装置』の一つとして思われているのかもしれない。今後少しずつでもそういう状態を変えていくためには、個々人の変化だけではなく、「格」内部での意思統一やコンセプトの徹底が必要で、それにはもう少し時間がかかるのかなと感じたのだった・・・。

と堅い話を書いたが、まあ今日はなかなか得難い経験でよい一日だった。僕がちょっと対応を変えれば炎上の可能性だって無きにしも非ずだったので、いい勉強になりました!

そうそう、対象の方はすぐにTwitter上で僕をすぐにフォローしてくれました。また変な発言をしないように見張っているのかもしれないけどw、また好感度があがりました。こういうのってとっても重要!

2010年9月15日 (水)

中国からFC2が見えるようになりました(暫定的かも・・)

世の中の話とはあまり関係のない話ではありますが、昨日から本日にかけて、中国から日本にあるFC2サーバーが見えるようになりました。

中国のインターネットはよく知られているようにグレートファイアーウォールと呼ばれる検閲が行われています。この検閲に引っ掛かった海外のWEBサイトには基本的にはつなげなくなります(ちょっとした知識と面倒をいとわない努力があれば、接続することは可能です)。
有名なところでいえば、YouTube、Facebook、Twitterなんかは全部見ることはできません。また日本側のサイトでもこれまでに、アメブロが見えなくなったり、このcocologが見えなくなってりしています。

この検閲ですが、だいたい数カ月に一回ぐらいの割合で中国政府がブロックするサイトを変更しています。以前の変更の時期は何かの手違いか日本のYahoo!が見えなくなり、さすがに焦りました(あの時はすぐに復旧したので、誰かが気づいたのでしょう)。基本的には人力で変更しているので、こういったように誤った(というか本来意図していなかった)ブロックもしばしば起こっています。どれを意図したかは外からはわからないんですが・・・。

昨日、今日の朝方と海外サイトへのアクセスがかなり不安定になっていたので、おそらくチェックをしているのだろうと思いましたが、今日確認したところ今まで見れなかったFC2に接続できるようになっていました。
ブログやまとめサイトなどが豊富なので、個人的にはちょっとうれしい事件です。