2020年1月の出張記録と東海のおすすめホテル
ちゃんと毎日の中で「書く」ための時間をとらないと。
ほぼ毎月出張に言っているので色々なホテルに泊まってみたのだが、結果として定宿として落ち着いたのは知立にあるホテルクラウンパレス知立だ。知立駅から徒歩5分以内で、和室もあり、朝ごはんも結構美味しい。何よりWi-Fiの速度が十分出るので、仕事でビデオ通話をしても全く問題ない。これはかなり重要。
引き続き冬休みを満喫中の一週間だったが、大寒波が来たあおりで上海も例年になく寒い冬となっているためほとんど宿舎から外には出なかった。ただ、今週は25日から寒さをさける+就職活動の締めくくり+友人の結婚式に参加するために台湾まで出かけてきた。実にMBAに入ってから3度目の台湾訪問になるわけだが、何度いっても台湾は(物理的な気温が暖かくて)ほっとするし、やはり上海よりも日本人が住みやすいだろうな~ということを感じる。
友人の結婚式に参加し、同級生とたちと台湾を満喫したMBA生活第73週目も無事に終了。
■ 台湾での結婚式
今回の台湾訪問のメインイベントは、同級生の台湾人カップルの結婚式に参加することである。台湾人カップルといっても、一人は 米国籍を持ちもう一人はカナダ国籍を持っている二重国籍同士の結婚式であるし、新郎のほうは中国語を話せるがかなり発音も変わっているしあまり漢字を読むことはできないし、基本的には英語を話しているように完全に華僑といってもいいカップルである※1。
今まで大陸での結婚式には複数回参加したことがあるが、台湾での結婚式に参加するのは初めてということで、今回の結婚式は自分から押し掛けて参加させてもらったのであるが、いざ参加が近づいてみるとなかなか緊張してくる。なにせお祝儀の相場もわからなければ、どういった複数で参加していけばわからない。おまけに予定表を見ると、式から会わせて8時間ぐらいもイベントが行われることになっている※2。台湾に行くまで式が中国式で行われるのか、西洋式で行われるのかもわからなかったので、服装は一応両方を持っていったのだった。
うちのschoolでは台湾人は非常につながりの強いコミュニティを作っていて、僕もそのグループとは親しくしているのだが、今回はそのグループ+僕のようにグループに親しい人間もあわせて20人以上がうちのschoolから参加することになっていた。幸いにもそのメンバーに前日から合流することが出来たので、準備に関しては全て問題なく対応することが出来た。連絡は日本でもかなり取り上げられることが多くなってきたWeChatを使って行っていたのだが、さすがに20人以上も入っているとず~~っと鳴りっぱなしである。
驚くことに今回の式には大陸からも参加しているメンバーがあった。両岸交流(台湾と大陸のこと)で大陸人がビザをとりやすくなったとはいえ、まだまだ大陸に来ることは面倒くさかったろうと思って聞いてみると、上海人ではない同級生はことのほか手続きが煩雑でビザだけでもなんだかんだで日本円で40,000円近くかかったらしい。ビザなしで6カ月滞在可能な日本人とは大違いである。
結婚式は台北市内のLe Meridienで開かれるとあったので時間より前に到着したのだが、時間になってもあまり参列者が来ない。結局人数が集まって準備が終わったのは30分ほどすぎたころで、なんというか時間厳守で一日数回転はする日本とは違って非常にゆったりしているな~と思ったのであった。
式は僕も初めて参加した形で完全な、西洋式だった。結婚の宣言も聖書の一節を読み上
げるもので、読み上げるのも新郎側の最も親しい友人代表。こういった形での式に参加したことのない自分としては非常に新鮮に見える式だった。翌日からは雨模様になった台北も当日は見事な晴天で新郎新婦を祝福してくれた(外にいても寒くないというのが、まず何より素晴らしい)。
その後少し休憩を置いて、披露宴会場に移動。12人掛けのテーブルが30席並ぶという、日本人の感覚からしたら非常に大きな会場だったのだが、友人によれば台湾ではこのくらいの規模は珍しくないらしい。同席していた韓国人同級生は、韓国ではお金があるカップルだと1000人ぐらいになり、挨拶も非常に長いこともあるので、これぐらいは楽でいいね~と言っていた。日本だと、そんなの政治家か芸能人だけだぞというと苦笑していたが。。
式に参加して驚いたのは、とにかく料理が豊富なこと。自分が払ったお祝儀の金額ではとてもカバーしきれていないのではないか・・と思うぐらい種類が多く、メニュー上に載せられているだけでも12種類のコース。それ以外にも式が始まる前に口にできるものがテーブルに並んでいて、食べ過ぎと思えるぐらいの料理を楽しむことが出来た。ず~っとどんちゃん騒ぎをしていた同級生は二日酔いで食べられなかったのだが、仕事がらみもあった自分は早めに夜は退散していたので、全て完食。
式は全体としては3時間弱だったのだが、新郎新婦挨拶を
除いては参加者は皆自由に食
べ、歩き回るということでそのあたりは大陸に近しいものがあった。大陸では毎回のようにある、司会者が歌を歌ったりマジックをしたりという(外国人には意味不明の)イベントもなく、すごく静かに進んでいく式だった。最後に新郎がドッキリで江南スタイルのダンスをさせられていたぐらいだろうか※3。
もうひとつ驚いたのは、参加者のほぼ全員が英語と中国語を話せたということ。もともと二人が出会ったのが台湾にあるアメリカンスクールと言うことで、当然と言えば当然なのだが、自分たちがschoolで付き合っている友人たちがその国に帰れば上流層(というか支出可能な金額が多い層)にいるのだな~ということをあらためて感じさせられた瞬間だった。
うちのschoolはほとんどの学生は既に授業の単位をとり終わってしまっているので、既にお別れモードに入っているのか、今回も連日連夜遊びまわって常に一緒に活動していた。自分はいろいろ私用があったり、そこまで酔っぱらいたい気分でもなかったので少し距離を置いていたのだが、こういう場に参加していると自分がいた場所のありがたみというか価値をあらためて感じることが出来て非常に温かい気分になる。
こうやって、僕たちのMBA生活も本当に最後の瞬間を迎えるのだな~と、ちょっと感傷的な気分になるのであった。
※1・・・結婚式ではBroken Chineseであいさつするよ~と言っていたが、確かに米国人が話すような中国語を話していて、途中からは完全に英語に変えて挨拶をしていた。
※2・・・大陸では結婚式にも特に正装せずに参加しても問題ない。どちらかというと、正装していると「ああ、外国人だな」というのがすぐにわかるような気がする。。
※3・・・友人たちも前に集められてダンスをしていたのだが、全員普通に踊ることが出来ていた、あらためて日本以外での浸透っぷりに驚いたのであった。個人的にはそこまで面白いとはおもわないのだけど・・・。
長い長いと思っていたIntern期間もあっという間に残り一週間となってしまい、ついに9月に突入してしまった。自分で想定していたものとは幾分ことなったInternとなってしまったが、来週はこの事業を統括しているCEO向けの発表を行うことになったので、今週は資料の作成を行っていた。といっても、これまでの報告書のストックもだいぶ残っているので、比較的時間に余裕があり淡々と作業をこなしている。夏の暑さもまだだいぶ残っているが、MBA生活第56週目も無事に終了。
■ 上海短期留学で最低限知っておきたいこと ■
この時期になると、うちのschoolに海外の他のschoolから短期交換留学で上海にくる日本人学生の方からお問い合わせをいただくことがある。うちのschoolでは留学生として学ぶために必要なビザの発給の手伝いはしてくれるものの、他は基本的には全て学生が自分でやらなければならないのだが、上海はこれだけ学生が多いわりには数カ月での短期留学に関する情報は以外に少ない※1。また他の大学とは違い、うちのMBA schoolには面倒を見てくれるような日本人はほとんどいないし(何せ日本人は毎年数人しか入ってこない)、大学内に住む・・というオプションもないので自分で調べなければならないことは多いのかもしれない。
ちなみに冷たいと言われようが何と言われようが、基本的に「自分で来たいといったのだから、出来る限り自分で頑張れ」というのが僕のスタンスなので、調べてわからないことがあったら教えてあげるけど、最初から質問をしてきた場合には「Googleで検索してください」という返信をするし、『一緒に○○をつきあってください』というのは、少なくとも一回会って手伝ってあげてもよいかな、と思うまではご協力しないという対応をしている。
正直にいえば、短期で来る方にとっては「初めての、もしかしたら一生で最初の最後の上海滞在」かもしれないが、僕は年間でそれなりの数の方から連絡をいただくし、毎回その度に全部お付き合いしていたらとても時間が足りない。ということで、せめて一回お会いしてからご協力については考えるようにしている※2。
さて話を戻すと、そういう短期留学の方が躓くポイントというのはだいたい一緒なので、今回はそのことについて簡単にまとめておこうと思う。これからは聞かれた時にはまずこのページを見てもらうようにしよう。。
1. 滞在中の家
これは特に米国のschoolから来る学生にお問い合わせをもらうことが多いのだが、上海では基本的に数カ月単位で借りられる家はマーケットには存在しない※3。中国では不動産の多くは1年契約だし(短くても半年契約)、それを前提にした契約をした場合、最初に支払う保証金は返ってくることはまずない。
ではどうするかというと、とりあえず二つの方法をお勧めすることにしている。
上海には日系のウイークリーマンションが出てきているので、そこに一週間単位で済むことが出来る。市街地中心部に多いので、生活の面では便利だが、基本的に短期駐在員用なので割高なのがネック。ただモノが壊れるとかそういうことはないし、あっても会社側がスムーズに対応してくれるので、無駄な交渉はしなくてもいい。ネットなども高速回線が不通。
こちらはどちらかというと欧米人向けにある、ホテルのように部屋の掃除をしてくれたり水を買ってきてくれたりするが、ホテルとは違いキッチンなども付いているような部屋を借りることを指す。英語で対応してくれるところも多いし、外国人がプロジェクトで数カ月来る際に利用することが多いため、月極めで借りることもできる。こちらも値段が高いのがネックだが、中国語を話せない人には便利。
これ以外で自力で借りるという手もなくはないのだろうけど、上海では家具などは全て据え付けというのが当たり前だけど、それがすぐに壊れるというのはもっと当たり前だし、水・電気・ガス・電話(ネット)の調子が悪くなるというのも普通のことなので、短期留学でそういうトラブルを楽しみたいという人以外は基本的に人に頼って生きられる家に住むのがよいと思う。中国語が話せないと交渉もできないし、かなりストレスがたまることになる(特に冬にシャワーが壊れたり、とか、トイレが逆流したりとか)。
2. インターネット(+携帯電話)
少なくとも上海に関してはインターネットはADSL回線やただ光回線が普通にあるし、そこかしこの喫茶店(Ex:スターバックス)ではFree Wi-fiが使いたい放題なので、インターネットに接続しなくてこまるということはまずない※4。ただ、中国のインターネットに関しては他の先進国では見られない問題がある。それが通称グレートファイアウォールで(Great Firewall)ある。
中国に来るのだからそれくらい調べてこいよ!・・というのは正直思ったりもするのだけど、中国はインターネットに巨大な壁があってFacebook(FB)やYouTubeといったWEBサービスにはつながらない、ということを知らずに来る方は結構多い。中国に来ていろいろ旅行したので写真をUPしようと思ったのにFBにつながらない、ということが起こるわけだ。
これを回避するにはVPNと呼ばれるサービスを中国入国前に契約しておけばよい。このVPNは無料のものもあれば、しっかり有料で対応をしてくれるものもあるので、自分の好みで選べばよいと思う。Googleで「中国 VPN」といれればいくつも出てくる。個人的に利用しているのは12VPNというサービス。
次に携帯電話だが、こちらでは携帯本体とキャリアの契約は全然別に行うことが出来るので、こちらに来てパスポートを持ってキャリアに契約さえすれば自由に携帯を使うことが出来る。SIMカード自体はすぐに手に入るので、機体はキャリアのショップで購入してもいいし、普通に量販店で購入してもOK。ただし日本と違っていわゆる「パケホーダイ」的なサービスはないので、そこだけはきをつけておいた方がよいかもしれない。二段階定額制(一定量までは定額で、そこからは従量課金)のパックはあるので、それを契約してWi-FiがあるところではWi-Fiを用いて・・・というのが、schoolの同級生の使い方では一般的である。
SIMカード自体は街中にあるマガジンスタンドでも買うことが出来るし、量販店で機体を買う際にも購入することが出来る。ただ、2012年現在ではルール上はキャリアの店舗でパスポート情報を登録する必要があるし、仮に上記のようなパックサービスを利用したい場合は、キャリア店舗で購入したものでしか対応してくれない。マガジンスタンドなどで買うことが出来るのは、プリペイド方式のみに対応しているからだ。
3.お金の引き落とし
これはすでに海外で生活している留学生にはあまり関係ないかもしれないが、お金をどうやって持ち込むかというのは結構大切な話である。まず最初に思いつくのは海外からの送金だが、中国では外国為替について管理フロート制という制度をとっているので、日本から中国の口座に現金を振り込んでもらう・・というのはかなり時間がかかる。その上こちらの銀行は結構適当なので、既に着金しているはずなのに着金確認が出来なくて引き落とすことが出来ないというのもザラにある※5。
そこでお勧めしたいのはシティバンク。シティバンクの口座を日本で開いて、そこに日本円 を入れておけば、上海にあるシティバンクのATMから中国元で引き落とすことが出来る。正確にいえばシティバンク以外の提携ATMからは一律に下すことが出来るはずなのだが、なぜか認識してくれなかったり、ひどい場合にはカードがATMに吸い込まれてしまうということがあるので、慎重な人はやはりシティバンクのATMを使う方がよいと思う。シティバンクのATMは吸い込み式ではなくて読み取り式で、カードは取り出せるので。シティバンクは中国では花旗銀行という名前で営業をしていて、このごろではずいぶんとATMも増えているので、それほど不便ではないと思っている。ただ1日当たりの引き落とし限度額が結構少ない(日本円にして10万円ほど)ので、金額が大きい場合には何日間にわける必要がある。
本当はカードのキャッシング枠を利用して中国元を下し、後で日本円の口座から引きおとし・・というのがレート的には一番いいのだが、上記の理由でカードを失うことがあるので、あまりお勧めはできない。僕個人も一度引き落としをしようとしてATMに吸い込まれてしまい、長々とカスタマーサービスと交渉する羽目になったことがある(あの時は本当に泣きそうになった)。
最後に現金を直接持ち込むという方法もあるが、法律上はあまり大きな金額を持ち込むことは禁止されているので、もしその方法を考えている人は自己責任ということで、こちらもお勧めしない。
この他にも中国では滞在する場所で届け出が必要だったりするのだが、そういったことはWEBで簡単に調べることが出来るのでそんなに心配はいらない。個人的にはもっと短期で住む外国人のことを考えたシステムが出来れば・・と思ったりするのだが、なにせこのでかい国を急速に近代化させているので、多少の不便は我慢するのは、上海を体験するためのコストだと割り切って来ていただけるのがよいと思う。
※1・・・数週間とか一カ月単位での語学留学の場合は、だいたいコーディネーターが宿舎の案内や基本的な内容は教えてくれるらしく、あまり困らない・・という話は聞いたことがある。
※2・・・当然「同じ日本人同士なのに」という意見もあると思うのだけど、日本人かどうか(国籍)よりも、友人と思えるかどうか(個人)を大切にしたいと思っている。
※3・・・個人のつながりでうまくいく人もいるのだろうけど、そういう人は対象外。
※4・・・ただし回線を個々宅に引くのではなくて、一階に一本・・みたいなことは普通にやっているので、日本で想像するようなスピードが出ることはほとんどない。schoolはさすがに高速回線が引かれており、あまりの早さに入学当初感動した。
※5・・・銀行ごとにルールが違っていて、ある銀行では外国からの送金を受け付けない国内限定口座だったのに、それを知らない日本側本社から日本円を送金してしまって現金が銀行内で認識されないままになっていた・・という事例を知っている。
Internがあるとはいえ、せっかくの夏休みで時間も少しはとれるようになったので、今まで書き漏れているMBAでのイベントなどを拾っていきたいと思う。
ということで、三回にわけて三月にビジネスコンペティションで初めて訪問したメキシコの話を書きたいと思う。
■ Business competitionって何? ■
Business competitionというと、近頃では日本でも大学生が行うInternshipでもよく聞くし、ベンチャーキャピタルが有望ベンチャーを見定めるために行ったりするので、だいぶ一般的になってきた。MBAで行われるBusiness competitionというのも基本的には同じフォーマットで行われていて、新規ビジネス提案のコンテストや、投資判断の精緻さ(正確さではない)を競ったりする。
ただMBAらしい・・というか、個人的にはMBAならではと思っているのが、Case competitionである。MBAでは実際のビジネスの内容がまとめられたCaseというものを利用して勉強するのが一般的な方法のひとつなのだが、Case competitionではもう少し長めのCaseが準備されて、短期間でそれを読みこみ解決方法を提案するという形のコンテストである。
こういったBusiness competitionは学校名を外にうることもできるし、学生も他schoolの学生と関係を作りやすいということもあり、それこそ世界中のschoolで行われている。うちのschoolも、僕は全く絡むことはなかったが、6月に中国のTOP MBAと海外の複数のschoolに声をかけてコンテストを開いていた。
このCase competition、日ごろ学んでいる内容を用いて世界各国の学生と勝負が出来るということもあり、学生には人気がある(MBA学生は基本的に勝負が大好き)。僕も以前書いたように、MBAに入ったからには一回は参加したいと思っていたのだが、実はこういうcompetitionは参加するだけでもなかなか難しい。
Competitionは基本的には1schoolから数人、または1チームの参加ということになっているので、いわば参加者はschoolの名前を背負って出るわけである。もし名門校が主催するコンテストで入賞すれば、schoolのブランドを上げることも出来るということで、school側も派遣する学生は慎重に選ぶ傾向がある。つまり平たく言えば、学内での予選があるということである。
こういう学内予選には誰でも参加できるようになっているし、日々同じような勉強をしているとはいえ、やはり過去の職務経験の有無は強く影響してくるので、ただ漫然と勉強していれば選ばれるということはほとんどない。うちの学年にも一人過去にすでにビジネススクールを経験しているドイツ人が複数のコンテストに参加するという荒技を行っていたりして、中々非コンサル/非プロフェッショナル職にはハードルが高いのが学内予選である※1。僕もこのメキシコのcompetitionに参加する前に、スペインのIESE主催のコンテストで学内予選で敗退している。
■ 幸運をつかんでメキシコへGO ■
学内予選の厳しさと、日々の勉強+Japan Tripの準備もあり、正直言ってcompetitionの参加は難しいかな~とTerm2(1月~3月末)の頭ごろには思い出していたのだが、そこに訪れた幸運が僕が参加したメキシコのcompetitionである。competitionの連絡は、学生委員の担当者から全校生徒に送られてくるのだが、これを読んだ時に「ぜひとも参加せねば!」と思ったのだ。
competitionはschoolの代表者として参加するとはいえ、その旅費全てをカバーしてくれるわけではない。うちのschoolはそういうところすごくビジネスライクなので、参加するcompetitionのランクに応じてカバー率を決定しているのだが、全額カバーは本当に数えるほどしかない。つまり、足りない分は自腹である。
ccompetitionはヨーロッパやアメリカと言う、いわゆる「MBAの本場」で行われるので飛行機代だけでも馬鹿にならない金額がかかる。一週間も滞在するわけでもないのに、その飛行機費用を自腹で払うのは正直いたい※2。ところがこのcompetitionはそれほど世界的には有名ではないschoolが主催するため、学生を世界から集めるために費用は全額負担してくれるとのこと。しかも場所はこういうことでも無い限り行く機会がなかなかないメキシコである。・・・これはチャンス、と考えたのである。
このbusiness competitionはちょっと変わった形をとっていて、各schoolからMBA学生を集めた後、いったんschoolはバラバラにしてチームを作るという事にしているらしい。そのため・・というか、なんというか、校内予選はチームごとのcompetitionではなく、各メンバーが「いかにこのcompetitionに参加したいかを表現する」という、なんだか日本のAO入試みたいなお題であった。既にメキシコにただでいけるという魅力に取り付かれていた上に、予選がないということで、必死な思いで参加用エッセーを書くモチベーションがわいてきたのであった。
春節期間というのは、日本のお正月みたいなもの・・・と言われているが、実際はそれよりも遥かに中国に取っては大きなイベントである。とにかく皆が実家に戻るか、お金持ちは外国に出てしまうため、街の機能はほとんど止まる(それでも上海は新年発売をしたりするので店はあいているが)。もちろん、うちのschoolの同級生たちも旅行に行ったり、田舎に帰ったりする。
僕のように基本的に(泥酔していない限りは・・)毎日全てのメールをチェックするようなタイプとは違い、中国人は休む時はきっちり休む。そして、都合のいいことにこのメキシコのcompetitionは春節期間の休み中に情報がシェアされたのだ。・・つまり何が言いたいかというと、ライバルがいつもに比べてぐっと少ないということである。
今から振り返っても実に幸運なことに、このcompetitionは「休み中でそもそもライバルがそ もそも少なく」「メキシコというそれほど人気がない国で」「自分に取っては興味津々」なイベントだったのだ。ここまでくれば、意地でも参加するしかない・・ということで、春節休みを利用してえっちらおっちらエッセーを書き上げた所、実際の応募人数はわからないものの、とにかく無事に派遣されるメンバーに選ばれることに成功した。
ということで、全てにおいてルーズなインド人同級生とともに、無事にメキシコにあるIPADEに3月上旬に「タダで」いけることが決まったのであった・・・(続く)
※1・・・ちなみにこのドイツ人学生は自らのキャリアに対する欲望に忠実に行動しているため、コンテストには参加するがグループワークはほとんどしない、ということで一部の学生からは大変嫌われている。僕は幸運にも彼とはチームになったことがないが、他の企業派遣のフリーライダーと一緒になって大変いらついた経験があるため、ドイツ人への印象が大変よろしくない(本当はそういう印象はよくないのだが、複数人の印象が重なるとどうしても・・・)
※2・・・schoolの方針でこういうcompetitionに参加しても授業を欠席する事はまかりならん!ということになっているので、授業欠席数を最小にするためには弾丸ツアーにならざるを得ない。
(前回の更新プノンペン編から一週間も空いてしまった。。カンボジアから戻ってきてからやや体調不良でグズグズしておりました)
プノンペンはしっかり詰め込んで観光をしたこともあり、わずか1日で観光を終えてバスでアンコールワットがあるシェムリアップに向かうというのが当初からの予定。事前の情報だと船のほうが早いし、楽しそうということで船で行こうと思っていたのだが、今は乾期で船は使えないらしい。ということで、ホテルでバスを予約して片道約6時間の道のりを異動することにしたのであった。
シェムリアップは日本でも有名なアンコールワットがある街である。僕はアンコールワットと いう名前自体はずいぶんと小さい頃から知っており、子供この頃に読んだ漫画で地球の七不思議を解説する本で名前を知ったのが初めての出会いだ※1。まさかあの小さい頃には自分がアンコールワットに行くなんて夢にも思わなかった。20年目(もう少し長いかな・・)の出会いである。
シェムリアップはプノンペンと比べても「観光地」という感じで、
外国人ばかり。この時期にな
んでこんなに外国人が多いの・・・と思ったのだが、どうやらかなりの数の人が春節を利用してきているようだ。シンガポールあたりから来ていると思われる学生らしき若者たちも結構見かけた。後はアジアで長期滞在をしているヨーロッパ人。中国人と韓国人ももちろんたくさんいたのだけど、日本人は休みの関係であまり見なかった。
街並はすごく奇麗だし、食べ物は中国と同じくらいの値段、しかもホテルは奇麗な上に暖かいと、もうついた時からすっかりシェムリアップはお気に入りの場所になってしまった。お酒を飲みながら二階から身を乗り出して歩いている人を見るのが楽しいのだな。
シェムリアップ到着日は軽く街を歩き回ったり買い物をしたり
して、いよいよ翌日はアンコー
ルワットに出発。同行している友人が言うには「日の出がすごい」というので、朝5時に向かったのであった。チケットを購入して、まだ真っ暗な道をアンコールワットに向かって歩いていくと、少しずつ観光客が増えてくるのがわかる。入り口に向かって左にある池の辺りが観光客が集まる場所らしい。
自分もここで日の出を待とうと、懐中電灯に群がってくる虫をよけつつ日の出を待つために慎重に池の橋に腰をおろす・・・はずが、見事に足を滑らせて何百人という観光客の前で見事に池に落ちる自分。。。幸いながら全没は免れたものの、右半身は確認するのも嫌なほど汚い池に
見事にダイブしたのであった。
ちょうど前の日の晩からMBAのWi-Fiがつながらなくなってそこに気がいってたせいもあるんだろうけど、まさか自分だけ池に落ちるとは。。PCを置いてきたのがせめてもの救い。もし鞄に張っていたら間違いなく成仏するはめになっていただろう。
と、出だしは最悪だったものの、日の出によって空の色が少しずつ変わっていくのは絶景そのもの。右半身がグショグショであることを一生懸命脳みその片隅においやって、変わりゆく光景を楽しんだのであった。日があがってからアンコールワットの偉容がすっかり目の前に広がる。事前の勉強をまったくしなかった自分はひたすら同級生の後についていくだけだったのだが、これまで写真で見たような光景が目の前に広がっているというのは、やはり格別である。観光客が多い・・といっても、万里の長城に比べれば全然ましだし。トイレもきれいだし(これ、自分にとってはとっても重要)。とにかく一日で全部を見るのだ!と同級生が急かす
のでほとんど休みも無く、アン
コールトムを見学し、さらにしっかり象にまで乗ったのだった。旅に行くと必ず動物に乗るということを心がけていて、これまでラクダ・馬・象は達成したので、次は何に乗ろうか。。
■ さらに古き都へ ■
翌日はこれまた友人が「オレは余り人が行かない所に行ってみたいんだ!」と主張し、特に僕も反対する理由はないので、コッケー(日本語のHP調べるとコーケーという発音が多いが、たぶんコッケーのほうがより近いと思う)というシェムリアップから150kmほど離れた遺跡に車をレンタルして向かったのであった。Lonely planetをしっかりチェックし片時も話さないのに、人が行かない所に行きたいというのは、若干の矛盾があるのでは・・という気もするが、そういうことは面倒くさいだけなので、黙ってついていく。
朝7時には出発して、9時過ぎにはついたのだがコッケーは
確かに人がいない。ここで観光
客向けのお店を開いてはたしてやっていけるのか・・・と心配になるぐらい人がいない。
確かに遺跡も余り修復されていないし、一般向きではないのかもしれないけど・・・でも、実はココこそがこの旅の一番感動した場所だった。半分崩れているような寺院をゆっくり抜けていくと、ある場所で突然視界が広がり、目の前には巨大なピラミッド型の建築物!自分が一瞬どこにいるのかわからないぐらいの、存在感で目を離すことが出来なくなってしまう、そんなパワーがあるピラミッドだった(それまで崩れている遺跡のせいで、一切影も形も見えないのがミソ)。
そこからはさらに車を一時間ほどのベンミリア遺跡に向かう。ここにはとにかくたくさんの子供たち。中国ではこういった子供を利用して親が仕事をしないで暮らしている・・という例があったりするのだが、カンボジアはどうなのだろうか、ということを思いつつ買い物をせずに通り過ぎる。こういう場所はやはり自分にはちょっと精神的にしんどい。
遺跡は本来は入り口だったと思われる場所はすでに崩壊しており、横から入っていく形になっている。ここだけではないのだが、名付けて「勝手にガイドさん」がここにもいて、"This way!"と盛んに誘う。これはガイドが終わってからお金を請求するという意味で、リスクがガイド側にあるものの、せっかくガイドもしてもらったし・・・とつい払ってしまうのがうまいところである。中国なら絶対最初に値段交渉から入るだろうに。
この遺跡ではちょっと違う道のりを行ってみるのも面白いか
も・・・と思ってガイドの子供たちについていったのだが、これが観光的には大成功、体力的には大失敗。崩れている遺跡をドンドン上っていくのだが、体の軽い子供たちと違ってリュックを背負っているわ、おっさんだわ・・で汗をダラダラとたらしながら必死についていったのであった。気がつくとかなり高い場所にあがっていて、こっからどうすりゃいいの?という場所では、Jump!と何事も無いように行ってくる。下には石がごつごつしてるし、おちたら死んじゃいそうなんですが・・・。"Careful!!"と一応声がけをしてくれるのだが、今までの人生で最も実効性のないCarefulである。最後は這いつくばるようにして無事にゴールに到着。団体旅行で来ている中国人には汗をダラダラ流している謎の日本人と思われたことだろう(日本語一度も使わなかったら中国人と思われたかもしれんが)。
最後にお金を払う段では、こういう場所ではついついお金を
たくさん払ってしまい、同行の
友人は「そんなに払うなんて、なんて面倒くさいやつなんだ!」と呆れていたが、外国人として出来るのはこれぐらい。確かに、同じ1ドルを払うのであればNPOなどに寄付した方がきっとレバレッジも効くだろうということはわかっている。中国でも目の前の子供にお金を渡すというのは、ほとんど意味がない(価値がないとは言わない)ということも知っている。でも、それでも、がんばって交渉して値切って「フェア・プライスになった」というよりは、こういう時は自分の心に従っていきたいのだ。
■ 人が神に奉仕する国 ■
最終日には友人はシェムリアップからベトナムに移動すると
のことで、別れて街をブラブラ
していたのだが、プノンペンよりも遥かに立派な国立博物館があるのを見つけたので、そこで時間をつぶすことにした。中はかなり細かくクメール王国の歴史と美術が陳列されていて、かなり勉強になる・・・のだが、英語で専門用語があったりして確実にわかったわけではないのがちょっと残念。神様の名前とかはやはりカタカナか漢字で覚えているので、英語で表示されているとなかなか違和感があるのであった。
アンコールワットは確かにすごい。これを1000年近く前に人 力(あとは象のパワー)で作ったとはとても信じられない。ただ、これだけの巨石文化を残したクメール王国というのは、いったいどんな文明だったのかと思うと、何とも微妙な気持ちになるのも事実である。日本にも古くから続く仏教のお寺はたくさんあるし、そういった為政者たちの宗教への投資(というか当時はそれこそ政治 −まつりごと− だったわけだが)が文化を創ったというのは疑いようもない事実である。しかし、一方でこれだけの労力を投入するというのはどれほど王国が豊かであったとしても、やはり一般の人々への負担は莫大だったに違いない。アンコールワット遺跡を歩いている間にずっと思っていたのは、クメール王国というのは「人が神に奉仕した国」だったのではないか・・・ということだった。
今となってはその遺跡により外貨を稼ぐことが出来ており、カンボジアという国の再建をす るには欠かせない資産であるというのも、同じように間違いのないことだ。そして、例えば僕の友人のように失われた東洋文化を尊敬するものもいれば(特に彼はアメリカ人なので、ホワイトハウスよりも古いものは素直にすごいと思うらしい。日本にきたら大変である)、僕のように何か表現できない敬虔な気持ちを抱くものもいるだろう。そこには「人が神に奉仕する」という雰囲気はどこにも無い。それでも、遺跡にたくさんいる子供たちを見ると、この国にもう少しだけでも神のご加護があってもよいのではないか、とふとそんなことを思ったりもしたのだった。中国で外地人の子供たちと一緒にいる時と同じように、自分が何を出来るかは、まだ見えないのだけど。
※1・・・七不思議と言ってもいろいろあるが、とりあえずその漫画にはほかにはストーンヘンジ・モアイ像・マチュピチュ・ピラミッド・万里の長城が入っていたような気がする。この中でいったことがあるのはまだ万里の長城のみ。先は長い。
先週の報告にも書いたように、春節期間中のお休みを利用してカンボジアに行ってきた。上海に来るまでアジア圏の国はほとんどいったことがなかったので、カンボジアはもちろん初の訪問である。当初はこの寒いときだからこそ寒い国に行きたいぜ!と、韓国に行く予定だったのだが、アメリカ人の同級生がアジアを回りたいと誘ってきたのでそこに便乗させてもらったのである。そういうことで、僕はカンボジアについてはほとんど予備知識を持たず、それどころかガイドブックも持たずにただくっついていくだけのお手軽旅行ということで、カンボジアに向かったのであった※1。
■ プノンペンの町並み ■
まったく事前の情報を持たずに行ったとはいえ「カンボジア」という国名は僕にとっては、
ちょっと印象の強いものである。たぶん僕の年齢(1980年生まれ)よりも年上の人には、カンボジアと言えばPKO活動で初めて日本の陸上自衛隊が海外に派遣された国、として記憶されているのではないだろうか。ちょうどその頃は僕が国際問題に興味を持ち始めたころだったので、カンボジアという名前はUNTACの明石さんの名前とともに、僕の脳みそにしっかり記憶されている。まあ過去の名前を知っているからと行って、それが今の
国情を理解する上では全く役
に立つ訳ではないのだが、とにもかくにもそういう思い入れのある国に行くということで、結構胸躍るものがあった。
寒い寒〜い上海を夜に出て、プノンペンについたのは≈
深夜のこと。言語がわからない国に
来るのは本当に久しぶりのことだったので、まったくわからないクメール文字を見るとちょっ
とドキドキする。・・・というか、ホントに何かいてあるかさっぱりわからない。タイに行った時もそうだったのだが、もし眠りから目覚めて周りがすべてクメール文字だったら、自分が地球にいることすらわからないんじゃないかと思う※2。
自分のホテルがある場所はいわゆる「ナイトスポット」だった
らしく(ホテルはすべて同行友
人がセレクションしたのだが)、周りには怪しげなお兄ちゃんやらあきらかに客待ちの女の子、そしてたくさんの白人がいる。初日は疲れていたので、その辺りをブラブラするだけだったのだが、アジアのナイトスポットというのはどこも同じような匂いがするものだな〜というのが、最初の感想。中国人客もしっかりいるらしく夜总会の看板も出ている。日本語の看板だけは見ることがなかったし、周りには日本人が全然いなかったのだが、これは春節休み中だからなのかもしれない※3。
到着翌日(実質初日)はプノンペン観光をするぜ!と友人が
言うので、そこにテクテクとつ
いていくことにした。まずは向かう先は王宮と国立博物館である。どちらもホテルからは2kmも離れていないということで、歩いていくことにした。そちらのほうが街並を見ることも出来るし。プノンペンの街並は、なんというか中国の二線級都市に似ている。きれいに舗装されているのだが、あまり高い建物はなく小さい商店が軒を連ねている。移動もバイクタクシーかトゥクトゥクを利用するということで、ここら辺も感覚的には似ている(中国の場合は三輪タクシーだったりするが)。
王宮と国立博物館はいずれも、とても宗教色の濃い建物で「全然敬虔な信者ではないが、何となく仏教を信じている」極めて日本人的な僕にはすごく面白い建物だった。解説を読むとカンボジアは最初はヒンドゥー文化の影響が強く、その後は仏教の影響が強くなったとあるのだが、確かに弥勒菩薩とシヴァ神が並んでいるというのはとても不思議な気がする。ちなみに典型的なゲーム少年だった僕はシヴァとかラクシュミとかそういう名前を聞くと、ついニヤニヤしてしまうのであった※4。
カンボジアといえば、忘れては行けないのが・・・クメール・ルージュ。僕は上記のように UNTACの頃はかなり熱心にニュースを見ていたし、上海に来てからは中国の近代史(とアジア各国との関係)を勉強するようにしているので、それなりの知識があると思っていたのだが、実際に現地に言ってみると、何ともやりきれない気持ちで一杯になってしまった。
行く前に以前購入した『独裁者の教養』のポル・ポトの項を読んでいったのだが、実際に現地にたってみると僕にはクメール・ルージュというのは、・・・愚行以外の何者でもないように思える。どんな歴史にしてもそれなりの必然性があり、常に良き所と悪しき所があるものだが(たとえその天秤の傾きが厳しいものであったとしてもだ)、果たしてクメール・ルージュがカンボジアとカンボジア国民に何かよきものをもたらしたのだろうか。800万人中の300万人がわずか数年の間に死亡する、それがクメール・ルージュの統治だった。
現在はクメール・ルージュの跡地は歴史にその記憶を残す
という意味をこめて、トゥール・
スレン収容所とキリンフィールドが公開されている。
キリングフィールドは実際の処刑が行われた場所を整理した場所で、だいたい1時間半ぐらいで回ることが出来る。敷地はものすごく小さいのだが、日本語にも対応したイヤホンガイドを聞きながらゆっくりと歩いていく。イヤホンからは「今でも元は衣服だった布や歯が出てくる」と聞こえてくるのだが、実際に僕も歯が地面から出ているのを目にした。
トゥール・スレンはそのキリングフィールドに送られる前の収容所である。実際に殺人が行われたこともある教室がそのまま残されており、とても重い雰囲気だった。敷地内には入所時に撮影された人々の何百という写真が飾られているのだが、毅然としている顔・虚ろな目をしている顔・諦念した顔、とすでになくなってしまった方々の表情がそこにはある。もう少し若いころにいったら、フラッシュバックを起こしてしまったかもしれないし(実際それを最も恐れていたのだが)、昔よりも余裕を持てるようになったのか、何とかすべてを見て回ることが出来たのだった。
■ 同行同級生はしっかりもの ■
同行した同級生は、アメリカで投資銀行につとめていたいわゆるinvest bankerだったのだが、なぜかemerging marketに興味があるという理由でCEIBSに来た変わり者である。ほとんどの欧米人はスペイン人をのぞき、それまで中国で働いたことがある・学生時代から中国語を勉強していた・華僑系、と何らかの縁を感じさせるものがあるのだが、彼は本当にそういったものは一切ない。スクールでは学生委員会の書記長(こういうボジションがあるところがすごく中国的だと思う)をつとめているしっかりものである。これまではそんなに親しい訳ではなかったので、なんで一緒に旅行したのかは旅行が終わった今でも謎のままである。
そのしっかりモノの彼は、当然旅の準備もしっかりもので、なんとWEB service (Couchserfing)で現地の女の子と事前にアポを取っていた。こういう積極性はやはり欧米人の真似はとても出来ないと思わせる。ということで、夜はそのネットで知り合った女性と落ち合ったのだった。彼女は中国系カンボジア人で両親は米国在住という国際派。英語・クメール語・広東語・普通語・ベトナム語の五カ国語が話せて、カンボジア政府のスポンサーで日本にもいったことがあり、現在は投資会社に勤めつつ夜はDJをしているという、正真正銘のUpperクラスである。
厚かましいことに彼女の車でバーまでつれてってもらい色々
と話を聞かせてもらったのだ
が、カンボジアも数年前までは日本語がかなりはやっていたものの今ではすっかり韓国語に押されているらしい。やっぱり少女時代のパワーはすごいんだな。。
彼女は中国系の血も入っているし、実際に中国語が話せるらしいのだが今では年ごとに増えている大陸からの中国人観光客は「大嫌い」らしい。彼女に言わせれば、華僑中国人は現地文化とうまく融合しようと努力してきたのに、大陸人は金の力で彼女たちが守っていたものを壊していくのだという。確かに・・・そういう所は否めないかもしれない。彼女は自分がカンボジア人であるということに誇りを持っているし、国が良くなる方向に進んでほしいということを強く言っていた。日本に行ったときには「日本人らしいね」と言われたことがたびたびあったが、大変不愉快だったらしい。『それは、日本人である我々からすると、あなたを仲間の一人だと認識していますよ、という意味なんだよ』と伝えて数年分の誤解をといたのだが、cultural gapの一端をみた気がした。
今回のカンボジア旅行はアンコールワット訪問がメインなので、プノンペンは実質一泊で終了。翌日にはシェムリアップに向かったのであった(続く)。
※1・・・さすがにVISAについては国ごとによって異なるので、自分で調べていったが。わざわざ日本向けページからDLして記入もしていったのに、全く役に立たなかったので、事前に撮影しておいた写真だけを準備しておけばカンボジアには入国できる(ことがわかった)。
※2・・・タイは会社の社員旅行で行ったので、全部お任せ状態で文字を心配する必要もなかった。上海に来てから行ったのは、ほかには香港・台湾・シンガポールなので全部中国語で問題なし。
※3・・・僕は中国にいて「ちょっと来て何かを断定するような記事を書く人たち」に結構辟易しているので、もし僕の記述でおかしいところがあったら、コメント欄で訂正いただけるとありがたいです。
※4・・・今ではすっかり生温くなってしまったが、初期の頃の女神転生シリーズは僕の中で「忘れられない名作」である。
※5・・・いつか書こうと思ったまま延び延びになってしまっているが、この本、さらっと書いてあるものの現代中国に関する本質的な見方がズバリ書いてあるので、これから中国で働きたい人は一度は読んでおくといいと思う。ちなみに著者とは知り合いですが、知り合いだからってほめてるわけではございません。。
僕は上海で過ごし始めてから5年目にはいるし、日本企業に関してはどちらかといえば批判的で日本企業に戻ろうとはあまり思えないし、もともと日本人としてはかなりはずれ値のほうにいるほうなのだが、じゃあ日本が嫌いかというとそんなことはない※1。長い間武道をやっていたし、米がなければ生きていくのが難しいタイプの人間である(麺でもいいけど・・ドイツが好きなれなかったのはそれが理由)。歴史に関しても理系にしては知ってるほうだと思うし、お寺巡りは僕の趣味の一つである。
そういう僕にとって、日本をより海外に広めたい・・というのはすごく自然な動機である。そして、MBA学生には時間と心の余裕と(少なくとも何割かの学生には)財布の余裕がある。ということで、4月のTerm2終了後に学生たちを引き連れて日本への旅行企画、通称Japan Tripを企画することにした。
■ Japan Tripとは何ぞや? ■
そもそも、このJapan TripというのはMBAではきわめて普通に行われているイベントである。
ここ数年はかなり少なくなってしまったが、日本人はだいたいどこのMBAスクールにも数人はいる。そういう学生の多くが、留学先のMBAスクールでJapan Tripを企画してきた。例えば現在はライフネット生命の副社長を務めている岩瀬さんも著書でJapan Tripについて書いている。
しかし、実は僕が在籍しているCEIBSではJapan Tripが開かれたことが一度もない。まず、そもそもアジアのMBAでは日本人が少ない。僕の学年も僕をのぞけばもう一人しか日本人はいないし、今年は香港を入れても一桁の日本人学生しかいないはずだ。Japan Tripは考えるべきことも多いしロジも手配しなければならない。スポンサー獲得を行うschoolも多いと聞いているし、とても一人ではさばききることができない(僕たちもスポンサーを獲得するだけの余力はたぶんない)。
MBA学生として普通に勉強×就職活動をしながらの旅の企画はなかなか大変だ。我々とはライバル(これはあくまでランキング上の話)のHKUSTも、数年前に一人の日本人学生がイニシアティブをとって始まったと聞いている。
もう一つは、大陸にあるschool独自の要因で、大陸学生が日本のVISAをとるのは非常に面倒くさい手続きと厳しい条件があるということだ。
ここ二年で日本向けの個人旅行VISAが緩和されて、かなり取得が楽になったがそれまではかなり厳しい条件が存在していた(Invitationが必要だったりする。ちなみに今でも対アジア向けにはInvitationが必要になる。日本はそんなに簡単に入れる国ではないのだ)。さらに我々学生は職業につていない=収入がない。これはVISAをとる上で大きなマイナスなのだ。現在は収入なしでもOKだが、それでも口座に一定以上の金額があることが求められる。
たぶん過去の日本人学生の中にもやりたいと思った人もいたはずだが、上記の条件、特に二つ目はなかなか超えがたい壁だ。今回は幸運にも日本人学生が二人いる+VISA条件が緩和されたということで、CEIBSとして初めてのJapan Tripを実現することができそうである。
■ Japan Tripの目的 ■
MBA学生というのは基本的にわがままな生き物である。彼らに一つのパッケージを押し付けるような旅行を企画するのは、だいたいどこのMBAでも苦労していると聞く。
そもそも、Japan Tripというのは企画しようがしなかろうがもちろん成績には関係ないし、就職に有利になるわけもない。いわば完全なボランティアである。それではなぜJapan Tripをするのかというと大きく分けて二つの理由がある。
日本は勢いはなくなったとはいえアジアのビジネス大国であることは変わりない。しかも、低金利化で投資用のお金はあまりに余りまくっている。一方、CEIBSで学んでいる学生は将来自分で企業をしたいという意向をもっている学生は少なくない。そういう学生にとって日本の投資環境や進んだインフラを紹介することは、非常に有益な経験になると思っている。まだ詳細は詰まっていないが、できれば日本のMBAや、VC業界にいる僕の友人たちを紹介したいと思っている。これは日本にいる方にもメリットになるはずだ。
日本にいない僕は残念ながら、震災の影響が今はどのように日本社会で受け止められているのかというのをネットを通じてしか知ることしかできない。しかし、海外にいる自分からすると、昨年の地震は少なくとも日本の技術面や情報公開に対する姿勢を疑わせるものになったと感じている。今回のJapan Tripでも現在も原発の影響を聞かれることは多いし、家族にまず話してみないといけない、という学生もいる。こういう海外の人たちに、我々日本人を通じて、日本はかわらぬ美しい国であると伝えたい・・・というのがこの旅のもう一つの目的だ。
いわば、この旅を通じて未来のビジネスリーダーに日本との結びつきを強めてもらおうというのがこの企画の趣旨である。
・・・というのは半分は嘘です、すいません。
たぶん一緒に企画をしてる同級生は違う目的を持っているかもしれないけど、少なくとも僕がこの旅を企画するのは「楽しそう」だからである。はっきり言ってそれ以外の理由など、いらない(もちろんメリットも考えてるけど)。
想像してみてほしい。ほとんど日本を知らない海外の人間と一緒に京都を散策したらどんな会話をするのか※2。一緒に大阪のB級グルメを楽しめたら?自分が学生生活を送り、働いていた東京にきて、渋谷のアナーキーの状況を目にしたら?新橋の飲屋街で酔っぱらう人たち(これには僕も含まれる)を見せてあげるのもいい。
このごろ僕がず〜っと考えているのは、とにかくこういう楽しいイベントをどれだけ「想像して」「実行できるか」で人生がドンドン前向きに回転をするのでは、ということである。もちろん人数が何人集まるか、とかVISAはちゃんと取得できるかとか悩み事はつきない。今回もたくさんの人の力をかりなければならないだろうし、腹立つこともあるだろう。でも、それはいわば人生における「投資」。There ain't no such thing as a free lunch. これから3ヶ月は悩みつつも、楽しい想像をエネルギーにしてがんばれそうです。
※1・・・MBAに来てからほぼどの国の友人からも「理解するには複雑すぎるし、面倒くさい人間だ」と言われるので、全世界的にはずれ値にいる可能性がかなり高くなったな・・・と思っている。あ、僕ははずれ値であることに基本的には喜びを覚えるタイプです。
※2・・・日本と言えばアニメとAVというのが、少なくともアジア人(主に男性)の共通の認識だと思う。企業名は有名だが、この20年の停滞のせいで、すっかりサブカルの国となっている。別に僕はそのことは悪いとは思わないけど。
部屋を分けたおかげで爽やかな朝を迎えることが出来た3日目。フフホトにはもう見る場所
がなくなってしまった(たぶんあるんだろうけど、それほど有名ではないと思われる)ということで、電車に乗って隣町の包头まで行くことにした。隣町と言っても西に約300km行ったところで、電車で3時間ほどかかる。情報は友人が持っているガイドブックしかなかったのだが、ホテルも無事に取ることが出来
たのでフフホトに別れを告げて包头に向かうことにしたのだ。
中国ではいわゆる「山手線」みたいなものはなくて、電車はすべて都市間移動のために用いられる(都市内移動は地下鉄で行われて、一部地上に出ていることがある)。駅はいわば年の入り口なので日本よりも遥かに大きくつくられている。特に地方に行けばいくほど周りと比較して不釣り合いに大きかったりする。ということで、フフ ホトの駅もかなりデカイのであった。。。
国慶節の時期は人が多いと言っても10月5日という中途半端な日なら結構すいているんではないかと思ったが、電車は結構混んでいる。行きは無事に席をとることが出来たので、2時間半はユラユラと揺られながらあっという間に過ぎていったのであった(トイレが 汚いとかそういうことは気にしないようにした)。
電車から降りた包头の第一印象は・・・なんか日本の地方都市みたい。街の中心部がぼやけていて延々と住宅街が広がっている感じである。ガイドブックによると鉄鉱石とレアアースの売上によりかなり裕福な都市ということで、確かに钢包酒店とか稀土大道(レアアース大通り)のようなゆかりの名前が目立つ。一方で建築中の建 物がたくさんあり -そして既に完成を諦められたのではないかと思われるのも多数あり- 地方都市ではどこも土地開発が経済発展の牽引車になってるということを実地で感じることが出来るような場所だった。
人口が200万人を超えてるとはいえ、街並みはまだそれほど発展している感じではなくて、一歩入ればまだ古い町並みが残っている。 人口統計だけみれば立派な大都市だが、仮にここに外国企業が販売拠点を持とうと思ったら相当大変だと思う。1日しかいなかったのだが、日本企業で目にしたのはトヨタだけだった(そしてなぜかトヨタの販売店がホンダの販売店を兼ねているという不思議な状況だった)。
肝心の観光はというと・・・主要な観光地は全て距離がありすぎてどこにも行くことが出来なかった・・ガイドブックで見た時には「お、これ綺麗だし近そうだから行きたいな~」と浮かれていたのだが、百度で改めて調べたらなんと一番近い場所で70kmもある。しかも交通機関がないのでタクシーを借り切らなければならない。。。ということで、到着早々やることがなくなってしまったので、良さげなレストランをWEBで調べてテクテクと出かけていったのであった。
「パーティーを開ける楽しいレストラン」という認識なんだと思う(日本で言うと『二次会も開けちゃうアミューズメントレストラン!』みたいな感じだろうか)。実際に中では結婚式と・・・それからものすごいパーティーをやっていて、我々を大興奮させてくれたのだが・・これは長くなるので、次回に詳しく。
とにかく中国ってなんていうか金がものを言う国だよね~というのを改めて感じて、昼食を終えたのであった。
余りにもやることがないので、昼食後に定番となった博物館に行ってみたのだが、これまた建物はやたらデカイ(大きな年にはほぼ必ず博物館があるので、困ったら博物館である)。中身は・・・うん・・頑張ってる感じ・・・で、300km離れていると違う文明圏に入るのだろうか、実際のところフフホトとはどこが違うの・・みたいなことを、建物の割には少ない展示物を見ながら考えたのだった。
包头という都市は自分が見たところ本当に娯楽がなくて、映画館は一軒もなかったし、もちろんボウリング場などもない。集団で楽しめる娯楽としては、カラオケと食事(レストラン)がかなりのウェイトを占めているのではないだろうか。こういったことは上海や北京にいるとなかなか感じられないことで、日ごろから「上海は中国ではない」と思っているけれど、時々こうやって外に行くことは改めて大切だな・・と感じる。
ということで、観光地もなく娯楽も見つけられない我々は昼寝をむさぼった後、またも内モンゴル料理を食べに向かったのであった。向かったのは市内にある大きな公園の中にある巨大なレストランで、真っ暗な公園の中にド派手な建物がドンとそびえたっている。中に入ると中央にステージがしつらえてあり、そこでは内モンゴルの歌謡ショーが行われていた。ちなみにこういうレストランは地方に行くと良く目にする。
レストランが娯楽施設というのはまさしくこういうことという実例なの
だが、歌謡ショーが終わると、なぜか掛け軸のオークションが始まったり、なぜかお客がステージに上がって歌を歌い始めるのである。誕生パーティーか何かだったみたいだが、他のお客がいてもまったく気にせず個人ショーが始まってしまうのはすごいの一言。欧米人ツアーらしき団体客も他の席にいたのだが、何が起こっているのか理解できたのだろうか。。
最終日は包头 → フフホト → 上海と移動で一日がつぶれてしまい、ほとんど何もすることはできずに帰宅一直線。最後の昼ごはんまで羊肉を喰らい続けたので、食事面では大変満足、馬に乗るのも大変満足、帰りの電車が半端なく混んでいたうえに、元々席なしチケットだったのだがなぜか人の好意にすがって席まで獲得して、幸運までついてきたのであった。
ちょっとお尻が痛いのだが、食事もエンターテイメント(馬)も楽しめるとあっては、次回はもうすこし長く内モンゴルで過ごそうかと思いつつ、上海ではお休みのため洗濯が出来ず、山盛りの服にため息をつくのであった。。
※ レストランでの出来事に続く ※
二日目はこの旅の最大の目的である「草原で馬に乗る」ツアーに出発。いびきのせいで
断続的にしか眠ることが出来なかったため、目をしょぼつかせながらツアーバスに乗る。ちなみに中国の旅行会社のツアーを使うのは初めての体験で、個人的には感動していた。ようやく自分の中国語能力も、人並みになったのだな・・・(とはいえ、内蒙古の人の中国語は全体的に早くて、聞きとるのが大変だった)。
草原まではフフホト市内から約2時間半の行程。もともと小さい街なので、すぐに草原・・というか荒野が窓の外に広がるようになる。
中国語でも草原(ツァオユェンと発音する)への旅と書いてあったので、
もう少し緑広がる場所かと思ったが、もう一面の荒野。砂漠とは言えないけど、しっかり荒野。かなり地面が畝っていて自分が少しずつ高いところに登っていくのだな・・というのを実感する。
途中でウトウトする時間もあったので、あっという間に二時間半が
過ぎ、無事に目的の村(というより集落)に到着。到着したところには荒野の中にパオのようなものが並んでいて、
観光用のレストランも併設されている場所だった。到着すると現地の方が民族衣装とオリジナルの白酒(ちょっと香りが普通の白酒とは違った)で御出迎えをしてくれる。観光地化しているとはいえ、そこはさすがに中国。日本のように親切設計というわけではないので、
トイレは日本人にはかなり厳しいし、時間をつぶす場所なども全くなくて荒野に ほっぽり出されたというのが適切かもしれない。
目的の「草原で馬に乗る」にも当然お金がかかる。そして・・・高い!
ツアー申し込み時に「馬に乗るのは別料金が必要です」という話を聞いていたものの、ツアー代金と比較すると本当に高い(日本円にすればたいしたことないが)。ツアー代金自体は180元(約2300円)だが、馬にのって走りまわるだけで、この値段はさすがにちょっとびっくり。ツアー参加代が500元ぐらいで馬のオプションが180元だったらここまでびっくりしないと思うのだが、そうするとおそらく参加者が減ってしまうので、これはこれでよいのだろう。ここまで来たら馬に乗るしかないわけだし。
友人たちと相談して400元のツアーに申し込み、早速馬に乗ることにする。ちなみに一番右はじには最高金額の映像は合成で、値段
が書いていないという恐ろしい選択肢が存在した。
担当のおじさんが連れてきた黒毛の馬を愛馬(ごく短い間だけど・・・)として、早速草原に飛び出す!・・・というわけではなく、最初はポクポクと歩いていく。
そもそも頭の中ではサラブレッドをイメージをしていたのだが、確かにアジアにいる馬はこういったもっと背丈が低い馬だった。ただ、背丈が低いといえどもそこはやはり馬。歩くたびに体が上下に揺れるので、しっかりと内ももを締めて体を固定しなければならない。しっかり体を固定できないと、お尻の皮がむけてしまうという悲劇が待っていて、友人たちはかなりそれで苦しんでいた(assという単語を連発していた)。自分の場合は・・ちょっと皮がむけた程度で痛みもそれほどでもなく、純粋におおはしゃぎで乗馬を楽しむことが出来たのだ
が。
慣れてくると手綱を引っ張って方向を変えたり、お腹をけってスピードを上げることが出来るようになってくる。全力で走るには引率のおじさんの命令が必要なのだが、全力で走ると本当に馬が飛んでいる瞬間があるのがわかる(そしてお尻がますます痛くなる)。風を切って走るという感覚は本当に最高で、友人たちがass!を連発する中、爆笑しながら乗馬を楽しんでいた。馬に乗っている間は上海に帰るのが本当に嫌だった・・・(休み明けには中間テストが待っているのだ・・)。
そして何より、抜けるような青い空!地平線は白く、少しずつ空に向かっていくにつれて青が濃くなっていく空は上海では決して見ることが出来ない、透明な空だった。10月になるとすっかり冷え込むと聞いていたものの、適度に冷えた風が心地よい。本当は荒野に寝っ転がって空を眺めたかったのだが、そこらじゅう馬の糞だらけだったので、残念ながらそれは諦めた。。
1時間半ほどの乗馬が終わると、旅行中二回目の羊肉!今回は足からそぎ落とした肉に
辛めの調味料を付けて食べる料理で、これまた変わらず野生の味がする。僕は汚いトイレが苦手なので(得意な人はいないと思うが)、中国旅行では常にお腹のことを気にしながら生活するようにしているのだが、この時はまったく気にせず全力で食べきってしまった。
その後は簡単な、本当に簡単な馬を使ったショーと、これまたモンゴル相撲のようなものを見て、荒野でのツアーは無事に終了。頑張って観光地化しようとしているのは伝わってきたが、馬以外はまだまだ・・・。本当に何も産業がなさそうな場所なので、MBA的にはこういう地域でどうやって持続的なビジネスを展開するのを考えるのも面白そうだな(そして役に立つ)と考えていた。
ツアーの最後はお約束通り、現地工場で作ったと思われるショッピングセンターに立ち寄る。日本の団体ツアーでもまだあるかもしれないが、中国ではツアー旅行の最後には必ずこういう「買い物ツアー」が組み込まれている。旅行会社はショッピングセンター側からマージンを受け取ることでツアー料金を下げることが出来るし、ショッピングセンター側も集客コストと割り切ることが出来るのだ。ツアー利用者側からするとこの買い物ツアーが続くと面倒くさいことこの上ないのだが、短期ツアーであればまとめてお土産を買うこともできるし、メリットの方が大きいのではないかとも思う。
売っているものは一応内蒙古特産ということになっているのだが、あまりにも扱っている商
品の幅が広すぎて何が何だかわからない(お菓子から絨毯まで何でもありだ)。おもちゃのはずのナイフも妙に気合いが入っていて、日本では法律に引っ掛かって持ち込めないのではないかと思われるレベルである。
フフホト市内には6時過ぎに戻ってきて、朝7時半発のツアーは無事終了。お尻と股関節の痛みに耐えながら、ホテルへと戻っていったのであった。また馬に乗りたいな・・・。
※3日目に続く
中国は毎年10月1日から一週間、建国記念のお休みになる(国庆节という)。今回で中国に来て4回目の国庆节を迎えることとなったわけだが、基本的にこの時期には中国国内を旅行することはない。なにせ民族大移動のレベルで観光地への旅行と実家への一時帰宅が行われるので、飛行機の値段は上がっているし、宿は取りづらいし、どこもそこも混雑しているし、と旅行には全く向いていないからだ(とはいえ、この時期を逃すとさらに民族大移動レベルが高い春節しか長期休暇がなかったりする)。
しかし、今年は学生気分も手伝って友人たちとちょっとした旅行に出かける気になった。向かう先は内モンゴル自治区・・・この時期には夜に0度となるような北の地へ向かったのであった。
■ 内モンゴル(内蒙古)フフホト(呼和浩特)へ! ■
そもそも当初の予定ではこの時期、わざわざ内モンゴルまで行くなんてことは全然想定していなかった。何を好き好んで朝晩冷え込む田舎までいかなければならないのか。自分の当初の予定ではアモイ(厦门)のコロンス島あたりへゆったり出かける予定だったのだ。(もちろん人混みがあることは想定済み)
一方、一緒に行く友人(アメリカ人)は強硬に「中国以外」に行きたい、という。第一候補はタイだったのだが、これは即座に却下(タイは行ったことがあるので)。第二候補はモンゴル。何でも草原で馬に乗ってみたいとのことだったが、これも却下。そもそも、この時期海外に行くと、飛行機代だけで6000元とかしてしまうので、海外に行くことは論外である。そもそもチケット購入から宿手配までやるのは全部僕になるわけだし。
とまあ、こんな感じでああでもないこうでもないという話をしていたわけだが、さすがに時期が迫ってきた・・ということで、お互いに妥協をして「国内で」「馬に乗れそうな」内モンゴルに行くことに決めたのであった。
ちなみに内モンゴル自治区といっても東西は日本よりもデカイ。当然街もたくさんあるのだが、どこにいけばいいのか全然わからない。友人に聞いてみると赤峰という街だと綺麗な草原があるらしいのだが、北京から10時間電車に乗らなければならず、二級都市ということで友人がまたも反対する(反対ばっかりだ)。
結局上海から飛行機で直行で行くことが出来るフフホト市に行くことにした。何も情報がないのだが、とりあえず省都なのでホテルなんかも期待できそうという安易な理由である。
■ どこを観光すればいいのでしょうか・・・ ■
当日は朝5時過ぎに集合で、虹桥航空からフフホトへ向かう。一応事前にホテルは予約し
てあったものの、他には何も情報がない状態で同級生3人で初の内モンゴルへ旅立ったのであった(一応検索用にパソコンを持っていった。同級生の日本人はガイドブックを持参。予想通りアメリカ人の友人はNo idea!)
2時間半のフライトを終えて、飛行機から降り立つともうそこは内モンゴル。やはり・・・寒い(想像してたほどではなかったけど)。そしてやはり馬がお迎えしてくれる。上海に比べると、空気が乾燥していて澄んでいるので、日本の冬を思い出す。
全然情報がないので、とりあえずタクシーを拾ってホテルまで向かうことにした。乗ってすぐ
にメーターがないタクシー(白タク、中国語だと黑车)だということに気が付いたのだが、そもそも元々の値段がわからないので、文句のいいようもないし、旅行まで来て喧嘩をするのも面倒くさいので、言い値を払うことにした(50元で正規の値段の倍くらい)。
我々の中で一番中国語話せるアメリカ人(かれは華僑)が色々と話しかけて情報を収集したところ、フフホトでmust seeな場所は「博物館」「五塔寺」「大召」という場所だということがわかる。おお、そこは全部ガイドブックに載っていたし、日本語で検索した時にも引っかかった場所だ!ということで、ホテルで翌日の草原ツアーの予約をして、早速博物館へ向かったのであった(ホテルでは結婚式をやっていて、なぜか新郎新婦の両親が民族衣装を着ていた)。
■ フフホト観光して羊を食べるのだ ■
最初に向かったのは博物館だったのだが・・・これがデカイ。もう無駄にデカイ。中国では地 方に行くと「博物館」とか「市庁舎」みたいな公共建築が最も大きい建物だったりするのだが、このレベルの都市にこれほど大きい建築物が必要なのだろうか・・・。
ただ中はさすがによくまとまっていて、内モンゴルの歴史が古代か
ら現代までコンパクトにまとめられていた。内容がどうしてもプロパガンダっぽく見えてしまったり、進歩史観(一応中国は社会主義の国である)の匂いがするのは仕方ないとしても、各民族から現代の産業まで網羅されているので、観光客には非常に役に立つ内容だった(恥ずかしながらレアアースの産地であるということを初めてしった。レアアースは中性子爆弾に欠かせない・・という展示があった・・・)
お約束の抗日戦線展示もあり、こういうところではちょっとドキッとするものの、これも勉強の一つと思い直ししっかり内容を読んできた。僕の理解では現在の内モンゴルが中国東北部も含んでいるた
め、こういった展示がされているようである。
博物館終了後は「五搭寺」「大召」と呼ばれる、二つのお寺に向かった。モンゴルにはチベット系の仏教が伝播したとのことで、密教系の仏像や曼荼羅が多く展示されていた。wikipediaによれば、チベット仏教とモンゴル仏教は微妙に異なるが大差ない・・とのこと だったのだが、お寺には一部上部座仏教の影響があ ったようにも見えた(ここらあたりは知識が曖昧なので僕の見間違いかもしれない)。こちらも思ったより大きくなく、あっさりと観光終了。
モンゴルと言えば羊!ということで、夜はWEBで調べた羊料理屋に日本人同級生と出かけた(もう一人はホテルで熟睡していた)。
僕
はこちらに来てからすっかり羊肉が好きになったのだが、今回の旅行で食べた羊肉はどこもこれまでにないおいしさだった。
上海で食べられる羊肉はほとんど臭みがなくあっさりしているの
だが、内モンゴルで食べる羊肉は適度に臭みがあり、脂身もこってり乗っている、まさしく「肉!」という感じの味である。このお肉をタレにつけて食べるのだが、タレの味と肉の味(と香り)がまざってとにかく箸が進む。デブ一直線である(結局最終日まで毎日食べていた)。
食事に大満足してホテルに戻ると、友人は盛大ないびきをかいて寝ていた。あまりに大き いいびきで眠りに就くこともできない我々日本人二人は、翌日は部屋を別にすることを固く決意して、布団をひっかぶって眠りについたのであった・・・(でも結局眠れず)。
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