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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2023年5月30日 (火)

スタートアップ雇われ役員が感じる信託SOの税制判断と影響(その1)

先週末に日経新聞に信託型SOに関する税制判断の記事が載っていた。世の中のほとんどの人にとってはどうでもいい話なんだけど、自分も片隅にいるスタートアップ界隈ではかなり話題になった記事だった。

株式報酬で税負担増も、税率最大55%に 国税庁が見解(日本経済新聞)

ここで話題にされているのはいわゆる信託型SOというスキームで、これまでも税制的にはグレーとされていたものだった。日本のストックオプション制度というのは付与する側の会社側の問題や制度の不備もあってあまり使いやすいとは思えないのだが、一応は「税制適格型」と呼ばれる形や「有償SO」と呼ばれるスキームが存在する。この信託SO型はこれらの形では答えられないニーズに応える・・という形で生み出されたものだ。


信託型SOの最大のポイントは「配布対象を事前に決定せずに、上場後にポイントの形で配布可能となる」という点にある。SOは大体の企業で発行上限の割合が決まっている。その割合の中で社員に不満のないように配布をするというのが重要なのだが、これはそんなに簡単なことではない。一般的には立ち上げ期からいる人がより多くもらえるようにするのだが、「立ち上げ期からいる人」と「上場に重要な人物」が必ずしも同じであるとは限らない。また、上場に向かってはバックオフィスのリーダーに経験のある人を迎えたいという企業は多く、その人向けのSOを残しておくということもしなければならない。

信託型SOはそういったSO配布の問題を「後から」解決できる方法として、多くの会社で採用されている。今回はその信託型SOを「給与扱い」にするということが示されて、スタートアップコミュニティでは話題になっていた。これまではSOはあくまで金融所得扱いだったので、一律で税金は20%だったのだが、これが給与扱いだとすると55%になる。この差は大きい。しかも、すでに配布及び売却をした企業・個人は「遡及して」納税が必要になるとのこと。これはかなりダメージがある。

個人的には、信託型についてはSOという思想からはかなり外れているために、あまり好きではなかったし、給与(というよりも賞与)扱いと言われれば、その運用上は否定は難しいと思っている。また雇用される側から見ても、信託型SOのポイント設定もかなり経営陣が恣意的に決められる上に、上場に向けての貢献度を一元的な指標に落とし込むのは難しいため、どうしてもそこには不透明さが残る。契約書内に最低条件として記載されている方が、優秀な人材がスタートアップコミュニティに流れ込むには良いと思うのだ。

 

・・・とここまでを書き終わったところで、税制適格SOの評価額についての見解発表があり、話題はそっちに移ってしまった。こちらについても備忘録がわりに記録しておこうと思う(続く)

2020年3月 6日 (金)

2020年: 2月後半と3月前半で読んだ本

2月後半ぐらいからコロナウイルスの影響で仕事が少なくなったのだが、その空いた時間は映画を見ていたので、あまり本は読めなかった。Kindleだとサンプルを送ることができるのだが、積ん読が溜まる一方だ。


デジタル・トランスフォーメーションで何が起きるのか?51xao8wjp7l

Twitterでも精力的に情報発信をされており、個人的に応援しているITジャーナリストでもある西田宗千佳さんの最新書籍。
タイトルは随分と大上段だが、主な内容はAdobe社の製品を採用している企業への取材とそこから読み取れる考察だ。若干Adobeのパブ本という感じはするものの(※1)、そこは経験豊富なジャーナリストらしく、Adobeわっしょいという感じではない。
本書で指摘されているいちばんん重要な点は、単にデジタルを使えばデジタル・フォーメーションであるというわけではないということ。デジタル化することで商流を変更し、データが取得可能なような形で「商流を再構成」することが重要なのだ。
僕は個人的にRPA(Robotics Process Automation)と呼ばれる技術が大嫌いなのだが、まさに理由はこれで、単なる自動化をデジタル・トランスフォーメーションと言って欲しくないのである。


二重国籍と日本415zhsdbuql

2018年~19年に4大大会を連覇した大阪なおみ選手の活躍をきっかけにした訳ではなく、蓮舫議員の二重国籍騒ぎをきっかけとして起こった議論を出発点とした新書。

台湾関連のジャーナリスムでは第一人者の野島さんが執筆陣に含まれていることから手に取ったのだが、残念ながら各執筆陣の記述内容を編集側がうまくコントロールできてないようで、同じような話しが延々続くという感じの内容になってしまった。

また、タイトルに「二重国籍と日本」とあるわりには主要な議論の焦点は台湾との二重国籍に絞られている。台湾は現在の日本では国として認められていないということから、様々な法的に難しい点が生まれているということは、本書から十分伝わってくる。だが、台湾との問題にこれだけページをさくなら、もう少しタイトルは工夫すべきだったのではないだろうか。


デジタル時代の競争戦略41gdrnwbhbl_sy346_

プラットフォーム事業者(一番イメージしやすいのは、いわゆるGAFAかもしれない)に関する規制当局の取り組みについて理解をしたいと思い手に取ったのだが、実際にデジタル関連の記述は全体の1/3にも満たなかった。内容自体は面白いのだけど、ちょっとタイトルに偽りありという感じだ。

全体としては3章構成になっており、第1章は独占禁止法と公正取引委員会についての総論。第2章は具体的な反競争的行為についての解説があり、第3章でようやくデジタル時代の規制についての記述になる。肝となるのは、これまでは主にB2B取引に使われて来た独占禁止法の考え方をB2Cにも応用するということと、消費者がプラットフォーム事業者に提供しているデータは「投入財」であると位置付けて、プラットフォームの利用についても財とサービスのやりとりであると見なすということだろう(私の理解が正しければ)。

150ページ程度の本書では精密な議論がなされないのは仕方がないのだが、上記の議論が正しいとすると「ユーザーがサービスを"利用すること"により発生したデータ」をどのように取り扱うのかは不明確だな・・・と感じた。プラットフォームを利用する時にはユーザーが明示的に「投入した」以上のデータが発生するわけで、これを全て投入財とするのはかなり無理筋だと思う。
また、仮にこういった取引に付随するデータに関して独占禁止法を適用しようとすると、B2BやB2Cでの通常の取引行為で生み出されるデータも同様の規制の対象となると思うのだが、そこは濫用がされていないと解釈をするのだろうか・・。

・・・という感じで、競争政策に関して知識がない自分のような人間が全体感をつかむのにはよいのだが、一方で深い議論はされていないので、本書を読んで興味をもった人間は、より専門的なトピックを取り上げている本を読む必要があると思う。


※1・・・Adobeに勤めている友人によると、Adobeが便宜をはかって描いてもらったとのことだが、本当かどうかは不明。便宜をはかったかどうかはわからないが、取材先の紹介はしているとは感じる。

2020年2月20日 (木)

スキルのポータビリティ性と、生涯における学習意欲と

今の仕事を始めてから色々なお客様の工場に訪問する機会をいただくことが増えた。日本では生産設備の改善に情熱をかけ資金を投入する文化がある。
以前にアメリカで自動車業界のコンサルタントが書いたレポートを読んだ時に、アメリカでは生産改善を「競争力の強化」と捉える一方で、日本企業は「会社の文化」そのものであると表現していた。
自分はそこまで生産工学に詳しいわけではないが、それでも何回も工場訪問をすると、その情熱は会社の根本に根ざしたものだと感じるようになる。


基本的に工場というのは高度に自動化がなされているものである。一方で、余人では代え難いという現代の名工や達人と呼ばれる方々が日々の業務に取り組まれている場所でもある。
この二つの事実は矛盾しているようで、実際に現場にたつと全く矛盾していないことに気がつく。既に自動化やロボット化が可能な部分は全て対応しており、現在の商用技術では不可能な部分が人間により担われているからだ。うちの会社のはそういった部分に適用可能な新しい技術を開発することが仕事の一つだ。


達人の仕事というのは常人の想像をはるかに超えたレベルの精度まで達している(例えば数ミクロンの差を目で判断するなど・・・)。一方で、その技術の汎用性、ポータビリティ性というのは驚くほど低い。その技術は長年にわたり極めて具体的かつ特殊な環境での研鑽により手に入れることが出来たものだからだ。
極端な話、同じ工場であってもラインを変えると技能が活かされないということすらある。それだけ繊細でかつ特化した技術だということだ。
こういった特徴のため、余人にをもって代え難い技術をもっている場合でも、その工場が廃止されたり企業が倒産してしまった場合には、その技術を活かす場がなくなってしまい職を失ってしまうことになる。
正直にいうと、今の仕事に着くまでは「工場を潰す/合理化する」ということの意味をわかっていなかった。長年続いた工場をなくすということは、単に生産拠点をなくすだけでなく、時にはそこにいる方の人生の意味を取り去ってしまうことになるかもしれないということだ。

日本の製造業が素晴らしいのは、ものづくりということを大切にしているよりも、むしろこういった工員たちを大切にすることにあると思う※1。ポータビリティ性が高い技術を持っている人は積極的に入れ替えても良いが、そうでない人の職は守るべきというのが今の僕の立場だ。


うちの会社のサービスというのは一面ではそういった人の仕事を奪ってしまうことになってしまう。なぜなら、多くの場合はそういった「達人しかできないという領域」を形式知化し、可能であれば自動化するということだからだ。
しかし、実際の活動の場では、達人達は実に積極的に協力してくれる。その理由は2つある。
1つは、彼ら自身も「自分だけが出来る」という状況がよいとは思っていないということ。もう1つは、自分の領域が自動化されたとしても隣接領域のより難しい部分は依然として人間が必要になるということを、感覚的に理解しているからだ。
AIが仕事をうばってしまうという懸念は世界中であるし、現実的に人がやる仕事というのはどんどん物理的なものは減っていくだろう。それでも、一足飛びには人間がものづくりで不要になるということはないし、それは現実的な想定ではない(自動化すると、今度はその自動化された機器を精度良く調整する人間が必要になるのだ)。
必要がなくなったら新しいことを学べばよいのですよ、と達人達はみな同じことをいう。そういった心持ちこそが彼らを達人たらしめているのではないかと、毎回のプロジェクトで感じている。

 

 

※1・・・僕は別の理由で、日本企業は本当は「これからの」ものづくりには向いていないのではないか・・・という仮説を持っている。

2019年11月24日 (日)

何かを決めると、頭と心が疲れる

この2週間ほど、引越しに向けて色々きめなければならないことがあり、結構疲れている。基本的に東京都内で、しかも同じ区内での引越しなので、それほど悩むところはない。ところが、子供がいなければそれほど問題がないようなことも、子供が一緒だとひどく疲れる。

家族の事情で来年3月末までには引越しをすることは随分前から決めていたので、ターゲットとしている場所の家を探したり、近くを歩き回るということはかなり前からやっていた。
全ての情報が出てくるわけではないとはいえ、歩き回ってみたり不動産情報を検索すれば、どのくらいの物件が対象の地域にあるかはなんとなくわかってくる。残念ながら、対象内で予算にあう物件というのはあまりないということもわかってきた。

引越しまでの期限は3月末までと決めていたので、戦略としては短期戦/長期戦の両にらみとした。
まず今年中に物件を一通りさらってみていいものがあったらそのまま契約する。なければ、転勤シーズンが始まるである3月頭〜下旬まで待ち、出て来たものをすぐに内見して決定する。とにかく物件数が少ないので、スピード勝負になるだろう・・・というのが妻と話し合った結果だった。

 

そして、いよいよ11月の中旬に入った先週の日曜日、毎回引越しをお願いしている不動産屋との打ち合わせをした。

事前に条件は伝えていたのでいくつか物件を持って来てくれたのだが、やはり思った通り数が少ない。そして、こちらも夫婦で話していたように、やはりこの辺りの引越しはスピード勝負なのだという。
あまりいいことではないのだが・・と教えてくれたのは、今はとにかくスピード勝負になっているので、不動産屋も内見前にとりあえず申し込みだけをしてしまうこともあるらしい。

 

これは結構大変かもね・・と夫婦で話しながらも、とりあえず持って来てくれた物件を見にいくことにしたのだが、なんとその一軒目がドンピシャ。

図面を見ると壁が斜めに切られており、あまり使い勝手がよくなさそうなため期待していなかったのだが、子供が思いの外気に入った(しまったといってもいいかもしれない)。また、小学校や病院も非常に近く、子育てという意味では心配が一切ない。

家の荷物の半分以上は子供のおもちゃが占めているような家なので、多少の使いづらさもなんとかなる。そして「結構これは厳しいかもしれない・・」と思っていた予算も、ギリギリクリア。

ということで、おそらく世の中的には決しておすすめできないであろうその一軒目を新居とすることをその場で決定した。いざ決めると申し込みやら審査やらで書類仕事があるし、貸主側の「入居日は直近で・・」という要望もあり、引越し業者もすぐに決めねばならず、ほぼ必要なことを今週中に決める必要があった。

 

それであらためてわかったのが、「意思決定はとにかく人を疲れさせる」ということ。
一応仕事でも日々意思決定を行なっているわけだが、さすがに引越しのような重大事項(取り返しがつかないわけではないが・・・)だと、その重みが違う。何かにサインをしたり、電話で決定の連絡をするたびにぐったりとした疲れを感じる。

こういった自分の姿を見て「社長とか、決める仕事の人は大変だね」といって来たのだが、全くその通りだ。
誰のせいにもできない意思決定は本当に疲れる。
"頭がいい"とか"考えるスピードが早い"とは全く違う次元のメンタルタフネスが求められるのが意思決定だということにあらためて気付かされた1週間だった。

・・・引越し、問題なく終わるとよいな。。12月上旬は出張が重なっているので、こんなに早く準備を始めているのに実質は3日ぐらいで準備を完了して、12月中旬には引越し完了の予定である。

2019年9月10日 (火)

監視国家の次の一歩: スマートグラスが世界を変える

以前のエントリーでは「幸福な監視国家・中国」の書評と、そこから日本の方向性をなんとなく想像してみた。プライバシーと監視というのは色々な要素が関係する大きな話なのだが、技術的な観点からは、監視国家の次の一歩を想像すると、間違いなくスマートグラスの実用化が大きな転換点になる。



スマートグラスと万人の万人による監視

 

すでに中国では国内の治安維持に活用がされていると報道がされてように、スマートグラスは「データの記録」という観点からも、「ARを用いた情報のリアルタイムでの検索」という観点からも、社会における監視活動の質を劇的に変えるはずだ。2019年の現在でも、交通事故の情報がドラレコで記録されたり、道ゆく人がたまたま出くわした事件をスマホで撮影する・・・というのは普通になっているが、スマートグラスが普及すれば、さらに録画のためのコストは下がる。

 

バッテリーをどうするか・・・という問題は依然として残るものの、例えばスマートグラスであれば「三回連続して瞬きをしたら、録画を開始する」といったコマンドを設定しておくことは容易なので、スマートグラスをかけている人は望んだタイミングで自由に今目にしているものを録画することが出来るようになる。

 

つまりスマートグラスが十分に普及した世界では、全てのことが録画されてしまう可能性があるということだ。もちろん人が見ることが出来ない死角(例えば満員電車の中の手の動きとか・・・)はあるものの、誰もが誰かの監視を可能にする社会が出来上がるということになる。



プライバシー、組織のルール、訴訟

 

スマートグラスが普及すると、まず問題になるのはプライバシーだろう。ほとんどの人は、知らない間に自分の行動や発言が勝手に記録されのは気持ち悪いと思うのではないだろうか。もしかしたら「記録されない権利」と言う権利についての議論が起こるかもしれない。

 

そして、おそらくこの「記録されない権利」と言う考え方は、かなりの支持を得ると思う。自分が望まない限り、記録には残りません、というのは直感的だし、自然な欲求に沿っているからだ。一方でそういった議論が盛り上がると、既に公共の場やショッピングモール、コンビニなどで多く設置されている監視カメラの存在は、矛盾したものとなる。

 

これが中国であれば「公共の利益を満たす場合はOK」という解釈で乗り切るだろうが、日本の場合はそう簡単にいかないだろう。どういった場合に録画が許可されるのか、ということを法的に決めていく必要がある。誰でも監視可能となることにより、逆に監視という行動に対して拒否感が露わになるかもしれない。



次に反応をするのは、会社や団体などだろう。今でも社内で「録音や写真撮影は禁止する」という規定を設定している会社はたくさんあるが、スマートグラスの利用を禁止する規定を作る会社はすぐに出てくるに違いない。

 

ただ、2019年現在の判例によれば「同意を得ない録音、あるいは許可がない録音であっても証拠には採用」されるので、もしスマートグラスの利用が許可されていない会社であっても、例えばセクハラやパワハラの証拠に使うことは法的には問題ないと判断されるに違いない。

 

結果として、表に出てくるようなパワハラやセクハラを抑止する効果は出てくるだろう。それがいいことかどうかというのは、おそらく議論を呼ぶであろうが、おそらくは支持する人間の方が多く、また利益を得る人間の方が多いだろうと思う。結果として、スマートグラスの活用は急速に進むに違いない。



常に緊張感を持つ社会に

 

こういった世界では、どこで誰が自分の発言や活動をデジタルデータに残しているか判断することが出来ない。そうなると、ほとんどの人が「自分の行動は記録されている」という前提で活動をするようになるだろう。ちょうど、「幸福な監視国家・中国」で運転マナーが劇的に改善されたようにだ。

 

こういった状況は、社会にいる全ての人にかなりの緊張感を強いることになるはずだ。なにせ、ちょっとした冗談やつい出た本音が記録され、時には思うままに編集されてしまい、あっという間にデジタルの世界で広がるのだから。正直いって、人間がそのような緊張感を長期間保ったまま、正常に生活することが可能かどうかすらわからない。

 

それでも、この流れを押しとどめることは中々難しいと思う。なぜなら現在は虐げられている人、あるいは我慢をしている人から見たら、現状を変えるための有力な道具になるからだ。もちろん、社会を管理する側も積極的に利用するようになるだろう。

 

Fakenewsに見られるデジタルデータ改ざんなどを考えると、このように全てをデジタルデータに還元できる世界が幸福であるとは言うことは出来ない。それでも、いずれは全ての空間がデジタル化されて、我々は今よりはるかにお行儀の良い世界に暮らすようになるのではないだろうか。そしてその世界では、おそらく「デジタルに触れない権利」について、今よりもずっと真剣に議論がされることだろう。

2019年8月29日 (木)

本社出張にきています(本年3ヶ月連続4回目)

昨年も同じだったのだが、夏場はお客様の時間がとりやすいようで6月から3ヶ月連続で本社出張中。こちらに来ると毎回気持ちがリフレッシュできるのだけど、飛行機の待ち時間を含めると片道12 時間以上かかるわけで、慣れてきたとはいえかなり疲れる。ここ最近は乗る飛行機も固定、ホテルも固定という感じで、なるべくルーティンで回せるようにして少しでも疲れを減らすような心がけをしている。

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こちらがいつも宿泊しているホテル。本社があるMenlo Park市はは規制が厳しくてほとんどホテルがなく、近くの市だと朝から車で移動することになるので、会社から歩いて15分ほどのこのホテルにいつも宿泊している。働いている方々ともすっかり仲良くなり、毎回同じ部屋を準備してくれたりもする。
規制によりホテルが建築されない ==> サービス向上のインセンティブがないということで、お湯が出ない部屋があったり、ヒーターが動かないということもあったりするのだが、仲良くなるとそういう部屋を避けてくれるという有り難さである。

 

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ベイエリアの不動産価格がシャレにならないくらい高い・・・というのはよく日本のニュースでも流れているが、スタンフォードで色々なイベントが行われるタイミングでは、ホテルも1泊600ドル台とかよくあるので、出張するのもかなり勇気がいる。日本人からみると600ドルに見合うクオリティはさすがにないと思うのだが、中庭にはスパがあり、夜には火を囲んでリラックスすることが出来る・・・といった感じで、ちょっとしたラグジュアリー感を出している。最初の頃はスパに入る勇気が全くわかなかったのだが、この頃はすっかり場所に慣れて、夜に足だけつけて音楽を聞いたりしている。

ちなみにこの火は本物で、毎日夕方になるとホテルの方が火をつけている。

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ホテルのすぐ隣には大手スーパーのSafewayがあり、毎回出張のたびにここで必要なものと、ホテルで飲むビールを買っている。簡単なデリもあるので、到着日はだいたいここのデリで買った中華が夕食になる。ホテルで食べる食事を探そうとするとマクドナルドや、ハンバーガーぐらいしか近くにないので、ここのデリはかなり重宝している(味は期待できないのだけど・・・)

 

Unnamed今回はいつもより少し滞在期間が長くて、日曜日に東京戻りの予定。2日間のセッション×2回が予定されていて、オフィスワークがほとんど出来なそうで、仕事がたまりそう・・・。 

 

 

 

2019年3月29日 (金)

USPSで荷物を送る時の注意

今の会社は法務部や財務といった、いわゆるバックオフィス部門は海外には置けないという構造になっているので、契約書やら請求書といった文書類を扱うのはすべて本社側に頼む必要がある。ほとんどの日本企業は原本を必要とするので、サイン済みのものをシリコンバレーの本社から毎回送ってもらう必要があるわけだが、当然、お客さんの手元に物理的に届くまでには時間がかかる。

日本側にいる自分たちとしてはこういった処理は早く終えてしまいたいし、日本企業はだいたいにおいて「◯◯日までに届きます」という情報を事前に欲しがるものなので、本社側から資料を送ってもらう場合には、期間がヨめてトラッキングが確実な方法であるEMSやFedexを利用するようにしている。普通の郵便に比べて高いけど、安心料含めての値段である。本社の人間も慣れている部署の場合は、特にお願いをしなくてもどちらかの方法で送ってきてくれる。

 

ところが先日、滅多にない税務関連の部署に書類をお願いしたところ「USPSで送りました」という返事がきた。USPSというのはアメリカの郵便局なのだが、EMSとわざわざ指定されていなかったので、心の中でアラートが鳴り嫌な予感がしたのであった(※1)。とりあえずトラックナンバーを送ってくれ、というお願いをしても「今週中につくと思うから大丈夫」という返事が帰ってきたきり連絡なしになってしまい、さらに嫌な予感が膨らむだけで、待つこと10日。やはり書類は届かない。EMSやFedexならとっくに届いているのに。

さすがに10日経っても届かないとこちらも怒りが湧いてきてマシンガンのようにメールを送ると「USPSでは遅れることもありますので・・」という怒りに油を注ぐような返事がヘラっと帰ってきたので、担当部門長(連絡先の人間)の上司に「ふざけんな、さっさと再発行してFedexで送りやがれ」というメールを送った対応をしてもらっているところ、ようやく書類が到着。米国発から実に15日間の長旅であった。書類1枚で15日、まだまだ地球は大きい。

 

今回こんなに到着が遅れたのは、発送した人間がUSPSのサービスカテゴリーをよく理解しておらず「普通郵便扱い」で送ってしまったのが理由なのだが、確かにUSPSのサービス名称はめちゃくちゃわかりづらい。はっきり言ってどれが一番早くて、どれが一番遅いのか、名称だけではさっぱりわからない。4つのサービス名称は以下。

  • Express Mail International
  • Priority Mail International
  • First Class Mail International
  • Global Express International

あまりにもわかりづらいのでTwitterで、どれが一番早く届くでしょうか?というアンケート結果をやった結果、First Class Mailが一番早い・・・という回答が最も多かった。自分だってFirst Classだし一番早いと思ったし。


 

 

ころが、なんとこのFirst Class Mailが一番遅いのである! そんなんわかるか!
15日間かかった今回の書類もFirst Class Mailで送られてきており、おそらく発送担当者も知らなかったと思われる。しかもこのカテゴリーは普通郵便と同じ扱いをされているので、トラックナンバーもあってないようなもので、国際郵便は追跡できない。

 

ということで、もし米国から郵便を送ってもらう際には、ぜひどのサービスカテゴリーで送ってもらうかを指定することをオススメする(普通に日本で生活していると、ほぼそういう機会はないと思うが・・・)。カテゴリーごとの違いはこちらのサイトを参照のこと。ちなみにEMSに該当するのはExpress Mail Internationalである。
明らかに名称がミスリーディングなのに変更しないということは、そもそも国際郵便のニーズはないということなのかしれない・・・。

続きを読む "USPSで荷物を送る時の注意" »

2017年12月 1日 (金)

Blogのタイトルを変えてみた

毎回、書く書く詐欺みたいになっていて半ば(というかほぼ100%)放置状態になっていたこの本家Blogだが、やっぱりそろそろ書きたい気持ちが盛り上がってきたということで、気分一新のためにタイトルを変更してみた。これまでは"Outsider's eye after CEIBS"というタイトルで、どちらかというと「中国を外から見てみます」というつもりでいたのだが、現実は会社の仕事やら育児やらで全く中国のことをウォッチし続ける余裕などなし(だいたい気持ち的には3:7で家事が多い)。また、中国もいた頃(2007年〜2013年)とはすっかり様変わりしてしまったところもあり、今更外からウダウダいうことにあんまり意味があるとは思えない気がしてきた。

一方で、帰国してからの約5年間はそれなりに努力したこともあり、これからもそういう気持ちだけでは持っていたいと思うようにもなったので、タイトルをシンプルにEndeavor after CEIBSに変更してみた。CEIBSを入れておくのは、未だにこのBlogを読んで情報収集しましたと言ってくれる人がいるので、そういう方に見つけてもらいやすくするため。CEIBSの情報って日本語だとほとんどないしね。さすがに5年前なので、かなり古くなってしまっているけど、それでも雰囲気は感じてもらえるのかもしれない。

ちなみに、さっき書いた「努力」だが、気分的には子育て+家族:仕事でいうと、9:1ぐらい。仕事では、頑張ったことがあったかなぁ・・・という感覚である。もちろん個々の瞬間では頑張っている時もあるけど、全体でみるとダラダラ進んでしまったな〜と感じている。そろそろ職場は替え時なのかもしれない。まあ、5年近くも働くとそれなりにしがらみも増えてきて、フラッと会社を変えるというわけにはいかないんだけど。


ただ、ここ1年ほどは仕事でかなりtechyな内容に触れることができていて、これはこれで学生時代に戻ったようで、純粋に知的好奇心からかなり楽しむことができている。基本的に取り組んでいるのはCloudとAIなんだけど、この領域は随分進んだようで、実は世の中に「本来は与えることが出来る」レベルからすると、まだ始まってもいないレベルであるということが感覚としてわかってきた。こういう領域に仕事人生残り半分(ではないが・・・)になったところで触れられるのは、とてもありがたいことだと思う。

ということで、タイトルが変わったblogでは中国にかかわらず、自分が努力して時間を使っていること、それこそ不妊治療や子育てみたいなこともドンドン書いていこうと思う。ちなみに、時間が出来てきたのでエンターテイメントを楽しむ余裕もあり、そこの備忘録はこちらにとることにした。こちらはまだ記事が少ないので、ひっそりとやっていこうと思っている。

2017年6月11日 (日)

このごろ何勉強してるの?と聞かれて

先日、MBAの同窓会というか、CEIBSの説明会のようなものがあって1学年上の先輩にふと「この頃は何勉強してるの?」と聞かれてから、ずっと心の中にもやっとしてものが残っているような気がしている。


中国にいた時にはまず持って中国語を勉強しないとお話にならなかったし、それがひと段落したらMBA向けにTOEFLとGMATをひたすら勉強する生活を送り、実際にMBAに入ればスクールの勉強+自分がその時々に興味があることをしていたので、振り返ってみると結構勉強している時間が長かった。さらに言えば、大学院を卒業してから日本では2年半しか働いていないわけで、なんというか基本的に人生勉強しっぱなしという感も否めない。

それが日本に帰ってきてからは全然生活が変わってしまった。
まず何よりも変わったのは、結婚して子供ができたこと。僕は極度のビビりなので、妊娠期間中ととにかく妻の体調が心配で勉強なんてものをする気にもなれなかったし、子供が産まれたらとにかく子育てに全力投球ということで自分の時間などほとんど持つことができなかった。2歳半をすぎて、ようやく生活習慣が安定してきてくれたので、少しは夜に時間を持つことができるようになって、フラッとこういう感じで書くことができるようになったけど、これまでは「寝るのが遅く」「いつ起きるのかわからない」ので、とにかく子供と一緒に寝てしまうという生活で、家ではほとんど活動をしていなかったのである。

2つめは会社の仕事。僕は今、外資系ITでマーケティングの仕事をしているのだけど、とにかく勉強しなければならないことが凄く凄く多い。まず、本国からは大量のマーケティング関連+技術関連の資料がドンドコ出てくるので、それを読み込まなければならない。その上、日本国内で作られるリサーチレポートやら戦略関連の資料なども読まないと溜まっていってしまうので、その処理だけでもかなりの時間がとられる。おかげで現在の製品領域に本格的に関わってから1年ちょっとでかなりのことがわかってきたのだけど、それでも相変わらず時間をとられることには変わらない。自分で望んで仕事にしているくらいだから、嫌いなわけではないのだけど、今の技術変化はすごく早いので、とにかく頑張ってキャッチアップしないとあっという間においていっていかれてしまうのだ。
比較すればコンサル時代のほうが資料という意味では全然楽だった。確かに、プロジェクト立ち上げの時には集中的に資料を読む必要があるのだけど、一回巡航速度に入ってしまえば比較的自分の時間はコントロールできた。一方で、今は自分でそのあたりをコントロールするのが結構難しくなっている。

3つめは、日本は誘惑・・・というか色々なことができすぎてなかなか集中ができないところがあるな〜というのは個人としての反省。中国にいる時にがお金もそれほどなかったので、映画へ行こうとかあんまりそういう気も起きなかったし、本を買うにも日本から輸入しないといけないので自由があったわけではない。それに比べれば、今ではTVをつければ動画配信サービスで自由に映画が見れるし、ちょっと街に出かけることも全然楽にできる。ゲームをする時間もあれば、本も自由に見れるということで、正直なところ「勉強」以外で時間を使っていることが圧倒的に多い。


というような感じで、勉強らしい勉強というのはやっていなかったし、特にそのことを自分でもおかしいと思ってはいなかったのだけれども、一方で「そろそろ生産的な時間の使い方をせねばな・・」というのは年頭から思っていたので、先輩の何気ない一言は大変胸にささったのだった。

ただ、ここで「よーし中国語検定をやろう」とか「英語もだいぶ慣れたからCPAあたりをとるか」という気になるのは、なんとなく安易だな〜という気もしていて、多分人生も後半戦に入っている自分としては「明確なゴールがない勉強」というのをするべきなんじゃないかなと思っている。今までの人生、基本的には入試があり、あるいはなんらかのテストがあり、それをクリアするために勉強する・・・というのがほとんどだったのだけれど、もう少し、自分が生きていく上での知的好奇心といった、そういったものをちゃんと探す時間が必要なんじゃないかなと感じているのがその理由だ。じゃあ、何がそれにあたるの・・・というのはすぐに言えないのだけれども、ちょっと時間を使って探した上で、ちゃんと勉強はしていきたいのよね、という気になっている。

2017年1月 3日 (火)

2017年になった。なってしまった。

気がつけば2017年である。今年の場合は、なった・・・というよりも、なってしまった・・・という感の方が強い。ああ、気がついたら1年が終わったんだな、という感覚。


このblogが事実上ストップしたしまったのが2015年の1月。
それからの2年間は人生の中で、たぶんもう2度とないぐらい子供との時間を過ごした。毎日なるべく早く家に帰り、子供の面倒を見ていたし、独身時代は午前まで飲んでいることも当たり前だったが、そもそも飲み会の数も激減した(最大でも週1回)。

日本に帰ってきた時に3年ぐらいは冬眠生活には入ろうと思っていたのだが、仕事面では冬眠したままもうすぐ4年が経とうとしている。そろそろ環境を変えなければならないな〜という思いは日々、本当に日々強くなっていく一方。
・・・・そんな感じで、また1年が明けたというのが正直な感覚である。

30代後半になって迎えるこの1年に対して、「さて、何か目標を立てようか?」と考えたときに、一番驚いたのは「明確な目標を立てるのが驚くほど難しくなっている」ことだった。

  • 仕事を始めたことろは「できなかった、××を出来るようにする」ということを目標に出来た。
  • 中国時代は、とにかく毎日が必死だったけど仕事の面では目標を立てることが出来た。
  • MBA受験を考え、実際に入学してからは、毎年の期限を明確にすることが出来た。
  • 帰国後も妊活やら結婚式やら、子育てで目標を明確にできた。

・・・が、子供がある程度大きくなってちょっと余裕が出来た今年、なかなかそういう目の前を変化させる何かということ目標にすることが出来なくなっていることに気づいた(子供はまだまだ大変なんだけど・・・大変じゃなくなることなんてあるのだろうか。。。)

30代半ばの友人達がスポーツの趣味にはまり出すのがわかるようになった気がする。スポーツは目標を明確に出来る。そういうことがないと人生があっという間にすり減っちゃうんじゃないの・・・ということを、何となく頭で理解出来る歳になったということかもしれない。もちろん、家族と毎日を過ごせるというのが、何よりも大切なことなんだけど。

・・・・ダラダラと書いてきてこの1年を迎えるにあたって、まだ色々なことが整理できていないというのが正直な気持ちなんだけど、何となく見えてきたのは、もう少しプロセスを大切にしようということ。明確な目標が見えなくても、あるいは設定できなくても、とりあえず歩くということにも意味があるんじゃないの?ということ。

ということで、やはり自分の原点に戻るためにもちゃんと、色々書いていこうという気になったのだった。なので、今年はもう少しちゃんと更新をすることにしました。

あと、自分の時間をちゃんと記録することにした。どのくらい勉強していて、どのくらい睡眠をとっていて・・・そういうことを続けたら、次の一歩を大きく踏み出すときにきっと何か役に立つだろうと信じている。

ということで、まったく煮え切らないスタートではありますが、何卒今年もよろしくお願い致します。

より以前の記事一覧