外から読んで面白い官僚の仕事は中ではあまり評価されない: 金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿
本書はそういった”リスク回避型”ではないタイプのキャリア官僚人生を取り上げた一冊だ。元官僚の方が自分で書いた本は自慢話が多く、ジャーナリストが書いている場合もヨイショが過剰な場合が多いが、本書はそういった自己礼賛型からはかなり距離が遠く、読んでいて素直に楽しむことが出来た。巻末にしっかりと参考文献が載っているように、著者がちゃんと二次情報・三次情報に当たっているからだろう。
そしてもう一つは、本書で取材対象となっている佐々木清隆という財務官僚(後半は金融庁)がいわゆるメインロードにはいなかったということが理由としてはある。開成高校 → 東大 → 国一をトップ合格という絵に描いたような学業エリートであるにもかかわらず、彼は大蔵省・財務省の本流を歩まずに、金融庁などの検査畑を一貫して歩いた人なのだ。傍流であるからこそ、その道を極めた人の話は面白い。
自分は官庁には全く興味がなかったのでそういった”人気/不人気”には全く無頓着で、「金融庁は何をやるところなんだろう」とぐらいにしか思っていなかったのだが、社会人になって銀行などの金融関係をお客さんに持つようになると、そのパワーの凄さを知ることになった。
本書はその金融庁、そして佐々木清隆が関わった多くの経済事件や大蔵省に関わる出来事が取り上げられている。36年もの間公職についていただけあり、この出来事のリストには大蔵省に対する過剰な接待(いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」)から始まり、山一証券の破綻、 ライブドア事件、 村上ファンドの問題、新興市場の「箱」企業問題、そして仮想通貨までをカバーしている。自分が経済や政治を理解するようになったのがちょうど山一證券の破綻だったので、ほぼ自分の人生と彼の職業人生が被っていることになるわけだ。
この事件を追っていけばわかるように、金融庁(あるいは金融犯罪)のカバー範囲というのは、本書で言うところの流通市場(セカンダリー・マーケット)から発行市場(調達・株式発行)、そして非伝統的金融領域に広がっていったことがよくわかる。スタートアップの世界に長く身を置いている自分からすると、この流れというのはごく自然なもので、資本市場を守るためには発行企業までカバーするべきというのはむしろ当然にすら思える。そういった意味では、本書は一人の官僚の歴史を残しておくと同時に、今後の金融市場の規制・育成の方向性を示すものでもある。
ちなみに本書では、著者が佐々木清隆を取材すると決めた時に「あの人はやめておいた方がいい」と言われたというエピソードが紹介されている。著者は妬みもあったのだろうと書いているが、おそらくその推測は正しいと思う。何度か言及されているように、こういったタイプの官僚は「面白いアイデアはぶち上げるが、法的な緻密さには弱かったり、ロジ周りに弱い」という共通点があるからだ。
自分もいわゆるキャリア官僚には友達がいるのだが、こういったタイプの周りや下で働くと、それは大変らしい。ある意味でスタートアップの経営者のようなタイプで、遮二無二前に進んで行くので、後ろでゴミ拾いをしていく人が必要になるのだ。しかもこういったタイプは他省庁との細かい折衝や、政治家への説明はあまり上手くないことが多い。馬が合う人にはハマるが、そうでない人から見たら、適当に仕事をして手柄だけを取っていくように見えてしまうのだろう。
そういう意味では、こういったタイプが本当のTOPを取るわけではないと言うのは、組織としては健全なのではないかと思う。 文書も他の類書と同じく、前例踏襲的な官僚に対して批判的な表現がないわけではないが、その筆の勢いは決して強くない。著者も官僚の世界を長く取材する中で、様々な人間が組み合わさって仕事が進んでいくということをよく知っているのだろう。
自分も所属してる組織では、どちらかと言うとこういったゴミを撒き散らす人の尻拭いをすることが多いタイプなので、その苦労と怒りは共有することが出来るような気がする。まあ、 そのような仕事を続けるのが苦痛なので、自分で会社をやったりスタートアップに所属したりするわけで、妬みを感じる人には「大丈夫、あなたのようなタイプが大組織では最後には評価されるんですよ」と教えてあげたい気持ちになる。
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