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カテゴリー「IT」の記事

2023年10月19日 (木)

[書評]仮説とデータをつなぐ思考法 DATA INFORMED(田中耕比古)

著者とは10年近くの友人であり(正確には先輩)、最近お会いした際にこちらの本をいただいた。献本いただいた場合には書評を残すのが礼儀・・なのだが、本書についてはそういった貸し借りなしで記録をしておきたい一冊だった。何せ世の中にあるビジネス本とは、そもそもの目的からして違うのだから。

ホームランより打率

世の中に数多あるビジネス本は大体以下の3つの種類に分かれると個人的には思っている。
  1. いわゆる「すごい人」の伝記や考え方を本を読むことで学ぶ
  2. アカデミックから生まれた、あるいはコンサル業界で生まれた先端・最新(に見える)知見を学ぶ
  3. フレームワークや思考法などの考え方を学ぶ

この3つの種類の本はアプローチこそ違えて、いずれも”他のビジネスパーソンよりも優れた成果を出したい”という人向けに書かれているのは変わらない。資本主義が競争である以上、やっぱり人は他の人よりも優れた成果 = ホームランを打ちたいと思っているのだ。

ところが本作の特徴と言えるのは、その考え方を徹底的に排除していることだ。著者が本書で一貫して語っているのは、「データを上手に使う能力を身につければ”再現性”が高まる」ということなのだ。言い換えてみればホームランよりも打率主義。さらに極論を言ってしまうと、本書のアプローチだけでは再現性は高まるかもれないが、成功は約束されていない。ただひもちろん本書のアプローチを使って、成功する = ビジネスで成果を出すための方法も後半にはしっかり書かれているので、その点は安心してほしい。


データは「わかっていることを見えるようにすること」

2つ目の本書の特徴は、いわゆるビッグデータについて著者が夢を全く見ていないことだ。ビッグデータ(あるいはカタカナになる前のBig Data)の概念が出始めた頃には、”これまで取れていないデータを取れるようになることで、何か凄いことができるんじゃないか”という期待がIT業界やコンサル業界には溢れていた。・・・少なくとも、そういう期待を作ろうと業界ではしていた。

ところが実際にたくさんのデータをとって解析してみると「そんなの知ってたよ」とか「意外に普通の結果しか出ないんだね」という感想が多かったのだ。少なくともビッグデータブームの当初は「これまで断片的に取れていたデータが、以前よりもたくさん取れるようになった」ぐらいしか変化がなかったのだから、考えてみれば結果もそれほど突飛なものにならないのは当たり前なのだ(※)。ビッグデータで本当に必要なのは「これまでは人間が何となく知覚していたが、数値では表現できなかったこと」をデータ化することなのだ。これはビッグデータが話題になってからしばらく経って、IoT機器が安価になることでようやく実現が見えつつある(が、同時に純粋なデジタル空間のデータ量は爆発的に増加しているので、昔のビッグデータは今ではちっともビッグでははなくなってしまったという問題がある)。

本書ではそのような人間には知覚できていてもデータでは取得できていなかった、いわゆる暗黙知をKKD(勘・経験・度胸)と呼んでいる。そしてデータが出来るのは、次の3つであると主張する。
  • KKDをデータを用いて個人に閉じない形まで昇華する
  • 経験のない人間=KKDがない人間も、データを使って気づきを得ることができる
  • KKDをデータを使って証明する

こう言われてみると、ベテランは自分のKKDをデータによって補強できるし、若手はKKDを使って優位に立とうとするベテランに対してデータで戦えるようになる・・みたいな姿が想像できる。もちろん本書ではもっと上等な書き方をしているのだが、データを用いて戦闘力を高めるというのは、要するに年齢とか経験の差を理由にできなくするということなのだ。


必要なのは「解釈する力」と「言語能力」

本書でも繰り返し書かれているように、ビッグデータの利用というとどうしてもその処理の方に頭が行きがちになる。少し前に統計関連の本が売れる時期があったが、あれもいってみれば統計的なリテラシーを学びましょうということで、広い意味ではデータ処理の枠内での話だった。

ところが著者は、こういった能力はデータ利用を“駆動“する力であって、成果を出すための方向性を生むことにはならないと主張する。確かにデータはどこまで行ってもデータであって、例えば「今年の売り上げはXXセグメントではYY%下がりました」みたいな話をされても、So What?となってしまうだけだ。大切なのは、そのデータが表現する結果になった理由を明らかにしたり、あるいはそのデータで読み取れた結果を持って何をするかを考えることなのだ。そしてそのような役割であれば、何も大学で数学を専攻していたり、統計の専門家である必要はないというのが著者の言いたことなのである(著者は私立文系卒でデータを用いた会社の取締役を務めているのだから、説得力がある)。

このみんなが必要と言っているテクニカルなスキルがなくても(あったほうがいいが)、十分にデータを用いて戦うことができますよ、安心してくださいという主張が本書の3つ目の特徴と言えるだろう。言い換えると三角関数が嫌で、とか、代数が不明すぎて、という理由で数学から脱落した人にも、データを利用することができるのだという希望を与えてくれるのが本書なのである。

個人的にはこの点に関しては、自分のような理系人間の方が得意なのでは・・と思うのだが、確かに文系だからという理由でできないということはないというのは同意できる。ただし大学院レベルで数学や統計をやっていた人間はそもそも頭の中ではモデルや数式で考えていることが多く、それを言語化するというトレーニングを日常的にやっているので、やっぱりその点は理系の方が有利かもしれない。


もちろん本書は上に書いてきた以外にも実用的な内容も多く含まれているし、その内容からも著者の個性が滲み出ている。例えば戦略とオペレーションが階層構造ではなく、並列/時系列的に記載されているのは著者が実際に企業を経営している立場から見ているということだろう。またコンサル出身者の方が仮説という言葉を使うときにassumptionとhypothesisの違いがあるというのは、我が意を得たりという感じで嬉しくなってしまった。

数式は全く出てこないし平易な言葉で書かれているので、その気になれば1日で読み通すことができてしまう分量だが、書かれていることは時間をおいて繰り返す読むほうが味わいが出るだろう。一回読んで、俺知ってると想わずに手元においておくことをお勧めしたい一冊だ。


※・・・例えばランダム抽出で取得していたデータを全数取得に変えても、それほど結果は変わらない。以前在籍していた米系IT企業では「統計に埋もれた傾向を全数取得で浮かび上がらせる」というアプローチを展開していたが、対象が小さすぎてビジネスにインパクトを与える規模にはならない・・という当たり前のことがわかっただけだった。

 

2019年9月10日 (火)

監視国家の次の一歩: スマートグラスが世界を変える

以前のエントリーでは「幸福な監視国家・中国」の書評と、そこから日本の方向性をなんとなく想像してみた。プライバシーと監視というのは色々な要素が関係する大きな話なのだが、技術的な観点からは、監視国家の次の一歩を想像すると、間違いなくスマートグラスの実用化が大きな転換点になる。



スマートグラスと万人の万人による監視

 

すでに中国では国内の治安維持に活用がされていると報道がされてように、スマートグラスは「データの記録」という観点からも、「ARを用いた情報のリアルタイムでの検索」という観点からも、社会における監視活動の質を劇的に変えるはずだ。2019年の現在でも、交通事故の情報がドラレコで記録されたり、道ゆく人がたまたま出くわした事件をスマホで撮影する・・・というのは普通になっているが、スマートグラスが普及すれば、さらに録画のためのコストは下がる。

 

バッテリーをどうするか・・・という問題は依然として残るものの、例えばスマートグラスであれば「三回連続して瞬きをしたら、録画を開始する」といったコマンドを設定しておくことは容易なので、スマートグラスをかけている人は望んだタイミングで自由に今目にしているものを録画することが出来るようになる。

 

つまりスマートグラスが十分に普及した世界では、全てのことが録画されてしまう可能性があるということだ。もちろん人が見ることが出来ない死角(例えば満員電車の中の手の動きとか・・・)はあるものの、誰もが誰かの監視を可能にする社会が出来上がるということになる。



プライバシー、組織のルール、訴訟

 

スマートグラスが普及すると、まず問題になるのはプライバシーだろう。ほとんどの人は、知らない間に自分の行動や発言が勝手に記録されのは気持ち悪いと思うのではないだろうか。もしかしたら「記録されない権利」と言う権利についての議論が起こるかもしれない。

 

そして、おそらくこの「記録されない権利」と言う考え方は、かなりの支持を得ると思う。自分が望まない限り、記録には残りません、というのは直感的だし、自然な欲求に沿っているからだ。一方でそういった議論が盛り上がると、既に公共の場やショッピングモール、コンビニなどで多く設置されている監視カメラの存在は、矛盾したものとなる。

 

これが中国であれば「公共の利益を満たす場合はOK」という解釈で乗り切るだろうが、日本の場合はそう簡単にいかないだろう。どういった場合に録画が許可されるのか、ということを法的に決めていく必要がある。誰でも監視可能となることにより、逆に監視という行動に対して拒否感が露わになるかもしれない。



次に反応をするのは、会社や団体などだろう。今でも社内で「録音や写真撮影は禁止する」という規定を設定している会社はたくさんあるが、スマートグラスの利用を禁止する規定を作る会社はすぐに出てくるに違いない。

 

ただ、2019年現在の判例によれば「同意を得ない録音、あるいは許可がない録音であっても証拠には採用」されるので、もしスマートグラスの利用が許可されていない会社であっても、例えばセクハラやパワハラの証拠に使うことは法的には問題ないと判断されるに違いない。

 

結果として、表に出てくるようなパワハラやセクハラを抑止する効果は出てくるだろう。それがいいことかどうかというのは、おそらく議論を呼ぶであろうが、おそらくは支持する人間の方が多く、また利益を得る人間の方が多いだろうと思う。結果として、スマートグラスの活用は急速に進むに違いない。



常に緊張感を持つ社会に

 

こういった世界では、どこで誰が自分の発言や活動をデジタルデータに残しているか判断することが出来ない。そうなると、ほとんどの人が「自分の行動は記録されている」という前提で活動をするようになるだろう。ちょうど、「幸福な監視国家・中国」で運転マナーが劇的に改善されたようにだ。

 

こういった状況は、社会にいる全ての人にかなりの緊張感を強いることになるはずだ。なにせ、ちょっとした冗談やつい出た本音が記録され、時には思うままに編集されてしまい、あっという間にデジタルの世界で広がるのだから。正直いって、人間がそのような緊張感を長期間保ったまま、正常に生活することが可能かどうかすらわからない。

 

それでも、この流れを押しとどめることは中々難しいと思う。なぜなら現在は虐げられている人、あるいは我慢をしている人から見たら、現状を変えるための有力な道具になるからだ。もちろん、社会を管理する側も積極的に利用するようになるだろう。

 

Fakenewsに見られるデジタルデータ改ざんなどを考えると、このように全てをデジタルデータに還元できる世界が幸福であるとは言うことは出来ない。それでも、いずれは全ての空間がデジタル化されて、我々は今よりはるかにお行儀の良い世界に暮らすようになるのではないだろうか。そしてその世界では、おそらく「デジタルに触れない権利」について、今よりもずっと真剣に議論がされることだろう。

2019年6月17日 (月)

日本ではS級が今後生まれるだろうか (書評: 中国S級B級論 ―発展途上と最先端が混在する国)

中国ウォッチャー的には、twitterとブログで中国政治を解説している水彩画@suisaigagaga が書籍デビューすると言うことがおそらく一番の楽しみであったであろう本書。とはいえ、話題性だけの数多ある色物中国本ではなく、本作の執筆陣はいずれも実力派揃いである。それぞれの領域で積極的に発信をされている方々ばかりなので、常日頃から発言をチェックしている人にはやや物足りないかもしれないが、いわゆる「遅れてて笑える中国」から「最先端のIT活用大国である中国」まで日本人がもつ中国のイメージが変化していく中で、実態として彼の国はどのような状態にあり、どうしてそのような進化と並存が可能になったのかを解説するのが本書の狙いである(詳しくはここをご参照のほど)


● S級が生まれる前の中国と、サービスの萌芽 ●517yla18bwl_sx342_bo1204203200_


2007年〜2013年という自分が大陸に住んでいた時期は、本書で取り上げられたS級はちょうどサービスの芽が生まれた頃にあたる。Wechatはすでに存在していたが、まだpayment機能は実装されていなかったし、Alipayはweb上では利用可能だったが、今のように広くどこでも利用できるものではなかった。4Gは商用化されていたが、アプリによる様々なサービスが実現する直前という時期だったと言えるだろう。当時使っていたスマホはHTC製、いまではすっかり存在感を失ってしまったが当時はトップメーカーだった。


一方で、S級が産まれるような土壌というのはすでに十分に育まれていたように思える。米国のTopスクールをでた中国系の人間が大陸に移ってきてビジネスに参加するということも普通にあったし、TencentやAlibabaは積極的に中国国内の理系トップを高給で採用をするようになっていた。給料が高いが仕事は激務・・・というのが、当時の中国国内におけるこれらの企業のイメージだ。
また、スタートアップの成長スピードもかなりのもので、中国における食べログのような存在であった大众点评は、私が最初に務めた企業で上海に赴任した時に作ったサービスをわずか数ヶ月でコピーしてリリースし、営業体制もあっという間に構築してしまった(今では合併して美团大众点评という会社)。この会社とはその後数年経ってビジネススクール時代に訪問することがあって、「あの機能を実装したのは、自分なんだよ」と話したら、驚かれて色々と深い話をすることができた。


デジタルの世界では、そのころはアプリというよりもWEBサービス全盛だったし、さらにWEB上のサービスといってもFlash利用がものすごく多かったのだが、それでも当時のデザインレベルやゲームアイデアなどは急速に改善しており、遠からず米国にキャッチアップすることは容易に想像される未来だった。本書で取り上げられる企業のいくつかはまだほとんど世界に知られていなかったが、それでもS級への揺籃期にあたる時期に僕は上海にいたのだろう。


 


● S級は屍の上に ●


本書の主要テーマではないのでそれほど深堀はされていないテーマの一つに、中国における猛烈な競争環境があげられる。シェアサイクルが一つの例としてあげられているように、中国では新しいサービスが生み出されると、雨後の筍という言葉ではとても生易しいぐらいのスピードで猛烈な速さで次々と類似サービスが産まれてくる。さらに、そこに豊富な資金が提供されることで、広大な国内展開と国際展開が同時行われ競争環境は加速されるという構造にある。


この過酷な競争環境は猛烈な勢いで製品の改善を促す一方で、投入された資金があっという間に消費されていくという状況もうみだし(中国語では焼銭と呼んでいる)、資金が尽きた企業は市場から退場をしていくことになる。さらにこれらの新興企業に加えてAlibaba, Tencent, Baiduなどの既存プレーヤーが時に投資を行い、時に類似サービスを立ち上げて市場を加速させる。


 


そういって競争の末に本書でS級と呼ばれるサービスが立ち上がるのだが、その裏には膨大な数の屍(退場した企業と実を結ばなかった投資)が並ぶことになる。中国のように成長が早い市場では、新興企業での失敗自体は必ずしもキャリアでマイナスになるわけではないし、個々の人間にとっては有意義な経験となることも多いはずだが、それでも投資側からすると投下資金が溶けてしまうという現実には変わりがない。
中国のイノベーション議論ではその社会実装の柔軟性が取り上げられることが多いが、資金投入側のリスク許容度という意味においても日本との違いは大きい。


 


● 今後日本でS級はうまれるだろうか ●


本書を読んでいてずっと自分の頭の中にあったのは「中国ではS級が”新しく"産まれた。では、日本はどうだろうか・・・?」という疑問である。自分もプレーヤーの一部であるだけに、あまり悲観的な話をすべきではないが、この疑問に対する答えは残念ながらNoだ。
完全に整理しきれていないものの、中国においてS級が産まれ、日本において産まれないであろうと想像されるのは主に以下の理由だ。



  1. 人材の高い流動性
    中国国内において問題とされていることの一つに「人材がなかなか一つの企業に定着しない」というのがあげられるのだが、ことイノベーション関連に関して言えば、この流動性の高さは武器になっている。特に「立ち上げ → 撤退」が繰り返される分野においては、人材流動性が高い社会では前職の失敗が必ずしもキャリアの停滞を意味しない。人材が常に撹拌されているような状況においては、「過去の経験」をすぐに最前線や高い地位で使うことができる可能性があり、社会全体としての活力を生み出している。


  2. 国際展開のスピード
    中国のS級と呼ばれるスタートアップは、国内に広大な市場を持つにも関わらず、創業当初からすぐに国際展開を狙っている。確かにAlibabaやTencentといったプレーヤーは非関税障壁とも言える国策によって守られていたが、今ではそういった保護が必要ないぐらい、圧倒的なスピードで国際展開が行われる。これは、一つには中国人のハイレベル人材は英語を苦にしないこと、もう一つには各国に中国系人材(中国語を話せる人材)が多くいるということが要因としてあげられるだろう。確かに中国においても「まずは中国市場で成功して・・・」という考えはあるが、そもそものスピードが違うので、日本から見るとあっという間に国際展開が行われているように見える。


  3. 投入資金の柔軟性
    成長中の今だから出来ることという気もするものの、上述したように中国における投資熱というは凄まじいものがある。明らかに技術的にはおかしいもの、あるいはコンセプト自体がずれているものであっても、とりあえず派手で成長感が出ていればお金が集まるという状況も一部にはあるようだ。社会全体としては壮大な丁半博打をしているようなものだが、国全体を一つのVCとして見てみれば、どこかが当たれば他の損を十分にカバーできるわけで、このような(ある意味向こう見ずな)ダイナミズムが成長のスピードを押し上げているように感じる。


本書はそれぞれの分野における入り口を提供するという趣があるので、中国についてすでに一定の知識がある人には物足りないかもしれないが、全体を通して読むことで週刊誌やWEBメディアで得る断片的な情報では描けない中国像の一部を提供することができている。もちろん、これで全てだ・・という気は毛頭ないが、最初の一歩として手に取るにはかなりのおすすめである。

2018年9月14日 (金)

AIの"A"は何という単語の頭文字なのか

Artificial(人工)だというツッコミはあると思うのですが、本日は最後までお付き合いください。

最近すっかり日本では次のビッグウェーブとしてのAIという単語は定着あるのだが、このAIという単語、何の略なのかはご存知だろうか・・?ほとんどの方は「Artificail Intelligence(人工知能)の略である」と答えると思う。


正解は‥‥その通り、”ほとんど”の場合においてAIのAはArtificialの略と言われている。ただ、ほとんどと書いた通り、例外もある。例えば、日本のAIソフトウェアとしては最もブランド力があると思われるWatsonは、かつてはAugumentated Inteligence(拡張知能)の略でAIであると言っていた。結局この言葉とIBMが進めていたコグニティブ(Cognitive)という言葉は市民権を得ることなく、ほぼ消えてしまったのだけれれども・・。。

当時IBMにいた時の私はこの言葉を聞いた時には「何を独自性を出そうとしてるんだ、素直に普通と同じ言葉を使えばいいのに」と思っていた。以前はe-businessとか、Smarter Planetといったマーケティングワードで世の中の流れを決めるようなことが出来ていたように見えるIBM(これをアジェンダセッティングと言います)だけど、既にAIやクラウドの世界で流れを決定できるほどの力はないのに・・・と。
ところが、今の会社に移って毎日米国の研究者と会話したり、米国での研究のトレンドを勉強するようになると、IBMが提唱していたAugmentationと言う概念は正しかったのではないかと言うようにあらためて感じるようになった。


● 人間の能力を拡張する ●

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AIだけでなく様々な分野で未だに先端を走っていると言われているシリコンバレーで技術の話をすると、よく出てくる言葉が「Augment」だ。例えば、AR(Augmentation Reality)はまさにこの言葉が入っているが、これはリアルな情報と電子情報を重ね合わせることで、人間の視覚や情報処理能力を増強する/拡張するという取り組みをさす。 例えば、人間がパッと見ただけではわからないような複雑な設計をした構造物に対して、データベースに格納された設計情報を付加することで、人間が付加情報と実際の建築物を同時にみることが出来るようになる。これは「視覚」を増強したものだということが出来るだろう。

これだけでなく、ロボットやハードウェアを開発する際にもAugmentationという概念は常に意識されている。日本でもサイバーダイン社などが開発している体につけて人間のサポートを行うようなロボットは開発されているが、人間が装着することにより能力を増強することが出来るようなロボットは「筋力」を増強したものだと言えるだろう。 かように、シリコンバレーで開発されている技術の多くは「人間の能力を高めて、新しいものを生み出そう」という発想がそこかしこにみることが出来る。


一方で日本で技術の話をすると、まずAutomationによる「コスト削減」という話がメインで出てくる。現状で人間が行なっている作業を機械にすると、だいたい何人の労力をロボットがカバーすることが出来るので、だいたい○○円コストを削減することが出来るということである。こういった発想は確かにビジネスにとってはすごく重要だが、これだけでは全体としてビジネスの規模を拡大することは出来ない。いわば、この発想は現在のパイの中で、どれだけ旨味のある部分を取るか・・といった発想に近いのだ。

もちろん米国でもコスト削減のためのAutomationというのは重要なテーマだし、日本のように人口減と労働コスト増大という問題に直面すれば、必ずコスト削減のための技術利用というのはもっと積極的になるだろう。私もAutomationによるコスト削減に意味がないというつもりは毛頭ない。それでも基本的にAutomationというのは「引き算」の発想である。「Automationにより、XX人の仕事を自動化することができるので、YYのコスト削減を測ることが出来ます」というのが、こういったアイデアを検討する際に必ず出てくるビジネスケースというやつである。


● 人間がAIや機会と共存するために ●

日本で多くの企業と話していると、ほぼ必ずといって出てくるのは「人間にしか出来ないことがある」「人間ならではのものを求めている」という単語である。確かにそういうものは今後も相当の期間は消えないだろうし、当面のところは人間のみができること、を、売りにしていくのも一つの戦略だといえる。

一方でそういう主張をする多くの方が「人間にしか出来ないものがある」というバイアスで物事を語っている、もっというと「人間にしか出来ないものがあってほしい」という願望を込めて話しているということもかなり多い。それは時には自社の雇用を守らねばならないという使命感かもしれないし、あるいは機械に自分たちの仕事を奪われてしまうという漠然とした恐怖感かもしれない。具体的に、「何を」「どこまで」「どのようにすれば」機械と人間の仕事を切り分けられるのか・・・ということを考えずに、まず否定の感情から入ってしまい、詳細な分析を行うことが出来ないのだ。


こういった議論をする時に重要なことは、我々人間自体も周囲に存在するテクノロジーによって進化/変化していかという視点を持つことである。例えば、コンピューターが生まれるまで、長い間計算には算盤が必要だったが、今では趣味や教育効果を狙っている以外で算盤を使うことはほとんどないといっていいだろう。あるいは我々の世代にとっては「学ばねばならなかった」タイピングは、1世代下の人間にとっては当たり前の作業となったし、もっと下の世代ではフリック入力が当たり前になってしまって、逆にまたタイピングは「学ばねばならない」ものになった。これを進化と呼ぶかどうかを別として、このようにわずか10年単位で多くの人間が平均的に持つであろうと思われる能力は変化してしまっているのである。


これと同じことはAIがより社会に入ってきた際にも、間違いなく起こる。人間はその裏側のブラックボックスを理解せずとも、慣れとともに納得して利用する生き物なので、今の人間にとって奇異に思えることが、次もずっとそうではないとは言い切れない。
テクノロジーに向かい合う人間や日本企業は、「テクノロジーによって何を実現できるのか?」「それは今の我々の作業(仕事)のどこまでを代替するものなのか」、そして「私たち人間はその変化をどのくらいのスピードで受け入れるのか?」を常に問うべきだと思うのだ。

2017年12月 7日 (木)

「製品思考」というAWSのスタンスがよくわかるインタビュー

自分はビジネススクール帰国後に入った会社に変わらず勤めているというまあまあレアな人間なのだが、今の会社ではここ2年ほどクラウドとAIに関するマーケティングの仕事を担当している。こういってしまうと、その業界にいる人はほぼ100%どの会社にいるのかがバレてしまうのだが(というか、先日のタイトル変更でプロフィールに勤務会社名を記載したので、そもそもそういう心配はいらないのだが・・・)、一応Blog本文では会社名を明かすことはやめておく。


クラウドの領域で最も売り上げが大きく、かつ成長率も大きいという会社がAmazonの子会社であるAmazon Web Service(AWS)だ。現在では総合クラウドベンダーは米国発のAWS、MicroSoft(MS)、Google、そしてIBMにほぼ集約されてしまった感があるが、その中でもダントツで売り上げが大きく、その上で成長率も最大に近い・・・つまり後続をさらに引き離している恐ろしい会社である。


タイトルからもあったり前ではあるが、僕はその競合会社に勤めており、日々AWSの活動には目を光らせている。・・・・というかいやでも耳に入ってくる。ITベンダーはだいたい年に1回アメリカのどこか、だいたいラスベガスかカリフォルニアベイエリアで、大きなイベントを行うのだが、AWSのビッグイベントであるre:Inventは競合から見ても非常に楽しみなイベントである。
AWSの凄いところは、ちゃんとこのイベントで「新しい製品」をドンドン発表できることである。こういったイベント行うときは集客が心配なので、つい新しい情報を事前に小出しにしてしまうのだが、AWSはそういうことをしない。こういったことをしなくても集客ができるという自信があるんだろう。


このイベントにあわせてAmazon.comのCTOであるWerner Vogelsのインタビューが掲載されていた。

AWSはなぜAIやブロックチェーンに冷たいのか

このインタビューに出てくるWerner VogelsはAWSのコミュニティでは深く尊敬されていて、彼が東京のイベントで登壇すると会場のボルテージが上がるのをはっきりと感じることが出来る。そのWernerが日本語のインタビュー記事に出ていたので、大変興味深く読んだ。いわゆる「業界の中の人」からすると、AWSのスタンスがとてもよくわかる記事で、さすがITProグッドジョブという感じである。


競合から見ていても、最も気持ちがいいと思うのは、彼が明確にAWSは「製品思考(プロダクト・シンキング)」であると言っていることだ。
自分が在籍している会社だけでなく多くのITベンダーは、もう長い間・・・おそらく20年以上に渡って「製品==プロダクト」でもなく「技術==テクノロジー」でもなく、「ソリューション」を販売することを心がけていた(※1)。単なるモノを売るのではなく、お客様の課題を解決しようというわけだ。なので、社内にコンサル部隊を抱えたり、「ソリューションセールス」のような役職名をつけて営業活動を行ってきたのだ。日本風にいうと「モノよりコト」というやつだ(※2)


それに対してAWSのスタンスは明確に異なる。彼らは、今ではかなり大きなセールスとアーキテクトを社内に抱えているが、もともとは「製品(プロダクト)」のみを販売するというスタンスだった。日本ではいわゆるユーザーが内製をしているのはまだまだ少ないので、ITベンダーが担いで販売するというスタイルではあるが、AWSは製品を提供し、アーキテクチャーやアプリケーションは利用側が考えるというのが基本スタイルである。ただし、製品だけをただ発表すると訳が分からなくなってしまう顧客もたくさんいるので、ソリューションパターンをまとめて、誰にでも手が届く場所に置いておいたり、ユーザーコミュニティに積極的に投資したりしている。


今のところこういったAWSの取り組み方はとても上手く行っている。プロダクト思考の1番良いところは無用なカスタマイズを避けられることで、正しく製品開発に集中することができるということである。ソリューションを届けると言うのは、どうしても顧客の課題にフォーカスをしてしまうため、カスタマイズや顧客の意見を聞きすぎると言う課題を、提供ベンダー側がコントロールしなければならない。
また、ソリューション志向と言うのは顧客の意見を聞いてからスタートするので、ある程度顧客とのたちポイントに知識やスキルが求められる。これはスケールすることこそが1番のメリットであるクラウドのコンセプトとは大きく矛盾している。


もう一つ、競合から見ていて素直にすごいなぁと思うのは、CTOという要職にいる人間が、日本の1ウェブメディアのインタビューに答えられるフットワークの軽さである。米系企業、特に大手ITベンダーは一つ一つの発言が株価に影響をしてしまう(という恐れ)を抱いているので、インタビューを受けることがあまりない。あるとしても、広報ががっちりカバーしてなかなかフランクな話を出来ないものなのだ。
今回のインタビューも裏側では色々な人がチェックをしているのかもしれないが、それでもこういう感じで話ができるというのはやはり自分たちへの自信があるのだな・・と強く感じたのだった。後半部分のように一見いらなそうな内容が残っているところとか、あまりチェックが入っていない感はある)。


※1・・・ソリューションというのはなかなかいい日本語訳が思い浮かばない。解決法とでも訳すのが一番しっくりくるのだが、ちょっと違う気もするし。。。

※2・・・実をいうとこの「モノよりコト」という言葉は大嫌いだ。コンサルをしている時にメーカーの営業戦略を話すと、ほぼ必ずクライアント側から「営業戦略」として出てくるこの言葉だった。ただし、「モノよりコト」という言葉で、いったいどんなアクションが導かれるかということが語られることはほぼない。思考停止を導く素晴らしいMagic wordだと思う。