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カテゴリー「MBA」の記事

2019年3月 6日 (水)

CEIBSが今年のFT MBA ranking5位に

多少の上下はありつつも基本的に右肩上がりを続けている卒業したCEIBSのMBA ranking (Financial Times)もついに2019年版では5位になったようだ。上にいるのはウォートン、HBS、スタンフォード、INSEADという文字通りの世界的なMBAスクールのみで、下にはLBSやChicago Boothがあるという、なかなかに壮観な表がFTのページを開くと出てくる。なんと、MITよりも上なのだ。なんかの間違いじゃないかと思わずにはいられない。

Business School Ranking from the Financial Times 2019

20190306_113815_2


まあ、これはFinancial timesによるものなので、あくまで一面的な評価でしかない。他のMBAランキングでは名前が全く出てこないということもまだまだあるわけだし。以前にも書いたことがあるように、CEIBSの運営はある意味で非常に企業的に「MBAランキングをあげること」を目標にプログラムが組まれている。MBAランキングは様々な指標により構成されており、結局このランキングを目標にすることは学生側にとってもメリットになることが多いため、基本的にランキングをあげるための努力をするということは、学生の視点から見ても間違っていないとも思う。


ランキングの決定の中で最も重要な要素の一つは「卒業後のサラリーアップ」で、この項目でCEIBSは非常に強い(※1)。海外から来た学生が大きくサラリーを上げる機会を多く手に入れることはなかなか難しいと思うので、この項目に主に貢献しているのは大陸の学生だと思う。とはいえ、僕自身もそうであるように、5年後ともなると、それなりに帰った後の評価も上がってくるので、海外に戻って行った卒業生もこの項目には少しは貢献をしているはずだ。

一方で、今回の項目の中では「卒業生が推薦するかどうか」というところでは、あまり成績がよくなかったと聞く。これは卒業生が後輩に対してスクールを推薦するかどうか・・ということで、究極的には個人の考えによるものだが、確か僕もこの項目ではそれほど高い点数はつけなかった記憶がある。理由としてはだいたい以下のようなもの。

  • 学費や生活費が上がって来たので、かつてのように「米国と比較して安価にMBAを取れる」というメリットが薄れて来てしまったこと。近しい金額を払うのであれば、欧米のビジネススクールを比較した上で決定をした方が良いと思う。
  • 中国経済のレベルが上がって来て、”先進国の人間"ボーナスが使いづらくなったこと。日本に戻って中国企業に雇ってもらうということは可能性としてあるが、大陸で働こうと思ったら自分がいた頃よりもさらに厳しい戦いが待っていると思う。現地採用でいいというのなら別だが、大陸で幹部候補生のようなキャリアを外国人が得るのは大変難しい。
  • 日本ではまだまだCEIBSの知名度が低くて、外資系コンサルやIBDなどに入ろうとした際の「下駄」がまだまだ低いこと。高くなった学費の元をとるためには給与の高い環境にいかなければならないが、CEIBSだとまだちょっと難しいように思う。


上記を見てもらえばわかるように、もし後輩がMBAを取るということにフォーカスをしているのであれば、他の選択肢も検討すべきというのが僕のスタンスである。一方で、もし中国ビジネスにかけたい、なんとしても中国で成り上がりたいのだ・・・という人がいれば、依然としてCEIBSはトップの選択肢の一つとして検討されるべきだと思う。Rankingがいいという理由でCEIBSを受けてくれる学生もいるだろうし、実際にそういう学生を拒否する必要は何もないのだが、単純にRankingという視点だけで選ぶとやはり米国の名門スクールとは、まだ日本における機会というのはかなり差があるというのが現実だ。
なので、CEIBSを検討する人は、rankingだけではなく「なぜ中国でMBAを撮りたいのか」をぜひ真剣に考えてから入学をしてほしいと思っている。自分が中国で何かを見つけたいと思うのであれば、きっと素晴らしい体験ができるはずだ。・・・・でも、何かの間違いでRankingが1位になったりしたら、やっぱり嬉しいよねぇ。

※1・・・なんだかんだいってもビジネススクールに行く最も大きな理由は、自分のキャリアをよくすること ≒ 収入を上げることである。世界を変える前に、まずは自分の生活の改善を願うのは人として当たり前だ。。

2019年3月 4日 (月)

CEIBSが提供する1+1 lecture Tokyoに行って来た

少し前になってしまうが、2月の上旬は母校であるCEIBSが日本で課外講義+ネットワーキングパーティーを行うということで、久しぶりに卒業生(Alumni)として参加をしてきた。Global MBA rankingの上位にそれなりに安定的に入るようになって来たCEIBSだが、依然として日本人の入学生は少なく、プロモーションのためにこういったイベントを初めて数年(今回が5回目とのことであった)。数年間はほとんど結果が出なかったものの、2018年度入学生は5名と過去最高の日本人学生数となったとのことで、さらなる学生増を狙っているようである。

今回のイベントはCEIBSの教授が東京で現在ホットなトピックのレクチャーを行うということで、テーマは「米中貿易戦争と日本への影響(US-China Trade Conflicts and the Impact on Japan)」。授業を行うのは、我々の時代には全員必修だったマクロ経済を教えているXu Bin先生である。
マクロ経済はおそらく日本の大学の学部レベルにも満たない授業内容ではあったと思うのだが、授業は今回来日したXu BinとBalaという屈指の人気教授の二人でわけあって授業が行われていた。


ものすごく情熱的な授業を提供し、またフィランソロピーにも積極的に参加するということで学生の間でも人気の高かったBalaと比べると、当時のXu Binはより学者肌という感じでいかにも大学の先生という感じだったのでそれほど印象には残るタイプの教授ではなかった(ただし中国人の先生にしては、恐ろしく親しみやすかったらしく、中国人の間で人気は高かった)。
また、英語のアクセントが微妙にわかりづらいため、一生懸命話してくれてもよく内容がわからないということが時々あり、個人的には授業中にどうしてもわからなかった内容を偏微分方程式を使って議論をしたことを覚えている(それにより、同級生からはMath Masterというあだ名をいただいたのも懐かしい思い出である)。

今回は、そのXu Bin先生が提供する1時間半のプロラグムがメインコンテンツだったわけだが、久しぶりに話を聞いて、いい意味で驚きがあった・・・というか、Xu Binこんなに授業うまかったっけ?という感じで、聞き入ってしまった。CEIBSは世界TOPクラスのビジネススクールになるという目標を明確にしているだけあって、結構指導側の入れ替えも激しいのだが、さすがに長年生き残っているだけのことはあると感心した。というか、気がついたらAssociate Deanにもなっているし、偉くなったんだなぁ。

先生の話の中で面白かった内容を箇条書きするとこんな感じ。もともとCEIBSは中国にありながらもかなり「気を使わずに発言をする指導陣」が多かったのだが、今回は日本にいるということで、さらに積極的に自分が思っていることを話してくれたのではないかという気がする。
  • 政治的な意思決定は常に国民の動向を意識して行う必要がある。これは米国側のリーダーであるトランプだけではなく、中国側の習近平も同じである。共産党による一党独裁であっても、なんでも自分の思い通りにできるわけではない。
  • 現在の米中貿易紛争は、イデオロギーの戦いではなく、形の違う資本主義同士の戦い。なので、米国にとっては冷戦とは異なる側面がある一方で、かつての日本との戦いから学んでいる点がある。
  • 中国の資本主義は米国の資本主義と異なるというのは事実。一方で、中国経済が成長しているのは「共産党による管理・指導」があったからという認識は間違い。政府による介入や管理がなければ、中国経済の発展はもっと加速するはず。
  • 今後10年以内に、中国のGDPは米国を抜くと予想するが、それが真の意味での経済的な優位性や国の優位性を意味するわけではない。例えば、米国のパスポートとと中国のパスポートを比較した時に、どちらを取得したがる人が多いかで、国の優位度が計られたりもする。
  • 中国は中成長の罠から抜けられるかまだわからない

に気になったのは、ここ数年International Student(中国籍以外の学生数)の数が一貫して低下していること。データ上では自分がいた2011年入学組がピークでその時はだいたい45%が外国籍だったのだが(台湾籍、香港籍含む)、今はそれが30%程度に低下していた。DiversityはMBA rankingの評価要素の一つで、CEIBSも積極的に外国籍の学生を採用しようとしていたが、最近は少し戦略が変わったのかもしれない。
学費も上がって来たことでCEIBSのコスト上のメリットが薄くなったということもあるだろうし、中国が成熟して来て、外国人を「中国国内で採用する必要」がなくなって来たということかもしれない。いずれにしても、現在スクールにいったらかなり雰囲気が違っているんだろなぁ・・・。

2018年1月29日 (月)

MBA留学時の借金返済完了

先日MBA留学時に借りた留学資金(ようするに借金)の返済が終了した。MBA生活が始まったにが2011年8月だったので、返済完了までざっと6年半かかったことになる。当初の予定では5年で全額返済を予定していたのだが、結婚・帰国・結婚式・子供の出産とお金がかかるイベントが次々とあったため、予定よりも1年半ほど遅れて返済が完了した。資金を出していただいた方々には、あらためて留学資金を貸してくださったこと、そして返済を待っていただいたことにこの場で御礼申しあげたい。

今回はせっかくなので、MBA留学資金について簡単に書いておこうと思う。


留学資金のファイナンス

MBA留学は高い。米国では2年間で1,000万円を大きく超える金額が必要になるし、米国に比べて安価だと言われているアジアMBAでも学費と生活費をあわせると、2011年入学の自分でも全体で900万円がかかっている(詳細は以前ココに記載した)(※1)。僕のような私費学生にとっては、MBA留学のROIを考えるのはもちろんのことだが、まずはその投資費用をどのように工面するかを考えなければならない。

私費留学生の中には実家の支援を受けることができる人とか、遺産が入ってきたのでお金のことは考えなくても問題ないという人もいるが、普通の人はだいたい次の方法を組み合わせて資金を準備する事になると思う。

  1. 留学までに溜めた資金(いわゆる自己資金)
  2. 公的機関からの借り入れ(※2)や給付
  3. その他の借り入れ

その他の借り入れで最も取りやすい選択はフリーローンを使うということだろう。これはそれほど金額が大きくないが、継続的な収入があれば使うことができる。他にもクレジットカードの与信を使うという方法もある。社会人だと数枚は持っていることが多いので、かなりの金額を集めることができる。この方法のネックは金利が結構高いことだろうか。

この他の方法としては、僕が使った方法でもある「友人から借りる」という方法がある。僕の場合は中国にいて、しかMBA直前はベンチャーをやっていたということで他の方法を選択できないという理由でに、いわば消極的な選択だったが、先立つものがなければ留学もできないわけで、これまで積み上げてきた人脈に頼ることにしたというわけである。


個人から借りようと決めた際に考えた方法論は以下のようなものだ。

  1. 個人間とはいえ担保なしで借りるわけなので、最低限の利子は設定する。
  2. 一人から多額を借りようとすると難しいが、小分けにすれば貸していただける人は増えるはず。僕の場合は一口50万円でお願いをした。
  3. 借りたい金額の3倍ぐらいの「お願いリスト」を作成する。

まず1については利率が決定していない時に適応される5%でお願いをした。担保なしなのでかなり小さいが、個人間の場合は利率を高くすれば貸していただけるというわけではないので、失礼に当たらない程度の利率を設定した。

2については、当たり前といえば当たり前なのだが、「500万貸してくれる人を頑張って探すよりも、50万で多い方が楽だろう」という想定で声かけをした。僕の最初にいた会社は長い間非上場だったのだが、当時は数年以内に上場をすることが想定されており、50万ぐらいであれば迷惑を感じずに貸してくれる方が複数いたのと、中国生活でベンチャーキャピタルなどの比較的お金に余裕を持つ方に出会うことができたという幸運から、この作戦はうまくいき50万円ぐらいなら問題ないよ、といっていただける方をたくさん見つけることができた。

3については、これも営業をしていた人間にとっては当たり前の感覚なのだが、最初のお願いで"Yes"といってくれた方の全てが実際にお金を払っていただけるわけではないだろう・・・ということで、実際に必要となる金額よりもたくさんの方に当初からお声をかけることにした。実際に、お酒の席では「そんなの問題ないよ」といってくれた方でも、いざお願いにいくとやっぱり担保なしでは難しいという方もいたし、ちょうど新しい事業をしたいから現金は一円でも多く確保しておきたいという友人もいた。 そもそもお金の貸し借りというのはただでさえ人間関係を壊しかねない話なので、最後まで気持ちよく貸していただける方に借りる方がどちらにとってもよいことであり、不必要に必死にならないためにも、この作戦はうまくいったと思う。

結果として、僕は友人にも恵まれ無事に必要な金額以上を集めることができたし、冒頭に書いたように無事に全額利子付きでお返しをすることができた(※3)。ちなみにビジネススクール後に就職活動中にこの金策方法を人事部に話したら、大変爆笑&感心されて、そのまま内定をいただくというウルトラCを実現したこともある。


実際に払い終わってみて感じることは、MBAに行くための条件として資金が必要とされている以上、お金を準備するということはGMATの点数やエッセイを書くのと同じように「MBAヘ行くための資格」だったということだ。
私費はどうしても資金面でハンデがあるとはいえ、ビジネススクールにいって何事かを将来に向けて得たいと考えるのであればお金を集めることぐらい当然の話で、逆にいえばそのお金を集めることもできないのであれば、留学はしないほうが正解なのではないかと思う。
企業をmanagementするという際にやはり資金調達や獲得といった分野が極めて重要であるように、自分という人生をmanageするのであれば、必要なお金を必要なタイミングで集める能力も求められるのではないか・・・と、そんなことを実際に返済が終わった今となると感じている。


※1・・・ここには結婚生活に向けた準備費用や帰国費用、帰国時の日本での住居費用などが含まれている

※2・・・社会人を経験してから再度学び直したいという人向けに国の教育ローンとして300万円を借りることができる。ただ、ここから10%が自動で補償金として取られてしまい、かつ親の名義で借りる必要があるということで使い勝手は悪い。フルブライト奨学金といった給付は枠が狭いので、誰でも使えるというわけではない。

※3・・・何人かの方には結婚・出産祝いということで利子を免除いただけるということまでしていただいた。お礼を十分に述べることができないぐらい感謝しております。

2017年6月11日 (日)

このごろ何勉強してるの?と聞かれて

先日、MBAの同窓会というか、CEIBSの説明会のようなものがあって1学年上の先輩にふと「この頃は何勉強してるの?」と聞かれてから、ずっと心の中にもやっとしてものが残っているような気がしている。


中国にいた時にはまず持って中国語を勉強しないとお話にならなかったし、それがひと段落したらMBA向けにTOEFLとGMATをひたすら勉強する生活を送り、実際にMBAに入ればスクールの勉強+自分がその時々に興味があることをしていたので、振り返ってみると結構勉強している時間が長かった。さらに言えば、大学院を卒業してから日本では2年半しか働いていないわけで、なんというか基本的に人生勉強しっぱなしという感も否めない。

それが日本に帰ってきてからは全然生活が変わってしまった。
まず何よりも変わったのは、結婚して子供ができたこと。僕は極度のビビりなので、妊娠期間中ととにかく妻の体調が心配で勉強なんてものをする気にもなれなかったし、子供が産まれたらとにかく子育てに全力投球ということで自分の時間などほとんど持つことができなかった。2歳半をすぎて、ようやく生活習慣が安定してきてくれたので、少しは夜に時間を持つことができるようになって、フラッとこういう感じで書くことができるようになったけど、これまでは「寝るのが遅く」「いつ起きるのかわからない」ので、とにかく子供と一緒に寝てしまうという生活で、家ではほとんど活動をしていなかったのである。

2つめは会社の仕事。僕は今、外資系ITでマーケティングの仕事をしているのだけど、とにかく勉強しなければならないことが凄く凄く多い。まず、本国からは大量のマーケティング関連+技術関連の資料がドンドコ出てくるので、それを読み込まなければならない。その上、日本国内で作られるリサーチレポートやら戦略関連の資料なども読まないと溜まっていってしまうので、その処理だけでもかなりの時間がとられる。おかげで現在の製品領域に本格的に関わってから1年ちょっとでかなりのことがわかってきたのだけど、それでも相変わらず時間をとられることには変わらない。自分で望んで仕事にしているくらいだから、嫌いなわけではないのだけど、今の技術変化はすごく早いので、とにかく頑張ってキャッチアップしないとあっという間においていっていかれてしまうのだ。
比較すればコンサル時代のほうが資料という意味では全然楽だった。確かに、プロジェクト立ち上げの時には集中的に資料を読む必要があるのだけど、一回巡航速度に入ってしまえば比較的自分の時間はコントロールできた。一方で、今は自分でそのあたりをコントロールするのが結構難しくなっている。

3つめは、日本は誘惑・・・というか色々なことができすぎてなかなか集中ができないところがあるな〜というのは個人としての反省。中国にいる時にがお金もそれほどなかったので、映画へ行こうとかあんまりそういう気も起きなかったし、本を買うにも日本から輸入しないといけないので自由があったわけではない。それに比べれば、今ではTVをつければ動画配信サービスで自由に映画が見れるし、ちょっと街に出かけることも全然楽にできる。ゲームをする時間もあれば、本も自由に見れるということで、正直なところ「勉強」以外で時間を使っていることが圧倒的に多い。


というような感じで、勉強らしい勉強というのはやっていなかったし、特にそのことを自分でもおかしいと思ってはいなかったのだけれども、一方で「そろそろ生産的な時間の使い方をせねばな・・」というのは年頭から思っていたので、先輩の何気ない一言は大変胸にささったのだった。

ただ、ここで「よーし中国語検定をやろう」とか「英語もだいぶ慣れたからCPAあたりをとるか」という気になるのは、なんとなく安易だな〜という気もしていて、多分人生も後半戦に入っている自分としては「明確なゴールがない勉強」というのをするべきなんじゃないかなと思っている。今までの人生、基本的には入試があり、あるいはなんらかのテストがあり、それをクリアするために勉強する・・・というのがほとんどだったのだけれど、もう少し、自分が生きていく上での知的好奇心といった、そういったものをちゃんと探す時間が必要なんじゃないかなと感じているのがその理由だ。じゃあ、何がそれにあたるの・・・というのはすぐに言えないのだけれども、ちょっと時間を使って探した上で、ちゃんと勉強はしていきたいのよね、という気になっている。

2013年10月15日 (火)

[書評]対中とか反日とかワンワードではない中国 -「壁と卵」の現代中国論

日本に帰ってきたら、いままで読むことが出来なかった本をたくさん読もうと思っていたのだが、いざ帰ってくると仕事はそれなりにあるし、友人にもあいさつしたいし(なんせ5年半ぶりの帰国だ)、新生活を安定軌道に乗せたりという中であっという間に半年がたってしまった。いいわけをすれば、結婚・転居・帰国・転職と立て続けに大イベントが発生して、休む間もなかったということ※1


5年半の中国にいる間に、中国関係の本だけでもたくさん出ているし、それ以外にも知識の方向性が変わって読みたい本はたくさん出ている。気がつけばAmazonのWishリストは1000冊を超えていて、さすがに一気に読むことはできなくなってしまったが、少しずつ消化をしているというのが現状である。

そういって読んだ中で、中国関係や話しておきたい本についてはこのblogでは書いておこうと思う。今回はそういう本の一発目として、梶谷懐さんの「「壁と卵」の現代中国論  リスク社会化する超大国とどう向き合うか」という本をとりあげたい。


 

目次:
第1章 自己実現的な制度と私たちの生活  
第2章 グローバルな正義と低賃金労働
第3章 赤い国のプレカリアート
第4章 中国とEUはどこが違うのか?――不動産バブルの政治経済学
第5章 米中の衝突は避けられないのか?――中国の台頭と人民元問題
第6章 歴史に学ぶ中国経済の論理
第7章 分裂する「民主」と「ビジネス」
第8章 これからの「人権」の話をしよう
第9章 日本人の中国観を問いなおす――戦前・戦後・現在
第10章〈中国人〉の境界――民族問題を考える
第11章 村上春樹から現代中国を考える

あとがきに代えて――リスク社会化する中国とどう向き合うか


「壁と卵」といっても、本書は村上春樹を論じるものではない。もちろんわざわざタイトルに持ってくるだけあって、著者は村上春樹のファンであると著書内に記してあるが、本書が主題とするのは現代中国におけるいくつかの一般市民とシステムに関する話題 -一つ一つでも十分に大きなテーマとなりうるが、あえて「壁と卵」=「システム」と「個人」という観点から問題点を括っている‐ である。

2011年の後半に出された本書は、ちょうど中国へのジャスミン革命の波及の懸念がひと段落された頃に出された本である※2。2年たって読んでみると、この本で取り上げられている内容と言うのは、確かにあの時の影響を感じさせるものではあるけれど、同時に現在進行形の内容でもある。なぜなら、ジャスミン革命事態は中国で大きなうねりを見せることはなかったけれど、あの時期確かに中国は緊張していたし、今もってその緊張感は変わらず中国の底で流れているようにも感じられるからだ。


この本は章ごとに別々のトピックが取り上げられているので、、全体をまとめて書評することは難しい。そこで、今回はMBAでも似たような話をとりあげた第二章について簡単に僕の考える話を書いておこうと思う。

第二章では先進国のグローバル企業が中国においてCSR活動を広げることについて、批判的な観点からと肯定的な観点、両方を紹介するという形をとっている。どちらかというと本書ではグローバル企業が行おうとしている発展途上国におけるCSR活動については批判的な視点で物事を見ているが、僕には十分にフェアな議論をしているように思えた。

グローバル企業が新興国で行うCSR活動と言うのは、簡単にいえば、例えばNikeで問題視された自動労働(チャイルドレーバー)や、この本が出版された後に繰り返し中国で目の敵とされたAppleへのサプライヤーによる環境破壊に対する対応など、いわゆる「欧米的人権・CSR」から発展途上国における経済活動を改善しようという試みである。
本書ではこういった活動が、単に欧米側の自己満足や現地ニーズにそぐわない形での援助(本書ではプランナーと呼んでいる)となる傾向にあることを指摘したうえで、現地ニーズや状況をしっかり理解したうえで活動を行うことが重要という指摘を行っている※3


こういった「発展途上国におけるグローバル企業の取り組みの偽善性」というのは僕がいいたMBA Schoolでも当然のように議論をされるのだが、個人的には少なくとも現場レベルにおいては企業に属している人間であっても、この問題に対して真摯に取り組んでいる人間もいるし、また効果のある部分もあると考えている。
例えば授業ではNokiaの例をとりあげて、実際に欧州から工場に査察に来て改善指導を行おうとする担当者と、何とか実情を隠そうとする工場側のやり取りのビデオを見たことがあった。このビデオ、最後には担当者が改善活動に疲れきってNokiaを退職するところまでを取り上げていた何ともほろ苦い気持ちにさせてくれたのだが、それでも少なくとも現場レベルでは試行錯誤をしながらも取り組みを何とか成功させようとしているという実例で、単にグローバル企業の取り組みが掛け声だけではない、ということを実感させてくれるものであった。

またAppleのサプライヤーの例に関しても、中国と言う場で議論をしていることもあり、Appleはサプライヤーをたたくだけでなく環境保全分の金額も上乗せして払うべきだという意見が驚くほど多かったのだが、一方で効果が全くないという意見はほとんどなかった※4。というのも、グローバル企業のサプライヤーの例に関して言えば、仮に形だけの対応を行っているような場合に問題視するのは「同じように欧米から来ているNGO」の場合が多いからだ。


「先進国マーケットにおけるマーケティングのために掛け声をあげるグローバル企業」と「同じく先進国の価値観で監視を行うNGO」が、発展途上国という「場」でやり取りをしているという構造である。
この構造だけを見れば、確かに中国地場の外部プレーヤーがやり取りをしているだけでしかないが、一方でそのサプライチェーンには中国企業(正確にいえば中国マーケット)も確かに組み込まれているわけで、全く影響がないということはあり得ない。


結局のところここで僕がいいたいのは、グローバル企業の活動がある意味プランナーとしての活動となって効果がないという批判もまた、企業活動の現場を十分観察していない「プランナー的な批判」になっているのではないか、ということだ。ビジネスというのは、個々の企業活動とは別に現場の人間のなにがしらの思いと言うのは必ず反映されるものだし、むしろ個々のそういう思いと企業の方向性が一致するような仕掛けづくり(あるいは単純に人事)を行うことこそ、企業運営の一つの力なのであはないかと思っている。

何だか話がずいぶんととっちらかってしまったが、本書ではこの章の話題のように、一貫して著者は「壁と卵の対比する視点」(あるいはマクロとミクロの視点)のバランスをとるように気を配って議論を進めている。

わかりやすい「対中戦略」や「反日」の掛け声だけではない、中国という「場と人」を考えるにあたっては、よいきっかけとなるのが本書ではないだろうか。


※1・・・実際に8月中旬の夏休みまでは本当に体の調子が悪くて困っていた。
※2・・・僕がMBAに入学したのは2011年秋だが、時間があった自分は上海でのジャスミン革命の影響でデモが起こると言われた場所に写真を撮りにいったりしていた。今考えれば随分のんきなものである。
※3・・・正確にいえば、そのような参考文献を参照したうえで議論を行っている。
※4・・・ビジネス的には、Appleが金額を上乗せするべきという結論が出るのはおかしな話なので、授業に出ている時は軽い絶望感を感じたのであったが。



2013年9月17日 (火)

故あって「巨象も踊る」を読み返す

今の職場に入ると決まってとりあえず最初に読もう・・というか、読みなおそうと思ったのが、ルイ・ガースナーの「巨象も踊る」。今の職場とどういう関係があるかといえば、もうそれは察していただくしかなく※1

この本は発売した当時はそれなりに話題になっていたし、今でも大企業経営を語る上ではmust readの一つだと思うのだが、日本に帰ってきてAmazonで調べると在庫がない。。古本で買うのも何か気が進まなかったので、結局英語版をKindleで購入して読んでいたのだが、やっぱりどうも英語だと腰が重いのか中々読み進められなかった。
で、ダラダラとこのままゆったり読むかな~と思っていたところに、妻より「区立の図書館が大変充実してる」と聞き調べたところ、なんと所蔵している。しかも、徒歩10分の別館まで郵送してくれるそうな!・・・ということで、カッコつけて購入した英語版にはそうそうにあきらめをつけて、日本語版でサッサと読み終えたのであった※2

さて、この「巨像も踊る」、ざっくり言ってしまえば90年代の頭に経営危機にひんしたIBMに乗り込んで再生を成功させたCEO、ルイ・ガースナーの回顧録である。ガースナーはIBMの前にはナビスコ、その前はAME、その前はマッキンゼーといわば「経営のプロ」としてのキャリアを築いてきた人間である。そのガースナーが90年代当時、既に終わったと思われているIBMに入ってどのように経営を立て直したのか・・・というのがこの本のメインテーマである。

・・・と書くとかなり面白い話が出てくるのでは、と期待するのだが経営者の本としてはあんまり面白くはない。それほど厚くはない本で(日本語版で400ページ弱)、IBMの話だけではなく自分のキャリアや経営全般の話をしているので、全体としてはフォーカスされていない印象を受ける。同じ経営者本で、しかも会社規模が似てるとくればジャック・ウェルチの「わが経営」のほうがずっと詳細で面白い(そういえば表紙も似てる・・)。

それよりもこの本で素直にすごいな・・と思うのは、日本語版出た2002年の段階でかなり正確に現在のIT状況を予測していること。もちろん多少技術の形は違うが、2013年現在のマルチデバイスとサーバー側のクラウド処理はほぼ完全に読み切っている。
多少うがった見方をすれば、IT業界にいて主導的な立場にいれば「読んだ方向に未来をもっていく」というのは不可能ではないのだけれど、それよりもこれは、地道に基礎研究をすれば、少なくとも10年後までは見通すことが出来たのだ・・ということの証左だと思う。

考えてみれば、IT技術というのはムーアの法則ではないが、「誰が」「どのタイミングで」実現するのかということさえこだわらなければ、結構先の方は読みやすいものだといえる。アプリケーションに関して言えば、時々非連続な発展というのもあるし、10年単位での発展と言うのはかなり予想が難しい。
一方でハードが絡んでくるようなビジネスであれば、ある程度技術ロードマップはあるし、ほぼそのロードマップに沿って「誰かが」ブレークスルーを起こすのは間違いないわけで、お金と人がいれば、そのブレークスルーを買うという方法をとれば、ポジションを維持し続けることが出来るのかもしれない。

じゃあ、なんで会社自体は伸びたり凹んだりするのか・・といえば、それはまさしくこの本に書かれてることで、そのよみにどれだけ早く「ついていける」かどうか・・ということなんだろう。

ちなみに、IBMというのはアンチもいればファンもいるという意味では大きい会社らしいといえばらしいのだが、僕がいた中国では大変に尊敬を受けている会社で「給料はあまり上がらないが、なかなか人がやめない」会社としても有名である。僕がいたMBAにも採用のためにかなり偉い方がきたが、彼はガースナー以前も知っている生粋のBlue(IBMのイメージカラーである)で、IBMの素晴らしさを、それこそ涙を浮かべて話すような人であった。

個人的には、IBMのガースナー時代、それ以降の在りようをケースで学んだり、人から聞いたり、あるいは極めて近くから(笑)見ているので、必ずしもこの本の通りには言ってないと思うところもたくさんある。なんせ今でも数十万人が勤めている会社だし、僕がいたのはアメリカから遠く離れた極東なわけで、そりゃー全てが理想通りにはいかないよね、とも理解
はしている。

とはいえ、MBAを卒業して思うのは「でっかくて人がたくさんいる会社」にもやりがいというのはあって、それはたぶんスタートアップで色々切り盛りしたり、金融でガッツリ稼いでみたいな人生とはだいぶ違うんだろうけど、それでも価値と言うのはそれなりにあって、やっぱりそういう大きい組織から逃げてばっかりというのは駄目なんだろう、ということだったりする。
そして、そういう会社の方向を個人が変えていくということ、そして実際に自分が引退て既に10年を越えても何らかの形で足跡を残すというのは、人間としてとても幸せなんじゃないかと思う。もちろんその陰には数万人を超える人が仕事を失ったわけなんだけど。


※1・・・外資系ITコンサルタントで、この本が関連していると言えば一社しかないのでバレバレなのであるが。
※2・・・数か所訳がおかしいと感じたところがあったので、そのあたりは英語版で補足をしたりもした。買った以上ちょっとは読んでおきたいし。。。

2013年5月19日 (日)

で、結局MBAはいくらかかったの?

日本に帰ってきて早くも三か月。巷で言われるアベノミクスのおかげですっかり円安に振れてきた為替を見ると、自分が(結果として)絶妙なタイミングで留学をしていたのだな~と思わずにはいられない※1「グローバルエリート」とか「グローバル人材」とかいろいろ言っても、実際に海外で学ぶとなれば先立つものは金である。特に私費学生にとっては、留学期間中はほとんど収入はなくなるわけで、資金計画というのは非常に重要になってくる。

ということで、今回はCEIBSに在籍してどれくらいの費用がかかったのかということを、お伝えしたいと思う。



■ 生活費は予想外にかかる

MBAでの生活にかかる費用というのは、ざっくり分類してみると以下のようになる。

  1. .学費
  2. 住居費
  3. 日々の生活費
  4. その他

この中で1は自分の工夫ではどうにもならないので、そのほかの部分で「自分の期待値」と「手持ちの金」を見比べながら日々工夫していく必要がある。まあ、MBA生活ではいきなり出費が必要なイベントが発生したりして工夫も泡に消えることになるのだが・・・。


まず話を始める前段として、僕が留学生活でかかった費用を出してみよう。話の前提として、僕はMBA学生の中ではかなり倹約して生活をしているほうだった・・というのを覚えていただきたい。

  1. 学費 → 50,000ドル(日本円で約400万円:80円/ドル)
  2. 住居費 → 約36,000元(日本円で約50万円:14.5円/元)
  3. 日々の生活費 160万円(18ヶ月・一ヶ月約9万円)
  4. その他 100万円

合計してみると710万円前後である。


当初留学を始めるときに考えていたざっくり予算がだいたい700万~750万円だったので、
だいたい計算通りに収まったといえる。それでは各項目を少し詳しくみてみたい。


まず、1の学費は自分でどうすることも出来ない固定部分なので、受け入れるしかない。
仮に奨学金をもらうことが出来ればこの部分を減らすことが出来るのだが、奨学金はいろいろな要素が絡んで支給が決まるので、個人的にはそこをあてにして計算をするのはお勧めしない。
ちなみにこの金額、毎年上がっていて今年は380,000元になっていた。ドル換算は書いていなかったのが、現在の為替基準でいうと61,000ドルぐらいである。これは高い。。

2は上海という立地のおかげで(というかschoolの安いドミトリーのおかげで)随分と低く抑えることが出来ている。僕の場合はドミトリーの一人部屋に住んでいたのでこの金額だが、二人部屋での生活を受け入れることが出来れば、さらに半額にすることが出来る。
米国留学組に聞くと、最低で1,000ドル/月は見なければならないという話だったりするので、やはりこの部分ではCEIBSはお徳である。


3に関しては前半はかなり低めで月5万円ぐらいで後半になるにつれて金額が上昇するというわかりやすいカーブを描いた。自分は中国生活が長いせいか、他の留学組からは不平がかなり出ていた学内食堂も特にあきることなく食べ続けることが出来たし、最初のほうはかなり忙しく外に出ることがなかったのが、だんだんと外に出る時間が増えて・・・という感じで出費が増えたという結果になった※2
自分としては最大で月10万円、少なくて5万円ぐらいと見込んでいたのだが、4とあわせれば月10万円を超えているわけで、予想よりも金額がかかっているという感じだ。

4は金額だけを見ればかなり使った感じがするが、これでも他の海外学生に比べればはるかに抑えられている方だと思う。なにせ、MBA期間と言うのは人生でもしかしたらとれる最後の夏休み(引退後は夏休みというより第二の人生なので・・・)なので、みな時間があればいろいろなところに旅行に行く。自分も各休みで旅行には行っていたが、お金はなるべく安く、かつ時間的にもそれほど厳しくないところ・・という感じで選んでいたので、個人的にはすごく節約感がある。


・・・とここまでは予定通りに計算は進んだのだが、実際にはこれに加えて「MBA中に現在の妻と生活を始める」と「日本に帰国して就職する」という二つの想定外のイベントが発生したので、いわゆるMBA生活中にかかった費用はもっと増える。

  1. 生活費の増額(6ヶ月):約60万円
  2. 日本への帰国費・住居費(初期費用):約110万円

これを足すとだいたい総額で900万円で、想定よりも約150~200万円は増えている。
そもそも中国のMBAを選んだのも、中国大陸で働き続けたかったからで、日本に帰ることなど想定はしていなかったし、BAが始まったばかりのころはまだ現在の妻と出会ってもいなかったわけで、さすがにこの状況を予想するのは無理だった。


結局この予想外の出費もあって、日本で働き始めたときの手持ちの現金の状況はお寒い限りになってしまい、入社した会社の初回の給与が3月になるか4月になるかで精神をすり減らしたのも、まさにこの予想外の出費のためである※3


■ 資金面での優位性は消えつつあるアジアMBA

ちょっと前まではアジアのMBAというのは「欧米MBAに行くよりも資金的なハードルが低い」というのが一つの売りになっていたのだが、上の金額を見ればわかるとおり、それでも働き始めて数年で上記の金額を準備するというのは決して楽な話ではない。

さらにいえば円安・・というのはどこに留学するにしても変わらず影響を与えるのだが、中国の場合は、学費の急激な値上がりとインフレによる生活費の上昇というのも考慮しなければならない。ためしに、今の円相場(わかりやすく1ドル100円、1元=16.7円)で計算をしてみよう(僕の場合は平均で1元=13円程度)

  1. 学費 → 380,000元(日本円で約630万円)
  2. 住居費 → 約36,000元(日本円で約60万円)
  3. 日々の生活費 200万円
  4. その他 → 約130万円:日本への帰国費(就活用に2回)、旅行代(東南アジア、香港など+ジャパントリップ)、中国語語学学校代、スマホ購入など

なんとざっくりの計算で1,000万円を超えてしまう。。。

もちろん円安が進んでいるのは全ての通貨に対してなので、一概にこの結果を見てCEIBSの価格競争力が下がったとは言いがたいのだが、それでも1,000万円という金額はインパクトがある。。。(何度も繰り返すが、他のschoolの金額も上がっていることはわかっていても)もし自分の時にCEIBSに入るのに1,000万円かかると知っていたら、間違いなく他の欧米系のschoolにいったであろう。


MBAへの投資は30前後の私費留学生にとってはすさまじく大きい投資だ。投資である以上当然リターンを求めるわけだが、今の自分に「CEIBSに1,000万円の価値がありますか?」と聞かれると非常に難しい。正直にいえば2-300万ぐらいしか違わないのであれば、(よっぽど強いモチベーションを大陸や中華圏に感じないのであれば)欧米系にいったほうがいいですよ・・と思ったりもする。

長い間アジアMBAの優位性は「MBAを比較的安価でとれて、かつ欧米では出来ない経験が出来る」というところにあったのだが、少なくとも金額面ではあまりメリットを感じない状況になってきたのだな、というのが今の率直な感想である。これまでは国の経済に成長にあわせて学費も右肩上がり、ランキングも上がりといういいサイクルを描いていたアジアMBAもこれからはいよいよ「提供できる価値」で勝負する時代が来るのかもしれない。




※1・・・その前から中国で長く働いていたので、働いている時期にはもっと円安になってくれれば、円ベースの給与は増えるのにな・・と思っていたのだが。
※2・・・といっても学内食堂は食事を楽しむというよりも、エネルギーを体に取り込むという感じで食事をしていたのは否めない。
※3・・・幸いなことに3月から給与が支払われたので事なきを得た。

2013年5月13日 (月)

無事にCEIBSの卒業式に参加してきた

全然ブログが更新できないまま気づいたらまた一ケ月以上がたっている・・。仕事が死ぬほど忙しいというわけではないのだけど、なんとなく毎日まとまった時間をとることが出来なくて、blogを更新したり何かを読んだりと言う時間をとることが出来ずにいる。

・・・という愚痴をするのは別の機会とするということにして、今回は先日無事に迎えたCEIBSの卒業式について書いておこうとおもう。いろいろな人のお世話になり何とか入学したMBAも気付いたらあっという間の卒業式である。2013年4月28日、上海のCEIBSキャンパスで無事に卒業証書を受け取ることが出来たのだった。



■ 無事に卒業証書を受け取る

僕がすでに3月から日本で働いているように、MBAとしての学事日程はとっくの昔に終わっており、今回の卒業式は正真正銘の「セレモニー」である※1。とはいえ、卒業式というのは伊達ではなく、今回の卒業式で「卒業証書を受け取ることではれて卒業が認定される」ということになっているので、これまでは厳密にはMBA candidateのままだったのである。これは主にMBAランキングに関係するちょっとした工夫(というかトリック)なのだが、まあ僕のように「MBAだから採用します」というわけではない人間にとっては、どうでもいいことではある。

今回の卒業式、当然のように僕のように既に働き始めてしまった学生や、学務終了後に国に帰ってしまった学生もいるので、全員が参加するわけではない。スクール側もそういった事情は理解しているので、事前に申請しておけば自宅まで卒業証書を郵送してくれる。いったんアメリカから帰ってしまうと12時間近くかけてこの卒業式まで戻ってくるのはなかなか大変な話だ(とはいえ、今回はこのためにセルビアから戻ってきた同級生がいた)。

僕もすでに働き始めているので無理して戻る必要はないのだが、ちょうど4月29日が祝日でお休み、27日には同級生の結婚式があるということで、27日の早朝日本発‐29日の午後日本戻りという弾丸日程で上海に行くことにした。日本に戻ってたった二カ月とはいえ正直上海の空気を吸えるのはうれしいので、本音は会社を休んでもいくぐらいの気持ちである(新入社員なのでそんな我儘がいえたかどうかはわからないが・・)※2


ということで27日の朝は羽田から一路上海へ。鳥インフルエンザのこともあったので、万が一の可能性も考えて会社には「上海に行く旨」は伝えての万全の渡航である※2。特にトラブルもなく上海虹橋に到着すると、早速タクシーで市街へ。さすがに5年半もすんでいただけあって、「来た」というよりも「帰ってきた」と言う感じである。

その晩はスクール近くで行われた同級生同士の結婚パーティーに参加した。他のMBAは知らないのだが、うちの学年は実に多くの学生が在学中に結婚し(てしまい)、最終的に同級生間で4カップル8人が結婚し、学外の人との結婚も含めると13人が結婚しているという「勉強しに来て何をやっているんだ」と言われても仕方ない学年である(ちなみにその中には自分も含まれている・・・)


今回参加したのは、同級生同士の結婚の中でも最もユニークなカップルである、新郎は韓国人、新婦は中国人(かついわゆる国内の”優等生”)という組み合わせである。なんかこれだけ聞くといろいろ大変なことがあったのだろう・・・と想像していたのだが、まったくそんなことはなく極めてスムーズに結婚は進んだらしい。

僕は新郎とは同じサークル(自転車サークル・・)に属していたのと、酒好きでよく酒を飲みに行ったという関係でパーティーに参加してきたのだが、実にアジアらしいパーティーで、新郎新婦はひたすら飲まされていた。こちらは数カ月ぶりに会う友人たちと一日前にあうことができたことがうれしくていろいろ進路の話をしていたのだが、新郎新婦はひたすら飲まされている。これは卒業式の出席は出来ないのでは・・と思ったら、案の定翌日の卒業式は二人とも仲良く欠席していた。。。


さて、その卒業式。当日は朝から昼まではフォトセッションということで「良く欧米の卒業式で見るガウン」を着込んで写真撮影を行った。これを前に来たのは工学系修389137_10201331295911239_123323030_士を出た時なので、9年ぶりのコスプレである。もう一回ぐらい人生できるチャンスはあるだろうか。。
もう大人になっているからか一応欧米系のschoolだからなのか、パートナーを連れての撮影をする学生も多い。自分も一緒に暮らし始めてから痛感したのだが、忙しい学生生活に家族を連れてくる場合は、パートナーや子供の協力はかかせない。せめてこういう場に一緒に参加して感謝を表すのはある意味当然という気もする(ということで、我が家も一応二人で撮影をしてきた)。

この卒業式の写真はMBA生活の一大イベントなので、いろいろなところに使われるのだが、僕もなぜか小冊子に利用する写真撮影メンバーに選ばれてしまい(日本人を出したい意向でもあったのだろうか・・)、個人の撮影が終わった後は2時間ほどあれやこれやで撮影に参加した。もしかしたら、来年以降でCEIBSを受ける方は、変な格好をした僕の写真を見ることになるのかもしれない。。


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卒業式自体はよくある卒業式で、偉い方が来て(偶然にも自分が日本で働いている会社の中国法人のTOPだった)、学生代表が挨拶をして卒業証書を受け取るというもの。ただ、日本の卒業式のように厳粛なものではなくて(そういえば大学院の卒業式も相当適当だったが)、各人が卒業証書を受け取るためにステージに上がった時にはいろいろ掛け声をかけたりするのもOK。ひどいのになると、昼から飲ん
でいる瓶ビールをそのまま式 場に持ち込んでいたりもした。

まあ、最後なので何をやってもOKである。


■ 終わりではなく通過点20130429_190542

卒業式の後は家族にお礼をするという名目でディナーをスクール内で食べて全てのイベントは終了。MBA生活の終わりというにはあっという間の二日間だった。

正直言えば既に働き始めた段階で自分のMBA生活は終わったという気がしていたのだが、今回自分が式に参加してみて感じたのは、意外にも「終わりではなく通過点」という感覚だった。

一昔前であれば、卒業式を終わればもう二度と会うこともないかもしれない・・・と感傷的になることもあったし、実際に小中高校ぐらいまではそういう感じだった。だが、今は一度知り合った人に関してはFacebookで近況はほぼリアルタイムでチェックできるし、親しい友人とはChat用のアプリでほぼ毎日連絡をとりあっている。
むしろこれからは「ずっと一緒にいなかった」分だけ、世界のどこかで会うのが純粋に楽しみであるという気分である。


そして何より、我々が通っていたのはどんなにどんちゃん騒ぎをしていたと225642_10201212864827877_1703466953してもビジネススクールである。これから各人が進む道が時には絡み合って、時には支えあってということを考えるだけで、純粋に心が躍る気持ちになる。
MBAは「終わり」でも「始まり」でもなく、自分の人生の一つのマイルストーン。これぐらいの 気持ちで日本での日々を過ごしていきたい、そんなことを思った卒業式だった。

また(遠くない未来に)アジア圏に戻るまでは、日本で力を蓄えるのです。



※1・・・最後の学期に授業をとらなければ1月の第二週で、最後の学期に授業をとっても2月中旬には学務日程はすべて終了となる。
※2・・・いちおう入社時に人事には伝えてあったのだが、当然自分の上司はそういった話は聞いておらず。それでも快く送り出してくれた。まあ、休み中の動きなので何か言うこともできないのだが。。。

2013年2月28日 (木)

本帰国と、出社と

前回の更新から随分と間が空いてしまった。そういえば全然blogを書いてないな・・と思って前のエントリーを見ると、2月7日にあげていたので気がついたら三週間も更新を空けてしまったことになる。ようやく一息つくことができたと思ったら、もう明日は3月である。

この間に何をやっていたのか・・と言えば、大きく分けて3つ。


  1. もちろん日本の本帰国に向けての引越し準備
  2. これは日本側と中国側に分かれて、行っていたので比較的スムーズに行うことが出来た。荷物搬出がうまくいくかどうかだけが心配だったのだが、それも運送業者がてきぱきと作業をしてくれたおかげで、拍子抜けするくらいあっさり終えることが出来た。
    上海には日系の引っ越し業者がたくさんあるので基本的にはお任せをしておけば問題ないのだが、今回は三社見積もりを依頼した上で最終的にヤマト系列の会社にお願いした。交渉の結果、値段も一番安くなったし、提案時の対応もすこぶるよかったというのが理由である※1

    荷物を送りだす際にはパスポートを預けなければならないので、荷物発送当日に帰国というスケジュールを組むことは無理だったので、空いた時間はこれまでお世話になった方々や、友人たちとのお別れの時間をとることが出来た。正直言えば、日本に戻ると言っても「いったん行く」という感覚なので、さようならよりは、またしばらくあとで会いましょう、という感じ。メッセージングアプリやらSNSのおかげで別れを気にせずに、住む場所を変えることが出来るというのは2008年に一回上海を出ることになりそうになったころには想像もつかなかった。技術はこういうところで、確実に人の決断に影響を与えているのだなぁと思う。


  3. 入社向け研修を粛々と
  4. 帰国後に入社する会社からは早々と研修用の資料が送られてきていたのだが、授業終了後に寝込んだり、日本に戻って家を決めたりとなかなか時間を作ることができなかったので、家を決めてからようやく本腰を入れて研修に取り組むことが出来るようになった。

    この研修、基本的にはサーバー上におかれているビデオをストリーミングで見るというものなのだが、どうやらサーバーは中国国外に置かれているようで認証がうまくいかなかったり、音声と映像がずれたりということが結構発生してしまい、中々気持ちよく研修を進めるということが出来なかったのが痛かった。まさか企業側も中国向けのみにコストを増やすわけにはいかない・・というのはわかるのだが、カクカク動く映像を見ながらずれた音声を聞くのはなかなか不思議な気がするのであった。

    23日に帰国後もしばらくは家のネットを引くことができなかったので、全く進捗はストップしてしまったのだが、おとといにフレッツ光が引かれると一気に高速対応が出来るようになり大変気持ちよく研修を進めることが出来ている。やっぱり規制がなく、さらに回線速度が速い日本はこういった面ではすごく気持ちよく過ごすことが出来る。


  5. 新生活の準備
  6. 家は前回の日本帰国で決めることが出来たし、最低限の家具は連れ合いが見繕ってくれたというものの、日常生活を送るにはまだまだ足りないということで23日に帰国してからはひたすら新生活の準備を進めていた。なにせ、5年半ぶりに日本に帰ってくるし、中国では借家であっても全て家具はついているので本当に0からのスタートである。今こうやってblogを書いていても、家の中はかなりがらんとしていて、荷物が搬入されるのを待っているという状態である(多くの荷物の搬入は明日の予定)。

    また今まで一人で暮らしていた時には公的手続きやら銀行登録などかなり適当に行っていたのだが、結婚をしていきなり責任感がましたのか、それとも書類文化の中国に5年半いた間にすっかり性格が変わったのかはわからないが、とりあえず思いつく限りの手続きを一気に進めた。


    なにせ日本を去る時には「もう二度と日本で働くことはあるまい」と真剣に思っていたし、「結婚するなら中国人に違いない」と考えていたので、碌に書類は残っていないし、今まで海外にいたことを申請していなかったところには前の住所を言わなければならないがすっかり忘れていたりと、無駄に時間をかける羽目になった。こういうことを若いうちから出来る人というのはあんまりいないような気がしているのだが、まあ、なんだかんだいっても書類は大切ということはどっかでしっかり教えてもらいたかったもんだ・・・と思ったりもした。


前回のエントリーでは人生のストレスが山盛りになってくる時期・・と書いたのだが、本当にこの三週間は山盛りの書類手続きと、色々なところにいっては申請書を出すということを繰り返していたおかげで、率直に言って精神的にも肉体的にもかなり疲労をした。短期集中で一気に片付けるのだ!!・・と決めていたので、結果としてはほとんど手続きは残っていないのが、後からご褒美になることを期待している。


ようやく一息をつくことができたのは今日の午後だったのだが、気がつけば明日が新しい会社の入社日ということで、本当にあっという間に過ぎてしまった二月だった。こんな濃い一ケ月はもう二度とこないだろうと思うと(期待すると)、自分を少しほめてやりたい気持にもなる※2

明日からは全く新しい職場で新しいことを始めるということで、緊張でもするのかな・・と思っていたのだが、どちらかというとここまで溜めていた書類を一気に提出できるという喜びと、普通に金曜日を迎えられるという安堵で予想外にリラックスできている。友人たちや、ネットでつながっている中国経験者からは「3年以上日本にいるとしばらくリハビリが必要だし、すぐに辞めちゃう人もたくさんいるよ~」と脅かされているのだが、実に5年半ぶりの日本帰国で、はたして適応できるのであろうか・・。というか、もともと適応できていなかった過去があるだけに、本当にドキドキ。


※1・・・値段だけだったら最初の見積もりを出した時点では他に安い会社もあったのだが、そこは営業担当が大変タバコ臭かったのでお願いをするのはやめた。梱包時に荷物にたばこのにおいがつくのはやめてもらいたかったからだ。
※2・・・連れ合いの出産と転職と海外赴任が同時に重なったら、これぐらい忙しくなるかもしれない・・。

2013年2月 7日 (木)

本帰国に向けて家を借りてきた

前回のエントリーからずいぶんと日が空いてしまったが、この10日間ほど日本に帰って次の生活のセットアップなどをしていた。本帰国日は2月23日に決めたのだが、それまでに生活基盤を全て整えないとならないので、かなり駆け足で準備をすることになってしまい、結構どたばた。。

さらに個人的な出来事として結婚イベントも同時に行っているので、とにかく神経を使う10日間だった。友人からは「結婚・引越・転職・出産」は人生で最もストレスがかかるイベントであると言われたのだが、現在はそのうちの3つが同時に重なってきていて、さらに通常よりも重い「帰国」というイベントもある。
さすがに体が悲鳴を上げたのか、日本についた初日に背中の痛みが止まらなくなり、のぼせと頭痛が同時に来るという状態に・・・。全然土地勘がない土地だったのだが、妻が予約してくれたかかりつけの整体に行って何とか体を戻すことが出来たのだった。



■ 日本で家を借りるのは大変・・・■

中国に来たのが2007年10月なので、早いものでもうこちらには5年5カ月もいることになる。帰ること決めた時には「いろいろ感慨深いかも・・」と思ったのだが、実際に本帰国の日程が迫ってくると、事務作業がとにかく多くて全然そんな気にはなれない。

今回の帰国の一番の目的は家を決めることだったのだけど、なにせ東京には一週間しかいられないということで(東京のホテルは二人でいると一泊一万円以上するので・・)、事前にMBAの先輩から紹介をいただいた不動産屋さんとコンタクトをとって物件選びを進めてきた。

この不動産屋さんは「完全紹介型」という面白いモデルをとっていて、既存のお客様から紹介された場合のみ、新規のお客さんに対応してくれるとのことで、すごく親身に対応してくれた大変助かった。結果的に今回の帰国で初めてお会いした日に紹介された物件で決めることが出来たし、その後のサポートも素晴らしかった。


自分で家を借りてみて実感したのだが、留学後に日本で家を借りるのはとてもとても難しい。いろいろな法律やら社会的な要請があって、現状でこういうことになっているのはわかるのだが、正直言って現状では「海外で働いている(勉強している)が区切りをつけることにして、とりあえず東京に帰って仕事を見つける」ということをするのは、日本人でもほぼ不可能に近いと思う。

各物件ごとに違うと思うのだが、具体的に必要とされる書類や条件はだいたい下のようなものだと思う。

  • 収入証明
  • 日本に帰った後の家賃の原資ということで理解は出来るのだが、お金があればよいというわけではなくて友人から聞いた話では「どんなに現金があって、例えば一年分の家賃を前払いします」と言っても駄目らしい。言い換えると、貸主側としては「家賃を回収できる」だけではなく、「継続的に収入が発生することを証明してもらう」ことを求めているというわけ。
    この時点で、仕事が決まっていない状況では家を借りるのはほぼ無理ということになる。僕の場合は事前にその話を聞いていたので、次に行く会社の給与が記載されている内定書類を持って行った。


  • 住民票+印鑑証明
  • 海外に住んでいて「これから日本に戻ろう」という人間は、これは絶対に出すことが出来ない。なぜなら、海外に居住しているので住民票が日本にないから・・・※1。これに関してはいかんともしがたいので、説明をして代替の書類でOKをしてもらった。もし貸主が杓子定規に対応する人だったら、契約してもらえなかったのかもしれない。

    海外に在住している人は領事館に行けば在留証明書を出してもらえるし、サインについても印鑑証明の代わりとなる制度があるらしいのだけど、住民票を提出するのが個人情報の確認という意味だとすると、実質あまり機能しないので、海外在住の人は戸籍謄本の提出を求められることがあるかもしれない。


  • 保証人
  • これは普通に賃貸をする場合にも必要なのだが、近頃は厳しくて年金生活者ではOKが出ない場合があるらしい※2。僕たちの年代だとすでに親が年金生活者というのは結構多いと思うのだが、それが駄目だとすると「親族であること」が条件になっていると、実質的に対応する方法がない・・・。

    こういう場合には保証会社を利用することが出来ることが多いらしいのだが、この保証会社にも「保証人」が必要だとのこと。これは必ずしも親戚でなければならないということはないらしいのだが、個人的には「保証会社に保証人をたてる」ということの理屈がよくわからないでいる。。※3

    さらに保証人をしていただける方には所得証明書を出してもらったり、印鑑証明をもらったりしないといけないので、結構な負担になる。親戚に頼める場合はいいが(それでも仲があまりよろしくないと大変だが・・)友人などには簡単に頼めないな・・と思うのであった。

こんなの常識だよ!!と思われる方もいるかもしれないが、事前に海外からの帰国であるということを説明していたのに住民票の提出を求められた時にはかなりびっくりした。今回は前述した不動産屋さんが間に入って説明をしてくれたのだが、自分一人で対応していたらさらにストレスが溜まっただろうな・・。

最終的に東京都内で通勤しやすい場所に新しい家を見つけることが出来たし、結婚関係のイベントの一つも無事に終わったので、次は入社関連の書類と格闘する番である。帰国 → 入籍と入社の日程が微妙に前後するので、入社先の会社にも迷惑をかけまくっているのだが、早く書類仕事から解放されて落ち着いた生活をしたいという気持ちで一杯なのだった・・・※4


※1・・・住所を日本に残すという方法もあるにはあるが、海外に居住するのであれば、本来は在留届を出さなければならないので、NGだと思う。
※2・・・もしかしたら昔からそうなのかもしれないが、以前に日本で家を借りた時にはまったく問題がなかった。
※3・・・保証会社はいわゆる保険的な存在ではなくて、単に家賃回収の代行という位置づけになるのだろう。。
※4・・・扶養手続きや登録変更がたくさんあるので、入籍の手続きは「他に何もない時に」進めるのが一番だな~と実感している。帰国を機に結婚、とか海外駐在を機に・・というのはよく聞くけど、あれはすごい大変なんではなかろうか・・・。

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