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カテゴリー「Off」の記事

2025年1月 1日 (水)

母親の死去と相続で大変だったことの記録(その3)

(前回から続く)
とりあえず書類を見つけることができたので、財産の確認や借金の確認等は少し進めることができるようになった。それでも相続というのはそんな簡単に進まない。まず物理的な問題として、母親が住んでいた場所が自分が住んでいた場所から片道1時間半程度の場所で、車がないとかなり不便な場所にあることだった。昔でいう「東京のドーナッツ地域」に 住んでいるのだが 大きな都市からはさらに私鉄かバスに乗って行くか、車で移動するしかないような場所に家はある。もしもっと遠ければ、まとまった時間を休んで書類整理をしただろうし、あるいはいっそのこと代理人に全てを任せてしまったりできたのだろうが、中途半端な距離にあったために全部自分で作業することになった。最終的に家が片付くまでに10回以上は往復しただろう。

書類を整理してわかったのは、少なくとも数回は市役所に行かなければならないということだった。社会保険や地方税の未納は発生していたし、マイナンバーカードは得ていなかったので、情報を確認するためには都度市役所に行かなければならない。
また母は亡くなるまで地方自治体の外郭団体に職員として働いていたので、そことのやりとりもしなければならなかった。この「 地方自治体の外郭団体」というのはかなり厄介で、民間企業であれば人事総務が窓口になる社会保険の対応等をいちいち役所に確認しなければならない。その上、業務の管轄が「市」が担当する部分と「県」が担当する部分に分かれており、不安内な自分は何度も間に入って確認をしなければならなかった。

病院に運ばれた時に無くしてしまったのか、保険証をどうしても見つけることができなかったので、在職証明を出してもらう必要があったのだが、その手続きもすごく面倒くさかった。最初に県の役所にまず連絡をし、その後市の担当者に対応してもらい、さらに外郭団体に証明書を郵送してもらうと言う手続きが必要で、結局1ヵ月半位の時間がかかってしまった。その間母が亡くなった病院には支払いをしていなかったわけで、 病院に対して申し訳ない気持ちでプレッシャーを感じていたりした。

 

そういった自分でできる対応しつつも、同時に葬儀社から紹介された司法書士と連絡を取って相続の手続きを始めることにした。そこでわかったのは、母は自分の父(私にとっては祖父)が 9年前に亡くなった時に、相続手続きを一切していなかったことだった。 公共料金の支払いはすべて祖父の口座からなされていたし、 土地の登記も祖父のままだった。当時は相続税の控除金額が違ったので、おそらく手続きをしたとしても相続税は発生しなかったはずだが念のために再計算も必要となったし、銀行口座も母の分だけでなく、祖父の分の確認も必要になった(再計算の結果も相続税は発生しなかったのには安心した。正確には時効なので納税義務は発生しないのだが、やはりなんとなく気持悪い)。そういった手続きを一つ一つ司法書士と連携をしながら進めていく事は、仕事を変わったばかりの自分にとっては決して楽な作業ではなかった。

また、生命保険の確認等も非常に時間がかかった。母は民間企業の生命保険にはほとんど入っておらず、いわゆる「共済」に加入していたのだが、 勤めていた団体の関係で加入先が複数に分かれており、共済といった制度になじみがない自分にはちんぷんかんぷんだった。その上、共済は基本的に受け取り人が自分に指定されているので、相続をするときには相続人全員の同意書が必要になる。

この書類を個別に取得できれば少しは楽だったのだが、様式が定められていて1つの書類に全員が署名捺印をしなければならない。相続人が一つ屋根に住んでいれば簡単だが、自分のケースのように別れて住んでいる場合には、レターパックを大量に消費して資料をやり取りする羽目になった。自分が入っている生命保険は、自分が亡くなった場合には妻の連絡で即日入金がされると言うタイプなので、この共済のシステム は大変不満だった。 自分が共済に入る事は生涯ないと誓って言える。

2024年10月19日 (土)

[書評]中国ぎらいのための中国史

精力的に書き続けている中国・アジアルポライター安田峰俊の最新の一冊がこの『中国ぎらいのための中国史』。リアルにお会いしたことが何度かあるということで、応援の意味も込めて安田さんの本は全て購入しているが、本作は安田さんに取ってはホームともいうべき中国史に関する久しぶりの書籍だ。

ライターとしての安田さんの持ち味は現地取材や現在進行形の出来事を咀嚼し、中国国内の論理に照らし合わせて解説することだ。その安田さんが書くのだから、中国史に関する本といっても必ず現代に関する内容が入ってると想像していたが、 その想像通りに本書は中国の歴史的な事項が、現在においてもどのような意味を持つのかと言う観点から中国史を解説している。 中国史と言ってもいわゆる通史を書いているわけではなくコラムの集積という感じなので、中国に興味を持っている人であれば、あっという間に読むことができるだろう。

参考のために目次をあげれば、本書で取り上げる内容が大体わかると思う。
第一章: 奇書(諸葛孔明/水滸伝)
第二章: 戦争(孫子/元寇/アヘン戦争)
第三章: 王朝(唐/明)
第四章: 学問(孔子/ 科挙/漢詩と李白)
第五章: 帝王(始皇帝/毛沢東)

この目次を見れば分かる通り、本作では日本人が名前ぐらいは知っているけどよくはしらない、だけど中国では(学校教育の影響もあり)よく知られている題材を取り上げて、それぞれが現代中国でどのような意味があるのかを語っていく。こういう並びを見ると、ルポライターというのは題材選びが重要なんだなということを教えられるような気がする。

また安田さんといえば、真面目な考察の中にばかばかしいネタを放り込んでくることで文章の緩急をつけることが得意なライターだが、本作でも冒頭から「諸葛の姓を持つ人間が現在の共産党幹部に存在している」といういかにもなネタからスタートする。他にも日本でも人気のゲーム「原神」から題材を取ったり、始皇帝の部分では『キングダム』への言及を 忘れないなど、しっかり抑えるべきところを抑えていると言うところにニヤリとしてしまう人も多いだろう。


一方でこちらも同じく安田さんの本らしく、現代中国への批判的な視点をつけることも忘れていない。中国生活をしたことがある人ならわかると思うが、本作でも述べられているように、大学生以上の教養を持つ人間にとっては中国の歴史や漢詩というのは共通言語のようなもので、それを使った社会批判や権力闘争が行われていることを面白おかしく書いている。

ちなみに小学生でも漢詩を誦じれるというと日本人にとってはかなり驚きだが、我々だって「春はあけぼの」とか、「古池や蛙飛びこむ水の音」とかは普通に知っているわけで、文化に紐づいた教養というはそういったものなんだろう。トップクラスの大学に受かるレベルの人だと「漢詩でしりとり」をできたりするくらいなのだ。

2024年10月14日 (月)

母親の死去と相続で大変だったことの記録(その2)

(前回から続く)
肉親が亡くなった際の通夜・葬儀というのは、待ったなしというか怒涛のように進んでしまうので実はそれほど「疲労感」というのはなかった。もちろん精神的にも肉体的にも「大変」なのは間違いないのだが、とりあえず流れは定型化しているし葬儀会社の指示通りに進めていけば問題ない。今回の場合は基本的には家族葬という扱いにしたので、お別れにお越しいただく方も少なく、そういった意味での気苦労も少なかった。

一方で、相続の方は当初から一筋縄では行かないことがわかっていた。
まず最大の問題が、いわゆる”終活”が全くされていないことだった。本人もまだ死ぬ気はなかっただろうし、たとえそういう予感はあったとしても終活のような準備をするタイプではない人だった。家族仲が良好だったら事前に書類を準備してほしいとお願いが出来た・・というのは理想論であって、そもそもそういった会話が出来るのであれば家族仲が悪くなることもないだろう。


そういうわけで、母が亡くなった後にまずすべきことは、様々な書類を探すことだった。その書類には、銀行の通帳や使っていたカード、免許証、マイナンバーカード、保険証なども含まれる。相続という大ごとの前に、まずはどこにどのくらいお金があって、どのくらい支払いが行われているのかを確認する必要があったのだ。

亡くなる前から実家に入っていた弟や、友人として母の面倒を見てくれていた人がある程度探してくれていたが、それでも母が亡くなった時にはない書類も多かった。特に保険証などは結局最後まで見つけることができなかった(これが後々まで事務処理に影響することになる)。そこで母が亡くなってすぐに、自分が実家に行って書類を徹底的に探すことにした。

不思議なもので、最近は家にいったこともなかったのだが、なぜか自分であればそういった書類を見つけることが出来るという自信があった。母が書類を置きそうな場所はなぜか想像がついたし、実家に残っているでろう母方の祖父母の書類もきっと見つけることが出来るだろうと思っていた。一応残された家族の中では、私が一番長く彼女と接していたという自負があったのかもしれない。

 

実際に家を片付け始めると「母ならここに資料を置くはず」と想像をした場所に、必要とする多くの書類が眠っていた。その中には、社会保険の未納に対する督促状など、できれば見たくはなかった書類も多くあったが、少なくとも銀行口座のありかとカードの支払い、免許証などの基礎的な情報は掴むことが出来た。
また家の奥の方をひっくり返してみると、10年近く前に亡くなった祖父が残した書類も多く見つけることが出来た。どうやら母は祖父が亡くなった後にほとんど整理をしていなかったらしく、色々な書類がまとめて出てきたのだ。

祖父は公務員(警察官)を長く勤めた人で、生きている間からとても几帳面の人だった。当時はまだそれほど普及していなかったワープロを買って記録を電子化(というかプリント化)していたし、自分が亡くなるかなり前から色々なものを整理してくれていた。母は「自分はしっかりしている」といつもいっていたが、客観的に見て、彼女はしっかりとした祖父の下で最後まで自立できなかった部分が多かったと言わざるを得ない。祖父が資料をまとめておいてくれたおかげで、墓の権利証や、過去の土地にまつわる近所の人とのやりとりも把握することが出来た。母の準備不足というマイナスを、祖父が補ってくれた形だった。

 

2024年9月23日 (月)

母親の死去と相続で大変だったことの記録(その1)

前回のエントリーでも書いたが、実母が4月の頭に死去した。家にいる時に激しい腹痛を感じて自分で救急車を呼び、入院をしたのが3月の中旬で、それから2週間ほどで亡くなった。 自分は3月の末に1度病院に行ったのだが、その時に医者からかなり難しいと告げられていたので、覚悟はできていた。前回のエントリーで書いたように家族中が良くないながらも、最後に会えたのはお互いに良かったと思う。

肉親が亡くなったのは初めてではないが、いわゆる”喪主”を務めるのは初めてだったので、段取りは全て病院が紹介してくれた葬儀会社に頼ることになった。”葬儀会社の値段が高い”とか”金額が不透明”ということが言われるのは知っているが、現実的に時間が無い中では紹介してくれた葬儀会社に頼むというのが一番確実だと思う。

あまり大事にしたくないという希望があったので、今回も当初は「葬儀なし」ということを検討した。ただそうなると、火葬場の手続きも自分でやらなければならないし、色々な手続きを自分でやらなければならない。事前に準備がされているのであればともかく、少なくとも現在の多くの死亡時の手続きは「葬儀会社に依頼すること」を前提に設計がされているように見える。


今回の場合はその葬儀社を過去に利用したこともあり、コミュニケーションもスムーズに進んだし、通夜葬儀の手配も全て問題なく進めることが出来た。金額はおそらく実母のの年代であればやや平均より高いぐらいだったと思うが、最後くらいはそれなりに見送ってやりたいという自分の意思で決めてしまった。自分には兄弟がいるが、こういったことは長男の自分が仕切るという暗黙の了解があったように思う。

唯一困ったのは、家のどこを探しても保険証が見つからなかったこと。保険証の番号などすぐに問い合わせれば良いかと思っていたが、そう簡単には物事が進まず、これが後々になって大きな障害になるとは当時は予想もしなかった(続く)

2024年9月16日 (月)

母親が亡くなって更新がすっかりご無沙汰になったことについて(頭出し)

気がつけば最後の投稿が5月の頭ということで、4ヶ月以上空いてしまっていた。実を言うと4月の頭に実母が亡くなり、ちょうどその頃から相続対応がかなり忙しくなっていたのだ。実母とはかなり疎遠だったとはいえ両親が離婚をしているため、死後の対応は全て子供達でやらなければならない。

我が家は3人兄弟で自分は長男なのだが、家族仲という意味では決して良好とはいえない。自分と一番下の妹は両親とは5年以上あっていなかったし、真ん中の弟は自分たちよりも頻度は多いとはいえ、母親とは年一回ほどしかあっていなかったらしい。今回の母親の突然の入院に対応してくれたのはその弟だったのだが、流石に亡くなった後の手続きまでを任せるのは難しかった。一番の理由は、彼は仕事の性質上リモート勤務がほぼ不可能だったということにある。また一人っ子であった時期が長かった自分は、他の二人よりは多少は家のことをよく知っているということもあった。

結果として、母親が亡くなった後の葬儀から遺産整理までは、ほぼ全て自分一人で対応をすることになった。途中で疲れ切って嫌になったことが何度もあったが、自分の家族のサポートもありなんとか8月下旬にはほぼ全ての対応を終えることが出来た。まだこれから最後の相続対応が残っているのだが、それは全て税理士にお願いをしているということもあり、ここから先は多少の汗をかく程度で終わるだろう。


また人生のトラブル/イベントというのは重なるらしく、5月には新しい職場に移ったり、子供が塾でトラブルに巻き込まれるということも重なった。そういったゴタゴタが片付いたのが9月の頭であり、ようやく一息ついてブログを再開することができるようになったのがこの三連休になったというわけだ。

とりあえず次のエントリーからは、母の急死から相続までの顛末を記録しておこうと思う。相続というのは大なり小なり面倒があるものだが、対応してくれた司法書士によれば「財産の規模の割には面倒が多い」ケースだったらしいので、記録をしておくことで誰かの役に立つかもしれない。

2024年5月 6日 (月)

Prime Videoで井上-ネリ戦を見た: 武器の少ないネリはどのように井上に勝とうとしたのか

日本では山中戦以来「国民のヒール」の座に収まっているネリが無敗のチャンピオン井上に挑む試合を、Prime Videoでみることが出来た。
1ラウンドでダウンをした後はほぼ完勝と言っていい井上がすごいというのはのは誰もが思うけど、「相対的に武器の少ないネリがどう勝とうとしたのか」って観点でみると、すごくいい試合だった。こういうとアンチネリからは怒られそうだけど、その精神力と「なんとしても井上に勝ちたい」という気持ちが伝わってくる試合だった。

まず第1ラウンドの井上のダウン。あれは解説では“カウンター“と言ってたけど、実際には“肉を切らせて骨を断つ“覚悟がないとできないパンチだった。明らかにネリはあれを狙ってて、ショートアッパーを「前横に頭をずらして」フックを入れようとしていたと思われる。実際にダウンを奪ったわけだし、うまくいけばあれで試合を終わらせることができたわけで、ネリの狙いは外していなかった。

ボクシングではアッパーが来たら、頭を後ろにそらすか、手のひら(あるいは肘)で受け止めることが普通で、頭を前にずらして避けるのはめちゃ怖い。間違ってくらったら自分からパンチを迎えに行った形になってしまい、そこで試合が終わってしまう可能性もあるからだ。ただしそれでパンチに空を切らすことが出来ると、逆に打ち手の方の顔がガラ空きになるので絶好のチャンスになる。確か『はじめの一歩』でも、似たようなシーンがあった気がする。

この第1ラウンドの影響がまだ残っている第2ラウンドの間にネリとしては距離を潰して一気に決めたいところだったが、出会い頭でうまく合わされて今度はネリがダウン。これでネリとしては迂闊に飛び込んでからのショートフックという手が使えなくなってしまった。井上は右のガードを1ラウンドよりも少し上げて慎重に戦いながら、フックの軌道をインプットしていたようにみえた。

そこで第3ラウンド・第4ラウンドはネリは遠目からのフックに切り替える。このフックは日本のボクサーはあまり使わない軌道で飛んでくるのでチャンスはあったのだけど流石の井上には効かない。むしろ正当なワンツーで正面から被弾してしまうことがわかり、やはり中距離だとネリの分が悪い。ちなみに井上は、「拳を縦気味にして下から伸びてくるストレート」という、これまたアマチュアレベルでは習わないパンチで、ガードの隙間を狙ってきてた。普通の筋力だとあの打ち方は力が乗らないんだけど、どういう練習したらあんなパンチ打てるんだろ・・。普通はストレートは打ち下ろすイメージで練習するので、下から伸びてくるパンチを打つには後ろ足の後ろ側の筋肉と腸腰筋が強くないと打てない気がするのだ。

やはり近距離でないと戦えないとわかったネリは、第5ラウンドでは頭から突っ込んで強引に距離を詰めにくる。井上も肩で押し返したりしていて嫌がるそぶりを見せていたので、ネリはロープにうまく詰める場面を狙っていたはずだった。実際にダウンのシーンはネリの狙い通りで、井上がロープを背負った状態で至近距離に持ち込むことに成功しているのだ。
ところがおそらく井上もこれを狙っていて、逆にネリが突っ込むところを引っ掛けるようにしてフックでダウンをとる。これでネリとしては出来ることはもう何も無くなってしまった。ダウンした後に呆然とした顔を一瞬見せたのは、狙ったはずの展開で逆にやられてしまったからだと思う。

このダウンで足に来ていたのはもう画面でもわかったので、後はいつKOで終わるか・・というだけになってしまった。ネリは出来ることを全部やったけど、それでも万能の井上には勝てなかったという感じ。
今回の試合の結果から、戦い方の引き出した井上より少ない選手が井上に勝つには「早いラウンドで一発で決め切る」しかないとわかったので、これからの試合は最初の3ラウンドぐらいはすごくスリリングな展開になりそうな気がする。

2024年4月 2日 (火)

外から読んで面白い官僚の仕事は中ではあまり評価されない: 金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿

日経新聞のコラム「私の履歴書」が人気コンテンツとしての地位をずっと保っているように、功成り名を遂げた人の回顧録は抜群に面白い。この「私の履歴書」は掲載されているのが日経新聞なので基本的にはビジネス界の大物が出てくる場合が多いが、時折政治家や官僚が取り上げられることがある。面白い割合を「打率」とすると政治家は大体が面白く打率8割ぐらい、ビジネスマンは5割、官僚は2割ぐらいだろうか。官僚としてトップに上り詰める人はリスク回避型の人が多いだろうから、どうしても面白い話が出てこないのかもしれない。

本書はそういった”リスク回避型”ではないタイプのキャリア官僚人生を取り上げた一冊だ。元官僚の方が自分で書いた本は自慢話が多く、ジャーナリストが書いている場合もヨイショが過剰な場合が多いが、本書はそういった自己礼賛型からはかなり距離が遠く、読んでいて素直に楽しむことが出来た。巻末にしっかりと参考文献が載っているように、著者がちゃんと二次情報・三次情報に当たっているからだろう。

そしてもう一つは、本書で取材対象となっている佐々木清隆という財務官僚(後半は金融庁)がいわゆるメインロードにはいなかったということが理由としてはある。開成高校 → 東大 → 国一をトップ合格という絵に描いたような学業エリートであるにもかかわらず、彼は大蔵省・財務省の本流を歩まずに、金融庁などの検査畑を一貫して歩いた人なのだ。傍流であるからこそ、その道を極めた人の話は面白い。
彼が長年所属することになる金融庁(1998年〜2000年は金融監督庁)は、自分が就職活動をした2004年は人気官庁の一つだったような記憶がある。内閣府の外局という位置付けとしてはやや低い場所にあったが、まだできたばかりの官庁で業務は面白く、かつ専門性が高いということが人気の要因だったように記憶している。

自分は官庁には全く興味がなかったのでそういった”人気/不人気”には全く無頓着で、「金融庁は何をやるところなんだろう」とぐらいにしか思っていなかったのだが、社会人になって銀行などの金融関係をお客さんに持つようになると、そのパワーの凄さを知ることになった。

本書はその金融庁、そして佐々木清隆が関わった多くの経済事件や大蔵省に関わる出来事が取り上げられている。36年もの間公職についていただけあり、この出来事のリストには大蔵省に対する過剰な接待(いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」)から始まり、山一証券の破綻、 ライブドア事件、 村上ファンドの問題、新興市場の「箱」企業問題、そして仮想通貨までをカバーしている。自分が経済や政治を理解するようになったのがちょうど山一證券の破綻だったので、ほぼ自分の人生と彼の職業人生が被っていることになるわけだ。

この事件を追っていけばわかるように、金融庁(あるいは金融犯罪)のカバー範囲というのは、本書で言うところの流通市場(セカンダリー・マーケット)から発行市場(調達・株式発行)、そして非伝統的金融領域に広がっていったことがよくわかる。スタートアップの世界に長く身を置いている自分からすると、この流れというのはごく自然なもので、資本市場を守るためには発行企業までカバーするべきというのはむしろ当然にすら思える。そういった意味では、本書は一人の官僚の歴史を残しておくと同時に、今後の金融市場の規制・育成の方向性を示すものでもある。


ちなみに本書では、著者が佐々木清隆を取材すると決めた時に「あの人はやめておいた方がいい」と言われたというエピソードが紹介されている。著者は妬みもあったのだろうと書いているが、おそらくその推測は正しいと思う。何度か言及されているように、こういったタイプの官僚は「面白いアイデアはぶち上げるが、法的な緻密さには弱かったり、ロジ周りに弱い」という共通点があるからだ。

自分もいわゆるキャリア官僚には友達がいるのだが、こういったタイプの周りや下で働くと、それは大変らしい。ある意味でスタートアップの経営者のようなタイプで、遮二無二前に進んで行くので、後ろでゴミ拾いをしていく人が必要になるのだ。しかもこういったタイプは他省庁との細かい折衝や、政治家への説明はあまり上手くないことが多い。馬が合う人にはハマるが、そうでない人から見たら、適当に仕事をして手柄だけを取っていくように見えてしまうのだろう。

そういう意味では、こういったタイプが本当のTOPを取るわけではないと言うのは、組織としては健全なのではないかと思う。 文書も他の類書と同じく、前例踏襲的な官僚に対して批判的な表現がないわけではないが、その筆の勢いは決して強くない。著者も官僚の世界を長く取材する中で、様々な人間が組み合わさって仕事が進んでいくということをよく知っているのだろう。

自分も所属してる組織では、どちらかと言うとこういったゴミを撒き散らす人の尻拭いをすることが多いタイプなので、その苦労と怒りは共有することが出来るような気がする。まあ、 そのような仕事を続けるのが苦痛なので、自分で会社をやったりスタートアップに所属したりするわけで、妬みを感じる人には「大丈夫、あなたのようなタイプが大組織では最後には評価されるんですよ」と教えてあげたい気持ちになる。

 

2024年3月30日 (土)

コロナ禍を学習の機会とするために: 『1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録』

先日mRNAワクチン開発に関するドキュメンタリーを読んだから・・というわけではないが、日本におけるコロナ対策の先頭に立った尾身先生の本を読んでみた。我々一般人はワクチンが開発された段階でなんとなくコロナ禍は終わってしまった気がしていたが、対策に日々奮闘されていた方にとってはそれはまだ道半ばだったということが”1100日”というタイトルを読むとよくわかる。</ br> </ br> ちょうど家族の都合で病院に行った時にもまだ厳戒態勢は続いていて、コロナはまだ現在進行形の危機なんだなと感じたこともあり、あっという間に読み終わってしまった。以下は読んでいて気がついたメモから起こした備忘録になる。

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会議が多すぎて一般人にはよくわからない


自分はおそらく一般の人よりはニュースを多く見ているだろうし、行政に関する知識を持っていると自負している。その自分でも本書を読むまでコロナ関連でこれほど多くの会議が設定され、並行的に動いていることは把握できていなかった。参加されている有識者の方は「この会議は何のためにあるのか」ということを理解されてアジェンダを設定されていたのだと思うが、この複雑な会議体を初見で理解するのはほぼ不可能に近い。

本書では社会(=一般の人々)とのコミュニケーションについて悩むシーンが繰り返し出てくるが、この体制図を見ると、そもそもの体制から理解をするのが難しいと感じずにはいられなかった。それぞれの会議には根拠となる法律があるので仕方がないが、名称も含めて区別をするのが難しすぎる。一時、「コロナを2類とするか、5類とするか」で単純化された議論があったが、一般の人にとってはあれぐらい単純化してくれないとわからないのではないだろうか。


「ハンマー&ダンス」は難しかった


本書ではコロナ禍後期の対策の基本方針として「ハンマー&ダンス」という戦略を取ったということが繰り返し書かれている。 この「ハンマー&ダンス」と言うのは社会全体にコロナ対策疲れが広がってきた際に、基本的には対策を緩める(ダンスを許可する)一方で、 クラスターが発生する、あるいは医療逼迫の可能性が高くなる場合には対策を厳しくする(ハンマーを振るう)という戦略のことをいう。

この「ハンマー&ダンス」という戦略は理論的には良いと思うのだが、一般市民の観点からはあまり機能していなかったように思う。 まずこの言葉そのものを知っていると言う人間が少ないだろう。
日本独自の対策であり、やがて世界に広がった”三密”はコロナ禍初期に策定された戦略ということもあり、一般市民にも広く浸透していた。 しかしワクチンがある程度広まり、社会生活が元に戻りつつあった段階でのこの「ハンマー&ダンス」を意識して行動した人がどれほどいたかというと、あまり実例を見つけるのは難しいのではないだろうか。実際に自分もこの戦略を意識して行動したとは言い難い。

また現実的にも、いきなりハンマーを振られても対応できないと言うのはあったと思う。明日から、あるいは来週から行動制限してください・・と言われても、日常生活のサイクルを変えられるのは、それこそリモートワークが完全に可能な職種ぐらいではないだろうか。 日常生活を取り戻したいと言う社会的経済的な圧力と、コロナ対策を両立させる方法として立案された戦略だったと思うのだが、現実には適用が難しかった戦略だったと判断している。


情報の取り扱いや意思決定が軽い


本書を読むと、特にコロナ禍の後半では政府の情報の取り扱いや意思決定が非常に軽かったのが目立ってくる。 日本ではこれまでも、そして現在も日々当たり前のように事前リークが行われているが、政治や行政では既成事実を作って物事を進めると言うのが1つの様式になってしまっているように見える。

また実際には専門家に相談していないにもかかわらず、専門的な知識から決定したと言うのは、厳密には嘘のわけで、この辺もわが国の政治における言葉の軽さが如実に現れていると感じた。
本書が書かれた理由の一つでもあり、専門家の奮闘を支える原動力の一つとなっていたが「対策は最終的には歴史が判断する」という価値観だ。言葉が軽い、あるいは情報の取り扱いが軽いという人の価値観はいわばその対局にあるわけで、究極的には「今を生きる」政治家や官僚と、「歴史の一部である」専門家たちの価値観と違いがそこにはあったように思う。もちろん個人的には、自分は後者にシンパシーを感じているのは言うまでも無い。


医者も職業の一つであるのに、我々は無理をさせすぎたのではないだろうか


本書に書かれている内容の中で、一般市民がコロナ禍において理解できていなかったと思われることの一つが、多くの対策が現場の関係者の努力によって支えられており、彼らも「一人の人間」ということだ。もちろんそのこと自体はメディアでも繰り返し報道されたし、特にコロナ禍当初は多くの感謝の声が上がったように、多くの人が意識していたことだと思う。

しかし時間が経つにつれて、本書でも書かれているように医療関係者の頑張りへの理解というのは薄まっていった。そしてその傾向は、実は医療関係者の中でもあったようなのだ。それがわかるのが、JCHO傘下にある病院がコロナ病床を拡充した際に多くの医者・看護師が辞めてしまい、そのことに院長が「こんなに辞めてしまうとは思わなかった」と驚くシーンで、自分が本書を読んでいて一番驚いたのがまさにこのシーンだった。

当たり前だが医療関係者(我々から見るとお医者様だが・・)も自分のキャリアや生活を守る権利がある。医療関係者全てがコロナ(感染症)を専門にしたいというわけではないだろうし、 自分の家族を犠牲にしてまで医療に関わりたいと思う人ばかりではない。そういった当たり前の事実、医療関係者も市民であるということを”見ないふり”していたというのが、コロナ対策の一面の真実であるということに改めて気付かされた。


専門家は守られなければならない


上のテーマと関連して、本書では専門家たちが一般の人たちから脅迫を受けたことが何回か触れられている。 このこと自体はSNSで言及されることが多かったのでよく知られた事実だが、本書を見ると専門家にとっても大きなストレスになったことがよくわかる。

専門家が社会から敵視され、あるいは脅迫の対象となったのは、本書でははっきりとは言い切っていないが間違いなく政治と行政の責任だ。 本書で繰り返し述べられているように、専門家はその専門的な知識を持ってアドバイスを行う、あるいは提言を行うことが仕事であって、実際の決断を行うのは彼らの仕事ではない。この線引きは、彼らが仕事をする、あるいは政策を決定し実行する上での大前提であり、そのような前提を壊してしまった政治や行政、そしてメディアの責任は重い。

心配なのは、すでに74歳になる尾身先生の世代であれば このような脅迫にも負けず仕事を完遂してくれたかもしれないが、例えば我々40代の人間が同じような覚悟で物事に取り組んでいけるかということだ。我々の世代は2011年の東日本大震災からずっと、真の専門家があっという間にメディアによって、あるいはSNSを通じて「炎上」させられるのを見てきた。そしてその裏側で科学的な、あるいは専門的な知識がなくてもPVを稼げるような「芸人」が持て囃されてきたのも。

そういった経験を一度だけでなく何度でもしてしまうと、もはや個人にとっての最適解は、専門知は自分のためだけに利用するという姿勢を維持することになってしまう(自分の友人でもそういった人間は大勢いる)。しかしそのような状況は、社会にとって望ましいことではない。
だからこそ「何かことがおこった」時に専門家は守られる必要があるのだ。本書はその当たり前の前提が揺らいていることを、その渦中にあった専門家が記したという意味で貴重な一冊になっている。

 

2024年3月18日 (月)

社会を変えるイノベーションは急には起こらないということ: 『mRNAワクチンの衝撃: コロナ制圧と医療の未来』

5類に変わって今やすっかりコロナがある前提で日常生活を送れるようになった2024年だが、振り返ってみればたった4年前の2020年はコロナで世界中がロックダウンモードに入っていた。ちょうどその頃に重い狭心症で倒れてしまったこともあり、家でひたすらコロナに怯えながら暮らしていたという記憶がある。世の中では自分や家族の年齢ではあまり影響がないといった意見が多かったが、確率的に発生するリスクを避けたいと言う気持ちが強かったのだ。 2021年になってコロナワクチンが開発され、日本でも予防接種ができるようになったときには、ストレスが体から溶けていくような感覚を覚えたものだった。

本書『mRNAワクチンの衝撃: コロナ制圧と医療の未来』は そのコロナワクチンを開発した会社の1つであるドイツのビオンテックを取り上げたノンフィクションだ。 日本では同じようにmRNAを用いたワクチン開発会社であるモデルナはよく知られているが、ビオンテックについてはあまり知られていないかもしれない。本書にも詳しく買いてあるが、それほど規模が大きくなかったビオンテックはワクチン配布にあたってはファイザーと提携しており、日本では”ファイザー”ワクチンと呼ばれていたからだ。


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mRNAを用いた治療薬の開発を目指すスタートアップ


生物を真面目に勉強した人をのぞいて、コロナワクチンが広く利用されるようになるまではRNAという単語を知っている人はほとんどいなかったと思う。DNAについてはエンタメや親子関係の確定に広く使われているために普通の単語になっているが、RNAはそういった広まり方をしていないからだ。

このRNAというすごく簡単にいうと、DNAの情報をコピーするために使われている(正確に言えば体内に存在するので、”使う”という表現は正しくないが・・)。ここでは、わかりやすく説明することに欠けたは定評のあるChatGPT-4にRNAとは何か?と聞いてみよう。


まず、mRNAというのは「メッセンジャーRNA(リボ核酸)」の略です。私たちの体は、細胞という小さな単位でできています。それぞれの細胞の中には、DNAというものがあり、これが私たちの体の設計図のようなものです。DNAは、体がどうあるべきか、どう動くべきかを決める情報を持っています。

しかし、DNAが直接体を作るわけではありません。DNAから必要な情報を読み取り、それを細胞の他の部分に伝える役割を果たすのがmRNAです。このプロセスを「転写」と言います。転写されたmRNAは、「翻訳」というプロセスを経て、体を構成するたんぱく質を作り出します。


本書によればこのRNAを用いて病気治療を行おうとする考え方は長い間存在していたらしい。mRNAを用いて体内の免疫系を利用する治療方法が確立すれば、よりテーラーメイドな医療を提供することが可能となると考えられていたからだ。
一方でmRANを 利用した治療は、コロナ禍が起こるまではまだ先の話だと考えられていたと本書には書かれている。 これまでにない新しい治療方法であるために、当局の審査や認可を受けるのは簡単ではないし、創薬には莫大な費用がかかるからだ。

ビオンテックは もともとは、感染症に対するワクチンを開発するためのスタートアップではなく、このRNAを用いて がん患者への治療薬を開発することを目的に作られたスタートアップだった。 そのためビオンテックはコロナウイルスが発生した段階においては、すでに上場を果たしており、有望なスタートアップとしてみなされていたらしい。一方でmRNAを用いた新たなプラットフォームを開発するには研究開発資金が十分ではなく、何らかの方法で資金を集めることが必要だったらしい。

ちなみに現在の創薬はかなり分業化が進んでおり、新しいチャレンジングな領域ではスタートアップが創薬の主役を担うことは珍しくない。ファイザーやグラクソ・GSK(グラクソ・スミスクライン)のような会社は、そういった会社を買収したり独占提携契約を結ぶことで、新たな薬を上市していくというのが一般的になっている。


長い研究の果ての商品化


コロナワクチンが開発され世の中に広まっていく過程では、このmRNA と言う技術は、まるで突然天から降ってきた発明のように報道されることもあった。自分も含めてバイオ技術を積極的に追い続けていない人間にとっては、 この技術は、当然学校で習ったこともなく、初めて聞く技術だったからだ。

ところが本書を読むと、このmRNAと言う技術は長い間活用のアイデアが温められ、それほど多くはないとはいえ研究が続けられていたことがよくわかる。実用化されなかったのは、適切なタイミングがなかったということと、もっといえば予算がなかったからだ。

自分は短い間とはいえ米国DARPAに関連する仕事をしたことがあるので、開発された基礎技術が商用化されるまでには数十年単位の年月が必要である事はよく知っている。 なぜそれほどかかるのかを一言で言えば、その技術を商用化するために必要となる要素技術が十分に熟成していないことが多く、 利用できたとしてもコストが高すぎるからことが多いからだ。 例えば今やPCを通じて誰でも利用ができるなった大規模AIも計算機資源が十分に、かつ安価に手に入るようになって初めて実現可能となったことはよく知られている。

言い換えれば、何かものすごい危機やチャンスが発生したからといって、突然新しい発明やアイディアが実現すると言う事は現実世界ではありえないということなのだ。 日の目を見るずっと前からそこに情熱を傾けている人間がおり、あるいは(広い意味での)リスクにかける投資家が何度も倒れた先に、初めて社会を変えるようなイノベーションは実現するのだということを、本書は(そしてmRNAの実用化という例は)教えてくれる。

そしてもう一つ大切なことは、 一度実現したイノベーションは社会に広く実装されるが故に、永遠の成功を約束すると言うわけではないということだ。 本社の中でも複数の会社がmRNA技術を活用してワクチンを開発することになると予言されているし、 実際に今後新しい感染症や、あるいはガンの治療に対してmRNAを用いた治療は行われるようになるだろう。

それはビオンテックの創業者たちにとっては喜ぶべきことかもしれないが、ビオンテックという会社にとっては必ずしも歓迎される事態では無いかもしれない。それはビオンテック社の株価を見ればよくわかる。ビオンテックの株価の推移を見ればよくわかるように、 最高値をつけたのはコロナ禍の2021年8月であり、そこからは多少の波がありながらも下がり続けているのだ。
イノベーションを産むのはまさに資本主義だが、同時にその資本主義はイノベーションを実現した存在に対して、永遠どころか数年の猶予さえ与えてくれない。我々は皆、競争の中に生きているということをビオンテックの例は教えてくれる。

 

2024年3月17日 (日)

子供が自分の部屋で一人で寝るようになった

親と一緒に「川の字で寝る」と言うのは、日本の子育ての特徴の1つらしい。 中国にいたときにはアメリカ人同級生に「じゃあ子供がいる家では、どうやって夫婦で楽しむの?」と聞かれて、家が狭いから台所だったりするらしいよ・・と答えたら爆笑された記憶がある。
我が家も例にもれず、子供が生まれてから今までずっと家族さんに川の字になって寝室で寝ていた。

その息子が突然、自分1人で寝ると言い出し、昨晩は何事もなく自分の部屋で1人で寝ていた。ちょっと前までは「俺はずっと家族で一緒に寝る」とか、「一人じゃ眠れないから、必ずそばにいてくれ」と強く主張していたのに、こちらが驚くほどの成長の早さだ。

彼が突然自分の部屋で寝ることになったきっかけは単純で、いよいよ第二次性徴期の準備を始めなければならないと感じた妻が、彼の部屋を準備したことだ。我が家は都心の狭いマンションなので、いわゆる「子供部屋」のようなものは準備できない。ただしリビングを今流行りのスライド式のドアで区切ることが出来て、区切った部分を簡易的に「子供部屋」としたのだった。


そもそも溢れんばかりに子供のモノがある我が家で、整然と”この部分には誰々のものしか置かない”とすることは不可能なので、簡易的な子供部屋にも親のものはたくさん残っている。それでも初めて自分のパーソナルスペースを手に入れた息子は大喜びで、わずか3畳ぐらいの「自分だけのスペース」には許可なく親が入れないことになっているらしい(もちろんそんなご要望は却下したのだが)。

親側としては最初は一人寝をトライしてもすぐに泣いて帰ってくるとタカをくくっていたのだが、本人によれば気持ちよく熟睡できたらしい。あまりの急展開にこちらの心の準備ができないくらいだ。これまでは寝る前に横に寝ている息子の顔を眺めてから寝るのが楽しみだったのに、どうしたらいいんだ・・と嘆いたふりをしてみたが、こちらも子供に蹴られることなく寝られるのでFitbitの睡眠スコアが一気に改善していた。ちなみに妻は別に寂しくないよ・・といっていたが、犬を抱いて寝ている夢を見たらしく、結構寂しがっていたに違いない(がよく眠れた・・といっていた。夫婦揃って睡眠は正直だ)。

 

これからの春休みで寝室側のベッドを整理して書斎兼夫婦の部屋とすると、彼は本格的に「自分のスペース」を手に入れることになる。独り立ちはいつになるんだろう・・と気を揉んでいたのが嘘のように、子供は勝手に成長していくのだった。まあ、障害物を見えないように取り除くのは必要なんだけど。

 

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