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カテゴリー「Off」の記事

2021年9月 2日 (木)

[書評] トレイルブレイザー: 企業が本気で社会を変える10の思考 - Salesforceはマーケティングの会社だと再確認 -

517u5w0pcql SFA(Sales Force Automation: 営業支援ツール)と呼ばれる領域で世界最大の企業であるSalesforce.com(SFDC: セールスフォース)は実に不思議な会社だ。

SaaSビジネスというビジネス領域における最大の成功企業の一つであるのは間違いがないが、提供しているツールはお世辞にも「使いやすい」とは言えない。企業側が導入しようとするとほぼ100%導入コンサルティングを受ける必要があることを考えると、位置付けとしてはSAPのようなERPツールとあまり変わらないとも言えるかもしれない(※1)

テクノロジーの会社という見せ方をしているが、GoogleやAmazonといった会社と並び立つほどの技術レベルにあるかということ、これもかなり悩ましい。そもそもSalesforceの売り上げレベルだと、今の商用かつ汎用的なAI領域では投資必要金額をまかないきれないのだ。彼らがアインシュタインと名付けたAIも、裏側ではIBM Watsonの機能を活用している部分があるのが一つの証拠と言っていいだろう。

働きやすい会社・・・というのは確かに一面をよく表しているが、営業へのKPI管理や行動管理は世界でもトップクラスに厳しい企業でもある。これは創業者であるマーク・ベニオフがOracle出身であるという理由が大きいかもしれない。Oracleの営業は、IT業界の中でも最強の営業部隊を持っていると言われた時代があったのだ(業界を離れて数年たったので、今はちょっとわからない)。


そういうわけで、SFDCは「みんなが知っている割には捉えどころのない会社」というイメージだったのだが、本書を読んで見て、結局のところSFDCは自社(と製品)のマーケティングがメチャクチャうまい会社なのだな・・ということを実感 & 再確認した。

彼らのマーケティングの巧さを示す例でいうと、SaaSセールスの代名詞となったTHE MODELの考え方がある。マーケティングによるリード獲得から、インサイドセールスによるリードの見極め、そしてフィールドセールスによる刈り取りとカスタマーサクセスによる並走サポートというこのプロセスは「セールス強化」を測りたい伝統企業やスタートアップから強い支持を得た。
しかし、少なくとも日本においてはセールスフォース自体がTHE MODELの考え方を”限定的に活用している”ことはあまり知られていない。例を挙げれば、2021年の現在、THE MODEL的な営業フローは主に中小企業向けに使われており、大企業向けにはよりアカウントに近い営業体制が取られている。また、セールスフォースが日本に進出した際、アメリカでの営業方法がそのままでは上手く機能せず、結局日本IBMから営業系の幹部を引き抜いてきたというのはよく知られた話だ。

もちろんこれは、THE MODELという考え方が悪いわけでもなく、セールスフォースという会社が嘘つきだということでもない。外部環境に合わせてやり方を柔軟に変えることができるというのは、優れた組織には不可欠な要素だし、事業モデル自体も進化していくものだからだ。


本書を読むと、そういったマーケティングの巧さというのは創業者であるマーク・ベニオフの個性を反映したものだと思わずにはいられない。シリコンバレーの現役経営者の中でも、彼ほど出版や情報発信を好むCEOはいないのではないだろうか。実際に、本書も含めて彼は”読ませる” 文を書く。

私が以前勤めていた会社では、Oracle時代の彼と直接働いたことがある人間がいたのだが、彼は「どんなプロジェクトをやらせても失敗するが、なぜかその度に出世していく」とぼやいていた。もしかしたら、彼のやや誇大妄想的な部分とテクノロジーよりもマーケティングとビジョンに重きを置くスタイルがOracle創業者のラリー・エリソンに好かれていたのかもしれない。

ちなみに、彼はあまりにベニオフの出世が早いので「ベニオフは、ラリー・エリソンの隠し子なのでは?」と疑っていたようだ。自由奔放なラリー・エリソンならでは・・という気もするが、本書ではベニオフ家についてかなりの部分が割かれており、どうやら隠し子説は本当ではないらしい。


※1 ・・・SAPの導入は日本企業だと数年がかりになるのはザラなので、さすがにあれほど重いサービスではないが。

2021年8月26日 (木)

[書評] ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう: 際立った知性は同じ方向を向く

51asfysfirl_sy346_自分がスティーブン・ホーキングという人物を認識したのは、小学校の頃だった。学校の図書館に「ホーキング 宇宙を語る」があり、当時宇宙に興味を持っていた自分はとりあえず”宇宙”という単語に惹かれて手に取ったのだ。今となっては本の内容は全く覚えていないが、卒業アルバムには将来の夢を「NASAで働くこと」と書いていたくらいなので、宇宙への興味はそれなりに強いものがあったのだろう。

 

結局その夢は大学1年生の時に捨ててしまったが、それでも宇宙への興味は変わらず、教養過程では宇宙論や相対論を受講した。しかし、そのロマンあふれる授業名から想像される内容とは異なり、大学のこれらの授業は数式を駆使した物理学だった。数学が得意ではなかった自分はあっさりドロップアウトし、そのままついにその領域を本格的に学ぶことなく40歳を超えてしまった。

 

それでも、志半ば・・というか、そもそも大きな志などなかったであろう自分にとっても、ホーキングという存在は特別な存在であり続けた。ALSという難病でありながらも研究活動を続けた・・という事実を持って、一般的にはある種の超人性・聖人性を付与されてしまった彼が私生活では決して聖人ではなかったということを知っても、自分の中での存在の大きさは変わらなかった。もしかしたら、その理由の一つには「難しいことを平易に語る」という、自分の中では得意であると思っている領域の偉大な先駆者であるという意識があったからかもしれない。実際、内容は覚えていないとはいえ「宇宙を語る」は小学生にも十分理解が可能な語り口だった。

 

 

そういうわけでaudibleで本作を見つけた時も、迷うことなく購入を決めたのだった。audibleは「聞く読書」なので、どうしても向き不向きがある。一番の難点は、前のページを参照したり、わからなくなった時にパッと戻るということができないことだ。しかし、ホーキングの語り口であれば、文字を追わなくても大丈夫だろうと考えたのだ。

実際に聴き始めてみると、この領域に多少の知識を持っている人間であれば朗読でも全く問題なく内容が頭に入ってくることに気がついた。ブラックホールとそれに関連する物理学的理論の説明が行われているにも関わらず、まるで挿絵があるかのように”絵として”内容が頭に入ってくる。彼が生涯をかけて研究した内容が、その本質にまで触れることはできなくても、外縁から十分に理解が可能なように構成と語り口が工夫をされているのだ。

そのこと自体で科学啓蒙書としての本書の価値は十分に満たしてくれているのだが、それよりも驚くのはホーキングの興味の方向性が非常に幅広く、かつその全てが現代科学において重要な領域であるということだ。列挙すれば、彼の興味の対象は核融合技術、自然破壊と環境保護、宇宙開発、そしてAIになる。彼は宇宙物理学という、ある意味で究極の「根本的な課題」に取り組みつつも、その視野には工学の最先端がちゃんと含まれているのだ。

そしてその理由は、本書内でも明確にされているように、人類という種(よりわかりやすくいえばホモ・サピエンス)の生活範囲が地球のみであるとすると、いずれ滅亡をしてしまうという問題意識によるものだ。その滅亡の理由は、例えば核戦争かもしれないし、地球環境の大変化かもしれない。あるいは恐竜が絶滅した時と同じように隕石の衝突かもしれない。その「何が」「いつ」起こるかということは正確に予知することはできないとしても、今後の1,000年単位で考えれば、人類がこのような問題に直面することは避けられない・・・と彼の卓越した頭脳は判断したのだろう。


自分はこの下りを読んでいて、優れた知性というのは最終的に同じような問題意識に到達するのかということに驚いた。衰えていく地球から宇宙に飛び出し、そのためには物理的な理論や核融合の知識がいる・・・というのは、まるでインターステラーで描かれた世界のようだ。おそらくかなり近い将来、こういった問題がより身近になり、より真剣に議論されるようになるのだろう。そして、自分が生きている間ではないかもしれないが、これらの問題が解決されて、人類が他の星で暮らすような未来が来るに違いない・・・と、本書を読むとそう思わずにはいられない。

 

2021年8月22日 (日)

モデルナワクチンの2回目接種を終えた

自分が住んでいる港区は、ワクチン接種クーポンの配布開始まではどちらかというと23区内の中でも進行は遅い方だった。子持ち家庭には施策が手厚い港区だが、それは区役所が優秀というわけではなく、政治側(特に清家議員)の力のおかげだったのか・・とも思ったものだ。

しかし大規模接種が可能な場所が多いのが港区の強みだったのか、一度クーポンの配布が始まると、怒涛の勢いでワクチン接種の予約枠がリリースされた。
このワクチン接種を支えている一つの要素が、森ビルである。森ビルは職域接種で10万人もの人間に接種を行うと発表し、さらに、虎ノ門ヒルズのセミナーホールを活用した大規模接種を開始したのだ。
他にも増上寺での大規模接種や、大規模病院での一斉接種など、とにかく箱と物量を抑えての戦いで一気に接種率を上げてきた。8月18日の段階で1回目接種は50%近くに来ているし、職域接種も含めばもっと数が増えるだろう。

自分も家からそれほど遠くない虎ノ門ヒルズで2回の接種を行って来た。昨年の心臓手術によりハイリスクとなった自分は、予約枠が解放された瞬間にパソコンから確実に枠をおさえて、1回目は7月の下旬、2回目の接種は8月中旬に完了することが出来たのだった。

両日ともに副反応が出ることを予想して、土曜日の午前10時に接種した。
1回目は接種後24時間では微熱が出るくらい、そこから熱は上がらないものの倦怠感がかなり強く、ほぼ1日をベッドの中で過ごした。月曜日からは普通に仕事をすることが出来たが、腕の痛みは一週間ぐらいは続いた。
ただ、自分のように打撃系の格闘技の経験がある人間にとっては、あの程度の腕の痛みはそれほど辛いものではなかった。空手系の練習では新人に肩や二の腕を殴らせることをするので(通称: 肩パン)、そういった痛みには慣れているのだ。


2回目はもう少し副反応は強かった。WEBなどでカロナールが良いと聞いていたので、事前に準備をしておいたのだが、それでも38度を超える熱が出た。だいたいの経緯は以下のような感じだ。

  • 接種後1時間: 副反応予防用にカロナールを服用
  • 土曜日午後(接種後4時間ごろ): 微熱が出て来たがそれほど辛くない
  • 土曜日18時(接種後8時間): あまり食欲がないので、軽く夕食を取りカロナールを再度服用
  • 日曜日2時(接種後16時間): 寒気と熱、からだの痛みで目がさめる。関節痛というよりも、山登りで全身がだるい・・みたいな感じの痛み。薬を飲みたかったが、あまり服用量が多いのはよくないと、布団にくるまって我慢する。
  • 日曜日6時(接種後20時間): 熱が少し下がった感じがするが、どうにも体が痛いので、ベッドから抜け出しカロナールを服用。同時に熱を測ったところ38.2度だった。
  • 日曜日10時(接種後24時間): 熱は下がったが、体はまだ痛い。猛烈に腹が減ったので、一気に食事をして睡眠。このタイミングではカロナールは取らず。
  • 日曜日17時(接種後31時間): 熱はだいぶ下がり37度ちょっと。相変わらず腹は減っているので、しっかり食事をとりベッドへ。カロナールを再度服用して、痛みはだいぶ楽になって来た。
  • 月曜日8時(接種後46時間): 熱は平熱に。体の痛みも消えたが、やや倦怠感は残っている。この段階で薬は必要ないと判断。念のため、この日は有給を事前に取得しておいた。
  • 火曜日8時(接種後70時間): 体の倦怠感もほぼなくなり、問題なく普通の生活が可能に。ただ、これまでのダメージが残っているのか、ちょっとしたことで疲労がズシンとくる。
  • 水曜日7時(接種後93時間): ぐっすりと眠ることが出来たためか、疲労感も消えている。

ワクチンを打つ・打たないの最終決定権は個人にあるので、これからも打たない人も一定数は残るのだろう。ただ、個人的にはワクチンを打つことができて、これまでは自覚していなかったものの、ストレスがかなり軽減されるのを感じた。「できることがあるのに、自分ではどうしようもない」というのは、自分の中ではかなりの負荷だったのだろう。
これからも行動には何も変化はないし、マスクはつけ続けるけど、自分の中では一つ肩の荷が降りた。

2021年8月 3日 (火)

コロナ感染者数とパラリンピックの開催

オリンピックでの日本の金メダルラッシュで盛り上がる一方、あれよあれよとコロナの感染者数は増えてしまい、気がついたら東京で4,000名/日を超える感染者数がカウントされるようになってしまった。陽性率が20%を超えるというのは明らかに検査数が足りないということであり、都市中にはもっと多くの感染者がいるだろう。

一方で数が増えたといっても。自分も家族もこれまで基本的に自粛生活を続けていたので、生活は大きく変わらない・・・というか、出来ることがほとんどない。とはいえ危機感はこれまでよりも遥かに大きくなっているので、例えばマスクは不織布マスクをこれまでに比べて使うようになったし、子供の習い事も子供が教室に詰め込まれるタイプのものは不参加としている。

自分がコロナになるかもしれないというのはもちろん怖いが、もっと怖いのは夫婦の二人がなってしまい子供だけが残されてしまうことや、あるいは子供が感染してしまうことだ。これまでは子供の重症化はほぼないと言われていたが、デルタ株は子供への感染と重症化も強くなっている。

自分と妻はワクチンをうつことができるが、子供はまだワクチンを打つことができる年齢にもなっていないので、とにかく自衛するしかないのだ。ちなみに自分が住んでいる港区は高齢者を除く対象へのワクチン接種は7月に開始したが、これまでのところは接種自体の遅れはなく進んでいる。森ビルが虎ノ門ヒルズを提供したり、東京タワーのお膝元である増上寺でも接種が出来るということで、かなり順調に接種が進んでいるようだ。
自分はワクチン2回目接種が10日後であり、妻はまだ1回目をうったばかりだ。ここばかりは焦ってもしょうがないので、最初に書いたようにこれまで以上の危機感で毎日の生活を過ごすしかない。


パラリンピックの開催は?

オリンピックは既に12日目を迎えて、後半戦に入っている。コロナの拡大も止まらず、選手たちを隔離するといったバブルもあまり機能していないように見えるが、ここまできたら最後まで突っ走るのだろう。・・・というか、今更オリンピックを中止しても得るものはほとんどない(オリンピックが中止された!という心理的な影響で、外出は減るかもしれない)。

気になるのはパラリンピックの開催だ。よく勘違いされるのだが、今回のオリンピック開催ですっかり悪役となったIOCは実はパラリンピックの主催者ではない。パラリンピックの主催者はIPC(International Paralympic Committee)だ。IOCとIPCは協力関係にあるが、別組織であり、それぞれがそれぞれの組織を持っている。

さて、そのIPCが開催するパラリンピックだが、容易に想像される通りオリンピックほどのパワーを持っていない。加入国・地域数もIOCとIPCには差があるし、財政規模も異なる。財政規模の違いはすなわちスポンサー数と金額の違いでもある。端的にいってしまえば、パラリンピックの商業的な価値はオリンピックよりも小さいということだ。


こういった理由もあり、パラリンピックが中止されるかもしれないという見通しが、感染者数の増加とともに、メディアに載るようになった。もちろん国も東京都も否定はしているが、水面下では真剣に検討されているだろうと思う。

自分はオリンピック開催是非の議論がなされていた際も、一貫して開催に賛成だったので、こういった事態になってもパラリンピックの中止には反対の立場だ。どちらもアスリートにとっては人生をかけた場であるということは変わらないし、パラリンピックの方が人類にとってより意味のあるものだとすら自分は思っている。オリンピックの理念はDiversity & Inclusionだという報道があったが、であればこそ、その理念はパラリンピックでこそより輝くはずだ。


一方で、現実的に今の東京の医療状況が「パラリンピックを開催するに相応しくない」という観点もあるだろう。パラリンピックに参加するアスリートの方がコロナにかかりやすい・・ということはないだろうが、障害のレベルによっては治療を実施するのがより難しいという場合もあるだろう。また、ボランティアや開催に関係する人間で大規模クラスターが起こってしまうという可能性もある。

オリンピックでもかなりの数の医療従事者が必要とされていると報道があったが(おそらくこれはIOCとの開催契約の中に含まれるのだろう)、パラリンピックでも現場で待機する医療従事者が必要とされるのは間違いないだろう。そうなった時にただでさえ疲弊している医療現場のリソースを分割するのかという懸念は大いにある。


以上のことを考えると、時期の分散開催といった方法論まで含めて延期という選択肢が浮かび上がってくる。現実的かどうか?と聞かれると技術的には非常に困難であることは承知しているが、東京という都市は「オリンピック/パラリンピックを開催する権利」とともに「オリンピック/パラリンピックを開催する義務」を負ったと感じている自分としては、パラリンピックを中止すべきでないという気持ちが強いのだ。

 

2021年7月26日 (月)

オリンピックの始まりとコロナの増加

コロナにより延期されていたオリンピックが、すったもんだの末ようやく先週から始まった。早速の金メダルラッシュで大きく盛り上がっているけれど、無観客ということで想像していたような盛り上がりとはやや違うことに戸惑いもある。テレビで見ている観客の自分でもそういった戸惑いがあるのだから、実際に会場にいるアスリートはもっとそういった感覚があるだろう。



コロナとオリンピック


オリンピックについては1年半前ぐらいにblogで2回取り上げてからは、ほとんど真面目に考えることをやめてしまっていた。学生生活の大半の時間を部活動で使った自分のようなタイプには、オリンピックを中止しろというのは全く共感できなかったが、一方で国内のゴタゴタを見ているとどう転んでも「アスリートにとって良いオリンピック」になるとは思えなかったからだ。
色々な人がいうように、今回のオリンピックへの準備は日本のよくないところを煮詰めたような部分があったと思う。

そもそも落ち着いて考えると正直なところ、「オリンピックを開催する」という決定と「コロナがまた増えていること」との相関はデータ上はよくわからない。”オリンピックは開催するのに、他で自粛を求めることに対して怒った人々が自粛をしなくなった”とも言われているが、こうなると心理的な話になってしまい、専門的な知識がない自分にとっては理解が難しい。新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が、オリンピックの開催に反対されていたということもあったので、感染拡大を抑えるためには、そういった要素も考慮する必要があるということは理解できる。


ただ現状だけを見れば、オリンピックがあろうとなかろうと既に政府への怒りは十分以上溜まっていたように見えるし、オリンピックがない各国でもデルタ株は猛威を奮っていたのも、また事実だ。コロナを封じ込めるための体制、いわゆるバブルがちゃんと運用されていないという意見もあるが、それは運用の問題であって開催可否そのものの話ではない。もちろん、「ちゃんと封じ込めが運用できないし、そこを改善する方法はないから、開催自体に反対する」という意見もあるかもしれないが、あまりそういった意見は見たことがなかった。


今気になること

アスリートでもなく、オリンピック関係の仕事をしているわけでない自分にとっては、コロナの第5派の方がはるかに大きな問題であることは言うまでもない。これまでは、自分の頭の中ではその「コロナ」という事象と、「オリンピック」という事象は明確に切り離されていたのだ・・・と言い換えてもいい。

ということで、オリンピックが始まった現在気になっているのは、この波を抑える方法がほとんどないように見えることだ。既に非常事態宣言が出ている東京でこれ以上の強制力を発揮させる方法はあまりないように見えるし、急に人の気持ちが変わるというのも想像がつかない。
これまでは、”感染者数が増えると、言われる前から自粛する”という流れが何度かあったが、今回はそういう動きがあるようにも見えない。確かに、この点はオリンピックの影響があるのかもしれない。「オリンピックやってるのに自粛なんか出来るか、ばかやろー!」と思っているのか、それとも「オリンピックはお祭りだー!」と考えている人が増えているのかはわからないが・・・。


心臓の冠動脈にステントが入っている自分は高リスクなので、例えワクチンを打った後でもできればかかりたくないというのが本音だ。ただ出不精ばかりの我が家も、流石にいつまでも家に閉じこもっているというわけにもいかず、今後が見えないというのはなかなか精神的に辛いものがあるのだった。

 

2021年7月19日 (月)

発作で倒れてから1年が経った

冠状動脈の狭窄・・いわゆる狭心症の発作で倒れてから、今日でちょうど1年が経った。前にも書いたように、倒れたその日(2020年7月18日)は救急車で運ばれたが手術などは行わなかったが、それからも不調が続き、結局11月にステント手術をした。倒れてから最終的に手術をした病院を見つける2ヶ月間は、吐き気や両腕を締め付けられるような感覚はあっても理由は不明・・という状況が続いて、すごく精神的に辛い日々だった。手術後は複数の薬を飲む必要があるとはいえ、体そのものは好調が続いている。

手術の際に担当医師からは、「1年経っても何もなければ、先天的に血栓が出来やすい体質であると考えなくても良いと思う」と言われていたので、この1年後の検査というのを結構楽しみにしていた。おかげさまで、先週の検査では全ての値が正常値に入っており、とりあえず再発の可能性は見られないという所見を得ることが出来た。
コロナがなければお盆のあたりに検査入院をもう一度する予定だったのだが、まだコロナの危険性はあるし(入院している人はほぼ高齢者なので、コロナが持ち込まれた時の影響は非常に大きい)、値からは入院しなければならない理由は見えないので、10月の検査で判断をしようということになった。


メディアで報道されているように、コロナの代表的な症状の一つは血栓ができることである。自分の体が「血栓が出来やすい体質」かどうかというのはわからないが、いわゆる”血液がサラサラになる薬(抗凝固薬)”は飲み続けている状況である。こういった薬を飲んでいる人間はコロナに対してはハイリスクであると考えていいと医者からは言われており、この1年は長く感じたし、人よりも外に出る回数は明らかに少なかったと思う。もちろん1年というのは一つの目安なので、このマイルストーンを迎えたからといって薬の量が変わるわけではないし、体重を落としコレステロールを下げるための生活が変わるわけでもない。

例えば、今日のようにすごく暑い日にマスクをつけたままだと、ちょっとした動きをするだけで胸が少し苦しくなる時もある。手術の時に確認したように、ストレスで血管が狭窄するという体質は変わらないので、決して気をぬくことは出来ないのだ。ワクチン接種のために服用している薬を書き出したら血管拡張薬も含まれていたし、今の自分は薬によって健康を保っているのは間違いない。狭心症が起こった時に血管を拡張するためのミオコールスプレーは常に手放せない。まあ、これは半分ぐらいは心の安定というためもあるけど。


まずは何事もなく1年後を迎えられたということを喜びつつも、これからもおっかなびっくり生きていくことを改めて確認した、そんな発作1周年記念だ。

2021年1月 5日 (火)

2021年が始まりました

2020年の最初に書いたエントリーを見返すと「日本国内はオリンピック一色になるだろう2020年」と書いてある。アップした日は2020年1月6日だが、この時にはまだコロナで世界がこんなに変わってしまうということは想像もしていなかったのだ。落ち着いて振り返ってみれば、中国ではすでに謎の肺炎の報道がチラホラされていたことに気がつくのだけど、当時は世界中のほとんどの人がそのニュースに注意を払っていなかったのだ。


2020年を振り返って

ほとんどの人にとって2020年は新型コロナウイルスで多かれ少なかれ人生が変わってしまった年として記憶されるだろう。職を失った人もいるだろうし、留学や海外赴任などの計画が大きく狂ってしまったという人は友人の中にもたくさんいる。日本国内では相対的には死者は少ないとはいえ、愛する人を亡くされた人もおられるのだ。

しかし一個人として振り返ってみれば、新型コロナが生活に与えた影響はそれほど多くはなかった。会社は速やかにリモートワークに変わったし、幸運にも2019年中に引越しを終えていたため、コロナに合わせて大きく生活を変える必要もなかった。非常事態宣言が出た時に子供の幼稚園は休みになってしまったが、家族がみな一緒にいられたということを考えればプラスマイナスではほぼバランスが取れていたような気がする。


多くの人とは違い、2020年の自分にとって最も大きかったのは7月に突然の胸の痛みで倒れてしまったことだった。その後数ヶ月原因不明の後遺症に悩まされ、最終的に狭心症の手術を行ったことだった。この病気はこれまでの自分の人生で最も死に近づいた瞬間だったし、今後の生き方を決定的に方向付ける出来事だったと思う。

2021年の1月になり今後数ヶ月は病院が受け入れができるかどうかわからないという状況を考えると、結果としては11月中に手術を受けることができたのは幸運以外の何物でもなかった。もちろん何も起こらない・・この場合でいえば狭心症が発症しないことが一番良かったのだが、体質によるものが大きいことがわかった今となっては、あの時に倒れなくても遅かれ早かれ同じ目にあっていたことは間違いないと思っている。
「もし海外出張中になってしまったら」とか、「もし救急車の受け入れが不可能な時に起こってしまったら」という場合に比べれば、家族がいる時に自宅で発作が起きたというのはbest of worstだったことは間違いない。

現状では、2021年(つまり今年)の夏頃に術後の経過を見るための検査入院をしなければならないということが決まっているとはいえ、手術は無事に成功し、胸の痛みはすっかりなくなった。コレステロール値をかなり低めにコントロールしなければならないため食事にも気を使う必要があるし、体重を落とすために毎日の運動を欠かせなくなったが、これも今後の人生を考えると健康状態の改善につながるものだ。
なにせ去年のエントリーには「生活習慣病の一歩手前というか、すでにフライングしているレベルの体重なのだが、未だに大して変わらないという・・・。」と書いてあるほどだったのだ。結果として病気になり体重を落とす羽目になったので、ある意味予想は正しかったともいえる(生活習慣病という理由ではなかったが・・・)。

一方で制約も増えてしまい、今後生涯にわたって血栓ができないためのいわゆる「血をサラサラにする薬」(※1)を飲み続けなければならないという制限もあるし、血管の痙攣が起きる可能性があるので飲酒もやめた。大学入学時からちょうど人生の半分の期間ともにあったお酒とも2020年でお別れだ(※2)


仕事をかえるという決断

もう一つの大きな変化は、2020年末でこれまで勤めていたSRIの退職を決めたということだ。書類上は2021年1月末で退職になるので、現在は長い有給期間を楽しんでいるという状況だ。こういった場合に書いておくことが多い転職の理由は書き始めると長くなりそうなので、別のエントリーにまとめようと思っている。ものすごく簡単にいうと、コロナが本格的になる前から考えていたことがあって、さらにコロナの影響で決定の背中を押されたという感じだ。

この1ヶ月は休みをもらって、2月からは声をかけてくれた日本企業ではたらくことが決まっている。前々職のIBMは日本での活動が長く、働いているのもほぼ日本人ということから「外資風日本企業」と言われることがあったとはいえ、それでも日本企業とは明らかに違う意思決定プロセスと管理がなされていた。そう考えると、日本国内で純粋な日本企業に勤めるのは2007年以来ということになる。

これまでの外資の文化とはまた異なる文化の中で、何ができるか・・・40代の自分の新たなチャレンジだ。


2021年の抱負

2020年の新年では「大した目標もない」と書いていたのだが、今年も去年と変わらず、だいそれた目標とか抱負は何もない。本当は毎年毎年何か明確な目標をおいたほうがいいというのはわかっているのだが、この歳になると自分の人生が自分だけのものではないこともわかっているので、新しい突飛な目標を立てるというのは難しいのだ。まあ、昨年に関してはほとんどの人が目標どころの騒ぎではなかったと思う。

あえていうなら、今年はまず「生きる」ということが自分の中では大きな目標だ。手術した狭心症が再発せず、コロナにもならず無事に年末を迎えることができたら、それだけで立派に1年を過ごした・・ということができるのではないかと思う。

もちろん、新しい仕事では成果を出したいと思うし、40代になって益々inputとoutputが重要になってくる中で、自分の時間をうまく使って少しでも世の中をよくしたいとは思う。また、家族にもこういった過ごしづらい環境で幸せであって欲しいとも強く願っている。しかし、それもこれもまずは自分が健康でいることが第一なのだ。

大げさに聞こえるかもしれないが、昨年に救急車で運ばれる直前、自分は彼岸へのドアを少しだけ開けたように感じている。少しだけ向こうをのぞいたのだが、まだまだやることがあるのだ・・と思い、あの時はそのドアを閉めてこちらに帰ってきたのだろう。あの時目の前に展開された、ブラウン管のテレビが壊れていくときのように、あるいは古いノートパソコンではそうだったように、ピクセルが少しずつ消えていくかのように世界が暗くなっていく瞬間を自分は忘れることが出来ない。ちなみにドアは片側びらきでノブを回して押すタイプだった。

この話を友人にすると「怖い!」という反応をされることが多いのだが、当の本人は痛みでそれどころではなく、恐怖は感じなかった。たぶん感じる余裕がなかったのだと思う。そしてこういうと驚かれるのだが、死ぬとしても後悔は一切感じなかった。むしろ、この数年間で家族に与えてもらった多くのことに幸せを感じたほどだ。きっと多分自分は、今の環境にとても満足しているのだろう。

であるならば、今の生活を守りそして長く続けていくことが、きっと自分にとっても家族にとってもよいことなのだろうと思う。そうやって一歩一歩進んでいった先にまた違う世界が広がっているのだろう。


そうそう、追加すると一つだけ。実は昨年はコロナの影響で家にいる時間が長かったこともあり、年間で200本以上の映画を見ることが出来た。その記録は別のブログにまとめているのだけれど、今年はこの本数をさらに伸ばしていきたいな〜とは思っている。寝る前にぼーっと映画を眺めるのは最高だ。




※1・・・血がとまりづらくなるというのは本当で、ちょっとした切り傷やサカムケなどの出血もすぐには止まらないし、かさぶたも真っ黒い血の色のままで治りが遅くなった。
※2・・・正確に言えば「ちょっとは飲んでいい」らしいのだが、そのちょっとってどれだけよ?というのが明確ではないし、例えば会食で「ちょっとだけ飲めます」というのは説明が難しいので、いっそのこと飲酒自体をやめることにしたのだ。浴びるように飲んだ時期もあったのだが、今となっては自分の中で残念という気持ちもない。

2020年11月19日 (木)

精密検査で狭心症が見つかり、ステント手術をした話(その3)

(病院を見つけるまでの経緯はその1を、手術が決まるまでの経緯はその2をご覧ください)


10月下旬: 最終意思決定


手術を受ける意志を病院に伝えてから2週間後に、今度は手術を担当してくれる先生との打ち合わせが設定された。同じ内科でも微妙に担当が分かれているらしく、同級生の先生は手術は担当しないのだという。

この打ち合わせでは、改めて自分の症状がどのようなものであるか、どのような部位に狭窄が起こっているのか、そしてどのような器具と術式で手術を行うかの説明をかなり丁寧にいただいた。医療工学についてある程度の知識がないと理解することが難しいような内容まで踏み込んで説明をいただいて、非常に納得度の高い説明だった。最初の入院時の説明では、やや曖昧な説明でそこが不満だったので、正確な説明をいただけたことはありがたかった(一般的に心臓病で入院される方は高齢の方が多いので、その年代にあわせた説明の仕方/内容が標準になっているのだと想像した)。

面白かったのは「執刀されるのは、(今、お話をしている)XX先生ですか?」という聞いたら、「私のように若いのが担当だと不安ですか?」と聞き返されたことだ。自分としては、一度も顔を合わせたことがない人が執刀だと嫌だな〜と思っての質問だったのだが、どうやらベテランの先生を希望される方もいるらしい。
話を聞く限りはそれほど難しい場所に狭窄があるわけでもないし、術式も確立されているようだから、むしろ若い人に経験を積んでもらうにはいい機会なのでは・・・とも思ったぐらいだ。何事も人は経験しないとうまくならないことだし。

話を聞いていて現代の医学はすごいな・・と思ったのは、術式の説明を受けた時だ。今回はステントで狭くなった血管を膨らませるという手術なのだが、ステントを広げると細い部分についていたカス(血栓やコレストロール)が剥がれて血管を流れて行くリスクがあるという。当然そのまま流れていくと先の血管に詰まってしまう可能性があるのだが、そのリスクを回避するために、血管中にパラシュートみたいなのを広げて回収するということができるらしい。

また、そういうリスクがどのくらいあるかどうかを評価するにあたっては、カテーテルを通して血管中に超音波を出す器具を入れて、内部を検査するらしい。ようするに、これは「人が通れない管の内部を評価する」という話と、ほとんど変わらない。医学というよりも、むしろ工学だな〜と思いながら聞いていたのだった。工学部に進んでよかったと、こんな場面で実感するとは。


手術に向けての準備というのは特になかったのだが、コレストロールを下げるための薬は強めにいただくことになった。自分は「中性脂肪が高い値だが、コレストロールは正常値」という脂血異常症を持っていて、中性脂肪を下げるための薬はずっと飲んでいたのだが、コレストロールも80以下に下げるようにとのことで薬を飲むことになったのだった。


11月上旬: 手術の実施


手術は検査と同じくカテーテルを利用するので自分の精神的には随分楽だったのだが、今回は手術をするということで家族にも説明と同席が求められた。なので、入院日には妻と一緒に病院に行って、最終の説明を受けた。


手術の説明では当然リスクも説明されて、一応「最悪の場合」というのも説明を受けることになる。この「最悪の場合」というのは、手術中に何らかのアクシデントがあって死ぬことも含まれるのか・・と思っていたのだが、過去5年の実績では死亡事例はないとのことだった。自分が入院した病院の過去5年間の事例では、最悪の場合は「トラブルがあって開胸手術を行う」ということだった。開胸手術を受けると退院が遅れるな〜と思ったぐらいで、あまり気にも留めなかったのだが。

むしろこの説明は、最後だし・・と思って色々な質問ができて、純粋に楽しかった。
例えば、ステントは血管を広げるために用いられるのだが、詰まっているところを"削る”という方法もあるのでは・・・と思っていたので、それを質問してみた。すると、なんと血管内で人工ダイヤをつけたドリルで削る術式や、カンナのように細くなった部分を削るという術式もあるらしい。ただ、どうしても血管は曲がっているためそれだけではダメらしいのだが。

また、この病気がわかってからずっと気になっていた、病気のきっかけについても質問してみた。
統計を見ると自分の年齢で狭心症を起こす人はかなり少ない。狭心症は生活習慣病の一つときているので、つまり「自分はものすごく生活習慣が悪かったのか?」というのを疑問に思っていたのだ。

先生が言うには、まず血管の詰まりと言うのはコレストロール”だけ”が積もり積もってつまるわけではなく、血栓によるものもあるらしい。また、時間と比例してつまりが細くなっていくわけでもない・・・ということだった。
こういう前提を踏まえた上で、自分の場合は他の部分は血管が綺麗な状態であることを考慮すると、痙攣(冠攣縮性痙攣)によって何らかの傷のようなものができて、そこに急速に血栓ができたと言う可能性もあるとのことだった。断言はできないが「ものすごく生活態度が悪い」と言う理由だけではここまで細くはならないだろうということであった(もしかしたら気を使ってくれただけかもしれないが・・・)。

こういったやり取りは先生から見れば面倒であるかもしれないが、患者側としては疑問点が消えるのはとてもありがたいことだった。こうして翌日の手術は安心して迎えることが出来たのだった。


手術は前回と同じく左手の局部麻酔で実施された。残念ながら前回と同様に麻酔の効きが悪い上に、前回よりも太い管をいれるということで、左手首はかなり痛かった・・・が、そういったことはこちらの事情なので、どんどんと手術は進んでいく。


ところが、なぜか左手の血管に入れている管(あるいはワイヤーのようなもの・・さすがに首は動かせないので見えないのだ)を先生が入れたり出したりしている。また「あれ、うまくいかないな・・」みたいな声も聞こえてくる。なにせ、局部麻酔なので頭はしっかりしているし、手術室内の会話はばっちり聞こえてくるのだ。

不安というほどではないが、心配になったので看護師さんに話を聞くと、どうやら体の内部でワイヤーがうまく"ひっかからない”らしい(どこに引っかかる、のかまではわからないが)。そうしているうちに、奥の方から上司というかベテランらしき先生が出てきて、「ここはこうやって捻るといいんじゃないか」とか「管はこっちの方がいい」というアドバイスをしだした。執刀医の説明の時に「私の後ろにはベテランが控えてますから」という説明をうけていたのだが、なるほどこういう事態のためにいるのだな・・・と納得できた。

看護師さんの話を聞くと、年をとってくると血管の感覚が鈍くなってくるらしく管を入れられても一切感じない人もいるらしいのだが、残念ながらこの手術では若い自分はばっちり管が入るのを実感できる。中から圧迫されているような感じであまり気持ちがいいものではないし、”お、今この辺り通ってるな"とかもわかってしまうのである。出し入れを何度もするというのは、それを何度も感じるということで、あまり気持ちのいいものではなかった。


そうやって30分ほど先生も格闘されていたのだが、そのうち狙ったところに届いたようで、そうなると痛みもないし嫌な感覚もほとんどなくなった。そこからは内部を評価して、バルーンで血管を広げ、ステントを入れるというところまでスムーズに進んだ。バルーンを広げるタイミングでは血管が一時的に狭くなるので痛みがあります・・・という説明があったのだが、それほどの痛みではなかった。
どちらかというと辛いのは、造影剤を入れることで、毎回のどの奥が焼けるような感じがするのだ。時々咳き込むのだが水が飲めるわけでもなく、体も固定されているので放ったらかしである。

ただ、全体としては手術中に聞こえる話が面白くて、聞き耳を立てていたら終わってしまったというのが正直なところだ。

特に内部評価時に先生が「キャリブレーションお願いします」というのが気になってしまい、手術が終わったら絶対その話を聞こうと心に誓っていた。何を補正しているんだ?管の位置?それともカメラの軸?ということを考えていたら、後半はあっという間に終わってしまった感じだ。


結局手術時間は1時間15分程度だった。前回よりもきつめに左手を止血する必要があり、そのための空気を使った止血バンドが大変痛かったのが唯一辛い点だ(この左手は1週間以上たった今でもまだ少し痛い)。手術後は造影剤を外に出す必要があるため、点滴を一晩打ち続ける必要があり、もう一泊することになっていた。

手術はちょうどお昼をまたいで行われたので、昼ご飯を食べて休んだ後に、夕方には執刀医から手術結果の説明を受けた。ステントを入れて膨らんだ血管の写真を見せてもらい、ようやく手術が成功した実感を感じることができた。映画の見過ぎかもしれないが、ステントを入れたら体にエネルギーがみなぎるかも?と少しは期待していたのだが、全くそんなことはない。退院後に軽い運動をした時に息苦しさがなくなったので、体はよくなっていることは感じられている。


先生によれば、前半の苦戦は体の血管のつき方が少し想定と違ったことと、血管が痙攣して収縮してしまい管の動きが悪くなったことが要因らしい。確かに、一度管を抜こうとした時に手がもっていかれるような感覚があったのだが、どうやらその時は”血管が管を締め付けている”みたいな状態になっていたらしい。
冠攣縮性狭心症という診断からそういうことは事前に予想していたらしいが、痙攣が思ったよりも強く、かつ頻発する可能性はあるかもしれないというのが先生の術後の見立てだった。そのこと自体がすぐさま致命的な状況を引き起こすわけではないが、ストレスを「増やさないでください」という注意はあった、「溜めない」は結構簡単にできそうだが、「増やさない」はかなり難しい。このお話を受けて、仕事や生活の仕方も見直す必要があるな・・・と心に書き留めた。

今回の手術により、とりあえずの問題は解決されたのだが、一方で今回の検査や手術で「血管の痙攣」という体質がわかったため、引き続きそれに対応する薬と血栓ができづらくなる薬は相当の期間(一部は一生)飲み続けることになった。また、これまでの不摂生で大きくなった体も小さくする方がよいということで、相当の減量を、心臓に負担をかけすぎないように行う必要がある。

また再狭窄の可能性もゼロではないので、おそらく来年の中頃には再度カテーテル検査を受ける必要があるだろう。再狭窄が何度も怒ると、それは体質ということになってしまい手が打ちづらいということだったので、こればかりは再狭窄が起こらないように祈るのみだ。
「このタイミングで自分の体質がわかり、手を打っておいてよかったね」といえるかどうかは、これからの人生次第だ。これから数十年間は、”体にチューブが入った人"として生きていけるように頑張らなければならない。

精密検査で狭心症が見つかり、ステント手術をした話(その2)

(病院を見つけて検査の予約をするまでのいきさつはその1をご覧ください)


10月前半:検査を受けて自分の症状を理解する

心臓血管研究所 付属病院は完全予約制なのだが、結構簡単に予約を取ることが出来る。自分の初診の時も、1週間後には予約を取ることが出来た。
初診では心電図とエコー、そしてレントゲンを撮った後に問診を行った。予想通り心電図やエコーでは異常は見つからなかった。だが、ここで終わってしまっては目的が達成できない。ということで、自分が倒れてから病院に運ばれてから今までの経緯や、自分が今感じている症状を丁寧に説明をした。

その説明がよかったのか、あるいは自分の熱意が伝わったのか、あるいはとりあえずそういう対応をしているのかはわからなかったが、先生には状況をご理解いただき無事にトレッドミル検査とホルター心電図検査を受けられることになった。

ちなみに、ここでものすごい偶然があり(それが対応が良かった理由ではないのだが)、なんと担当をしてくれた心不全担当の内科医が、高校の同級生だったのである。ちょっと変わった苗字だったのでもしかしたら?と思って、高校を聞いたらやはり想像通り一緒の高校。体育や芸術科目を一緒にやっていたので、卒業以来20年以上会っていなくても顔立ちや名前をおぼろげながら覚えていたのだった。
個人的にはやはり知り合いがいると安心感が違う。また、この後の入院時や検査時にずっと「XX先生の友達なんですってね」と声をかけてもらい、良くしていただいた。高校をでてから、おそらく初めてOBネットワークの価値を感じた出来事だった。


話を検査に戻すと、たまたま空きがあったということもありその初診の翌週にはトレッドミル検査とホルター心電図検査を受けることが出来た。そして、ありがたいことに(?)トレッドミル検査で心電図の異常を確認することが出来たのだった。
このトレッドミル検査というのは、上半身に心電図を取るための機器と血圧計をつけて、ジムにあるようなランニングマシンを歩くという検査だ。スピードは早くないのだが、だんだんと傾斜がきつくなっていき、限界がきたら教えてください・・・と言われる。あまり負荷が軽いと結果が出ないので、限界まで歩いたら本当に胸が痛くなりニトロ(ミオコールスプレー)を入れてもらう羽目になった。このミオコールスプレーは、手術が成功した今でも常に持ち歩いている。

ここで無事に結果が出たのでホルター心電図はいらないのでは・・・と思ったのだが、一つの流れであるらしく、こちらの検査も行った。この検査は、持ち運びが出来る心電図計測機を体につけて、24時間の心電図を計測する・・というものである。
自宅に帰ることが出来て体の負担も少なく、眠るにも問題がないという話だったのだが、自分にとってはこの検査は大変きつかった。肌が荒れやすくかぶれやすい自分は、この「24時間計測端子を体に貼り付け続ける」というのはものすごい苦痛だったのだ。結局夜もほとんど寝ることが出来ず、次の日にはフラフラになって病院に行くことになった。ステント留置のためのカテーテル手術を終わったいまでも、もっとも辛かった検査がこのホルター検査だ。

トレッドミル検査で異常が出た時には、異常があるということに嫌がるというよりも、ようやく検査で発見することが出来たという喜びの方が大きかった。少なくとも、これで医学的にも何かしらの異常があることが証明されたのだ。「理由はわからないが、体調が悪い」というのは本当に精神的に良くない。


10月後半: カテーテル検査で問題を特定する


検査の話に戻ると、この結果を受けて次のステップに進むことになった。
ここでいう次のステップというのはカテーテルを体に入れて、実際にどこが悪いかを見つけるということを指す。体の中に管を入れて心臓の血管を観察するということで、二泊三日の入院が必要な検査だ。


この段階で狭心症が疑われるということを伝えられていたので、事実上これ以外の選択肢はない。もし異常があるなら早めに治したいのはこちらも同じなので、早速2週間後に入院予約を入れた。話を聞く限り、術式も確立されているし、体に負担も少ないようだった(もちろんリスクがゼロという意味ではない)。


実際の入院は想像していたよりもずっと負担は少なかった。ただ、コロナの影響により体温検査がやたら多い。熱が一定以上を超えると検査を受けられなくなる可能性もあると説明されて、平熱がかなり高めの自分は冷や冷やだった。病院の閉鎖された空間にいるせいなのか、それとも緊張していたのかはわからないが、熱はずっと37度ギリギリだったがなんとか検査を受けることは出来た。

実際のカテーテル検査は入院二日目に行われた。WEBなどを見ると検査は簡単と書いてあることが多いので、大したことがないだろう・・とタカをくくっていた。ところが、実際の検査は手術に近い感じで、医者の方は数人いるし、看護師もたくさんいる。心臓周りの血管を見るために動く巨大な機械もすえつけられており、手術室に入った時にはおもわず笑ってしまった。なんというか、ドラマや映画で見る手術室とは全然違い、機械のなかに入って行くようなイメージである。

カテーテルは左手首から問題なく入れることが出来た・・・と言いたいのだが、麻酔が聞き辛い体質がここでも顔を出し、1回目の麻酔を入れて管を通そうとした時は激痛だった。局部麻酔なので「痛くないですか?」と聞かれるのだが、「めちゃくちゃ痛いですね・・・」としか答えられなかった。ちなみに、このやりとりはステント留置手術でも繰り返すことになる。


カテーテル検査自体は1時間弱で終わり、医学的な所見を無事に得ることが出来た。わかったのは次の2つ。
一つは、心臓の冠動脈の一つが細くなっており治療を行う必要があること。もう一つは、血管の痙攣を起こしやすい体質であり「冠攣縮性狭心症」という病気も持っているということ。診断をした先生の言葉を借りれば「血管の狭窄と、痙攣、合わせ技で一本ですね」ということだった。

この話を聞いて、ようやく7月の体調不良とその後遺症の理由を理解することが出来た、とひどく安堵した。原因箇所と問題さえわかれば、後は治療を行うだけだ。
まず痙攣の方は、原因が不明(というか様々な理由がある)で体質由来ということで、今後も継続して薬を服薬することになった。血管を広げる薬を飲み続けて、痙攣時も血管が細くなりすぎないようにするのだ。

狭窄の方は「すぐに致命的な事態を起こすわけではない」という、すごく理系的な説明がされたのだが、とはいえリスクもあるので治療をお勧めするとのことだった。血栓を溶かす薬を飲めば太さが回復するのか?というこちらの質問に対しては、かなり細くなっているのであまり見込みがない、という回答をもらった。
この段階で、選択肢は「ステントを入れる」か「薬を飲んで放っておく」の2つしか残っていない。しかし、家族もあり、子供もまだ小さい自分にとっては後者はリスクがありすぎる。ほぼ悩む必要もなく、ステント手術を行う方向性で検討をいただくことにしたのだった(続く)

精密検査で狭心症が見つかり、ステント手術をした話(その1)

8月に「体調が戻らない」という話を書いたのだが、それから色々あって11月の半ばにステント手術を受けてきた。
なかなか体調が戻らないので自分で病院を見つけて、医師による狭心症という診断が確定したのが10月頭。それから患部の詳細検討を行い、実際に手術を受けたのが11月という感じで自分の体感値としてはあっという間だった。自分の人生の中でもかなり大きな出来事だったし、もしかしたら同じような体調不良で悩まれている方もいるかもしれないので、この間の経緯を残しておこうと思う。


〜9月末: 自分の症状から病院を探す


まずは自分の体調の変化について書いておこう。
8月に記事を書いてからもかわらず体調不良は続いていたのだが、二歩進んでは一歩下がるみたいな感じで、少しずつは良くなってきている実感があった。一方で、変わらず残り続けている症状というのもあって、原因もわからないためずっと気持ち悪い感覚が残っていたのだった。


変わらずに残り続けていた症状というのは具体的には以下の2つだ。
  • 急に運動(特に朝)をすると、息苦しい感じがしたり、吐き気がする。
  • 時々(これも特に朝が多い)、両腕の二の腕が締め付けられるような感覚がある。

この二つの症状は、ほぼ変わらず出続けていたのだが、一方でそれ以外はいたって健康という生活が9月に入ってからは続いていた。救急車で運ばれた際に心臓の検査をかなりやったので医者も心臓の異常を伺ったということはわかっていたのだが、一方でその時の検査では何も以上が出なかったということもあり、なかなかこの状態が何であるかが自分の中でも説明がつかないという日が続いていた。体は少しずつ良くなっているのに、一方でわかっていない爆弾が体の中に残っているのではないか・・・という不安が残っていたのが当時の感覚だ。


このような不安はあまり精神的には良くないので、9月の中旬には自分のいわゆる「かかりつけ医」にも診断をしてもらった。ただ、そのかかりつけ医の検査でも心電図は正常であり、救急時の検査でも異常が出なかったということから、よくわからない・・というのが結論だった。ビタミンが足りないとそういう症状になることもあるので、ビタミンを多く取ってくださいと言われたので、豚肉を食べたりサプリを入れるようにした。


確かにそれで少しはよくなった気がする(気がするだけだったのかもしれない)のだが、根本的には変わらないという生活が9月末まで続いていたので、いよいよ本気になって医者にかかること検討し始めた。狭心症の時の痛み(放散痛)は背中や肩に出ることが多いが、腕を締め付けられるような感じがある人もいる・・・というWEBの記事を見つけて、救急時の対応からもいったんは心臓に異常があるかもしれないと仮説をおいて、病院を探すことにした。


次に考えたのは、どのような病院に行けば良いかだ。かかりつけ医のような一般医では見つけられないことはわかっていたので、専門病院に行く必要がある。また、専門病院にいくとしても以下の条件を満たすような病院でなければならなかった。
  • 自分の拙い説明(腕がキューっとなるんです)でも心臓に異常があるかも・・とカンを働かせてくれる医者がいなければならない。ここでネックになるのは、救急時に運ばれた病院で造影剤CTをしても異常が出なかったということである。ここで疑いがないとされると、次に進むことが出来ない。
  • 通常の心電図だけではなく、朝の症状が出た際とか「キューっとなる」瞬間に異常を発見できる設備がある病院でなければならない。かかりつけ医からも「その瞬間に調べないとわからないねぇ」と言われていたし、実際に正常時の心電図は問題がなかったのだ。

まず後者の条件に関しては、心臓の病気が疑われた場合にはトレッドミル検査と呼ばれる運動時の心電図の検査をしたり、ホルター心電図という24時間の心電図の推移を調べる検査があることが簡単に見つかった。これは設備の整っている病院であれば対応しているということだったので、見つけるのはそれほど難しくない。

問題となるのは前者だった。上に書いたような設備がある病院というのは、基本的に大学病院や大病院である。しかし、まだ心臓という確信がない自分では、そういった大きな病院でいきなり循環器科にいってうまく説明をする自信がなかった。下手をすればかかりつけ医と同じ対応をされてしまう。ただでさえ忙しい大学病院では、素人の言葉だけで専門検査をしてくれない可能性も十分に想定された。
その上、そもそもかかりつけ医で異常がないと言われてしまったので、紹介状もなかった。紹介状がなくても大病院で診察を受けることは可能だが、必ずしも循環器の先生にあたるわけではないし、同じような対応をされてしまう可能性はかなり高いだろう。


こう考えた結果「設備はしっかりしている専門病院だが、大学病院ではない」という病院を探すことにした。何も知識はなかったのだが、”心臓” ”専門” “病院” みたいな単語で検索を繰り返したら、六本木に条件に見合うような病院があるのを偶然見つけることが出来た。HPを見ると、なんと紹介状なしでも初診料はかからないらしい。これはよいということで、早速電話をして六本木にあるその病院、心臓血管研究所附属病院に予約をとったのだった。(続く)

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