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カテゴリー「Off」の記事

2024年4月 2日 (火)

外から読んで面白い官僚の仕事は中ではあまり評価されない: 金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿

日経新聞のコラム「私の履歴書」が人気コンテンツとしての地位をずっと保っているように、功成り名を遂げた人の回顧録は抜群に面白い。この「私の履歴書」は掲載されているのが日経新聞なので基本的にはビジネス界の大物が出てくる場合が多いが、時折政治家や官僚が取り上げられることがある。面白い割合を「打率」とすると政治家は大体が面白く打率8割ぐらい、ビジネスマンは5割、官僚は2割ぐらいだろうか。官僚としてトップに上り詰める人はリスク回避型の人が多いだろうから、どうしても面白い話が出てこないのかもしれない。

本書はそういった”リスク回避型”ではないタイプのキャリア官僚人生を取り上げた一冊だ。元官僚の方が自分で書いた本は自慢話が多く、ジャーナリストが書いている場合もヨイショが過剰な場合が多いが、本書はそういった自己礼賛型からはかなり距離が遠く、読んでいて素直に楽しむことが出来た。巻末にしっかりと参考文献が載っているように、著者がちゃんと二次情報・三次情報に当たっているからだろう。

そしてもう一つは、本書で取材対象となっている佐々木清隆という財務官僚(後半は金融庁)がいわゆるメインロードにはいなかったということが理由としてはある。開成高校 → 東大 → 国一をトップ合格という絵に描いたような学業エリートであるにもかかわらず、彼は大蔵省・財務省の本流を歩まずに、金融庁などの検査畑を一貫して歩いた人なのだ。傍流であるからこそ、その道を極めた人の話は面白い。
彼が長年所属することになる金融庁(1998年〜2000年は金融監督庁)は、自分が就職活動をした2004年は人気官庁の一つだったような記憶がある。内閣府の外局という位置付けとしてはやや低い場所にあったが、まだできたばかりの官庁で業務は面白く、かつ専門性が高いということが人気の要因だったように記憶している。

自分は官庁には全く興味がなかったのでそういった”人気/不人気”には全く無頓着で、「金融庁は何をやるところなんだろう」とぐらいにしか思っていなかったのだが、社会人になって銀行などの金融関係をお客さんに持つようになると、そのパワーの凄さを知ることになった。

本書はその金融庁、そして佐々木清隆が関わった多くの経済事件や大蔵省に関わる出来事が取り上げられている。36年もの間公職についていただけあり、この出来事のリストには大蔵省に対する過剰な接待(いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」)から始まり、山一証券の破綻、 ライブドア事件、 村上ファンドの問題、新興市場の「箱」企業問題、そして仮想通貨までをカバーしている。自分が経済や政治を理解するようになったのがちょうど山一證券の破綻だったので、ほぼ自分の人生と彼の職業人生が被っていることになるわけだ。

この事件を追っていけばわかるように、金融庁(あるいは金融犯罪)のカバー範囲というのは、本書で言うところの流通市場(セカンダリー・マーケット)から発行市場(調達・株式発行)、そして非伝統的金融領域に広がっていったことがよくわかる。スタートアップの世界に長く身を置いている自分からすると、この流れというのはごく自然なもので、資本市場を守るためには発行企業までカバーするべきというのはむしろ当然にすら思える。そういった意味では、本書は一人の官僚の歴史を残しておくと同時に、今後の金融市場の規制・育成の方向性を示すものでもある。


ちなみに本書では、著者が佐々木清隆を取材すると決めた時に「あの人はやめておいた方がいい」と言われたというエピソードが紹介されている。著者は妬みもあったのだろうと書いているが、おそらくその推測は正しいと思う。何度か言及されているように、こういったタイプの官僚は「面白いアイデアはぶち上げるが、法的な緻密さには弱かったり、ロジ周りに弱い」という共通点があるからだ。

自分もいわゆるキャリア官僚には友達がいるのだが、こういったタイプの周りや下で働くと、それは大変らしい。ある意味でスタートアップの経営者のようなタイプで、遮二無二前に進んで行くので、後ろでゴミ拾いをしていく人が必要になるのだ。しかもこういったタイプは他省庁との細かい折衝や、政治家への説明はあまり上手くないことが多い。馬が合う人にはハマるが、そうでない人から見たら、適当に仕事をして手柄だけを取っていくように見えてしまうのだろう。

そういう意味では、こういったタイプが本当のTOPを取るわけではないと言うのは、組織としては健全なのではないかと思う。 文書も他の類書と同じく、前例踏襲的な官僚に対して批判的な表現がないわけではないが、その筆の勢いは決して強くない。著者も官僚の世界を長く取材する中で、様々な人間が組み合わさって仕事が進んでいくということをよく知っているのだろう。

自分も所属してる組織では、どちらかと言うとこういったゴミを撒き散らす人の尻拭いをすることが多いタイプなので、その苦労と怒りは共有することが出来るような気がする。まあ、 そのような仕事を続けるのが苦痛なので、自分で会社をやったりスタートアップに所属したりするわけで、妬みを感じる人には「大丈夫、あなたのようなタイプが大組織では最後には評価されるんですよ」と教えてあげたい気持ちになる。

 

2024年3月30日 (土)

コロナ禍を学習の機会とするために: 『1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録』

先日mRNAワクチン開発に関するドキュメンタリーを読んだから・・というわけではないが、日本におけるコロナ対策の先頭に立った尾身先生の本を読んでみた。我々一般人はワクチンが開発された段階でなんとなくコロナ禍は終わってしまった気がしていたが、対策に日々奮闘されていた方にとってはそれはまだ道半ばだったということが”1100日”というタイトルを読むとよくわかる。</ br> </ br> ちょうど家族の都合で病院に行った時にもまだ厳戒態勢は続いていて、コロナはまだ現在進行形の危機なんだなと感じたこともあり、あっという間に読み終わってしまった。以下は読んでいて気がついたメモから起こした備忘録になる。

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会議が多すぎて一般人にはよくわからない


自分はおそらく一般の人よりはニュースを多く見ているだろうし、行政に関する知識を持っていると自負している。その自分でも本書を読むまでコロナ関連でこれほど多くの会議が設定され、並行的に動いていることは把握できていなかった。参加されている有識者の方は「この会議は何のためにあるのか」ということを理解されてアジェンダを設定されていたのだと思うが、この複雑な会議体を初見で理解するのはほぼ不可能に近い。

本書では社会(=一般の人々)とのコミュニケーションについて悩むシーンが繰り返し出てくるが、この体制図を見ると、そもそもの体制から理解をするのが難しいと感じずにはいられなかった。それぞれの会議には根拠となる法律があるので仕方がないが、名称も含めて区別をするのが難しすぎる。一時、「コロナを2類とするか、5類とするか」で単純化された議論があったが、一般の人にとってはあれぐらい単純化してくれないとわからないのではないだろうか。


「ハンマー&ダンス」は難しかった


本書ではコロナ禍後期の対策の基本方針として「ハンマー&ダンス」という戦略を取ったということが繰り返し書かれている。 この「ハンマー&ダンス」と言うのは社会全体にコロナ対策疲れが広がってきた際に、基本的には対策を緩める(ダンスを許可する)一方で、 クラスターが発生する、あるいは医療逼迫の可能性が高くなる場合には対策を厳しくする(ハンマーを振るう)という戦略のことをいう。

この「ハンマー&ダンス」という戦略は理論的には良いと思うのだが、一般市民の観点からはあまり機能していなかったように思う。 まずこの言葉そのものを知っていると言う人間が少ないだろう。
日本独自の対策であり、やがて世界に広がった”三密”はコロナ禍初期に策定された戦略ということもあり、一般市民にも広く浸透していた。 しかしワクチンがある程度広まり、社会生活が元に戻りつつあった段階でのこの「ハンマー&ダンス」を意識して行動した人がどれほどいたかというと、あまり実例を見つけるのは難しいのではないだろうか。実際に自分もこの戦略を意識して行動したとは言い難い。

また現実的にも、いきなりハンマーを振られても対応できないと言うのはあったと思う。明日から、あるいは来週から行動制限してください・・と言われても、日常生活のサイクルを変えられるのは、それこそリモートワークが完全に可能な職種ぐらいではないだろうか。 日常生活を取り戻したいと言う社会的経済的な圧力と、コロナ対策を両立させる方法として立案された戦略だったと思うのだが、現実には適用が難しかった戦略だったと判断している。


情報の取り扱いや意思決定が軽い


本書を読むと、特にコロナ禍の後半では政府の情報の取り扱いや意思決定が非常に軽かったのが目立ってくる。 日本ではこれまでも、そして現在も日々当たり前のように事前リークが行われているが、政治や行政では既成事実を作って物事を進めると言うのが1つの様式になってしまっているように見える。

また実際には専門家に相談していないにもかかわらず、専門的な知識から決定したと言うのは、厳密には嘘のわけで、この辺もわが国の政治における言葉の軽さが如実に現れていると感じた。
本書が書かれた理由の一つでもあり、専門家の奮闘を支える原動力の一つとなっていたが「対策は最終的には歴史が判断する」という価値観だ。言葉が軽い、あるいは情報の取り扱いが軽いという人の価値観はいわばその対局にあるわけで、究極的には「今を生きる」政治家や官僚と、「歴史の一部である」専門家たちの価値観と違いがそこにはあったように思う。もちろん個人的には、自分は後者にシンパシーを感じているのは言うまでも無い。


医者も職業の一つであるのに、我々は無理をさせすぎたのではないだろうか


本書に書かれている内容の中で、一般市民がコロナ禍において理解できていなかったと思われることの一つが、多くの対策が現場の関係者の努力によって支えられており、彼らも「一人の人間」ということだ。もちろんそのこと自体はメディアでも繰り返し報道されたし、特にコロナ禍当初は多くの感謝の声が上がったように、多くの人が意識していたことだと思う。

しかし時間が経つにつれて、本書でも書かれているように医療関係者の頑張りへの理解というのは薄まっていった。そしてその傾向は、実は医療関係者の中でもあったようなのだ。それがわかるのが、JCHO傘下にある病院がコロナ病床を拡充した際に多くの医者・看護師が辞めてしまい、そのことに院長が「こんなに辞めてしまうとは思わなかった」と驚くシーンで、自分が本書を読んでいて一番驚いたのがまさにこのシーンだった。

当たり前だが医療関係者(我々から見るとお医者様だが・・)も自分のキャリアや生活を守る権利がある。医療関係者全てがコロナ(感染症)を専門にしたいというわけではないだろうし、 自分の家族を犠牲にしてまで医療に関わりたいと思う人ばかりではない。そういった当たり前の事実、医療関係者も市民であるということを”見ないふり”していたというのが、コロナ対策の一面の真実であるということに改めて気付かされた。


専門家は守られなければならない


上のテーマと関連して、本書では専門家たちが一般の人たちから脅迫を受けたことが何回か触れられている。 このこと自体はSNSで言及されることが多かったのでよく知られた事実だが、本書を見ると専門家にとっても大きなストレスになったことがよくわかる。

専門家が社会から敵視され、あるいは脅迫の対象となったのは、本書でははっきりとは言い切っていないが間違いなく政治と行政の責任だ。 本書で繰り返し述べられているように、専門家はその専門的な知識を持ってアドバイスを行う、あるいは提言を行うことが仕事であって、実際の決断を行うのは彼らの仕事ではない。この線引きは、彼らが仕事をする、あるいは政策を決定し実行する上での大前提であり、そのような前提を壊してしまった政治や行政、そしてメディアの責任は重い。

心配なのは、すでに74歳になる尾身先生の世代であれば このような脅迫にも負けず仕事を完遂してくれたかもしれないが、例えば我々40代の人間が同じような覚悟で物事に取り組んでいけるかということだ。我々の世代は2011年の東日本大震災からずっと、真の専門家があっという間にメディアによって、あるいはSNSを通じて「炎上」させられるのを見てきた。そしてその裏側で科学的な、あるいは専門的な知識がなくてもPVを稼げるような「芸人」が持て囃されてきたのも。

そういった経験を一度だけでなく何度でもしてしまうと、もはや個人にとっての最適解は、専門知は自分のためだけに利用するという姿勢を維持することになってしまう(自分の友人でもそういった人間は大勢いる)。しかしそのような状況は、社会にとって望ましいことではない。
だからこそ「何かことがおこった」時に専門家は守られる必要があるのだ。本書はその当たり前の前提が揺らいていることを、その渦中にあった専門家が記したという意味で貴重な一冊になっている。

 

2024年3月18日 (月)

社会を変えるイノベーションは急には起こらないということ: 『mRNAワクチンの衝撃: コロナ制圧と医療の未来』

5類に変わって今やすっかりコロナがある前提で日常生活を送れるようになった2024年だが、振り返ってみればたった4年前の2020年はコロナで世界中がロックダウンモードに入っていた。ちょうどその頃に重い狭心症で倒れてしまったこともあり、家でひたすらコロナに怯えながら暮らしていたという記憶がある。世の中では自分や家族の年齢ではあまり影響がないといった意見が多かったが、確率的に発生するリスクを避けたいと言う気持ちが強かったのだ。 2021年になってコロナワクチンが開発され、日本でも予防接種ができるようになったときには、ストレスが体から溶けていくような感覚を覚えたものだった。

本書『mRNAワクチンの衝撃: コロナ制圧と医療の未来』は そのコロナワクチンを開発した会社の1つであるドイツのビオンテックを取り上げたノンフィクションだ。 日本では同じようにmRNAを用いたワクチン開発会社であるモデルナはよく知られているが、ビオンテックについてはあまり知られていないかもしれない。本書にも詳しく買いてあるが、それほど規模が大きくなかったビオンテックはワクチン配布にあたってはファイザーと提携しており、日本では”ファイザー”ワクチンと呼ばれていたからだ。


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mRNAを用いた治療薬の開発を目指すスタートアップ


生物を真面目に勉強した人をのぞいて、コロナワクチンが広く利用されるようになるまではRNAという単語を知っている人はほとんどいなかったと思う。DNAについてはエンタメや親子関係の確定に広く使われているために普通の単語になっているが、RNAはそういった広まり方をしていないからだ。

このRNAというすごく簡単にいうと、DNAの情報をコピーするために使われている(正確に言えば体内に存在するので、”使う”という表現は正しくないが・・)。ここでは、わかりやすく説明することに欠けたは定評のあるChatGPT-4にRNAとは何か?と聞いてみよう。


まず、mRNAというのは「メッセンジャーRNA(リボ核酸)」の略です。私たちの体は、細胞という小さな単位でできています。それぞれの細胞の中には、DNAというものがあり、これが私たちの体の設計図のようなものです。DNAは、体がどうあるべきか、どう動くべきかを決める情報を持っています。

しかし、DNAが直接体を作るわけではありません。DNAから必要な情報を読み取り、それを細胞の他の部分に伝える役割を果たすのがmRNAです。このプロセスを「転写」と言います。転写されたmRNAは、「翻訳」というプロセスを経て、体を構成するたんぱく質を作り出します。


本書によればこのRNAを用いて病気治療を行おうとする考え方は長い間存在していたらしい。mRNAを用いて体内の免疫系を利用する治療方法が確立すれば、よりテーラーメイドな医療を提供することが可能となると考えられていたからだ。
一方でmRANを 利用した治療は、コロナ禍が起こるまではまだ先の話だと考えられていたと本書には書かれている。 これまでにない新しい治療方法であるために、当局の審査や認可を受けるのは簡単ではないし、創薬には莫大な費用がかかるからだ。

ビオンテックは もともとは、感染症に対するワクチンを開発するためのスタートアップではなく、このRNAを用いて がん患者への治療薬を開発することを目的に作られたスタートアップだった。 そのためビオンテックはコロナウイルスが発生した段階においては、すでに上場を果たしており、有望なスタートアップとしてみなされていたらしい。一方でmRNAを用いた新たなプラットフォームを開発するには研究開発資金が十分ではなく、何らかの方法で資金を集めることが必要だったらしい。

ちなみに現在の創薬はかなり分業化が進んでおり、新しいチャレンジングな領域ではスタートアップが創薬の主役を担うことは珍しくない。ファイザーやグラクソ・GSK(グラクソ・スミスクライン)のような会社は、そういった会社を買収したり独占提携契約を結ぶことで、新たな薬を上市していくというのが一般的になっている。


長い研究の果ての商品化


コロナワクチンが開発され世の中に広まっていく過程では、このmRNA と言う技術は、まるで突然天から降ってきた発明のように報道されることもあった。自分も含めてバイオ技術を積極的に追い続けていない人間にとっては、 この技術は、当然学校で習ったこともなく、初めて聞く技術だったからだ。

ところが本書を読むと、このmRNAと言う技術は長い間活用のアイデアが温められ、それほど多くはないとはいえ研究が続けられていたことがよくわかる。実用化されなかったのは、適切なタイミングがなかったということと、もっといえば予算がなかったからだ。

自分は短い間とはいえ米国DARPAに関連する仕事をしたことがあるので、開発された基礎技術が商用化されるまでには数十年単位の年月が必要である事はよく知っている。 なぜそれほどかかるのかを一言で言えば、その技術を商用化するために必要となる要素技術が十分に熟成していないことが多く、 利用できたとしてもコストが高すぎるからことが多いからだ。 例えば今やPCを通じて誰でも利用ができるなった大規模AIも計算機資源が十分に、かつ安価に手に入るようになって初めて実現可能となったことはよく知られている。

言い換えれば、何かものすごい危機やチャンスが発生したからといって、突然新しい発明やアイディアが実現すると言う事は現実世界ではありえないということなのだ。 日の目を見るずっと前からそこに情熱を傾けている人間がおり、あるいは(広い意味での)リスクにかける投資家が何度も倒れた先に、初めて社会を変えるようなイノベーションは実現するのだということを、本書は(そしてmRNAの実用化という例は)教えてくれる。

そしてもう一つ大切なことは、 一度実現したイノベーションは社会に広く実装されるが故に、永遠の成功を約束すると言うわけではないということだ。 本社の中でも複数の会社がmRNA技術を活用してワクチンを開発することになると予言されているし、 実際に今後新しい感染症や、あるいはガンの治療に対してmRNAを用いた治療は行われるようになるだろう。

それはビオンテックの創業者たちにとっては喜ぶべきことかもしれないが、ビオンテックという会社にとっては必ずしも歓迎される事態では無いかもしれない。それはビオンテック社の株価を見ればよくわかる。ビオンテックの株価の推移を見ればよくわかるように、 最高値をつけたのはコロナ禍の2021年8月であり、そこからは多少の波がありながらも下がり続けているのだ。
イノベーションを産むのはまさに資本主義だが、同時にその資本主義はイノベーションを実現した存在に対して、永遠どころか数年の猶予さえ与えてくれない。我々は皆、競争の中に生きているということをビオンテックの例は教えてくれる。

 

2024年3月17日 (日)

子供が自分の部屋で一人で寝るようになった

親と一緒に「川の字で寝る」と言うのは、日本の子育ての特徴の1つらしい。 中国にいたときにはアメリカ人同級生に「じゃあ子供がいる家では、どうやって夫婦で楽しむの?」と聞かれて、家が狭いから台所だったりするらしいよ・・と答えたら爆笑された記憶がある。
我が家も例にもれず、子供が生まれてから今までずっと家族さんに川の字になって寝室で寝ていた。

その息子が突然、自分1人で寝ると言い出し、昨晩は何事もなく自分の部屋で1人で寝ていた。ちょっと前までは「俺はずっと家族で一緒に寝る」とか、「一人じゃ眠れないから、必ずそばにいてくれ」と強く主張していたのに、こちらが驚くほどの成長の早さだ。

彼が突然自分の部屋で寝ることになったきっかけは単純で、いよいよ第二次性徴期の準備を始めなければならないと感じた妻が、彼の部屋を準備したことだ。我が家は都心の狭いマンションなので、いわゆる「子供部屋」のようなものは準備できない。ただしリビングを今流行りのスライド式のドアで区切ることが出来て、区切った部分を簡易的に「子供部屋」としたのだった。


そもそも溢れんばかりに子供のモノがある我が家で、整然と”この部分には誰々のものしか置かない”とすることは不可能なので、簡易的な子供部屋にも親のものはたくさん残っている。それでも初めて自分のパーソナルスペースを手に入れた息子は大喜びで、わずか3畳ぐらいの「自分だけのスペース」には許可なく親が入れないことになっているらしい(もちろんそんなご要望は却下したのだが)。

親側としては最初は一人寝をトライしてもすぐに泣いて帰ってくるとタカをくくっていたのだが、本人によれば気持ちよく熟睡できたらしい。あまりの急展開にこちらの心の準備ができないくらいだ。これまでは寝る前に横に寝ている息子の顔を眺めてから寝るのが楽しみだったのに、どうしたらいいんだ・・と嘆いたふりをしてみたが、こちらも子供に蹴られることなく寝られるのでFitbitの睡眠スコアが一気に改善していた。ちなみに妻は別に寂しくないよ・・といっていたが、犬を抱いて寝ている夢を見たらしく、結構寂しがっていたに違いない(がよく眠れた・・といっていた。夫婦揃って睡眠は正直だ)。

 

これからの春休みで寝室側のベッドを整理して書斎兼夫婦の部屋とすると、彼は本格的に「自分のスペース」を手に入れることになる。独り立ちはいつになるんだろう・・と気を揉んでいたのが嘘のように、子供は勝手に成長していくのだった。まあ、障害物を見えないように取り除くのは必要なんだけど。

 

2024年1月 8日 (月)

2024年を迎えて

新年から悲しい出来事が多く、 気がついたら新年かけて1週間も経ってしまっていた。あまり更新をしていないこのブログだが、毎年のことなので昨年の振り返りと今年の抱負を書いておこうと思う。

2023年の振り返り

2023年は個人的には思ったも大きな出来事が起こった年だった。一番大きな出来事は、2022年に立ち上げた自分の会社を本格的に運営し始めたと言うことだった。人を雇用をしてしまうとその人の人生に責任をおわなければならないプレッシャーがあるので、 個人で会社をやると言う方針は変わらないのだが、これまでに出会ってきた人とパートナーを組んで業務を拡大しようと言う気にはなっている。個人でやり続けると言うことで限界も当然あるのだが、新しいチャレンジを頑張っていくつもりだ。

また 自分の会社の運営に力を入れるにあたっては、これまで執行役員を務めていた会社を退社することにした。今は複数の会社の経営企画や社長室といった部署の長を務めながら、個人としての業務の拡大を図っていくと言う方針で毎日の仕事を行っている。 まさか自分がこのような人生を送るとは社会人を始めた時には想像もつかなかったが、収入の拡大とワークライフバランスの良い組み合わせを考えると結果的にこういった形になってしまった。 決して後ろ向きな選択ではないので、自分ができること、自分が役に立てることを探しながら、家族と一緒に暮らしていこうと思っている。

さて、2023年に建てた目標を振り返って見よう。

  1. 減量 → これは目標通り上半期で4キロ落とすことができたのだが、 前の会社を退任した後にジムが遠くなってしまった事と、外食が増えたことでリバウンドも同じ位してしまった。年末に入って運動をガンガン始めたところまた2キロほどはすぐに落ちたので、結果としてはマイナス2キロでフィニッシュというところだろうか。

  2. 情報発信 → 2022年よりは本数が多く、21本のブログを書いた。ただもう一つ書いているエンタメ記録の方は200本以上も書いているので、こちらの方は明らかに失格。 最近では音声入力を使ってブログを書くための時間もかなり短縮できているので、やはりもう少し量を増やしていきたいと思っている。

  3. テスト/資格への挑戦 → こちらは時間がないと言うことを言い訳にして全く進まなかった。4月から9月にかけてはNHKの韓国語講座を完走することができたのだが、結局テストを受ける事はしなかった。今年はどんな分野でもいいのでちゃんと勉強してテストを受けるか、このブログで継続的に発信をしていくようにしたいと思っている。

2024年の抱負

1人で仕事をすることが増えたと言うこともあり、自分を見つめ直す時間も増えてきたため、もう少し目標に関してはしっかりと行動に移していきたいと思っている。社会的にはまだ中堅と言われる年齢だが、そろそろ自分のストレスに感じることや嫌な事への関与を減らし始めても良いのではないかという年齢になってきたので、より自分の興味を持てる分野や領域に注力をしていきたい。

  1. 不必要な情報の遮断 → 1月1日に発生した能登半島の地震、あるいは1月2日の羽田空港の事故に関するSNSの やりとりを見ていると、これまでよりもさらに神経がすり減るような情報が増えてきたと言うことを感じている。たくさんの情報を収集して、そこから何かしらのパターンを見出して解を導き出すと言うことが得意だと感じてきていたのだが、 ネット上でも、リアルなやりとりでも神経をすり減らしてまでやるべきことなのかと思うことが多すぎる気がしている。今年は 自分にはどうにもならないことを気にするのではなく、自分が影響を及ぼすことができることに注力していこうと思っている。具体的にはSNSの閲覧については、これまでよりも時間を割かないつもりでいる。
  2. 物事に対するアカデミックな深掘り → 1の『情報の遮断』と併せてだが、自分はやはり何かを体系的に考える、あるいは学問的に捉えると言うことが好きであると言うことを感じたのが2023年だった。今年はどの分野、どのような情報に対してもアカデミックなアプローチ、あるいは体系的なアプローチを行うことで深掘りをしていこうと言うふうに考えている。自分の感想を自由に 述べることができるのがSNSのメリットだが、お気持ちを表明するのは自分でなくてももう良いのではないかと言う気がしてきている。

  3. 情報発信の強化 → 毎年のようにこの目標を上げているが、今年は自分の会社の情報発信をちゃんと行いたいと考えているので、個人・会社双方での情報発信を強化しようと思う。ただし情報発信といっても自分の感情を出したり、あるいは単なる感想を述べるのはやめて、何かしら読んだ人のプラスになることを出していきたい。 最近は学びは動画でと言う人も多くなってきたが、情報の密度と正確性においてはやはりテキストの方が圧倒的に有利であると思っているので、 動画作成は仕事以外には手を出さず、今年も愚直にテキストで勝負をしていこうと思う。

こう見るとほとんど具体的な目標がないことに気づいたのだが、きっと愚直に毎日を過ごすことで2025年にはもっと具体的な目標を宣言することができるようになるのではないかと思っている。今年はなんとなく雌伏の年になる気がしているので、じっと我慢をしながら力を蓄えていきたい。

2023年12月12日 (火)

家族を連れて福岡に行ってきた

2016年に台湾の墾丁に行く前の予行練習として訪れて以来、実に7年ぶりに福岡に行ってきた。一応仕事・・ということにしてあるのだが、実質的には少し早い冬休みという感じで、息子と妻も一緒である。全ての小学校がそうなったわけではないだろうが、息子が通っている学校は国籍も豊か、親の職業もバラエティに富むというわけで、病気以外の欠席にも寛容なのがありがたい。

前回の福岡訪問は「息子を飛行機に慣れさせる」ということのみが目的だったので、福岡に着いたらすぐにバスに乗って玄界灘を渡ってホテルに直行。そのままホテルから一歩も出ずに一泊し、また飛行機に乗って帰ってくる・・という旅程だったために、観光らしいことは一切しなかった。
しかもそうやってトレーニングをしたにもかかわらず、肝心の台湾訪問時には離陸時に泣きまくってしまったのだった。とはいえ発達障害児にとっては”新しいこと”は常にハードルが高いので、あの時に戻れたとしてもやはり事前の飛行機旅行はしたと思う。


結局それから7年間は、一度も家族で飛行機に乗ることはなかった。子供が怖がっていることを無理してやるのはよくないので、じっと彼がOKを出すのを待っていたのだ。そしてようやく小学3年生になって、飛行機に乗ってもいいかな・・という気分になってくれたらしい。ここ1年ぐらいすっかりハマっている城を見に行くなら飛行機に乗る必要があるということで折り合ったようだ。

その彼にとって記念すべき「物心ついてから初の」飛行機での旅行先に福岡を選んだのは、チャンスがあれば熊本城を見たいと思っていたからだ。熊本にはリクルート時代からの親友もおり、福岡から1時間でいける。もし疲れてしまって行かないとなっても、福岡であれば観光には困らない。そういうわけで、12月の安いタイミングを狙って福岡に行ってきたというわけだ。
ちなみに自分も九州に行くのはまだ三回目で、落ち着いて観光をするのは初めてだった。


今回も明確にどこかの観光地に行ったわけではなく唯一観光らしい活動をしたのは大濠公園の福岡城跡地に行ったぐらいなので、とてもではないが「福岡」はこうだったということは出来そうにない。子供連れで市内の狭い範囲をうろうろしていたのだから。

ただその極めて狭い観測範囲内でも、福岡に対するイメージは大変良かった。食事が美味しいということと、お店にいる人が全体的に優しいという2点が大きな理由だ。
前者の方の食事に関しては、今更自分が言うまでもなく、お値打ちな価格でうどんやら明太子やら、ラーメンやらをとにかく食べられるだけ食べてきた。きっと探せば高級な料理もうまいのだろうけど、自分達家族にとっては、チェーン店レベルで食べられるのでも十分に美味しい。偏食な息子はこれまでは塩ラーメンしか食べなかったのが、豚骨ラーメンを口にしたら感動して全部食べてしまったのがすごく印象的だった・・・というか、親としては感動した。

人が優しいと言うのはあくまで自分達の感覚になるのだけど、全体としてサービスに余裕があるように感じられたのが大きい。東京だと高級店でもどうしても冷たい感じがする・・というか、その距離感含めてサービスという感じがするのだが、アジアに慣れてしまった我々夫婦にはやや敷居が高い。その点で、今回伺った場所や店では子供にも優しく、気安く声をかけてくれることがすごく多かった。自分達がたまたま幸運だったのか、それともサービス業では観光客を大切にしてくれているのかはわからないが、また訪問したいと思わせるのに十分な対応だった。
家族連れで観光はあまり出来ないというのは続きそうだが、次回は福岡以外にも足を伸ばそうと家族全員で今から張り切っている。個人的には次こそは友人がいる熊本に遊びに行きたい。

2023年10月16日 (月)

インフルエンザからの気力の回復

全国的にインフルエンザとコロナのピークがきたと言われている9月末に息子と自分がインフルエンザになってしまった。同じクラスで複数人のインフルエンザ患者が出ていた(コロナと合わせると10人弱)と聞くので、多分学校からもらってきたのだろう。一番ひどい時には40度近い熱が出て、体が赤黒くなってうつ伏せに倒れていた。流石にこれはやばいと思って夜間も空いている小児科に連れて行ったら、案の定インフルエンザA型判定が出た。インフルエンザになると学校は出席停止になってしまうので、息子も薬をもらって1週間ほど休むことになってしまった。

自分の方はというと、その息子が医者に行った次の日になって熱が上がりだし、会社近くの発熱外来でチェックをしてもらったところ、同じくインフルエンザA型だった。会社のルールでは出勤停止は無かったが、迷惑をかけるといけないので、それから1週間は自宅業務に変更した。息子とは違ってなりかけの時から薬を飲み始めたのが良かったのか、熱はたいして上がらずに筋肉が痛い日が二日ほど続いただけだった。週末には熱も下がり完全回復といった感じになったのだ。

 

ところが翌週中頃からまたも微熱が続くようになり、判定をもらったのと同じ医者に行くことになった。もしかしたらコロナの可能性もゼロではないかも・・と思ったのだが、どうやらコロナでは無かったらしい。先生によると自分の場合はステントが体に入っているので、もしかしたらそこから炎症が出ている可能性もゼロではないという。流石に手術してから3年も経ったのでもう血管に埋まっているのでは・・?と思ったのだが、おとなしく話を聞いて解熱剤をもらってきた。

その解熱剤が効いたのかどうかわからないが、その悩まされていた微熱自体はそこから1週間も経たないうちに無事に快癒した。・・・のだが、今度はどうにも気力が湧いてこない。インフルエンザになるまではほぼ毎日のように走っていて、そのサイクルが崩れて筋肉が弱ったのかとも思ったのだが、とにかく何もやる気がしないし、寝ている時間が長くなってしまった。結局のところ最初にインフルエンザと判定されてから3週間ほど経った週末ぐらいから少しずつ何かに取り組む気が湧いてきた。

歳をとったのか、それとも今回の症状がたまたまそういう方向に出たのかはわからないが、40半ばになると体力と共に気力を保つのが大切なんだよなというのを改めて確認をした気がする。

2023年8月 5日 (土)

大腸内視鏡検査を受けてきた

精密検査を受けないといけない何かが発見されたというわけではないのだが、昨日は大腸内視鏡検査を受けてきた。40歳を超えたら一回は受けた方がいいよと、オバマ元大統領も言っていたし(そんな記憶がある)、家族が軽い気持ちで大腸内視鏡検査を受けたら腫瘍が見つかった・・ということがあったのが理由だ。ちなみに家族の腫瘍は悪性ではなかったので、内視鏡でとってしまい今は問題ないらしい。
本当は6月末に 予約を取っていたのだが、事前のコロナ検査で引っかかってしまい8月まで延期したのだった。ちなみに6月のコロナはいわゆる無症状コロナと言うやつで、検査を受けなければ自分がコロナである事は気づかなかっただろう。

今までカテーテル手術や胃カメラは何度もやってきたが、大腸内視鏡はできればやりたくなかった検査のトップに位置している。とにかく準備に時間がかかるし「何かを飲んでお腹の中を空っぽにする」というのが生理的に辛い。昔はしょっちゅうお腹を壊していたので下痢になるのはまあいいか・・と思えたかもしれないけど、結婚してからはほとんどお腹を壊す事は無いのだ。

 

当日は人間ドックと合わせての検査だったので、まず午前中に通常の検査を終えてしまう。その後大腸内視鏡の準備に入ると言うことで個室に通されたのだが、向かった先は普通の入院病棟だった。 部屋に入ると机の上に置かれているのは、どうやら下剤の入った大きなビニール袋。表面を見るとニフロックと書かれている。「きっちり2リットル入っているので、2時間で全部飲んでくださいねー」と看護師の方が明るく去っていたが、こっちはその量にゲンナリする。

とりあえず1口飲んでみると、レモン水のような味がするがなんとなくドロっとしていておいしくない。せめて冷やしてくれればもう少し飲めるようになるかもしれないが、とてもじゃないが時間をかけないと2リットルは飲めない。最初は15分かけて200ccほど飲めと言われたので、家から持ってきたiPad見ながらゆっくりゆっくりとのんでいく。
30分ほどかけて飲み進んでいくと、今度は全く便意が来ないことに焦りを感じ出す。 説明書を見ると、どうやら1リットルほど飲むと便が来やすいと書いてある。また軽い運動すると便意が来るのが早くなると書いてあったのでコップを持ちながら部屋の中をぐるぐると散歩してみたりする。

そのうち説明書に書いてある通り、1リットルを超えたあたりで急速に便が来てトイレに駆け込むことになる。 説明書によると大体5回から8回ぐらいトイレに行くと検査準備が完了するらしい。 多分これまでも「準備が充分だ」と嘘をつく人がいるのだろう、十分に準備ができた便の状態になったら、流さずに看護師さんを呼んでくださいと書いてある。自分の便を人に見てもらうと言うのは生理的にかなり辛いものがあるが、見てもらわないと次に行けないのでは仕方がない・・・。トイレの回数がかなりになり、自分で十分だと思ったタイミングで呼んだら「ちょっと底の方に固形物があるので、もう一回出してくださいー」とこれまた明るく言われて、精神的大ダメージを負ってしまった。

 

そんなこんなで無事に2時間強で準備を終えたが、順番が決まらないと言うので今度はそのまま病棟で休むことになる。朝から食事を食べていないのでかなり辛い上、iPadの電源がなくなってしまいやることもなく、仕方なくベッドの上でごろごろと時間をつぶしていた。 結局「順番が来ました」と呼ばれたのは、そこからさらに2時間以上経ってのことだった。予約が入っていてもスケジュール設定が困難と言うのは、病院という業態はどういった管理をしているのだろうと疑問に思いながら検査室へ向かう。

検査室に入ると、まず鎮静剤を体に投与してもらう。鎮静剤は一応選択性になっていたのだが、過去に胃カメラを飲んだときに鎮静剤なしで死ぬほど辛い思いをしたので、今回は悩むことなく選んでおいたのだった。本当は大腸内視鏡検査だけが希望だったのだが、そういったコースがなかったので、今回は胃カメラとセットでの検査になる。

検査に入る前はお尻に大腸カメラが得られると言うのはどんな気分なんだろうなぁ…、と不安だったのだが、疲れがあったのと鎮静剤が想像以上に効いたのか、 ほとんど検査をされたことすら気づかずに気がついたら1時間が経っていた。あれって鎮静剤っていうよりも、麻酔に近いんじゃないの?

そこから今部屋に戻ると軽食が準備してあり、鎮静剤の効果がなくなったら出ていいですよと言われる。ただ実際には、部屋にいて良い時間は決まっていたらしくまだ頭がちょっとフワフワした状態のまま部屋を出ることになった。個人的には下剤よりも何よりも、朝から食事が殆どできないのが辛い。ストレスが溜まってイライラしてしまうし。

想像していたよりはずっと楽だった(何せ実際の検査はほぼ覚えていない)のだが、出来れば一回きりで終わりにしたい検査なのは間違いない。ただ、自分の場合は血液サラサラの薬を飲んでいるから生検ができないので、何か異常があったら薬のコントロールをした上でまたやらないといけないんだよなぁ・・・。

2023年6月15日 (木)

今更ながら無症状コロナにかかってしまった

スケジュールに余裕がある6月の間に人間ドックに行こうと予約を入れたのが4月の後半。その病院(国立の大病院だ)では、人間ドックの受診者には一律でコロナ感染確認のためのPCR検査を実施しているとのことだった。

「1週間前〜2日前にPCR検査のために来てください」と言われて、正直なところ全く有用性がわからないまま昨日病院に行って検査を受けたら、なんと・・・コロナ陽性。いわゆる「無症状のコロナ感染」ということで、人間ドックの本番は受診できないことになってしまった。ちゃんと意味ある検査だったんだな・・馬鹿にしてごめんなさい(それでも1週間前だったら、その間に感染する人もいるんじゃないの・・と思ってしまう)。

 

実を言うと無症状と言っても、本当に何もなかったのか・・と言われると、ちょっと自信がない。ちょうど1週間前から、少し喉が痛いのと、やや疲れやすいと感じていたからだ。ただし喉に関しては中国生活で痛めてからすぐに腫れるようになってしまったし、疲れやすいのは年齢のせいもあると思っていたので、まさかコロナにかかっているとは思いもよらなかった。これで「コロナの疑いあり」だったら、自分は年6回ぐらいはコロナにかかっていることになる。発熱は一切ないし、味覚も正常。鼻水も出てないし。

3年前の心臓ステント手術は行政的には「高リスク」には入っていないが、主治医から「何があるかわからないので、ワクチンはちゃんと打ちましょう」と言われており、毎回欠かさずワクチンを打っていたのが良かったのかもしれない。家族も少しだるいと言っていたが、最近になってクーラーをつけて寝るようになったので、そのせいとばかり思い込んでいた。ちなみに小学生の息子も含めて、我が家はフルワクチンである。

 

すでに喉の痛みも治まっているし、はっきり言って「ただの風邪」以上では何もなかったので、なるほどワクチンを打っておけば”コロナはただの風邪”は間違いではないのかもしれない。もうどこで感染したのかもわからないし、そもそも人間ドックのためでなければ自分がコロナになったかも・・と言う想像すらしていなかったので、きっと世の中にはこんな感じの人がゴロゴロいるんだろう。

2023年6月 5日 (月)

運動会後の慰労で焼津に行ってきた

集団行動が難しい息子にとって、運動会は学校生活の中で最もハードルが高いイベントの一つだ。子供たちが予測不可能な動きをするし、音もうるさい。真夏とまでは言わなくても十分に暑いし、見知らぬ大人が周りにたくさんいる。こういったビハインドな状況では、その場にいることさえかなり難しい。一年生の時にはまだ動きが簡単だということもありダンスには参加できたが、昨年は運動会関連はほぼ全欠席だった。

今年も練習はあまり参加できず、本番に参加することも出来なかった。ただ「昨年よりは少しは前に進もうね、少なくとも本番は見ようね」という約束をしっかりしていたおかげで、雨天順延の日曜日に観客として参加することが出来た。他の家庭から見たら大したことがないだろうが、我が家基準では大進歩である。

 

こういった大イベントでは本人だけでなく家族も精神的に疲弊するので、運動会が終わった午後から慰労を目的に近場に旅行に行くことにしていた。今回に限らず旅行先を見つけるのは妻の役目なのだが、今回は焼津にある湊のやど 汀家(みぎわや)という旅館を予約してあった。海なし県に生まれた彼女は、海が見えるような場所が好きなのだ。

 

焼津は、東京からは新幹線で静岡駅まで1時間ちょっとかかり、そこからは東海道線に3駅という場所にある。有名な観光地があるわけではないので、焼津に行ったのは生まれて始めてだ。いわゆる「温泉街」みたいなものはなく、今回の旅館はポツンと一つ立っているだけだった。館内の由来を見ると小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に由来があるらしい。今回行った旅館の近くには焼津港があるが、一泊二日の自分達は軽く散歩しただけだった。

おそらくメインの客層はシニア層だと思うのだが(少なくとも若いカップルがいくイメージはあまりない)、こじんまりとした敷地とアットホームな雰囲気は、家族連れにとっても大変良いものだった。部屋にお風呂があり、夕食も全て部屋で済ませることが出来るのも嬉しい。我が家のようにアクティブではない家族にとっては、部屋でダラダラしながら窓から風景を見るだけでも十分に満足なのだ。料理も名産のマグロがたくさん使われており、ボリュームもかなりある。

温泉は海に近いということもあり、塩水が混ざっている柔らかい泉質で、浸かっているだけで体の疲れが溶け出していくような感覚を味わえる。部屋のお風呂はこじんまりとしているが、午後であれば露天風呂を1回45分の貸切で入ることもできる。東京から2時間以内で行けて、ほとんど混雑していないという隠れ家的スポットとしてはかなりお薦めだ。我が家のメンバーも全員満足度が高かったので、きっとまた遊びにいくと思う。

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