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カテゴリー「On」の記事

2024年5月 9日 (木)

(勉強内容備忘録): Next 教科書シリーズ 国際関係論[第3版] 第II編 国際関係の現状分析

4月の半ばからだいぶ時間が経ってしまったが、”第I編 序論と歴史分析"に続いて、ようやく”第II編 国際関係の現状分析”を読み終わることが出来た。この章(編)では、第二次世界大戦以降から現在に至るまでの国際状況を概観しており、理論を学ぶというよりは状況を把握するための記載が多い。自然科学ではない分野においては、現実を解釈するために理論が発展する部分があるので、最新の理論を学ぶためには、まず現状をしっかり把握する必要があるということなのだろう。

この章(編)では大きく5つに分けて、現状が整理されている。

  1. 今日の国際関係
  2. グローバリゼーションの時代
  3. 現代の安全保障
  4. 北東アジアの政治と国際関係
  5. 国際社会における日本の位置付け

ページ数としては80ページ近い内容となるので、自分が気になった点やこれまでの知識がなかった部分を簡単にまとめておこうと思う。北東アジアと日本の位置付けについてはすでにある程度知識がある(北東アジアについては、本書で書かれている内容は必要最小限の理解だと感じた)ため、その部分は特にメモは行わなかった。

Next 教科書シリーズ 国際関係論[第3版]: 第Ⅱ編: 国際関係の現状分析


今日の国際関係(第3章)

今日の国際関係を分析するにあたっては、どうしても"9.11"はスタート地点として設定せざるを得ない。9.11の発生により、アメリカ政府は「バランス・オブ・パワー」を掲げるネオコンが政治的な力を握ることになり、アメリカはイラク戦争とアフガンでの戦闘を続けることになった。
オバマ大統領は戦線を縮小しようとしたが、必ずしも彼が望んだ通りにはならなかった。また核軍縮に取り組むことを表明しノーベル平和賞を受賞したが、こちらも自分が望んだほどの進展は得られなかった。

その後のトランプ大統領の誕生により、国際社会は「自国第一の時代」を迎えたということができる。本書が発行された時にはロシアによるウクライナ侵攻がまだ起こっていなかったが、もし第4版が出るのであれば、間違いなくページを割かれることになるだろう。

 

グローバリゼーションの時代(第4章)

本書によればグローバリゼーションとは「世界規模での経済。社会の統合・一体化」を指しており、次の4つの特徴を持つ。

  1. 地域間の交流量の増大
  2. 相互依存の深化
  3. market economy(資本主義)の拡大
  4. ルールや価値観の世界規模での結合

グローバリゼーションという単語を使うとどうしても最近100年ちょっとの出来事と考えてしまうが、国際史的に見ればそのスタートは1492年のコロンブスにその発端をみることが出来る。当時は「情熱と冒険心」「交易と収奪」、そして「キリスト教の布教」が大きなモチベーションだったが、その後もグローバリゼーションは進み続けた。
その動きが20世紀末になって加速したのは、冷戦の終結や規制緩和・貿易自由化などの影響もあるが、やはり技術進化の影響が大きい。特にICTの進化により地球は急速に小さくなった。グローバリゼーションは貧富の拡大といった問題を起こしているが、同時に人類全体を見れば絶対的な貧困者数が少なくなっていることも忘れてはならない。

一方で1999年のWTOシアトル会議でのNGOの活動以来「反グローバリゼーション」の動きが明確になっている。これは新自由主義的グローバリゼーションに対する対抗軸として捉えることが可能であり、グローバリズムに対してローカリズムの重要性を強調することが多い。しかし現実にはグローバリズムとローカリズムは補完的な関係にあり、グローバリズムへの抵抗運動としてよりローカルコミュニティが発展することもある。

このグローバリゼーションの広がりを理論的に分析するにあたっては、新自由主義政策についての理解を深めることが重要になる。新自由主義的政策は、戦後のケインズ主義に対するカウンターとして生まれた考え方であり、ミルトン・フリードマンがその理論的構築に大きな貢献をした。グローバリゼーションはこの新自由主義的な考え方を一つの柱として拡大してきたのであり、グローバリゼーションに対する態度はこの新自由主義的政策に対する態度であるとも言える。

 

現代の安全保障(第5章)

安全保障に関する研究は、過去数十年間にわたって国際関係論の主要なトピックだった。長い間、軍事や外交といった国家の安全に直接関わる分野を「ハイポリティクス」、経済や社会問題を「ローポリティクス」と呼んでいることからも、その位置付けがわかる。

歴史的に見れば、大国間(主にアメリカとソ連)の安全保障は大量報復戦略(massive retaliation)から相互確証破壊(MAD)へと発展し、デタントにより単独での安全保障(国家安全保障)から国際安全保障へと関心が移っていった。また冷戦終結後は、国家ではなく「人間集団の安全保障」とその対象が変化してきている。
また9.11以降は国家だけでなく非国家アクター、つまりテロリストや武装集団などについても考慮をする必要が出てきている。


安全保障の伝統的な議論では、まず自国の安全を守る(補償する)ことにまず着目をする。単純に考えれば、相対する国家、あるいは仮想敵国よりも強力な軍事力をもてば安全が保障されるはずであるが、相手も同様の思考をすれば際限のない軍事拡張が論理的帰結として発生する(安全保障のジレンマ)。そこで複数の国家が同盟を組むことで安全を保障するという、集団安全保障(collective security)の概念が導入された。

また二つの世界大戦を経験したヨーロッパではより地域の安全保障を深化させるために、敵対する同盟同士が戦争を回避しようとする「共通の安全保障(common security)」や、地域に属する国家が協調的に行動する「協調的安全保障(cooperative security)」という概念が導入された。一方でアジアの場合には、そのような地域協力は進んでおらず、台頭する中国と、そこに対抗する日米韓という構図になっている。


最近ではこの国家間の安全保障を取り扱う「伝統的安全保障」に加えて、非軍事領域でトランスナショナルな性質を持つ「非伝統的安全保障」の概念も重要となってきている。これは人間の安全保障とも通じるが、”恐怖”や”欠乏”からの追及を行う概念となる。
この非伝統的安全保障研究の発展に大きく寄与したのがコペンハーゲン学派と呼ばれるグループであり、安全保障を軍事・環境・経済・社会・政治の5つのカテゴリーに分類するという分析の枠組みを提示した。またコペンハーゲン学派は、ある問題が国家/非国家アクターによって安全保障の問題として規定され、合意されることで問題が「安全保障化(securitization)」されるという枠組を提示している。

2024年5月 7日 (火)

Amazonの人事政策と自らの仕事を結びつける「構成の巧さ」: (書評)テックラッシュ戦記 Amazonロビイストが日本を動かした方法 (その2)

先日のその1では、本書『テックラッシュ戦記 Amazonロビイストが日本を動かした方法』に書いてある”ロビイングの仕事”と、”Amazonにおけるロビイング”について簡単にまとめて紹介をした。後半の今回は、本書に記載してある実際の事例についていくつか紹介をしていこうと思う。

事例紹介とAmazonの人事ポリシーを結びつける

最近では”パーパス経営”といった言葉がすっかり日本でも定着したように、企業が存在する目的やいわゆるMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)といった言葉は日本企業でも普通にあるようになった。ただし日本企業では、実際の現場でこれらの概念が有効活用されている場面というのはほとんどないと思う。

その日本企業に比べれば、こういった考え方は早くから採用していた欧米企業はもう少し現場の判断基準としてパーパスやMVVを活用している。リーダー達の言葉にもよく出てくるし、(少なくとも公式には)昇進の際の基準値の一つになっている会社も多い。とはいえ、数字や結果には日本企業よりもずっと厳しいアメリカ企業ではこういった考え方”だけ”で生きていけるほどは甘くはない。Amazonには友人が何人も勤めており話を聞区限りでは、比較的真面目に運用をしている会社のようだが、それでも現実はマネージャーやリーダー次第といったところだろう。

本書が構成として上手いのは、この時にお題目になりがちな考え方を、Amazonで実際に著者が手がけた仕事とうまく結びつけているところだ。単に事例を紹介するだけだと退屈なものになりそうなところを、Amazonの人事ポリシーである"Amazon Leadership principle"と結びつけることで、それぞれの事例に明確な意味を持たせることに成功している(穿ってみれば、そうやってAmazonの良いところを紹介するという建て付けでないと、事例開示の許可が降りなかったのかもしれない)。

例えばコロナ禍を通じて、すっかり一般的になった「置き配」を働きかける仕事では、AmasonのCustomer obsession(お客様視点の第一優先)とDeliver input(ビジネス結果を生み出すインプットに集中する)に結びつけている。なぜなら「置き配」を実現することが出来れば、顧客はより簡単に荷物を受け取ることが出来ることで、満足度という要素を向上させることが出来るからだ。

ちなみにこの「置き配」の実現、一般市民からすると単に荷物を置いておくかどうかの問題で宅配業者と顧客の関係性だけを気にすればいいのではないか・・と感じてしまうのだが、ロビイストからすると解決しないといけない法律的な問題がちゃんと存在しているらしい。例えばマンションの中で荷物を置くことは”消防法”に抵触する可能性があるし、所轄官庁によっては荷主と輸送事業者をごっちゃにした議論を展開しようとしていたからだ。こういった行政における縦割りから発生する問題をうまく解決するのも、著者のようなロビイストの仕事の一つなのだ。

 

また自分が所属していたIT業界に関連するトピックとしては、金融機関におけるクラウド利用におけるルール作りが興味深かった。今では銀行によっては基幹システムの一部をクラウド化するという事例まで存在しているが、2010年代の初めは金融機関がクラウドを利用するには高いハードルがあった。というのも金融機関は情報セキュリティなどを含めた業務管理について金融庁の監督を受ける立場にあり、金融庁のその監督範囲にはIT統制も含まれているからだ。

本書にも書かれているとおり、それまでの金融業界におけるIT監査というのはオンプレミス(ハードウェアを自前で持つこと)を前提としたものであり、クラウドに対応するルールづくりは出来ていなかった。そのためクラウド事業者の観点からは時代遅れ・・というか、そもそものプロダクトの前提とルールの前提がずれているものが多かったのだ。例えばその最たる例が、本書でも取り上げられている「金融機関によるデータ保管場所の立入検査」だ。それまでは間借りしたデータセンターに自前のハードウェアを置く例が一般的だったので保管場所は明確だったが、クラウドでは保管場所を明確にすることは、クラウド事業者ですらも簡単ではない(文字通りのハードウェアの雲の向こうにデータが保管されているので)。そんな状態で、立入検査を行うことはいたずらにリスクのみを増やす行為であって全く意味がない。

著者の所属しているAmazon = AWSは業界のトップであり、彼らが基準を作ることは業界にとっても、彼らにとっても意味があることだったのは間違いない。ただもし著者の努力がなければ数年間は非現実的なクラウド規制が設定されていた可能性もあるわけで、著者の努力には業界の所属している一人として素晴らしい仕事だったと感じた部分だった(本書で最も感動した部分と言っていい)。


ロビイストが感じる日本の弱点

本書の最後の方では、”外資”の”ロビイスト”である著者が感じる日本の弱点というのがいくつか挙げられている。例えばそれは「企業経営の改革が必要である」といった当たり前のものから、「処方箋規制が染み付いた体質を変える必要がある」といった現場の観点まで様々だ。正直にいえば本書でなくても、あるいは著者でなくても言えることだという気がするだろう。

ただ本書の場合にその言葉がより重く響くのは、著者が20年近い年月を官僚として過ごしてきたという事実があるからだ。自分を含めて転職をする人間というのは、時に過去に所属していた組織のことを悪くいうことがある。「あんなに悪い組織だったから自分が辞めるのは当然なのだ」という感情を自分で持ちたいというわけだ。しかし本書を読んでいれば少なくとも著者はそう言った人間ではないことがわかる。そもそも転職したとはいえそのビジネス(ロビイング)の相手は中央官庁と政治であり、彼らのことを悪くいうのは著者にとって全くメリットがない。

それでも、行政の思考が実際には意味をなしていない「無謬性思考」であるまで言い切るというのは、著者の職業人生の半分への反省と、今後への期待が含まれているように感じられる。自分がやってきた仕事に価値がない、とは思わないだろうが、それをもっと有効にすることができただろうという反省が行間から滲み出てくるのだ。

2024年5月 5日 (日)

結局は人間関係こそが命になる: (書評)テックラッシュ戦記 Amazonロビイストが日本を動かした方法 (その1)

「ロビイスト」という職業が日本で市民権を得たのはここ5年ぐらいのことだと思う。それまでも“渉外担当“とか“公共政策担当“のような名前で部署が存在している会社は多かったが、どちらかというと大っぴらに仕事をするというよりも官庁や行政と繋がってあまりよろしくないことをしているというイメージがあった。我々の世代だと「金融業界のMOF担による大蔵省接待」が大問題になった時代を知っているし。

そんな影に隠れて生きるイメージのある「ロビイスト」、しかもAmazon日本法人に所属していたロビイストの本と言うことで興味を持ったのが本書『テックラッシュ戦記 Amazonロビイストが日本を動かした方法』だ。実際に読んでみると実際の仕事がかなり生々しく書いてあるだけでなく、書籍の構成としても非常に上手くできており、紹介せずにはいられなくなった。こういった本は関係者に配慮して曖昧な内容になったり、自分の自慢話になりがちだが、著者の聡明さとバランス感覚でとても面白く仕上がっている。


ロビイストというキャリアと日本の政策立案プロセス

著者によると少なくともAmazonではロビイストになるためには「各国の政策立案プロセスに精通し、いつ、誰に対して、どのような作法で提案をすべきなのかという政策渉外のイロハは他所で十二分に学んできていることが必要不可欠(第三章)」であり、勉強をしっかりしたからといってなれるものではないらしい。
そういう著者も(東工大という理系の大学だが)大学卒業後に、当時の通商産業省(現経済産業省)に入省したキャリア官僚であり、官僚としての20年のキャリアを積んでから、Amazonに日本人一人めのロビイストとして入社している。ちなみに自分も大手外資系メーカーで政策渉外の部長を務めている友人がいるが、その方もキャリア官僚からの転身組だ。

彼によれば、日本の政策立案プロセスは十分な開かれてはおらず、中央官庁における政策検討プロセスや政治家とのコネクション(いわゆる“党側との折衝“)を活かして、政策がオープンになる前に情報提供を行うことが重要らしい。そういった「舞台が上がる前の繋がり」を維持する、あるいは「舞台に上げてもらう」ためには人間関係の構築が重要であり、本書でもロビイングの思考方法の一番最初に「政策立案者から深い信頼を得る\ことが挙げられている。ちなみに本書で挙げられているAmazonのロビイングの思考方法は以下の5つだ。

  1. 政策立案者から深い信頼を得る
  2. 業界をリードする
  3. インフルエンサーのネットワークを形成する
  4. 政府主導のイニシアティブをサポートする
  5. 自らのことを正しく認知してもらう

見ればわかる通り、2以外は人間関係やコミュニケーションに関わる項目であり、ロビイングとは営業活動のように自分と政策を売り込むということがイメージできる。


求められる動的なロビイング

本書で繰り返し出てくる重要な概念として“動的なロビイング“という概念がある。これはこれまでのロビイングと対比して、テック企業のロビイングの特徴として挙げられているもので、その時々のテーマに応じて規制改革や制度整備、そして良好な関係維持のために企業側から積極的に働き華けを行うことが必要であるという意味で「動的」としているらしい。

ちなみに、いわゆる伝統的な日本企業による官庁との繋がりはロビイングとは呼べるものではなく、情報収集にとどまっており、その背景には日本企業は“ルールは変えられない“という思考方法にあるらしい。また外資でも製薬会社などは何年も時間をかけて同じイシューを取り上げるので、音書では“静的なロビイング“としてまとめられている。

 

この部分の著者の指摘、すなわち「日本企業はルールは変えられない」と思考するというのは、アメリカの西海岸にある企業で働いていた自分としても常日頃から感じる部分である。日本企業はある規制が出てきた時に、それを遵守するか、あるいは“遵守していると見せかける“ことに多大な労力を費やすが、ルールそのものへの働きかけを行うことはかなり少ない。

一方で少なくとも西海岸の企業は、ビジネスモデルを構築するにあたって、技術同じくらい法的な側面を重要視する。自分に不利な規制があれば積極的に撤廃へと動くし、グレイな部分は少しでも有利な方に持っていこうとする。これはアメリカでは規制違反に対する懲罰的な罰金が存在したり、大陸法と欧米法における規制の設定の仕方が違うというバックグラウンドもあるが、法律や規制を外的な変数ととるのか、それとも定数と考えるのかの思考の違いがあると感じている。

何よりアメリカでは、ある程度の職位にある人間は契約書の条項を自分で判断することが出来る程度の法律的なリテラシーが求められる。細かいことは法務部に丸投げして「法務部がダメだと言ってるんで・・」と連絡してくるようなことはしない。自分で法的なリスクがどこにあり、どこまではビジネスサイドとして許容したいという意思が明確なのだ。こういったいわば一般的な法的リテラシーの違いというのが、ロビイングという場面における振る舞いにも影響しているのではないだろうか?と感じるのだ。

(長くなったので、次回に続く)

 

2024年4月15日 (月)

(勉強内容備忘録): Next 教科書シリーズ 国際関係論[第3版] 第I編 序論と歴史分析

自分が大学生になった頃はまだインターネットがそれほど普及していなかったこともあり、国際公務員になるにはどうしたら良いか?という情報を手に入れるのは容易ではなかった。今では例えば”法学部に入って国際政治などを学ぶ”とか、”経済学部に入って、そこから経済の専門家になる”みたいなロールモデルを見つけることは難しくないが、当時は周りにそういう大人がいない限りはなかなか情報を得ることが難しかったのだ。

東大の場合、理系に入学した学生がそういった国際公務員に進もうと思った場合の選択肢の一つが教養学部後期の国際関係論コース(通称”国関”)だった。教養学部は文理どちらからも進学が可能だし、名称もずばり「国際関係論」とわかりやすい。当時は東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻という専攻が出来たばかりで、新しい組織特有の熱気もあったように思う。

当時の自分はそのまま工学部(工学系)に進むか、この教養学部の国関に進むか悩み、最終的に「駒場にずっといたくはない」という今となってはどうでもいいような理由で工学部の新設専攻に進んだのだった。その選択自体は全く後悔していないが、国際関係論をちゃんと勉強したいという思いはなんとなく残っており、40代半ばになってアカデミックなことをやり直そうと思った時のターゲットの一つになったのだった。


そこで実際に勉強を始めようと思った時に困ったのが、教科書選びだ。学部2年生の自分は進学先を決める際、「理系は実験や演習を教えてもらう必要があるが、文系科目はちゃんと教科書を読めばなんとかなる」と思っていたのだが(実際に単位が足りなくなって受講した法学部の商法は授業に一回も出なかったが、教科書と判例集+シケプリで優をもぎ取った)、国際関係論のような学際科目の場合には明確な教科書がわかりづらい。数学のように”この領域にはこの定番教科書”のようなものが、門外漢にはわからないのだ。東大のページには参考図書が載っていないし。

そこでとりあえずネットで調べたり、関連する他の大学のページを調べたりしたところ、全体を掴むのに良いと紹介されていたのが「Next 教科書シリーズ 国際関係論[第3版]」だ。何せ教科書の良さ/悪さの判断すらつかないので、まずはこの一冊を読んでみて少しでも進んでみることにした。最後には参考図書が豊富に載っているので、それを得るだけでも意味があるだろう。


Next 教科書シリーズ 国際関係論[第3版]: 第Ⅰ編: 序論と歴史分析


国際関係論と国際政治学の違い


冒頭ではおそらくよく質問があるのだろう、”国際政治学”と”国際関係論”の違いについて述べられている。こういった「XX学はAだが、YY学はBである」というのはどうしても自分が属している学問をよく見せようというバイアスがかかるので話半分に聞いておくべきだろうと思うのだが、国際関係論の特徴は以下の4つであると本書では定義している。
  • 国以外の多様なステークホルダーを含めて分析する
  • 学際的である
  • Global Issueも検討範囲に加える(人権や環境問題など)
  • 地域研究も含まれる

一方で本書では、「国際政治学は、国家間の政治を研究する社会科学の一分野であり、政治学の延長線上にある学問分野」と定義している。

国際システムの形成と展開


国際関係論というだけあり、国際関係の歴史的な形成と変化は最初に学ぶ必要がある。本書によればまず、国際関係を理解するにあたり基礎となる概念として、国際システム(International System)という概念を提示する。この国際システムは「複数の主権国家による集合体」を示す概念である。

ジョセフ・ナイによれば国際システム(≒ 国際社会)は歴史的に3つの形態が存在していた。
  • 世界帝国システム(world Imperial System)・・・ローマ帝国
  • 封建システム(feudal System)・・・ローマ帝国崩壊後の西側世界と19世紀までの中国を中心とする東アジア
  • 無政府的国際システム(anarchic state system)・・・現在も含む複数の国家によるシステム


歴史分析における仮説

国際関係研究の基本となる、歴史を理論的に分析するための3つの仮説が提示されている。


仮説1: 現代国際システムはウエストファリア体制の延長線上にある
ウエストファリア体制とは、17世紀にヨーロッパで争われた三十年戦争後の新しい国際秩序を指す。この体制では「国際法」や「勢力均衡」といった現代につながる基本的な概念が生まれ、西側の国際システムが生まれた。

仮説2: 近代500年間は覇権国家の交代劇であった
16世紀のスペインから、オランダ、イギリスを経て、20世紀に入ってから現在まではアメリカが覇権国家となっている。一方でそれぞれの時代に挑戦国が存在するが、その国は争いに勝利して次の覇権国家になることはなかった。17世紀のオランダの覇権に挑戦したのはフランスだったが、その次の覇権国家となったのはイギリスだった。

仮説3: 911事件によりポスト冷戦時代の国際システムは終わった
近代国際社会は戦争 → 講和会議 → 新国際秩序 → 秩序の崩壊 → 戦争というサイクルで変化してきており、国際秩序が保たれている間は国際システムが機能していたと言える。それでは、911により、国際秩序は崩壊したと言えるのだろうか?



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2024年3月14日 (木)

勉強している内容の備忘録: マンキュー経済学 マクロ経済 第11章(貨幣システム)

この章と次の12章は”長期における貨幣と価格”というセクションに分類され、経済において最も重要な概念の一つである「貨幣」について取り上げる。日常の生活では貨幣とは、いわゆる「お金」を指すに決まっている・・と感じるのだが、マクロ経済という観点からは必ずしも直感的ではないのがこの「貨幣」という概念だ。自然科学畑の自分にとっては、人間が生み出したものを人間自身が定義し直すというのは何か不思議な感じがしないでもないが、この辺りが経済学が人文学系の要素もある理由の一つだろう。

本章では主に概念の説明について多くページが割かれており、その中には自分が見知った概念も多くあるので、そのような部分はさっさと飛ばして読んでいくようにした。

マンキュー経済学 マクロ経済 第11章: 貨幣システム

● 貨幣の意味 ●

日常で我々が利用しているいわゆる「お金」とは違い、経済学においては貨幣とはより限定的な意味で使われている。
マンキューによれば、 貨幣には3つの機能がある。1つ目は「交換手段」であり、財やサービスを買う時に交換をして利用することが可能である。2つ目は計算単位であり、異なる財やサービスの価値を比べることに利用ができる。
そして、3つ目は価値貯蔵機能であり、貨幣を利用することで財やサービスを異なる時点で利用・交換することが可能になる。もし貨幣がなければ、農家は農作物がある時にしか他のものを手に入れられないし、 原材料を必要とする工業等は発展をしなかっただろう。

経済学的に言えば、上記の機能を満たしていれば貨幣なので、必ずしも我々が日常的に使う紙やコインの「お金」である必要は全くない。実際に歴史上(あるいは紙やコインが利用できない場合)では、ある特定のものが貨幣として流通していた。それは金であったり、 貝殻であったり、あるいはタバコであったりする。

 

● 中央銀行について ●

世界各国には 経済を運営するための期間として中央銀行が存在する。アメリカだけは連邦準備と呼ぶが、 昨日としたほぼ同じであり、金融システムを維持するための様々な権限を持っている。

本書によれば、中央銀行の職務は大きく分けると2つある。 1つは銀行に対する最後の貸し手としての機能であり、もう一つは貨幣供給を調節することにより経済をコントロールすることだ。
前者の「最後の貸し手」としての機能が大きくクローズアップされるのは、金融システムが動揺した時だ。例えば、過去には銀行の取り付け騒ぎがあったときに、中央銀行が銀行に現金を供給することで騒ぎを収めることができた。 現代においても、例えばアメリカの金融危機においては、連邦準備が現金を大量に供給することによって危機をコントロールしようとしていた。

もう一つの貨幣供給には、より複雑な効果がある。 一般的に中央銀行は、銀行に対して獲得した預金の一部を中央銀行に預金することを命じている。この準備は通常は預金の数%程度であり、それ以外の預金は銀行が貸出に回すことが出来る。 この貸出が他の銀行に預金されると、その銀行はまだ中央銀行に準備をとして一部を回し、それ以外をまた貸し出しすることが出来る。 このようにしてもともとあった貨幣が、預金をされ再度貸し出しをされることによって増えていくことを、貨幣想像(信用創造)と呼ぶ。

中央銀行は、国債の売買や準備の割合(公定歩合と呼ぶ)をコントロールすることにより、市中に回る貨幣の量をコントロールすることが出来る。 ただし公定歩合を毎日のように変更することは実務上は現実的ではなく、日常の貨幣量のコントロールは国債の売買によって行われることが多い。

2024年3月11日 (月)

SNSで話題になっている『鬼時短』を読んでみた: 文化を変えないといいつつも神輿の動き方は変える必要あり

マーケティングや広告業界で働いている人間であれば『鬼十則』 と言う単語を知らない人がいないだろう。電通の行動規範のようなものとして業界に広く知られているこの鬼十則、社外の人は10個全部言うことができなくても、1つ2つであれば言うことができる人も多いかもしれない。自分も『仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない』とか、『周囲を引きずり回せ、引きずると引きずられるのとでは、永い間に天地 のひらきができる』などは、言葉は多少違うがいうことができた。

本書のタイトルは当然この『鬼十則』からヒントを得て付けられている・・というのも、 本書は、その点数の働き方改革、もっと言えば時短を進めた当事者が、そのノウハウを書き起こしたものだからだ。 かつては 夜中まで電気がついていた汐留ビルが22時になると電気が真っ暗になる、まさにその改革を主導した方による”時短 = 業務改革”のためのレシピが本書になる。


文化は変えずに働き方を変えよう

本書にあるように、残業というのは一つの文化として定着していることが多い。仕事が多すぎるということも時にはあるが、 どちらかと言えば周囲やお客さんに「こんなに遅くまで働いているのだ」と伝えるパフォーマンスの要素もかなり強い。自分もコンサル時代に”あえて”顧客へのメールを夜中に送って、自分たちは働いているアピールをしたこともあった。

本書では、時短を始めるにあたってはその「文化」・・・言い換えれば”顧客志向”とでもいえばいいのだろうか、を変える必要はないというところからスタートする。これまでの会社の成長、あるいは個人にとっての勝利をもたらしてきた文化は変える必要はなく、あくまで実際の働き方、もっと言えば時間の使い方を変えると言うことにフォーカスするのだ。

実を言うとコンサルタント経験者にとってはこのアプローチはちっとも違和感はない。今ではあまりやらなくなってしまったかもしれないが、ほんの10年ほど前にはコストカットのためにABC(Active-based costing)分析というのをやるのが流行っていた。これは業務をなるべく細かな単位に分けて、それぞれにかかる時間とコストを計算するという手法で、観察と分析に膨大な時間がかかるのだが、かなり正確に”自分たちが何をやっているか”を可視化することが出来る※1。本書ではABCという単語は出てこないが、この手法をまず全社的に展開をしたようなのだ。


”今”を尊重するところから始めよう

このABCをやると、依頼をした方(多くは経営陣か経営企画の”業務改革担当”のような方)はもちろんのこと、調査をされる方の当事者でも驚くような結果が出ることが多い。正確にいえば、後者の方は「わかっていたけど、やっぱりこんなに無駄な時間があったのね」というやつだ。

ABCでは時間だけではなく、それぞれがどのような業務(あるいはタスク)に時間を使っていたかが正確にわかっているので、無駄が明らかになったら後は対応するだけで良い・・のだが、実際はそんな風には進まない。本書にもある通り、それぞれの業務というのはそれなりの意味があって存在しており、たとえちょっとしたことでも変更したり無くしたりするのは難しいのだ。

ここで重要なのは、本書にもある通り「それなりの意味」というのは必ずしも「そのタスクが価値を生み出す」ということとイコールではないということだ。時には「XXさんが部署にいるためには、この仕事が必要なのだ」という主客逆転のようなこともよくある。会社から見たら無駄以外の何者でもないが、その業務を担っている”ムラ”からすると、必要なことなのだ。なんというか、一種の祭祀のようなものであると思った方がいい。

本書ではそのような”一見無駄”でも、まずは尊重して物事を始めようということを繰り返し語っている。現代合理主義者が”雨乞いをしても雨は降らないからやる必要はない”と最初から断言してはダメなのだ。


それでもリーダーは変わらないといけない

本書が想定読者としているのは、あくまで時短といった改革を進める側の人間になると思う。本書は「時短をさせられる側」に対しては、できる限り現状を尊重した方が良いと繰り返して書いているが、この想定読者に対しては強く自己変革を求める。 今までの日本式のやり方では、時短のような 大きな改革を成し遂げる事は不可能であるとはっきり言っている。

言い換えれば、一般社員は最後の最後まで自発的に変わらなくても良いが、 リーダーは率先して自分を変えなければならないのだ。そしてこの自分を変える方向と言うのは、時に本書においては否定的に使われているMBAや外資系企業の考え方そのものだ。 明確な指示を出し、率先して自分のアイディアを部下に伝え、そしてうまくいかない場合の責任は自分にあるとする。逆説的ではあるが、日本企業の文化を守りその中で改革を行うのであれば、リーダーだけは日本風であってはいけないのだ。

この考え方はより深く考えれば、結局のところ変革において求められるリーダーと言うのは、洋の東西を問わず同じような資質を持ち、同じような行動をとることが求められていることを意味する。本書ににおいて実はこの部分が最も難しい部分で、著者も認めるように日本の経営幹部は各部署の利益代表としての顔を持ち合わせている。 偉くなった人間は、部署の利益や意向をかなりの部分において代弁することが求められるのだ。

そのような人間がある時、突然改革が必要になったときに、自分の思考方法や働き方を変えると言うのはかなり難しい。本書ではそもそも改革のために社外からリーダーを引っ張ってくるということは想定していないので、改革が成功するためには、このような求められる人間が既に幹部に存在しているということが必要条件になる。
ただこれははっきりいって意図的に出來るものではない。電通の場合は偶然なのか、それとも必然なのかわからないが、そういった人間が上層部にいたことが結果的に時短と働き方変革を実現する要因となったということなのだ(少なくとも本書を信じれば、だが・・・)


日本企業はやっぱり大変だなぁとついつい思いがちな外資系人間の自分

自分がかつて在籍していたIBMが赤字になった際に、ガースナーという外部経営者を招聘して大改革を行った。その時にもっとも時間をかけてチェンジマネジメント(変革の推進)をしたのが、日本だったというのは内部では有名な話だった。当時は、米国の本社を除けばもっとも売上が大きく、かつ人員も最大ということで日本をまず対象にしたというのが建前で、本音は日本が最も変革が難しいと本社ではみられていたからだ。日本で改革が軌道に乗り始めて、ようやく米国本社は「この変革は必ず成功する」と確信を持てたらしい。

当時は半ば連邦制のようになっていたとはいえ、一応は米国資本のIBMですら日本支社の抵抗は頑強だったのだ。これが日本に本社があり、経営陣もほとんど日本人という会社では、さらに変革の難易度が上がることは間違いない。
そういった”難易度の高い”日本企業の変革をやろうとしたら、間違いなく本書のようなアプローチを取るしかない。まず経営者(あるいは経営幹部)が自らの態度を変え、その上で現場を尊重して、丁寧に時間をかけながら一歩一歩価値を感じてもらう。この方法は、いわゆるMBAで学ぶチェンジ・マネジメントの王道でもある。

しかし一方で、外資に長くいて、元からして頭の中は外人のようだった自分からすると「こんな面倒くさいのはとても自分が社員だったらやってられん」というのも正直な感想だ。外部のコンサルタントとしてこういった案件があればこのような方法は取るだろうが、自分が発注側で主体になるとしたら、ここまで根性が持たないと思う。そういった意味で、この著者の方の一番すごいところは「自分が超伝統的企業で育ちながらも、最後までやり切った」というところにあるのは間違いない。


※1・・・家庭生活でもこの手法を持ち込んでいる人も多くいた・・のだが、そもそもコストの定義が難しいので個人的には意味があんまりないと思っていた

勉強している内容の備忘録: マンキュー経済学 マクロ経済 第10章(失業)

第7章「生産と成長」から続いてきた第Ⅲ部 長期の実物経済も本章で終わりとなる。マクロ経済学の主要な論点の一つが景気循環とそれにともなう失業の発生であることを考えれば、本章はこの教科書の中でも主要な論点の一つと言えるだろう。この章では、そもそも失業とは何かという経済学的な定義から、失業が発生する理由、そしてその失業の痛みを減らすとは一般的に思われている各種政策の影響を網羅的に論じている。

マンキュー経済学 マクロ経済 第10章: 失業

● 失業を識別する ●

失業を問題として捉えるのであれば、まず「失業とは何か」と学問的に定義しなければならない。単に”働いていない”というだけでは失業ではないと言うのは、子供や専業主婦がいる家庭のことを思い浮かべればすぐにわかる。そこで経済学では失業を考えるにあたって、まず人間を以下のようにラベリング(カテゴリー分けする)。

  • 雇用者
  • 失業者
  • 非労働力

ここでいう失業者とは「働く意欲があり、働くことが法的に認められているのに仕事がない」人のことを指す。言い換えると、”仕事が見つからずに、働く意欲を失ってしまった人”は失業者には入らないというわけだ。そして失業率は労働力人口(雇用者と失業者)の合計で、失業者を割ったものとなる。

失業率 = 失業者/(雇用者+失業者)×100%

この失業率はさらに、自然失業率と循環的失業の2つに分けることが出来る。
自然失業率というのは失業率が上下する際の基準となっているような失業率であり、実際に計測される失業率とその自然失業率の差異を循環的失業と呼ぶ・・というのが定義だ。
ここで疑問になるのは、自然失業率がなぜ正になるのか、言い換えるとなぜ「常に失業は存在するのか」ということだ。この教科書では大きく2つの理由を挙げている。

一つは摩擦的失業(Frictional unemployment)と呼ばれている失業で、仕事を一度やめる/あるいは首になった後に、次の仕事を見つけるまでに時間がかかることから発生する失業のことだ。日本では一度働き始めたら、できる限り履歴書に穴を開けない方がいいと言われているが、レイオフがあるアメリカでは、そのような贅沢を言えないこともある。摩擦的失業というのはまさに、次の仕事を見つけるまでの一時的な(temporaryな)失業と言えるだろう。

一方で労働需要の方が供給よりも小さい場合に発生するのが、構造的失業で、これは一般的に長期間になってしまう。そもそも働き口が少ないがために発生している失業であるからこそ解決が難しいのだ。


● 職探し ●

摩擦的失業が発生するのは、次の仕事を見つけるまでに時間がかかるからというのが大きな理由となる。この次の仕事を見つけるという行為は、通常は雇用側の事由であることが多く、被雇用者側の問題であることはあまりない(被雇用者側は次の仕事が見つかってから、今の仕事をやめることができるから)。このような雇用側の労働需要の増減により働く場所が変わることは、雇用間の部門シフトと呼ぶ。

そして摩擦的失業が一定期間存在するのは、労働者が次の仕事を見つけるのがすぐにはできないからだ。昔はそもそも 仕事がどこにあるかもわからなかったし、応募書類を作るのも時間がかかった。そうであるが故に例えばインターネットの存在は摩擦的失業を減らす効果があると言える。

一方で公的な施策、例えば失業保険などは摩擦的失業にある期間を伸ばす効果がある。それは失業保険の受給期間中は一定の収入(働くよりも少ないが)が保証されているため、労働者は無理をして次の仕事を見つける必要がないからだ。

 

● 最低賃金法 ●

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多くの国で搾取的労働を抑えるという目的で設定されている最低賃金は経済学的な観点から言えば、労働需要を減らす効果があり、失業を生む必要の要因となる。それは右図の需要と供給の曲線を見れば明らかなように、最低賃金が均衡賃金より高いとすれば、供給と需要の間にギャップが生まれるからだ。

ただしこの最低賃金のによる雇用の減少は、賃金が最低賃金の付近にある職にのみ効果があると考えられる。

 

● 労働組合と団体交渉 ●

多くの国で認められている労働組合は、団体交渉を行い、時にはストライキを行うことで労働者の多くの権利を認めさせてきた。しかし経済学の見地からは、少なくとも労働組合の交渉の結果による賃金上昇は労働組合に参加している人員のみに恩恵があり、その分のコストを労働組合員以外の人員に支払われているとみなすことが出来る。

しかしそれでも、労働 組合が役に立つかどうかと言うのは、経済学者の間でも意見が一致していない。否定派は労働組合はカルテルと同じであり、水準以上の賃金が達成されたことにより労働需要量が減少してしまうと批判する。 一方で、肯定派は労働組合が存在することにより、企業の市場支配力への対抗策が生まれ、労働者全体の生産を向上させる可能性を指摘している。

 

● 効率賃金理論 ●

失業が発生する1つの理由として、効率賃金理論が存在する。これは企業が健康水準以上の賃金を支払うことによって、企業経営がより効率的になると言う理論である。一見すると矛盾した内容であるが、企業が賃金を高めにすることで利潤を最大化できると言うことなのだ。

この理由としては大きく4つの説明が存在している。
1つ目はより高い賃金を払うことで労働者が 健康を保つことができ、より生産性が高くなる可能性がある。 ただしこの説明は賃金が非常に低く均衡する賃金では、十分な食料や休息を手に入れることができないといった国の場合のみ当てはまる。

それ以外の3つの理由はいずれも労働者に関連することで、「 高い賃金を支払うことで離職率を下げることができる」「より質の高い労働者を採用することが出来る」「労働者の努力度を上げることができる(モチベーションを高めることが出来る)」といったものだ。

 

2024年3月 6日 (水)

いわゆる特性持ちが仕事にポモドーロ・テクニックを使ってみた

最近は歳のせいなのか、あるいは半永続的な減量を続けているせいで体力/集中力がなくなってきているせいなのかわからないが、夜になるとすっかりグッタリしてしまい何かをしようという気がなくなってしまうことが多い。夕方になって家に帰るとちょっと子供と遊んで、運動するとすぐに眠くなってしまうという感じなのだ。


流石にそれだと作業時間が足りないということ間違いなしだし、本を読んだりゲームをしたりなんかも出来ずに残念なことになる。そこで日常生活で消耗しすぎないようにしよう・・と最近になって取り入れているのが「ポモドーロ・テクニック」だ。これは簡単に言えば、タスクを細かく分解して一定時間作業や勉強をした後には休憩を入れるというサイクルで作業を進めるというやり方だ。詳しくはWikipediaに記載がある。



このテクニックは2009年に出版されたシリロの著書『The Pomodoro Technique』(どんな仕事も「25分+5分」で結果が出る ポモドーロ・テクニック入門)や、自身の公式サイト内で紹介されている。


具体的な手順は以下の通りである。



  1. 達成しようとするタスクを選ぶ

  2. キッチンタイマーで25分を設定する

  3. タイマーが鳴るまでタスクに集中する

  4. 少し休憩する(5分程度)

  5. ステップ2 - 4を4回繰り返したら、少し長めに休憩する(15分 - 30分)


ポモドーロの途中で急用が入りタスクが中断された場合は、そのポモドーロは終了とみなし、はじめから新しいポモドーロを開始する。



この手法は、本来は一つの作業に過集中して時間を使いすぎてしまい疲労をすることを避けるためにあるのだとおもう。ただ自分のように「気が散ってしまう」と「過集中」の間を行ったりきたりする特性を持つ人間の場合は、この方法は全く違った意味合いがあることが、実際にやってみてわかった。それは一言で言えば、インターバル・トレーニングのような効果があるということだ。

このポモドーロ・トレーニングは先ほども言ったように、本来は”過集中しすぎる”ことを防ぐために考案されたものだと思う。過集中は瞬間的には高い効果を発揮するが、やはり疲れは出てくるし、自分で気づかないうちに生産性が下がってしまうからだ。
ところが自分の場合には、この手法を使うことで「25分間は全力を一つのことに投入できる」という安心感を得ることが出来るのが大きい。どんなに集中していても一旦25分が経てばリセットしてくれるので、時間を気にすることなく、かつ他のメールや連絡方法などについても気を使わなくてもいい。この安心感から、その25分間に迷うことなく全力投入が出来るのだ。


インターバル・トレーニングなので25分間が過ぎた後は当然休憩が必要で、その休憩時間には頭を空っぽにするために、audibleをこまめに聞いたり映画を見たりをしている。妻に言わせると「それってちっとも休憩していることにならないのでは・・」となるのだが、自分にとっては頭の中に残っている残り滓を一旦全て洗い流してくれる効果があるのだ。
誰にでもお勧めできる方法ではないのだが、自分のような特性(過集中と分散の間が激しいタイプ)にはぜひ一回やってみることをお勧めしたい。

2024年2月28日 (水)

勉強している内容の備忘録: マンキュー経済学 マクロ経済 第9章(ファイナンスの基本的な分析手法)

第8章「貯蓄、投資と金融システム」では、家計と企業をつなぐ金融システムの基本的な考え方を学んだ。本章ではその金融システムがどのように投資の意思決定を行っているのかについての基本的な考え方を学ぶ。 現実の世界では投資を行うのは必ずしも企業だけではなく、家計も常に何らかの金融的に決定を行っているが、モデル化されたこの世界では、まず企業が投資意志決定の主催者であると仮定しているのだ。

マンキュー経済学 マクロ経済 第9章: ファイナンスの基本的な分析手法

”ファイナンス”という単語を聞くと、どうしても日本語では「財務」 という言葉を当てたくなる。ちょうど経理が”アカウンティング”と英語で呼ばれているのと対比しての理解だ。
まず本章ではこのファイナンス(Finance)という単語の誤解について説明がされている。マンキューによれば、ファイナンス(Finance)とは” 人々が時間を通じて資源を配分しリスクをコントロールするにあたって、どのように意思決定を行うかを研究する学問”である。この定義を見ればわかる通りファイナンスと言う語源そのものは「財務活動」とは関係がない。あくまで異なる時間軸上で、どのように資源を配分しリスクをコントロールするかを研究するのがファイナンスなのだ。このように書くと一般的なファイナンスの概念と言うのは、かなり狭い領域にとしてということがわかる(この定義を学生時代に知っていたら、もっと楽しくファイナンスを勉強できたんではないかと思う)。


● 現在価値(時間価値を測る)⚫️

このセクションでは、いわゆる割引率を用いた「現在価値」と「将来価値」の考え方を学ぶ・・・のだが、 さすがにこの辺はビジネススクールで学んだ内容をしっかり覚えているのでノートは省略。ある資産が二倍になるまでに必要な年月は70/x(xは利子率)というところは実用的で面白い。

 

● リスク管理⚫️

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このセクションではまず基本的な前提として人間はリスク回避的な存在であるとする。これは行動経済学などでも明らかになっていることだが、経済学的に言えば効用関数が凸型をしているということだ(あるいはlog型関数と言ってもいい)。効用関数がこの形である場合、ある地点Xから正負それぞれの絶対値が等しいα移動した場合には、|X-α| > |X+α|が常に成り立つ。

人間はこのリスクを回避するための知恵として、保険という考え方を進化させてきた。この保険というのは本質的には「リスクを低減させる」のではなく、「リスクを分散する」ということに意味がある。
例えば火災保険は「火事にあうリスク」を低減してはくれないが、 実際に価値が発生した場合の負担を軽減してくれる。なので、多くの火災保険では多くの人が一斉に火事の被害に合う可能性がある地震による家事は免責事項となっているのだ。

この考え方は 投資行動にも適用することができ、例えば株式を購入する場合には、多くの会社の株式を購入すれば、それだけポートフォリオの リスクを軽減することができる。ただし、それでも市場リスクと呼ばれるすべての企業が等しく負うリスクを軽減することはできない(例えばコロナによる経済活動のスローダウンが良い例だ)。


● 資産評価⚫️

この辺りはいかにもアメリカの教科書という感じなのだが、このセクションでは資産評価の方法、もっと言えば株式価値の評価方法についても触れている。資産評価においては多様な考え方があるので、この章では多くは触れられていないが基本的な考え方として「ファンダメンタル分析」の考え方が触れられている。

また、株式市場における価値評価の方法において重要な考え方である。効率市場仮説についても説明がある。この効率市場仮説と言うのは一言で言ってしまえば、株価はその瞬間に利用可能なすべての情報を反映していると言う考え方である。利用可能なすべての情報が株価に反映されているのだから、効率市場仮説を正とするのであれば、 市場に対して有利なポジションを取る事は誰もできない。結果として、株価は確率的な動きをするはずであり、この考え方に沿った株価の動きをランダムウォークと呼ぶ。

一方で、 現実には市場は非効率であり時には投機的バブルと呼ばれるように「買いが買いをよぶ」という状況を生み出す。 少しそのような状況もいつまでも続くわけではないことは自明であり、歴史上これまでも何度となくバブルは弾けてきた。 言い換えれば、市場は完全に効率ではないが、一方で完全に非効率なわけでもないと言うのがマンキューの述べるところなのだ。

2024年2月25日 (日)

勉強している内容の備忘録: マンキュー経済学 マクロ経済 第8章(貯蓄、投資と金融システム)

第7章「生産と成長」では、家計における貯蓄が投資に回ることによって経済が成長するという議論が展開された。本章ではその議論における疑問点である”貯蓄はどのような経路で投資に向かうのか“に関して学ぶことになる。そしてその経路において重要な役割を担うのが、金融システムである。

マンキュー経済学 マクロ経済 第8章: 貯蓄、投資と金融システム

本章ではまず金融システムを学ぶためのとっかかりとして、アメリカにおける金融システムの紹介からスタートする(本書は当初はアメリカの学生に向けて書かれたのだから当然だろう)。日本の読者にとっては必ずしも必要な情報とはいえないので、ここでは金融市場において代表的なものとして「債権市場」と「株式市場」の2つがあるということを把握しておけば良いと思う。
ただここでサラッと実務上の基礎知識として重要なこととして、以下の2点が書かれていることは記録しておきたい。

  1. 債権市場においては、長期債の方がリスクが高く、その結果として利子率が高く設定される
  2. アメリカの株式市場の典型的なPERは15となる。


● 国民所得勘定における貯蓄と投資 ●

このセクションでは貯蓄と投資の関係を学ぶにあたって、閉鎖経済における国内総生産の恒等式を用いる。

まず、閉鎖経済においては以下の恒等式が常に成り立つ。
 Y = C + I + G  (Y:GDP, C:消費, I:投資, G:政府支出)

この式を変形して投資のみを右辺におくと、以下の関係が成り立つ。
 Y - C - G = I
左辺は国民所得から消費と政府支出を引いたものだから、貯蓄(S)とみなすことが出来て、次のように変形できる。
 S = I (貯蓄と投資は一致する)

次に国民貯蓄(S)の意味をより深く理解するために、税金から社会保障などの”移転支払”を差し引いたものをTとおく。このTは定義から、”政府が支出に利用することが出来る額”ということが出来る。ここでTを用いた、国民貯蓄(S)を変形してみよう。

 S = Y - C - G
      = (Y - T - C) + (T - G)

右辺の第一項は民間貯蓄と呼び、「家計から税金Tを支払い消費をした後の額」を意味する(Tは税金から移転支払を引いたものであるので、いわば真水の税金と言える)。また第二項は政府貯蓄とよび、「(真水の)税収から政府支出を引いた額」になる。もしT-Gが正であれば財政黒字であり、負であれば財政赤字だ。

上記の式の変形から、貯蓄と投資の関係においては以下の2つをいうことができる。

  1. 経済全体においては貯蓄と投資の金額は等しくなる。
  2. 貯蓄は民間貯蓄と政府貯蓄の二つに分けることが可能である。

● 貸付資金市場 ●

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上で書いたように貯蓄が投資に回るためには、何らかの仕組み(システム)が必要になる。この仕組みを単純化して説明するために、このセクションでは貸付資金市場という概念を導入する。この市場では全ての預金者がこの市場に貯蓄を提供し、全ての借り手はこの市場で資金を借り入れる。

ここで資金の需要量と供給量を決定するのは、利子率となる。ちょうど市場においては価格がシグナルとなったように、この資金市場では利子率が価格と同じ役割を果たすのだ。そして政府がとる政策は、この資金需要曲線、あるいは供給曲線をシフトさせる効果がある。

この曲線のシフトは 市場におけるシフトと考え方は同じなので再度記載はしない。ただ面白かったのは政府の財政赤字と財政黒字の考え方だ。

前のセクションで見た恒等式からは、 財政赤字は政府貯蓄のマイナスを意味するので、左辺である国民貯蓄も減少する。 つまり財政赤字は供給曲線を左にシフトする効果があり、資金需要は低下し、利子率が増加する結果を生む。
この効果は言い換えれば「 本来は民間に回るはずだった資金を政府が吸収してしまった」ということを意味しており、経済学の用語ではクラウディング・アウトと呼ぶ。 この効果は政府貯蓄の減少によってもたらされるので、減税にによっても生じることとなる。


本書ではこの部分で日本の財政赤字のグラフと米国の財政赤字のグラフが載せられているのだが、一貫して財政赤字が増加し続ける日本と言う国にいるとこの議論はかなり新鮮に感じる。 日本では失われた30年と言われているが、この単純化したモデルからだけ考えれば、景気対策のために行った財政赤字が結果として投資の減少をうみ、成長率を抑えていたことになる。
もちろん実際の経済においては財政政策だけではなく金融政策を組み合わせて行っているのでこのような単純な結論を導くことができないであろうと思うただこういった式を学ばなければ、財政赤字と景気の関係などを考えることもなかったわけで、ようやくマクロ経済学が面白いと感じられるようになってきた。

 

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